戦争の形が変わった

ロシアはヘルソン市の放棄を決定、部隊をドニエプル川の左岸(東岸)地域に撤退させた。ヘルソン市はロシアが併合を宣言したウクライナ東・南部4州の州都のうち、侵略開始後に制圧した唯一の都市だった。その虎の子の都市を放棄放棄するのだから、ロシアにとって政治的にも軍事的にも大きな打撃である。

ウクライナ軍がヘルソンに入るや、8か月の間ロシア占領下で過酷な生活に耐えた市民から抱擁とキスと涙で迎えられている写真が届いているが、哀れをとどめているのはロシア軍に協力した人で、写真下のように、柱に縛り付けられて市民に罵声を浴びている。

ロシアでは裏切り者の処刑も行われている。エフゲニー・ヌージン(55)=写真右=は殺人罪で24年間服役していたが、侵攻以来兵士不足で釈放され前線に送られたものの、すぐにウクライナ側に投降した。9月にはジャーナリストに「大砲の餌のように感じる」と話し、家族の何人かがウクライナに住んでいるため降伏することにした説明していた。

しかし、親ロシア派の情報筋によると、彼はその後、プーチンの私兵、民間軍事会社「ワグネル」によって誘拐され、処刑された。ロシアのメディア「グレイゾーン」には、ヌージンがレンガの柱に縛り付けられ、ハンマーで撲殺される様子が映し出されている。プーチン大統領の側近で、「ワグネル」の創設者であるプリゴジンは日曜日、「犬は犬並の死に方をする」と述べた。

平和ボケの日本人からするとともに許せない蛮行だが、第二次世界大戦でもパリでナチスに協力したと女性が丸刈りにされ市中引き回しされている写真が流布されているし、あちこちでリンチが横行するのは戦争では「通常」である。

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今度のウクライナ戦争でブログ子がこんな戦争見たことないと思っているいくつかを書く。

ベトナム戦争は、テレビで報道された最初の戦争だった。アメリカとベトナム民衆の闘いは逐一世界に報じられ、サイゴンには大勢のアメリカ人ジャーナリストに混じって日本人のカメラマンや記者たちが戦場に出向いた。作家の開高健もその一人だし、ブログ子の新聞社も特派員を出した。しかし、大半は前線などには行かず後方のサイゴンの米軍か南ベトナム軍から提供される情報と写真をもとに記事を送ってきた。最前線での映像は殆どなかった。

ハイライトだったのは宗主国だったフランス軍があっけなく敗退したディエンビエンフーの戦いと、米軍がベトコンに追われるようにサイゴンから撤退するヘリコプター部隊の修羅場だった。米軍と南ベトナム軍に協力してきた市民が、ベトコンの報復をおそれ蹴落とされながらもなんとか乗ろうとしがみつく姿やサイゴン政府庁舎にホーチミン軍の戦車が入場してくる映像を覚えている。

それに比べ、ウクライナの前線の映像のなんと生々しいことか。

塹壕の中にいるロシア軍兵士の真上から手榴弾を投下しているところである。一発は兵士の体に当たり爆発前に慌てて投げ捨て、溝をよろめきながら逃げるものの、二発目が近くで破裂、怪我をしてうずくまる様子が映っている。

以下は戦車にドローン攻撃をするところだ。

ウクライナ戦争は戦争史上初めてドローンが登場した戦いだ。上で紹介したのは陸戦でのドローンだが、クリミヤでは水上ドローンが登場した。ウクライナ軍は2022年10月29日にロシア海軍の黒海艦隊に対し、8機のドローンと7隻の自爆水上ドローンで攻撃を仕掛けた。米軍供与のものかウクライナが自分で開発したものかは不明だ。

自爆水上ドローンとはどんなものか。発表はないが、9月にセヴァストポリに漂着し、ロシア軍に回収されたものの写真がある。衛星通信用のスターリンクアンテナのようなものを装備し、胴体中央に潜望鏡のようなカメラと船首に爆薬を積載している。偵察や自爆、それに通信の中継も可能なタイプと推察できる。

ブログ子はロシア軍の戦術で不思議に思っていることが二つある。一つは侵攻この方、いまだに制空権を取れていないことだ。ウクライナ所有の戦闘機69機に対しロシアは770機と11倍以上の戦力差がある。ソ連が崩壊した後、当時保有していた最新鋭機Su-25(スホーイ25)を旧衛星国などに売りまくった。その後のSu-27などふくめウクライナもロシアと同じ戦闘機で迎撃しているのだが、ロシアはその後開発したSu-30、Su-34、最新鋭機Su-35sと持っているのに一向に前線で使われていない。いろんな解説が加えられているが明快な理由は見つからない。

もう一つは、上述のようなドローン戦争時代に未だにロシア軍は塹壕を掘っていることの不思議だ。それも1中隊にスコップ3本で、召集兵は手で掘っていると苦情を述べている。動画で明らかなように真上から手榴弾が投下される時代に塹壕などものの役にたたない。第二次大戦でナチス軍をモスクワ近くで迎え撃ったときソ連軍は塹壕戦で戦って、冬将軍という援軍もあって勝利した。その戦法を、現代でも踏襲しているのはいかにも不思議である。ロシア軍の参謀の無能としか見えないのだ。

10月5日のブログ「プーチンの終わりのが近づいた」で書いたとおり、じわりじわりとウクライナ軍は反撃している。ドニエプル川東岸に撤退ということは、ロシア軍占有地は侵攻当初に占拠したウクライナ国土よりグンと狭くなったワケで、プーチンは何のために侵攻したのかわからないのが現状だ 。

アメリカの「戦争研究所」(日本のメディアの戦況報道はみなここのデータ)によると、ウクライナは開戦以来ロシア軍に奪われていた領土の50%以上を取り戻した(下図グレー部分)。ロシアは現在、東部のドネツク州やルハンスク州、2014年に不法に併合したクリミアなどウクライナの約18パーセントを支配しているにすぎない。

今後、戦場は秋の泥濘地帯から厳冬期の凍結地帯へと変化する。両軍、進むも退くもままならなくなる。このまま春先まで塩漬けになるのだろう。ヘルソンはクリミヤ半島への入る要(かなめ)の地である。ここを押さえておけば、春先にセバストポリに進撃することができると思う。

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