塩村都議は報道陣に「悩みがある女性に、否定するようなやじが相次ぎ、皆さんで笑っていた。質問を進めていくうちに、とても悲しい気持ちになった」と語った。塩村都議は放送作家として活動、昨年6月の都議選で初当選した。日本テレビのバラエティー番組「恋のから騒ぎ」に出演したこともあった。
やじの声は複数の男性で、自民党の都議が座る席の付近から上がったという。自民党都議の程度の悪さは以前からで、選挙の時だけ米搗きバッタのように平身低頭するくせに、中に入ると公費の外遊で遊びまわり、提出するレポートは旅行代理店に代筆させている輩が多い。議会は録画されているから発言者を早く特定して、公表すればいい。ただ都議会第一党なのでなんやかや言って先延ばしするだろうから、メディアが洗い出して氏名を公表すれば良いのだ。
パン助黙れ!」の方だが、これを即座に思い出すとは、お年がわかろうというものだが、ブログ子の同年輩でも知る人は少なかろうと思う。この発言者は自由党で当選5回(大阪1区)の有田二郎で、その娘と大阪の私立中学校で同級生だった。当時読んだ多くの全集は大抵彼女から借りたもので、その恩義から知っている。
有田二郎の父親は、「有田ドラッグ商会」の経営者、有田音松で、当時ペニシリンなど有効な治療薬がなかった時代新聞広告で「ばい毒」「りん病」などと大きく書き込んだ脇に、「欧米医科大学 帝国大学にて調合」などと、あたかも権威ある医学研究機関によって開発されたかのように記載した性病薬で巨万の富を得た。
1953年の国会予算審議では、有田二郎は右派社会党の堤ツルヨ議員から「断末魔の自由党」と野次られたのに対して「パン助黙れ」と応え、女性蔑視の暴言として問題になった。翌年造船疑獄の発覚から衆議院本会議で逮捕許諾決議が可決されて逮捕された。裁判では有罪が確定、それがために総選挙で落選、再起をはかったがそのまま消えた。、当時も政治に自浄能力はあったのである。
つぎに「パン助」の解説をしないといけないだろう。「パンパン」は語源については諸説あるが、戦後、占領で日本にきた進駐軍兵士(G.I.)を相手に街頭に現れた私娼のことで、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」と呼んだ。彼女たちが耳から入った英語でしゃべるのを「パングリッシュ」、結婚して渡米する者を「戦争花嫁」など、多くの派生語がある。
余談だがゴルフの全米プロがオハイオ州のインバーネスCCで開かれた時(日本からは尾崎直道が出場)、ブログ子は観戦に出かけていたが、飛行場からホテルまでバスガイドをつとめてくれた方がこの「戦争花嫁」だった。日本から来ている企業の奥様方とは交流がない、と話すのを聞いて、戦争花嫁が置かれている微妙な立場を理解した。