いまプロ野球は交流戦というのをやっているがその日のヒーローがお立ち台で「応援よろしくお願いします」とやっている。誰が言い出したか知らないが、当初はよかったにせよこうも多用されると、少しは頭を使えよ、とツッコミを入れたくなる。
プロ野球に比べてサッカー界のほうはさすが言葉というものにもっと敏感でJリーグ事務局は3月1日の開幕から「がんばるので応援よろしお願いします」という常套句の使用を禁止する通達を出した。
メディア対応の専門家の助言を参考に、3年前から取り組んでいる意識改革の一環で「これを言えばインタビューを締めくくれるから言っているだけで、気持ちがこもっていないことが多い。自分で考えた言葉を使って欲しい」と言う趣旨だそうだ。プロ野球にも聞かせたいものだ。
ほかにも、活躍の理由や原因を問われたときの「たまたまです」という答えも「謙遜ではなく、自分の言葉で語ることを放棄しているだけ」と手厳しい。「自分の言葉なら、いつも同じフレーズになってしまってもいいと思う。不器用でもその人の個性がにじむもの、例えば古くはDeNA・中畑監督の『絶好調』、巨人・阿部選手の『最高です』といった選手の代名詞にまでなったセリフのようなものは許せる」(Jリーグ企画部の吉田国夫さん)とはさすがの分析である。
これを他の分野に広げると、あるはあるは、見苦しい常套句のオンパレードである。
告訴された週刊誌のコメントに多いが、例えば「籾井会長ボケ」報道をした週刊新潮にNHKが事実無根と抗議、訂正を求めた時、編集部は「担当者が不在のためコメントできない」と答えている。担当者は違う階にいるのだろうが、新聞報道は1,2日の問題、そのうちほとぼりが覚めるだろうという魂胆がみえみえのコメントである。
国税局に脱税を咎められた時の問題企業のコメントは大抵「国税当局と税についての見解の相違があったが、指摘を受けて納税した」というものである。どんな会社でも税法を知り尽くして抜け道をさがす達人はいるものである。
警察では誤認逮捕や、マークしていたのにストーカー犯にしてやられた時など、謝罪の言葉のあと「こうした事案が二度と起こらないようにします」という幹部の言葉が続く。二度とどころか再三再四同じケースが起きるのは衆知の通りである。犯人逮捕の際、拳銃が使われると必ず署長の「拳銃使用は適正だったと考えている」という一言が付いている。日本の警察だけに見られるもので、アメリカはじめ外国から見ると笑い話のタネになるだろう。これは、警察庁の通達で発泡事案については詳しく報告を求めているためで、ブログ子個人の見方だが、犯人逮捕に使われる発砲事案より、警察官の自殺に使われる事案の方が多いのではないか。
韓国での「セウォル号沈没事件」でもそうだったが新聞・テレビ報道の最後には「日本人はいない模様である」という一言がくっついている。日本人がいなけりゃあとはどうなってもいいというかのようで実に見苦しい。
海外に出る日本人が増えるに従い事件・事故に巻き込まれるケースが出てくるのは仕方がない。在外公館の筆頭任務は邦人保護だから、言われなくたって大使館や領事館は動いている。当該国に公館がなければカバーしているところから駆けつける。巻き込まれた邦人がいてはじめて報道すればいいことで、いちいち、日本人が居るいないとつけ加えるのは余計なことである。