小保方晴子さんを信じたいのだが

scn14040913380STAP細胞の論文問題で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダー(30)が9日開いた記者会見を見た。

もとより真贋を見極めるほどの科学的知識はブログ子は持ち合わせていない。会見の冒頭、「私の不勉強、不注意、未熟さゆえに多くの疑念を生みました」と謝罪し、ネイチャーの論文の核心部分に改ざんと捏造があったとした理研調査委員会の最終報告については、「実験は確実に行われており、悪意をもってこの論文を仕上げたわけではない」と反論すると、フムフムとうなずくしかない。

調査委が「実験ノートが3年で2冊しかなく、どんな実験だったかを追跡できなかった」と指摘した点に関しては、小保方氏は「調査委に提出したのは2冊だが、実際にはもっと4,5冊は存在する」と説明すれば、長年の研究にしては実験ノートの数が少し少ないと思うものの「STAP細胞は200回以上作製に成功しており、真実です」と訴えられると、すっかり信じてしまい、素直に「人類の役に立ちたい」という言葉に感動さえした。

しかし、研究者からの反応は厳しいようだ。論文作成方法が「自己流だった」などとする弁明に、小保方氏の同僚からは「説明は納得できない」と厳しい声が上がる一方、蔵田伸雄・北海道大教授(科学技術倫理)の科学者としてどこが悪いのかを「指摘した以下の様な解説を聞くともう前途がないようにさえ思えてしますのだ。

曰く「多くの研究者は、実験で自分の立てた仮説に都合の悪い結果が出てしまった場合、そのデータを捨て、仮説を正当に証明できるデータが得られるのを待つ。だが、小保方晴子氏はSTAP論文のDNA解析画像でそれをせず、切り張りで見栄えを良くするという安易な道を選んだ。これを不正な改竄とした理研に対し、同氏が発表した不服申立書などからは、『どこが悪いのか』という思いがありありとうかがえた。科学者としての基礎的倫理観が身に付いていないと断じざるを得ない。会見では不注意を謝罪したが、不正と認定されるような論文を発表すること自体、知的誠実さに欠けている。人間としても科学者としても未熟な人が急に理研の研究ユニットリーダーとなり、成果を焦らされた結果だ。その意味では、小保方氏は犠牲者かもしれない。理研には『お前はまだその器じゃない。もっと学ぶべきことがある』と指導し、育てようとする上司はいなかったのか」(産経新聞での談話)

厳しいが納得できる。その理研のトップはノーベル賞受賞者の野依良治理事長である。理研の会見の直後に記者会見しては「理研の研究者の論文が信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことに対しおわびする」と謝罪、さらに「論文作成過程で重大な過誤があった。はなはだ遺憾」との見解を示していた。すこし結論が早過ぎるのでなないかと思ったのはブログ子だけだろうか。

はっきり言えばマスコミはブログ子とどっこいどっこいで、STAP細胞の科学的証明に立ち会うだけの力はない。だから豪華マンションにブランド物の金のなんたらをつけて、上司の理研幹部にしだれかかって・・・・といったたぐいの誰にもわかる下司なレベルに終始している。同じように、ノーベル賞受賞者だからすぐれた管理能力と統治能力を持ち合わせているというのは早計なのだ。事務方が書いたメモを深刻な表情で読み上げているノーベル賞学者の姿を見ると悪い時にシャッポに据えられて気の毒に、と思う。

小保方さんが200回成功したというのなら科学者が大勢立ち会って衆目の中で追試すれば一発ですむ話ではないか。「群盲象を撫でる」現状を見ると、科学者というのはよくよく世間常識とかけ離れているとしか思えない。

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