いいかげんにしろ! 政界下ネタ暴露

 国民民主党・玉木雄一郎代表が11日、一部週刊誌で報じられた女性との密会について会見を行い、「今朝、報道された内容については、概ね事実です。謝罪しても許されるものではないと思っておりますが、謝罪を続けたいと思います」と謝罪した。同日、首班指名を控えていた中、指名および代表の継続については「仲間の意見を聞きたい」と述べ、また議員としては活動を継続したい意向を明かした。報道陣から妻への思いについて聞かれると、「日本一夫のために地元を守ってくれる妻。一生謝罪を続けたい」と目に涙を浮かべて頭を下げた。

またか、と怒髪天を衝く思いである。怒りの相手はこれを報じた写真週刊誌「FLASH」である。得意げに特ダネづらして、国民民主党が自民党相手に突き崩そうとしている『103万円の壁』にひっかっけて「“理性の壁”も引き上げたほうがよさそうだ。」と文末を結ぶゲスな手口も気に食わない。

ここ数年「週刊文春」に始まった、政治家の不倫や「路チュー」を追いかけまわす週刊誌、女性誌、写真週刊誌は後を絶たない。もちろん、金に汚く、女の尻を追いかけることに精を出す昨今の政治家が悪いのだが、ブログ子が愛読する山本夏彦翁の格言「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」に倣えば、「助平は国を滅ぼさないが、正義ヅラは国を滅ぼす」である。

今の下衆(ゲス)メディアに聞かせてやりたいが、一昔前まで政界では「臍(ヘソ)下三寸人格なし」という言葉があって、男女間の下世話な話など書かない「矜持」を持ち合わせていた。

今回、玉木代表の話の舞台になったのは、彼の地元である香川県高松市だが、この地には同じ「臍下三寸」で勇名を馳せたものの、政治活動は微動だにしなかった大先輩がいる。

現在の盤石の「55年体制」のスタートとなった「自由民主党」結党に動いた三木武吉の「メカケ談義」が美談として残っている。戦後まもなく、郷里の高松から衆議院選挙に立った三木を、対立候補が立会演説会で「ある有力な候補者は、あろうことか東京で長年にわたってつくったメカケ三人を連れて郷里に帰り、小豆島に一緒に住まわせている。かかる 不義不道徳な輩を、わが香川県より選出すれば、県の名折れであり恥辱である」と攻撃した。

これを聞いて登壇した三木は、「私はたしかに有力な候補者である。無力な候補者は、私がメカケを三人も連れて帰ったといっているが、物事は正確でなければいけないので訂正しておきますが、女の数は三人ではありません。五人であります。故郷を飛び出し以来、いろいろな事情から多くの女との関係ができました。そのかかわりを持っ た女たちは、いずれも年をとっていわば今は廃馬であります。けれども、彼女たちが私を頼る限り、私の都合で捨て去ることはできません。この人々を養うことは 、私の義務だと思っております。それも三人じゃない、五人です」

満場笑いに包まれ、以後圧勝し、メカケのことなど問題にもならなかった。

三木武吉はヤジられても強かったがヤジるのもうまかった。戦前、戦後の名ヤジとして今に至るも語り継がれているのが、三木武吉の「だるま発言」だ。大正9年1月、 原敬(はら・たかし)内閣が海軍拡張に乗り出したときの予算説明で、その風貌から「だるま蔵相」の異名を持つ高橋是清(のち首相)が「この計画のため陸海軍は ともに難きを忍んで長期の計画とし、陸軍は10年、海軍は8年」と言ったとたん、議場から「だるまは9年!」と三木のヤジが飛んだ。

ブログ子もメカケ取材をしたことがある。以前、このブログで「選挙モンスター『河村たかし』の影に『春日一幸』で書いたことだが、再録する。

昭和43年の暮れ、御用納めが近い頃だったが議員会館の民社党の春日一幸・書記長の部屋に呼ばれた。事務所にはもう一人、週刊誌、 「女性自身」の記者がいた。春日書記長はゲラを手に私に「明日発売で店頭に並ぶそうだ。あなたには包み隠さず 話してきたが、公になる以上職を辞することとした。このあと記者クラブで発表します」ということだった。

2、3週間前に「春日一幸は妾を持っている」とタレ込みがあった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もないくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

タレ込みは本当だった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もないくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

東京からも地元の名古屋からも離れて、なんで「春日部」なのか。語 呂合わせとしか思えない場所である。他の女性もみなそこそこのおトシであることから、戦争未亡人の面倒を見ているのではない かとも思えた。そうなるとなんだか美談のようでもある。こんな話が記事になるのだろうか、考え込んでしまった。迷っているうちに、議員会館に呼ばれたのである。

 愛人を囲った政治家を挙げれば枚挙にいとまがない。鳩山一郎、佐藤栄作、吉田茂、岸信介、大野伴睦、犬養健、田中角栄、船田中、 石田博英、宇野宗佑、田村元、橋本龍太郎、石原慎太郎、小沢一郎、森喜朗、山崎拓、中川秀直・・・。第44代衆院議長を務めた西武グループの創業者である堤康次郎など、子供が100人以上いたという。誰一人としてメディアで公然と暴き立てられた者はいない。

最近は女性議員の不倫も週刊誌のターゲットになっている。故中川昭一の妻・中川郁子の同僚との路チュー始め、元スピードの今井絵理子と地方議員との不倫、三原じゅん子がどうしたとか、山尾志桜里(立憲民主、国民民主と渡り歩き現在は菅野志桜里で弁護士活動)がトシ下の弁護士と不倫してたとか、まさに国会も「男女平等」のこの道である。

当時のマスコミが持っていた「矜持」と言うものを、今の週刊誌に求めるのは「無いものねだり」なのだろうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です