集団的自衛権をめぐる一部新聞の報道は常軌を逸している。ブログ子は60年安保世代で、当時はゼンガクレンのデモ隊の「先頭」ではなくなく「中段」くらいを突っ走っていた。検挙されたこともあるが、「若者を明日にも戦場へ送る」安保条約という全新聞に共通の見出しを信じた。
今その時と同じ見出しが踊る。当時は全メディア揃って煽ったが今回は朝日、毎日、東京、プラス共同通信配下の地方紙くらいで読売、産経は集団ヒステリーには入っていない。 「教え子を戦場に送りたくない」と悩む教師の話をせっせと紹介し、国会前のデモ隊のコメントと写真をことさら悲壮に伝えるそれらの新聞しか読んでない人には、是非この日の記事をスクラップしておいて10年後、20年後に再読されることを勧める。
70年安保の狂騒をみで「少しおかしいぞ」と感じ、さらにその10年後には安保闘争そのものを「バッカじゃなかろか」と総括するに至ったブログ子と同じ虚しさを感じるであろうことを保証する。もっともいまだにわからず、殺し合い殴り合いを演じている中核、革マルの老年闘士もいることはいる。
朝日はデジタル版で午前8時11分、「号外」を出した。そのリードが「他国のために武力行使する集団的自衛権をめぐり、自民、公明両党は1日朝、行使容認で合意した。日本の安全保障政策は大きく転換されることになる」とある。公明党が「行使に二重三重に足かせをかけた」というのに、これである。「日本政治の現状は、権力分立など眼中にないかのようだ。国会も無視したまま、しゃにむに集団的自衛権をめぐる憲法解釈をひっくり返そうとしている。日本のたがを勝手にはずしておいて、この政権がしっぺ返しを食わないとは思えない」(天声人語)。社をあげてのキャンペーンである。
毎日新聞は政治部長名で「現在の政治状況は、時の多数派のトップの意向が政策を左右する傾向にある。しかし、トップの思想信条によって国家の根幹が変更されることまでは、日本社会は決して許容していないと思う」とある。つづけて、衆参両院議員には「選良」としての責務を果たしてほしい。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない━と断定している。
先ごろ従軍慰安婦問題でやっと検証結果がでた。いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」だったにもかかわらず河野洋平官房長官が記者会見で、強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている。つまり、当時の日本政府はトップどころか一官房長官が勝手に事実を曲げていたのである。
韓国では日本が検証結果をだしたことで政府も議会も大騒ぎである。自分たちのボロが出たからだ。日本は正々堂々と事実を押し通せばいいのである。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない」そうだが、公明党一党を納得させるために重箱の隅をつつくような文言の修正を重ねた経緯は、多勢に無勢の逆にしか見えないのだがどうか。
ノーテンキな新聞に欠けているのは軍事知識である。どこの新聞社もしっかりした軍事記者を育ててこなかった。育てようにも手を挙げる記者などいなかった。「税金泥棒」と叫ばれている自衛隊で戦闘機や潜水艦や戦車のことを勉強して世界情勢を展望する者などいるワケがない。だからトンチンカンな平和論がまかり通るのである。
アメリカは世界の警察官をやめようとしている。こういうときいつも国内ではモンロー主義が幅を利かせる。日本に自前で防衛力をつけさせアメリカの安保政策の一翼を担わせようとするだろう。集団的自衛権などよりそちらの方が問題なのだ。いずれにせよ7月1日付けの新聞は取っておいて10年後に彼らの今日の論調を検証しようではないか。腹が捩れるようなものになると思う。