自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会、99人)に不祥事が続いている。税金滞納問題を受けて13日に財務副大臣を更迭された神田憲次衆院議員、女性記者に対するセクハラ疑惑や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係をきちんと説明できないまま細田博之前衆院議長も10日に死去した。
「青木の法則」というのがある。内閣官房長官を務めた青木幹雄が提唱したもので「内閣支持率と政党支持率の和が50ポイントを下回ると、政権が倒れる」とされる危険水域だが、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が11、12両日に実施した合同世論調査によると56・8%である。あと7ポイントほどしかない危険水位に近づいている。
「魔の3回生」という出来の悪い議員集団がある。今回更迭された神田憲次もそうだ。その「3回生」はその後再選されているので「魔の4回生」と呼ぶべきだろうが、それは措く。このグループは折々、時の政権の足を引っ張って苦境に陥れてきた。麻生太郎が副総裁時代に「気をつけよう、暗い夜道と3回生。あぶねーヤツいる」と喝破した連中である。
代表的なのは、同僚議員だった妻が出産入院中の不倫が発覚して議員辞職した宮崎謙介、秘書に対する「このハゲーーー!」のパワハラで有名になった豊田真由子、路チューが報じられた中川郁子と門博文、今年6月に秘書が車検切れの車で当て逃げ事故を起こした時に本人も同乗していた武井俊輔元外務政務官も「魔」の一員で、挙げればきりがない。近くではフランスへの女性議員の海外出張時に、SNSに物見遊山ぶり丸出しの写真を投稿して「エッフェル姉さん」の異名をとった松川るい参院議員もそうだ。
民主党政権への逆風が吹き荒れていた2012年の衆院選では、安倍氏の再登板で自民党が圧勝し、新人119人が当選した。その後の14年「アベノミクス解散」、17年「国難突破解散」でも自民は衆院選で大勝した。彼らは「安倍チルドレン」と呼ばれた安倍氏の下での衆院選しか経験していない。「地盤」「看板」「鞄」の「三バン」がない上に「常識」がないのは当時から危惧されていた。
議員の劣化は「魔の3回生」以前から問題視されていた。ブログ子は安倍晋三・幹事長の時に自民党本部に呼ばれた。「ネットで政治史などの講座で教育強化できないか」というのだ。私が夕刊フジのデジタル版「ZAKZAK」を立ち上げたことが業界3位の代理店を通じて耳に入っていたらしい。
自民党の幹事長は「二ケタ億円」の自由になる金庫を持っている。必要な金はここから出るということだった。サーバーを借り上げて若手議員対象に有料のネット講座を開設し、新聞社の政治部長と安倍幹事長の対談で自民党の55年体制以降の流れや、ポツダム宣言受諾後の武装放棄後にもかかわらずソ連が満州と北方領土に侵攻したいきさつ、朝鮮戦争の経緯、台湾問題など保守政党の議員なら知っておくべき政治史を流した。2年ほど続いたが彼らの反応は鈍かった。
「魔の3回生」は各派閥に分散したが一番多く入ったのが安倍派である。安倍派(清和政策研究会、99人)は元「細田派」といった。今月死去した細田博之前衆院議長である。自民党最大派閥ではあるが、「安倍晋三」一人突出してあとは「烏合の衆」に近かった。それが凶弾に倒れた。後をどうするという段になったらトップに立てる人材もなく、塩谷立座長の下、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長、高木毅国対委員長5人の集団指導体制だという。
派閥というのは端的に言えば、親分を総理にするための集団である。それが5人もいるというのでは、もはや派閥の体をなしていない。遠からず分解するのであろう。
自民党弱体化の元凶は「魔の3回生」ばかりではない。もはや「家業」になっている世襲議員の多さ、派閥の長のリーダーシップの不足・・・いろいろあるが、共通しているのは選良としての「志」の低さである。
ブログ子は無党派層の自民党離れの象徴として「日本保守党」に注目している。大手メディアは無視しているが、党員数が5万人を優に超えたという。党費は年6000円で、自民党より2000円も高いのに、だ。新橋駅頭や秋葉原、名古屋の街頭演説には物凄い聴衆が集まった。大阪梅田では陸橋の上まで人で埋まり、危険だとして警察から中止要請が出たという。
ブログ子は旗揚げ当時「夕刊フジ新党」と呼んでいた。発起人の百田尚樹代表(67)、有本香事務総長(61)ともに夕刊フジを舞台にする論客だったのと、政治の弛みにたまりかねての結党宣言も夕刊フジ紙面だったためだ。
新党というのはスタート直後はブームになるが尻すぼみが多い。党勢拡大を急ぐあまり「タマ」不足(人材難)が露呈するからだ。公明党を上回る勢いだった「日本維新」が最近あちこちの選挙で敗退しているのもそうだ。「日本保守党」も舌禍が心配な河村たかし名古屋市長を抱え込んだあたり少し危惧するが、今後「いいタマ」を揃えられるかどうか。