ノーベル物理学賞の受賞が決まり文化勲章を受章した半導体工学の中村修二さん=米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授=が3日、東京都内で会見し、巨額の特許訴訟で対立した元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に仲直りを呼び掛けた。
中村さんは昭和54年に日亜に入社し、平成5年に青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功。だが、退職し渡米した12年以降、数百億円に上る発明対価をめぐって同社と訴訟合戦となり、「言い争うばかりの最悪の関係」(中村さん)になった。
中村さんはノーベル賞受賞を契機に「青色LED開発は日亜の貢献が大きく、製品を社会に浸透させたのは日亜の小川英治社長の力だった」と考え直し、関係を改善したいと思うようになったという。そして、青色LED開発に取り組むのを最初に認めてくれた同社の小川信雄元社長(故人)の娘婿で、青色LEDを製品化した小川英治現社長や、一緒に開発した同僚6人の貢献を指摘。「ノーベル賞も文化勲章も日亜の貢献が大きい。人生短いから、けんかしたまま死にたくない」と現在の心境を語り、裁判の時以来、会っていない小川英治社長に対し「お互い誤解があった。本音で話せば仲直りできる」と面会を呼びかけた。(4日付、産経、読売など)
当ブログはじめ、ネットでは「銭ゲバノーベル賞受賞者」と、このところ批判の的になっていた中村教授だから、喧嘩の幕引きを計ろうという行動は結構で、一日でも早く両者の握手の場面を見たいものだと思う。
しかし、社員が仕事で行った発明(職務発明)の特許権を「会社のもの」にする特許法改正の動きに、自身の経験から「猛反対」と新聞各紙に登場しては口角泡を飛ばしてまくしたて、「ノーベル賞を受賞できたのは日亜化学への恨みがばねになった」と平然と語っていたのはわずか1週間前である。この「豹変」はどう見ればよいのか。1週間で「大人」になった理由を知りたいものだ。「人生短いから、けんかしたまま死にたくない」くらいは誰にでもわかる自明の話だ。
それにこの喧嘩、すべて中村教授の方から仕掛けたものである。訴訟でも8億円という十分な対価も得ている。「仲直りしたい」のならば、まず中村教授の方から先に謝罪すべきであろう。さんざ罵倒した挙句、もらうものをもらって「喧嘩したまま死にたくない」では日亜化学工業が可哀想すぎるというものである。
仲直り申し入れに対し日亜は4日コメントを発表した。「弊社に対する深い感謝を公の場で述べておられ、それで十分」などとしたうえで、中村教授は日亜の小川英治社長との面会も希望しているが、「貴重な時間をあいさつなどに費やすことなく。賞に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」と結んでいる。そりゃそうだろうな、と思わせる「大人の対応」である。