小松氏の自宅を弔問に訪れた安倍晋三首相は記者団に「小松さんは行政官として、本当に国を思い、実直に仕事をされる方だった。私も信頼していた。残念だ」と語った。
小松氏は外務省出身で国際法局長や駐仏大使を歴任した国際法のスペシャリスト。首相は昨年8月、内閣法制次長を昇格させる長官人事の慣例を破り、法制局勤務の経験がない小松氏に白羽の矢を立てた。内閣法制局は従来の解釈との整合性にこだわり、それを打破するためには小松氏の存在が欠かせなかった。
小松氏は着々と準備を進めた。昨年11月には政府が過去に憲法解釈の変更を行った前例があると答弁し、時代の変遷で解釈が変わってきた事実を指摘した。その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍が見つかり、2月の退院後も通院治療しながら国会で答弁していた。今年2月の退院後も解釈見直しに向け、政府内の調整に奔走した。だが、病魔には抗しきれず、死期を悟ったのだろう、5月に安保法制懇の報告書が提出された直後に退任し、内閣官房参与に就いた。
参院外交防衛委員会で答弁に立つ小松氏をテレビで見たが、痩せたため背広はだぶついていたものの眼光鋭く鬼気迫るものがあった。野党議員からしばしば答弁が長いと批判されたが、「重要なことだから、きちんと説明しないといけないんだ」と怯む様子はなかった。
共産党の大門実紀史参院議員とは3月7日の参院予算委員会終了後、国会内の廊下で小松氏と衆人環視の下で口論となった。「あなたはそんなに偉いのか」と言うと、小松氏は「偉くはないが基本的人権はある」と言い返した。後日、小松氏は大門氏を参院議員会館に訪ねて直接謝罪したが、その場で再び口論となり、けんか別れした。共産党議員が小松氏を「政権の番犬」呼ばわりしたが歯牙にもかけなかった。
解釈見直しに否定的な新聞社の記者が一時職務復帰した今年2月、待ち伏せして病状を聞き出そうとした際には「あなたのところの新聞は人権を重視している新聞でしょう。国家公務員にだって人権があるんです。あなたは惻隠(そくいん)の情という言葉を知っていますか」と語りかけた。
小松氏死去の翌24日、自民、公明両党は「安全保障法制整備に関する与党協議会」の第9回会合を開き、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定の内容について実質的に合意した。政府は27日の次回会合で最終案を提示する。公明党は党内の了承手続きを急ぎ、政府は7月4日までの閣議決定を目指す。
現代の「侍」を見た思いである。