天安門事件から25年 「戦車男」は中国に溢れている

1989年6月5日の天安門事件から25年というので新聞で懐かしい1枚の写真を見た。天安門広場で戦車の隊列の前に一人で立ちはだかり、今なお中国の民衆の抵抗の象徴とされている男の姿である。

天安門事件を象徴する有名な写真。「戦車に立ちはだかる男」

天安門事件を象徴する有名な写真。「戦車に立ちはだかる男」


両手に買い物袋を提げた白いシャツ姿の男性は、天安門広場の北側を走る大通りの中央に進み出て戦車の雨に一人立ちはだかった。戦車が男を避けて進もうとするとまた前に。カメラに捉えられた「戦車男(Tank Man)」は、天安門j事件の象徴的映像として世界に紹介されたが、この人物の正体やその後の運命は今も分からないままだ。

「王維林(Wang Weilin)」という名の男性だという情報もあったが、確認されたことはない。さらに、この人物をひき殺そうとしなかった戦車の操縦手の身元も分かっていない。

事件の1年後、米国人テレビジャーナリストのバーバラ・ウォルターズ氏が、当時、中国共産党の総書記だった江沢民に「戦車男」の写真を見せながら「この若い男性の身に何が起こったかご存知ですか」と質問した。江沢民は狼狽した様子で、戦車は男性をひいていないと強調した。しかし、死んだとは思っていないと述べただけで、その後の男性の運命について語りはしなかったという。

25年後の今日、中国当局の緊張ぶりはただごとでなかった。中国で著名な人権派弁護士・浦志強氏が先月、北京で学者など十数人が開催した「天安門事件記念セミナー」に参加した後、行方不明になった。警察当局は同氏を「騒ぎをあおった」容疑で拘束したと公表した。天安門事件で犠牲になった学生の母親で作る「天安門の母」の中心人物、丁子霖さん(77)が、当局から自宅に戻ることを禁じられ事実上の軟禁下に置かれた。改革派女性ジャーナリスト、高瑜氏(70)も1カ月前に当局に拘束されたほか、香港の民主派系出版社の経営者も広東省の裁判所で懲役10年の判決を受けた。などなど、大変な数の人権活動家が事前拘束されている。

ウイグルでは弾圧すればするほどテロ活動は広がりを見せている。公開裁判と処刑をして抑えこもうとするが中国指導部への反発は高まるばかりである。「中国共産党の一党独裁体制はあと3年で崩壊する」と言われて久しいが、まだ指導部は世界各地で醜悪な強硬路線をくりひろげている。一見抑えこみは成功しているかのようだが、人民はすでに共産党政権を見限って世界に脱出している。

中東のドバイ。売りだされた10万人規模の集合住宅の半数は中国人が買い占めて、すでに住んでいる。海外に出ることができるのは共産党幹部の子弟に限られるがカナダ、アメリカ、豪州、東南アジア各地にすでに1000万人規模で脱出しているとも言われる膨大な数である。国民はすでに共産党政権を見限っているのである。
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上の1枚は天安門事件当日広場を埋め尽くした学生、一般市民である。弾圧で蹴散らされたが、抵抗予備軍として中国内に不満を抱えて潜伏しているのである。横柄な中国軍副参謀長や相手方の非を叫ぶばかりの報道官のうしろに、こうした人たちの冷たい視線があると思えば少しは救われる。いつの日かあの紅衛兵のように、彼らが歴史に弾劾される日が来るのだろう。

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