ブログ子は人と食事するとき箸の持ち方でその人の「育ち」の良し悪しを判断する。きちんとしているひとが大半だが、これまでげんなりすることは多々あった。「某」帝京大学総長、「某」鉄道弘済会社長…付き合いはほどほどにするのが通例だった。今では食事する機会そのものが減ったが、隣の席で若い女性が「握り箸」をしているのはよく見かける。親の顔が見たい、とさえ思う。
その「育ちの悪さ」が白日の下にさらされているのが、前回も指弾した石破茂首相である。 11月2日に、石破首相が人差し指をお茶碗のふちに引っ掛けて持ち上げ、箸をクロスさせてご飯を食べる動画がXに投稿された。しかも、肘をつきながら食事をしている。
この動画は、ユーチューバーでお笑いタレントのたかまつななのYouTube動画に石破首相が出演したときのもの。3年前に公開された動画だが、2日にXに転載されるとあっという間にネット上からツッコミが殺到。
《肘をついて食べたこと、俺でさえないわ。これは残念》
《え? 茶碗の持ち方よ 幼稚園の時にこの持ち方をして親から手を叩かれた記憶があるんですけど…》
見てみたら、なるほど、箸の持ち方、茶碗の持ち方、食事の姿勢…まるででたらめである。ブログ子がこれまで判定してきた中でも飛びぬけて「下賤の下」である。「親の顔が見たい」部類だが、この人、実は育ちがいいのである。東京生まれだが父親が鳥取県知事になって高校まで「上流家庭」で育ち、慶応大に入った経歴の持ち主。どうして、箸の持ち方ひとつ知らない人間になったのか不思議なくらい。
組閣のときのもモーニング姿の着こなしがだらしないと指摘され。石破茂首相が1日夜、官邸で新閣僚をそろえた写真撮影に臨んだ際、ズボンの裾がだぶつき、ふくよかな腹部が目立ったことが話題になった。モーニングではサスペンダーで吊るのだが石破首相はベルトである。安倍首相を「国賊」とけなした村上誠一郎総務大臣も、相撲取りのような出腹で並んでいて「石破”だらしない”閣」と呼ばれたほど。
「箸の上げ下ろしまで文句をいう」のは慎まなければならないが、箸の持ち方ひとつ見ても「石破内閣」は下品である。
4日の産経新聞に櫻井よしこの「美しき勁き国へ」で完膚なきまでこきおろした「首相即時退陣こそ国益」が掲載されている。前回のブログ子のコラムと違って、理路整然とこの人物が一国を率いるような資格がないことを断言している。長いが引用する。
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「首相即時退陣こそ国益」
衆院選で歴史的惨敗を喫した石破茂首相は国民の審判を受け入れるべきだ。小選挙区での得票数を約670万減らし、結果を受けた共同通信の世論調査では内閣支持率が50・7%から32・1%に急落した。就任から1カ月、これほど急速に支持を失った事例は稀有だ。石破氏は敗因を「政治とカネ」問題のせいにするが、真の原因は言動の定まらない本人の資質にある。
国民の声を大事にするのは、民主主義の基本である。だが民主主義は絶対善ではない。劣化して衆愚政治となった事例を、ソクラテスに下された死刑判決はもとより、ヒトラーの登場を含め、私たちは歴史の中にいくつも見てきたはずだ。
昭和天皇に月1回の頻度で進講した三上照夫氏が、『第三の文化の時代へ』(ぱるす出版)の中で民主主義について語っている。
人間集団にはこういう国造りをしたい、こういう家庭造りをしたいという共通の目標がある。この建国の理想を、日本人は奈良朝時代から「国体」と言ってきた。国体実現の手段として日米欧が選んだ政体が民主主義だ。それはあくまでも手段としての政治原理であり、国家の目標・目的は別にある。そして指導者に識見、国家観が欠落しているとき、手段であるはずの民主主義は目標に格上げされ置き換えられてしまう。
石破氏は国民の理解を求め続けて政治とカネ問題の先に行けない状況だ。民主主義という手段を目的に格上げして自縄自縛に陥ったからである。自業自得である。結果として、より大事な国家目標実現の政策論がほぼ空白になり果てている。
長年の勉強不足もたたって、石破氏の提唱する政策は空疎を極める。アジア版NATO(北大西洋条約機構)創設や日米地位協定見直しはアジア全体を不安定にしかねない。自民党は両案件を政務調査会で議論するという形で封印した。鳩山由紀夫元首相の東アジア共同体構想と同類の空疎な石破提案はこうして処理された。
より深刻なのが対中外交だ。岩屋毅外相が中国の王毅共産党政治局員兼外相と会談し、戦略的互恵関係を再確認したい旨を、語っている。戦略的―は2006年、第1次安倍晋三政権が打ち出した。小泉純一郎元首相の靖国神社参拝で冷え込んだ日中関係を双方が修復しようとした。だが中国に習近平政権が誕生し状況は一変した。強権的中国との戦略的互恵関係は日本の国益に合致せず、2017年11月の安倍・習会談以降消えた。石破政権が岸田文雄元首相の路線を継いで立ち戻るのは悪手である。
安倍晋三元首相が戦略的互恵関係をうたった2006年から18年が過ぎた現在、日中関係は一変している。中国は軍事大国としての力を誇示し、世界秩序を書き換える野望を隠さない。18年前、彼らは喉から手が出る程に日本の協力を求めたが、現在はいかにして日本から全てを切り取るか、あらゆる形で攻勢を強めている。その手法は、小さな動きを積み重ねて圧力を強めるサラミ戦術で、一例が尖閣諸島(沖縄県石垣市)だ。
第2次安倍政権樹立から間もない2013年4月26日、中国外務省報道官は尖閣諸島を「中国の核心的利益に属する」と発言した。その同じ日、安倍氏は来日中の米軍制服組トップ、デンプシー統合参謀本部議長と会談し「日本固有の領土である尖閣諸島について、わが国は一切譲歩しない」と語った。すると翌27日、中国外務省は26日の発言を事実上修正した。
現在の中国にそんな配慮はない。彼らは堂々と尖閣を核心的利益と宣言し、23年8月に発表した標準地図で示した「十段線」の10番目の線は与那国島から12キロのわが国の領海をえぐり取っている(『国防の禁句』岩田清文、島田和久、武居智久 産経セレクト)。
中国軍は22年8月には与那国島の排他的経済水域(EEZ)内に弾道ミサイル5発を撃ち込んだ。中国が初めて日本の庭先に実弾を撃ち込んだ事実に注目せよと岩田清文元陸上幕僚長は強調する。
23年7月、尖閣諸島周辺のわが国のEEZ内で中国の情報収集用のブイが発見された。24年1月には中国海警局の船が尖閣上空のわが国の領空を飛行する自衛隊機に「中国領空」からの退去を要求した。6月には中国海警局最大級の巡視船が、尖閣諸島を周回した。
中国保有の軍艦は米国を上回り、35年には435隻に迫る。米国は45年に至っても350隻にとどまる見込みだ。
その中国を岸田文雄政権は22年末に策定した国家安全保障戦略で初めて「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と定義した。
だが岸田氏は23年4月の安保3文書についての国会報告で「最大の戦略的挑戦」というくだりを割愛し、さらに24年1月の施政方針演説では、日中は「戦略的互恵関係を包括的に推進する」と大幅に後退していた。
実は、戦略的互恵関係は岸田氏の施政方針演説の前、23年11月16日の日中首脳会談で習近平主席が復活を持ちかけていたのだ。習氏の意図は中国を最大の戦略的挑戦と定義したわが国の安全保障戦略を上書きすることだと、島田和久元防衛事務次官は警告した(『同書』)が、正しいと思う。
戦略的互恵関係の6年ぶりの復活には、再び日本を取り込む中国の狙いが込められている。そこに岩屋毅外相が乗るというのだ。だが、逆戻りしてどうするのだ。
対話の窓口は開けておくとして、わが国は今こそ静かに着実に、核の脅威も含めて中国に対処する力を強化し、体制づくりを進めるときであろう。政治家にはそれだけの仕事を進める冷静な思考と胆力が要る。
石破氏がその任にふさわしいとは思えない。一日も早い退陣こそ国益だ。