世界の言語の中でも日本語は特筆すべき存在だと思っている。英語など表音文字一本槍の国と、日本のように漢字、ひらがな、カタカナという表意文字と表音文字を使いこなす国と比べると、多彩な表現力の点で格段の差がある。
これに方言を加えるとさらに日本語の厚みが増す。その面白さは井上ひさしの『國語元年』を読めば一目瞭然だ。明治初期、薩摩藩士は警察と軍隊の中核をなしていたが、東北に派遣された兵士と津軽弁の地元民の間で、言葉が大混乱をきたし、混乱がないようにと「全国統一話し言葉」つまり現在の標準語の作成を命じられた文部省官吏の苦闘を描いた作品である。井上ひさしは言葉に関する知識が、「国語学者も顔負け」と称されるほど深く、『週刊朝日』で大野晋、丸谷才一、大岡信といった当代随一の言葉の使い手とともに『日本語相談』を連載、、『私家版日本語文法』や『自家製文章読本』など、日本語に関するエッセイ等も多日本語の名手である。NHKでも『國語元年』は何度も番組化された。
さすが標準語を守る総本山・NHKだけあって抜群の面白さで録画して何度も見たほどだ。ところが最近、そのNHKとも思えないネーミングの番組に出くわした。「世界のメディア ザッピング」という。カタカナが多いのも気に食わないが、まず第一に「ザッピング」の意味がわかる人がどれだけいるのか。ブログ子はメディアの片端にいたのでわりにカタカナ語には通じている方だと思うが、これまで使ったことがない。
「zapping」というのは、テレビを視聴するときに、CMや番組の途中でリモコンを使って次々にチャンネルを換えること、さらにはチャンネルを替えながら、あちこちの番組を視聴する行為を指すようになったという。「ザップ」とは、リュックサックやナップサックなどのザップ(背嚢)のことで、山や森をぶらぶら歩いて、リフレッシュする様子を「ザッピング」と言ったことから、頻繁にチャンネルを替えるフリッピング(flipping)や、VTRの再生時にCMを早送りするジッピング(zipping)などと使う。
カタカナは外国語表記、動植物の名前、擬音などに使うことが日本語では約束事になっている。ところが、最近は何でもかんでも英語にしてそれをカタカナ表記にして悦に入る輩が多い。実に見苦しい。ザッピングなどと言わず「雑記帳」とか「拾い読み」とかいくらでも日本語表記が可能である。
ついでにいうのだが、テレビで散見するカタカナ表記もいくらでも言い換えができる。エビデンス( 証拠 )、パラダイム (規範)、スキーム(枠組み)、ガバナンス(統治 )、コンセンサス (合意 )・・・ほぼすべて日本語があると思っていい。テレビ側の人間の日本語力がないだけである。
隣の韓国は漢字を捨てて表音文字のハングルだけにした。結果、「庭園」と「定員」、「医師」と「意思」と「義士」、「駅舎」と「歴史」、「裁判」と「再版」と「再販」、「病院」と「病原」が同じといったぐあいで、中には同音で20くらいあるという。これでは意思の疎通は齟齬をきたすのが必定だ。
NHKはアナウンサー教育の過程で民放の何倍もの訓練をしている。某民放テレビでは「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んだ女子アナがいた。これは日本語教育の問題というより常識の部類だろう。アナウンサー教育とならんでこうしたネーミングをする裏方の制作現場の教育に力を入れてもらいたい。
NHKには日本語を守る義務がある。