「マッサン」の舞台で過ごした我が青春

NHK連続テレビ小説「マッサン」が好評だという。放送が始まった時には八ケ岳の山の中にいてテレビもない生活だったのでブログ子はご無沙汰したが家族は見ている。目下の話題は登場するセミヌードのポスター「太陽ワイン」のモデルは誰かということで、芸能面には柳ゆり葉というタレントの名前が出ている。劇中劇にわざわざポスターをつくったNHKの熱の入れようがわかる。これはテレビを見ていないブログ子でもわかるが広告史上有名なサントリーの「赤玉ポートワイン」のポスターである。

ドラマの「太陽ワイン」のポスター

ドラマの「太陽ワイン」のポスター


赤玉ポートワインのポスター

赤玉ポートワインのポスター

大正11(1922)年に発売された「赤玉ポートワイン」(壽屋=現サントリー)で日本初のヌードポスターに起用された松島栄美子さん(1983年に90歳で他界)は「赤玉ポートワイン」の宣伝活動のために当時の宣伝部長からポスターモデルを依頼され、覚悟を決めて了承したものの、両肩をあらわにするというセミヌードは当時では衝撃的で、本人は親から勘当された。そのポスターはドイツで開催された世界ポスター展で1位に輝いた。

それはともかく、この番組制作が発表された時から興味を持っていた。というのも、番組の背景である大阪・帝塚山や住吉などを走る路面電車、阪堺線(上町線)も、後年竹鶴政孝が移り住んだ北海道・余市もブログ子の青春時代を過ごした土地なのである。

今年5月14日、このブログで親友4人で呑んだ夜」(http://h-h-a.org/miyazaki/?p=557) という一文を書いた。そのときは川本皓嗣君がオバマ大統領を迎えての宮中晩餐会に招かれて天皇皇后両陛下や大統領と親しく話をしたということや阿部義章君がワシントンから一時帰国したというので集まった。

我が畏友との一夕。 (左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏

我が畏友との一夕。
(左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏


その阿部君が「マッサン」、つまり竹鶴政孝夫妻と大いに関係がある。竹鶴政孝はドラマでは「住吉酒造」となっているが「摂津酒造」の社員であったとき、スコットランドに派遣され、そこでリタ夫人と出会い、結婚して帰国後、大阪・帝塚山に住んだ。ドラマの方は現在、西川きよし演ずる住吉酒造社長とマッサン夫婦のやりとりや泉ピン子の嫁いびりで盛り上がっているのだが、その住吉酒造社長というのが阿部義章君の父親なのである。

ブログ子が小学生の頃よく自宅に遊びに行ったが、「お父さんの牛乳」のキャッチフレーズで日本酒の小瓶がヒットした摂津酒造社長、阿部喜兵衛氏はすでに脳梗塞で寝たきりで、朝食に出されるオートミールをせっせと横取りしてごちそうになった。自宅の直ぐ前が帝塚山学院で件の4人のうち3人がその小・中学部の生徒であった。リタ夫人はここで英語を教えていたようだが、我々の時はすでにいなかった。

上町線で帝塚山から3つほど先の北畠駅に大阪府立住吉高校があり、4人全員がそこの卒業生である。大学は別々になったがブログ子一人は遠く札幌に行った。夏休み大阪の実家に帰るのだが、その間空いた北32条西4丁目の下宿に東大生の川本君と慶応大生の阿部君が転がり込んできて過ごすというパターンが何回か続いた。

竹鶴政孝・リタ夫妻

竹鶴政孝・リタ夫妻

その札幌に滞在中の阿部君が小樽のすぐ近くの余市の竹鶴政孝夫妻を訪ねたそうだ。当人はまだ青白い学生ながら恩人の子息というので歓待され、ウイスキーこそ持たされなかったが、夫妻と役員並んでの見送りを受けて札幌に戻ったと話していた。

余市のそばの銭函(ぜにばこ)は海水浴場で何度か泳いだが、北海道の海水浴というのは砂浜でなくごろごろした石ころの浜辺でせっせと焚き火をしながら泳ぐという珍しい体験をした。同時にこの函館本線は作家、伊藤整が汽車通学した路線で何人かの女性との交際ぶりが作品に出てくる。電車はあっても汽車などなかった大阪育ちにはあこがれの汽車通学であった。ポプラ並木そばの北大馬術部で件の4人も遊んだのだが、この大学構内にはSLの引込線があって石炭を運び込んでいたものである。ドラマを垣間見ながら青春の思い出に浸っている、後期高齢者である。

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