陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していた、と朝日新聞はさも悪いことのように記事にした(4月7日)。
先の大戦の日本側の呼称は「大東亜戦争」で、米軍・連合国側の呼び方は「太平洋戦争」である。日本の自衛隊が「大東亜戦争」と書いたことのどこが悪いというのか。朝日新聞は続けて、こう書いている。
政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない。同隊は7日、取材に公式アカウントであることを認めた上で、「本日はコメントすることができない」とした。
同隊は5日、硫黄島(東京都)で日米合同で開催された戦没者の追悼式に参加したことをXの公式アカウントで紹介。「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」「祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」などと投稿した。
日本は1940年、欧米からアジアを解放し「大東亜共栄圏の確立を図る」との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。
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この記事にあるように、戦後GHQの命令で教科書から公式文書、新聞記事に至るまで「太平洋戦争」で統一された。これは仕方がない。しかし、講和条約で日本は独立を取り戻した。その日本が当時閣議決定までした公式呼称「大東亜戦争」を使うことのどこがいけないのか。
朝日新聞はそのことは百も承知で、記事にはどこにも「怪しからん」とは書いてない。もっぱら自衛隊側から反省の弁を引き出そうとしてあちこちにこの記事の感想を求めて回っている。
林芳正官房長官も「一向に差し支えない」というかと思ったら、記者会見で「一般に政府として公文書で使用していない」と説明。投稿への見解を問われ「一概に答えるのは困難だ。防衛省で事実関係を確認している」と述べるにとどめた。
振られた防衛省も情けない。削除させたうえ、陸上幕僚監部は「連隊は激戦地だったことを表現するために当時の呼称を使用した。本来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた。交流サイト(SNS)の発信は適切な表現で行うようあらためて指導していく」とコメントした。
日本大百科全書によると、大東亜戦争は「太平洋戦争に対する当時の日本指導者層による呼称」と書かれている。指導者層による呼称どころか、れっきとした閣議決定事項である。いまさら教科書まで訂正することもないが、こうした辞書類にきちんと書かせるよう指導する方が先だろう。
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(10日に加筆)
朝日新聞のやることはことごとく中国を利するばかりである。上のブログを書いたあと、案の定中国はすぐ飛びついた。
中国「大東亜戦争」表現を批判
【北京共同】中国外務省の毛寧副報道局長は9日の記者会見で、陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が公式X(旧ツイッター)の投稿で「大東亜戦争」の表現を使っていた問題について「中国を含むアジアの国民感情をひどく傷つけた」と批判した。「日本の軍国主義が侵略戦争を引き起こし、地域に災難をもたらした」とも主張した。
我欲に走る中国は言葉に敏感である。「大東亜戦争」と言っていた戦前、この国は「支那」と呼んでいた。ブログ子の父は「支那哲学」が専門であった。蔑視でも何でもない。英米仏各国は現在でも「CHINA」(支那)と呼ぶが、日本にだけは「中国」と呼べと強要して日本の外務省は追随して日本だけ「中国」と呼んでいるのが現状だ。日本に「大東亜戦争」と呼ぶなと支那に言われる筋合いなど全くないのだ。
加筆のついでに毛寧への反論として10日付の産経新聞の社説全文を再掲しておく。
<主張>大東亜戦争 言葉狩りを朝日は恥じよ
先の大戦、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦から79年経(た)つ今でも朝日新聞は「大東亜戦争」を言葉狩りの対象にした。自由な表現の封じ込めで、恥ずべき振る舞いである。
陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が5日投稿した公式X(旧ツイッター)に「大東亜戦争」の表現があった。
朝日は8日、投稿をめぐり「政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない」「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された」と報じた。同連隊は誤解を招いたとして、投稿から「大東亜戦争」を削除した。自由の国日本で、言葉狩りによって表現の変更が強いられてしまったのは残念だ。
5日の連隊の投稿は、隊員が「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」に参加した報告だった。激戦の実相を示そうと当時の呼称を用いたという。何の問題もなく戦争自体の賛美でもない。
朝日が占領軍の禁止命令への言及で記事を終えたのは悪質である。「大東亜戦争」とは、朝日が記事でも指摘したように、開戦直後の昭和16年12月に閣議決定された日本側の呼称だ。
その使用は現在禁じられていないし、政府は太平洋戦争のみを使う決定もしていない。連合国軍総司令部(GHQ)は20年12月15日の覚書で「大東亜戦争」の使用を禁じたが、この不当な命令はサンフランシスコ平和条約に伴う日本の主権回復で失効した。朝日の記事は、占領軍の命令が今も有効との誤った印象を与えかねない。
戦時中の日本人は大東亜戦争を戦っていた。他の呼称の戦争を戦っていると思っていた者はいない。今、太平洋戦争の使用例が多いからといって、大東亜戦争の使用を問題視するのはあまりに狭量で自虐的だ。
政府は一般に公文書で使用していないとするが、公式Xから削除する理由にはならない。防衛庁防衛研修所戦史部著の戦史叢書(そうしょ)(「大東亜戦争開戦経緯」など)で普通に用いている。国権の最高機関の国会でも、閣僚や与野党議員が問題なく使ってきた。たとえば令和2年5月12日の参院財政金融委員会で麻生太郎副総理兼財務相(当時)は「大東亜戦争」に言及し、議事録にも載っているのである。
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さらに朝日新聞の記事に対して「悪意のみの歴史解釈には限界がある」という静岡大の楊海英氏の見解も紹介する。教授は文化人類学が専門。中国・内モンゴル自治区出身で日本に帰化した人だ。(9日付の産経新聞との一問一答)
──「大東亜戦争」表記について「政府は公式文書では用いていない」などと報じられ削除に追い込まれたが
「陸自幹部の制服姿での靖国神社参拝が問題視されたこともあるが、自衛隊の行動について、過去の歴史と結び付けて報道するのは問題だと思う。国民の命と財産を守る存在に対して、いちいち過去の戦争を持ち出して、批判めいた報道はやめてほしい。一種の形を変えた言論弾圧ではないか」
──「大東亜戦争」は、戦前に政府が閣議決定した名称だが
「閣議決定した以上、戦争当事国の正式な認識だ。『侵略戦争』『不義の戦争』などは戦後の戦勝国の裁判史観によるものだ。その米国も1952年のサンフランシスコ講和条約発効で(連合国軍総司令部=GHQが公文書に『大東亜戦争』表記を禁じた『神道指令』が失効し)軌道修正している。戦後日本の言論界の一翼が東京裁判史観で戦争当事国の閣議決定を批判するのは不公平だ」
──先の大戦を巡る評価はさまざまだが?
「同じ戦争でも当事者が違うと当然認識は異なる。日米でも、大東亜戦争の舞台となったフィリピン、インドネシア、モンゴル、中国でも、それぞれで違う。モンゴルにとっては一種の世界戦争で、それを通じて中国から独立を図ったというもの。中国は抗日戦争といっているが、戦時中には定義していない。西洋諸国の植民地だったインドネシアやフィリピンなどは一種の解放戦争とみる場合もある。世界戦争の中の民族自決運動の側面がある」
──大東亜戦争の響きはどう映るか
「日本にとってジャストミートする響きではないか。イデオロギー的に偏っているとも思わない。そもそも、歴史はすべて悪意で作られているとみるべきではない。台湾人も満州人もモンゴル人も概して日本時代を評価した。侵略戦争のみでは全体像はみえない」
──今回の問題で懸念されることは
「国民世論の分断だ。本来、日本人社会は調和がとれて、お互いに配慮して、争いごとを避けるものではなかったか。にもかかわらず昨今のSNSでの表現は過激化している。歴史を持ち出した報道はSNS上で暴走し、独り歩きし、日本国内の世論や国民の意識の分断を促している」
──大東亜戦争を使ったら戦争を美化していると思うか
「思わないよ。『モンゴル帝国はすごかった』といって、当時の侵略を美化しているモンゴル人は1人もいない。過去の歴史的出来事をすべて悪意でもって解釈することには限界がある」(聞き手・奥原慎平)