オバマ氏に謝罪求めぬ日本、塩野七生氏が「大変良い」

さすが歴史家、卓見を語る塩野七生さん

さすが歴史家、卓見を語る塩野七生さん

オバマ米大統領の広島訪問が近づくなか、朝日新聞記者がてっきり「謝罪を求めないなんて、日本はだらしない」と語ると思って、ローマにいる作家の塩野七生さんに電話インタビューした。帰ってきた答えは「日本が謝罪を求めないのは大変に良い」という意外なもの。ブログ子も彼女の著作、「ローマ人の物語」6巻全部を読んだが、さすが歴史家、鋭い見方をするものだ。25日の朝日のその記事(電子版)。

 

「特に、日本側が『謝罪を求めない』といっているのが、大変に良い」

――どうしてですか。

「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです」

「『米国大統領の広島訪問』だけなら、野球でいえばヒットにすぎません。そこで『謝罪を求めない』とした一事にこそ、ヒットを我が日本の得点に結びつける鍵があります。しかも、それは日本政府、マスコミ、日本人全体、そして誰よりも、広島の市民全員にかかっているんですよ」

「『求めない』と決めたのは安倍晋三首相でしょうが、リーダーの必要条件には、部下の進言も良しと思えばいれるという能力がある。誰かが進言したのだと思います。その誰かに、次に帰国した時に会ってみたいとさえ思う。だって、『逆転の発想』などという悪賢い人にしかできない考え方をする人間が日本にもいた、というだけでもうれしいではないですか」

――悪賢い、とは。

「歴史を一望すれば、善意のみで突っ走った人よりも、悪賢く立ちまわった人物のほうが、結局は人間世界にとって良い結果をもたらしたという例は枚挙にいとまがありません。例えば、執筆中の古代ギリシャでいえば、『トロイの木馬』を考えたオデュッセウスがその1人です。兵を潜めた巨大な木馬を作って敵の城内に送り込み、10年間もケリがつかなかった戦争を勝利に導いたのですから」

――米国の現職大統領が、かつて自分と同じ職だった者が原爆投下を命じた地を訪れる、その意味をどう見ますか。

「広島を息子に見せる目的で、一緒に訪れたことがあります。息子はイタリア人です。原爆を投下した国の、アメリカの人間ではありません。でも、原爆ドームを見、平和記念資料館の展示をすみずみまで見、原爆死没者慰霊碑の前に立っている間、彼は一言も発しなかった。その後も感想らしきことは一言も言いません。簡単には口にできない重さに圧倒されていたのでしょう」

「あの日、私も考えました。原爆の犠牲者たちは、70年後を生きるわれわれに、ほんとうは何を求めているのだろうか、と。もしかしたら、通りいっぺんの謝罪よりも、安易な同情よりも、被爆地を自らの足を使ってまわり、一人一人が感じ、その誰もが自分の頭で考えてくれることのほうを望んでいるのではないか」

「オバマ大統領だけでなくサミット参加各国のトップたちが広島を訪問したら、それはアメリカ人だけではなく世界中の人びとに、それをさせる素晴らしいきっかけになりうるんですよ」

――ヨーロッパ諸国から「あれだけの惨苦を受けながら、ものわかりの良すぎる国だ」と思われるような心配はありませんか。

「少し前に、アジアの二つの強国のトップが、相前後してヨーロッパ諸国を歴訪したことがありました。その際にこのお二人は、訪問先の国々でまるで決まったように、日本は過去に悪事を働いただけでなく謝罪もしないのだ、と非難してまわったのです」

「ところがその成果はと言えば、迎えた側の政府は礼儀は守りながらも実際上は聞き流しただけ。マスコミに至っては、それこそ『スルー』で終始したのです」

――そうですか……。

「当然ですよね。ヨーロッパは旧植民地帝国の集まりみたいなようなものだから、日本の優に十倍の年月にわたって、旧植民地に言わせれば、悪事を働きつづけた歴史を持っているのです。それでいて、謝罪すべきだなどとは誰も考えない」

「そういう国々を歴訪しながら『日本は悪いことをしていながら謝罪もしないんです』と訴えて、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが」

――厳しいですね。その2国には、言わずにはいられない思いがあるからでは。

「だからこそ、日本が原爆投下への謝罪は求めない、としたことの意味は大きいのです。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれません」

――日本は今回、どうすれば良いと思いますか。

「ただ静かに、無言のうちに迎えることです。大統領には、頭を下げることさえも求めず。そしてその後も、静かに無言で送り出すことです」

「原爆を投下した国の大統領が、70年後とはいえ、広島に来ると決めたのですよ。当日はデモや集会などはいっさいやめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい」

「われわれ日本人は、深い哀(かな)しみで胸はいっぱいでも、それは抑えて客人に対するのを知っているはずではないですか。泣き叫ぶよりも無言で静かにふるまう方が、その人の品格を示すことになるのです。星条旗を振りながら歓声をあげて迎えるのは、子どもたちにまかせましょう」

「それから、もしも私が日本の新聞の編集の最高責任者だったら、当日の紙面づくりを他の日とは一変させますね」

――え? どういうふうに。

「オバマ大統領の広島訪問を伝える日の1面には、カメラマンたちが写してきた多数の写真の中から、1枚だけを選んで載せる。『無言で立ち尽くす米国大統領オバマ』、だけにします。頭を下げる姿の大統領は(もし、そうしたとしても)絶対に載せない。なぜなら、自分の国の大統領のこの振る舞いに釈然としないアメリカ人もいるに違いないので。その人たちに『日本だって真珠湾を攻撃したではないか』などと文句をつける言質を与えないためです」

「その日だけは、記事は大統領の行程を記すだけにとどめて、余計な記事はいっさい排除する。もちろん、社説に至ってはお休みにしていただく。その他のページに載せる写真の説明も、極力抑えた簡単なものにする」

――でも、日本がオバマ大統領の広島訪問をどう受け止めたか、きちんと言葉にして米国にはもちろん、世界に発することが大事だと、私は考えます。

「新聞記者とて、ときには多言よりも無言のほうが多くを語る、という人間世界の真実を思い起こしてほしいんですね」

――それで伝わりますか。

「伝わる人には伝わります」

「ここイタリアでも、原爆投下の日には、テレビは特別番組を放送します。毎年ですよ。あれから70年が過ぎても、犠牲の大きさに心を痛めている人が少なくないことの証しです。心を痛めている人は、アメリカにも多いに違いありません」

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謝罪を求めるばかりの翁長知事は塩野さんの爪の垢でも飲んだら・・

謝罪を求めるばかりの翁長知事は塩野さんの爪の垢でも飲んだら・・

23日午前、沖縄県の翁長雄志知事と首相官邸で安倍晋三首相と会談した。同県うるま市の女性会社員の遺体を遺棄したとして米軍属の男が逮捕された事件を巡り、オバマ大統領に会わせろと強く申し入れたそうだ。外交は国の仕事であることを無視して勝手にアメリカに乗り込み、誰も取り合わないなか、やっと4人の下院議員に面会できたと新聞記事にあった。

そんなに外交がやりたければ自分で面談を申し入れたらどうか。「米軍基地があるが故の犯罪」として謝罪を強要する人間に誰が会ううものか。

沖縄独立運動に血道を上げ、煽りたてている「沖縄タイムス」と「琉球新報」、それに翁長知事は、唯一の味方である朝日新聞に載ったこの記事を熟読することを勧める。

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