家族や友人たちと訪れたキャンプ場から当時7歳の小倉美咲さんが忽然と姿を消してから2年7か月──。行方不明になった山梨県道志村のキャンプ場から約600メートルの山中で子どもの頭部とみられる人骨が発見された。
報道によると、「肩甲骨とみられるものは、衣類と数メートル以内の場所で、土や落ち葉に埋もれた状態で見つかり、死後数年が経過している可能性がある」という。
ほぼ間違いないと思われるが、ここで書くことは事件についてではなく、ここで登場する「数年」「数メートル」という表現に付いてである。ブログ子は高齢者に属するが学校では「数年」とは「5、6年」と習った。美咲さんが行方不明になって3年弱だから違う人骨かも知れないと理解する。「数メートル離れて」とあれば「5,6メートル離れて」見つかったと理解する。
ところが今の人、特に20代、30代は「数年」は「2、3年」のことと理解する人が殆どで、この骨は美咲さんに違いない、と直感するようだ。
こうした本来、統一させなければならない言葉が統一していない状態を「言葉の揺れ」「国語の揺れ」という。NHKの調査では「砂をかむよう」の意味を、本来の意味である「無味乾燥でつまらない様子」ではなく、「くやしくてたまらない様子」と理解している人のほうが多いという結果が出ている。国民の世代によって捉える意味が違うのでは相互理解がすすまない。一大事である。
「国語の揺れ」は国語辞典でも見られる。岩波国語辞典の「4から6くらいの範囲。近頃は3か4程度」と言うのは良心的で、ほかは「3,4か5,6中心に2から10までさまざま。1980年以降は2,3」と書く。辞書も「揺らいでいる」のだ。これではもう「数年」どころか「数メートル」「数匹」も「数隻」も使えたものではない。
なぜなら、土砂災害で道路が通行止めになったときの報道で「復旧には数日かかる見込み」とあったら、利用者の方で若い人は「2~ 3日」だからまあいいかと一派と「5~6日」も通勤に支障できないかもという一派が分かれるのでは影響の大きさの程度がバラバラになる。
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事件の方に戻る。この事件では山梨県警の対応が悪い。所轄は大月署でそれこそ「数十人」規模と小さく、発生当初からと骨片発見の現在に至るまで現場捜索には「40人」しか出せないでいる。発生2,3日後から一時は自衛隊に依頼して100数十人も加わって「じゅうたん捜査」したが見つけられず、見つけたのはボランティアで現場周辺を何度も捜索していたアマチュア探偵であった。
いなくなったキャンプ場からわずか「数百メートル」で骨片が見つかっているから、もっと人手を出していたら・・・と悔やまれる。発生からしばらくしてJRの駅前で美咲ちゃんのチラシを配ったりしていたが、そんなパフォーマンスより県警本部長が直接指揮して県下各署から動員すればよかったのにと思う。発生直後に山の手通りと広域農道を通ったが、チラシ配りしている一方で北杜署は「ネズミ捕り」に執心していた。山梨県警は1600人ほどだが、ネズミ捕りの人手を本部長指揮で道志村に回せばよかった。