中3悪ガキが「死に損ない」と侮辱した語り部の素顔

修学旅行で5月に長崎市を訪れた横浜市立中3年の生徒が、長崎原爆の爆心地近くを案内した被爆者の森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=に「死に損ない」などの暴言を吐いていたことが分かった。森口さんは「私は死に損ないではない。一生懸命生きてきた。大変悲しい」と同中学に手紙で抗議。校長が電話で謝罪した。

森口さんは8歳の時に入市被爆し、被爆者らで作る「長崎の証言の会」の事務局長。森口さんによると、同中学3年の生徒119人が長崎を訪れ、同会は爆心地近くを案内するよう依頼を受けた。5月27日、平和公園で事前に生徒たちに会の趣旨などを説明したところ、騒いで話を聞かない生徒がいたため注意した。森口さんがうち1班を爆心地から約700メートルの山里小へ案内したところ、班外の男子生徒数人が森口さんに「死に損ないのくそじじい」と罵声を浴びせた。

学校によると、森口さんが説明していた際、私語を続けていた1人の男子生徒に「聞く気がないなら出て行け」などと何度も叱る場面があり、生徒は退席させられた。暴言を吐いた男子生徒らは「そうしたやり取りに腹が立った」と話している。森口さんは「平和学習の前に、子供たちの人を思いやる気持ちを育てていただきたい」などと書いた手紙を同中学に送った。校長は「自分たちの発した言葉が森口さんにとってどれほどつらく悲しい言葉だったのかを伝え、反省を促していきたい」と話している。(毎日新聞)

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森口貢・被曝語り部

森口貢・被曝語り部

まったくろくでもない悪ガキがいるものだ、と思ったがこの「被爆者語り部・森口貢」もかなり怪しげな人物だという。「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」というえらく長いタイトルのブログは長年この人物を追跡しているのだそうだが、それによると、森口貢・語り部は8月9日の長崎に原爆が投下された日には長崎にはいなかったという。彼は1945年8月4日に佐賀の田舎に疎開していて、原爆投下から11日後に長崎に戻っただけで「長崎被爆者」というのはあきらかな詐称だという。

そして元「日教組」所属の反戦反日教師という一面をも持ち合わせている。週刊金曜日(第615号2006年7月21日)で「小泉首相最大の罪は、靖国に市民権を与えたこと」と語っているほどで、修学旅行で語り部の話を聴いた学校から、「被爆体験の話はほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」と指摘が相次いでいた人物だそうだ。批判があるにもかかわらず一向に止めず、「語り部」に支払われている1時間に1万円の「講話謝礼金」を受け取っていたので、ついには「長崎平和推進協会」で問題視されるに至った。

2006年1月21日の長崎新聞には<被爆語り部の「政治的発言」に自粛を要請>という記事が出ている。

「長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は二十日、修学旅行生らに被爆体験を語る「継承部会」の臨時総会を開き、イラクへの自衛隊派遣や憲法改正など「国民の間で意見が分かれている政治的問題」について、被爆体験講話の中で言及しないよう要請した」。

韓国が事あるごとに騒ぐ従軍慰安婦問題は吉田清治という詐話師がもっともらしく語った話に朝日新聞が乗ったことから始まった。今では細部に至るまでウソが暴かれているが、その一件を彷彿とさせる

何事もそうだが新聞記事の裏には書かれていないが大事なニュースが隠されているものである

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