日本人だからできた「18分で全員脱出」の奇跡

元日の「令和6年能登半島地震」についで2日「羽田空港JAL機と海上保安庁の航空が衝突・炎上事故」と日本の新しい年は災難の幕開きとなった。

災難の中ではあるが、羽田の事故では、日航機の乗客367人全員が18分で全員脱出したことを米英メディアは「奇跡」などと驚きと称賛を持って伝えている。

ブログ子は仕事柄、多くの航空事故に立ち会った。カナダ航空機墜落(1966年3月4日)、BOAC機富士山墜落(1966年3月5日)という二日続けての事故に始まり、全日空機、自衛隊機との雫石での空中衝突(1971年7月30日)、「機長何をするんですか!」の日航機羽田沖墜落(1982年2月9日)、日航ジャンボ機御巣鷹山墜落(1985年8月12日)…後の2つは直接取材指揮をとったので特に記憶に強い。

その過程でJALの幹部、ジャンボ機機長たち、客室乗務員と知り合った。中には今年も賀状を交換しているほどだ。ブログ子は一般では経験することがないだろうが、シュミレーターながらジャンボ機を房総沖から羽田空港に着陸させるまで操縦桿を握ったこともある。この時は羽田空港滑走路で爆発炎上させた。スピードを落とそうと右足ペダルを踏んだのだが、クルマと違って航空機では尾翼の方向舵操作になっていて滑走路を外れたのだが、コクピットに警報音と火災警報がわんわん鳴り響きパニックになった覚えがある。今回の事故もかくやと思う。

当然、普段の訓練も知っている。旅客機の乗員は年1回は機体の片側から脱出シューターを降ろして乗客全員を短時間で脱出させられるよう訓練されている。脱出シューターも以前は滑りすぎて乗客が遠くに放り出され、かえって怪我をした事例から布地や滑走角度を何度か改められているほどだ。

米ニューヨーク・タイムズ紙は航空専門家の話として、緊迫した状況下で「乗員が乗客全員を脱出させたのはまさに奇跡だ」と指摘。乗客と乗員の協力が成功した証しだとした。米CNNテレビも衝突時や、煙に包まれる日航機内の様子を繰り返し放送。女性キャスターは乗客に犠牲者がいなかったことについて「驚くべきことだ」と伝えた。専門家は乗客が荷物を持たずに脱出シューターから機外に出ていたことなどを挙げ、「お手本のような対応」だったと語った。 英BBC放送でも、キャスターや有識者が乗客の全員脱出は「奇跡的」と表現。避難誘導した乗員を「極めて効率的だった」「素晴らしい仕事をした」と褒めたたえた。(共同)

JAL機乗客提供動画などからわかる機内の様子は相当緊迫していたことがわかる。

 機内左後方の座席にいた東京都瑞穂町の会社員(28)によると、直後に翼の脇から火が出ていることに気づいた。煙が機内に入ってきて、炎の熱さもじわりと感じた。着陸後1分もたたずに煙が漂い始め、すぐに機内に煙が充満していた。

 「落ち着いてください」「鼻と口を押さえて、低い姿勢になってください」。客室乗務員が呼びかけると、多くの乗客は煙を吸わないように身をかがめた。(写真右はその様子をとらえた画像)。混乱した乗客からは、「早く出せ」「(出口を)開ければいいじゃないですか」と怒声も上がった。

 その後、最前列の2か所と最後尾左側の非常口が開いて脱出が始まり、乗客は押し合うように脱出用シューターに向かった。客室乗務員は、「順番に脱出してください」と冷静な対応を求めていたという。中央付近の座席にいた男性客は着陸から10分ほど、後方にいた男性客は15分ほどで無事に脱出できた。

 日航によると、機長らは逃げ遅れがないか1列ごとに確認し、とどまっていた乗客には前方への退避を促した。後方の非常口の開放は、乗務員が機転を利かせて行ったという。

 乗客の脱出が完了し、機長らが最後に滑走路に降り立ったのは、着陸から18分後の午後6時5分だった。それから約10分後、機体は大きな爆発音とともに激しい炎に包まれた。

「奇跡の脱出」は日ごろの訓練があってはじめて出来たことだ。当たり前のようなことがなかなか出来ないのが現実である。現に1986年6月福岡空港で起きたガルーダ・インドネシア航空の事故ではCAが真っ先にしかも荷物を持って脱出してしまった例もあるほどだ。

もう一つほぼ全員が日本人だったことも大きい。ことさらに国名は挙げないが、他を押しのけ、時には殴りかかっても我れ先に殺到する群衆行動が当たり前の国は世界に多いのだ。日本人は素直にCAなど乗員の指示に従う。それが一番効率的な団体行動だということを知っているからだ。

事故原因だが、管制官との交信記録をみると海上保安庁の航空機長の誤認によるものという見方が強い。

【交信記録】
17:43:02  JAL516 東京タワー(管制)、JAL516 スポット18番です
      東京タワー JAL516、東京タワー こんばんは。滑走路34R(C滑走路)に進入を継続してく    ださい。出発機があります
17:43:12 JAL516 JAL516 滑走路 34Rに進入を継続します
17:43:26 DAL276 東京タワー、DAL276 誘導路上Cにいます。停止位置に向かっています
        東京タワー DAL276、東京タワー こんばんは。滑走路停止位置C1へ走行してください
DAL276 滑走路停止位置 C1 DAL276
17:44:56 東京タワー JAL516 滑走路 34R 着陸支障なし。
17:45:01 JAL516 滑走路34R 着陸支障なし JAL516
17:45:11 JA722A タワー、JA722A C誘導路上です
東京タワー JA722A、東京タワー こんばんは。1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください
17:45:19 JA722A 滑走路停止位置C5に向かいます。1番目。ありがとう
17:45:40 JAL179 東京タワー、JAL179 滑走路停止位置C1へ走行しています
東京タワー JAL179、東京タワー 3番目。滑走路停止位置C1へ走行してください
JAL179 滑走路停止位置C1へ走行、離陸準備完了
17:45:56 JAL166 東京タワー、JAL166 スポット21番です
東京タワー JAL166 こんばんは。2番目、滑走路34R進入を継続してください。出発機あり。160ノットに減速してください
17:46:06 JAL166 減速160ノット、滑走路34R 進入を継続。こんばんは
17:47:23 東京タワー JAL166、最低進入速度に減速してください
JAL166 JAL166

17:47:27 3秒無言

事故が起きたC滑走路は当時、2人の管制官が担当し、両機に指示を出していた。

交信記録では管制官が2日午後5時45分に海保機に英語で、「1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」と指示し、海保機長は「滑走路停止位置C5に向かいます。1番目。ありがとう」と回答。海保機はその後、滑走路に進入し、日航機と衝突した。

元日航機長の土井厚氏によると、離陸する航空機は通常、緊急時にも余裕を持って停止できるよう滑走路全体を使って離陸するが、海保機は滑走路の途中を指す「C5」から離陸する「ショートフィールドテークオフ(短距離離陸)」を要望していたことが読み取れるという。この状況から土井氏は「海保機は早めに離陸したいという状況だったのではないか」と分析する。

さらに、土井氏は海保機長が「1番目」と復唱している点について、管制官は離陸の順番が1番目という意味で伝達していたが、「海保機長は1番目と復唱しており、急ぐ思いもあり、1番目と言われたから入っていいと錯覚した可能性がある」と推察する。

また、管制官は日航機の次に到着する便に対し、減速を求める指示を出している。土井氏は「管制官は日航機を着陸させた後に海保機を離陸させようとしていた。プロペラ機でも安全に出発できるよう次の到着便にゆっくり来てくださいと指示している」とする。

土井氏は、事故は一つの間違いではなく、さまざまな原因が連鎖して起きるとし、「海保機長が管制官の指示をどう判断したのか、海保機のボイスレコーダーがあるなら検証する必要がある」と述べた。(産経 大渡美咲記者) 

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