ブログ子はまもなく八ケ岳の山墅に上がる。劣悪なネット環境なので晩秋まで更新はできないので、今のうちに書いておこうと思う。
天台宗(総本山・比叡山延暦寺)といえば数ある仏教の中でも最高峰にあるところだが、そこの四国に住む高僧Aが尼僧を14年間にわたって監禁、性暴行、恫喝などを繰り返していた。さらに驚くことにはAを紹介し、発覚後ものらりくらりと隠ぺい行為を取っているのが、千日回峰行を達成し、偉大な存在である「大阿闍梨」Bだというのだから、末世である。
被害者の尼僧、叡敦(えいちょう)さん=50代=は、天台宗の宗教的価値観の中で育った。母方の祖父母は信仰心が篤く、叡敦さんも2歳の頃には「仏さま」に手を合わせていた。幼い頃から祖母と共にお寺のお堂の掃除を行い、保育園の帰りに道ばたで摘んだタンポポを地蔵尊に供えて語りかけるなど、「仏さま」は常に身近で、自身を優しく包み込む大きな存在だった、という。
複数の親族が僧侶となり、今回訴えの対象になった「大阿闍梨」B=80代=もその1人。叡敦さんが小学生の時、千日回峰行を成就して僧の階位の最上位である「大僧正」になったBの話を祖父母から繰り返し聞かされ、以来、「生き仏」と崇拝し、畏敬の念を抱いてきた。
千日回峰行とは、およそ1000日間、比叡山の山中を、真言を唱えながら歩き回る荒行のことである。回峰行の途中には、9日間の断食、断水、断眠、断臥を続ける四無行に入る。仮に行を断念という局面には、持参している脇差で自害しなければならない掟になっている。現代の仏教界では、もっとも厳しい修行だ。
比叡山が開かれてから千日回峰行を達成した行者はわずか51人だ。戦後は14人しか満行者を出していない。達成者には「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」の称号が与えられる。大阿闍梨は「生き仏」として崇拝の対象となり、全国から大勢の信者が集まるほどだ。
叡敦さんは2000年から仕事をやめ、病気の両親の介護に専念していたが、06年に父が、09年には母が死亡した。死後はB大僧正に法要を営んで欲しいという母の言葉に従い、滋賀県大津市にある寺を訪ねた際、B大僧正から弟子の高僧Aを訪ねるように指示された。その際「Aの言うことは私の言葉として聞くように」などと、説得された。叡敦さんは既婚であったが仕方なく、Aの言うことは私の言葉として聞くように」などと、執拗(しつよう)に叡敦さんを説得。叡敦さんは既婚であったが仕方なく、高僧Aの寺を訪れたという。
その後、高僧Aの叡敦さんに対するストーカー行為が始まった。買い物先や自宅周辺に出没し、叡敦さんは困惑。その後、Aは「頭が痛くて倒れた。食事も取れない」などと仮病を使って叡敦さんを寺に呼び寄せると、力ずくで強姦。性行為の最中には、「オンアロリキャソワカと真言を唱えろ!」などと言ってきたという。Aから強姦された後には、「家族の人間を薬でも飲ませて殺してこい」などと脅しも受けたという。
また、Aは野良犬にコンクリートブロックを打ち付けて殺したり、猫に爆竹を投げつけたりするなどの残虐な行為を見せつけられるなどし、「Aに逆らうことなど恐ろしくてできなかった」(叡敦さん)という。その後、軟禁状態にさせられた叡敦さんは、無理やり剃髪させられて、逃げ出すこともできない状態に。洗脳状態になった叡敦さんは、人としての感情すら失い、「ロボット玩具」のようになっていったという。
叡敦さんが親族や女性センターなどへのSOSを発して、ようやく寺から逃げ出すことができたのは2017年秋のこと。重度の複雑性PTSDとの診断を受けた。2019年には、警察に被害届と告訴状を提出。ところが、結果的に嫌疑不十分で不起訴になった。
このとき、B大僧正は叡敦さんを見るなり、「身内を訴えて、どうするんじゃ」と怒鳴り、早くA僧侶の元に戻るよう命じた。それが「お不動様のお慈悲」だとも言った。叡敦さんは、その言葉が今も耳にこびりついている、という。あろうことか無理やりAの元に連れ戻されてしまった。戻ってからは、性行為を強要されることはなかったが、身体を触られるなどのわいせつ行為は続いた。
旧統一教会問題で世間が賑わっていた2023年冬、親族が「(叡敦さんも旧統一教会信者のように)マインドコントロールを受けているに違いない」と気づいて、叡敦さんに脱出するよう説得。叡敦さんは救出され、ようやくAの元から離れることができたという。
マインドコントロールから解き放たれた叡敦さんは、「2人がしてきたことは、僧侶として決して許されない。(両氏が所属する)天台宗において、これらの行状を詳らかにして、二人の僧籍を剝奪してくださることを切に願います」などと、AとB大阿闍梨の懲戒を求めて天台宗宗務総長宛に陳情書と、証拠書類を提出した。
ことし3月4日、叡敦さんは初めて、比叡山の麓にある天台宗宗務庁で聴取を受けることができた。冒頭の写真は聞き取り調査を終えた叡敦さんが同日午後、弁護士らと共に滋賀県大津市内で記者会見を開き、心境を吐露したときのもの。
天台宗務庁は「調査中なので今の段階ではコメントすることは特にない」とした。Aは産経新聞の取材に応じておらず、B大僧正は「お答えできない」と逃げの一手である。
僧侶は最初に「不犯の誓い」を立てる。不犯(ふぼん)とは、僧が戒律を犯さないこと。特に、淫戒を犯さないことである。この事件のひどさは今や坊主の「イロハのイ」も守らない輩に堕していることの証左である。ブログ子は日ごろ洋の東西を問わず坊主がのさばるのは末世だと思っているが、少し尊敬していた千日回峰行者がただの「体育会系坊主」だったことが許せない。