映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため死去していたことが1日、分かった。30日に福岡・太宰府天満宮で家族葬が行われた。
NHKニュースを聞いていたら「高倉健さんに続いてまた一人名優が亡くなりました」といっていた。名優ねえ、有名俳優ではあるがちょっと違うのではないか、と違和感があった。亡くなれば盛大にまつりあげるものではあるが、彼の場合「映画は虚業よ、それにくらべ農業はれっきとした実業でしょう」と語るのを聞いたことがあり、晩年に農業や反原発、戦争反対と社会運動に力を入れていたからそちらの方にスポットを当ててくれた方が良かった。
それより28日都内で亡くなって福岡・太宰府天満宮で家族葬が行われたというくだりに、なんでまたそんな遠くでと思った人が多かったのではないか。でもどこの新聞もそのことに触れたものはなく、不思議であった。
実は菅原文太がブログ子がいると同じ野辺山の八ケ岳・横岳のふもと「八ケ岳高原海の口自然郷」に山荘を持っていることを知っていた。すぐ近くが彼が農業法人をつくり若人に農業の実践活動を行っている山梨県・北杜市で、そのせいでここを購入したのだと思うのだが、いわば隣人である。さらに親近感を持ったのは、ここの行政があまりに無能で、やたら別荘族を敵視するものだから、「仁義なき戦い」のシーンさながらに単身、南牧村村長室に乗り込み啖呵を切って帰ったという話を伝聞で知りますます好感を持った。伝聞と言っても当の村長から聞いたから確かであろう。
つまり八ケ岳山麓にいたはずのナイスガイが東京で亡くなって、なんでまた福岡・太宰府天満宮で葬儀なのかがわからなかった。どこも書いてなかったがただひとつデイリースポーツ紙がちゃんと書いてくれていた。
「夫人の文子さんとともに山梨県内で農業を営み、社会活動にも取り組んできたが、最近は福岡県福岡市内に住んでいた」という。そこから大宰府はすぐ近くである。さらに2日の読売新聞に「葬儀は11月30日、太宰府天満宮付属祖霊殿(福岡県太宰府市)で行われた。天満宮によると、祖霊殿の納骨堂には、菅原さんの意向で、01年に亡くなった長男の遺骨が納められている。関係者によると、葬儀には家族や友人らが参列した」という。彼は神道に帰依していたのである、そして不慮の死を遂げた息子のそばに帰った。謎が解けてみるとなんともいい話だった。
仙台出身で東日本大震災に心を痛め、12年に「今の時代に劇映画はどうかなと思う」と俳優活動を控える意向を示した。時期を同じくして社会的活動や発言も目立ち始めた。09年から山梨県で農業に参入し、農業生産法人「竜土自然農園 おひさまの里」を設立して有機農業を推進。12年に俳優から事実上の引退を宣言、国民運動グループ「いのちの党」を結成。原発や特定秘密保護法案に反対する活動にも取り組んでいた。
晩年に、俳優という虚業から身を引いてからの活動の方が颯爽としていた人なのである。「昭和を彩った日本を代表する映画スターの1人。高倉さんに続く巨星の訃報に悲しみが広がった」と書いたスポーツ紙の方が、「名優」に仕立てたNHKより的を射ていると思った。