カーター元米大統領死去。ブログ子が指しで会話した思い出

米国のジミー・カーター元大統領が29日、ジョージア州の自宅で家族に見守られながら亡くなった。100歳は大統領経験者として史上最高齢だった。

バイデン大統領が「言葉ではなく、行動で評価される人生を送った」と、国葬で送るというのは、同じ民主党だから当然として、 何事も人を貶すトランプ次期大統領が、「哲学的にも政治的にも全く意見が合わなかったが、彼が国を愛し、敬意を払っていることも知っていた。米国をより良い地にするために懸命に取り組み、そのことに最高の敬意を表する」と述べるほど惜しまれての他界は珍しい。

カーター氏は77~81年の在任中、冷戦中だったソ連との緊張緩和に努めたほか、退任後も世界各地で紛争調停などに取り組み、2002年にノーベル平和賞を受賞した。ブログ子は、自分のホームページで「ノーベル平和賞と文学賞はいらない」と書いているほど、平和賞の価値を認めないが、カーター氏だけは別である

ジョージア州知事を経て、1976年の大統領選で民主党候補として勝利した。並みの大統領と見られていたが、「人権外交」を掲げ、78年9月、エジプトとイスラエルの両首脳を大統領山荘キャンプ・デービッドに招き、和平協定「キャンプ・デービッド合意」を仲介し、歴史的な成果を上げた。

 また、ソ連との核軍縮にも力を入れ、79年6月にはソ連の指導者ブレジネフ共産党書記長との間で、戦略兵器の運搬手段総数を米ソ対等にするなどとした第2次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印した。在任中には中国との国交正常化も実現させた。

 79年に起きたイラン革命後の米大使館人質事件では、イランと国交断絶したうえで人質救出作戦を決行したが、失敗に終わり批判を浴び再選を目指した80年大統領選で共和党のロナルド・レーガンに敗れた。

退任後はカーター・センターを設立し、精力的な活動でアフリカやアジア、中東、中米など世界各地で民主主義の推進や紛争調停に尽力した。84年には米大統領経験者として初めて被爆地・広島を訪問し、広島平和記念資料館を見学した。94年には北朝鮮が核開発を加速させ、米韓との対立が高まる中で平壌を訪問。当時の最高指導者だった 金日成キムイルソン 主席と直接交渉の末、危機を回避した。立派なものである。

私はカーターさんと立ち話ながら一言二言談笑して握手したことがある。 彼が引退した直後、アメリカ南部、ジョージア州の州都アトランタでのことだった。といっても政治的な話や取材の上でといったことではない。 「あなたの大事な美女をお借りしますよ」(カーター)「日本からのプレゼントです」(私)というやりとりをした。 思わせぶりにみえるがこういうことだ。 

アトランタは①映画「風と共に去りぬ」の舞台であり、作者マーガレット・ミッチェルの誕生の地。 ②郊外の花崗岩の崖に大統領など南北戦争の英雄が彫られたレリーフがある。③コカコーラの発祥の地。 この三つがすべてで、あとなにもないところだ。マスコミに身を置いていたら忘れてはならない、 世界最大のテレビネットワーク、CNNの本社もあるではないかといわれそうだが、知ったのは帰国した後の話である。 私はその夏、取材に訪れていた。

映画にちなんで、毎年「ミス・スカーレット・オハラ」コンテストが開かれていると聞いて、その年選ばれた美女とホテルのロビーで会っていた。彼女はこのあとの撮影用に、ヴィヴィアン・リーが 映画から抜け出たような、大きな裾のドレスを着ていた。

一方、アメリカの大統領は引退すると郷里にその名前を冠した図書館をつくるのが恒例だという。そのオープニングのためにやってきたカーターさん一行と私が同じホテルだった。リムジンが何台も並び大勢のシークレットサービス に取り囲まれてエレベーターから降りてきたところで、私と”デート”している派手な美女が目に付いた。同行しているカメラマンへのサービスで、(私抜きで)美女と前大統領が並んだ何枚かの写真を撮ったときの会話が上のやり取りである。

ついでにいうと、彼女と撮影がてら訪れたジョージア州で1番人気の観光名所、ストーンマウンテン・パークで南北戦争以前のログハウスを見たのが、八ケ岳に山小舎を建てた時、ログハウスにこだわる理由になった。大昔の建て物なのにまだ人が住めるほどだった。この経験から、八ケ岳の風雪に耐えられるのはログハウスしかないと直感した。大正解で、周りの 山荘はリニューアルなどかなりの手入れ工事 をしている中で、37年たったいまにいたるも大工がはいったことがない。

 カーター氏は2015年8月に肝臓がんの摘出手術を受けた後、がんが脳に転移していることが判明し、入退院を繰り返していた。23年2月には余命を家族と過ごすとして、自宅でのホスピスケアに移行することを公表していた。

ブログ子もその肝臓の隣の膵臓がんの切除手術を受けた。「3年生存率18・8%」と言われてたが、この12月で生存5年目になる。カーターさんの100歳までは数年あり、とても無理だが、なんだか近しい人が亡くなった思いである。

皆さん、よいお年を!!

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