吠えまくっていた「戦狼」報道官、趙立堅の左遷

傲慢 不遜  権高  驕慢 傲岸 高慢 居丈高 高飛車 尊大・・・漢字大国だけにボロクソ表現には事欠かないが、なかでも一番憎たらしかった中国外交部の報道官、趙立堅が突然左遷された。

ブログ子は新年早々めでたい話だと杯を挙げて歓迎した。素人のブログ子の話はそこで終わりだが、ジャーナリスト・福島香織氏の手にかかると深い意味があるという。ブログ子は彼女が産経新聞北京支局員のときから愛読している。同じ新聞社とは言え会ったことはないのだが、四川大地震だったかの直後に現場に飛んで迫真のルポを送ってくる姿に共感していた。JBpressから要約して紹介する。

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趙立堅は「新型コロナウイルスは米国のフォート・デトリック(米陸軍の医学研究施設)から中国に持ち込まれた」といったネット上のデマを吹聴したり、オーストラリア兵が血の付いた刃物を子どもに突きつけている合成写真をツイート(写真右)したりして、西側社会から批判され嫌悪されてきた。

また2021年4月には葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をモチーフに、富士山を原発に書き換え、防護服を着た人物が船からバケツで液体を海に流す姿などを描いた画像を掲載。その上で「北斎が生きていたなら非常に心配しているだろう」などと書き込んだ。画像では、雲が十字架の形をしたり、白波が骸骨や奇形の生物で表されている。

当然日本の外務省は抗議したが、趙立堅は記者会見で「海洋は日本のごみ箱でなく、太平洋も日本の下水道ではない」と開き直った。麻生太郎副総理兼財務相が「(処理水を)飲んでも何てことはないそうだ」と述べたことに関しても「飲んでから再び言ってもらいたい」などと批判していた。

それが仕事と言ってしまえば身も蓋もないが、中国の報道官はみな憎たらしい。中でも女では華春瑩報道局長(2021年外務次官補に出世)、男では趙立堅というのが双璧だった。その趙立堅が1月9日、辺境・海洋事務局副局長に異動したのだ。国境や海洋境界の区画や調査、協力活動に関わる交渉などを担当するらしいが、中国人ですら、そんな部署あったのか、と驚くほど存在感のない部内辺境だ。

 外交部のメーン出世コースは北米大洋州局、欧州局、アジア局、儀典局、そして報道局であり、外交部報道官は間違いなくエリートコース。そこで3年近く務めた趙立堅が、なぜこのような辺境部署に異動になったのか。50歳という年齢を考えても、彼がもう一度花の外交部に戻るチャンスはないだろう。

 ツイッターのフォロワー190万人の人気者、習近平の戦狼外交を象徴する外交官がいきなり左遷となったことの理由について、質問されるが、私はやはり歴代報道官と比較しても能力が低かったせいだと思う。

 私自身、北京駐在記者時代から何人もの報道官の受け答えを見てきて、そのうち何人かは直接言葉を交わしたこともあるが、やはり王毅、劉建超、秦剛、姜瑜らは圧倒的な記憶力、反応力、瞬発力が印象に残っている。個人的に対面すればみんな人当りが柔和で礼儀正しい。それに対して趙立堅は、直接会ったことはないので記者会見で見る限りだが、報道官に必要な反応力、瞬発力はかなり劣っている。

 たとえば 2022年11月28日の外交部定例記者会見。ロイター記者の質問に、趙立堅報道官はすぐには答えられなかった。かなり長い時間(1分くらい?)、目の前の原稿を黙って探し、少し顔に狼狽の色を浮かべて、「もう一度、質問を」と語った。「多くの人がゼロコロナに絶望と憤怒を示している。中国はゼロコロナ政策終了を考えていないのか。ゼロコロナ政策が終了するとしたら、いつ終了するのか」とロイター記者が質問を繰り返すと、やはりしばらく原稿を探し続けて、ようやく、「あなたの質問したような状況は事実と合致していない」とだけ答えた。

 おそらく、彼は準備してきた質問回答例の原稿を持ってくるのを忘れたのだ。あるいは、そういう質問をされるとは想定していなかった。報道官は、当意即妙に答えている風にみえて、事前に想定問答を用意して、その用意した原稿に基づいて答えている。趙立堅が回答できずにうろたえる様子は世界に配信され、外交部と中国の面子を大いに傷つけた。

 また趙立堅の妻に、外交官の妻、あるいは官僚の妻として問題があった、という指摘もある。趙立堅の今の妻は二度目の妻で、元々パキスタンのビジネスパーソンであったらしい。官僚経験もなければ、共産党体制内の仕組みもよく理解しておらず、SNSでの言動はおよそ、官僚、外交官の妻らしくない。ゼロコロナ政策で国内が物不足にあえいでいるときにドイツ旅行を楽しんでいるような写真をアップしてみたり、ゼロコロナ政策放棄によるアウトブレイク(感染拡大)で医薬品不足に陥っていることの不満をSNSで訴えてみたり、夫の仕事について「残業が多い、残業代が出ない」と不満を言ってみたり。こうした言動をする妻を持つことが、外交官としての出世の足をひっぱったのだ、とも言われている。

趙立堅の左遷の最大の理由は、戦狼外交の否定が外交部として打ち出されたから、という説を私は信じたい。

 趙立堅の報道官デビューは2020年2月24日、外交部第31人目の報道官として華春瑩に紹介されて登場した。この会見で、趙立堅はウォール・ストリート・ジャーナルの論評記事「中国はまさにアジアの病人」についての質問を受けて、「悪意ある侮蔑の中傷記事、中国は沈黙の羊でいられない」と吠え、戦狼外交官の鮮烈な存在感を印象付けた。

 長沙鉄道学院卒で外交部入省後はパキスタン大使館、韓国留学、米大使館、アジア局、再びパキスタン大使館勤務。いわゆるアジアン・スクールで、しかも韓国専門となれば、本来は出世街道に乗りにくい。外交部の花形はアメリカン・スクール。そんな彼が抜擢された理由がこの「戦狼スタイル」だった。

 彼の報道官への出世の決め手はおそらく、2019年7月13日、彼がまだ、パキスタン臨時代理大使であったころツイッター上でのスーザン・ライス元米大統領補佐官との応酬が「戦狼外交」として話題になったことだろう。

 香港の若者による反中デモへの厳しい弾圧や、ウイグル弾圧に対し、国際社会が中国を非難した。すると趙立堅はツイッター上で米国の黒人差別問題をあげつらい米国を批判した。それに猛然と反論したのがスーザン・ライスだった。ライスは趙立堅を「レイシスト、ペルソナ・ノン・グラータ(入国させるべきではない好ましくない人物)」とののしり、崔天凱・駐米大使(当時)に「彼を家に帰らせろ」とのメッセージまで送った。趙立堅は「聞きたくない事実を言われたからってレイシストのレッテルを張るなんて、吐き気を催すような恥知らずだな」と言い返した。

 このツイッターの応酬は、BBCなどが中国人民解放軍のプロパガンダ映画「戦狼」のタイトルからとって「戦狼外交」とよび、この言葉が習近平の新たな外交方針を代表するものとして定着した。この直後に彼はパキスタンから帰国し、外交部報道局副局長に出世した。こうした外交官の喧嘩上等スタイルが、出世の決め手になる、と信じられ、大阪領事の薛剣なども真似をするようになった。

 彼が、戦狼スタイルで出世を決めた背景には、王毅が外相になったことと関係があると見られている。王毅は習近平の「大国外交」路線を忠実に進めようとした。この「大国外交」路線とは、それまでの「中国はまだまだ途上国ですから」と下手に出て、欧米先進国の支援を請う「韜光養晦(とうこうようかい)」とは真逆で、「近代100年の屈辱の歴史」を見返すべく、欧米に対し上から目線で強気に接する外交を意味する。

 王毅はかつての礼節正しい紳士的外交から、相手を挑発してイラつかせる外交にスタイルを変えた。外相になった王毅が同じアジアン・スクールの趙立堅に目をかけ、その「大国外交路線」つまり「戦狼路線」のアイコンとしたのだろう。

王毅は定年年齢を超える69歳にもかかわらず、習近平に気に入られて第20回党大会で政治局入りし外交トップになった。それなら王毅の出世に伴い、なぜ趙立堅も出世しなかったのか。なぜ、左遷になったのか。

それは、新たに外交部長(外相)になった秦剛との関係ではないか、と噂されている。秦剛は駐米大使からいきなり外相に昇進した。大使からいきなり外相はかなり異例である。黄華以来ではないか。彼も、習近平の大国外交路線に沿って戦狼っぽい言動を見せていたが、駐米大使になってからの1年5カ月は、米中関係の緊張緩和のために地道に努力し、その努力は米国側からも高い評価を得ている。11月のインドネシア・バリ島における米中首脳会談のアレンジに成功し、外相昇進が決まった、とされる。

 外交トップの政治局委員が台湾重視の王毅、外相が米国重視の秦剛。政策決定に直接関われるのは政治局メンバーなので、習近平の意を汲んだ王毅が台湾問題を中心に外交の枠組みを考えるとすれば、おそらく米国との関係はこじれがちになる。それをうまく処理するのが秦剛ら外交部現場の任務。だとすると、せめて趙立堅のような米国の神経を逆なでするような外交官には、どっか辺境に行ってほしい、と思うだろう。そういう外交部内の空気があって、趙立堅の外交メーンストリームからの退場が決まったのではないか。

 この小さな人事で、習近平3期目の外交がこれまでの10年の「大国外交」路線から、米国西側国家との緊張緩和を模索する方向に転換する、とまでは言い切れない。だが、少なくとも「戦狼スタイルだけで出世できない」ということを、外交部として明確にした。

 その背景には、今の中国の社会経済の動揺が極限に近いこともあるだろう。習近平は白紙革命を通じた民衆の怒りや経済破綻直前の地方財政データを突き付けられ、ゼロコロナ政策を放棄した。ゼロコロナのスタートと趙立堅の外交官デビューは、奇しくも時期を一致している。ゼロコロナ放棄とともに、戦狼外交放棄の決断に至った、ということもありうる。

 新型コロナのアウトブレイクにあえぎ、経済の苦境に追い詰められた中国に打開の道があるとしたら、国際社会との協調しかない。戦狼外交との決別にしか、中国の生存戦略は見出せない、ということはいずれ習近平も認めざるを得ないだろう

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