筋金入りフリー記者に「出ていけ!」と切れた復興相

「出ていけ」の瞬間

「出ていけ」の瞬間

今村雅弘復興相が4日午前の記者会見で、フリーランスの男性記者の質問に激高し、会見室から「出て行きなさい!」「もう二度と来ないでください!」と声を荒らげる場面があった。

男性記者は、東京電力福島第1原発事故による自主避難者への住宅の無償提供が3月末で打ち切られたことに関して質問。福島県に帰るに帰れない人がいるとして「大臣は福島県の実情をご存じない」「国が責任を取るべきではないか」と追及した。

これに対し、初めは落ち着いて対応していた今村氏だったが、「責任を持って回答してください」と重ねて質問されるとスイッチが入り、「責任を持ってやっている。君はなんて無礼なことを言うんだ。撤回しなさい!」と怒りを爆発させた。

今村氏はその後冷静さを取り戻し、同日夕に復興庁で記者団に陳謝。「ちょっと感情的になってしまった。改めておわびを申し上げ、今後はこういうことがないよう冷静、適切に対応していきたい」と語った。(産経新聞)
ビデオを見ると「出ていきなさい」と言われたフリー記者は「出ていきません」と抵抗しているが、会話を見ると、記者会見での質問というより、糾弾である。ネットを見ると案の定、コテコテの左巻きである。自分でビデオを配りまわったり、これ幸いと大臣のクビを取るべく政治問題化しようとしているし自分の名前を売り込んだりしているので名前を出されるのも計算づくだと思うので出すが、西中誠一郎氏という。

本人がツイッターに書いている活動報告を見るといやはや。

「出ていきません」と抵抗した西中誠一郎氏

「出ていきません」と抵抗した西中誠一郎氏

「入管難民、歴史認識、植民地問題、朝鮮学校、在日外国人コミュニティ、先住民族の権利、原発、監視管理社会化等を取材しているフリー記者、ビデオ制作してます。学生時代はOBOE吹き。「ヘッダーの絵は敬愛する曺良奎(チョリャンギュ)「マンホールC」(1959年).、今年は「敗戦70年」「日韓基本協定50年」。気合い入れ直します! 」と自己紹介。

 

原発事故被害者の権利救済を!再稼働、原発輸出反対!憲法改悪、歴史改ざん、「愛国心」の押しつけするな!人権が尊重される生きやすい社会の実現を!。旧「高校無償化法から、朝鮮高校の生徒を適用除外するのは違法だ。書いたものには「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から93年――国家責任を問い続ける人々」など

それにしても復興大臣というのは今や「盲腸」のような存在で、今村大臣という名前も今回初めて知った。もともと民主党時代、東日本大震災の発生後に置かれたもの。初めからケチがつき通しで、初代の松本龍が村井嘉浩宮城県知事が出迎えなかったことにブチギレ、
「お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ」と恫喝、居合わせたメディアに「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん、いいですか、『書いたらもうその社は終わり』だから。」 とやって1週間で辞表を出した。水平社の松本治一郎の孫で部落解放同盟のドンで、日ごろの糾弾での口調がそのまま地で出たと陰口をたたかれた。

政権が変わったとき廃止すればよかったが、大臣待望組の処遇によいのでそのまま置いといたような出自からして「盲腸」官庁である。それにしても記者クラブにフリーランスの人間を入れているのも民主党時代を引き継いだものだろう。多くの官庁では内閣記者会など日本記者クラブ加盟社でがっちり固められていて、記者会見かアジテーターかわからないような記者はいないのだが・・・

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