今や、「週刊文春」の取材力は新聞を上回った

東京女子医科大学の女帝として長年、私腹を肥やしてきた、岩本絹子元理事長(77)がついに逮捕された。


この事件を最初にえぐり出したのは「週刊文春」である。スクープは2022年4月に始まり足掛け3年にわたる。この間、大手新聞社で追随したところは一社もない。社会部の取材力が圧倒的に落魄していることを実感している。

東京女子医大の名前に接するのは、昨年末、ここの卒業生である東京美容外科の女性医師がグアムでの解剖研修に際し、献体の前で「イエーイ!」と記念写真をSNSに挙げて非難されで以来である。このブログでも「医道 地に堕つ」とのタイトルで書いたばかりだが、ブログ子は3年前から、東京女子医大関係の裏表に関したを記事を保存して、事件の経過には注目してきた。

個人的には先輩記者が遺言でこの女子医大に献体していたことや、岩本理事長の出自が、ブログ子の本籍地である佐賀県唐津市であることも注目した理由である。

ブログ子が現役記者のころ「東京女子医大にこの人あり」、といわれた心臓外科の世界的権威として知られた榊原仟(しげる)氏の見解を何度か取材していたこともある。1968(昭和43)年 札幌医科大の和田寿郎教授が日本初の心臓移植手術をした。ドナーは、海で溺れた当時21歳の男子大学生だが、移植をめぐり、脳死判定や移植の緊急性などで疑惑が浮上し、和田教授は殺人罪などで札幌地検に告発された一件である。このため日本の移植手術は大きく出遅れたとされる。

そんなことで大量の東京女子医大の”女帝”の「切り抜き」があるのだが、読んでみると、裏付けと言い、事件のキーパーソンへの食いつきといい、文句のつけようがない完璧さなのだ。

「納戸にあった大きなスーツケースを開けたら帯封付きの札束があふれ出てきた。総額は1億5000万円。その横には金塊2キロが積み上げられていて、部屋の中はブランド品が山のようにあったのです」(捜査関係者)

その守銭奴ぶりがわかるが、彼女が私腹を肥やした金額は、こんなものではない。現在表に出ているのはまだ1億3000万円だが、それどころか数億円以上になることや、ほかの余罪が続々と出てくることは間違いない。警視庁の調べは週刊文春の完璧な取材の「後追い」になるのだろう。

そんな週刊文春の取材力を育てたのは産経新聞社会部だという。文芸春秋に40年間勤務した木俣正剛氏(現:岐阜女子大の副学長)が述懐している。

「入社した当時(1978年)の『週刊文春』は、取材力も人脈もない情けない雑誌でした。警察官にも検察官にも政治家にも直接取材ができる記者などいなくて、何か事件があると担当の新聞記者に聞いて回ります。、当時の世相は物騒でした。1974年8月30日に三菱重工爆破事件が起きました。死者8人、重軽傷者376人。この事件を完全スクープしたのが産経新聞キャップの福井惇さん(その後社会部長)です」

「特に文春編集部が頼ったのが福井社会部長でした。福井氏は、週刊誌だからと小馬鹿にしない優しい人でした。電話でお願いすると、すぐに隣にある別の電話で、その事件の担当記者を呼び出し、「俺のダチ公がよう、文春にいて、あの事件取材して困ってるんだ。手伝ってやってくれ」と、いつもの低音のかすれ声で電話してくれるのです。どれだけ助かったことか」

福井惇さんの持論は「これからはテレビの時代になるだろうが、少なくともスクープだけは新聞は負けない。新聞の未来はスクープにかかっている」というものでした。

ブログ子は福井さんが警視庁キャップの時から、のち大学教授になってからも呑み屋からいろんなパーティーまで親しく付き合ったから、その通りの人柄であることは保証する。最後に会ったのは2014年1月の彼の弟子筋の記者の葬式だったが、その10か月後福井さんも旅立った。

福井さんは「スクープだけは新聞は負けない」と言ったそうだが、残念ながら今や、新聞は週刊文春に負けている。忸怩たる思いだ。

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