「淀ちゃん死去」は可怪しかろう

 大阪市内の淀川河口近くで見つかったクジラが12日死んだ。体長約8メートルのマッコウクジラで、大阪湾深くの淀川川口まで迷い込み、SNSなどで“よどちゃん”と呼ばれ、心配の声が続出していた。

その新聞記事でスポーツ紙「スポニチ」の見出しが表題の「死去」である。ブログ子は大いに違和感を持った。国語辞典には書いてはないが「死去」とは人間の死に対していうものであり、犬畜生とまでは言わないがクジラなど動物の死には使わないものだ。現に他のテレビ、新聞はすべて「死んだ」とか「死亡」となっている。

だからスポーツ紙は・・・とまでは言わないが、一時スポーツ紙の編集幹部をしていた時の感じでも他紙を含めスポーツ記者の原稿にはこの手の語彙力不足が多いと思う。最近ではNHKがしょっちゅうテロップの訂正を出してアナウンサーが画面で頭を下げている。こちらはAI音声変換のせいで、同音異義語についていけないからだ。

「死去」でもう一つ思い出すことがある。昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日に崩御された。新聞は中央紙、地方紙問わず、またテレビもすべて「崩御」だったが、朝日新聞だけは見出しを「死去」にする勢力が最後まで抵抗したものである。

嘘だろうと思うかもしれないが、ブログ子はこのとき産経新聞で副編集長をしていて、後日朝日の経営幹部から当日の編集局内の騒動をじかに聞いたので確かだ。

我が社は「A号作戦」と言っていたが、天皇の御不興は秋から始まっていて今日か明日かという段階が続いていた。ご高齢のこともありどこの新聞も数年前から「準備」をしていた。具体的には御学友、ゆかりの人・・・事前取材で「思い出」を語るコーナーや、式次第など何十ページもつくって、当時は凸版印刷の時代なので紙型取り寸前にしたものをフィルムにしていた。

それの管理責任者がブログ子だった。自分の机の奥深くに二重鍵をつけ、いつでも駆けつけられるように当時は出たばかりの携帯電話を四六時中持たされていた。今と違ってバッテリーごと厚さ10センチ、縦横30センチ、大きな弁当箱ほどあり重かった。タクシーに乗るにも不自由だし、飲み屋に行くにもそばにおいておかねばならず閉口した。

ついでに最近「昭和天皇」はいいとして「平成天皇」「令和天皇」と書いているのも見かける。「諡(おくりな)」というのを知らないせいだろう。身分ある人に死後贈られた名で諡号(しごう)ともいう。次代天皇が前天皇の業績を称揚し、献上する名前だから、ご存命の方に使ってはいけない。現在に当てはめれば、「徳仁(なるひと)天皇陛下」「明仁(あきひと)上皇陛下」と書かねばならない。

新聞社はいまだに「校閲部」というのがきちんと機能していて若い記者の「無知」も素通りすることはまずないが、テレビは上述のようにNHKまで間違いのオンパレードである。

自分のホームページに「亡国の女子アナ」として彼女たちの赤っ恥を羅列してあるので一例を紹介しよう。

・「心臓の発作(ほっさ)」を、「心臓のハッサク」。
・自分が書いた「暴露本」について「ぼうろぼん」。
・神戸の地震の直後、淡路島から中継していた女子アナが 「ここで亡くなった方の遺体が焼却されています」
・バイリンガルが売り物の新人女子アナウンサーが天気予報で「サムケダンが南下しています」。
・某テレビ局のアナウンサーが「マッカーサーもとし」「もとし」というので何事かと怪しんだら「元帥」のことだった(「ひとことで言う」山本夏彦 新潮社)。
・女性キャスターだが、接骨院院長殺害のニュースで「こっせついん」。
・男性キャスターが「体外受精」のことを「体外射精」。この男性には身近なことだったのだろう。
・昭和天皇が崩御される直前、宮内庁病院にお見舞いのため参内される宮様方を実況中継していたNHKの若いアナウンサーが「以上、ミヤウチチョウ前からでした」
・毎年、皇居で開かれる歌会始はニュースになる。民放のアナウンサーだが、「御製御歌」を「ぎょせいぎょか」と言っていた。天皇陛下が詠まれた短歌を万葉集以来わが国では、 「御製」(ぎょせい)と言い、皇后陛下が詠まれた短歌は、「御歌」(みうた)と言う。
・もう十数年続いている番組だが、「ラジオ深夜便」のアンカーをしている女子アナが、夕方のテレビで「今朝東京は突然の雨でした。夕方降れば夕立、朝降ったから朝立ち」。これなど多分上司は男性だろうが、どう指導していいのか悶絶しそうだ。
・我が系列テレビ局の看板女子アナだが「旧中山道」を「「いちにちじゅうやまみち」

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