臍下三寸で問題がある舛添要一元厚労相(65)の都知事選出馬に異論がある、と書いて3日目、今度はダークホース細川護煕元首相(75)が立候補を決断したと言う。誰しもがこの二人の一騎打ちの形勢になったと見るところである。模様眺めをしていた東国原英夫前宮崎県知事も形勢不利と見たようで不出馬を決めた。
細川氏は10日、周辺に「出馬を決断する状況になった」と語り、都知事選出馬に向けた準備作業を本格化させる決意を明らかにした。細川氏は「脱原発」を争点に、幅広い支持を得たい意向とで特定政党の推薦や支持を得ず、無所属で選挙戦を戦う方針だ。
なんでも昨年、小泉純一郎元首相と会食し、エネルギー問題で意見交換、脱原発で一致した。小泉氏の協力を得たい考えで、連休明けにも小泉氏と会談し、支援を要請する。公約では「脱原発」や財政改革などを柱に訴える。周辺に「東京都は東電の株式を多数保有している大株主だ。影響力は大きい」と話していたことから、東電をいじることで国政を動かしたいようだが、原発のない東京で「脱原発」を争点にされたのでは都民としてはた迷惑この上ない。
なにより過去幾たびかの「投げ出し癖」が気にかかる。細川家17代当主、護貞氏の長男として生まれた。母方の祖父は近衛文麿元首相。世が世なら大藩のお殿様である。現代でもお殿様ぶりを随時に発揮してきた。参院議員を2期務め、熊本県知事に転じると、2期8年務め、「日本一づくり運動」など斬新な政策で全国的に“ニューリーダー”としての知名度を高めた。3選を目指すと思われていたが、「『10年一区切り』を念頭に仕事をやってきた」と突然不出馬を表明。
だが、退任1年余り後の平成4年、新党の結成構想を発表する。「私がソロを弾き始めた。次第にそれが大きなオーケストラになる」と宣言、これが後の新党ブームのさきがけとなる日本新党となり、平成5年8月から6年4月まで79代首相首相として非自民8党派による連立内閣を率いたが、この政権は新生党の小沢一郎代表幹事に影響力を握られ、飾りのお殿様だった。例えば6年2月に発表した税率7%の「国民福祉税」構想も小沢氏の主導で、税率の根拠を「腰だめの数字」としか説明できず、翌日には撤回せざるを得なかった。8ケ月で政権を投げ出す。
政権の座を降りざるを得なかったのは、佐川急便から1億円を借入した問題だった。6年の通常国会は、自民党の激しい攻撃に遭い、予算審議に入れない非常事態となった。徳洲会からの5000万円借り入れ問題で都議会を紛糾させ辞めざるを得なかった猪瀬直樹前知事の経緯とどこか似ている。しかし表向きの理由は1億円ではなく、「60歳を区切りにしようと思ってきた。ここが区切りのつけ時と判断し、辞職を決意した」というものだった。
16年前の平成10年4月、民主党結党と同時に突如、任期途中の衆院議員辞職を表明し、政界から身を引き、熊本の陶芸家として時々雑誌に取り上げられる程度だったのだが、ここにきて突然の都知事選出馬である。自民党幹部は「最近は芸術に携わってきたようだが、細川氏自身が骨董品だ。ゾンビだ」と皮肉っている。
ブログ子は東京都民で家族3票あるが石原慎太郎元都知事が推薦するなら、と田母神俊雄氏に2票行きそうだ。だが軍人と言うのはいつの世も嫌われることを知っている亭主は宇都宮健児氏との「左右対決」はコップの中の嵐にしかならないと見る。では誰に投ずるか。「イロ舛添 Vs ゾンビ細川」の選択肢しかないのなら、棄権するしかないではないか。「脱原発」などと呆けたことを広言する輩は消えて、国家観のしっかりした第三者を待つ気持ちや切である。23日までに出てきてほしい。