特別展「台北 故宮博物院 – 神品至宝 -」が6月24日から9月15日まで東京国立博物館 平成館特別展示室で開かれる。その特別紙面を見ていたら「産経新聞、フジテレビジョン主催」とあるので、李登輝総統以来築いてきた信頼関係故かと思ったのだが、朝日新聞をみると「本社主催」とある、あれれと改めて各紙の電子版をみたらなんと東京国立博物館、台北・故宮博物院、のあとに産経、NHK、、読売、フジテレビ、朝日、毎日、東京・・・と主催社の名前が続いていた。メディアこぞっての主催相乗りである。
相乗りでも構わないが、これは大変な企画で実現まで相当な政治的駆け引きがあったと思う。馬英九総統夫人の周美青氏がこの特別展のために訪日するという。こうした大規模な公的行事で台湾の総統夫人が訪日するのは、1972年の日台断交後初めてだ。
10数年前になるが、北京の故宮博物院を訪れた。5月というのに真夏の気候で汗みどろになって紫禁城に行ったのだが、半分ほど回ったところで「これでは中国政府の台湾侵攻はないな」と直感した。ろくなものがないのである。残っているのはオーストリア皇帝から贈られたという置き時計などばかりである。置き時計と言っても民家の2階建はいうにある巨大なものである。蒋介石の国民党も重くてかさばるので捨てていったと見える。ガイドにもっと他に収蔵庫でもあるのかと効いてみたが口を濁すばかりだった。 北京と台北の2個所に同じ「故宮博物院」を名乗る博物館があるのを見てもわかるように、歴史に翻弄されてきた。清朝の乾隆帝など歴代皇帝が集めた美術品は膨大な量にのぼる。1925年、清朝最後の皇帝・溥儀が退去した北京の紫禁城に故宮博物院が誕生したものの、華北をめぐって日中関係が緊迫すると合計19,557箱もの文物は当時の中華民国の首都・南京に一旦落ち着いたものの、全面的な日中戦争に発展した1937年、今度は四川省など内陸の奥地へ疎開。終戦後の1947年に南京に戻ったのも束の間、今度は国共内戦のため、蒋介石の国民党軍が船でほぼすべてを台湾へ持ち去った。1965年台北市郊外に建設された「故宮博物院」で展示されるようになったが常時展示を変えているもののすべてを展示替えするまでに10年はかかるという量だ。北京の中共政権は取り戻したいが、武力侵攻でもすると貴重な民族の至宝は失われる。当然政治的に内部から切り崩し、いわば平和的に取り戻す策を取るしかない。ブログ子が紫禁城で「中国政府の台湾侵攻はない」とみたのはこのためである。
台湾は蒋介石が連れてきた数%の国民党員による「外省人」が90%の「内省人」を支配している。一時国民党ながら「内省人」の李登輝総統が政権についたこともあるが、現在は大陸親交の立場を取る馬英九総統になり、中共政権は刻々と台湾を手中にしつつあるのは衆知の通りである。
台北の「故宮博物院」の昨年の来場者数は450万人。大陸から訪れる人はその半数近くになるという。その財宝の一部が今回東京国立博物館に来る。翡翠の緑と白をうまく使って白菜に取りついたキリギリスとイナゴを表現した作品「翠玉白菜」が有名だが、これも含めて中華街の飯店の入り口などに見かける、サンゴを切り貼りして描いた牡丹といい、中国人の美意識にはかねて首をかしげるところがある。やはり書と陶器に惹かれる。行ってみたいと思っている。