逃亡半世紀、連続企業爆破事件の桐島聡が名乗り出る

 ブログ子は自分のホームページ「八ケ岳の東から」を書いているのだが、26日、突然閲覧数(ページビュー)が1万以上跳ね上がった。理由はわかっている。今ではほとんど知っている人もいないと思うが爆弾闘争に明け暮れた「東アジア反日武装戦線」について詳述しているからだ。

1970年代に起きた連続企業爆破事件で、警視庁が、爆発物取締罰則違反容疑で指定重要指名手配している桐島聡容疑者(70)が26日名乗り出た。

捜査関係者によると、警視庁が情報を把握したのは25日。桐島は末期の胃がんで以前から通院していたが、今月に入り、路上にうずくまっていたところを周囲の人に声をかけられ、湘南鎌倉病院に運び込まれ偽名で入院していた。ここ数日で容体が悪化していて、現在、危篤の状態にあるという。「俺は最後だから捕まえてくれ。せめて最後くらいは本名で迎えたい」と病院関係者に打ち明け、病院から通報を受けた神奈川県警が警視庁に連絡、公安部が大慌てで情報収集に乗り出した。

ほとんど資料がなくDNA鑑定などによる身元確認には時間がかかる見込みだが、捜査員が25日中に本人と接触したところ、桐島容疑者であることを認めたという。また本人しかわからぬ家族構成の詳細を話していることからまず間違いないとみられる。

東アジア反日武装戦線の「狼」は、1974年(昭和49年)8月30日に三菱重工ビルを爆破したグループだ。白昼、東京・丸の内にある三菱重工本社ビルの正面玄関前に2個の時限式ペール缶爆弾を仕掛けて爆発させ、通行人など8人を殺害し、380人に重軽傷を負わせた重大事件だ。

ブログ子は大手町の新聞社で勤務中だった。現場近くの東京駅で飯を食べていて爆発音でいち早く駆けつけたものの、現場にガスボンベを積んだトラックがあり倒れた血まみれのサラリーマンを介抱する人があのガスボンベが爆発した、というのでガス爆発事故だと本社に一報をいれたくらいだ。

この爆破事件を皮切りに、東アジア反日武装戦線は連続爆破テロに突き進んでいく。(昭和)50年に入っても間組の本社及び大宮工場、韓国産業経済研究所、オリエンタルメタルKK、間組作業所、江戸川橋梁間組工事現場と続発した。桐島は三菱重工事件には関与しておらず韓国産業経済研究所爆破などへの関与で手配された。

東アジア反日武装戦線事件では、産経新聞は昭和50(1975)年5月19日付朝刊で、「爆破犯 数人に逮捕状」という大スクープ(写真上はその日一面)を放った。「伝説の事件記者」ともいわれた福井惇・警視庁キャップが精鋭を率い、同庁幹部に「あの記事を超える事件の特ダネを知らない」と言わしめたものである。ブログ子は福井さんとは頻繁に酒を酌み交わす仲で、サブキャップも、事件のカギをにぎる『腹腹時計』を入手した記者も知っているのでホームページに詳細に書いた。それが為ここ2,3日読まれているので閲覧数がピンと跳ね上がったようだ。

何しろ50年前のことである、事件のことを知る人も少ないし、それを書く記者とてスクラップみながら書いていることだろう。各紙伝えているが、警視庁発表以外のことからは出ない。上で書いたが一番詳しいのは産経新聞なので、興味ある人は電子版でもいいからそちらをご覧になるとよい。

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