政界のねずみ男、鈴木宗男の「1億円集金能力」の裏側

政治資金パーティーの収入額が公表され、トップの麻生派収入総額2億8658万円以下、自民党6派閥の「稼ぎっぷり」にメディアの批判が集まっている。

パーティー券の購入で名前や住所などが公表されるのは1回につき20万円を超える場合だけで、名前を知られずに事実上の政治献金ができる仕組みで「企業献金の抜け道になっている」というのだが、何をいまさら。立憲民主党の安住淳国対委員長すら記載漏れで謝罪しての通り、政治資金規正法の裏道など大昔からわかっていることで、新聞記者の不勉強が目立つだけである。

それより、ブログ子はリストの8番目にある「鈴木宗男 1億1439万円」に注目する。並みいる派閥に伍して個人でこれだけの集金力があるのはなぜか、政治記者ならそこを調べるべきであろう。

この人、ロシアのウクライナ侵攻をめぐって、先のサミットでは「ウクライナだけを呼んで、一方の当事国ロシアに声をかけないでは話し合いにならない」、「国力の差からロシアが負けることはない」とむき出しのロシア擁護派である。身を寄せている維新から「行くな」と言われているのに強引にロシア入りして、除名処分を受けるところだったが、10月10日、通告に来た馬場伸幸代表に先に離党届を出して機先を制すなど、海千山千ぶりである。

ブログ子は「鈴木宗男」については中川一郎の自殺時から知っている。次期首相を目指したニューリーダーの一人が1938年(昭和58年)1月9日、札幌のホテルで縊死した。死因についてはいろいろ言われたが、その一つに、秘書の鈴木宗男が親分に盾ついて同じ地盤から出馬するのを気にかけて…というのがあった。

単なる秘書という枠を超えて画策する人物だということはいろいろ証言があったが、確たる証拠とてなく沙汰やみになった。しかし親分が「北海のひぐま」の異名を取ったのに習って「ねずみ男」という呼び名は残った。

その後の政界活動について述べるいとまがないが、彼の票田は北方領土問題である。1992年に始まる「ビザなし交流」を契機として旧島民の墓参りが始まるや国会議員として初めて国後島訪問し、のち日本政府が4億円超の資金を出し、完成させた宿泊施設は通称「ムネオハウス」と呼ばれた。またここは鈴木宗男の秘書による入札妨害事件の舞台ともなった。しかし、現在では日本人の訪問は途絶え、「友好の家」と名を変えて、胸に一物ある中国人の宿泊施設になっているとか。

さて本題の「鈴木宗男 1億1439万円」である。どこから集まったのか。釧路、根室、斜里、羅臼、網走といった彼の選挙区であることは容易に察しが付く。この海域は戦後ソ連による漁船拿捕が相次いだところで、「1984年に領土問題を棚上げして結んだ「日ソ漁業協定」が現在も続いている。

サンマ、イカ、スケトウダラに始まってカニや昆布まで日にちを決めて漁船が一斉に漁場に向かう写真は風物詩となっているから見た人も多いと思うが、一方、ロシア側の胸先三寸でふたたび拿捕が始まる危険をはらんでいる。

そこで、登場するのが「鈴木宗男」である。ロシア側は間違いなくこの人物を利用することは間違いない。

ブログ子は旧ソ連時代「ソ連大使館広報部長」とは銀座を飲み歩く仲だった。「シベリア鉄道1週間の旅」という企画が持ち上がった時、このままではKGB(秘密警察)要員が列車の4人掛けシートを占めるのはわかりきっていたので、自由に一般市民に乗り降りさせてほしいという取材上の要望をかなえてもらうためである。当人もほぼKGBだろうから、念のため警視庁の公安にも接触を伝えておいた。

バー一軒でボトル一本開ける酒豪がぽつりと漏らした一言は北方領土にも彼らの工作が及んでいることを意味していた。KGB(カーゲーベー)のソ連からロシアになってFSB(連邦保安庁)になったがやっていることは同じである。

どう利用するかだが、これからは推測であるが、「鈴木宗男」を「ロシア大使館釧路領事部」といった扱いにするのではないか。KGBの手口だと、いざ拿捕というときに、密通した漁船名リストを持っているか、あらかじめ決めた旗印を掲げさせるかなどが考えられる。

「鈴木宗男 1億1439万円」には北方漁場でこうした事情をよくわきまえている漁業関係者たちが、いざというときの保険をかけての献金の意味ではないか。

ブログ子の推測が杞憂であればよいが。

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