つるべ落としの「朝日」の落日

 朝日新聞が発行する週刊誌「週刊朝日」が5月で休刊する。全体に週刊誌市場の販売部数・広告費が縮小するなかでも、朝日の落ち込みは大きく、同社によると昨年12月の平均発行部数は約7万4千部(最新の実売部数調査では4万5824部)。日本雑誌協会によると、平成24年は約20万部で、部数減が進んでいた。今後はウェブニュースや書籍部門に注力する」などとしている。

ブログ子の父は「週刊朝日」を愛読していた。昭和30年頃だが毎週本屋から届くと、当時絶大な人気を誇っていたタレントの徳川夢声の連載対談「問答有用」を読んでいた。父が読み終わったあとお下がりでこちらが読むのだが、名編集長、 扇谷正造の力もあって、この頃の部数は150万部にも達した。

そのあとも好調を続けるのだが、産経新聞に身を置いたものとして言うならば、産経が育てたものを「横取りして」育ったようなものだ。司馬遼太郎は産経出身だが「坂の上の雲」が大ヒットするや、「週刊朝日」に引抜かれて「街道をゆく」を連載して目玉記事になった。

もうひとつの人気連載企画が山藤章二の「ブラック・アングル」「似顔絵塾」だが、山藤章二を発掘したのは夕刊フジである。ワイド面に連載の有名作家の連載コラムの挿絵を担当して、時には本文よりも人気を博したほど受けた。これをそっくり週刊朝日の最終面に持っていったものである。

それにしてもインターネットの「暴虐」はすさまじいものだ。ブログ子が現役の頃、毎年電通が出す「日本の広告費」というのを見ていた。新聞・雑誌・ラジオ・テレビの全広告費を全国すべての広告代理店から集計してだすのだが、長年新聞が1位で電通社長も新聞雑誌局長から出ていた。どういうわけが産経担当から社長が出るので歴代付き合いがあった。

それが1980年くらいになると1位がテレビが占めるようになった。ブログ子が夕刊フジの電子版「ZAKZAK」を立ち上げたのは1996年だが、そのとき新聞社で電子版があるのは朝日新聞の「asahi・com」だけで、電通に電子メディア局が出来たのはその翌年である。その時の電子メディア局の収入予算は年間わずか90億円。

それがどうなったか。2019年にはインターネット広告費はテレビを抜いて1位になり2020年には総額なんと2兆2290億円である。対して新聞広告費はわずか3688億円である。この年は新聞もテレビも雑誌も「絶滅危惧種」になったエポックメーキングなときである。

週刊誌の発行部数は激減していて、一番多い週刊文春ですら50万部、ブログ子が高山正之の「変見自在」を愛読している週刊新潮は30.4万部である。「週刊朝日」の平均発行部数約7万4千部で廃刊ということは、それ以下の週刊誌は同じ朝日出版の「AERA」(5.2万)、産経の「SPA!」(7,8万)、「サンデー毎日」(4万)は早晩廃刊ということになる。いやはや。

以上は週刊誌、特に「週刊朝日」の話であるが、「朝日新聞」の方もお先真っ暗だ。ABC協会のデータでは22年上半期の平均部数は、朝日新聞は約430万部、毎日新聞は約193万部、読売新聞は約686万部、産経新聞は約102万部、日本経済新聞は約175万部。朝日と読売の「押し紙」は3割と言われ、朝日の実売部数は350万部を割っているとみていい。

朝日には4,5人賀状交換している友人がいるが「OBは朝日を無料購読出来てたのがなくなった」「希望退職が多量に出た」「手当が激減した」などの声が聞こえてくる。

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