渡辺喜美の引退に思う

無所属で参院議員の渡辺喜美元行政改革担当相(70)は参院選に立候補せず政界を引退する意向を明らかにした。所属していた日本維新の会を2017年に除名され無所属となったため、政治団体を結成して比例代表で立候補する道を探ったが、断念した。自身のフェイスブック(FB)で公表した。(新聞各紙)

この記事を読んで、数十年前になるが一枚の写真を思い出した。彼の父親、渡辺美智雄を取材したことがあった。「ミッチー」の愛称と栃木なまりのズーズー弁で庶民派標榜した人で、多分政局の話だったと思うが、終わったあとウチで飯でも食べないか、と誘われた。この人の自炊は有名で他の記者も大勢誘われたことがあるはずだが、議員のクルマを赤坂見附で捨てて、角の魚屋でサンマかイワシか買い込んで一ツ木通りを話しながら歩いて、赤坂の議員宿舎の一室にたどり着いた。

写真というのはそのとき同行したカメラマンが撮ったもので、魚を焼く議員とそれを見ているブログ子の奥に、今と全く同じ顔で勉強机でニコニコしている渡辺喜美受験生である。多分浪人でもしていて栃木から上京、親父さんの宿舎で予備校にでも通っていたのだと思う。押し入れを探せばこの一葉は出てくるだろうが、これほど若いときの顔と今が変わらない人も珍しい。

親父さんの秘書をつとめ、ミッチーが通商産業大臣、外務大臣に就任した際はそれぞれ政務秘書官に就任。1995年9月、父の死後地盤を継承し、1996年の第41回衆議院議員総選挙に栃木3区から自由民主党公認で出馬、その後も圧勝を続け第1次安倍内閣などで行革相を務めたまでは順調だったが、後が続かなかった。

2008年12月24日、民主党提出の首相・麻生太郎に対する衆議院の解散総選挙を要求する決議案に与党議員でただ1人賛成し、自民党から戒告処分を受ける。その後も麻生内閣や党執行部への批判を繰り返し、自民党離党。放り出されたという方があたっていよう。

みんなの党を結党。無所属の江田憲司や民主党を離党した浅尾慶一郎ら国会議員5名を集めて政党要件を満たし、そこそこ活動したものの、後は尻つぼみ。とどめは2010年参院選と2012年衆院選の直前に、化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から計8億円を借り入れ、5億円超が現在も返済されていないとする吉田の手記が週刊新潮に掲載され、みんなの党の代表の辞任を余儀なくされ、ついには解党に至る。

2016年、おおさか維新の会(現・日本維新の会)へ入党し、7月10日、参議院議員として初当選し、副代表に就任したが、翌年の東京都議会議員選挙で、渡辺は音喜多駿らみんなの党出身の都民ファーストの会の候補者3名を応援する意向を示したため除名処分を受けた。今回、改選を迎えたが新党結成の目も見えず断念せざるを得なかった。

政界では大事な物「三バン」という。地盤(後援会組織)、看板(名前)、鞄(金)である。みな揃っていたが三番目のカバンで政治生命を失った。

あの一葉の写真に収まった人懐かしそうな笑顔の親子を思い出している。

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