このブログで前回、故・木村汎・北大名誉教授(2019年没)の言論に触れた。ロシア人を知るにはスラブ民族というものを知らねばならない。プーチンの本心は北方領土など返還する気はない。ソ連邦の再興あるのみ‥など現在のウクライナ情勢を読み解くのに必要な知識が山盛りだった。
そんな折、3月2日の産経新聞に同紙「正論」に寄稿した、プーチン政権の本質に鋭く迫るコラムが再掲された。6年前のコラムだが一つも古びていないばかりか、ロシアのウクライナ侵略の狙いと、少し先になるだろうが落とし所について鋭い言論なので転載する。
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「ミニ・ソ連」再興こそがプーチン大統領の白昼夢なのだ
北海道大学名誉教授・木村汎 (2016/1/8 )
ソ連邦は、1991年12月に崩壊。早いもので、今年は25周年に当たる。冷戦終結は、既に2年前の89年12月にブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソ連邦最高会議議長によって口頭で宣言されていた。とはいえ実際終焉したのは、ソ連解体後とみなすべきだろう。
糾合できない旧構成国
もっと重要なことがある。人間の心理や営みは複雑で、国際政治は決して一直線を描くような形で進行しない。揺り戻しを含むある程度の紆余曲折は当たり前である。実際、その後のロシアではソ連邦復活の試みが後を絶たない。国際場裡でも「冷戦の再開」と騒がれる事態すら発生している。
ソ連崩壊は無念千万-。プーチン現大統領がこのような思いを抱いていることは間違いない。大統領は2つの発言を行った。まず、2003年に述べた「ソ連崩壊を惜しまない者には、心(ハート)がない。だが、その復活を欲する者には、頭(ブレーン)がない」。05年には多くの評論家が引用する有名な言葉を語った。「ソ連邦の解体は20世紀最大の地政学的な大惨事である」。確かに後者のほうが大統領の本音に近く、「ミニ・ソ連邦」の復活こそがプーチン氏の強い願望に違いない。
実際、クレムリン復帰が確実視された11年10月、プーチン氏は「ユーラシア連合」構想を発表した。旧ソ連邦構成諸国のうち、既に欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟済みのバルト三国を除くなるべく多くの国々を糾合して、ロシア指導下に「ミニ・ソ連」を創ろうというスキームだった。
ところが、それから4年経過し「ユーラシア経済連合」と名称を改めるなど、同構想の内容を若干修正したにも拘わらず、既に参加を決定したのはロシアを除くと4カ国にすぎなかった。カザフスタン、ベラルーシ、キルギス、アルメニア。いずれも自国内に多くのロシア系住民を抱えるか、経済的、軍事的理由から要請を断れない弱みをもつ国々だった。
敵に回したウクライナ
他方、ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバといった有力な旧ソ連構成諸国は同「連合」参加をボイコットした。これら4カ国は、それぞれの頭文字をとったGUAMと名乗る組織を形成済みだった。モスクワの覇権主義を嫌い、ロシアから距離をおく姿勢を明確にしていた。
ロシアは、さらに08年夏のジョージア侵攻、14年3月のクリミア併合によって、ジョージア、ウクライナを明らかに敵に回した。そればかりか、これらの国々と同様の運命に遭うかもしれないと危惧するモルドバやアゼルバイジャンの反発を招いた。
なかでも、ウクライナを「ミニ・ソ連」プロジェクトから離反させるだけでなく、EUやNATOの方へ事実上追いやる結果を招いたことは、ロシアにとり大きなマイナスだった。というのも、ウクライナは地理、人口、国力などから見て、旧ソ連構成諸国のなかで群を抜く重要な地位を占めているからである。プーチン氏発案の「ユーラシア連合」の成否は、ひとえにウクライナが同プロジェクトに参加するか否かに懸かっているといっても過言でない。
戦術家・プーチン氏の過ち
プーチン大統領の決断によって、ロシアがクリミアを獲得したことは確かに事実かもしれない。だが、そのためにロシアが支払わねばならない代償は実に大きかった。仮に主要8カ国(G8)からの追放、経済制裁、「ミニ冷戦」の発生を別にしても、ロシアはウクライナ全体を失ってしまった。ウクライナは米欧、EU、NATO側へ急接近を遂げる一方、「ユーラシア連合」構想へ参加する意欲をゼロにしてしまったのだ。戦術家・プーチン氏は、なぜそのような戦略上の過ちを犯したのだろうか。私の説明は、こうである。
プーチン氏とて生身の人間である。理性(頭)にばかりもとづいて、政治的判断を行っているわけではない。時にはエモーション(心)に動かされて、衝動的な決定を下すこともあろう。まさにクリミア併合の決断は、その一例だったのではないか。
クリミア併合は、14年3月16日に実施された住民投票の結果、圧倒的多数がロシア編入に賛成していることが判明。それを知ったプーチン大統領は2日後に電光石火のごとく併合に踏み切った-。しばらくの間こう説明されていた。
だが、この通説はその後、大統領自身の言葉によって否定された。はるかそれ以前の段階、2月23日午前7時にクリミア併合の決断は下された。これが、今日の公式説明なのである。ちなみに、この時、同決定に参加した4人は全てKGB(元ソ連秘密警察)の勤務経験者であり、外務省関係者は加わっていなかった。
最重要決定は心でなく頭で行うべし。己が述べた至言を、プーチン氏自らが必ずしも常に実行しているわけではない。
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このほか、下記の木村汎氏の評論が
https://www.sankei.com/tag/topic/world_104/#kimuraに掲載されている。ぜひ読んでいただきたい。
領土保全がプーチン思想の柱だ(2019/2/11)
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「ミニ・ソ連」再興こそがプーチン氏の白昼夢(2016/01/08)
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