はじめて車内で「化粧女」を見た時は、親の顔が見たいと思った。横丁の隠居なら「キツネを見てみろ。化けるのは夜か物陰だろ。明るいところで化けるんじゃないや」と言うところだ。ところがその後、車内でものを食べたり飲んだりする輩を見かけるようになった。
そんな折、英ロンドンの地下鉄の車内でものを食べる女性の写真を無断で撮影し、コメントと共に交流サイトのフェイスブックに投稿する行為が流行し、ロンドン交通局が手を焼いている、というニュースに出会った。
そうか、イギリスでも目をひそめる常識人が多いのだと思ってよく読んだら違った。
地下鉄内で飲食している女性の写真を投稿するよう不特定多数の人々に呼びかける「Women Who Eat on Tubes(地下鉄の車内でものを食べる女性たち)」と題されたサイトが開設されたところ1日で何万人も参加する人気になった。
問題になっているのは、、投稿された写真の女性が地下鉄を利用した時間や路線などの個人情報が公開されてしまうのではと懸念される点だという。
あるユーザーは、「写真の投稿は観察的な行為であって批判目的ではなく、威嚇やいじめにはあたらない」と反論。写真撮影の対象となった女性たちについて「彼女たちは愛情をもって受け入れられ、大事にされる。私たちは女性たちに地下鉄の車内での飲食を奨励しているのだ。彼女たちを小ばかにしているのではない」と主張しているという。
一方、地下鉄車内で写真を撮影されたある女性は、投稿されたサラダを食べている自身の写真とそれに添えられたコメントに屈辱感を覚えたという。「ページを運営している人たちは『威嚇やいじめではない』と言っているけど、私は被害者だと感じているし、傷ついた」と、自身のブログで訴えている。
撮る方も撮られる方も、車内での飲食を「はしたない」と思っているのではなく、もっぱら個人情報が晒されるという点にもっぱら関心がいっているのである。見苦しい、という点に思いが及ばないのはもはや文化の違いだとしか言えない。
学生時代、上野から青森まで列車で13時間くらいかかった。当然食べないわけにいかないから駅弁や停車駅のホームのそば屋でかっこむほかない。「ものを食べる行為というのは見苦しいものだ。人様の前で口動かすものではない」と親が教えた。長距離列車では許されるが通勤電車では「はしたない」、つまり「品がない」行為なのである。
電車で真っ先に駆け込んできた中学生らしき子どもが両手と帽子を広げて席取りをした行為をたしなめたら、親が睨みつけたので、「きちんとしつけなさい」といった事がある。
ブログ子が思うに、これは大家族制の崩壊と関係しているのではないか。親がダメでも祖父母や近所の大人が注意した。それがなくなって野放図な社会になったのだと思う。個人情報などよりも「はしたないものははしたない」のである。イギリスでも同じだ。