久しぶりに見た「薨去」の文字に思う

三笠宮崇仁(たかひと)親王妃百合子殿下が薨去(こうきょ)された。一貫して「薨去」を通したのは産経だけで、他の中央紙は「逝去」が主流だったが、この尊称語をみて久しぶりに「皇室語」に翻弄された現役記者時代のことを思い出した。いずれも敬語で苦労したものだ。

社会部記者をしていると皇室関係の記事を書く機会がたびたび出てくる。入社してすぐ、津支局に配属になったが、ここで「火星ちゃん」つまり常陸宮さまが華子さんと新婚旅行で伊勢志摩に来られた時の記事を書かされた。社会部になってからはその姉にあたる池田厚子さんを、東京に来てからも、その妹の島津貴子さんの記事を書いた。”おスタちゃん”の愛称で親しまれ結婚の際「私の選んだ人を見て頂戴」との発言が流行語になった方だが、お会いしたのは彼女が東京プリンスホテル内のショッピングモール「ピサ」に就職したあとだったので、話はもっぱらファッションのことだった。

私が原稿を書くと長くなる。さすがに「・・・殿下に置かせられては」という時代錯誤は犯さないものの、動詞や名詞にやたら「お」をつけるは「された」という動詞を使うのだ。困り果てて先輩の宮内庁担当に見てもらったら、ざくざくと三分の一ほど削ってくれた。「二重敬語はいらない」「ワンセンテンスに一つ敬語があればいい」など教わった。

三笠宮百合子さまの長男、寛仁親王殿下とは札幌で毎晩のようにバーを渡り歩いた。ブログ子は当時札幌オリンピックの取材チームのキャップで殿下は札幌組織委員会の職員という立場だった。我が新聞社の報道部長が学習院出で皇室担当したので、いろいろ皇族とは付き合いがあり、その部下である私に”お守り”が命ぜられた。夕方、大通公園に近い事務局に殿下を迎えに行き、札幌のそこそこのバーをハシゴしてレミーマルタンのボトルをキープするという”仕事”だった。

互いに東京に戻ってから電話がかかってきて、お礼に一献、ということで青山通りの青山一丁目交差点そばの宮邸に行った。後にも先にも初めて見たが玄関は普通の家の2階まではあるという高い扉で驚いた。そのとき広間で母親の三笠宮百合子さまからお礼の言葉をいただいたのだがあまり覚えていない。

その後、昭和天皇のご不例の折りには編集幹部をしていた。わが社では[A号作戦」と称していたが「その時」に備えて取材、紙面づくり、号外など万全の用意をして24時間待機していた。外出する際も、当時出たばかりの携帯電話をわきに置いていた。今と違って縦横30センチ、厚さ10センチもあろうかと言う発電機並みの大きいものでタクシーの運転手が、それが電話ですか、と驚くほどだった。

この時は中央紙、地方紙、テレビすべて「崩御」で横並びだったが、直前に朝日新聞は「逝去」でいくらしい、という話が伝わった。ひごろ皇室に批判的な新聞でさもありなんと思えたが、今となっては真偽のほどはわからない。

話が長くなったが、ここで苦労するのが敬語である。その前に、「諡(おくりな)」と言うものを知っておかねばならない。上で「昭和天皇」と書いたが、生前には使えない。「諡号」(しごう)ともいうが、帝王などの貴人の死後に奉る言葉なのである。そのうえで「崩御」「薨御」「薨去」「卒去」「逝去」「死去」といろいろ使い分けなければならない。

「崩御」(ほうぎょ)は、「天皇・皇后・皇太后・太皇太后」が亡くなったときに使う。

「薨御」(こうぎょ)は、「親王・女院・摂政・関白・大臣」などに。。

「薨去」(こうきょ)は、「皇族または三位以上の貴人」に使う。「三位(さんみ)」は、「正三位」「従三位」の勲位がある人。「皇太子妃が薨去された」のように使う。「薨御」とほとんど同じで今回の三笠宮百合子さまの例のように今はこの「薨去」が主流。

「卒去」(そっきょ)=「しゅっきょ」が正式で、「そっきょ」は慣用読み=は、「身分のある人の死」を意味する言葉で、四位(しい)・五位(ごい)や無位の皇族(王や王女など)の死に対して使われるが、現在はほとんど使われていない。

「逝去」(せいきょ)は、死去の尊敬語で目上の人に使う言葉で身内に対しては使わない。今回の訃報ではほとんどの新聞、テレビはこの言葉で伝えた。中には「ご逝去」「逝去された」としたメディアもあるが、これは敬語表現が2つ重なっている「二重敬語)で、文法上は誤っているのだが、電報の例文にはれっきとして載っていて、現実には一般的になっている。

「死去」は、家族、親族など身内や社内の人が亡くなった場合に使い、場合によっては「亡くなる」「永眠」「他界」 などと使う。


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