日本を「戦争の後始末屋」にしてはならない

安倍晋三首相は14日、集団的自衛権の行使を認めるケースに関し、シーレーン(海上交通路)での機雷除去も含めるべきだとの考えを明らかにした。視察先の鳥取県境港市で述べたもので記者団に「機雷掃海もしっかりと視野に入れて議論していきたい」と明言。「日本はなすべきことをやらなければならない。しっかりと正面から向き合っていく必要がある」と語った。

自民党はこれにより、機雷除去や強制的な船舶検査も可能になるとの立場なのに対し、公明党は行使を一部認める方針に転じたものの、従来の政府の憲法解釈との整合性を重視して、日本周辺有事の際の米艦船防護にとどめたい意向。

集団的自衛権の拡大解釈で「戦争への道を歩むもの」という野党や朝日新聞の主張に沿うようだが、ブログ子は「ちょっと待てよ」と思う。自衛隊に手枷足枷をかけ、重箱の隅をつつくかのような現在の議論は馬鹿げていると思うし、フリーハンドで世界の平和に積極的に貢献したいという安倍首相の思いは理解するが、日本の善意がすんなりと通るような世界ではない。

例えば中国における遺棄化学兵器廃棄処理事業だ。元はといえば村山富市政権下で自民党の河野洋平外相が「化学兵器に日本製もソ連製も違いはない。中国製もまとめて責任を持って処理する」と言い切って始まった。

旧日本軍が対ソ戦に備えて、満洲( 中国東北部 )に持ち込んだ化学兵器の未処理分のことを指すが、 塵爛剤( マスタード )など6種の化学剤を装填した未処理分の兵器は、その9割が北朝鮮に近い満洲・吉林省ハルバ嶺に埋まっていると見られ、遺棄砲弾数は日本側が70万発と推定した。日本が遺棄したものなら仕方がないと当時の政権は考えたようだが、この化学兵器は大半が日本製でない上、日本製のものも国際法上は日本に処理義務はない。中国側に引き渡したものだから、本来中国がやらなければいけないことを日本の河野洋平外相がたやすく処理をかって出たものだ。

ところが中国は新しい日本からのODA、つまり金づると見た。 1999年7月、日中間で覚書が取り交わされ、「 日本側が必要な資金や技術などを提供し、中国側が協力を行う 」との項目を盾に多くの要求をしてきた。その後の日本側の調査で砲弾数は30万発から多くて40万発としたのに対し中国側が示した数は処理砲弾なんと200万発。自国の化学兵器の処理もおっかぶせてきたのだ。さらに施設建設に伴う森林伐採ではタダ同然の白樺1本に200ドルと計算、要員宿舎はプール付きの豪華版と要求してきた。、

まともに初年度経費だけで861億円もの大金が支払われた上今後も中国側の要求通りにすると10年間は垂れ流しで総額1兆円を超える事業である。あまりの難題にとうとう日本側も事業の凍結をしている段階だが、ことほどさように中国は狡猾である。従軍慰安婦問題で禍根を残した河野談話の主はここでもろくでもない過ちをしでかしているのだ。

日本の掃海艇。世界から評価されている。

日本の掃海艇は世界から評価されている。

安倍首相が言う機雷除去にしても確かに海上自衛隊の処理能力は高く評価されている。我が国初めての海外派遣先であったペルシャ湾には、500トン前後の小さな木造の掃海艇4隻(補給艦、掃海母艦を加えて計6隻)で赴いた。掃海艇が木造なのは機雷の除去には磁気がご法度だからで日本の船大工の技が生かされているが、迎えた他国の艦隊はこれで「1万3000キロもの航海をしてペルシャ湾まで来たのか」と驚いたが、次に掃海技術の高さに驚いたという。

コマツが開発した地雷処理機

コマツが開発した地雷処理機

対人地雷の問題でも日本は民間団体を中心に世界中で処理をかって出ている。陸上自衛隊は対人地雷禁止条約に従い、2003年2月までに処理訓練用のものを除く対人地雷を廃棄した。しかしアフガニスタン、南スーダン、カンボジア、スリランカ・・・世界中には紛争や戦争で何百万個という対人地雷がばら撒かれていて毎日死者と足を吹き飛ばされる者が続出している。日本はブルドーザーを改良した地雷処理車両などきめ細かい対応で貢献している。

機雷掃海、地雷、化学兵器処理などはいずれも戦争後の当事国が処理すべきことを日本が善意でかって出ている。集団的自衛権で小田原評定のようなことを繰り返しているのは、強盗が入ってきているのに縄を綯っているかの如き平和ボケである。そこにまた他国の尻拭いに励む日本でいいのだろうか。

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