無意味な「言葉狩り」 英国でも

「チャーリーとチョコレート工場」などで知られるイギリスの作家、故ロアルド・ダール氏の作品中の表現が、出版社によって変更された。登場人物の容姿や体重に関する記述などが削除されており、激しい論争が起きている。リシ・スーナク首相も批判の声を上げている一人だ。

英紙テレグラフによると、「チャーリーとチョコレート工場」に登場するオーガスタス・グループの容姿は「巨大」(enormous)と表現され、全ての本から「太った」(fat)という言葉が削除された。「The Twits」(邦題「アッホ夫婦」)では、ミセス・ツィット(アッホ夫人)についての「醜くて野獣のよう」という描写から「醜くて」(ugly)が削除され、シンプルに「野獣のよう」となった。「変なアフリカの言語」という表現からは「変な」(weird)が削除された。

ディズニー映画にもなった「BFG」(ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)はロンドンの児童養護施設で暮らす10歳の女の子ソフィーは、ある夜中に巨大な何者かにベッドから毛布ごと持ち上げられて、またたく間に遠い見知らぬところに連れ去られてしまう。 着いたところは人間に知られていない<巨人の国>というストーリだが、BFGが着ているコートの色は黒ではなくなり、「white as a sheet」(顔が真っ青、シーツのように白い)という表現は「still as a statue」(じっとしている)に変更された。「クレイジー」や「狂っている」(mad)という言葉も削除されたと、テレグラフは伝えている。

これに対し、「意地の悪さがダール作品をとてつもなく面白くしている。暴力やきれいではないもの、友好的ではない表現をすべて取り除くことは、その物語の精神を取り除くことになる」‥と猛反対が起こりスナク首相も同調する騒ぎになった。

出版社パフィンは「現代の読者により適したものに更新した」と言っていたが、猛烈な反対の前にたまらず「オリジナルのままで引き続き出版する」と折れたという。

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ブログ子がロアルド・ダールの短編集「KISS KISS」を読んだのは数十年前だが、面白さに圧倒された。東大英文科を出た後輩記者が「ゼミで皆で読んだがとにかく面白い」というので、13篇を原文で読み飛ばした。当時は邦訳がなく、やがて開高健の「キス・キス」が早川書房から出たのだが、そうだったのか、と英語力不足を嘆いたものだ。

なかの一遍『女主人』は、バースの町に赴任した青年ビリーは、ちよっとかわった中年婦人の家に下宿する話。ほかにも二人下宿人がいるはずなのに、その気配がない。女主人との会話の中で、何年か前に失踪した学生たちとこの二人に共通項があるのに気づく。女主人を問い詰めようとすると、飲んだばかりの紅茶のせいか、意識が朦朧としてきた…。

怖ーーい結末が予想される。そのとおりであるが、この一遍で英語と米語は違うこと、開高健の邦訳にも多くの誤訳があること‥を知った。後年、英文学を専門とする先生方が指摘しているが、英国を深く知らないと読み方が変わってくることなど、さすが英文科のテキストに使われるだけのことはあると、実感した。

例えば、
The name itself conjured up images of watery cabbage, rapacious landladies, and a powerful smell of kippers in the living-room.とあるところだが、

「下宿屋という名前自身が、水っぽいキャベツや、強欲なおかみ、さては下宿人たちのものすごい臭いを彷彿とさせる。」(開高健訳)

「kipperには、若僧、ガキ、という意味もあるが、並列の具合からして”ニシンの燻製の臭さ”(英国ではよく朝食に出る)ととるのが筋。(翻訳家 柴田耕太郎)

といった具合である。

また少しそれるが、部落解放同盟による「言葉狩り」が最盛期のころ、遠藤周作がエッセーで「近くに住む隠亡が」と書いた。直後、文化部デスクが「士農工商芸能人」と書いて、編集責任者としてブログ子が解同と交渉する羽目になった。

交渉内容は書けないが、1,2か月後収めたものの、並行して同業他社の新聞3社が同じような「言葉狩り」で交渉していたから、マスコミの重荷だったことは確かである。

ロアルド・ダール作品は今の価値観で見たら、黒人差別、性差別、体型侮辱・・・いっぱいである。だからといって、みな今風に書き換えたらそれはもう、改竄以外の何物でもない。第一「面白さ」などみな消えてしまう。今後はともかく、過去を「差別」の目で見ないことだ。

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