安倍晋三は偉かった(その1)

派閥の最後を評して「馬糞の川流れ」と言ったのは金丸信である。自民党派閥パーティー収入不記載問題で、岸田文雄首相が派閥解消を求め、これに従って6派閥のうち4派閥が解散を決めた。残るのは「麻生派」と「茂木派」だが、前者はまだ1人だが「茂木派」は続々と離脱者が出て幹部含め8人が脱走して、存続の危機だ。まさに「馬糞の川流れ」である。

これで積年の弊害である派閥がなくなるかと言えばとんでもない。ブログ子は長く自民党を見てきたが、1989年の「リクルート事件」を受けてみそぎの派閥解消に始まり何度もあった。いずれも1,2年のうちには「政策集団」とか「勉強会」とか言ってすぐに復活して今に至っている。できっこない話である。

派閥には効能もあって、当選3回くらいから大臣の椅子を二つ三つ派閥から出せる「人事」と、盆暮れの氷代、餅代など「金」の面で頼りにされる。いわゆる「三バン」(地盤、看板、かばん=金)がない、「出来の悪い」議員にとって派閥ほど重宝なものはないからである。

安倍派がダメなのは、ただブームに乗っただけの安倍チルドレンが大量に流れ込んだだけだからである。ダメな議員が多いことは安倍晋三自身も認めていた。ブログ子は安倍幹事長時代に自民党本部に呼ばれて、ネット講座で彼らを教育する仕事をしたことは、以前このブログで書いた。北方領土問題の根っこであるポツダム宣言受諾後一方的に樺太から攻め込んできたソ連や、竹島や尖閣の戦後史を解説した。

そんなわけで少しは安倍派に詳しいつもりだが、安倍首相が凶弾に倒れた後、派閥の代表を選ぶ段になって立候補した塩谷立(しおのや・りゅう)なる人物を知らなかった。結局、塩谷「座長」で、派内で中心的な立場にある高木毅国対委員長、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長の「5人衆」の集団指導体制になったが、一国のリーダーが務まる人物かと言えば、首をかしげるばかりだ。

何より安倍首相が下野したあと、総裁選に自派からでなく無派閥の高市早苗を強力に推したことでもわかる。総裁選出馬のおかげで岸田政権下では経済安全保障担当相となり、女性であればなんでもOKの風潮もあり次期首相に近い人物として名前があがるが、さっそくミソを付けた。

大阪・関西万博の開催延期を岸田文雄首相に進言したものの、批判をあびるとすぐさま「岸田首相の方針に従う」と180度転回。X(ツイッター)に経緯を投稿し「(能登半島地震の)被災地復旧も万博も完璧にやりきることが日本の名誉を守るためには必要だと思っていた」と釈明に及ぶ始末。安倍晋三あっての高市早苗なのである。

その安倍晋三元首相の母で、岸信介元首相の長女の安倍洋子さんが4日、死去した。95歳。平成3年に晋太郎氏が死去したあと後を継いだ晋三氏の政治活動を支え続けてきた人だ。安倍派壊滅いよいよ決定的である。

4日の日曜日に行われた二つの市長選で自民党の黄昏が鮮明だ。京都市長選で自民、立民、公明、国民が推薦する元内閣官房副長官の松井孝治氏(63)が初当選を果たしたものの「政治とカネ」を巡る政権不信の逆風は思いのほか強く、共産が実質支援する弁候補に猛追され、薄氷の当選だった。

同じく4日投開票の前橋市長選では、新人で前群馬県議の小川晶氏(41)(無所属)が、4選を目指した現職の山本龍氏(64)(無所属=自民、公明推薦)を破り、初当選を果たした。自民、公明両党推薦の現職が約1万4千票差で野党系新人に完敗したのである。こちらも、自民派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡る政治不信が背景にあったと指摘される。4月末予定の衆院補欠選挙や次期衆院選が控える中、保守地盤が強く「自民王国」と呼ばれる群馬県ですらこのざまである。

「馬糞の川流れ」は自民党そのものにも迫っている。

コメントは受け付けていません。