ダルマさんが転んだ

14日の朝刊各紙にあるように 集団的自衛権をめぐって、公明党の山口那津男代表や北側一雄副代表ら一部幹部は、連立内対立を先鋭化させないため、72年見解に沿って集団的自衛権行使を認めざるを得ないとの認識で一致した。

かねて予想されたとおり、公明党は「転んだ」のである。ブログ子はあまりにも度々書いてどこに書いたのかにわかには思い出せないほどだが、「公明党は折れてくる。一度政権与党の蜜の味を知ったものは連立離脱の度胸などない」と書いてきた。案の定「ダルマさんは転んだ」のである。

ダルマさんが転んだ。強気の安倍首相の押しに屈した山口公明党代表

ダルマさんが転んだ。強気の安倍首相の押しに屈した山口公明党代表

公明党の選択を批判する気はない。「下駄の雪」と言われようがどうしようが連立離脱で政局を混乱させるよりはるかに得策だからである。朝日・毎日などを見ていると。「アメリカと一緒に戦争をやろうとしている」(大江健三郎)、「日本が戦争の過ちを認めたひとつの形が憲法。なぜそれを手放すのか。周りに攻撃的になるのは末期症状にみえる」(香山リカ)と集団的自衛権は若者を戦場へ送るもの、という論調のオンパレードである。

この人達に問いたい。中国軍機が自衛隊偵察機に30メートルに接近、ロックオン(照準固定)するという、戦闘行動と同じ暴挙をしてくるのに、黙って耐えるしかない自衛隊員にただひたすら「平和」の祈りを唱えよというのだろうか。平和憲法が大事で9条を死守したいなら、新憲法に残す運動をすればいいのである。ブログ子も高らかに理想を掲げる憲法条文は好きなところがある。ただ主語もはっきりしない直訳調を改めて、日本人が書き下ろした憲法が欲しいと思う。

公明党は利害得失を考えて、自民党の高村正彦副総裁が13日、集団的自衛権の行使容認について現行の「自衛権発動3要件」に代わる新3要件の私案を示したのに「渡りに船」とばかりに飛び乗っただけである。

新3要件は自衛権の発動を(1)わが国または他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある(2)他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまる-という場合に限定する。

集団的自衛権を行使できるよう、従来の自衛権発動要件を他国への武力行使に広げつつ、公明党が行使容認の根拠に据える昭和47年の政府見解を引用。「国民の生命などが根底から覆されるおそれ」と厳しい歯止めをかけた。

これを呑むしかないと公明党は見たわけだが、追い詰められたのは維新分党騒ぎのあたりからで、石原慎太郎共同代表(当時)が集団的自衛権に慎重な公明党について「これまで自民党に対しては公明党がいつかは足手まといになると言い続けてきたが、その通りになった。あんないいかげんな政党はない」と切り捨てるとともに「自民党と公明党が袂(たもと)を分かつきっかけにしたい」とあからさまに自公にくさびを打ち込む宣言をした。これに賛同して「下駄の雪捨てるべし」論が自民党内でも大きくなった。

ブログ子はその前に流された政教分離論が効いたと見る。飯島勲内閣官房参与が10日、米ワシントンでの講演で、公明党と同党の支持母体である創価学会の関係が、憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解が変更される可能性に言及したのだ。
 
飯島氏は集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更について述べたうえで、「公明党と創価学会の関係は、政教一致と騒がれてきたが、内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。しかし、法制局の発言・答弁が一気に変われば、『政教一致』が出てきてもおかしくない」と述べた。

飯島氏はそのうえで、「(自民党と公明党が)そういうことがない状態で着地点を見いだせば、きちんと収まるだろう」とも語った。(産経)

恐るべし飯島参与。公明党はその言葉通り「きちんと」転んだ。まずは祝着至極である。

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