またも負けたか八連隊…非常戒厳令で露呈した「弱い韓国軍」

ブログ子は戦後育ちだが「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(くれんたい)」という悪ガキが使う悪態を知っている。陸軍第8連隊は大阪、第9連隊は京都に連隊本部があって、ともに連戦連敗の弱い兵隊という意味である。実際はそうでもなかったらしいが、大阪の商人気質と京都人の「いけず」文化を揶揄して言い得ている。

なぜこんな古いことを思い出したかというと、今回の尹錫悦大統領の非常戒厳で投入された韓国軍の行動をみてのことだ。先の朝鮮戦争では韓国軍は前線でろくに戦いもせず、あっという間に朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められた。次に有事があれば、また同じことになるに違いないと確信した。

今回、出動命令を受けたのは、陸軍特殊戦司令部隷下の第707特殊任務団、第1空輸特殊戦旅団、首都防衛司令部隷下の軍事警察任務隊など約300人。北朝鮮の情報収集を担当する国軍情報司令部の要員も含まれていた。投入された第707特殊任務団は米軍特殊部隊の「デルタフォース」に相当する精鋭部隊だ。斬首作戦が発動されると、北朝鮮に侵入して金正恩を暗殺する任務が与えられているといわれる。

尹大統領が12日の談話で、「死傷者が出ないように安全と事故防止に万全を期すよう、兵士ではなく下士官以上の精鋭だけを移動した」と述べたように、韓国軍最強の部隊編成だった。

最高指揮官である大統領が出した特別戒厳令である。実際の命令は戒厳司令官(陸軍参謀総長)が発出するものの、命令一下一糸乱れず今回の目標である①国会の封鎖、②野党議員の拘束――の2つを実行するのが軍隊の使命である。ところが、その両方ともに失敗している。

テレビ映像で流れた国会の様子を見ると、バリケードで立てこもる国会議員と政党・国会関係者の激しい抗議で、議員らから「戒厳解除後お前たちの責任を追及する」と詰め寄られて、右往左往する軍隊の姿が全世界に流された。吊るしあげられて塩垂れて涙を流して謝罪しているような兵の姿もあった。

 この背景には、特殊戦司令官による「絶対に兵士に実弾を持たせるな」「国民の安全が最優先で絶対に被害がおきないことを作戦の重点とする」との指示があったことが明かされた。つまり、司令官は最高刑が「死刑」の抗命罪となる危険を冒したくなかったのだ。自分の判断で議員ら民間人との衝突を回避したのだ。

 国会に尹大統領の弾劾訴追案が提出され、それを支持する世論が高まると、氏名などが秘密指定されている第707特殊任務団団長のキム・ヒョンテ大佐がメディアの前に現れて、「部隊員は金龍顕前国防相に利用された被害者だ」「隊員に罪はない。あるなら、無能な指揮官の指示に従った罪だけだ。いかなる法的責任も私が負う」と涙を流して陳謝した。

隊員に罪はないなど当たり前のことである。2・26事件では失敗した近衛連隊の将校は従容として銃殺刑に処せられたが、反乱兵だった5代目柳家小さんなど何事もなくその後高座に復帰している。

 涙を流す大佐に、多くの韓国メディアはこの模様を好意的に取り上げた。極左の半グレ新聞、いや「ハンギョレ新聞」から少しまともな朝鮮日報まで「権力者の軍隊から国民の軍隊に変わった」と良心に従った指揮官とたたえる始末だ。

韓国でも基本法で、「軍人は、職務を遂行するとき、上官の職務上の命令に従わなければならない」と記されている。だが、韓国では「非常戒厳で出動しても抗命した者は無罪でよい」という意見がまかり通っているのである。韓国軍では命令があっても、それぞれの判断で従わずとも許されるというのであれば、もはや軍隊は存在理由を失う。その矛盾に誰も気付かないようだ。

このブログで、韓国海軍駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件で韓国軍はいまだに謝りもせず事実も認めていないのに日韓スワップ協定復活など対韓カードをみな解除している愚を書いた。韓国軍は平気で嘘をつく。世界の軍隊は「言い逃れ」はするが「嘘をつく」ことはないものだ。この事件などひょっとするとレーダー係の兵士個人がたまたま虫の居所が悪くて「戦闘行為」であるレーダー照射をやらかしたのかもしれない、韓国軍は軍隊としてあり得ない行為を恥じてのだんまりだったか、と同情した。

上で釜山に追い詰められた韓国軍の話を書いた。この戦闘でただ一人踏みとどまった軍人がいる。白善燁(日本読み はくぜんよう)准将だ。

「ここで我々が負ければ、祖国を失うことになるのだ。釜山を失えば、もう我が民族の行くべき所はない。我々にはもう退がる所はないのだ。だから死んでもここを守らなければならない。はるばる地球の裏側から我々を助けに来てくれた米軍が、我々を信じて谷底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか。いまから私が先頭に立って突撃し陣地を奪回する。貴官らは私の後ろに続け。もし私が退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て。さあ行こう! 」

韓国では長く「朝鮮戦争の英雄」として称賛された人物だが、日本統治下で日本軍人として戦った経歴を進歩派からは親日派として批判された。死後英雄として国立ソウル顕忠院に埋葬されることになっていたが、政権交代後の文在寅政権は、2020年7月10日、99歳で亡くなると、一段低い大田顕忠院に埋葬した。

いちいち命令は正当かと疑い、命令に従うことで犯罪者にされるかもしれないと、任務遂行を躊躇するような韓国軍に北朝鮮を凌駕する力があるとは思えない。

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