神奈川県厚木市のアパート一室で斎藤理玖(りく)ちゃん=当時(5)=が白骨遺体で見つかった事件。6月2日のこのブログで「餓死した子供が不憫でならない」と一文を書いた。そこで「不憫でならない」と書いたことがずっと悔やまれていた。「不憫」とは上から目線だったような気がしてならなかった。
9日その後の調べの内容が報道されていたが、読んでいるうちに涙が止まらなくなった。
理玖ちゃんは5歳だった平成19年ごろに死亡したとみられているが、父親でトラック運転手の斎藤幸裕容疑者(36)=保護責任者遺棄致死容疑で逮捕=が、「亡くなる2カ月くらい前は仕事が非常に忙しくて週1、2日しか帰らず、(理玖ちゃんは)がりがりになってしまった。この状態が続くと死なせてしまうかもと思った」。
しかし「痩せた経緯が分かってしまうのが怖くて、病院に連れて行くことができなかった」とも供述。生前最後の姿を見たのは理玖ちゃんの死亡に気付く約1週間前で、「立ち上がることもできず、か細い声で『パパ、パパ』と呼んでいた。その場にいるのが怖くなり、1時間も一緒にいられずに家を出た」という。
立ち上がる力もなくなったのに、久しぶりに戻ってきた父親になおすがって、か細く「パパ、パパ」と呼ぶ姿が目前に浮かび、涙がとどめなくあふれてきた。妻が出て行ったあと男は別の女性との生活に溺れたというが、なぜ理玖ちゃんをその女性のもとに連れて行ってくれなかったのか。女性は受け入れたのではないか、例え断られたとしても児童相談所などに預けるなど方法はあったはずなのに。また母親はなぜ様子を見に戻ってきてくれなかったのか。持って行きどころのない怒りでまた涙が出た。
一連の報道で待ちかねたが子どもの顔写真は1枚も出てこなかった。逮捕された父親と現場のアパートの写真ばかりである。理玖ちゃんは誰にも写真1枚撮ってもらったことがないのである。同じ年頃の孫娘がいるが、はやアルバムは何冊も積み重なっている。同じ日に世界最長寿は男女とも日本人になったと記事にあった。めでたいことだが、幼い子ども一人を救えないでなにが福祉国家かと打ちひしがれた。