「左」「左」と行けばやがて「右」になる

リベラルを標榜してきた欧州各国で「極右」が台頭している。その理由の主たる原因は「移民問題」である。ブログ子は日本の明日を見る思いで見ている。

フランス国民議会選(下院、定数577)の1回目投票が6月30日行われ、極右の国民連合(旧国民戦線)が29%で首位、不服従のフランスや社会党など左派連合が28%で2位、エマニュエル・マクロン大統領の中道連合は20%と事前の予想通り3位に沈んだ。国民連合と共和党を合わせた右派連合の得票率は実に36%。7月7日の2回目投票で最終的な議席数が確定する。マクロンは窮余の策で左派連合と中道の選挙協力をもくろむが、失敗すれば、マリーヌ・ルペン氏の秘蔵っ子、国民連合党首ジョルダン・バルデラ氏(28)がフランスの首相になる可能性が強まる。

極右を率いるのは何故か、女性が多い。イタリアのジョルジャ・メローニ首相(右)とフランスの極右政党・国民連合(RN)のマリーヌ・ルペン氏。

ドイツのショルツ政権も、極右政党、ドイツのための選択肢(AfD)への対応に苦慮している。AfDは移民排斥を掲げていて、政党支持率でショルツ氏の中道左派、社会民主党など連立与党3党のいずれをも上回り、中道右派の最大野党に次ぐ2位を維持している。

ドイツのショルツ首相(写真右)は2日、フランス総選挙で苦境に立つマクロン大統領(写真左)と与党の巻き返しに向けて、メールで毎日意見交換していると明らかにした。欧州を共に率いる隣国に極右内閣が誕生しかねない状況について「本当に気がめいる」と述べ「フランスが、右派ポピュリスト政党が主導する政府の樹立を阻止できることを祈っている」と、国内外で極右勢力が台頭していることを踏まえ、「(ドイツは)欧州における安定のアンカー(錨)」でなければならないと訴えた。

オランダはEUにおいて最も過激なリベラル政策を打ち出してきた国だが、昨年末に投開票が行われたオランダ総選挙において、反移民を掲げる自由党が事前の予想を覆し下院第1党となった。多くのメディアはこの政党を「極右」と呼ぶ。「オランダのトランプ」と呼ばれる党首のウィルダースのX(旧ツイッター)への投稿を見ると、「民主主義や表現の自由、男女平等などオランダの価値観に反対するメッセージを撒(ま)き散らすモスクは解体」「オランダの価値観に反するイスラム教徒はオランダから出ていけ」「オランダのすべての学校とメディアでムハンマドの漫画(風刺画)を掲げる」と、かなり強烈な反イスラムのメッセージを掲げている。

イタリアでは、ネオファシスト党の流れをくむ極右政党「イタリアの同胞(FDI)」を率いてメローニ首相が、就任してからから1年以上になる。公約に掲げた不法移民の阻止は実現に程遠いが、欧州連合(EU)に懐疑的な過去の言動から、当初はEUに警戒が広がったが、就任後はウクライナ支援でEUと協調し、親EU外交を展開していて安定感が出てきた。

「極右」(きょくう、英語: far right, extreme right)は、急進右翼(英: radical right)とか、超右翼(英: ultra-right )とも呼ばれるが、過激な保守主義、超国家主義、権威主義の傾向がある政治思想を指す。歴史的には、ファシズム、ナチズムを言うが、現代的な定義では、ネオ・ファシズム、ネオナチ、人種至上主義、排外主義、外国人嫌悪、人種差別主義、同性愛嫌悪などを掲げる党派への呼称だ。
「極右」とは社会的背景で変わる流動的な言葉で、現にフランスでは国民連合がもはや「極右」とはみなされなくなってきているほどだ。

ブログ子は60年安保で活動した世代であるが、一つ忘れられない出来事がある。「60年アンポ」は当初は共産党と社会党主導だった。やがて、それにあきたらず、新左翼を象徴する共産主義者同盟(ブント。書記長・島成郎)が指導するようになった。

北大からは唐牛(かろうじ)健太郎(1937-1984)全学連委員長を出している手前、頑張らざるを得ない状況だった。彼とは同クラスではあったが、それは向こうが毎年、ドッペってきたからで、向こうは早くから逮捕されていたので一度も会ったことはない。

卒業後、新聞記者になり、今度は「70年アンポ」を(安全な)機動隊の後ろから取材する立場になり、日比谷の交差点の催涙ガスの中にいた。その時、衝撃的なニュースが流れた。長い拘留生活から娑婆にでた唐牛健太郎が、こともあろうに右翼の巨頭とされる田中清玄の許に身を寄せ、ゼンガクレンが資金提供を受けていたことが暴露されたのだ。

田中清玄とは何者か、いまでは知らない世代が多かろうが、戦前、非合法の日本共産党の中央委員長となり、武装闘争を指揮、治安維持法違反で逮捕されたこともあるが、戦後、共産主義を捨て、命を懸けて皇室を守ることを誓った。180度転換後は皇居に押しかけた共産党のデモに、ヤクザや復員兵を送って殴り倒させる一方、アラブの王族から山口組組長まで人脈があった国際的フィクサーである。

ショックを受けたブログ子は当時の夕刊フジに、ブントの指導者がよりにもよってなぜ右翼の巨頭とつながるのかいろんな論客に見立ててもらった。その中の一つにいたく納得したのだ。

 「左翼運動も左、左と行くと右になる」というのだ。誰の言葉か思い出せないが、なるほどと思った。

右翼と左翼の語源はフランス革命に由来する。 フランス革命期の憲法制定国民議会において、旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占め、左側に旧勢力の排除を主張する共和派・急進派が陣取ったことが語源だ。

これから、地球儀や人体を模して、左、左と進めばやがて右になるのは道理で、左翼も右翼もそのまま進めば地球儀や人体の裏側で一緒になるというのはわかりやすい。

日本のメディアはこれまで「極右」を罵詈雑言の並びでとらえてきた。例えば産経新聞など、リベラル左翼紙からは「右翼紙」「極右新聞」と呼ばれてきた。これに対して産経は、そうした流動的なものに軸足を持つのではなく「正論」をとなえる新聞であると対抗してきた。

変わり身の早い日本のメディアは欧米での「極右」の呼び方変化に対応する動きに出ている。依然として「極右」を使い続けているところもあれば、「極右の流れを汲む右派政党」とか「右翼」とか、これまで平気で使ってきた「極右」に代る言葉を使い出したところもある。

諸兄ともども、あの「朝日新聞」の言葉遣いを注目しているところである。

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