政府は6日、農政改革の骨格を固めた。全国約700の地域農協を指導してきた全国農業協同組合中央会(JA全中)は3~5年でなくす。農産物の集荷・販売を事実上、一手に引き受けてきた全国農業協同組合連合会(JA全農)は株式会社への転換を促す━というのが骨子だ。
ブログ子が長年棲息した新聞社は東京・大手町にある。その隣が農協ビルで上記の2団体はじめ農業団体がたくさん入っていて、周辺のサラリーマンからは「百姓ビル」と呼ばれていた。地下1階にある居酒屋にはよく出入りしたが、農林省担当をしたこともなかったので上の方にはまったく行く用事がなかった。ただ米価のシーズンにはデモ隊がここから出発、選挙の直前には族議員がよく出入りしていたのでその威光のほどは知っていた。
改革の最大の柱はJA全中が地域農協を経営指導したり、監査したりする権限をなくす点だ。農協法から根拠規定を削除する。戦後の発足当時は農協の数が1万前後あったが、今は合併が進み、約700だ。今後は大規模化した農協に委ねるべきだいうのが大方の声で、あれだけ権勢をふるったJA全中の政治力こそ現在の農政の停滞を招いた元凶だと手厳しい批判にさらされている。。
2つ目の柱は、JA全農の株式会社化。JA全農は地域農協が出資する相互扶助組織で、組合員である農家から農産物を集荷し、まとめて販売したり、肥料・農機具など農家の生産資材を共同購入したりする役割を担ってきた。こうした行為は本来、独占禁止法に抵触する可能性があるが、協同組合として適用除外を受けてきた。株式会社になると、こうした恩恵が受けられなくなるし、税制上の恩典もなくなる。
マグロの解体ショーと言うのがあるが、まるで農協の解体ショーといったあんばいである。こうまで解体が急がれるのは、農産物関税の大幅削減を図る環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が進むなか、政府は手厚い関税で保護されてきた国内農業の競争力強化を急いでいる。日本の農家に絶大な影響力を発揮してモノとカネをコントロールしてきた全農やJA共済の役目は終わったと断罪されたのである。
卑近な例をあげるが、ブログの亭主がいる山墅は山の上にあり食料品にせよ大工道具にせよ野辺山駅前にある農協に併設されている売店に頼るところが大であった。ところが農協ときたらお役所仕事もいいところで、安くないばかりか高原野菜の本場だというのにしなびたレタスやキャベツを平気で並べている。草刈りの鎌を探しに行くと農作業の本場なのに3種類しか置いてない。釘などたった数種類あるのみ、いろいろなロープが欲しいのにあるのはたった3種類の紐といった有り様である。近隣の人みなそうだが、野菜は数年前に出来た「びっくり市」という野菜のバッタ屋に頼り、40キロ離れた佐久のホームセンターまで走る。要するに農協には客の要望を汲み取るようなアイデアもやる気もまったくないのである。
この半世紀で酪農家は40万戸からわずか2万戸に激減したが、生乳生産は200万トンから850万トンへと4倍半も激増した。これだけの自己変革を果たした酪農家に、さらに関税や従量税の引き下げというハンディを与えた。一方コメ農家には一切お構いなし。両方掌中にある全中は、組織維持の上で、酪農家2万戸より250万人コメ農家の方を優遇してきた。(評論家・屋山太郎氏)
コメ農家の所得は平均450万円程度だが、コメで稼げるのは50万円程度で、兼業所得と年金収入が各200万円だ。といっても、コメの50万円には、生産調整(減反)奨励金やら戸別所得補償やらさまざまな税金が使われている。コメの生産額は1・8兆円であるのに対し、税金などが1・1兆円も投じられているのだ。(同氏)
農協が巨大金融機関を軸とした利権集団となり、一部の人々が潤っている一方で農業は衰退していくばかりだ。小規模農家、兼業農家ばかりになり農家の平均年齢は65歳だ。この間、農協はひたすら補助金を求め、農業を産業として成長させることを考えてこなかった。そしていまは、成長のための改革を拒否している。
農林水産省が農協について調査したところでは、農協に加入している組合員の44%が「満足していない」とし、うち70%が「資材が高い」と答えている。我が駅前農協での体験と同じである。今では農民から農協が見放されている。さらに大きな票田だった農協の集票能力は急降下した。農林族が跋扈した時代の自民党にはできなかったがことが、今なら安倍首相にはできる。それこそ「今でしょ!」なのである。