安倍派が「魔の3回生」など落第生ばかり抱えた訳

自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会、99人)に不祥事が続いている。税金滞納問題を受けて13日に財務副大臣を更迭された神田憲次衆院議員、女性記者に対するセクハラ疑惑や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係をきちんと説明できないまま細田博之前衆院議長も10日に死去した。

「青木の法則」というのがある。内閣官房長官を務めた青木幹雄が提唱したもので「内閣支持率と政党支持率の和が50ポイントを下回ると、政権が倒れる」とされる危険水域だが、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が11、12両日に実施した合同世論調査によると56・8%である。あと7ポイントほどしかない危険水位に近づいている。

「魔の3回生」という出来の悪い議員集団がある。今回更迭された神田憲次もそうだ。その「3回生」はその後再選されているので「魔の4回生」と呼ぶべきだろうが、それは措く。このグループは折々、時の政権の足を引っ張って苦境に陥れてきた。麻生太郎が副総裁時代に「気をつけよう、暗い夜道と3回生。あぶねーヤツいる」と喝破した連中である。

 代表的なのは、同僚議員だった妻が出産入院中の不倫が発覚して議員辞職した宮崎謙介、秘書に対する「このハゲーーー!」のパワハラで有名になった豊田真由子、路チューが報じられた中川郁子と門博文、今年6月に秘書が車検切れの車で当て逃げ事故を起こした時に本人も同乗していた武井俊輔元外務政務官も「魔」の一員で、挙げればきりがない。近くではフランスへの女性議員の海外出張時に、SNSに物見遊山ぶり丸出しの写真を投稿して「エッフェル姉さん」の異名をとった松川るい参院議員もそうだ。

 民主党政権への逆風が吹き荒れていた2012年の衆院選では、安倍氏の再登板で自民党が圧勝し、新人119人が当選した。その後の14年「アベノミクス解散」、17年「国難突破解散」でも自民は衆院選で大勝した。彼らは「安倍チルドレン」と呼ばれた安倍氏の下での衆院選しか経験していない。「地盤」「看板」「鞄」の「三バン」がない上に「常識」がないのは当時から危惧されていた。

議員の劣化は「魔の3回生」以前から問題視されていた。ブログ子は安倍晋三・幹事長の時に自民党本部に呼ばれた。「ネットで政治史などの講座で教育強化できないか」というのだ。私が夕刊フジのデジタル版「ZAKZAK」を立ち上げたことが業界3位の代理店を通じて耳に入っていたらしい。

自民党の幹事長は「二ケタ億円」の自由になる金庫を持っている。必要な金はここから出るということだった。サーバーを借り上げて若手議員対象に有料のネット講座を開設し、新聞社の政治部長と安倍幹事長の対談で自民党の55年体制以降の流れや、ポツダム宣言受諾後の武装放棄後にもかかわらずソ連が満州と北方領土に侵攻したいきさつ、朝鮮戦争の経緯、台湾問題など保守政党の議員なら知っておくべき政治史を流した。2年ほど続いたが彼らの反応は鈍かった。

「魔の3回生」は各派閥に分散したが一番多く入ったのが安倍派である。安倍派(清和政策研究会、99人)は元「細田派」といった。今月死去した細田博之前衆院議長である。自民党最大派閥ではあるが、「安倍晋三」一人突出してあとは「烏合の衆」に近かった。それが凶弾に倒れた。後をどうするという段になったらトップに立てる人材もなく、塩谷立座長の下、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長、高木毅国対委員長5人の集団指導体制だという。

派閥というのは端的に言えば、親分を総理にするための集団である。それが5人もいるというのでは、もはや派閥の体をなしていない。遠からず分解するのであろう。

自民党弱体化の元凶は「魔の3回生」ばかりではない。もはや「家業」になっている世襲議員の多さ、派閥の長のリーダーシップの不足・・・いろいろあるが、共通しているのは選良としての「志」の低さである。

ブログ子は無党派層の自民党離れの象徴として「日本保守党」に注目している。大手メディアは無視しているが、党員数が5万人を優に超えたという。党費は年6000円で、自民党より2000円も高いのに、だ。新橋駅頭や秋葉原、名古屋の街頭演説には物凄い聴衆が集まった。大阪梅田では陸橋の上まで人で埋まり、危険だとして警察から中止要請が出たという。

ブログ子は旗揚げ当時「夕刊フジ新党」と呼んでいた。発起人の百田尚樹代表(67)、有本香事務総長(61)ともに夕刊フジを舞台にする論客だったのと、政治の弛みにたまりかねての結党宣言も夕刊フジ紙面だったためだ。

新党というのはスタート直後はブームになるが尻すぼみが多い。党勢拡大を急ぐあまり「タマ」不足(人材難)が露呈するからだ。公明党を上回る勢いだった「日本維新」が最近あちこちの選挙で敗退しているのもそうだ。「日本保守党」も舌禍が心配な河村たかし名古屋市長を抱え込んだあたり少し危惧するが、今後「いいタマ」を揃えられるかどうか。

岸田内閣支持率下落の原因は日本の「国柄」を示せないからだ

岸田内閣支持率は共同通信の世論調査では28・3%(3~5日実施)にまで落ち込んだ。危険水域だ。その原因について、「1人あたり所得税と住民税で4万円減税」というしょぼい政策や総理や閣僚を含む「特別職」の国家公務員の給与を引き上げる「お手盛り」批判を挙げるメディアが多い。

何を馬鹿なこと言っているか。ブログ子もたった一回4万円減税などしょぼいと思う。が、ありがたがるのは公明党ぐらいでそんなことで政権批判する人間はいない。給与引き上げと言ったって総理の年額支給4000万円に対し「総理は年間で46万円、閣僚は32万円アップ」である。日本国を引っ張る対価としては微々たるもので返納などと言わず、堂々ともらえばいい。

岸田政権が評価されないのは、「鵺(ぬえ)のような」、つまり”何だかよくわからない”政権運営にある。安倍晋三政権にあったような日本という国の姿勢を世界に示す性根が見られないのである。

直近の例を挙げる。イスラエル・パレスチナ戦争とろくでなし国家、中国が沖縄県・尖閣諸島周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内に無断で「海洋ブイ」を設置したことに対しいまだに撤去に踏み切れないでいる、まさにその鵺のような姿勢が国民に見透かされているのである。

ハマスの攻撃でイスラエル側に1400人の死者(その後ハマスの戦闘員がカウントされていたと1200人に修正)、パレスチナ側死者1万人超。

我が国の対応ときたら「イスラエル及びパレスチナ自治政府間の直接交渉が現在中断されていることを憂慮するとともに,双方に対し交渉の再開を強く要請する」である。 これはもう立派な戦争である。勝つか負けるかしかないのが戦争だ。それなのに『双方に自制を求める』はないだろう。

「G7の中で日本は欧米と違う。アメリカはユダヤの人たちの影響力があり、大統領選挙も控えている。イギリスは”三枚舌外交”の歴史、ドイツはホロコーストの歴史がある。日本は是々非々でいいのではないか」(外務省関係者)関係者)。この期に及んで日和見は許されないのに、こののんびりぶりは耐えられない。

ブログ子の私見だが思い切って国連軍の派遣を日本が中心となって働きかけできないか。ロシア・ウクライナ戦争を見てもわかる通り、国連が全く機能していない。常任理事国に拒否権を与えているためである。ソ連時代グロムイコ外相が容赦なく拒否権を行使して「ミスター・ニエット(英語のNO)」の異名をとったが今回もロシアは乱発している。それというのも国連組織そのものが第二次世界大戦の戦勝国会議であるからだ。ゆえに日本とドイツは常任理事国にはなれない。

これを改組する意味でも日本が先頭に立って音頭を取るべきだ。中東の石油に依存している日本はイスラム諸国に強く出られないのはわかるが、せめてこの機に国際政治の場で先陣を切ってほしい。

中東戦争では先進国はアメリカに倣ってイスラエル支持だったが、今回はパレスチナに肩入れする国際世論が多くの国で起きている。イスラエル建国時に世界で真っ先に承認したのはアメリカのトルーマン大統領だが、国の政財界、司法に多くのユダヤ人を抱え「特別な関係」(ケネディー大統領)は現在もそのままだが、シカゴなど多くの都市でイスラエルの強硬姿勢を非難するデモが起きている。

英ロンドンでも11日、中心部のハイドパークにパレスチナの旗や「フリー・パレスチナ(パレスチナに自由を)」などと書かれたプラカードを掲げ、50万人が「今すぐ停戦を」とシュプレヒコールを上げた。フランスのマクロン大統領も、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザの空爆や民間人殺害について「正当性がない」として停止を求めた。

ナチスのホロコーストの過去を持つドイツはイスラエル支持が「国是」でショルツ首相はいち早くイスラエル寄りの発言をしているが、今月4日にはベルリンではおよそ9000人が、政府にガザ停戦などを実現するよう訴えるデモを繰り広げている。

尖閣諸島に設置した中国のブイの問題だが、海上保安庁などの情報では、ブイは尖閣諸島の北西約80キロ、日中中間線の日本側にあり、直径が10メートルとかなり大きく、7月1日から2日にかけて中国の大型ブイ作業船「向陽紅22号」が設置していった。日本は「国連海洋法条約」違反を理由として外交ルートを通じて中国に抗議を行うとともに即時撤去を求めた」(松野博一官房長官)だけ。

11月1日の参院予算委員会で、日本維新の会の東徹氏が「日本の撤去要求を中国側が聞き入れないなら、実力で撤去すべきだ」と主張したが、上川陽子外相は国連海洋法条約など国際法に関連規定がないとして放置したまま。

しびれを切らした高市早苗経済安保相が「日本が撤去しても違法ではない」と私見を述べたが、その通りだ。上川外相の見解は「規定がないから撤去できない」だが、逆に言えば「国際法で、撤去してはいけないと書かれていないのであれば、撤去してもいい」となる。(政治評論家・高橋洋一氏)

青山氏は「中国側は、ブイを設置された後の日本側の動きを見ている。今回だけでなく、何度もやっているはずだ。ブイを撤去すれば中国は当然騒ぐが、それに対して覚悟ができているかの問題だ。日本が国家の〝意思〟を示すしかない」(夕刊フジで評論家・青山繁晴氏)。

9月26日、フィリピン沿岸警備隊は、同国のEEZ内である南シナ海のスカボロー礁に中国海警局が設置した「浮遊障壁物」を敢然として撤去した。フィリピンの方が国家としてよほど「毅然としている」ではないか。

ブログの亭主、「山上げ」で更新中断します

ささやかなこのブログ「Mt.8 Blog」を愛読ありがとうございます。東京も暑くなってきたので、恒例のように八ヶ岳の山墅に引きこもります。

アナログの世界で、テレビなし、Wi-Fiなし。テザリングでメール30本をダウンロードするに30分という有様ですのでブログの更新を中断します。再開は下山する秋以降になります。

書きたいことはたくさんあって、例えば今日日韓財務相会談だそうです。かねて心配していた通り、日韓スワップを復活する運びです。ろくでもない文在寅政権が一方的に「もう日本の助けはいらない」と蹴っ飛ばしたのを岸田政権は忘れたのでしょうか。韓国はいまだにレーザー照射を謝らないばかりかやったことすら認めていないのにも関わらずです。2日前には韓国をホワイト国待遇に復帰させました。戦略物資のフッ化水素など3つの半導体材料を「第三国」つまり中露へ横流ししている疑惑がその理由だったはずです。その疑惑がなくなったなどついぞ聞かないのに、この融和策は許せない、というのが世論でしょう。岸田政権の支持率が14%下落した原因が奈辺にあるか、この甘さのツケは秋の総選挙に出るでしょう。

ウクライナ戦争についてもしばらく書いていませんが、ブリゴジンの乱ではワグネルはモスクワまで200キロ地点まで疾風のごとく迫りました。11時間で800キロ、高速道路を走るスピードです。つまりロシア南部にはまともなロシア軍などいなかったのです。

クリミア半島の北と東の2本の補給路はウクライナ軍に破壊されて復旧は7月、とプーチンは強がっていますがまず無理でしょう。ブログの亭主が下山する晩秋にはクリミア半島とセバストポリ軍港は奪回できるのではないか、そんなことを考えながら山に上がります。

「上げ馬神事」は馬の能力を無視した虐待である

約700年前から続く「上げ馬神事」のあり方が、議論を呼んでいる。三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる「上げ馬神事」に関し、一見(いちみ)勝之知事は、最近十数年で計4頭がけがをして安楽死させられたと明らかにした。県によると、安楽死した馬は平成22年に1頭、26年に2頭。今年も1頭が安楽死させられた。骨折や脳挫傷が理由。「事故の頻度が多い。対策を講じるべきだと主催者側に伝える」と述べた。

「上げ馬神事」は南北朝時代に始まったとされる伝統行事で、毎年約10万人が見物に訪れる。地元の青年が馬に乗り50メートルほど疾走したのち、高さ2メートルほどの土壁を飛び越えられた回数で、稲作が豊作か凶作かを占う。

ブログ子は新人記者の時、三重県津支局に配属された。4年半ほどいたがそのうち2年ほど四日市通信部で、多度大社が近く、2回「上げ馬神事」を取材して送稿した。大学時代4年間馬術部にいて障碍飛越競技をしていたので馬のことがわかるのだが、当時から「この祭りは無茶だ」と思っていた。馬の能力を無視しているからである。

無茶だ、という理由は三つある。一つ目は「700年前と現在では馬の種類がまるで違っている」ことである。二つ目は「障害飛越競技としてみた場合、馬が踏み切るスペースがない」こと。三つ目は「騎手の未熟が馬の飛越を邪魔している」ことだ。

一つ目。「源義経」を一躍有名にした戦法に「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)という奇襲攻撃がある。一ノ谷の背後にある断崖絶壁から、騎乗したまま坂を駆け下りて平家の軍勢を壊滅させたものだが、この時の馬は現在とはまるで違う在来種と呼ばれる馬種である。保護活動のおかげで国内に少し残っている木曽駒がそれに該当する。馬体はポニーほどと小さいが、足腰が強く、武士を乗せて上述のような活躍を見せた。

その後、日本の馬は日清日露戦争で大改造される。旅順の203高地の戦いに見られるように、大砲を運び上げるのに馬が使われた。在来種は小さくて適さず、アラブ種と掛け合わされた馬が使われた。アラブ種というのは、映画、「アラビアのロレンス」に登場する馬で、馬格が大きく足腰が強い。ほかにもペルシュロン種などという1トン近くある馬種もある。靖国神社には彼らの慰霊碑があるが大東亜戦争まで軍馬90万頭が死んだ。

ブログ子の馬術部では10頭ほど繫養していたが、8割がアラブ種だった。足腰が強いので飛越能力が高い。しかし現在は9割がサラブレッドである。乗馬用など需要が少なく、生産者はみな競走馬のサラブレッドしか扱わないのだ。いまで仕方なくは乗馬用もサラブレッドを調教し直して使っている。多度神社も同じで周辺の乗馬クラブから借り上げたのだろうがサラブレッドしか調達できないのだ。

走り方も違う。在来種は「側対歩」(そくたいほ)という走法で反動が少なく狭いところも駆け上がり、走り抜ける。競馬中継で見るサラブレッドが一斉にゴールに飛び込むシーンで見られるのは「襲歩」(しゅうほ)という、2肢の蹄しか同時に地面にかない走法である。水平方向には早いが飛越能力の上からは劣る。「上げ馬神事」のコース設定は在来種向けに作られているのである。

左の急坂を駆け上がる

二つ目。馬は50メートルほど疾走すると斜度20度ほどの急坂に差し掛かる。そこを駆け上って高さ2メートルほどの土壁を飛び越える。五輪では2メートルほどの障碍物はある。高い飛越能力が必要だが不可能ではない。馬は土壁の前でいったん馬体を収縮させ、前肢2本を土壁の上に投げ出して、後肢2本で踏み切って乗り越える。しかし、多度大社ではそのとき馬が踏み切るスペースがないのである。

急坂を登ってさらにこの高さを飛び越えるというのは至難の業だ

ブログ子が見た時の経験では成功するのは5頭に1頭くらいの割合であった。本能がさせるのだろうが、どこで踏み切ったのかわからなかったが、馬の方が瞬時に判断して踏切点を見つけたのだろう。

三つ目。騎手は4月に選ばれた地元の青年が1か月ほど練習して挑戦する。だが本番にある2メートルの土壁の飛越練習はない。1か月間練習するのは振り落とされないよう鞍に座ることだけである。ブログ子が半世紀前に見たときには上り坂で早くも落馬する者がかなりいた。成功体験がないまま本番に臨んでいるのである。

馬は飛越の時大きく首を後ろにのけ反らすもので、この時騎手は前傾して自分の首を馬の首の横に付けるのだが、未熟な騎手だと落馬しかかっているから逆に馬の首にしがみつく。これでは飛越を邪魔するだけで、馬は土壁に激突するしかなくなる。最上部には振り落とされた騎手を受け止める役目の若い衆が左右に控えているので人間はケガしないが、馬は極端に狭いところに追い込まれて身動きが取れない。

上の写真など騎手はまだ鞍上にあるが、馬は土壁に激突している。横隔膜破裂で即死するか、よくて前肢骨折が免れないシーンである。骨折で安楽死させたのが4頭だという。一般の人は馬が骨折した場合は安楽死と思い込んでいるが間違いである。時折、中央競馬で骨折馬に獣医が現場で筋弛緩剤を打つ場面の遠景が写されるせいだろう。

馬は骨折ぐらいでは死なない。人間と同じでギプスと添え木で手当てすれば半年ほどの養生で回復する。あれは馬主がその後の経済性を考えて獣医に安楽死を依頼するからである。ブログ子のいた大学には獣医学部があったので、骨折した馬の手当てを獣医と相談することができた。温泉療法やプールで泳がすなど手間はかかったが普通の障碍飛越はこなせるほど回復したものである。

馬の歩法に4種ある。常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)、襲歩(しゅうほ)である。馬術としてこの神事をみたとき、必要なのは「駈歩」だけである。ところが、ブログ子が見たとき、スタート直後から若い衆が篠竹で馬の尻を鞭打っていた。いきなり「襲歩」に追い込んでいた。ほとんど「狂奔」状態で高い土壁に激突する馬がかわいそうでならなかった。

「上げ馬神事」は続ければいい。ただ、日本の馬に対する知識や馬術に関する理解がないまま、700年の伝統だけを守って「神事」が行われていることが問題なのである。その結果、馬の運動能力に反するコース設定となり、ほぼ100%の動物虐待になっている。早急に専門家の意見をいれて改善をはかるときである。

これは珍しい「成功」例。ブログ子も昔、この角度からの写真を撮った

LGBT法案などという気色の悪い法律をつくるな

 性的少数者(LGBT)への理解の増進に関する法案が今日16日成立した。普通、法案というものは利益を受ける当事者側が大喜びして、利益に無縁の側が不満もつものだが、今回は両者とも「反対」というのだからわかりづらい。野党の反対に加え、自民の山東昭子前参院議長、青山繁晴参院議員、和田政宗参院議員の3氏が採決時に退席した。

超党派議員連盟の会長代理として議論を主導してきた稲田朋美衆院議員

この法案は、自民、公明両党と、日本維新の会、国民民主党の4党の修正協議でまとまったものだ。拙速も拙速。むりやり(片方に言わせれば骨抜き)通したこの4党の責任は大きい。岸田首相は立憲民主が今日提出する不信任案を受けて解散するとみられていたが、急遽「今国会中の解散はない」と任期切れの10月まで引き延ばした。世論調査で出ている自民党が大幅に議席を減らすという予測におじけづいたのだろう。

LGBT当事者からも反対の声があがるややこしい次第になったのはなぜか。かいつまんで言うと、これまで国会には、3つのLGBT法案が出てきた。1つ目は、もともとの自民党案である「元祖LGBT理解増進法」。2つ目は、野党案である「LGBT平等法」(以前「LGBT差別解消法」と呼ばれていたもの)。3つ目は、与野党協議によって手直しされた今回成立した「修正LGBT理解増進法」。この3つ。

ゲイを公表している側からは、自民党案の元祖LGBT理解増進法については「性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」と規定していてよくできていたという評価だった。ところが、LGBT活動家が「理解増進は生ぬるい」と。「差別禁止でなければダメなのだ」と言いいだし、結果、「性同一性」の表現を、維新・国民案の「ジェンダーアイデンティティ」に改めた。

ブログ子が「気持ち悪い」と表現する一つ目の理由は、この外来語である。日本の法律に「ジェンダーアイデンティティ」なる外来語が組み込まれるのは初めてではなかろうか。排斥論者だはないが「性同一性」でなぜだめなのか与党に聞きたい。

ともかく、与野党協議によって「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」という文言が入ることに よってどうなるか。上述のゲイを公表している人からはアメリカの水泳界の問題が提起されている。

「アメリカの水泳界には、トランス女性であるリア・トーマス選手がいますが、彼女はアメリカの大学の水泳選手権で金メダルを獲りまくっているのです。身長は190センチあり、身体はまったくの男性です。手術はしておらず、その上から女性用の水着を着ているのですね。そして女子更衣室でも男性器を隠さずに歩いているそうです。他の女子選手が『何とかして欲しい』とコーチに頼んだのですが、『我慢するしかない』と言われてしまった。裁判で訴えられたらコーチ側が負けてしまうからです」

水泳界ばかりでなく、インターハイ、国体、などあらゆる大会で問題が出てくることは容易に予想できる。現に、悪意を持った男性が「女性だ」と自称し、女子トイレなどを利用する事案は現実に起きている。こうした行為は現行法で禁じられているが、新法を盾に、現行の禁止規定を「不当な差別だ」と主張する口実に使われかねない。

公衆浴場や温泉地で、女性を自称して女風呂にカメラ片手に見た目「男」が堂々と入ってきてもどうしようもないのが目に見えている。

 法案に、LGBTに関する教育を「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ行う」と記したことも問題だ。過激な主張を掲げる団体が学校に圧力をかけ、発育を無視した性教育を迫る事態が外国では起きているという。

「例えば学校の教育の現場で、まだ思春期にもなっていない子どもたちが、LGBTを理解させるという意味で、“おとぎ話の王子様は男性と結婚しました”というような教材を使っているという海外の報告もある」(自民党 西田昌司参院議員)

日本社会はもともとLGBTに鷹揚だった。本能寺の変で織田信長とともに死んだ森蘭丸など大名の寵愛を受けた小姓など数え上げればきりがない。古代ギリシャでは少年愛が当たり前だった。昔はともかくとして近くを見れば、現在、歌舞伎界を揺るがしている、両親が死んで本人は生き残った市川猿助(47)の服毒事件なども同性愛事件としてみればわかりやすい。

20年前ほどだが歌舞伎担当の同僚記者から聞いた話だが、凄まじい嫉妬の世界で女形(おやま)が恋敵に刃物を振るうなどしょっちゅうだという。この時の話題は女形という芸域がそうさせるのか、天性の性癖かということだったのだが、彼が亡くなったとき横浜の斎場には歌舞伎界のそうそうたる顔ぶれの花輪が10数個、新聞社や松竹の花輪を圧して並んでいた。そのとき誰が「たち」で誰が「ねこ」なのか名札を見ながら考えたものだ。

ジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長(令和元年死去)による性加害問題も日々芸能面を賑わしている。黙殺してきたジャニーズ事務所とテレビ各局が指弾されているが、何をいまさらという思いだ。これまた20年以上前の話になるがブログ子など門外漢だったが彼の性癖は耳にしていた。

当時ブログ子はフジサンケイグループの新聞社側にいたのだが、大規模なイベントなどではテレビ、新聞、ラジオなどグループの代表が集まって広報などについて会議が開かれる。いつもブログ子のすぐ左にはジャニーズを代表してメリー・喜多川氏が、右前には吉永小百合の夫、であるグループの共同テレビ社長の岡本太郎氏がいたのを覚えているが、グループ員でもないのにジャニーズ事務所が一人取り仕切っていて、誰も発言できない雰囲気だった。まして、ジャニー喜多川の性癖など知っていても口することなどタブーであった。ほかの民放テレビ局も同じで全局ジャニーズに依存していたのだ。

自民党の法案提出者は「法案は理念法で、新しい権利を加えるものではない」と説明している。そのとおりで、もともと「LGBT理解増進法案」は「理念法」という部類に属する。「理念法」というのは、社会問題や政策課題などに対する国としての理念が記され、国や地方自治体、企業などに取り組みを促す法律のことをいう。国民に新たな権利を与えたり、罰則について定めた規定もない。

なんの利点もなく、逆に新法を契機に 恣意的な解釈が横行し、性や結婚に関する民法などの規定を巡って違憲訴訟が相次ぐ恐れがある法律などつくる意味がない。

日本の社会は諸外国に比べLGBTの人たちにはるかに寛容であった。それをことさらあげつらって混乱を招くより、今まで通りにしていれば何事もなく済む性質のものなのである。成立したのは仕方ない。こんなもの無視して取り合わないことである。

韓国「レーダー照射事件」で妥協は禍根を100年残す

日韓の紛争は過去何度もある。すべて韓国が一方的に騒ぎを起こしては、やがて収まりがつかなくなり日本側に「未来志向」を持ち掛ける。大甘の日本がそれを受け入れていったんは収拾するが、やがてまた韓国側がやらかす。この繰り返しである。

今回また、韓国海軍駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件に絡み、岸田文雄政権は事件のケジメも付けずに、なし崩しで事態収拾を図ろうとしている。ろくでもない文在寅政権が反日に狂奔したあと、か細い支持率ながら日米韓の安全保障を大事にしようとする尹錫悦政権が誕生した。この流れを止めたくない気持ちはわかるが、このまま妥協すれば、日韓に100年の禍根を残すことになる。断じて反対だ。

韓国海軍駆逐艦による火器管制レーダー照射の映像

レーダー照射事件は、「反日」暴挙が相次いだ文在寅政権下の2018年12月20日に発生した。日本海の能登半島沖で、海自のP1哨戒機に、韓国海軍の駆逐艦「クァンゲト・デワン」級が攻撃を意図する火器管制レーダー(射撃指揮システムで使用されるレーダー)を照射した。これがどれだけ大変な戦闘行動かはすこし軍事のことがわかる人間なら.ひっくり返って驚く事案だ。

当然、日本政府(安倍内閣)は文在寅に対し「哨戒機に対する火器管制レーダー照射があった」と抗議した。しかるに韓国政府は「使用していたのは探索レーダーで、哨戒機を追跡する目的ではない。北朝鮮の遭難船のためにレーダーを稼働したのを日本側が誤解した」と否定したうえ。「韓国海軍艦艇に日本の海上自衛隊機が低空飛行で接近し『威嚇飛行』を行った」と開き直った主張をし、日本に謝罪を求め、その証拠として航跡のイメージみたいなものまで出してきた。

日本のP1哨戒機の行動はすべて明らかになっている。なんの問題もなかった。それを威嚇と言い張るのであれば、世界の常識では「旭日旗」同様もはや海軍とは言えないレベルの強弁だが、韓国はいまだにこの主張を通しているのである。李国防相は直後の韓国の国会で、「照射はしなかった」と発言するなど、韓国は事件自体を認めていないのだ。

この事件後の2019年2月には韓国軍内部で日本の航空機に対する対応指針が通達され、自衛隊機が警告に応じず、近距離を飛べばレーダーを照射するという軍指針を発表した。2度警告しても近付く自衛隊機には、現場の判断で照射を認めるという「追跡レーダー照射」基準である。つまり、ウソを糊塗する行動基準まで軍部が作成したのである。日本政府は「異常な内容」と驚愕したものだ。

かくも理不尽な韓国相手に妥協はありえない。日経新聞が31日朝刊で報じたところでは、韓国側が事件後に作成した自衛隊機へのレーダー照射を容認した「軍指針」を撤回する代わりに、日本側は韓国側に事実認定の表明は求めず、日韓の防衛協力を進める方向で協議するという。浜田靖一防衛相と、韓国の李鐘燮国防相は、近くシンガポールで会談、両政府の協議が詰めの段階に入っているという。

内容が報道通りなら、事件を棚上げして韓国の言い分を丸飲みするようなものだ。反日無罪などという勝手な理屈をこね繰り返した文在寅前政権下の出来事だが、安全保障政策で前政権よりも現実的な姿勢をとる尹錫悦現政権になった現在でさえ韓国は照射の事実を認めていない。

韓国は、入港時の国際慣例である自衛艦旗の旭日旗掲揚を拒否した問題で、5月に海自艦が旭日旗を掲揚しての釜山寄港を認め、正常化させた。米韓は4月、米戦略原子力潜水艦の韓国寄港などの方針を表明し、足並みをそろえた。日米韓の結束に向け、レーダー照射問題を訴える日本側にも譲歩が求められていた。「韓国の姿勢が昨年と全然、違う」。防衛省関係者が言うように韓国側が正常になりつつあるのは認める。いいことだ。

酒井良海上幕僚長(写真右)は6日の記者会見で、火器管制レーダーを照射した問題を巡る対応方針を説明した。「なにより再発防止が重要だ。未来志向で連携を強化し地域の安全保障環境の安定に日米韓がともに取り組む」と述べた。「現在の安保環境を踏まえると18年以前のレベル以上に強固な連携体制を早期に確立する方が国益だ」と説いた。防衛省幹部は「立場が違う以上、追及すれば話ができない。思うところは飲み込むしかない」と苦しい胸の内を明かす。

岸田政権の意向を汲んでの発言だろう。しかしこれまで韓国に何度煮え湯を呑まされてきたか。従軍慰安婦、徴用工問題、旭日旗、軍艦島、竹島、佐渡金山から日韓スワップ問題・・・数え上げればきりがない。結果はどうか。皆根拠を失って向こうから歩み寄るしかなくなったではないか。日本は対岸の一人芝居に近い「奴踊り」を見ているだけでおのずと自らの非に焼け焦げていくのがパターンである。日本はこの国には理非曲直を正すだけでいいのである。無用な斟酌はこの国には必要ない。

「外交の岸田」だという。確かになんでもないはずだった「G7広島サミット」がゼレンスキー・ウクライナ大統領の原爆資料館訪問で大金星に格上げされた。ブログ子に言わせればついているだけである。首相公邸での一族忘年会で愚かな息子の首相秘書官らの寝っ転がり写真が出たくらいどうってことはない。

だが、愚かな韓国相手に今度また同じ轍を踏むなら、九仞の功を一簣に虧くことになる。近づく解散総選挙では痛い目にあうであろう。

なんだ!この無礼で的外れな質問する記者連中は

広島市で開かれていた主要7カ国首脳会議(G7サミット)が閉幕したことを受けて岸田文雄首相が開いた議長国会見で、記者席から「総理!逃げるんですか!」との声があがり、首相は一度は離れた演台に戻って会見を再開する場面があった。

会見は14時30分から30分間を予定していたが、前の予定が長引いて14時42分にスタート。約23分にわたって冒頭発言し、日本メディアから2問、外交メディアから2問ずつ質問を受けた。この時点で、予定よりも10分長い40分が経過。司会者が終了を告げる中、一人の記者が、

「総理、待ってください。核軍縮ビジョンについて聞かせてください。1問だけでいいので。総理!逃げるんですか」

無礼な質問をした最前列の記者(左手を挙手している男)

岸田首相は一度は演台を離れ、書類を入れたファイルを秘書官に渡したが、「逃げるんですか」と言われた直後に「一言だけ答えよう、じゃあ」と演台に戻った。

「核軍縮ビジョンについて答えろという質問でありました」と切り出し、G7として核軍縮に焦点を当てた初めての独立文書「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンの考え方に基づいて、G7で努力していこう、こういったことを確認した」などと、メモなしで3分30秒ほどかけて説明した。

ブログ子は中継を見ていたが、ずいぶん失礼な記者だなと思った。最前列の記者だったので内閣記者会所属と分かる、どうせ、朝日か毎日の人間だろうと思っていた。23日のアゴラの記事で、この人物は元朝日新聞の尾形聡彦記者(下の写真右)だと知った。

迷惑質問の常連、東京新聞・望月衣塑子(左)と朝日新聞・尾形聡彦(右)はネットメディア仲間

安倍晋三や菅義偉首相時代にはた迷惑な質問で記者会見を劣化させた東京新聞の望月衣塑子記者と一緒に現在はネットメディアをやっているというから、まあ同じ穴のムジナであろう。望月衣塑子たるやサミット前にこんなツイートもしている。アメリカが同盟国が保有するF-16戦闘機のウクライナ供与を認めるという報道に「まさか、日本が保有するF16戦闘機を米国は出させるつもりではないだろうか」。もうバカとしか言いようがない。

G7広島ではではゼレンスキー大統領も会見したが、その冒頭で出た質問もひどかった。地元テレビ局のRCC中国放送だ。

「被爆者の中には、”継戦の為の兵器の支援要求も大事かも知れないが、被爆地広島に来たのに戦争を終わらせる和平は話し合えないのか。違和感がある”との声もあるが?」

自分の考えでの質問ならまだしも、被爆者たちの声と、陰に隠れて筋違いの非難をぶつける二重に無礼な質問だ。

これにはゼレンスキーも顔を曇らせて直接は答えず、「原爆資料館で見た広島の光景はバフムトに重なる。石段に焼け付いた人影が印象的だった」と答えるにとどめていたが、むっとしたことだろう。バフムトは破壊されつくして生き物の姿はない。ほとんど原爆を落とされたのと同じだという。

一方的に侵略したのはロシアである。国の存続をかけて命がけで武器を取っているウクライナに問いかける話ではない。お前、ロシアに行ってプーチンに言えよ!と言いたいくらいだ。被爆者団体は二つに割れている。そのうち(夢のまた夢)核廃絶に踏み込まないG7は評価しないという一派の代弁でしかない。

RCC中国放送は偏向はなはだしい関口宏 のサンデーモーニングをいまだに垂れ流しているTBS系(毎日)のテレビ局である。残念ながらブログ子の長女の連れ合いはここの中堅幹部で、聞くところによるといまや毎日新聞の影響力は微塵もないようだが、地方では別らしい。

朝日新聞は、昔は安保条約にも自衛隊にも反対だった。空論であったことが明白になった現在、反省もなくまだ「G7諸国が核兵器禁止条約に入らないと核廃絶への道筋ができない」と空論をうそぶいている。プーチンが核を使うと脅している今、「核兵器を全部なくせ」なんてこと通じるか。

やりたい放題 中国に対抗する「スパイ法」の構築が喫緊

北京市で日本の製薬大手・アステラス製薬の現地法人幹部の男性(50歳代)が拘束された事件。釈放どころか日本側の領事面会要求に、新型コロナウイルス対策を理由にモニター越しで行う強硬ぶりだ。習近平政権は2014年以降、国家安全法や反スパイ法を新たに制定し、外国人の監視や取り締まりを強化。スパイ行為などで拘束された日本人は計17人に上る。

19年9月の岩谷將(のぶ)・北海道大教授の場合、中国社会科学院の招待で北京に滞在中に身柄を押さえられている。岩谷氏は防衛省防衛研究所や外務省で勤務経験もあり、中国当局が訪中のタイミングを虎視眈々と狙っていた可能性が高い。アステラス製薬の場合も帰国直前の逮捕だった。

3月25日に拘束されたアステラス製薬の50歳代の日本人男性は、中国滞在歴が通算20年を超え、日系企業団体「中国日本商会」の副会長も過去に務めていた。北京の日系企業の間では有名な人物で、医薬分野を中心に中国の当局者や企業幹部とも交友が深かった。男性を知る日本人駐在員は「歯に衣着せぬ発言の人だったが、スパイ活動をしていたとは思えない。親しい中国人が当局にマークされたなど幅広い人脈が虎の尾を踏む形になったのではないか」と懸念する。

折から親中派でなる林芳正外相が訪中、秦剛外相などと会談したが「中国との間では主張すべきは主張し、責任ある行動を求めつつ、突っ込んだ意見交換を行いたい」と言った。どこが「突っ込んだ」主張なのか歯がゆいといったらない。

中国の「日本人狩り」は今に始まったことではない。ブログ子は1990年後半に中国入りしたことがある。親しかった警視庁公安関係者が「それはきっちりマークされるでしょうな」と言った。特段の情報取材などではなく、北京、上海、蘇州を回り漢詩の旅と観光が主で、キャノンがアジアヨーロッパから出るプリンターのカーボン処理工場が大連にあるので、それを見学するだけのものだった。

だが産経新聞記者というだけでマークされることは自分でもわかっていた。新聞記者の鑑だと思うが、先輩に柴田穂記者がいた。紅衛兵らによる文化大革命について、1964年に決まった「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」で北京支局長を務めた。朝日、NHKが当局発表ものを垂れ流す中で、柴田記者一人北京の街を歩き回り壁新聞を拾い読みしてこれは毛沢東と反毛沢東派による権力闘争と看破し取材報道、為に中国を追放となった。

この時代、産経というだけで要注意人物にされたのである。気になって各地で急に振り向いて尾行のあるなしを確かめたりしたが、そんなへぼ尾行するわけもない。だが大連で確信した。夜9時ごろ女の声でカタコトの日本語で「お誘い」の電話が来た。「デーレン(大連」)をすこし案内しましょうか」といった内容だったが、この部屋に日本人がいることはフロントしか知らないはずで、ピンときた。

翌日夕方大連市内で屋台を囲んだ大人が吐き散らすエビの山を漁る子どもを見かけ写真を撮ろうとしたがやめた。中国の貧困を意識して撮影したといわれたら言い訳できない。近くの旅順で203高地など日露戦争の戦跡を見たかったがこれもやめた。軍事施設を撮影する目的と言われかねなかったからだ。

大した情報を持っていないのは当の本人が一番知っているが、それでも拘束しとけば人質交換という形で役に立つのがこの世界である。現に、中国のスパイとして人質を取っている国では、中国側と交換という形で自国民を奪還しているところもある。

中国は軍事大国への道を驀進しているが、すべてはスパイ行為で手に入れたものである。例えばステルス戦闘機「J(殲20)」はスパイか模倣かは別にしてロシアのステルス実験機MIG144が下敷きだし、2014年、最新鋭のJ-31が初めて一般公開されたがこれなどアメリカのF-35のパクリである。空だけでなく海もまたそうだ。中国初の空母「遼寧」はソ連で設計されたアドミラル・クズネツォフ級航空母艦「ヴァリャーグ」の未完成の艦体を中国がウクライナからスクラップとして二束三文で購入し、カタパルトなど大改修して空母に仕立て上げたものだ。

日本人をはじめとする外国人拘束の根拠になっている中国の反スパイ法は14年11月に施行され、最高刑は死刑だ。しかし、同法には、具体的にどのようなことをすればスパイ行為だと認定されるのかは明記されていない。その上、スパイ行為はもとより、その任務の受託、幇助(ほうじょ)、情報収集、金銭授受なども罪だとされる。

22年末には改正案が公表され、40条の現行法から71条編成へと大幅に内容が加えられた。現行法にある「国家機密の提供」だけでなく、スパイ行為が疑われる人物・組織が所有・使用する電子機器やプログラム、設備などの調査権限も規定し、「重要な情報インフラの脆弱性に関する情報」もスパイ行為の対象であると規定する。

つまり、中国当局がその気になればなんでもこの法律でスパイ罪で拘束できる便利この上ない代物である。いつの時代でも人・物・金・情報が集まるところがスパイの巣窟になってきた。モロッコだった時もあるしフレデリック・フォーサイスの映画「オデッサファイル」のオデーサ(ウクライナ)だった時もある。今世界一のスパイ天国はこの東京である。人・物・金・情報に加えてスパイを取り締まる法律が一つもないという天国である。世界中のスパイが東京に蝟集している。

 政府は12日に閣議決定した答弁書で、早稲田大や立命館大など国内の少なくとも13大学に、中国政府による「孔子学院」設置が確認されていると明らかにした。イギリスはじめ多くの国は「孔子学院はスパイ組織である」と認定閉鎖命令を出しているなかで日本だけは放置している。おかしくはないか。

日本では中国のスパイ行為は野放し。なのに、「中国の国内法に外国政府は口が出せない」などという事態があっていいものか、自明である。

立憲のバカ質問「うな丼食ったから即刻更迭」にあきれる

谷公一国家公安委員長は25日の自民党議員のパーティーで、岸田文雄首相の選挙応援演説会場に爆発物が投げ込まれ、襲撃された事件を巡り、自らの視察先で警察庁から連絡を受けた後も「うな丼をしっかり食べた」とあいさつした。兼務する防災担当相として南海トラフ地震の被災地と想定される高知県を視察中で、これから食べようという時に警察庁から電話があったそうだ。

さっそく立憲民主党の宮口治子参院議員は翌26日の本会議で「危機感も緊張感もない人物に要人警護の責任を担わせてよいのか。『うな丼大臣』は即刻更迭をしてほしい」と求めた。

バカは宮口治子一人かと思ったら同党の安住淳国対委員長が「コメントするのも恥ずかしい。国家公安委員長として緊張感が足りない。会合でうけを狙った冗談かもしれないが、センスはない。国家公安委員長に何よりも先にと伝えているのに、当の本人は何の反応もせず食べてたというんだから、こういう人の下で警察全体が緊張感を持って(5月のG7広島)サミットなどをやれますか」と指摘した。

あきれたものである。このボロ政党の考え方だと、国家公安委員長たるものは「その時」、すぐ箸を置いて謹慎するかおろおろと歩き回っていればお気に召すようだ。都道府県含め何人もの公安委委員長を知っているが、公安関係のあらゆる情報は真っ先に届けられる。鉄道や飛行機に乗っていてもだ。たいていは報告の一方通行である。

戦国武将、真田幸村は出陣前に腹ごしらえのために北信・東信地域に伝わる郷土料理「こねつけ」をしっかり食べた。死を前にした大坂夏の陣(1615年)では兄の信幸と別れの盃とともに食した。腹が減っては戦はできぬ、の習いである。

もっとも谷・国家公安委委員長にはそこまでの悲愴感はなかったようで、ただ会場の受けを狙っただけだったようだ。物のたとえで言うときは、今の国会議員、特に立憲民主党の程度のほどを理解しておかねばならないのだ。

岸田文雄首相は26日、「谷氏は必要な指示、情報収集を行ったと聞いている。引き続き職務にあたってほしい」と述べ、更迭を拒否、続投させる考えを示した。当たり前だが、ついでに立憲民主党の二人に「国会にふさわしい質問をするよう」釘を刺してほしかった。

23日に投開票された衆参5補欠選挙で立憲民主党は衆院千葉5区、山口4区、参院大分選挙区に公認候補を擁立したが、「全敗」という最悪の結果に終わった。執行部は責任を取るものと思ったら、岡田克也幹事長は「(与党が)勝ったとはいえ、接戦だったよねということは言っておきたい。執行部の責任については、代表が責任をとるとかいう話ではない。私も代表から言われない限りは幹事長を続ける。次の衆院選でしっかり結果を出したい」としらばっくれた。引責しない理由については「補欠選挙だからだ」だそうだ。

同じく惨敗した共産党も責任を取る気はさらさらない。55年体制に胡坐をかいた社会党は議場の過半数を埋めたほどの議員数から福島瑞穂一人、政党要件を満たせず消滅の危機にある。立憲民主党もひたひたとその後を追っている。

静岡のシャイロック知事の孤立じわじわと

リニア中央新幹線の整備で、静岡県の川勝平太知事が大井川の流量減少などを懸念して県内工区の着工を認めない問題を巡り、大井川流域である島田市の染谷絹代市長、藤枝市の北村洋平市長、牧之原市の杉本基久雄市長が国交省を訪れ、県とJR東海の協議に今後は国が積極的に関与するよう要望した(写真左下)。要望書は関連する10市町の連名。

これまで県や流域10市町などは大井川利水関係協議会を構成しているが、これまではJR東海と協議に当たっては市町側の窓口として県がすべてを代行するとしてきた。川勝知事の「一滴残らず戻せ」という勝手な要求に、JR東海側が打開策として漏出分を上流から戻す案を出したにもかかわらず、いたずらに引き伸ばしを図るばかりの県の態度に、市町側が不信感を募らせており、国の関与を強めることで議論の透明化や加速化を図りたいと
の行動で、県の孤立化が一段と鮮明になった形だ。

もともと、言うことが嘘だらけ、詭弁ばかりの無理筋だったシャイロック知事は次第に追い詰められてきている。前回書いたように、静岡市長にリニア推進派で川勝知事のもとで副知事を勤めた難波喬司氏が当選したことも追い風になりそうだ。

ところで、このブログを読んでいるという数少ない方からメールをもらった。学生時代馬術をやっていたのだが、同じ趣味の方で、どうして静岡に傾注するのか、なにか理由があるのかというものだった。Tさんに答える形で、私と静岡県との関わりを少し説明しておこうと思う。

新聞社で編集局次長をしていた50歳のころ上役の副社長に疎んじられ、3段階ほど降格の静岡支局長に出された。人生至る所晴天あり、を信ずるので喜んで赴任した。

このときの知事は斉藤滋与史氏で参議院から知事に転じて2期目。兄の大昭和製紙会長、齊藤了英はゴッホの「ひまわり」など2点を244億円という途方もない金額で競り落としたものの「死んだら2枚の絵とともに焼いて欲しい」と言ったので顰蹙をかった人物だ。

他の役員が進言して本社に戻ったので、静岡にはわずか1年しか居なかったのだが、知事とは気脈が通じ、月に2回ほどは大昭和が持っているゴルフ場で知事とプレーする仲だった。

斎藤知事の後は石川嘉延知事だが、彼が自治省(当時)の総務部長から静岡県知事選に出ると言って、どこで聞いたかブログ子のところに来て参謀を依頼された。シンボルカラーを黄色で行け、とアドバイスしたら、その通り4期16年を「黄色いネクタイ」で過ごした。

二人の知事の知遇を得て名前は忘れたが「静岡親善大使」「静岡応援隊」のようなものを仰せつかり毎年年の瀬に、芝浦の料亭で懇親会に招かれ進言するようになった。大学で馬術部にいたのだが3年後輩が「静岡県富士山こどもの国」の総合設計者で石川知事のとき開園したという事もあってますます静岡県との縁が深まった。

川勝平太知事は彼が浜松の県立大学教授をしているときに石川嘉延知事が引っ張ってきて引き立てた男である。しかしご存知のようなろくでもないことをするので、知事室に電話して、毎月のように送付されてくる郷土のニュース山盛りの「静岡便り」を以後打ち切ってくれと「絶交」して今に至っている。

静岡県は東西に長い。東海道・山陽新幹線は静岡県内で最多の6つも駅がある。多くは乗客数が4000人ほどと少ないのにだ。静岡は駿河国、遠江国、伊豆国という3つの国に分かれていて県中部、西部、東部では言葉や気質、産業構造が三者三様。

地域の人柄を表す言葉に「駿河乞食・遠州泥棒・伊豆の飢え死に」というのがある。飢饉などが起きたとき、駿河の人はお上に頼って物乞いをし、遠州(遠江)の人は泥棒をしてでも自分の力で食べ物を手に入れる。そして伊豆の人はのんびりし過ぎているのかそのまま餓死してしまうという意味だ。

静岡の一年間、毎夜のように知事と同じ居酒屋「今年竹」やバーをハシゴしたが、長い物には巻かれろの小商人気質が染み付いている土地柄だった。

そんなおとなしいところに、なんの縁もない信州人の男が来て「一滴残らず水を戻せ」とほざいている。そろそろ静岡県人も噴火するときであろう。

リニアの工事妨害を続けるシャイロック知事に鉄槌を!!

ベニスの商人シャイロックばりに、「トンネル工事で出る水を一滴残らず静岡に戻せ!!」とリニアを妨害する川勝平太静岡県知事の無理難題についてはこのブログでも何度も書いてきた。

品川〜名古屋間をわずか40分で結ぶ「リニア中央新幹線」は国民の期待を背負ういわば国策事業である。2027年に開業予定だったが、この知事一人の屁理屈で工事が大幅に遅れて開業の見通しが立たない。

リニアが通るのは県内8.9キロ、リニア全線の2%にも満たない区間だが「静岡県民の命の水だ。湧出する全量を元に戻せ」というのが川勝知事だ。JR東海の試算によれば、工事によって静岡県内を流れる大井川の水が、毎秒約2立方メートル県外へ流出する。

JR側は、流出量と同じ量を大井川に戻す方策を提示しているが、川勝知事はなぜかウンと言わない。なぜか。この問題で一人、当初からこの知事に楯突いている元静岡新聞社記者で、社が知事派なので退社して地域ニュースサイト「静岡経済新聞」を立ち上げ、現在は雑誌「静岡人」編集長をしている小林一哉氏はこういう。

「川勝知事の言う『62万人の命の水』について、改めて検証をしました。真実を一つ一つ紐解いていくと、大井川の広域水道を利用しているのは26万人であり、その26万人も工事の着工で水不足に悩まされることはないことがわかりました。知事の言うことはまったくのデタラメだとわかったんです」。

なぜ川勝氏は頑なにリニアを認めないのか。そこには県側がかねてよりJRに熱望している「静岡空港新駅」との関連性が見え隠れするという。

要するに「命の水」は口実で、知事が目論む取り引きの材料にすぎないのである。こんな勝手な理屈を許す訳にはいかない。

9日投開票された静岡市長選で、元静岡県副知事の難波喬司氏(66)=自民、立民、公明、国民推薦=が当選した。リニア中央新幹線問題では「推進」を表明している人物である。

一方、これまで川勝知事を支持してきた県や流域10市町などでつくる大井川利水関係協議会は3月27日の会合で、水利権を持つ東京電力側とJR東海の協議入りを了承した。リニア推進に舵を切ったのだ。だが、翌28日に県は「疑問点がある」などとして、「意見を取りまとめてJRに文書で照会する」とさらに引き伸ばし作戦に出た。この期に及んでもゴネる川勝知事に一部の首長は不信感を隠さなくなった。いまでは政府関係者も「こんなの行政ではない」と憤っている

今月1日に就任したJR東海の丹羽俊介社長が12日、就任あいさつのため静岡県庁を訪れ、川勝平太知事と面会した。「地域の方々と丁寧にコミュニケーションをとることで懸念を解消していきたいと申し上げ、早期着工への理解と協力を求めた」と話した。

これに対しても、川勝知事は「静岡工区は科学的、工学的にきっちりと議論していくことを再確認した」と話し、着工の前提となる調査や検証の徹底と納得のゆく説明の必要性を改めて強調した。

科学的、工学的にきっちりと結論が出ているのに、このざまだ。この愚かな知事には「納得のゆく説明」など通じない。政治的に「断罪」すべきときではないか。

爆殺の瞬間まで動画で流れる元KGB同士の戦い

ロシア第2の都市サンクトペテルブルクのカフェで2日午後、、親プーチン政権派の著名軍事ブロガー、「ブラドレン・タタルスキー」(本名マクシム・フォミン)が爆殺された。

タタルスキーは、通信アプリ「テレグラム」でロシアによるウクライナ侵略の経過を報告していた。インタファクス通信によると、露治安当局は同日、爆発物を使って殺害した疑いで、同市在住の20代の女、ダリア・トレポワ容疑者=写真右=を拘束した。

露メディアの報道によると、カフェでは当時、支持者らが交流するイベントが開かれていた。トレポワ容疑者が持ち込んだ贈り物が爆発したとみられる。爆発で少なくとも30人が重軽傷を負った。トレポワ容疑者には昨年、反戦デモに参加して拘束された過去があるという。

露外務省のザハロワ報道官は、殺害にウクライナ側が関与した可能性を示唆。一方、ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は「ロシア内部の闘争だ」とし、関与を否定した。

露経済紙コメルサントによると、タタルスキーはウクライナ東部ドネツク州で1982年に生まれ、2011年、銀行強盗の罪で服役。14年に勃発したウクライナ東部紛争に際して刑務所から脱走し、親露派武装勢力側で戦闘に参加した。後に恩赦を受け、露国内に移住。昨年2月に始まったウクライナ侵略でも親露派武装勢力の部隊に参加したほか、テレグラムなどで前線の戦況などを発信し、56万人以上のフォロワーを獲得「全員を殺し、全てを奪う」など過激な発言も行っていた。

露国内では昨年8月、露民族派思想家、アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘、ダリアさんの運転する車が爆発し、ダリアさんが死亡している。このときも露治安機関「連邦保安局」(FSB)は、ウクライナの情報機関が主導したテロ事件だと主張、一方、ウクライナ側は関与を否定した。

◇ ◇ ◇
FSBはソ連時代の秘密警察機関であり対外諜報機関であるKGB(カーゲーベー)の後継機関である。このときはウクライナもKGBの最有力の構成員だった。両国が敵対関係になって、ウクライナの側の要員はウクライナ保安局(SBU)となった。いわば元KGB同士で、「007」ジェームス・ボンドを上回る諜報、暗殺のプロである。

その後ロシア側のFSBは反プーチン派を何人か暗殺しているが、多くは有毒物質や化学物質が使われている。ノーバヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者は2004年、機内で出された紅茶を飲んで意識不明の重体になった。2006年にロシアの元スパイのアレクサンドル・リトビネンコ氏は亡命先のロンドンで飲んだ緑茶に猛毒の放射性物質「ポロニウム210」が混入されており、3週間後に死亡した。

動画ではタタルスキーがこのイベントで金色の自分の彫像を贈られる場面が写っているが、この彫像の腕の部分に200グラムのTNT爆薬が仕込まれていたと思われる。受け取ってすぐ爆発したが、即死したのはタタルスキー本人だけで女性は無事だったことから、無線操縦で外部の人間が起爆させた可能性も指摘されている。

こんな事ができるのはプロの仕業以外に考えられない。ロシア側が言う通りウクライナ側の犯行としたら、「お主もようやるのう」である。

墓穴を掘った立憲・小西洋之のサル芝居

「墓穴を掘る」とは、死後に入るための墓穴を自分で掘る行為から来ている。立憲民主党はブーメラン政党という別称を持っているとおり、舌鋒鋭く突撃するものの最後には自分自身で破滅に向かうのを常としてきた。

同党の小西洋之参院議員は「総務省の最高幹部に共有された超一級の行政文書」との触れ込みで、安倍政権当時、テレビ番組に圧力をかける目的で放送法の解釈を変更すべく、官邸側と総務省が協議した文書を振りかざしたときからマユツバとの声が多かった。高市早苗・経済安全保障担当相に辞職を迫る”越権行為”を支持したのは朝日、毎日などいつものメディアくらいだった。

高市早苗大臣に「捏造」と断定され、風向きが変わった焦りからだろう。問題のサル発言が飛び出した。

29日、週1回の開催が定着している衆院憲法審査会について「毎週開催は憲法のことなんか考えないサルがやることだ。何も考えていない人たち、蛮族の行為だ。野蛮だ」と公言した。

小西洋之は参院憲法審の野党筆頭幹事を務めている。それなのに憲法審について「憲法を真面目に議論しようとしたら毎週開催なんてできるわけがない。私は憲法学者だが、毎週議論などできない。いつ最高裁判決や外国の事例を研究するのか。衆院なんて誰かに書いてもらった原稿を読んでいるだけだ」と言ったものである。

自民党安倍派の塩谷立会長代理は「とんでもない発言だ。.衆院がだいぶ怒って『なんとかしろ』と言っているようだが、淡々とやるしかない」と述べ、別の安倍派幹部は「小西氏を参院憲法審の野党筆頭幹事から差し替えるぐらいしないと、衆院側は納得しないのではないか」と語った。

野党も同じで「衆院憲法審に対する侮辱だ。謝罪を求めるべきだ。私たちは真剣に議論を積み重ねてきている。それをサルだの蛮族だのといわれると我慢ができない」(維新の三木圭恵議員)

国民民主党の玉木雄一郎代表は、SF映画「猿の惑星」を引き合いに「小西氏だけ別の星にいるのか。われわれがサルなら、われわれは『猿の惑星』にいるような気がする。猿の惑星はサルの方が知能が高く、人間を奴隷化したりする。発言の撤回と謝罪を求める」と語った。

立憲民主党の長妻昭政調会長はまずいと思ったようだがかと言って支持もできず「党の考え方ではない事実関係を確認し、どういう意図でか確認したい」」と逃げるばかり。「私は憲法学者だ」と言ったことへの真偽を確かめろという声も上がっている。

本人はこの期に及んでも意気軒昂で、「サル」発言を報じた報道機関に関して「放送法に違反し偏向報道を続けるNHKとフジテレビに対し、放送法などあらゆる手段を講じて、その報道姿勢の改善を求めたい。当然、産経とフジテレビについては今後一切の取材を拒否します」とツイッターに投稿して火に油を注いでいる。

この人物、郵政・総務官僚出身だが、奇矯な言動で物議を醸してきた。2014年3月にはNHK経営委員の顔ぶれについて、東北地方の代表者がおらず、全国各地方の公平性の考慮を規定している放送法に違反するとして長谷川三千子、百田尚樹両経営委員の罷免を要求したり、2014年7月の憲法解釈変更の閣議決定について、「安倍晋三首相が行ったことは法令解釈ではない。日本の法秩序を根底から覆すクーデターだ。憲法を何も分からない首相とそれを支える外務官僚を中心とした狂信的な官僚集団」と発言した。

本場オーストラリアでは、ブーメランは強力な刃物で、戻るや人間の首を刎ねるほど強力だという。

野球の醍醐味がてんこ盛り

ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)は日本時間22日、決勝が行われ、日本が前回覇者の米国を3―2で破り、2連覇を果たした2009年大会以来3大会ぶり3度目の優勝を飾った。1次ラウンドから7戦全勝でMVPには大谷翔平が輝いた。

その瞬間、世田谷の自衛隊中央病院の待合室にいた。いつもなら早く呼ばれたいと思うのだがこの日は、逆で。他の人どうぞお先に、との思いだったが、8回登板したダルビッシュが一死から昨季本塁打王のシュワーバーに右中間へのソロ本塁打を喫し1点差に詰め寄られたところで名前を呼ばれてしまった。医師が「どうでした?」と体調を聞いて来たので「今、1点差に詰められた」と言ったら、笑って大方を来週に回して開放してくれたので、劇的な最後を見届けることができた。

決勝戦は投手戦で見応えがあった。 2番手で3回から登板した戸郷 翔征は、先頭のトラウトをフォークで空振り三振。その後2死一、二塁としたが、前の打席で先制ソロを放っているターナーを再びフォークで空振り三振に仕留めるなど、2回を投げて無安打無失点に抑えた。米野球ファンの間で「ピッチングニンジャ」として有名な投球分析家のロブ・フリードマン氏は、ターナーを空振り三振に仕留めた映像とともに「Shosei Togo, Filthy 85mph Splitter」(えげつないスプリット)と紹介した(スポニチ)という。

2点リードの8回にダルビッシュが6番手で登板。シュワーバーにソロを浴びて1点差に迫られるも、最少失点に抑えて大谷翔平に繋いだ。診察室の前のテレビには自衛隊員を含む人の輪ができていた。先頭打者に四球を出したが、続く1番ベッツを二ゴロ併殺打に仕留めると、エンゼルスの同僚の2番トラウトには160キロの速球を連発して空振り三振でゲームセット。テレビの前では拍手が起こった。

試合前、選手が集まるロッカールームで栗山英樹監督から「翔平、お願いします!」と声をかけられると「1個だけ、憧れるのを辞めましょう。憧れてしまったら超えられない。今日は僕たちは超えるために来た。トップになるために来た。今日1日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。さあいこう!」と気合を注入したという。

大谷翔平のこの一言で、皆奮い立ったという。大谷ばかりでなく今回の「侍JAPAN」には「大和魂」が目立った。ラーズ・ヌートバー選手の異常な人気沸騰は、彼に「大和魂」の発露を見たからだろう。メンバーに入ったときは「ヌートバー、WHO?」という扱いだったが、回を重ねるごとに人気が沸騰した。

ブログ子が気に入ったのは両親とアメリカ暮らしで英語しか話せない彼が、日本人の母親に一所懸命「君が代」を習ってきたというエピソードからだ。。試合前の国歌斉唱では母・久美子さんから習い歌詞を覚えてきたという「君が代」を他の選手の誰より一生懸命に歌っているのがヌートバーだ。来日後に覚えた日本語で一番好きな言葉は「キョウダイ」だという。

試合前の円陣で声出し役に指名されると、輪の真ん中に歩み出ると、片膝を立てて身を乗り出しチームメートに語りかけた。

「キョウダイとして家族として残り6試合。昨日の夜で緊張は解けてる。今日は自由に動き回りましょう」。 締めは両手の平を大きく広げて手振りをつけながら日本語で叫んだ。「ガンバリマス! さぁ、行こうー!!」

スタンドからの大声援に応え、帽子を取って深々と四方に頭を下げる。この日一番大きな“ヌーイング”が送られたヒーローインタビューのお立ち台では、右拳を突き上げて日本語で「ニッポンだいすき!みんなありがとー!」と絶叫し大歓声を浴びた。

メジャーの試合でも見せるコショウをひくパフォーマンス「ペッパーミル」でベンチを盛り上げたのもヌートバーだ。ここのパフォーマンスが大谷から始まり侍ジャパン、そしてファンにも浸透。日本の結束の証として、チームに勢いと勇気を持ち込んだ。

ダルビッシュ有がヌートバーへの思いを明かす。「異国の地でやるっていうのは難しいことなんですけど、そういうことを全く感じさせず、自分からこの国、チームに対して飛び込んでやる、という気持ちが見えますし感じるので……。僕たちもその勇気であったりパワーをしっかりもらっているなと思います」

 ダルビッシュ自身もイランと日本の両方にルーツを持ち、現在はアメリカで活躍している。異文化の壁を乗り越える難しさを理解した上で、その壁をいとも簡単に乗り越え、自ら心を開くヌートバーの気概を感じ取っている。

「大和魂」は何も純粋の日本人特有というものではない。古い話だが、元WBA・WBC世界スーパーライト級王者、藤 猛(ふじ たけし、本名:ポール・タケシ・藤井)は日本語を話せないれっきとしたアメリカ人である。しかも米軍属であった。

しかしリングで勝利するや片言の日本語で「オカヤマのおバアちゃん、(僕が勝った瞬間を)見てる?。ヤマトダマシイね。勝ってもかぶってもオシメよ」と言ったものである。でもちゃんと、「大和魂」と「勝って兜の緒を締めよ」は伝わって日本で流行語になった。

決勝戦はもちろん面白かった。栗山監督などが言うように、大谷翔平が九回表にマウンドに上がり、エンゼルスの同僚で「現役最強打者」のトラウトを三振に打ち取った「夢のような対決」も素晴らしかった。が、野球としてしびれたのは準決勝のメキシコ戦での源田壮亮(西武)の「源田の1ミリ」と「源田の背走キャッチ」という超ファインプレーだ。

七回は一塁走者のメキシコ・トレホが好スライディング、セカンドの源田がきわどくなったタッチを決めて、三振併殺に仕留めたプレー。一度はセーフと判定されたが、リプレー検証で覆った。写真を見ても確かに1ミリプレーだ。試合後サッカーのワールドカップ(W杯)で話題となった「三笘の1ミリ」になぞらえ、「源田の1ミリ」と話題になった。

九回も飛球を背走して好捕した。4―5と日本が1点を追う9回一死の守備で日本の4番手・大勢が7番・トレイホに打たれた打球はフラフラっと内外野の間に上がった飛球となった。源田は背走したまま追走し落下点にピンポイントでグラブを差し出す〝GPSキャッチ〟でピンチの芽を摘んだ。

 試合後のインタビューで大谷が「源田さんもそうですけど、身を粉にしてチームのために頑張ってくれている」と最敬礼した守備の要が、期待に応える好守で9回裏のサヨナラ劇を呼び込んだ。

ガーシーで蒸し返される「参院無用論」

「ガーシー」こと東谷義和が、国会議員として72年ぶりとなる「除名処分」になった。不逮捕特権を失うや、たちまち警視庁は暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などの容疑で逮捕状を請求した。今後、旅券返納命令が出されるだろうし、従わねば国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配される。現在、逃亡先のアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに居座っているもののいずれ強制送還される運命だ。

犯罪者が国会議員になったといった方が早い男の末路は見えているが、ろくでもない人間が「国会の権威を貶めた」傷は深い。もともと「参院不要論」が叫ばれていたが、これで「国会の盲腸」を切れとの声は更に高まるであろう。

ブログ子は成り行きから2人の参議院議員の選挙運動を手伝ったことがある。その経験からして、参院は「無能の輩」の巣窟だと思っている。

自分から買って出たことはないが新聞記者時代からいろんな選挙と関わってきた。三重県四日市市長選、福島県相馬市長選、静岡県知事選など地方選挙から衆参選挙の何人かの議員の「参謀」役でアドバイスした。プロではないから一銭の金も受け取ってはいない。

参議院選挙では時期は違うが2人の指導役をした。いずれも警察官僚から衆議院議員に転じた亀井静香との縁である。選挙区の広島から兄を参議院に入れたいという。最初はダメだったが二度目に当選した。次は福井県選出の某参院議員で元警察官僚だったので6年目の改選が危ないのでなんとかしてほしいということだった。

会ってみて驚いた。とりあえずインターネットで発信することを勧めてホーム・ページを作ったのはいいが、何を書いていいのかわからないと、平然として言うのだ。この地方は蟹が名物だから、その思い出を少し綴ってみてはというと一行も書けない。仕方ないから電話で本人と話して選挙区の漁港のカニの出荷量が増えていことと議員としての活動をこちらが書いた。

次回はというと何も思いつかないというから、北陸新幹線の福井延長との関わりを書いた。といっても2年も前の参院速記録を取り寄せて見つけた本会議で「要望」したことを手柄風に・・・といった具合でほとほと手を焼いた。当選したら、ホーム・ページは塩漬けで当選御礼の電話1本よこさない。

参議院議員になると、年間で議員歳費と調査研究広報滞在費を合わせた約3400万に、政党交付金や立法事務費を乗っけた約4500万円が濡れ手に粟で懐に入ってくる。多くは領収書もいらないし、バレても修正しました、で逃げられるし、さらに追及されても大臣やら政務官という役職を辞任するだけで議員の資格を奪われることはない。

明治時代には、国会は衆議院と貴族院とで構成されていた。第1回衆議院議員総選挙で投票できたのは、直接国税を15円以上納める男子だけ。貴族院は、その名のごとく貴族階級から選ばれて選挙とは関係なかった。その貴族院が、戦後参議院と名を変えただけで、「良識の府」などというのは自分らで言ってるだけで、上述のように中身はおそまつな人たちで構成されているのが実態だ。

無能でも務まって、年間4500万円がもらえるのだから、永久就職先としてこれ以上のものはない。ガーシーのお陰であぶり出された「参院無用論」、これを奇貨として、潰すか大幅改革を進めるか、考えるときである。

無意味な「言葉狩り」 英国でも

「チャーリーとチョコレート工場」などで知られるイギリスの作家、故ロアルド・ダール氏の作品中の表現が、出版社によって変更された。登場人物の容姿や体重に関する記述などが削除されており、激しい論争が起きている。リシ・スーナク首相も批判の声を上げている一人だ。

英紙テレグラフによると、「チャーリーとチョコレート工場」に登場するオーガスタス・グループの容姿は「巨大」(enormous)と表現され、全ての本から「太った」(fat)という言葉が削除された。「The Twits」(邦題「アッホ夫婦」)では、ミセス・ツィット(アッホ夫人)についての「醜くて野獣のよう」という描写から「醜くて」(ugly)が削除され、シンプルに「野獣のよう」となった。「変なアフリカの言語」という表現からは「変な」(weird)が削除された。

ディズニー映画にもなった「BFG」(ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)はロンドンの児童養護施設で暮らす10歳の女の子ソフィーは、ある夜中に巨大な何者かにベッドから毛布ごと持ち上げられて、またたく間に遠い見知らぬところに連れ去られてしまう。 着いたところは人間に知られていない<巨人の国>というストーリだが、BFGが着ているコートの色は黒ではなくなり、「white as a sheet」(顔が真っ青、シーツのように白い)という表現は「still as a statue」(じっとしている)に変更された。「クレイジー」や「狂っている」(mad)という言葉も削除されたと、テレグラフは伝えている。

これに対し、「意地の悪さがダール作品をとてつもなく面白くしている。暴力やきれいではないもの、友好的ではない表現をすべて取り除くことは、その物語の精神を取り除くことになる」‥と猛反対が起こりスナク首相も同調する騒ぎになった。

出版社パフィンは「現代の読者により適したものに更新した」と言っていたが、猛烈な反対の前にたまらず「オリジナルのままで引き続き出版する」と折れたという。

◇ ◇ ◇

ブログ子がロアルド・ダールの短編集「KISS KISS」を読んだのは数十年前だが、面白さに圧倒された。東大英文科を出た後輩記者が「ゼミで皆で読んだがとにかく面白い」というので、13篇を原文で読み飛ばした。当時は邦訳がなく、やがて開高健の「キス・キス」が早川書房から出たのだが、そうだったのか、と英語力不足を嘆いたものだ。

なかの一遍『女主人』は、バースの町に赴任した青年ビリーは、ちよっとかわった中年婦人の家に下宿する話。ほかにも二人下宿人がいるはずなのに、その気配がない。女主人との会話の中で、何年か前に失踪した学生たちとこの二人に共通項があるのに気づく。女主人を問い詰めようとすると、飲んだばかりの紅茶のせいか、意識が朦朧としてきた…。

怖ーーい結末が予想される。そのとおりであるが、この一遍で英語と米語は違うこと、開高健の邦訳にも多くの誤訳があること‥を知った。後年、英文学を専門とする先生方が指摘しているが、英国を深く知らないと読み方が変わってくることなど、さすが英文科のテキストに使われるだけのことはあると、実感した。

例えば、
The name itself conjured up images of watery cabbage, rapacious landladies, and a powerful smell of kippers in the living-room.とあるところだが、

「下宿屋という名前自身が、水っぽいキャベツや、強欲なおかみ、さては下宿人たちのものすごい臭いを彷彿とさせる。」(開高健訳)

「kipperには、若僧、ガキ、という意味もあるが、並列の具合からして”ニシンの燻製の臭さ”(英国ではよく朝食に出る)ととるのが筋。(翻訳家 柴田耕太郎)

といった具合である。

また少しそれるが、部落解放同盟による「言葉狩り」が最盛期のころ、遠藤周作がエッセーで「近くに住む隠亡が」と書いた。直後、文化部デスクが「士農工商芸能人」と書いて、編集責任者としてブログ子が解同と交渉する羽目になった。

交渉内容は書けないが、1,2か月後収めたものの、並行して同業他社の新聞3社が同じような「言葉狩り」で交渉していたから、マスコミの重荷だったことは確かである。

ロアルド・ダール作品は今の価値観で見たら、黒人差別、性差別、体型侮辱・・・いっぱいである。だからといって、みな今風に書き換えたらそれはもう、改竄以外の何物でもない。第一「面白さ」などみな消えてしまう。今後はともかく、過去を「差別」の目で見ないことだ。

辻元清美は「育ちが悪い」

最初に言っておくがブログ子は「育ちが悪い」人間が嫌いである。「育ちが悪い」を判断するには色々あるが、その一つが箸の持ち方だ。

その「箸の持ち方」がまるででたらめな立憲民主党の辻元清美参院議員が先月の参院予算委員会で質問に立った。落選した衆院からくら替え後初めての国会論戦に勇んだのか、岸田文雄首相に対し、「ソーリ、ソーリ」と連呼するいつもの辻元節でうんざりした。

 昨年10月の衆院選で落選したときはブログ子は「やれやれ」と安堵したものだが、やはり「ただの人」ではいたたまれないのと、人材難の立憲民主党の内情から昨年7月の参院選で国政に復帰してきた。

約1年ぶりの国会質問を前に「きのうは緊張してほとんど眠れなかった」とかで、質疑では、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍晋三元首相の関係の調査などを迫ったが、岸田氏にかわされる場面が目立った。

「総理の口癖は、『様々』なんですよ。『様々な』議論とか、『様々な』意見と総理がおっしゃるとき、大体ごまかすときなんですね。私との質疑では『様々な』議論、『様々な』意見という言葉は封印していただきたい。これをまず申し上げておきます」

ところが岸田総理はその言葉をわざと使って「『様々な』…失礼。『様々』と言っちゃいけなかったですね、ごめんなさい。この10年間を見ましても、子ども・子育て政策については、社会の変化の中で『様々な』議論が行われてきました‥」と余裕でかわしていた。

社会党を壊したのは福島瑞穂だし、立憲民主党を壊したのは辻元清美、蓮舫、山尾志桜里で、野党はみな女難で傾いている。社民党は消滅寸前、辻元落選、不倫と離婚で国会を去った山尾志桜里は今は菅野(かんの)姓で弁護士と、いずれも落魄してあまり名前も聞かなくなった。

辻元清美が「育ちが悪い」と言った手前、その証拠を挙げておく。趣味は「うどん食べ歩き」と1月22日のツイッターに〈さぁ、今日は香川だ。やっぱりまずうどんやろ。〉という投稿とともに、うどんを箸ですくいあげる写真を投稿した。誰が見てもでたらめな箸の持ち方である。

指摘されると〈実は小学生のときに中指をケガして以来、こうなってしまいました……〉と翌日に言いわけしたそうだが、箸を使うに中指はほとんど力が入らない。後出し言い訳であろう。辻元清美を弁護して安倍晋三元首相も箸の持ち方が悪いと言い募る人もいるらしい。少し崩れているが辻元清美ほどデタラメではない。

ちなみに、岸田文雄首相、菅義偉・前首相は正しい持ち方をしている。麻生太郎・元首相は食通なだけあって、食べ方が美しいことで知られている。首相の芽はほとんどなくなった石破茂・元幹事長は箸の持ち方が独特で“ちょっと怪しい”と囁かれているそうだ。

死せる西山太吉を褒める勿れ

(新聞報道)
昭和47年の沖縄返還を巡る密約を報道し、国家公務員法違反で有罪となった元毎日新聞記者、西山太吉氏が2月24日、心不全のため北九州市内で死去した。91歳。山口県出身。葬儀は近親者のみで行う。

毎日新聞政治部記者だった46年、外務省の女性事務官から沖縄返還での日米密約に関する機密公電のコピーを入手、報道した。

その後、コピーを当時の社会党国会議員、横路孝弘氏に提供し、横路氏が47年3月の衆院予算委員会で、佐藤栄作内閣を追及したことで、公電の出所が判明。同年4月に事務官とともに国家公務員法違反容疑で警視庁に逮捕、起訴された。東京地裁は49年、無罪判決を言い渡したが、東京高裁は51年に懲役4カ月、執行猶予1年の逆転有罪判決を下し、53年に最高裁で確定した。

平成12~14年にかけ、密約を示す米公文書が相次いで見つかったのをきっかけに17年、違法な起訴や誤った判決で名誉を傷つけられたとして、国に謝罪と損害賠償を求めて提訴。20年に最高裁で西山氏の敗訴が確定した。

◆ ◆ ◆

今月刊行された、読売新聞グループ本社代表取締役主筆である渡辺恒雄氏へのロングインタビューを元にしたノンフィクション『独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた~』(新潮社)を読んだばかりだった。その中で「太(ふと)キチ」(女性秘書をたらしこんでの取材が明らかになった当時の巷間の呼び名)がナベツネについて語っていた。

「派閥のトップ記者どころじゃない、もう派閥を代表するような記者、大野派のとにかく傑出したナンバーワン記者ですよね。だから政治記者の中でも有名でしたよ。とにかく『読売に渡辺あり』であり、渡辺恒雄は格別な待遇でした」

ナベツネ96歳、「太キチ」91歳。戦後政治史の語り部も超高齢で、昭和も遠くなりにけりだが、リベラル左翼が彼の死を「よいしょ」する風潮には大いに違和感を感じる。このブログで前回、前々回と「オフレコ破りの毎日と共同通信はそんなに偉いのか」を書いたばかりだが、「太キチ」はやはりそんなに褒められた存在ではないと思う。

ブログ子があれこれ書くより、週刊新潮の「変見自在」で高山正之が書いているのを見てもらったほうが早いので再録する。昨日、ブログ子がいた夕刊フジのOB会「おれんじ会」で同席し昔話をしたばかりである。

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毎日新聞は屑    高山 正之
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米占領地、沖縄が間もなく返還されようという昭和47年春。

 先日、物故した社会党の横路孝弘が国会質問に立って「4000万ドルの闇金が米国に支払われた」とそれを示す密約文書を振りかざして政府を糺した。実際は占領を解く謝礼金で、有体に言えば沖縄買取金の一部だった。

 世間も佐藤栄作も吃驚はしたが、ただ横路だってアルザスロレーヌくらいは知っていたと思う。仏領時代はロレーヌと呼んだ領土は独が取るとロートリンゲンになる歴史を4度も繰り返してきた。戦争で取られたら戦争でしか取り返せないものなのだ。

 沖縄も同じ。取り返すなら米国とまた一戦交えねばならない。それを僅かなカネで買い戻すのに成功した。背景は島民4人に一人が米軍に虐殺された深い傷跡があった。だから島民は「ハワイより素晴らしい沖縄」(ポール・キャラウェー)にするための都市計画も医療福祉も徹底的に反発した。

米国民にすると言えば大方の民は泣いて喜ぶ。喜ばない沖縄の民に米国は呆れ、かくて戦火なしの返還につながった。横路はそれが分からなかった。

 一方、栄作は怒った。誰が外交文書を盗み、領土買戻しの偉業を汚したのか。社会党はあれで口が軽い。すぐに毎日新聞西山太吉の名が出てきた。手口もバレた。太吉は外務省女性事務官と懇ろになって彼女に文書のコピーを持ち出させていた。

 女を口説いてネタを取るのは一概に悪いとは言えない。問題はその先だ。太吉は特ダネを取りながらなぜか書かなかった。何週間も寝かせてから横路の許に持ち込んだ。それで栄作を政権の座から引き摺り下ろそうとしたのは一目瞭然だった。

 太吉は記者の肩書を使って政局を作ろうとした。毎日新聞が太吉擁護に言い立てた「国民の知る権利」は全く的外れだった。おまけに太吉はネタ元の女性事務官の名を隠しもしなかった。酷い話だ。

 この事件の二昔前、売春汚職があった。廓を閉じる売春防止法阻止のために業者が自民党議員にカネをばらまいていた。折しも検察内部では馬場派と岸本派が対立していた。岸本派の伊藤栄樹が「宇都宮徳馬を引っ張る」とガセネタを撒いた。馬場派の河合信太郎がそれを読売の立松和博記者に漏らし、読売はガセとは知らず派手に報じた。

 検察は立松を逮捕し、馬場派からのリークを自供させようとした。立松は頑としてネタ元を明かさず、のちに自殺した。太吉にはそんな記者の倫理はなかった。外務省の女性はすぐ逮捕された。女は太吉が酒で彼女を酔わせて犯し、その弱みに付け込んで文書を持ち出させていたことを明かした。

 太吉は情交後、埼玉に帰る女に500円札を渡したという。それで駅までタクシーで行って地下鉄で帰れという意味だった。太吉は記者でもない、ただのケチな男だ。

 毎日新聞にはホントに碌な記者がいない。例えば浅海一男だ。この男は支那戦線で「向井、野田両少尉が百人切りを競った」という与太記事を書いた。二人は戦後、それで戦犯とされ、処刑された。決め手は浅海が「記事は事実」と嘘を繰り返したからだ。浅海は偽証の謝礼に廖承志から永住権と北京の豪邸を貰った。

 先日、首相秘書官が非公式会見で同性婚を素直に気持ち悪いと語った。この種の会見ではメモすら禁止だ。書いても「官邸筋」とかぼかす。だからルールを弁(わきま)えない外人記者は入れない。そんな場で本人が「オフレコ」と言ったら「何も書かない」のが約束だ。

 しかしそこに毎日の記者がいた。秘書官に鎌をかけ、乗らせて語らせ、ばっさり実名報道した。他紙も「言ってはならぬこと」とか後追いしたが毎日に倣ってはならない。

 毎日にまともな記者などいないのだから。

「H3ロケット」どうしても「失敗」にしたいお粗末記者

2月17日のJAXAの次世代主力ロケット「H3」初号機の打ち上げを注視していた。糸川博士のペンシルロケットに始まる日本の宇宙科学の歴史を思い出しながら。

結果はご承知の通りで、ロケットの機体システムが異常を検知し、補助ロケットへの着火信号が送信されなかったため、発射中止となった。ブログ子は白煙の中にロケット本体がそそり立ったままなので、これは電気系統の異常だろう、すぐ再打上げできると踏んで安堵した。

ところが共同通信の配信を受けている新聞では「失敗」と大きく見出しをとっていた。そんな目で見なくともよかろうと思っていたが、その後、JAXAの会見で共同通信記者の発言の馬鹿らしい内容を知り、今どきの科学記者のレベルはこんなものなのかと一気に噴火、この記事を書くことにした。

JAXAのH3プロジェクトチームプロダクトマネージャであるJAXAの岡田匡史氏が出席しての会見中、共同通信の記者が「失敗なんじゃないか」と追及した。これに対し岡田氏は「何か著しく不具合があったわけじゃないです。ロケットというものは基本安全に止まる状態でいつも設計しているので、その設計の範囲の中で止まっている。そこに照らし合わせますと失敗とは言い難いと思います」と丁寧にこたえた。

するとこの記者は「つまりシステムで対応できる範囲の異常だったんだけれども、起こるとは考えられなかった異常が起きて、打ち上げが止まった。こういうことでいいですね。わかりました。それは一般に失敗といいます。ありがとうございます」と突き放すように切って捨てた。

翌、18日の全国紙の見出しは以下のとおりだ。みな真っ当である。

<朝日新聞> 新型「H3」打ち上げ中止
<毎日新聞> H3発射直前で中止
<読売新聞> H3打ち上げ直前中止
<日経新聞> H3打ち上げ「中止」
<産経新聞> H3打ち上げ中止

ところが共同通信の配信が多い地方紙は揃って「失敗」となっている。如何に恣意的かわかろうというものだ。

何が何でも「失敗」にしたいこの共同通信記者には実業家の堀江貴文氏も「切れた」ようで、どこで調べたか「鎮目宰司」というこの記者の実名を明かして非難していた。

前々回のこのブログで首相秘書官の性的マイノリティーに対する発言を一方的に「オフレコ破り」した毎日新聞と共同通信を批判したが、この通信社は昔から「真っ赤っ赤」で有名だった。国や憲法や制度などを一方的に引きずり下ろすのを得意にしてきた。

我が山墅がある長野県の「信濃毎日」は昔、山路愛山が主筆で厳正中立の大言論を展開したものだが、今ではただの左翼紙である。ここばかりでなく地方紙の多くは共同通信の配信を受けているところが殆どで、政治原稿から社説まで「左」である。ブログ子の振り出しは三重県の津支局だったが、ここの「伊勢新聞」は労組の幹部まで共同通信から「配信」受けていたくらいだ。

地方紙が読者減でつぎつぎ倒れていて、畢竟、共同通信も収入減で社員300人削減など合理化を迫られている。まともなのが残っているのかと思いきや、こういう不出来な記者が末席を汚しているわけだ。

それにしてもこの記者の相手をした岡田匡史・プロジェクトマネージャーは立派だった。「きょうという日を待っていたミッションオーナーや、見守ってくださっていた方が大勢いる。申し訳ないと思っているし、われわれもものすごく悔しい。一緒に頑張ってきた人に残念な思いをさせてしまった。子どもたちも待ってくれていた。『ごめんね』と言いたい」と言葉を詰まらせて目頭を押さえた(写真左)。

たかだか2メートルほどのペンシルロケットの打ち上げから始まった日本のロケット打ち上げ技術は今や世界一流である。国際宇宙ステーションには日本人の宇宙船長が活動中だ。それを支えているのはこうした一途な技術者である。

共同通信の「鎮目宰司」記者は彼らにもう少し「敬意」をもったらどうか。

中国のスパイ気球に見る日本の能天気

防衛省が日本上空を飛行した物体を「「中国が飛行させた無人偵察用気球であると強く推定される」と発表したことについて 中国外務省・汪文斌副報道局長(写真右)は「日本は確固たる証拠がないのに中国の顔に泥を塗った。中国は断固として反対する」といつもの強面で突っぱねた。

戦狼外交の常とは言え、アメリカには「気象衛星が逸れた」とウソをつき、日本には証拠があるのかと開き直るところを見ると、この異形の国のスパイ行為に間違いないとし言いようがない。中国は数年前から日本はじめ世界各国に偵察気球飛ばしていたのである。

それにしても日本のこの「緩(ゆる)さ」は何たることか。防衛省によると、偵察気球の飛来は、2019年11月に鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市、2020年6月に宮城県仙台市、2021年9月に青森県八戸市上空の3回。酷似した気球は、昨年、沖縄でも目撃されている。中国は平和ボケ日本をいいことに毎年のようにスパイ気球を飛ばして平然としていたのだ。

 松野官房長官は「過去に我が国領空内で確認されていた特定の気球型の飛行物体については、その所属を含めた詳細について所要の分析を継続してきた。さらなる分析を重ねた結果、これらの飛行物体は中国が飛行させた無人偵察用気球と強く推定されたことから公表を行った」というが、アメリカで断固として撃墜行動をとったことを受けての後追いであることは明白だ。

宮城県では当時、“謎の白い球体”として騒動になった。(写真左)しかし「UFO(未確認飛行物体)か?」と新聞テレビの社会面で扱われたくらいで済ませていた。

村井嘉浩知事は防衛大学卒で、陸上自衛隊でヘリのパイロットだった人だが、6日の記者会見で、「似ていると言われれば似ているが…。今でも正体不明」と述べ「県などは調べようもなく、どうしようもなかった」(村井知事)という。

15日の国会でも当時の防衛大臣だった河野太郎・現デジタル大臣が矢面に立たされた。立憲民主党・大西健介議員が「(2020年)6月19日は『24時間365日、レーダーその他で監視体制を続けております』と答えている。ところが23日は『どこに行ったか定かではございません』。これはどういうことか」と聞かれたのに、

 河野防衛大臣(当時)「どこに行ったかは定かではございませんが、自衛隊の気象班が保有しているものではないということは確認しております」

大西議員が更に「また日本に戻ってくる可能性は?と聞くと、「気球に聞いて下さい」

重ねて大西議員が「気球は日本の安全保障に影響を与えるものではないということか」と聞くと、「ん?どの気球?。「(Q.通り過ぎた気球)安全保障に影響はございません」と素っ気ないというか逃げ逃げというか、とぼけた答弁に終止した。

はっきり言うと、日本政府は、中国から気球が飛んできていることにすら気づいていなかったのだ。アメリカ軍が戦闘機で4つのスパイ気球を撃墜してから、やっと「そういえば日本でも・・・」と行動に出ただけである。=写真右はサウスカロライナ州で戦闘機(右の飛行雲)に撃墜される寸前の中国の気球

もっとも今回の気球騒動でいい面もある。領空侵犯した気球や無人機を撃墜できるよう、政府が自衛隊法の運用を見直し、武器使用の要件緩和を検討し始めたからだ。そもそも従来の自衛隊法では、出所不明のものに撃墜命令は出せない。また国内に被害が及ぶことが明確でない限り、撃墜は不可能になっていた。

加えて自衛隊法84条は領空侵犯への措置として「退去させるために必要な措置を(自衛隊に)講じさせることができる」と規定している。武器使用を有人機を前提にした運用で気球などの無人機への対応については無策だった。

お人好しの日本国憲法といい、殺されて初めて反撃を認めるという専守防衛といい、世界はごろつきで溢れている現状に、日本は到底対抗できない。ブログ子など、とっくのとうからロシアと中国を「仮想敵国」に指定している。日本国も見倣ったら如何か。

◇ ◇ ◇

もう一つ付け加えることがある。中国の気球についての朝日新聞と毎日新聞の社説である。

朝日は「今は対決をあおるより、あるべき米中関係のあり方を冷静に議論するときだ。安定秩序に資する実のある対話を深めてほしい」

毎日は「両国間の緊張を高めた責任は中国にあるが、価値観や認識の違いを抱える両国だからこそ、意思疎通を重ね、緊張をこれ以上高めないように外交努力を尽くさねばならない」

能天気を通り越して、「馬鹿じゃなかろか」としか言いようがない。

オフレコ破りの毎日と共同通信は「偉い」のか

 性的少数者や同性婚をめぐる差別的な発言があったとして、岸田文雄首相は首相秘書官、荒井勝喜氏を更迭した。

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問題の発言は2月3日夜。報道各社の記者約10人が取り囲んでいた中だった。やりとりは、次のようものだった。 
記者 岸田文雄首相は国会で同性婚制度導入に関し「社会が変わっていく」と答弁した。

荒井氏   社会の在り方が変わる。でも反対している人は結構いる。秘書官室は全員反対で、私の身の回りも反対だ。

記者 世論調査で若手の賛成が増えている。

荒井氏 何も影響が分かっていないからではないか。同性婚導入となると、社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にはいたくないと言って反対する人は結構いる。

記者 悪影響は思いつかない。

荒井氏  隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。人権は尊重するが、選択的夫婦別姓よりは同性婚の方がインパクトが大きい。
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ブログ子など共感するや大である。そんな事言うと現在大手を振って跋扈している人権擁護派、LGBT擁護の左翼人種に糾弾されそうだ。だがこちらは公職にある荒井氏と違って、新聞社を辞めて10有余年、無為徒食。幸いにも追われるポジションもない。

「人権テロ」と言って良い風潮に逆らう一文を書きたいが、今回取り上げるのはそのことではない。以上の発言は記者団とのオフレコの席たったということだ。世に出たのは毎日新聞と共同通信のオフレコ破りからである。メディアにとってこちらのほうが命取りだと思う。

オフレコ破りを援護する意見はこうだ。 「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ、という発言は、明らかに性的少数カップルに対する差別であり、憎悪を放つヘイト発言とも言える。荒井氏は、首相の国会での演説や答弁などの作成に携わるスピーチライーターも務めている、とのことだ。そうした人が、これだけ人権意識に欠落した発言をした事実は、報じるに値する公共性・公益性があると言えよう」(江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授)

この人は神奈川新聞にいたオウム評論家だ。いつの間にか政治評論家に変身してしかも大学教授というのには驚いたが、父親は産経新聞整理部にいた共産党員だった。産経にも共産党はいるのである。

彼女は知らないかもしれないが、オフレコ破りは認められているのである。ただし後述のような一定の検討の後である。

その前にオフレコはなんで生まれたかということを書く。ブログ子も今回の舞台になった国会記者会館で内閣記者会にいたこともあるが、日常の取材で首相以下本音を吐くことなど期待できない。せいぜい役人が書いた模範解答文を読んでオシマイである。新聞記者はどうしても公表される部分の裏側を知らねばならない。そのため夜討ち朝駆けするのだが、向こうもこっちもたまったものではない。

政治家と記者クラブの間の溝を埋めるべく考え出されたのがオフレコである。オフレコ(英語: off the record、記録にとどめないこと)とは、談話などを公表しないこと、または非公式なものとすることを指す報道用語で、日本新聞協会編集委員会はオフレコについて「ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と述べている

双方が事前に約束することなく発言者が発言し、発言後に「オフレコ」とマスコミ側へ依頼又は脅迫しても、オフレコの条件を満たさない、とも。

これに該当するものに、2011年7月、 松本治一郎の孫で部落解放同盟(中央本部)副委員長出身の民主党議員である松本龍復興相の発言がある。テレビカメラやメディア記者らの前で開催された村井嘉浩宮城県知事との対談において、暴言をした後、記者らに向かって「今の最後の言葉はオフレコです。絶対書いたらその社は終わりだからな」と脅迫した一件。東北放送が報道して、松本は世論の批判を受けて、復興担当大臣を辞任した。

こうした約束事でオフレコが成り立っているのである。一般にはわかりにくいだろうが、新聞記事に以下の表現があれば誰の発言かわかるのである。

政府首脳 (官房長官、首相の可能性もある)、政府高官 (官房副長官、官房長官の可能性もある)、首相周辺(首相秘書官など)、政府筋(官房副長官、首相秘書官)、党首脳(党首、党幹事長)、党幹部(党三役)、○○周辺 (○○の秘書)、○○省首脳 (次官級)、○○省幹部(局長級、審議官)

オフレコ発言は発言者の了解を得なければ、原則としてオフレコ解除をしてはならないものである。ではどういうときにオフレコを破って報道できるか。発言者と記者(記者クラブ)の約束事で成り立っているのだから信義がある。しかしあまりにも重大で報道しなければならないというケースもある。その時は記者が勝手に判断するのではなく、記者クラブ全体で合議に至れば、発言者に通告して記事にすることができる。

今回、毎日新聞はどうか。「オフレコの取材をした記者が非常に宜しくない発言だと受け止めて、上司に公開すべきではないか、と報告した。それを政治部長他の幹部が急遽議論、オフレコの場での発言であっても看過出来ない重大な問題である。決まりを破ることを辞さないと合議で決め、その旨を荒井氏に伝えるという手順を踏んで報道した」(毎日新聞・佐藤千矢子政治部長)。つまり記者クラブを通すことなく、毎日一社で決めた、と得意顔する。

この発言はTBSのワイドショーでのものだが、そばには時事通信出身のコメンテーター、田崎史郎がいた。彼は、小沢一郎がかつてオフレコの席で、「海部俊樹は馬鹿」「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」などといったのを『文藝春秋』(1994年10月号)で明かし、オフレコ発言の暴露を咎められて、時事通信から減俸と出勤停止の処分を下された、当の本人だ。この番組では「オフレコ破り」の二人がガン首揃えていたわけだ。

正義ヅラして、公共性、公益性にかなう、報じるに値するオフレコ破りと彼らが強弁しようと。これまでさんざ苦労してなんとかこれまで築いてきた情報源と報道側の「信頼関係」を壊したのは疑いない。今後は当局側の「木で鼻をくくったコメント」が続出する可能性が高く、今後の取材にも影響するのであろう。

「れいわ新選組」と「NHK党」は国会から失せろ

れいわ新選組の山本太郎代表(48)はうつ病を理由に議員辞職した水道橋博士(60)の残り5年半の任期に1年ごとに議員を交代させるローテ制の導入を表明した。個人の得票順で3位以下だった大島九州男▽長谷川羽衣子▽辻恵▽蓮池透▽依田花蓮-の5人が1年ごとに辞職し、繰り上げで順番に参院議員を務めるという。

山本太郎代表とめでたく国会議員になりそうな蓮池薫氏

重度障害者を押し立てて参議院選挙で得票率4・37%(全国)で議席を得る手口についてはこのブログで以前にも批判した。山本太郎代表はタレントで、水道橋うんぬん氏もお笑い出身ということ以外知らない。拉致被害者家族連絡会事務局長を解任された蓮池透の名前はよく知っている。「日本政府は少なくとも4度、北朝鮮を騙した」「拉致問題により、狭いナショナリズムが醸成された」など、と横田早紀江さんらと違う言動が目立ち、家族連絡会からは敬遠されていると聞く。

こんな人たちが1年交代で国会議員を務めるのかと思うとげんなりする。何ができるというのか。山本太郎は「憲法に禁止とは書いてない」と開き直るが、当たり前だ、だれがそんな邪道を想定するものか。

彼は昨年4月に衆院議員を辞職し参院選にくら替え出馬という奇手で当選したが、そのときも「議席の私物化では」と物議を醸した。禁じ手で、法の網をすり抜ける手口を考え出す常習犯なのである。

もうひとつ、この党には大石あきこという人物いる。2022年6月の衆院予算委員会で、鬼の面や紐に繋がれた犬の写真を提示して、岸田文雄首相を「資本家の犬、財務省の犬」「飼い主を間違えたら駄目だ」と口汚く批判して委員長から注意された。たった4万3000票で当選した「狂犬」のようなのがこの党の「共同代表」というのだから、あきれる。

「NHK党」もどうにもならない政党だ。現在は同じく先の参院選で当選したガーシー(本名・東谷義和)議員=比例代表=が中東のドバイに居座って一度も国会に登院しない問題で、自民、立憲民主の両党から今後も登院しない場合は国会法124条に基づき、懲罰委員会にかけられそうだ。

ガーシーという人物も氏素性がわからない。なんでも動画投稿サイトで著名人を中傷、脅迫したという訴えをもとに、警視庁が任意の事情聴取を要請している。すでに、暴力行為法違反(常習的脅迫)容疑などで関係先のいくつかが家宅捜索を受けた。帰国したら逮捕されるのが嫌で逃げているとも言われるが、そんな男が国会議員というのもふざけた話だ。

 NHK党の立花孝志党首は、「国会に来なくても、めちゃくちゃ仕事しています。どうぞ懲罰委員会やってください。一番重い除名をするというのは時期尚早」と話している。その本人たるやドバイに居座って(懲罰に向け動く立憲・維新両党に対し)SNSに、「俺一人の歳費とめて、なんか世の中よくなんの?いまオレのこと槍玉にあげることが、お前らに票入れた国民の望むことなん?そー思ってるなら、相当頭悪いから、もー議員辞めや笑笑。お前らと喧嘩すんのに、なんの躊躇もなくやれるんで、いくらでも吠えて下さい。こちらには何も響きません笑笑」とほざいている。こんなのが「めちゃくちゃ仕事している」というのか。

この立花党首というのも今ひとつわからない男だ。以前NHKの職員だったそうだが、党名を「NHK受信料不払い党」とか「NHKから国民を守る党」、自分が出馬した都知事選では、自らが代表となって新規に立ち上げた「ホリエモン新党」、その後も「議席を減らします党(代表)」と変えて、今では「現在は何党?」と冷やかされるほど、メディアを翻弄し尽くしてきた。

「コロナは風邪」と言ってみたり、座右の銘に「金と知恵は使えば使うほど増える」「金と女と票は追えば追うほど逃げる」を挙げるなど支離滅裂だ。

ブログ子は新聞記者時代多くのNHK記者と付き合いがあった。豊富なNHKの経費には圧倒された。例えばこちらが取材用にホンダの50ccのカブが来たと言って喜んでいるとき、NHKには軽自動車の「スバル360」だったし、こちらのカメラがジャバラ式のフィルム装填のコニカパールのとき、NHKはポラロイドカメラといった具合である。

強制徴収のテレビ視聴料で有り余る金を良いことにアナウンサーや報道記者は民間の社長以上の年収1000万円~2000万円以上がざっくざっく。それでもNHKならではの番組作りには共感している。ネイチャー物などよく見ているが厳冬の北海道の雪原にテント張って何ヶ月もキタキツネや野鳥やクマを追いかける取材は民放には真似できないのをよく知っているからだ。

NHKが国民から聴取料をとる制度はイギリスのBBCを真似したものだが、英国ではBBCを他の民放並みにしようという動きが出ているそうだ。NHKには高給を食みながら従軍慰安婦ものや天皇戦争犯罪ものなど13本も作った女プロデューサーがいる。こういう現実を知るとNHK民営化論に賛成したくもなるが、「N党」のむちゃくちゃには同意出来ない。

ガーシーが懲罰委員会に掛けられて議員辞職させられたとしても、「NHK党」は痛くも痒くもない。仮に議員辞職した場合でも、彼は比例代表で当選しているので、すぐ下の候補が繰り上げ当選することになる。党の議員の数は減らないし、政党交付金も変わらないのだ。「れいわ新選組」と同じ構図である。

こんな政党に投票した国民の顔が見たい。

目糞鼻糞を笑う

デヴィ夫人(83)がツイッターでロシア寄りの発言をする森喜朗元首相(85)と鈴木宗男(74)を「老害」と批判した。

曰く「森元首相と鈴木宗男は老害以外の何者でもない。プーチンと写真を撮ったから“トモダチの国”を非難するな、自分が日露の外交を拓いたから、と馬鹿を言う。」(デヴィ夫人のツイッターより)

これに対し猛反発した鈴木宗男が「デヴィさんにね、あなたが老害じゃないですか。ケンカには元々何が原因かという、その元があるのではないでしょうか。歴史の勉強はあなたよりも私がしている。外交に立ち会っていない人とは訳が違うということを、私はきちっと説明したいと思います」

デヴィ夫人は日本政府が退避勧告を出しているウクライナの首都キーウ虐殺があったブチャの病院などを訪問、防寒着やオムツなどの支援物資を届けて、官房長官にすみやかに帰国を、と釘をさされたばかり。

彼女はさらに反論して「プーチンさんの理由は本当のこじつけですし、正当化できないですよ。本当に歴史を勉強しているんだったらば、プーチンさんの方がおかしいということに気がつかないと。ブチャでは車ごと焼かれた人たちがたくさんいるわけですよね。その車の横腹に、ひまわりの絵がいっぱい描いてあったんですね。ウクライナが負けるようなことがあったら、それはもう民主主義の墓場になってしまう。ドイツも戦車を送る、フランスもする、英国もするというなかで、森元首相と鈴木宗男氏は何を思っているのかしらと思います。もう老害ですね。(宗男氏らは)恥を知れですね。」

ブログ子はこのやり取りを聞いてたちまち表題の言葉を思い浮かべた。この二人についてはそれぞれ世間に登場したときから裏事情を知っている。

デヴィ夫人は19歳で高級クラブ「コパカバーナ」のホステスとして働いていたとき遊びに来たインドネシアのスカルノ大統領に見初められたことになっている。

それはちょっと違っている。スカルノは日本に戦時賠償金を要求、これを呑んで今の金で290億円を12年間支払うことで合意した。巨額の賠償金を巡って政治家や商社が暗躍した。

政治家では川島正次郎。今も「政界、一寸先は闇」と使われるが、これは彼の言葉である。他にも 「寝業師」「江戸前フーシェ」「おとぼけの正次郎」「カミソリの正次郎」「道中師」{軍師}・・・数々の仇名で呼ばれた、稀代の策士であった。総理の席は狙わず、田中角栄を総理にするなどもっぱらウラで動いた人物で、資金はインドネシアからのキックバックで賄った。

商社では「東日貿易」。色好みのスカルノが要求したようだが、白羽の矢が立ったのが「コパカバーナ」で美貌をかわれていた根本七保子(デヴィ夫人の本名)だった。中堅商社の東日貿易の久保正雄社長が仲介して丸紅から「東日貿易の秘書」としてスカルノ大統領の元へ送り込まれた。

口説いたのは川島か久保社長かわからないが、彼女持ち前の愛国心に訴えて、「お国の事情でインドネシアの大統領の愛人になってほしい」と伝えたのではないか。

気性が激しく、アメリカでフィリピン大統領の孫娘をシャンパングラスで殴りつけ37針縫う大怪我をさせた傷害罪で60日の禁錮刑に処せられたり、日本のテレビで女性を平手打ちしたり、右翼と渡り合ったり、近いところでは内妻に毒殺された「和歌山のドンファン」事件でドンファンとの親密交際が表に出たり、しょっちゅう週刊誌を賑わせている「目立ちたが屋」である。

鈴木宗男の名は、総裁選直後自殺した中川一郎の取材過程で知った。1983年(昭和58年)1月9日、札幌パークホテル10階バスルームで自殺したのだが、お屠蘇気分も抜けきらない新聞社の編集局でブログ子が動転した出来事だった。

死因については、自民党内でしゃにむに自分の派閥を作り上げて総裁候補にまでのし上がったが、その過程で、人間関係や政治資金などで相当の無理をしており、その心身の疲労と大酒飲みがあいまって自殺という形で爆発したというのが定説だ。

しかし、ソ連の対日工作員レフチェンコから中川一郎が巨額な政治献金を受け取っていたのを、中曽根・後藤田ラインに知られ、暴露するぞと脅されたとか、総裁選で膨大な金を使いすぎ借金返済に困窮していた、ソ連のKGBに謀殺された・・など他殺説がぞくぞく出てきた。その中に、当時第一秘書だった鈴木宗男が裏切って親分の地盤から出ると言い出したのに悩んでいた、というものがあった。「鈴木宗男はCIAと結託して中川を収賄疑惑に引き込んだ」というのもあった。

今もって分からないが、当時はウラを取るべく鈴木宗男の周辺を洗ったものである。その過程で、ロシアと近い話が沢山出ていた。彼は中川の死後、中川の息子、中川昭一と同じ地盤の北海道5区で骨肉の争いを演じ、ここで議席を得た。

ここは北方領土にもっとも近いところで、漁業をめぐってロシアとは年間4回も漁業交渉を行っている(サケ・マス漁業、コンブ漁、安全操業、地先沖合漁業)。つまりロシア通を売りにしての利権が多い選挙区でもある。2000年プーチンが大統領になって真っ先に会った外国政治家、ということをたびたび選挙で訴えてもいる。

前述の北方領土周辺水域での日本漁船の安全操業を定めた日本とロシアの間の漁業協定に関し、ロシア側は1月21日、今年の操業条件を決める政府間交渉に応じない方針を日本政府側に伝えてきた。ウクライナ侵攻に伴う日本の制裁への意趣返しである。

さしあたり例年1~3月が漁期となるスケトウダラ刺し網漁などの操業に影響が必至。日本は苦しい立場に立たされているが、向こうも苦しい。ロシアはウクライナでの戦費が枯渇していて、北方領土周辺海域での安全保障との引き換えに日本から入る現金が欲しい。早晩、交渉を打診してくるだろう。

その時、ダミーとして親露派の鈴木宗男を使うのではないか。それこそ彼が最も得意にしている分野である。ロシア側からは日本での政治力が、漁民側からは献金という資金が入るからである。

これまで彼が多くの利権を漁っていたことは裁判でも明らかになっている。国後島に建設したいわゆる「ムネオハウス」建設を巡っては「懲役2年」の判決が確定(2010年)、議員を失職して一年間服役している。

しかしその後しぶとく復帰、地域政党「大地」をつくったり、鳩山由紀夫政権に近づいたり、絶えず所属を変えて、今は日本維新の会に席を置いているのはご承知のとおりだ。

以上のようにブログ子が知るデヴィ夫人と鈴木宗男は「胡散臭い」。どうしても、ウクライナを利用して目立ちたい人物と、ロシアとの親密ぶりで利権を得たい人物としか見えない。どちらが目糞で鼻糞かは特定しないが、ともに「老害」であることは確かである。

死せる孔明、生ける仲達を走らす

 公明党の支持母体である創価学会の池田大作名誉会長が、ロシアによるウクライナ侵略の早期終結に向けた緊急提言をまとめ発表した(11日)。

 その提言とやらでは、国連の仲介によってロシアやウクライナを含めた主要国の外相会合を早急に開催し、停戦合意を図るよう呼びかけ、核兵器使用の危険性が冷戦後最も高まっているとして、核兵器で攻撃されない限り自国は核兵器を使わない「核兵器の先制不使用」について、核保有国に誓約を求めた。

あほらしいほどの能天気ぶりである。池田大作大先生ともあろう人が、ホントにこんな駄弁をの給うものかとたじろいだ。今年1月2日で95歳。ボケてもおかしくないが、聖教新聞では上述の提言はじめ、はるか遠いながら夫妻の「御真影」が登場する。

上記の提言はほとんどの中央紙がそのまま伝えていた。無視したのは一紙、産経だけである。ブログ子は「あの裏情報はまだ産経で生きている」と思った。十数年前になるが、政治部からだと思うが池田大作に関する秘密情報が口伝えで届いた。

「信濃町の創価学会のビルの4階の特別室に植物状態で寝たきり生活。世話をしているのは信者かどうかわからないが、すぐそばの慶応病院の医師と看護師10数人。厳重な報道管制下にある」というものだった。

池田大作名誉会長の姿が消えて2023年で13年。メデイアから質問あると、原田稔第6代会長は「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」(朝日新聞デジタル16年9月25日付記事)と語るのが常である。

 95年1月に起きた阪神淡路大震災では、兵庫県におもむき「21世紀兵庫希望総会・SGI総会」という会合を開催し、信者を激励した。だが東日本大震災では、11年3月16日付の聖教新聞に池田の「お見舞いメッセージ」が掲載され、過去のスピーチが収録されたDVDが被災地に配布されただけだった。

それが2012年8月21日付の聖教新聞に突然「御真影」が掲載された。池田のペンネームである山本伸一名義で連載されている随筆「われらの勝利の大道」に添えられた写真は、小型のカートに乗り帽子をかぶってサングラスをかけた池田と、その横に座る香峯子夫人、そしてカートを運転する長男・博正氏を中心とした構図だ。(写真は週刊新潮)

数年経った2019年10月3日付の記事でさらに広がった。この時も3面、同じく随筆に掲載された写真だ。9月28日に聖教新聞社の新社屋(世界聖教会館)を訪れ「図書資料室」でテレビを観ている池田夫婦の様子とあるが、夫妻は左端に小さく収められ、人物の判別も出来ない「遠景」で影武者としか見えない。

その後2021年10月21日には「池田先生ご夫妻、関西創価小(修学旅行の6年生)を激励」という記事もあったが、写真には夫妻の映像もなく。こどもの姿だけだ。
 
創価学会と公明党はなぜこんな小細工をしてまで「池田先生お元気」を演出するのか。政治記者に言わせると、「公明党の集票力はこのところ下降の一途を辿っている。大勢力を誇った創価学会婦人部(いまは女性部)の高齢化もあって、先の衆院選では思ったほどの票が出なかった。池田先生に直接登場してもらう必要があるのではないか」という。

兵庫県芦屋市の家内の実家でお手伝い頭をしていた女性が熱心な婦人部幹部で、大きな選挙があると必ず上京してくるか長々と電話してくる。4姉妹のうち家内など3姉妹が東京と横浜にいてかなりの票田だからである。どこも生返事していたようだが、彼女は時には選挙権を得るため前年から住民票を移すこともあった。

公明党が選挙に強いわけである。今年秋には「10増10減」の新しい区割りで東京、神奈川に新選挙区ができる。彼女から電話が掛かって来るのは必定だ。

つるべ落としの「朝日」の落日

 朝日新聞が発行する週刊誌「週刊朝日」が5月で休刊する。全体に週刊誌市場の販売部数・広告費が縮小するなかでも、朝日の落ち込みは大きく、同社によると昨年12月の平均発行部数は約7万4千部(最新の実売部数調査では4万5824部)。日本雑誌協会によると、平成24年は約20万部で、部数減が進んでいた。今後はウェブニュースや書籍部門に注力する」などとしている。

ブログ子の父は「週刊朝日」を愛読していた。昭和30年頃だが毎週本屋から届くと、当時絶大な人気を誇っていたタレントの徳川夢声の連載対談「問答有用」を読んでいた。父が読み終わったあとお下がりでこちらが読むのだが、名編集長、 扇谷正造の力もあって、この頃の部数は150万部にも達した。

そのあとも好調を続けるのだが、産経新聞に身を置いたものとして言うならば、産経が育てたものを「横取りして」育ったようなものだ。司馬遼太郎は産経出身だが「坂の上の雲」が大ヒットするや、「週刊朝日」に引抜かれて「街道をゆく」を連載して目玉記事になった。

もうひとつの人気連載企画が山藤章二の「ブラック・アングル」「似顔絵塾」だが、山藤章二を発掘したのは夕刊フジである。ワイド面に連載の有名作家の連載コラムの挿絵を担当して、時には本文よりも人気を博したほど受けた。これをそっくり週刊朝日の最終面に持っていったものである。

それにしてもインターネットの「暴虐」はすさまじいものだ。ブログ子が現役の頃、毎年電通が出す「日本の広告費」というのを見ていた。新聞・雑誌・ラジオ・テレビの全広告費を全国すべての広告代理店から集計してだすのだが、長年新聞が1位で電通社長も新聞雑誌局長から出ていた。どういうわけが産経担当から社長が出るので歴代付き合いがあった。

それが1980年くらいになると1位がテレビが占めるようになった。ブログ子が夕刊フジの電子版「ZAKZAK」を立ち上げたのは1996年だが、そのとき新聞社で電子版があるのは朝日新聞の「asahi・com」だけで、電通に電子メディア局が出来たのはその翌年である。その時の電子メディア局の収入予算は年間わずか90億円。

それがどうなったか。2019年にはインターネット広告費はテレビを抜いて1位になり2020年には総額なんと2兆2290億円である。対して新聞広告費はわずか3688億円である。この年は新聞もテレビも雑誌も「絶滅危惧種」になったエポックメーキングなときである。

週刊誌の発行部数は激減していて、一番多い週刊文春ですら50万部、ブログ子が高山正之の「変見自在」を愛読している週刊新潮は30.4万部である。「週刊朝日」の平均発行部数約7万4千部で廃刊ということは、それ以下の週刊誌は同じ朝日出版の「AERA」(5.2万)、産経の「SPA!」(7,8万)、「サンデー毎日」(4万)は早晩廃刊ということになる。いやはや。

以上は週刊誌、特に「週刊朝日」の話であるが、「朝日新聞」の方もお先真っ暗だ。ABC協会のデータでは22年上半期の平均部数は、朝日新聞は約430万部、毎日新聞は約193万部、読売新聞は約686万部、産経新聞は約102万部、日本経済新聞は約175万部。朝日と読売の「押し紙」は3割と言われ、朝日の実売部数は350万部を割っているとみていい。

朝日には4,5人賀状交換している友人がいるが「OBは朝日を無料購読出来てたのがなくなった」「希望退職が多量に出た」「手当が激減した」などの声が聞こえてくる。

「淀ちゃん死去」は可怪しかろう

 大阪市内の淀川河口近くで見つかったクジラが12日死んだ。体長約8メートルのマッコウクジラで、大阪湾深くの淀川川口まで迷い込み、SNSなどで“よどちゃん”と呼ばれ、心配の声が続出していた。

その新聞記事でスポーツ紙「スポニチ」の見出しが表題の「死去」である。ブログ子は大いに違和感を持った。国語辞典には書いてはないが「死去」とは人間の死に対していうものであり、犬畜生とまでは言わないがクジラなど動物の死には使わないものだ。現に他のテレビ、新聞はすべて「死んだ」とか「死亡」となっている。

だからスポーツ紙は・・・とまでは言わないが、一時スポーツ紙の編集幹部をしていた時の感じでも他紙を含めスポーツ記者の原稿にはこの手の語彙力不足が多いと思う。最近ではNHKがしょっちゅうテロップの訂正を出してアナウンサーが画面で頭を下げている。こちらはAI音声変換のせいで、同音異義語についていけないからだ。

「死去」でもう一つ思い出すことがある。昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日に崩御された。新聞は中央紙、地方紙問わず、またテレビもすべて「崩御」だったが、朝日新聞だけは見出しを「死去」にする勢力が最後まで抵抗したものである。

嘘だろうと思うかもしれないが、ブログ子はこのとき産経新聞で副編集長をしていて、後日朝日の経営幹部から当日の編集局内の騒動をじかに聞いたので確かだ。

我が社は「A号作戦」と言っていたが、天皇の御不興は秋から始まっていて今日か明日かという段階が続いていた。ご高齢のこともありどこの新聞も数年前から「準備」をしていた。具体的には御学友、ゆかりの人・・・事前取材で「思い出」を語るコーナーや、式次第など何十ページもつくって、当時は凸版印刷の時代なので紙型取り寸前にしたものをフィルムにしていた。

それの管理責任者がブログ子だった。自分の机の奥深くに二重鍵をつけ、いつでも駆けつけられるように当時は出たばかりの携帯電話を四六時中持たされていた。今と違ってバッテリーごと厚さ10センチ、縦横30センチ、大きな弁当箱ほどあり重かった。タクシーに乗るにも不自由だし、飲み屋に行くにもそばにおいておかねばならず閉口した。

ついでに最近「昭和天皇」はいいとして「平成天皇」「令和天皇」と書いているのも見かける。「諡(おくりな)」というのを知らないせいだろう。身分ある人に死後贈られた名で諡号(しごう)ともいう。次代天皇が前天皇の業績を称揚し、献上する名前だから、ご存命の方に使ってはいけない。現在に当てはめれば、「徳仁(なるひと)天皇陛下」「明仁(あきひと)上皇陛下」と書かねばならない。

新聞社はいまだに「校閲部」というのがきちんと機能していて若い記者の「無知」も素通りすることはまずないが、テレビは上述のようにNHKまで間違いのオンパレードである。

自分のホームページに「亡国の女子アナ」として彼女たちの赤っ恥を羅列してあるので一例を紹介しよう。

・「心臓の発作(ほっさ)」を、「心臓のハッサク」。
・自分が書いた「暴露本」について「ぼうろぼん」。
・神戸の地震の直後、淡路島から中継していた女子アナが 「ここで亡くなった方の遺体が焼却されています」
・バイリンガルが売り物の新人女子アナウンサーが天気予報で「サムケダンが南下しています」。
・某テレビ局のアナウンサーが「マッカーサーもとし」「もとし」というので何事かと怪しんだら「元帥」のことだった(「ひとことで言う」山本夏彦 新潮社)。
・女性キャスターだが、接骨院院長殺害のニュースで「こっせついん」。
・男性キャスターが「体外受精」のことを「体外射精」。この男性には身近なことだったのだろう。
・昭和天皇が崩御される直前、宮内庁病院にお見舞いのため参内される宮様方を実況中継していたNHKの若いアナウンサーが「以上、ミヤウチチョウ前からでした」
・毎年、皇居で開かれる歌会始はニュースになる。民放のアナウンサーだが、「御製御歌」を「ぎょせいぎょか」と言っていた。天皇陛下が詠まれた短歌を万葉集以来わが国では、 「御製」(ぎょせい)と言い、皇后陛下が詠まれた短歌は、「御歌」(みうた)と言う。
・もう十数年続いている番組だが、「ラジオ深夜便」のアンカーをしている女子アナが、夕方のテレビで「今朝東京は突然の雨でした。夕方降れば夕立、朝降ったから朝立ち」。これなど多分上司は男性だろうが、どう指導していいのか悶絶しそうだ。
・我が系列テレビ局の看板女子アナだが「旧中山道」を「「いちにちじゅうやまみち」

吠えまくっていた「戦狼」報道官、趙立堅の左遷

傲慢 不遜  権高  驕慢 傲岸 高慢 居丈高 高飛車 尊大・・・漢字大国だけにボロクソ表現には事欠かないが、なかでも一番憎たらしかった中国外交部の報道官、趙立堅が突然左遷された。

ブログ子は新年早々めでたい話だと杯を挙げて歓迎した。素人のブログ子の話はそこで終わりだが、ジャーナリスト・福島香織氏の手にかかると深い意味があるという。ブログ子は彼女が産経新聞北京支局員のときから愛読している。同じ新聞社とは言え会ったことはないのだが、四川大地震だったかの直後に現場に飛んで迫真のルポを送ってくる姿に共感していた。JBpressから要約して紹介する。

◇ ◇ ◇

趙立堅は「新型コロナウイルスは米国のフォート・デトリック(米陸軍の医学研究施設)から中国に持ち込まれた」といったネット上のデマを吹聴したり、オーストラリア兵が血の付いた刃物を子どもに突きつけている合成写真をツイート(写真右)したりして、西側社会から批判され嫌悪されてきた。

また2021年4月には葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をモチーフに、富士山を原発に書き換え、防護服を着た人物が船からバケツで液体を海に流す姿などを描いた画像を掲載。その上で「北斎が生きていたなら非常に心配しているだろう」などと書き込んだ。画像では、雲が十字架の形をしたり、白波が骸骨や奇形の生物で表されている。

当然日本の外務省は抗議したが、趙立堅は記者会見で「海洋は日本のごみ箱でなく、太平洋も日本の下水道ではない」と開き直った。麻生太郎副総理兼財務相が「(処理水を)飲んでも何てことはないそうだ」と述べたことに関しても「飲んでから再び言ってもらいたい」などと批判していた。

それが仕事と言ってしまえば身も蓋もないが、中国の報道官はみな憎たらしい。中でも女では華春瑩報道局長(2021年外務次官補に出世)、男では趙立堅というのが双璧だった。その趙立堅が1月9日、辺境・海洋事務局副局長に異動したのだ。国境や海洋境界の区画や調査、協力活動に関わる交渉などを担当するらしいが、中国人ですら、そんな部署あったのか、と驚くほど存在感のない部内辺境だ。

 外交部のメーン出世コースは北米大洋州局、欧州局、アジア局、儀典局、そして報道局であり、外交部報道官は間違いなくエリートコース。そこで3年近く務めた趙立堅が、なぜこのような辺境部署に異動になったのか。50歳という年齢を考えても、彼がもう一度花の外交部に戻るチャンスはないだろう。

 ツイッターのフォロワー190万人の人気者、習近平の戦狼外交を象徴する外交官がいきなり左遷となったことの理由について、質問されるが、私はやはり歴代報道官と比較しても能力が低かったせいだと思う。

 私自身、北京駐在記者時代から何人もの報道官の受け答えを見てきて、そのうち何人かは直接言葉を交わしたこともあるが、やはり王毅、劉建超、秦剛、姜瑜らは圧倒的な記憶力、反応力、瞬発力が印象に残っている。個人的に対面すればみんな人当りが柔和で礼儀正しい。それに対して趙立堅は、直接会ったことはないので記者会見で見る限りだが、報道官に必要な反応力、瞬発力はかなり劣っている。

 たとえば 2022年11月28日の外交部定例記者会見。ロイター記者の質問に、趙立堅報道官はすぐには答えられなかった。かなり長い時間(1分くらい?)、目の前の原稿を黙って探し、少し顔に狼狽の色を浮かべて、「もう一度、質問を」と語った。「多くの人がゼロコロナに絶望と憤怒を示している。中国はゼロコロナ政策終了を考えていないのか。ゼロコロナ政策が終了するとしたら、いつ終了するのか」とロイター記者が質問を繰り返すと、やはりしばらく原稿を探し続けて、ようやく、「あなたの質問したような状況は事実と合致していない」とだけ答えた。

 おそらく、彼は準備してきた質問回答例の原稿を持ってくるのを忘れたのだ。あるいは、そういう質問をされるとは想定していなかった。報道官は、当意即妙に答えている風にみえて、事前に想定問答を用意して、その用意した原稿に基づいて答えている。趙立堅が回答できずにうろたえる様子は世界に配信され、外交部と中国の面子を大いに傷つけた。

 また趙立堅の妻に、外交官の妻、あるいは官僚の妻として問題があった、という指摘もある。趙立堅の今の妻は二度目の妻で、元々パキスタンのビジネスパーソンであったらしい。官僚経験もなければ、共産党体制内の仕組みもよく理解しておらず、SNSでの言動はおよそ、官僚、外交官の妻らしくない。ゼロコロナ政策で国内が物不足にあえいでいるときにドイツ旅行を楽しんでいるような写真をアップしてみたり、ゼロコロナ政策放棄によるアウトブレイク(感染拡大)で医薬品不足に陥っていることの不満をSNSで訴えてみたり、夫の仕事について「残業が多い、残業代が出ない」と不満を言ってみたり。こうした言動をする妻を持つことが、外交官としての出世の足をひっぱったのだ、とも言われている。

趙立堅の左遷の最大の理由は、戦狼外交の否定が外交部として打ち出されたから、という説を私は信じたい。

 趙立堅の報道官デビューは2020年2月24日、外交部第31人目の報道官として華春瑩に紹介されて登場した。この会見で、趙立堅はウォール・ストリート・ジャーナルの論評記事「中国はまさにアジアの病人」についての質問を受けて、「悪意ある侮蔑の中傷記事、中国は沈黙の羊でいられない」と吠え、戦狼外交官の鮮烈な存在感を印象付けた。

 長沙鉄道学院卒で外交部入省後はパキスタン大使館、韓国留学、米大使館、アジア局、再びパキスタン大使館勤務。いわゆるアジアン・スクールで、しかも韓国専門となれば、本来は出世街道に乗りにくい。外交部の花形はアメリカン・スクール。そんな彼が抜擢された理由がこの「戦狼スタイル」だった。

 彼の報道官への出世の決め手はおそらく、2019年7月13日、彼がまだ、パキスタン臨時代理大使であったころツイッター上でのスーザン・ライス元米大統領補佐官との応酬が「戦狼外交」として話題になったことだろう。

 香港の若者による反中デモへの厳しい弾圧や、ウイグル弾圧に対し、国際社会が中国を非難した。すると趙立堅はツイッター上で米国の黒人差別問題をあげつらい米国を批判した。それに猛然と反論したのがスーザン・ライスだった。ライスは趙立堅を「レイシスト、ペルソナ・ノン・グラータ(入国させるべきではない好ましくない人物)」とののしり、崔天凱・駐米大使(当時)に「彼を家に帰らせろ」とのメッセージまで送った。趙立堅は「聞きたくない事実を言われたからってレイシストのレッテルを張るなんて、吐き気を催すような恥知らずだな」と言い返した。

 このツイッターの応酬は、BBCなどが中国人民解放軍のプロパガンダ映画「戦狼」のタイトルからとって「戦狼外交」とよび、この言葉が習近平の新たな外交方針を代表するものとして定着した。この直後に彼はパキスタンから帰国し、外交部報道局副局長に出世した。こうした外交官の喧嘩上等スタイルが、出世の決め手になる、と信じられ、大阪領事の薛剣なども真似をするようになった。

 彼が、戦狼スタイルで出世を決めた背景には、王毅が外相になったことと関係があると見られている。王毅は習近平の「大国外交」路線を忠実に進めようとした。この「大国外交」路線とは、それまでの「中国はまだまだ途上国ですから」と下手に出て、欧米先進国の支援を請う「韜光養晦(とうこうようかい)」とは真逆で、「近代100年の屈辱の歴史」を見返すべく、欧米に対し上から目線で強気に接する外交を意味する。

 王毅はかつての礼節正しい紳士的外交から、相手を挑発してイラつかせる外交にスタイルを変えた。外相になった王毅が同じアジアン・スクールの趙立堅に目をかけ、その「大国外交路線」つまり「戦狼路線」のアイコンとしたのだろう。

王毅は定年年齢を超える69歳にもかかわらず、習近平に気に入られて第20回党大会で政治局入りし外交トップになった。それなら王毅の出世に伴い、なぜ趙立堅も出世しなかったのか。なぜ、左遷になったのか。

それは、新たに外交部長(外相)になった秦剛との関係ではないか、と噂されている。秦剛は駐米大使からいきなり外相に昇進した。大使からいきなり外相はかなり異例である。黄華以来ではないか。彼も、習近平の大国外交路線に沿って戦狼っぽい言動を見せていたが、駐米大使になってからの1年5カ月は、米中関係の緊張緩和のために地道に努力し、その努力は米国側からも高い評価を得ている。11月のインドネシア・バリ島における米中首脳会談のアレンジに成功し、外相昇進が決まった、とされる。

 外交トップの政治局委員が台湾重視の王毅、外相が米国重視の秦剛。政策決定に直接関われるのは政治局メンバーなので、習近平の意を汲んだ王毅が台湾問題を中心に外交の枠組みを考えるとすれば、おそらく米国との関係はこじれがちになる。それをうまく処理するのが秦剛ら外交部現場の任務。だとすると、せめて趙立堅のような米国の神経を逆なでするような外交官には、どっか辺境に行ってほしい、と思うだろう。そういう外交部内の空気があって、趙立堅の外交メーンストリームからの退場が決まったのではないか。

 この小さな人事で、習近平3期目の外交がこれまでの10年の「大国外交」路線から、米国西側国家との緊張緩和を模索する方向に転換する、とまでは言い切れない。だが、少なくとも「戦狼スタイルだけで出世できない」ということを、外交部として明確にした。

 その背景には、今の中国の社会経済の動揺が極限に近いこともあるだろう。習近平は白紙革命を通じた民衆の怒りや経済破綻直前の地方財政データを突き付けられ、ゼロコロナ政策を放棄した。ゼロコロナのスタートと趙立堅の外交官デビューは、奇しくも時期を一致している。ゼロコロナ放棄とともに、戦狼外交放棄の決断に至った、ということもありうる。

 新型コロナのアウトブレイクにあえぎ、経済の苦境に追い詰められた中国に打開の道があるとしたら、国際社会との協調しかない。戦狼外交との決別にしか、中国の生存戦略は見出せない、ということはいずれ習近平も認めざるを得ないだろう

浅瀬に船底ぶつけて航行不能の「軍艦」など聞いたことがない

10日午後0時10分ごろ、山口県周防大島沖の「センガイ瀬」付近で護衛艦「いなづま」(4550トン)が航行中に船体に大きな衝撃を受け、自力航行ができなくなった。けが人はいないが周囲約30メートルにわたり、油の膜が広がっていることから海底の岩に接触、船底を損傷し、またスクリュー2つも破損している可能性がある。

呉基地を母港とする「いなづま」は因島のドックで修理を終え、試運転をしながら基地に帰る途中。事故が起きたのは、出航してから約4時間後で、事故現場の先で折り返したばかりだった。

「いなづま」が就役したのは、2000年。アメリカの対テロ戦争の支援として、インド洋に派遣されたこともあれば、豪雨災害の時には、被災した人たちに風呂を開放したこともある。近年では、北朝鮮のミサイル・核開発で東アジア情勢が緊迫するなか、アメリカの原子力空母とともに日本海で合同演習を行ったこともある。

そんな護衛艦が“地元”とも言うべき瀬戸内海で真っ昼間に起こした事故。地元の漁師によると「1カ所ちょっと危ないというか浅い海域があるんですけど、大きな灯台があって、誰が見ても分かる目印があります。潜水艦も通りますし、タンカーも通る主要な航路だけど、みなもっと沖を通る。あそこまで寄っている船は見たことない。びっくりしてます」。

防衛省内でも「驚いた」という意見が大半だ。艦艇が航行できる深さがあるのかどうか海図で確認したり、まっすぐ進めているのか目視で確認することは、艦艇を動かすうえで“基本中の基本”である。海上自衛隊の幹部は、「何か障害物が急きょ発生して避けたなどでないならば、極めてイージーなミス。目をつぶっていたのかと言いたくなる」と語っている。

もちろん詳細は後日でないとわからないが、操船の基本ができていなかった可能性が大である。

以前このブログでは2008年2月19日午前4時7分頃発生した千葉県南房総市沖の太平洋上で海上自衛隊の最新鋭イージス艦であったミサイル護衛艦「あたご」(7,700トン)と新勝浦市漁業協同組合所属の漁船「清徳丸が衝突、船長長男の2名が犠牲になった事故を取り上げたことがあった。

不勉強な記者が各社そろって海上自衛隊側を攻めるなかで唯一、回避義務は漁船側にあった。他の漁船はみな舵を切った中で「清徳丸」だけ直進していることから漁網の整理に気を取られての不注意だ、と書いた。

ブログ子はヨットに乗るので「4級船舶操縦士免許」を持っている。5トン未満の船を操船するのに必要なものだ。自動車免許も持っている。陸と海では少し操縦(操船)方法が違うのでこのくらいはわかるのだ。

2014年01月16日、広島県沖の瀬戸内海で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突し2人が死亡した事故。翌2015年12月広島地方検察庁は、事故の原因は、衝突1分前から「とびうお」が針路を右方向に変えたことが原因とし、「おおすみ」艦長らは衝突を予測できなかったと判断し、おおすみ艦長と航海長を不起訴処分とし、とびうお船長も容疑者死亡により不起訴とした。

以上は自衛艦側の過失が小さいケースだが、一方でこのところ自衛艦側の過失が大であるケースが増えている気がする。こちらが重大である。

●1988年7月23日横須賀港沖で、海上自衛隊潜水艦「なだしお」(乗員74名)と遊漁船「第一富士丸」が衝突し、釣り客・乗員30名が死亡、17名が重軽傷を負った。海難審判では、双方「同等の過失」とされた。一方、刑事裁判では、なだしお側に主因があると認定したが、第一富士丸側にも過失を認め、双方の責任者に執行猶予つきの有罪判決。

●2020年2月8日、高知県沖で海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」と香港船籍の貨物船「オーシャン・アルテミス」が衝突した事故。運輸安全委員会によるとは潜望鏡で洋上を見る露頂と呼ばれる作業のため浮上した際、ソナーで探知した貨物船の放射音や乗員が確認した航行音を、遠くのコンテナ船のものと誤認し、浮上の妨げとなる船はいないと判断していた。

●2022年5月22日午後3時45分頃、海上自衛隊横須賀基地から出港中の護衛艦「じんつう」(2000トン)が、停泊していた掃海母艦「うらが」(5650トン)の右舷中央部に衝突した。けが人はなく、浸水や油漏れもなかった。

今回の「いなづま」の場合、断定せずともお粗末さが際立っていると思う。憂うのは海上自衛隊の艦艇乗組員の操船技術が落ちてきているのではないかという点だ。計器が発達してきて、陸上のクルマの無人操縦が現実になってきているように海上でも機器任せが横行しているのではないかと心配する。

JALでジャンボ機のパイロットをしていたD氏と親しかった。前の東京五輪のときにブルーインパルスが国立競技場で五輪の輪を描いたがこのとき「黄色」を担当し「戦後の名パイロット3本の指に入る」と言われた人だ。

彼は「離発着はともかく、事前に通過ポイントを入力しさえすれば操縦席の上に足を上げてコーヒー飲んでいようが(機器の上で水分は禁止されている)うたた寝していても正確に目的地にいく」と言っていた。同じことが海上でも行われているのではないかと危惧する。

南スーダン大統領からマッカーサーまで、失禁の話

年初のブログ始めがこれかよ、と言われそうだが、このニュースから連鎖反応でマッカーサーを思い出したので書くことにする。

【共同7日】南スーダンのキール大統領(71)が公式行事中に失禁、その映像がソーシャルメディアで拡散し、当局は流出の経緯を知っている報道関係者6人を拘束した。ロイター通信が7日伝えた。

6人は、それぞれ3日と4日に拘束された。地元の報道関係者でつくる団体は、拘束が長時間に及んでいるとして懸念を表明した。

映像は昨年12月、道路工事関連の行事で撮影された。国歌の演奏中、起立したキール氏が失禁したとみられる様子を確認できる。このシーンはテレビ放映されなかったが、後にインターネットに出回るようになった。キール氏は2011年、南スーダンがスーダンから分離独立したのに伴い大統領に就任した。近年は体調不良の可能性が指摘されている。

南スーダンは2011年、長い戦闘を経て独立した、世界で一番新しい国。しかし、2013年12月には再び民族対立が始まって以降は、内戦状態となり、 政府と反政府勢力の衝突の激化、誘拐、レイプ、武装組織への恐怖などから国民は周辺国に逃れて「世界有数の難民発生国」。「世界でもっとも脆弱な国家ランキング」のトップにランキングされている貧乏国だ。

どうにもならない国ではあるが、我が国は国連決議をうけて自衛隊から司令部要員及び施設部隊等の派遣して、主要幹線道路の補修や国内避難民サイトの整備等を実施している。

その国の大統領の失禁したというのだが、高齢ならあるだろうことだから笑ってすませばいいものを、流出を理由に報道関係者を拘束するというのは南スーダン国家もまたどうにもならない国ではある。

ブログ子はこの失禁騒ぎでマッカーサーを思い出した。戦後太平洋戦争が終わり、マッカーサー元帥が厚木に降り立った際、日本人に畏怖感を持っていた彼は恐怖のあまり飛行機のタラップを降りる時失禁していたという一件である。

共同通信の井内康文氏や元産経新聞記者で週刊新潮で毎週「変見自在」で健筆を振るう髙山正之氏らが当時の写真の調査から明らかにしたことだ。

その写真を右に紹介するが、たしかにマッカーサーのズボンの前立ての左側部分にはっきり濡れ滲みが見える。光の加減ではない。

ブログ子は高山正之氏とは昵懇である。彼は3年下で夕刊フジ、産経新聞、サンケイスポーツで一緒だった。あるときは平記者同士、あるときは上司に歯向かいともに飛ばされて部長とデスクという具合でいつも近くにいた。昨年末喪中はがきが届き長兄が亡くなり「上州館林藩江戸家老の末裔高山家は小生一人となりました」とあった。

外信部の時上と合わず、アメリカや欧州には派遣されず中東に出されたが、それが幸いして部族国家であるイラン、アフガン、イスラエルとパレスチナ、はてはイスラムの宗教について語らせたら右に出るものがいないのは諸賢御存知の通り。ブログ子も高山節を真似て先日「坊主が政治に口出しするとろくなことがない・・・」と書いた。

南スーダン大統領の「お漏らし」など世界になんの影響もないが、マッカーサーの臆病「お漏らし」の方はいまだに我が日本の軛(くびき)になっている。

日本国憲法はマッカーサーが時のGHQのコートニー・ホイットニー民政局長に命じてわずか1週間で書かせた。それには、

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と高らかに謳う。しかし、この文章には主語がない。ばかりか、世界が力関係で動いているのを無視して一方的に諸国民の公正と信義を信頼して武力放棄を宣言している。

おかげで共産党はじめ朝日新聞などのリベラル左翼の跋扈で、「敵基地攻撃能力」も認めない。戦術核にせよ先に一発見舞われたらおしまいなのが現代戦だが、座して死んでから反撃を認めるというアホらしさだ。ようやく先に「戦略三原則」が発表されて是正の動きが出てきたが、なめきった韓国側からは「反撃する前に韓国との事前相談が必要だ」と言ってきている。

坂本龍馬は「男はたとえ溝の中でも前のめりに倒れろ」と言った。ロシア、中国、北朝鮮、そして韓国もだが日本の隣は危険な国がひしめいている。失禁するときも前のめりに、と言って新年第一号のブログにする。

今年もよろしくお願いします

正月は例年八ケ岳で過ごしていたものだが、だんだん寒さがこたえて来て東京で過ごすことが多くなった。今年は穏やかな新年で、ライブ映像で見る赤岳はモルゲンロートに輝き美しく輝いていた。

近しい人には伝えているが、「3年生存率18%」と著しく低い膵癌の手術後5年目に入る。執刀医は「レアケースです」という。だからこんなに毎年越年できるとも思わず過ごしているのだが、我儘になった。

紅白は知らぬ名前ばかりでここ2、3年は見たことがなく大晦日は早く寝ることにしている。昔は元旦にはラジオ・テレビから流れてくる宮城道雄の「春の海」の琴の音で正月らしさを感じたものだが、最近は家内が見ている元日のニューイヤー駅伝と続く箱根駅伝で正月を感じるのみ。

ブログの更新もさぼり、ひたすらぼんやり過ごす毎日だが、そのうち気が向いたら書くようにします。