『人を外見で判断してはいけない』はウソである

『人を外見で判断してはいけない』とはよく言われる言葉である。また子どもにはそう教えてきた。これは、なにも日本だけではなく、欧米でもそうで英語では同じことを「Don’t judge a book by its cover.」(本の内容を表紙で判断してはいけない)という。最近では、といっても6月だが、ロシアの公共広告が話題になった。

恐ろしいのは実はこちら・・・というロシアの公共広告

恐ろしいのは実はこちら・・・というロシアの公共広告


ずばり同じ文言で『人を外見で判断してはいけない』と地下鉄、盛り場などに貼りだされたポスターだ。優しそうな女の子が実は斧を隠し持っているという図である。時あたかもクリミアのロシア編入、ウクライナ東部での政府軍と親ロシア派の戦闘のさなかで、EUの甘い言葉には毒があるとでも言いたかったのかもしれない。

中国と日本では「貌(かお)をもって人を取る」という。 「史記」仲尼弟子列伝にある。孔子の弟子に、字(あざな)を子羽、本名澹台滅明という人物がいた。顔つきはまことにひどいもので、孔子は弟子にするのに二の足を踏んだほどだったが、学を積んで仕官したところ、謹直な態度で行政に当たり、「行くに径に由らず」(道を歩くのにも公道を通り、横道へは行かない)とまで評され、名声に諸侯から引く手あまたの人物になった。

孔子はこれをみて、「吾、貌を以って人を取りて、これを子羽に失えり」つまり、「私は顔つきから人物判断して、人を見そこなうという失敗をおかし、子羽を見誤った」と嘆息した故事から来ている。

誠にその通りであるが、現実はどうか。多くの人は他人を顔つきや態度、つまり人品骨柄で判断している。「四十過ぎたら己の顔に責任を持て」といわれるくらいである。警察学校でまず新人に教えるのは職務質問のやり方で、「目に落ち着きがなくキョロキョロしている」とか、服装が汚れているとか、挙動不審者の見分け方がたたき込まれる。

社会部時代、自分の取材管轄だった大阪・堺の刑務所長と親しかった。あんたが結婚するときは家具から靴まですべて刑務所製で揃えてやると言われその気になったが、遠く東京に転勤して沙汰止みになった。その所長が街を歩いて前科者かどうかたいていはわかると豪語していた。その見分け方の一つとして受刑者の30%は知能指数に問題があり、そのあたりで見当をつけるというので、そういう人に刑を科す意味があるのかと問うたことがある。

中勝美容疑者

中勝美容疑者

長々と、外見で人を判断する、しないのことを書いたのは、5日、大阪市北区で女性を刺したとして、殺人未遂容疑で、舞鶴高1女子殺害事件で逮捕・起訴されたものの無罪判決が確定した無職、中勝美元被告(66)が現行犯逮捕されたからである。

5日午前8時40分ごろ、大阪市北区兎我野町の雑居ビルで女性(38)を刺したとしている。府警曽根崎署(通称「ねそ」といいここもブログ子の担当だった)によると、女性は顔や胸、背中など約10カ所を刺されていた。中容疑者は「ママの上半身を数回ナイフで刺したが正当防衛だ」と供述しているという。

中容疑者は京都府舞鶴市で平成20年5月、府立高校1年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件で殺人罪などに問われたが、今年7月に無罪が確定している。昨年5月には、大阪市西成区のコンビニで雑誌を万引したとして窃盗容疑で逮捕され、大阪地裁で同8月、懲役1年2月の実刑判決を言い渡されていた。

刑務所から出て来るとき看守に丁寧に挨拶しているテレビ画面を見た。前科何犯という猛者などに共通した「従順」さの反面、家に近づいた新聞記者に怒鳴り散らし恫喝する場面を見てかなり塀の中に慣れていると思えたが、女子生徒にまつわりついているビデオがあるのになぜ証拠採用されなかったのか不思議であった。手練(てだれ)の者には裁判官などころっと騙されるものである。あの時の刑務所長なら、「人は見かけどうりのものよ」と言うかもしれない。

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