八田與一を知っているか

頭部が切られた八田與一像(台南市政府警察局麻豆分局提供)

頭部が切られた八田與一像(台南市政府警察局麻豆分局提供)

 【台北=田中靖人】台湾南部・台南市の烏山頭ダムで16日早朝、日本統治時代に同ダムの建設を指導した日本人技師、八田與一の銅像の頭部が切られているのをダム関係者が発見、警察に通報した。複数の台湾メディアが伝えた。八田の功績は台湾の民主化以降、日台の絆の象徴とされており、ダムには日本人観光客も訪れる。

台南市の警察当局によると、頭部は持ち去られたとみられる。台南市の頼清徳市長は、迅速な捜査と像の修復を指示した。

八田は1920(大正9)年から10年かけて同ダムを完成させ、嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯に変えた。同所では毎年5月8日の命日に慰霊際が開かれている。八田の功績は李登輝総統時代に再評価が始まり、2007年には陳水扁総統が褒章を授与、馬英九総統も就任前の08年の慰霊際に出席している。(産経新聞)

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同じくかつて日本が併合した歴史をもつ朝鮮と台湾が、今「反日」と「親日」の両極にある。何故か?と問われたとき、「八田與一」の名を挙げるのが一番わかりやすい。

嘉南の人たちから「神」と慕われる八田與一の以前の像

嘉南の人たちから「神」と慕われる八田與一の以前の像

サイトの亭主はその名を知らなかった。15年前、当時「台湾前総統」の李登輝氏が79歳の高齢を押して来日し慶応大学で講演する予定だったが、中国の激しい攻撃にさらされた。「一つの中国」を振りかざして攻める中国に阿(おもね)った日本政府、外務省の苦衷を斟酌して来日を取りやめたことがあった。この講演用原稿を産経の河崎真澄・台北特派員(当時)が手に入れて平成14年11月19日の朝刊に掲載された。

「日本人の精神」と題したその講演草稿は、戦前の台湾で農業近代化に向けた水利事業に生涯を尽くした日本人技師、故・八田與一の事績を引いて、説き進められていた。

感動した。ベッドに居住まいを正して涙が出た。これは多くの人に読ませたい、読ませなければならないと思った。

すぐに自分のホームページに一章を設け「李登輝氏 慶大講演原稿全文」として全文を掲載したので、一読願いたい。

今回の犯行は何処の国にもいる政治的不満分子の仕業であろう。台湾の歴史は複雑である。北京の故宮博物館の大半の財宝とともに台湾に逃れた蒋介石・国民党一派の「外省人」と元々の台湾人の「内省人」の対立。全人口の1割の「外省人」が政財界を牛耳ることへの反発は大きい。

加えて国民党内の分派もあった。前述の李登輝氏は国民党の総統だったが、同じ党ながら大陸(中共政権)にすり寄る馬英九総統が登場した。結局、中国との関係において、一貫して「対中融和」と経済関係の強化を唱えてきた馬政権の路線に、有権者が待ったをかけ、2016年の総統選では野党、民進党の蔡英文氏が初の女性総統となり、台湾の新しい歴史の幕開けとなった。

蔡英文総統は親日を掲げていて、北京が気に入らない政策をつぎつぎ実現させているのに対し、没落した国民党の現状を招いた「筆頭戦犯は馬英九」と断罪されている。

組織的犯行なら犯人にたどり着くのは難しいかもしれない。しかし荒れ果てた嘉南平原を大和魂で見事に緑の穀倉地帯に変え、台湾の人たちから「神様」と讃えられている八田與一の偉業はこんなことではくじかれないだろう。付け加えたいことがある。八田與一の乗る船が撃沈されたと聞いた夫人は、夫が心血を注いだ烏山頭ダムに身を投げた。だから夫妻の墓が並んでいる。
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元台北市議の男が犯行自供
【台北=田中靖人】台湾南部・台南市で日本統治時代の技師、八田與一像の頭部が切り取られた事件で、台湾と中国の統一を主張する元台北市議の男が17日、交流サイト上で犯行を自供、警察に出頭した。

 男はフェイスブックで「自分がやった」と公表した上で、台北市内の警察署に出頭。当局は共犯とみられる女とともに身柄を台南に移して事情を聴いた。

 男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。 男は自身を日本統治時代の義賊になぞらえる発言も投稿。像の頭部を指すとみられる「八田さん」を、中華統一促進党の「党本部に届ける」などとする記載もあった。

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