土曜日、孫娘の運動会に「招待」されて一日小学校のグラウンドで過ごした。
ブログ子の頃は運動会と言ったら秋に決まっていたものだが、いつの頃からかこの季節での開催が多くなった。「招待」といっても電話を受けた次女が早起きしてお握り20個あまりをつくり、持参するのだから結構ハードである。孫娘に「チカちゃん」と呼ばれ絶大な人気がある叔母さんとカメラマンとして付け足しのJIJIは、快晴に恵まれてすっかり日焼けしてぐったりして帰宅した。
近頃の運動会というのは日教組に牛耳られて徒競走では順位を付けず、万事「公平」にやっていると思われている向きもあろうが
そうでもないことを実感した。
孫娘3人のうち小学校4年と2年の二人が通っているのは東京都の区立小学校だが、徒競走ではちゃんと順位をつけていた。判定の先生もついていて飛び込んでくる生徒に上級生がそれぞれの着順の旗の下に案内していた。小4の孫娘は4位だが、一組4人ずつで走るから、はっきりいってビリである。別段悪びれるでもなく、順位を付けられることに不満はないようである。
以前は万国旗が定番だったが、近隣にややこしい国が並んでいるせいか、生徒が描いた絵が国旗代わりに連なっていた。ガンガンと行進曲が流れていた光景も近隣への騒音を遠慮してか姿をひそめていたものの、号砲一発でスタートするのはちゃんと守られていた。紅白に分かれて勝敗を争うとき、勝った方が「万歳!」というのも皇室崇拝につながるというので、させない学校もあると聞くが、ここでは盛大に「万歳、万歳」と両手を上げて喜んでいた。
先生の言葉つかいも格段にやさしい。「こら!・・・しろ」といった命令調はかげをひそめ、「はい白いラインから中には入りません」といった調子である。ブログ子の学校(私立)では廊下を走って掃除用の青竹で順番に殴られ、最後の方の生徒は割れて中から飛び出す粉を盛大に浴びていたものである。
父兄による席取りは大変なものらしい。最前列はみなレジャーシートで占められていて、娘一家は熱心でないせいか、人様のシートの隙間のウナギの寝床のようなところに案内されて、卵焼きも肉団子もみな誰かの手渡しでないと手に入らなかった。父兄が持っている記録媒体も様変わりしていた。カメラ単体はごく少なく、ほとんどがムービー内臓のものである。
騎馬戦は危ないからと姿を消したと聞いていたが、この学校では上級生だけだが5人一組で騎手は鉢巻に紅白のリボンを付けて奪い合っていた。ただ、いきなりぶつかるのではなく、両軍の騎手に予め手を組ませ、合図があってから倒しあうスタイル。殴り合いを避ける先生の細かい配慮が見えた。ブログ子の頃は如何に敵より高く飛びかかるかに腐心したものだが。