またぞろ正月から、韓国の「旭日旗」騒ぎ

日本との関係改善を積極的に進めていた尹錫悦大統領が、非常戒厳令の失敗で「死に体」に陥ったとたん、韓国の「反日病」が息を吹き返した。

日本の漫画家の賀状に「旭日旗」が描かれているといって”偉そうにも”謝罪と反省、歴史の学習を求めてきたという。ブログ子はこの漫画に限らず手塚治以降のマンガを読まないので知らなかったが、経緯はこうだーーー

人気漫画「金色のガッシュ!!」などで知られる漫画家の雷句誠氏が5日、X(旧ツイッター)を更新してその内容を紹介した。

雷句氏は1日にⅩで新年のあいさつを行い、現在連載中の「金色のガッシュ!!2」のキャラのイラストを添付した(写真左下)。この年賀状風のイラストに韓国のガッシュファンを名乗る人物から声明文(写真右下)が届いたという。

雷句氏は「自分が描いた年賀状の背景が旭日旗を表現しているように見えるから、謝罪と絵の削除を求める声明文が来ました。声明文では謝罪や撤回を求めるものです。この年賀状のイラストは日本の読者に向けて、おめでたい雰囲気の年賀状を届けたくて描いた。ということです。韓国の方々に不快感を与えるために描いたのではありません。ハッキリと言っておきます」とイラストの意図を説明した。

その上で「この声明文に対する答えですが、もちろん旭日旗に関する表現はこれからも注意いたしますが、今回の謝罪や絵の削除といった要求には応じられません。という結論です」と回答した。

理由のひとつとして「この声明文の要求を受け入れ、絵を削除したならば、世界中で絵を描く人たち全てがこの日の出の表現が描けなくなります。長い時間をかけて作った絵も、韓国の方の一言で、削除しなければいけなくなります」と、表現の萎縮につながることを挙げた。

イラストを見れば分かる通り、こんなもので「旭日旗」と騒ぐ方が「ビョーキ」でしかない。謝罪と反省をきっぱりと拒絶したのは至極当然のことだ。

美容外科・高須クリニックの高須克弥院長(79)も1月5日、この騒動についてXで言及した。

「ゆすりたかりの言いがかりみたいw」
その後の投稿では、朝日新聞の社旗を写した写真を公開しながら「これは?」ともコメントしている。

これまでの旭日旗騒動では、日本側か早々に引っ込めるケースが多いが、今回は堂々と反論し、韓国の「反日病」をたしなめる反応ぶりで、日本もだいぶ大人になった感じだ。

ブログ子は彼らが「韓国のガッシュファンから」と名乗る声明文を見てこれは多分、誠信女子大の徐坰徳(日本読み じょ・けいとく)教授本人=写真右下=かその取り巻きだと推測した。

理由は声明文にある①旭日旗の歴史的意味を知り謝罪と釈明 ②問題作品の撤回および修正 ③歴史的事実に対する再学習ーーという文言を見てのことだ。この教授が至る所で叫んでいることと同じコピーであるからだ。

この男はありとあらゆる「旭日旗」に見えるものを探しだしてはイチャモンを付けるのを業としている。米紙やニューヨークのタイムズスクエアにある電光掲示板に反日広告を出したり、来日して松江市内の竹島資料室に一般客として入り、写真撮影をして島根県の啓発展示のイラストを無断使用して領有権を訴えるなど、ネットを使った反日活動で知られる。従軍慰安婦で国会議員にまで昇進した尹美香と同様に「強請(ゆすり)集り(たかり)」を飯の種にしている唾棄すべき輩なのである。

このブログでは再三再四、岸田前首相や外務省の甘い対韓政策を指弾してきた。韓国艦による「レーザー照射事件」では韓国軍はやったこと自体認めないで「ウソ」を通しているのに、「以後、未来志向で」といういつものカラ言辞に日韓スワップまであらゆる対韓カードをみな切ってしまった。今、韓国は大幅なドル不足に陥っている。文在寅が啖呵を切って蹴っとばした日韓スワップが復活したおかげで、何とか苦境を乗り越えられそうだと、韓国側はほくそ笑んでいることだろう。

今回の「旭日旗」漫画騒動を見てもわかる通り、この国は信義に悖る行為を常とする。年末、己が業績を顕示しようとしてか、退任前の岸田首相(当時)はわざわざ韓国詣でをしようとした(クーデターまがいで中止)、その後も岩屋毅外相が訪韓にご執心だ。

韓国や中国相手では「揉み手」して出かけるものではない。毅然と日本の国柄を示すことが何より大事だ。たかが漫画ではあるが、黙認しているとつけ上がる。反日の芽は早めに摘みとらねばならない。

鉄は国家なり

日本製鉄によるUSスチール買収はバイデン米大統領が3日に買収禁止を命じて頓挫した。

ブログ子は中高校時代から「鉄は国家なり」という言葉を教えられてきた。だから、逆にUSスチールが日本製鉄の買収を仕掛けてきたら、日本でも「国内で所有、運営される強力な鉄鋼産業は国家安全保障の優先事項であり、強靭な供給網にとって欠かすことができない。国内に鉄鋼の生産能力を保有し、そこで働く労働者がいなければ、米国は弱く不安定化する」と言ったバイデンと同じ理由を挙げて反対運動が起きたであろうことは、容易に想像できる。

だが、今回のケースは違う。「鉄は国家安全保障の優先事項である」と言う点はバイデンの言うとおりである。その次に挙げている「国内に鉄鋼の生産能力を保有し、そこで働く労働者がいなければ、米国は弱く不安定化する」のくだりに、「中国を利することになる」と入れればわかるが、競争力を失って大量の失業者を抱えることになるのは米国なのである。

何よりも実態を知っているUSスチールのデビッド・ブリット最高経営責任者(CEO)が「恥ずべき腐敗したものだ。組合員とは無縁の労働組合幹部に政治的見返りを与える一方、我が社の将来と労働者、我が国の国家安全保障を傷つけた」と痛烈に批判する声明を発表したことを見てもわかる。

 ブリットCEOはさらに続けて「経済や国家安全保障上の同盟国である日本を侮辱し、アメリカの競争力を危険にさらした。中国共産党幹部は北京の街頭で小躍りしている」として、バイデン氏の命令が中国を利する行為だと主張。「私たちと会うことすら拒否した」とバイデン氏を名指しで非難し、買収はUSスチールや米国にとって最善の選択であると改めて主張し「バイデン氏の政治腐敗と戦うつもりだ」として、命令撤回を求めていく考えを示した。

「鉄は国家なり」という言葉はドイツを武力統一したプロイセン王国・ドイツ帝国の首相のビスマルクの演説に由来している。日本では1901年に初代首相の伊藤博文が官営八幡製鉄所の火入れ式で初めて使用した。鉄は強度が高く、耐久性があり、加工が容易なため、多くの産業で使われてきた。

伊豆にある韮山反射炉を見てもわかるように、日本は早くも江戸幕末から鉄と取り組んできた。反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉だが、この技術あって、日清・日露戦役など多くの戦争で勝利に貢献したのは日本の鉄工業あってのことだった。

戦後も日本の鋼板技術は世界一を誇ってきた。鋼板は厚板と薄板とに大別されるが、前者は大型船舶の造船に、後者はプレスして自動車のボディーをつくるのに欠かせない。日本の鉄鋼業は数多くの特許技術を含み、他国の追随を許さなかった。

現在、造船業と自動車産業で世界のシェアをほぼ独占しているのは韓国と中国であるが、その技術はみな日本から得たものだ。

韓国の鉄鋼業は、ゼロから日本からの技術移転を受けて発展してきた。日本の鉄鋼メーカー(特に新日鉄や住友金属)から「ポスコ(POSCO)」に日本の技術を丸ごと移転したものだ。何か所もの高炉建設まで建設してあげた。日本の金と技術を与えて完成したのだが、その韓国たるや、何をしたか。単なる出稼ぎなのに「新日鉄は韓国人を徴用工としてただ働きさせた」と補償を求める始末。近世でこれほどの「恩知らず国家」は珍しい。

そのまた上を行くのが中国である。中国の鉄鋼業はソ連から多くの技術援助を受けて発展してきたが、ソ連の技術水準は低かった。日本と韓国の技術も取り入れる必要に迫られた。1970年代~1980年代: 改革開放政策が進む中で、「日本と韓国の技術を取り入れて」というと聞こえはいいが、ほとんどは「盗んで」現在の隆盛に至っている。

世界の鉄鋼市場は、景気低迷で内需がしぼむ中でも平気で過剰生産を続ける中国の輸出拡大が市況を荒らしている。市場原理も何もあったものではない。共産主義の破綻が世界中で明白になった中で鄧小平が「一国二制度」というまやかしをもちこんだためだ。政治は共産党の一党独裁、共産主義は使い物にならないから経済は資本主義という「怪物」は巨大な国家予算を好きなように使えるから、経済原則など無視して補助金、交付金、関税・・・みな動員して市場独占をはかる。独占したところで好きなように世界中を牛耳る。「悪貨は良貨を駆逐する」は経済学の基本だが、こんな国にいいように資本主義を利用されたのでは、正義も何もあったものではない。

アメリカの鉄鋼業は今や疲弊を通り越して破綻の寸前にある。日本の鉄鋼業は右肩下がりではあるがまだ先端技術を保持していて中国や韓国に対抗できる力がある。「大よく小を呑む」ではなく、同盟国で、信頼関係がある日本とアメリカが協力すれば、中国の市場独占を阻むことができるのだ、今なら。何より「盗人猛々しい」国に「一矢報いる」という大義名分がある。

買収できなかった場合、日鉄はUSスチールに5億6500万ドル(約890億円)の違約金を支払う契約となっている。日鉄は米政府の命令が法令違反に当たるとして、米政府を提訴する方針だが、トランプ次期大統領もこの買収には反対だから、至難の業である。

日本の鉄鋼業は韓国にほぼタダ取りされ、それがまた中国に盗まれ、最後に習近平が高笑い・・・

こんな不条理は許されない!!

沖縄県民斯ク戦ヘリ

陸上自衛隊第15旅団(那覇)は今年元日から、公式ホームページ(HP)をリニューアルし、昨年10月末から掲載を見合わせていた沖縄戦司令官の辞世の句を再び掲載した。

ブログ子はこのニュースを快哉とともに受け止め、自衛隊は今後も沖縄の「マスゴミ」に惑わされることなく、前を向いて進まれんことを希求する。

いつものように、産経新聞にしか掲載されなかったので、これまでの概略を書く。

先の大戦末期の沖縄戦で旧日本軍を率いた牛島満司令官が沖縄の再興を願って詠んだ辞世の句が第15旅団のHPに掲載されたのだが、地元メディアの報道をきっかけに、一部の市民団体などから「自衛隊による旧日本軍の美化」といった反発が出て、自衛隊側はいったん引っ込めていた。

沖縄戦では、日米約20万人が戦死し、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった。日本側の指揮をとった牛島満(うしじま・みつる)中将は、1945年6月22日(23日)に摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決して組織的戦闘が終結したのだが、この時、祖国の復興を願って辞世の句を残した。

《秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ》

この辞世の句は平成30年から旅団の沿革を紹介するページに掲載された。沖縄が本土復帰を果たした昭和47年、旅団の前身にあたる臨時第1混成群の初代群長を務めた沖縄出身の桑江良逢(りょうほう)氏の訓示とともに、この辞世の句を残した、その歴史的資料として示していた。

ただ、掲載から約6年が経過した昨年6月になって、地元紙が疑問視する報道をすると、県内の一部識者らが「県民を犠牲にした日本軍と自衛隊のつながりを示し、美化するような内容」などといっせいに批判し始めた。

「陸自HPリニューアル 日本軍との連続性を絶て」(琉球新報社説)
「陸自HPに牛島司令官の句 極めて不適切 削除せよ(沖縄タイムス社説)

沖縄タイムスなどは陸自大宮駐屯地の第32普通科連隊が、「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と書いたといっては文句をつけ、陸自幹部や宮古島駐屯地の幹部らが制服を着て神社に集団参拝したといっては非難する、いわばこの種のクレーマーとしての常連で、ほっとけばいいものを、防衛省は「誤解を招いた」として「大東亜戦争」などの語を削除したりするものだから、つけあがる。今回のように毅然とした対応をとれば、おのずと淘汰されるものだ。

細かいようだが、復活した辞世の句は、

《秋を待たで 枯れ行く島の青草は 御国の春に よみがえらなむ》

と掲載されている。「皇国」の言葉への反感を考慮したものだろうが、無用である。最初に書かれた「臨時第1混成群史」に掲載された記述に合わせた、というが、この時代は「皇国」が普通だったはずだ。「秋待たで」が「秋を待たで」と修正されているが、これも和歌の作法では「秋待たで」であろう。

ブログ子は読むたびに胸ふさがれる文章が二つある。一つは靖国神社で展示されている特攻隊員の遺書であり、もう一つは1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、海軍司令官の大田実海軍中将が自決直前に海軍次官にあてた電文である。

「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」

その通り、政府は昭和24年から「沖縄振興特別措置法」(通称 おきしん)を毎年3000億円交付している。本土では誰一人反対ないが、沖縄メディアは米軍基地の維持に「ほとんど」持っていかれていると増額を毎年のように要求している。

ブログ子は沖縄には復帰直前の米軍施政下からこれまで10数回訪れている。取材内容が政治的なことだったせいもあるが、どちらかと言えば沖縄タイムス的な言辞を弄する人の方が多かった。対して東京で出会った沖縄人は故郷「琉球」への想いは強いが、左翼に傾く故郷を憂える人が、多かった。

その一人、沖縄出身の女性音楽家「金井さん」は沖縄で音楽会を開くも東京の住まいから帰るそぶりは一切なかった。「知念」氏は警察庁のキャリア官僚で神奈川県警刑事部長の時仲良くなり、佐賀県警本部長のとき、我が家の出自が佐賀県唐津なので虹の松原で松露まんじゅうを食べなさいとアドバイスしたものだが、九州からもう少し先の沖縄にはあまり行かなかった。あれはきっと、故郷に跋扈する左翼嫌いのせいだろうと思う。

彼ら「沖縄左翼」がまだ自分が日本人だと思うのなら、ぜひに上述の「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」を熟読玩味されんことを願う。

カーター元米大統領死去。ブログ子が指しで会話した思い出

米国のジミー・カーター元大統領が29日、ジョージア州の自宅で家族に見守られながら亡くなった。100歳は大統領経験者として史上最高齢だった。

バイデン大統領が「言葉ではなく、行動で評価される人生を送った」と、国葬で送るというのは、同じ民主党だから当然として、 何事も人を貶すトランプ次期大統領が、「哲学的にも政治的にも全く意見が合わなかったが、彼が国を愛し、敬意を払っていることも知っていた。米国をより良い地にするために懸命に取り組み、そのことに最高の敬意を表する」と述べるほど惜しまれての他界は珍しい。

カーター氏は77~81年の在任中、冷戦中だったソ連との緊張緩和に努めたほか、退任後も世界各地で紛争調停などに取り組み、2002年にノーベル平和賞を受賞した。ブログ子は、自分のホームページで「ノーベル平和賞と文学賞はいらない」と書いているほど、平和賞の価値を認めないが、カーター氏だけは別である

ジョージア州知事を経て、1976年の大統領選で民主党候補として勝利した。並みの大統領と見られていたが、「人権外交」を掲げ、78年9月、エジプトとイスラエルの両首脳を大統領山荘キャンプ・デービッドに招き、和平協定「キャンプ・デービッド合意」を仲介し、歴史的な成果を上げた。

 また、ソ連との核軍縮にも力を入れ、79年6月にはソ連の指導者ブレジネフ共産党書記長との間で、戦略兵器の運搬手段総数を米ソ対等にするなどとした第2次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印した。在任中には中国との国交正常化も実現させた。

 79年に起きたイラン革命後の米大使館人質事件では、イランと国交断絶したうえで人質救出作戦を決行したが、失敗に終わり批判を浴び再選を目指した80年大統領選で共和党のロナルド・レーガンに敗れた。

退任後はカーター・センターを設立し、精力的な活動でアフリカやアジア、中東、中米など世界各地で民主主義の推進や紛争調停に尽力した。84年には米大統領経験者として初めて被爆地・広島を訪問し、広島平和記念資料館を見学した。94年には北朝鮮が核開発を加速させ、米韓との対立が高まる中で平壌を訪問。当時の最高指導者だった 金日成キムイルソン 主席と直接交渉の末、危機を回避した。立派なものである。

私はカーターさんと立ち話ながら一言二言談笑して握手したことがある。 彼が引退した直後、アメリカ南部、ジョージア州の州都アトランタでのことだった。といっても政治的な話や取材の上でといったことではない。 「あなたの大事な美女をお借りしますよ」(カーター)「日本からのプレゼントです」(私)というやりとりをした。 思わせぶりにみえるがこういうことだ。 

アトランタは①映画「風と共に去りぬ」の舞台であり、作者マーガレット・ミッチェルの誕生の地。 ②郊外の花崗岩の崖に大統領など南北戦争の英雄が彫られたレリーフがある。③コカコーラの発祥の地。 この三つがすべてで、あとなにもないところだ。マスコミに身を置いていたら忘れてはならない、 世界最大のテレビネットワーク、CNNの本社もあるではないかといわれそうだが、知ったのは帰国した後の話である。 私はその夏、取材に訪れていた。

映画にちなんで、毎年「ミス・スカーレット・オハラ」コンテストが開かれていると聞いて、その年選ばれた美女とホテルのロビーで会っていた。彼女はこのあとの撮影用に、ヴィヴィアン・リーが 映画から抜け出たような、大きな裾のドレスを着ていた。

一方、アメリカの大統領は引退すると郷里にその名前を冠した図書館をつくるのが恒例だという。そのオープニングのためにやってきたカーターさん一行と私が同じホテルだった。リムジンが何台も並び大勢のシークレットサービス に取り囲まれてエレベーターから降りてきたところで、私と”デート”している派手な美女が目に付いた。同行しているカメラマンへのサービスで、(私抜きで)美女と前大統領が並んだ何枚かの写真を撮ったときの会話が上のやり取りである。

ついでにいうと、彼女と撮影がてら訪れたジョージア州で1番人気の観光名所、ストーンマウンテン・パークで南北戦争以前のログハウスを見たのが、八ケ岳に山小舎を建てた時、ログハウスにこだわる理由になった。大昔の建て物なのにまだ人が住めるほどだった。この経験から、八ケ岳の風雪に耐えられるのはログハウスしかないと直感した。大正解で、周りの 山荘はリニューアルなどかなりの手入れ工事 をしている中で、37年たったいまにいたるも大工がはいったことがない。

 カーター氏は2015年8月に肝臓がんの摘出手術を受けた後、がんが脳に転移していることが判明し、入退院を繰り返していた。23年2月には余命を家族と過ごすとして、自宅でのホスピスケアに移行することを公表していた。

ブログ子もその肝臓の隣の膵臓がんの切除手術を受けた。「3年生存率18・8%」と言われてたが、この12月で生存5年目になる。カーターさんの100歳までは数年あり、とても無理だが、なんだか近しい人が亡くなった思いである。

皆さん、よいお年を!!

医道 地に堕つ

東京美容外科の黒田あいみ・医師がSNSに投稿したろくでもない内容を見た。医師という職業に要求される最低限の倫理観も持ち合わせていない「外道」である。

この人は東京美容外科・沖縄院院長を務める医師だ。トライアスロンでの日本代表経験もあるとかで、「アスリート医師」として書籍も発売している。波紋を広げているのは、彼女が12月2日に公開したブログだ。「いざ解剖研修@グアム!→打ち上げ☆」とのタイトルで、グアムでの解剖研修に際し、解剖の様子を撮影した写真などを公開していた。

そのなかで「今回は fresh cadaver (新鮮な遺体)で勉強をしにきていて」とし、解剖の様子を複数の写真を交えて伝えた。解剖が行われている様子を背景に、複数の医師らで並んだ記念撮影では、笑顔でピースをしている。

 中には、「頭部がたくさん並んでるよ」として、献体の頭部がずらりと並んだ写真に絵文字付きのコメントをつけた投稿もあった。解剖中の献体の頭部の画像もあり、おおむねモザイク加工がされていたものの、一部は加工が外れたまま公開されているものもあった。

 一連の投稿にはランチに食べたというピザやサンドイッチの写真も並び、「いや~~~朝から晩までの解剖は本当に疲れました」「もうぐったりでした」などと絵文字混じりにつづっていた。

これに対し同じく美容クリニックを開業する高須克弥院長(79)がX(旧ツイッター)で「南無阿弥陀仏。 馬鹿医者め! クズ」「馬鹿医者ども(怒)」「怒」などと記述。さらに「僕の時代の医学部解剖実習での作法は、献体してくださった方に黙祷のあとお顔をしっかりと観察して記憶することでした」と書き、この女性医師を非難した。

ホリエモンこと堀江貴文も、「これは本当にひどくて、SNS慣れしてないって(本人が言っている)のも嘘でめちゃくちゃこれまでも似非科学な発信している。一般レベルでも明らかにやっちゃダメなことを晒してしまった。ほんと医師免許返上するのをお勧めするレベル」と断罪している。まったく同感である。

学生時代医学部にいる友人の下宿を訪ねた折、机の上に広げた油紙の上で肘から先を切断した腕にメスを入れて解剖している姿に仰天したことがある。「神経の細部を切開して観察している」という。献体をそんな私物扱いしていいのかどうか、きっと今でもダメなのだと思うが、神経と言うのは針金のように細いと思っていたが、うどんほどの太さであることをその時知った。

ブログ子の新聞記者時代の同僚で遺言で東京女子医大に献体した人物がいる。今回の問題を起こした女医が出た医科大である。2年先輩ながら久しく同期生のように親しくしていた。彼は女好きだったので、故にほかの医大への献体でなく女子医大にしたのかと冷やかされたものである。1年後、遺体は返されてきたが、きれいに縫合されていたという。

人は見かけによらないものだと、感心して自分も献体の遺言でも残そうかと思っていたが、この女医のように、解剖台の前で「イエーイ!」と記念写真撮られるのはまっぴらごめんだと断念した。

ブログ子は今日年賀状を書き終えて投函したが、宛名に医者が多い。全体の1割強になる。叔父が娘4人すべて医師に嫁がせたのと、その子弟がほぼ全員(6人)勤務医か開業医になっているためである。概ねまともだが、フェラーリだかのスポーツカーを乗り回しているのが1人、「患者のほとんどは治らないけど、リハビリなどで儲けが見込める」とお台場で整形外科医院を開業している「医は算術」系が1人、いる。気に食わないのでここ数年会いもしていないで賀状だけだ。

偏見を承知で言うのだが、今回の女医のような美容整形医は「医者であって医者でない」と思っている。「医者の一段下、美容師の一段上」くらいである。

医者と言うのは人の命と相対(あいたい)する聖職である。しかるに美容整形なる分野は命とは向き合わない。JRの車両広告で見ると、美容整形分野と言うのは瞼を二重にしたり、脱毛したり、シリコンを鼻や乳房に入れる「見栄えをよくするだけ」の医業である。美容整形の先陣を切る韓国人の女性を見るとどれもみな同じ顔をしている。あんなものが医学とはおこがましい、と思う。

ところが、その美容整形医にまっしぐらに走る医学生が激増しているという。医師免許を得てから研修医を終えて各専門に進むのだが、内科、外科・・・見向きもせずまっすぐ美容整形医に進む者が増えているという。これを「直美(ちょくび)」というそうだ。

理由は報酬だ。医師のなり立ては年収800万円くらいだが、美容整形医は初めから2000万円くらいもらえるという。

厚生労働省によると、美容外科に従事する医師は2012年には444人だったが、22年には1247人と2.8倍に増加。20~30代が約半数を占める。一方、外科は同じ期間に2万8055人から2万7634人へと微減した。

 美容外科の診療所も急増している。同省によると、23年10月時点で美容外科を掲げる診療所数は2016施設で、20年10月時点の1404施設から約4割増えた。増加率は43診療科目の中で最も高かった。一方、小児科は1020施設(5.4%)、外科は632施設(5.1%)減った。

 背景には、最近の若手がワーク・ライフ・バランスを重視し、激務を避ける傾向がある。美容医療を手掛けるクリニックは1年目から年収2000万円を得られるケースもある。美容医療は残業も少ないとされる。厚労省の若手医師への調査では、外科を選択しなかった理由として「ワーク・ライフ・バランスの確保が困難」とした割合が最も高かった。

なんと「志」の低いことか。ブログ子の時代新聞記者の初任給は「2万2000円」だった。他と比べても高いものではなかったが、金額のことなど歯牙にもかけないのが普通だった。

医道、地に堕つ。

読売のドン「ナベツネ」の剛腕を隣の新聞社から見ていた

読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が肺炎で98歳で亡くなった。その絶大な影響力は政界からプロ野球界、はては大相撲まで及ぶ。その深い懐の内容については連日のメディアをご覧いただくとして、ブログ子は東京・大手町にある読売新聞社の隣にある産経新聞社からその剛腕ぶりをまぶしく拝見していた。その一端を披歴する。

第2次中曽根内閣のときだったが、各新聞社と も組閣の予想を掲載するのが恒例だった。私も政治部記者と相談しながら予想閣僚名簿を作った。現在では派閥解消が叫ばれて難しいが、このときは各派閥から推薦名簿が出るので比較的推測ができた。

当日になって首相にいろいろな思惑が出てポストが横滑りすることはあるが、入閣者の名前はそう外れないものである。それでも、夕刻発表された名簿では小紙のずばりは4、5人といったところだった。だが、この日の読売新聞朝刊掲載の予想は発表と完璧に同じだった。驚いて、なぜそんなことが できたのか調べた。そうしたら中曽根首相のそばに座って白紙に組閣名簿を書いていったのはナベツネで中曽根首相はフンフンと言っていただけだというのだった。

知られていないがナベツネはコワモテだけの人ではない。読売の副社長時代くらいだったが、月に一回だったか季節ごとだったか、読売の競争紙含めて各新聞社、民放、NHK…とマス コミを縦断して女性記者ばかりを、集め、彼女たちが好むフランス料理店などに招待していた。正式な名称は忘れたが「ナベツネを囲む会」のようなものを主催してメディア各紙の女性記者の意見を丁寧に聞いていたものである。現在はパリにいるが、わが新聞社の女性記者も招かれていた。当然、ナベツネ擁護派でいまだに悪口など書かない。

新聞の斜陽が始まったころだから今から20年ほど前になるか、産経が全国紙で初めて夕刊廃止の先鞭をつけたことがあった。業界用語でいう、「セット割れ」(読者から夕刊を切られる)が急増して、産経の東京本社では実に7割がセット割れに。やむなく夕刊を廃止した(大阪は今も存続)。夕刊の収入(広告料と購読料)が記者、営業担当者らの人件費や設備費、材料費などの発行コストを下回ったためのやむを得ない処置だった。

この時、日本新聞協会長だったのがナベツネで、副会長だった産経社長を鶴の一言でクビにしたものである。今では朝日、毎日、地方紙、ブロック紙みな夕刊廃止の流れで、読売だけ「朝夕刊セット」を固持しているが時間の問題だろう。ナベツネ死去で一気に早まるのであろう。

そのナベツネ氏が文芸春秋の『 私の大往生 』(文春新書)という企画で
■もし生まれ変われるとしたら? という問いにこう答えている。

 それはもう、当然新聞記者ですよ。 もう一度駆け出しから、現場の記者をやりたいね。

ブログ子も自分の人生を振り返って、新聞記者と言う「天職」を得て幸せだったと思っている。テレビに「ジャーナリスト」を名乗る人士は数多いるが、取材もせず、書きもしない「ジャーナリスト」(もとは新聞記者の謂)などまがいものであると断言し、「生涯一新聞記者」を貫いたナベツネ氏に万感の共鳴を惜しまないものである。

またも負けたか八連隊…非常戒厳令で露呈した「弱い韓国軍」

ブログ子は戦後育ちだが「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(くれんたい)」という悪ガキが使う悪態を知っている。陸軍第8連隊は大阪、第9連隊は京都に連隊本部があって、ともに連戦連敗の弱い兵隊という意味である。実際はそうでもなかったらしいが、大阪の商人気質と京都人の「いけず」文化を揶揄して言い得ている。

なぜこんな古いことを思い出したかというと、今回の尹錫悦大統領の非常戒厳で投入された韓国軍の行動をみてのことだ。先の朝鮮戦争では韓国軍は前線でろくに戦いもせず、あっという間に朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められた。次に有事があれば、また同じことになるに違いないと確信した。

今回、出動命令を受けたのは、陸軍特殊戦司令部隷下の第707特殊任務団、第1空輸特殊戦旅団、首都防衛司令部隷下の軍事警察任務隊など約300人。北朝鮮の情報収集を担当する国軍情報司令部の要員も含まれていた。投入された第707特殊任務団は米軍特殊部隊の「デルタフォース」に相当する精鋭部隊だ。斬首作戦が発動されると、北朝鮮に侵入して金正恩を暗殺する任務が与えられているといわれる。

尹大統領が12日の談話で、「死傷者が出ないように安全と事故防止に万全を期すよう、兵士ではなく下士官以上の精鋭だけを移動した」と述べたように、韓国軍最強の部隊編成だった。

最高指揮官である大統領が出した特別戒厳令である。実際の命令は戒厳司令官(陸軍参謀総長)が発出するものの、命令一下一糸乱れず今回の目標である①国会の封鎖、②野党議員の拘束――の2つを実行するのが軍隊の使命である。ところが、その両方ともに失敗している。

テレビ映像で流れた国会の様子を見ると、バリケードで立てこもる国会議員と政党・国会関係者の激しい抗議で、議員らから「戒厳解除後お前たちの責任を追及する」と詰め寄られて、右往左往する軍隊の姿が全世界に流された。吊るしあげられて塩垂れて涙を流して謝罪しているような兵の姿もあった。

 この背景には、特殊戦司令官による「絶対に兵士に実弾を持たせるな」「国民の安全が最優先で絶対に被害がおきないことを作戦の重点とする」との指示があったことが明かされた。つまり、司令官は最高刑が「死刑」の抗命罪となる危険を冒したくなかったのだ。自分の判断で議員ら民間人との衝突を回避したのだ。

 国会に尹大統領の弾劾訴追案が提出され、それを支持する世論が高まると、氏名などが秘密指定されている第707特殊任務団団長のキム・ヒョンテ大佐がメディアの前に現れて、「部隊員は金龍顕前国防相に利用された被害者だ」「隊員に罪はない。あるなら、無能な指揮官の指示に従った罪だけだ。いかなる法的責任も私が負う」と涙を流して陳謝した。

隊員に罪はないなど当たり前のことである。2・26事件では失敗した近衛連隊の将校は従容として銃殺刑に処せられたが、反乱兵だった5代目柳家小さんなど何事もなくその後高座に復帰している。

 涙を流す大佐に、多くの韓国メディアはこの模様を好意的に取り上げた。極左の半グレ新聞、いや「ハンギョレ新聞」から少しまともな朝鮮日報まで「権力者の軍隊から国民の軍隊に変わった」と良心に従った指揮官とたたえる始末だ。

韓国でも基本法で、「軍人は、職務を遂行するとき、上官の職務上の命令に従わなければならない」と記されている。だが、韓国では「非常戒厳で出動しても抗命した者は無罪でよい」という意見がまかり通っているのである。韓国軍では命令があっても、それぞれの判断で従わずとも許されるというのであれば、もはや軍隊は存在理由を失う。その矛盾に誰も気付かないようだ。

このブログで、韓国海軍駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件で韓国軍はいまだに謝りもせず事実も認めていないのに日韓スワップ協定復活など対韓カードをみな解除している愚を書いた。韓国軍は平気で嘘をつく。世界の軍隊は「言い逃れ」はするが「嘘をつく」ことはないものだ。この事件などひょっとするとレーダー係の兵士個人がたまたま虫の居所が悪くて「戦闘行為」であるレーダー照射をやらかしたのかもしれない、韓国軍は軍隊としてあり得ない行為を恥じてのだんまりだったか、と同情した。

上で釜山に追い詰められた韓国軍の話を書いた。この戦闘でただ一人踏みとどまった軍人がいる。白善燁(日本読み はくぜんよう)准将だ。

「ここで我々が負ければ、祖国を失うことになるのだ。釜山を失えば、もう我が民族の行くべき所はない。我々にはもう退がる所はないのだ。だから死んでもここを守らなければならない。はるばる地球の裏側から我々を助けに来てくれた米軍が、我々を信じて谷底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか。いまから私が先頭に立って突撃し陣地を奪回する。貴官らは私の後ろに続け。もし私が退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て。さあ行こう! 」

韓国では長く「朝鮮戦争の英雄」として称賛された人物だが、日本統治下で日本軍人として戦った経歴を進歩派からは親日派として批判された。死後英雄として国立ソウル顕忠院に埋葬されることになっていたが、政権交代後の文在寅政権は、2020年7月10日、99歳で亡くなると、一段低い大田顕忠院に埋葬した。

いちいち命令は正当かと疑い、命令に従うことで犯罪者にされるかもしれないと、任務遂行を躊躇するような韓国軍に北朝鮮を凌駕する力があるとは思えない。

この人物、凶暴につき・・・メディア・テロの常連たち

 国民民主党の榛葉賀津也幹事長は13日の定例会見で、一部のフリーランス記者を会見に「出入り禁止」としたことについて、(彼らは)「何度注意しても、恣意(しい)的に(ルールを)破って暴言をはく。これが本当にメディアといえるのか」と述べた。

さらに続けて「報道の自由は極めて大事です。厳しい質問でも、メディアのみなさんが質問してくださるので、我々の思いを発信していただける。報道の自由はある意味、民主主義の一丁目一番地だ。しかし(彼らの言動は)、言論の自由ではなくて、完全に妨害。同僚のメディアのみなさんを公然と批判する。報道の自由の前に、ルールがあるはずです。何度注意しても恣意的にそれを破って暴言をはく。これが本当にメディアといえるのか」と、疑問を呈した。

ブログ子は、まったく同感である。よくぞ言ってくれた、と思う。本来はメディ界一致して、日本新聞協会あたりが前面に出てきて処分せねばならないところだが、「取材の自由」を盾に、暴れる彼らにほとんど無力である。

こう書いたところで一般の人には何のことかわからないだろうから、ブログ子は彼らの実名と写真を挙げて指弾することにした。

3人の実名を挙げて一連の暴挙の内容を暴いている記事が夕刊フジにあるので少し長いが引用する。書いているのはフリーランスの安積明子氏だ。余談だがブログ子は夕刊フジの創刊時から参加して編集幹部も務めた。

(前略)
フリーランスの横田一氏が、榛葉会見の「出入り禁止」を受けたという。横田氏は2017年、衆院選で躍進が見込まれた「希望の党」を率いる小池百合子東京都知事に、安全保障論や憲法改正で溝のある〝リベラル系〟候補者の合流に応じるか問いかけ、「排除します」との応答を引き出した。その後も、さまざまな会見で詰め寄る姿で知られている。

先月1日の榛葉会見でも、横田氏は国会の首相指名について、「(立憲民主党の)『野田(佳彦)』と書いて政権交代を果たすべき」と迫った。

榛葉氏は「参院は自公が(過半数の)149議席。衆院で政権交代しても法律は1本も通らない」と応じたが、横田氏は同じ質問を続けた。見かねたフリーカメラマンが「ここは質問するところ。一問一答にさせろ」と注意すると、横田氏は「黙れ」と強く反発した。

その横田氏が6日、東京新聞の望月衣塑子氏らが配信する動画番組で「出入り禁止」を明かし、国民民主党の政策批判など、持論を展開した。

図らずも、番組では夕刊フジや筆者も〝紹介〟された。

6日の榛葉会見での筆者の質問と、榛葉氏の回答が音声で流れると、望月氏は「安積さん。何なのこの質問。ひどいね」と声をあげ、横田氏も筆者について、「『夕刊フジ』なんかに書いている権力寄りの印象が強い方で『すり寄りタイプ』の記者」と応じた。

望月氏は、筆者について、番組で共演する元朝日新聞記者の尾形聡彦氏に「尾形さんが質問したときに『私も聞きたいの!』と言った人。妨害だった」「自分は途中で帰っちゃった」とも語った。

この経緯を解説したい。

尾形氏は先月12日の玉木氏の記者会見で質問を重ね、20分超マイクを離さなかった。筆者は「一問一答」を求めたが、「私も聞きたい」とは言っていない。中座したのは、通常30分程度の会見が1時間にもおよび、次の取材予定が迫っていたからだ。

望月、尾形両氏のユーチューブチャンネルの紹介には、「さまざまな問題をきちんと当事者に取材し、記者会見で忖度も躊躇もなく質問し、ニュースの本質を読み解いてお伝えします」とある。

記者はそれぞれ問題意識を持って会見に臨むが、他の記者の質疑応答は望月氏らにとっては「取材妨害」にあたるのか。(政治ジャーナリスト・安積明子)

3人の名前が出そろったところで、個々に身上書をめくってみるーーー

横田一
上述の記事の中で出てくるようにフリーの記者が入れるところに出てきてはもっぱら執拗なヤジを飛ばす。東京工大卒と言う以外に経歴はあまりわかっていない。1990年ノンフィクション朝日ジャーナル大賞受賞ということからわかるように左翼言動をもっぱらにし、高市早苗氏の会見で「森友再調査しないんですか」「森友再調査について一言」「…忖度しているせいですか」「聞こえてんでしょ」など、で57秒間、叫び続けた。記者の間からも「ルールを守れ」という罵声が浴びせられた。

望月衣塑子

この人物はもう全国区で「会見あらし女」として有名だろう。与野党問わず現われる。例えば今夏の都知事選で蓮舫氏の出馬会見では「「東京新聞の望月です。いくつかお聞きします。まあ、神宮外苑の再開発ですね、昨年亡くなる直前、声が出せない状態で、文化庁長官や小池都知事に坂本龍一さんがもう一度見直してほしいと手紙を送られました。その時に小池さんは記者会見でしたっけね、・・・」

“演説”は実に3分を超えた。最初は”味方”の記者として、神妙な面持ちでメモを取っていた蓮舫氏だったが、後半は長すぎる質問に思わず苦笑するほど。他の記者たちは、ただ時がすぎるのをじっと耐えていたが、この日は“1社1人まで”の縛りがあった。彼女が東京新聞を代表して先に質問してしまったため、用意していた質問ができなくなったことに東京新聞政治部は怒った。「スタンドプレーはいい加減にしてくれ」と本人に伝えたほどだ。
 
尾形聡彦

元朝日新聞社の新聞記者。特派員として米国のシリコンバレー、ホワイトハウスで主に取材。国際報道部デスク、サンフランシスコ支局長などを歴任したのち、2022年6月に退社し、オンラインメディア「Arc Times」を立ち上げた。

Arc Timesには上述の望月依塑子記者がメインキャスターとして出演しているが、会見場では2人並んで座り、かわるがわる質問し、マイクを握って他社に渡さないという手口。

例えば、NHKから国民を守る党(NHK党)が11月29日、都内で定例記者会見を開いた際だが、2人で約40分間を消費したところで、しびれを切らした立花氏が「じゃあ、これうちの会見なんで、そっちの番組やってるんでしょ。呼んでくれたら行きますよ。他の人たちの都合のために、あなたたち2人が来て、自分たち、カメラ回してるんでしょ。少なくとも営利目的でしょ。だから、行ってあげるよ。俺が1人で行くから、待ってよ。他の人もいるんだから」とついに質問を打ち切ろうとした。

 それでも「あと、1、2問だけ聞かせて下さい」と継続する尾形氏に、立花氏は「あなたたちがお金稼ぐ場所じゃないんですよ」と通告。それでも話す尾形氏に「聞けないの?じゃあ、もう帰って。出てって。ここの管理権はこっちにあるんだから」とついに、立ち上がり「帰れ!何度も言ってるじゃないか。回答してるだろ。何分かかるんだよ、君の質問に。他の人たちの時間を確保するために、1時間でも2時間でも君のチャンネルに行ってやるって言ってんだから、待てよ!2時間くらい」と怒鳴った。

時代に取り残された歳末風物詩

2024年の「今年の漢字」は「金」に決まった。12日午後、ブログ子はちょうどテレビ中継を見ていたが世界遺産・清水寺ので森清範貫主が 「金」の一字を揮毫していたが、草書の崩し字だったので部首の「(ひとがしら)」の右側がなかったので何という字かわからなかった。

案の定、「ちょっとピンと来ない」と拍子抜けする人が多かったという。この行事は、公益財団法人「日本漢字能力検定協会」が毎年公募しており、今年で30回目。応募総数22万1971票の中で「金」が最多の1万2148票(5・47%)だった。パリ五輪での日本選手の活躍を受けてのことだようだが、たった5%ほどで今年の漢字が「金」か、と違和感を持たれても仕方がない。何より、2000年以降「金」が今年の漢字に選ばれたのは5度目である。どこが「今年の漢字」か、と言いたくもなる。

話は変わるが、ブログ子は新聞社時代「長いレンジで物事を観察できる記者」を大事にしてきた。事件・事故から政局にいたるまで、今目の前で起きていることを追いかける記者はいくらでもいる。社会変化の観察者としての新聞記者にはもう一つ、年単位、10年単位で変化している事象に目を向ける記者が必要だと思っている。

新宿の何でもない一軒の家から10年間定点観測した写真で町の景色の変化を追ったカメラマンや、現在でも使えそうだが、「遺憾」を多用する政治家の過去の事例を丹念に拾い上げて「虚言」と同異義語であることを暴いた記者には部長賞や局長賞をどんどん出した。

その「長いレンジで物事を観察」した場合、上述の「今年の漢字」ばかりでなく、もはや有名無実化している歳末風物詩の如何に多いことか。

【芥川賞・直木賞】
歳末恒例の芥川賞・直木賞の候補作が12日発表された、芥川賞5作品、直木賞5作品の候補者を見ても一人として知らない。以前は(といっても平成以前だが)文芸担当デスクにそれぞれ上位ランクの3作品ずつを取り寄せて読んでいたものだ。今回数年前までさかのぼって受賞者を見たがみなそれきり「消えた」作者ばかりだ。

芥川賞の選考基準に「新しい文体をつくった」というものがある。選考委員に谷崎潤一郎とか伊藤整とかいずれも「文章読本」を書いている作家がいて、なるほどと思わせたものだが、今は選考委員自体がどこがいいのかわからないのがほとんどだ。

文藝春秋の営業政策が露骨に出ていて、女性とかお笑い出身とか話題作りが見え見えで面白くない。何より年2回も選考会はいらない。

【ボジョレーヌーボー】
毎年11月になると繰り広げられるボジョレーヌーボーについては、以前このブログで書いた。ワインとは言えない即成熟成法で作り、フランスでは一本300円ほどの安酒を日本で3000円以上で売る商法を指弾した。コロナと不作で2022年は、一番入れ込んでいるサントリーは輸入量を約6割減にした。以後毎年右肩下がりで輸入減が続いている。

【新語・流行語大賞】
今年話題になった言葉を発表する「現代用語の基礎知識選 2024ユーキャン新語・流行語大賞」が12月2日発表され、年間大賞に「ふてほど」が選ばれた。「ふてほど」とは、俳優の阿部サダヲ主演のTBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」の略だという。ブログ子は当然何のことかわからなかった。しかし、”通”の方々にとってもあまりなじみがなかったらしく、SNSを中心に疑問の声が多数あげられた。

大手自動車メーカーの認証不正、パーティー券収入の収支報告書不記載など、2024年は政財界とも不適切事案が目白押しであったが、TBSに忖度したのかどうか、選定理由がもう一つわからない。そういえば、昨年何が選ばれたか誰も覚えていなかろうから、これも、もうお役御免のイベントだ。

【レコード大賞】
大みそかのビッグイベントとして『日本レコード大賞』がある。略称は「レコ大」(レコたい)。主催は公益社団法人日本作曲家協会、後援はTBSだ。

ブログ子は新聞社の編集幹部として少なからず関与していたことがある。この賞はスポーツ紙を含む各新聞社の記者が中心となって決定する。我が新聞社ではスポーツ紙、夕刊紙などがあって合わせて4,5票持っていた。一方、系列のラジオ局や音楽出版関係企業などがいくつもあったから、季節になると「これこれの曲をなんとか」という依頼で席が温まる暇もないくらいだった。

1970年代から1980年代にかけて、テレビにおける歌番組の隆盛と共に最盛期を迎えた。しかし、上で白状したようにレコード会社や事務所の力関係により受賞者が決まっているという指摘が公然と起こり非難が多く寄せられ始めた。1990年代になると受賞そのものを辞退する有力アーティスト(福山雅治、ジャニーズ事務所所属歌手)が増えるようになり、賞の権威は大きく低下した。

ここ3,4年の受賞曲を娘や孫にぶつけても「ああ、あれね、私は韓流ポップ」と反応はにぶい。

【紅白歌合戦】
とどめはやっぱりこれだろう。ブログ子はここ5,6年まったく紅白を見なくなった。7時のニュースをみたあと何と読むのかわからない今風の女の子が出てくるとベッドに入ることが多い。

検索で今年の出場歌手と言うのを見たが、知っているのは石川さゆり、郷ひろみ、福山雅治、天童よしみ、坂本冬美の5人だけであとはチンプンカンプンだ。

子供の頃、白黒テレビの前に家族全員が座り、みかんを食べながらテレビに見入ったものだが、現在は娘も孫もスマホをいじっている。

◇ ◇ ◇

要するにすべての歳末の風物詩がなくなったのだ。年末、大みそかに家族全員がそろってテレビの前に座り(主婦だけはおせち料理づくりで台所からちょくちょく見る程度だが)、みかんを食べながら一年を締めくくっていた、あの光景が姿を消した。

どこのメディアでもいいが、「長いレンジで物事を観察できる記者」がいれば、2024年の今こそ、文化史的に大きな曲がり角だったことを証明してもらいたいものだ。

また反日男、「李在明」の登場という悪夢

韓国の尹錫悦(日本語読みイン・シャクエツ)大統領の暴挙は、自ら、「反米・親中派」の左翼勢力に政権を手渡す道を開いてしまった。

3日夜、閣議の手続きも経ないまま、「非常戒厳令の宣布」を宣言したものの、国会が全会一致で「戒厳令解除決議」を採択したため、政権は宣布から6時間後には「戒厳令解除」を議決せざるを得なかった。

支持率13%にまで落ちた7日午前、国民向けの談話を発表し、「国民に不安を与え、心から謝罪する。私の任期を含め、どう政局を安定させるかは党に任せる」とも発言し、弾劾の代替策として一部で提起されている任期短縮案に同意する意向を示唆した。

しかし、事態はそんなことで済むものか。大統領弾劾が確実な視野に入った。ろくでもない「文在寅」が引っ込んで、少しマシな「尹錫悦」になったと安堵したのもつかの間、朝鮮半島南部に「赤い政権・李在明(日本語読みリ・ザイメイ)」が発足する段取りとは、ため息が出るような惨事である。

そこで問題になるのは岸田文雄。前首相と林芳正・前外相コンビによるゆるゆるの対韓外交である。

このブログでも何度か指摘してきた。「韓国にしてやられた日本外交の無惨」(http://h-h-a.org/miyazaki/?p=4539)では、「徴用工」をめぐる訴訟で日本企業に賠償支払いを命じた韓国最高裁判決に基づき、原告側に日本企業の資金が支払われた問題を、「韓国『』レーダー照射事件』で妥協は禍根を100年残す」(http://h-h-a.org/miyazaki/?p=4395)では、韓国海軍駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件に絡み、岸田文雄政権は事件のケジメも付けずに、なし崩しで事態収拾を図った愚挙について書いた。

韓国政府は原告側への支払いは財団が、つまり、韓国側だけの拠出で支払いを済ませると言いながら約束を破り、日立造船が出した供託金約670万円全額を原告側に渡した。ただの出稼ぎにすぎないのに徴用だと言い張る韓国側の歪曲した歴史認識を追認したのだ。

自衛隊艦船に戦闘行為を意味するレーダー照射事件を起こした韓国軍の嘘八百に厳重に向き合うことなく、うやむやにしたまま、握手して、ついには文在寅が「もう、日本になど世話にならない」と足で砂掛けるように破棄した日韓スワップ協定まで復活させた。

韓国含めて南北朝鮮の体質は醜い。まずこの国には信義というものがない。平気で嘘をつく。歴史を己の都合よいように改竄する。慰安婦はいたが従軍慰安婦などと言うものはいなかったのに、「強制だ」と言い張って強請(ゆすり)集(たか)りを繰り返した慰安婦団体を率いた尹美香など、己のスーパーの支払いまでせしめた金で支払っていたのも驚きだが、そんな女を国会議員にまでする国民性にもあきれる。

そんな韓国相手に日本側はどう対処したか。林芳正外相(当時)は、形だけで痛くもかゆくもない「遺憾砲」を繰り返すだけ。岸田首相(当時)は「これからは未来志向で行く」といういつもの韓国側の虚言を真に受けて、つぎつぎ手綱を緩めてきた。

裏切りを常とする韓国相手にはトランプ流に「ディール」(取引)で対峙するしかない。韓国相手ではスワップ協定以外にも7つ8つの「打ち手」がある。例えば半導体材料や自動車部品の輸出を向こうの出方次第で絞るなどだ。

なのに、岸田外交は「打ち手」を洗いざらいみな差し出してしまっている。来年、李在明が出てきたら、文在寅同様に反日に舵を切るのは間違いない。その時、「切るカード」が何もないのだ。

韓国はもはや「死に体」大統領。日本も石破「死に体」首相。涙が出るような年の瀬である。

斎藤兵庫県知事とPR会社の女社長は公選法違反である

兵庫県知事選でまさかの再選を果たした斎藤元彦知事(47)と、この選挙戦で広報・PRに関わった株式会社merchu(メルチュ)の折田楓社長(33)の行動が公選法違反にあたるのではないか、と問題視されている。

ブログ子は当初から個人的関心をもって見ていた。というのも、同じような知事選で同じような広報・PRに携わったことがあるからだ。

関係者は亡くなったり引退したりしていて、迷惑が及ぶこともないので実名で書くが、ブログ子は静岡県知事を4期務めた石川嘉延知事の選挙で影の指揮をとった。1993年7月の知事選の数か月前だったが、新聞社で4,5年後輩が辞めて起こしたPR会社に呼び出された。引き合わされた人物が出した名刺には「自治省総務部長・石川嘉延」とあった。今度の知事選に出ようと思うので力を貸してほしい、という。

ブログ子はそれ以前に静岡支局長をしていた。斉藤滋与史知事や林省吾総務部長(のちに大阪府副知事、総務省事務次官)と親しく、ゴルフや呑み屋を一緒にしていたのを聞き知って、人脈の面から一助を乞いたいと呼び出された。この時は東京に戻っていたが、2人とは年に一度は県主催の宴席で一緒になるし、斉藤知事が3期目を目指していることを知っていたので、裏切るようなことはしない、と断わった。

ところが運命と言うのはわからないもので、斉藤知事は選挙直前に体調不良で突然3期目を断念した。そこでブログ子に再度声がかかったのだ。選挙まであと4か月ほどだったが、シンボルカラーを「黄色」にしたり(石川知事はこれが気に入って4期すべて黄色のネクタイで通した)、県での人脈をたどったり、公約をつくったりと、今回のmerchu社長と同じようなことをしたものである。

ただ、違うのは公職選挙法と言うものをmerchu社長よりよく読んでいたことだろう。

公職選挙法では資金力を持つ一部の金持ちだけが有利にならないよう多くの規制がある。選挙カーの台数、ポスターやビラ、ハガキなどの枚数、看板のサイズなど、驚くほど細かい。

「買収」に関しては、有権者に対し、①金品や財産上の利益、②職務の供与、③食事などの接待・供応を禁じている。運動員に対して報酬を渡せばもちろん、その約束や申込みがあっただけで成立するという厳しいものだ。
さらに「選挙が行われる自治体と特別の利益を伴う契約の当事者は、選挙に関して寄附をしてはならない」という「特定寄附の禁止」項目もある。犯せば、3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金、および公民権停止だ。

ブログ子は、静岡県知事戦が始まると同時に一切表には出なかった。たいていのことは公選法に抵触するからだ。しかるに、PR会社merchuの折田楓社長はSNSのnoteで、斎藤氏に任されて広報活動全般を担当したと主張。選挙期間中は四六時中、SNSの管理や発信を行い、街頭演説の中継なども行ったなどと選挙戦の裏側をことこまかに書き込んだものである。

公選法と言うものを知っていたら絶対にしないことだが、自己顕示欲が強い人なのだろう、のちのち証拠となるような内実をすべてバラすという過ちを犯した。公になるや本人は雲隠れしたままだ。

代わって、斎藤氏の代理人(弁護士)はPR会社から送られた請求書に基づき、ポスターや公約スライドの制作など5項目に計71万5千円を支払ったと説明。「(ポスター代などは)政治活動や立候補の準備行為として対価の支払いは法で認められている」とし、5項目以外の代表の活動は「個人による無償ボランティアだ」と強調した。

だがこれは珍妙な話である。例えばそのポスターだが、選挙運動用ポスター(個人演説会告知用ポスターを含む)のデザインは公費負担で済むのだ。公費負担で済むところを、斎藤陣営はわざわざ「自腹」を切ったことになる。現にこれまで選挙でポスター代をの自腹を切った候補など1人もいない。斎藤陣営が公職選挙法をまったく理解していないのではないか、と疑いの目を向けられても仕方ない。(元静岡新聞編集幹部の小林 一哉氏)の指摘)

3日県選挙管理委員会は、斎藤氏側の選挙運動費用の収支報告書を公開した。支出の中で選挙運動費用として、PR会社が請求した5項目のうちメインビジュアル企画・制作(10万円)やチラシデザイン制作(15万円)などの4項目については税込みでの記載があり、支払先はいずれも「さいとう元彦後援会」と記されていた。件の「公約スライド制作」は記載がなかった。

日本大法学部の安野修右専任講師は「報告書に記載しないのであれば、その費用が選挙運動と切り離されていることを明確に説明すべきだ。支出先が後援会となっている点も不可解で、選挙に関連してなされた支出は実際の請負業者の名義を記載しなければ選挙費用の公明性は確保できない」と指摘している。

一連の問題では、大学教授と弁護士が斎藤氏と経営者の女性の行為は公選法違反(買収、被買収)に当たるとして、神戸地検、兵庫県警に告発状を出している。

上述のような、ブログ子の体験的選挙運動を顧みての感想だが、立件されるであろう。

愚かな国の反日病を嗤う

世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式を、韓国政府代表の朴喆熙駐日大使らがボイコットして別な場所で韓国人だけ集まって追悼式を挙げた。日本政府代表として追悼式に参列した生稲晃子外務政務官が靖国神社に参拝していたからだという。

靖国参拝のどこが悪いのか、反日病に取り付かれたアホな国のアホな所業と嗤っていたが、急転直下面白い展開になった。理由にした生稲政務官の靖国参拝自体が共同通信のウソ記事だったことが判明したのだ。

共同通信は、2022年8月15日に生稲氏が靖国神社を参拝したとする記事を当時配信したほか、今月になっても、式典に出席する生稲氏が靖国神社に参拝していたとしつこく報じた。だが、生稲氏は実際には参拝しておらず、同社は25日、事実確認が不十分だったとして訂正し、同社の水谷亨社長が26日、「日韓関係に影響を与えたことを遺憾に思う」と謝罪した。

共同通信は「真っ赤か」なメディアである。地方紙がこれまたほとんど「真っ赤か」なのは社説まで「真っ赤か」なものを配信するからである。ブログ子が新人時代赴任した三重県では、郷土紙の伊勢新聞の労組委員長まで東京から「配信」していた。彼とはよく酒を飲んだがほとんど原稿は書けない男だった。今に至るも体質は変わっていないから、こんな与太記事も平気で流す。

その与太記事を受けて、韓国外務省は25日、追悼式の不参加決定と独自の追悼行事実施について「歴史に関して日本側と妥協しないという確固たる意志の表現だ」と居丈高にほざいていたが、その振り上げたこぶしの理由が「虚報」だったことがはっきりしたのだから、さぞかし困ったことだろう。

だが、謝ったりはしないのがこの国の体質だ。文在寅(日本読み ブン・ザイコ)政権下の2018年12月20日に発生したレーダー照射事件は日本海の能登半島沖で、海自のP1哨戒機に、韓国海軍の駆逐艦「クァンゲト・デワン」級が攻撃を意図する火器管制レーダー(射撃指揮システムで使用されるレーダー)を照射した。これがどれだけ大変な戦闘行動かはすこし軍事のことがわかる人間なら.ひっくり返って驚く事案だ。

尹錫悦(日本読み イン・シャクエツ)大統領になって、一転、日本に融和政策をとり始めたが、レーダー照射事件についてはいまだに謝罪もなくうやむやである。軍部が強硬なためだ。佐渡の件でもこれと同じ態度をとるのだろう。共同の誤報だと判明した27日の新聞を見ても開き直り一途だ。

【ソウル時事】「日本の追悼の辞の内容などが世界文化遺産登録時に合意した水準に至らなかったことが重要な考慮事項だ」と韓国外務省報道官は26日の定例会見でこう強調。生稲氏出席とは別の理由を取り上げ、追悼式に参加しなかったことを正当化した。

 生稲氏が2022年8月15日に靖国神社を参拝したと報じた記事が誤りだったとする共同通信社の訂正報道について、報道官は「承知している」と述べるにとどめ、式への不参加には「諸般の事情」があったと強調した。ただ、「韓日両国の利益に合致する関係の発展に向けて努力を続けていく」と表明。追悼式は毎年開催する予定で、来年に向けて日本と協議していく考えを示した。

◇ ◇ ◇

挙句、報道官は「この問題がこれ以上不必要な対立に飛び火せず、個別の事案として管理できるよう緊密に意思疎通することも(日本側に)要請した」という。レーダー事件と同じセリフだ。

 さんざ揚げ足取りにつとめた韓国メディアは、生稲氏の追悼式でのあいさつに「強制労働に関連する表現がなかった」と非難の矛先を移し、靖国神社を巡っては共同通信が報道を訂正したと一行で伝えるだけ。

革新系最大野党「共に民主党」の幹部も26日の会議冒頭で、生稲氏に触れず、歴史問題を念頭に「追悼式での日本の行動は(世界遺産登録時の)合意破棄に当たり、外交的挑発と言える」と主張し、「対日屈辱外交だ」と尹錫悦政権を攻撃した。

やれやれ、なんと難儀な国であることか。この国では「反省」とか「謝罪」と言うのは、相手に要求しても、己は持ち合わせていないのである。

中谷元・防衛相は年内訪韓の予定だ。平成14年の終戦の日に現職の防衛庁長官だった中谷氏は靖国神社を参拝している。韓国が、 生稲晃子外務政務官に向けたボイコットと整合性をとるなら、韓国政府は早々に招請をとりやめるべきだろう。できるのか?
その程度の国なのだ。

SNSごときに振り回されてどうする

24日の名古屋市長選では、河村たかし前市長から後継候補に指名された広沢一郎氏(60)が当選した。自民、立憲民主、国民民主、公明の与野党4党が推薦し、加えて大村秀章愛知県知事まで応援これつとめた元参院議員、大塚耕平(65を)を圧倒的票差で下した。

民社党時代の春日一幸に始まり、その秘書だった河村たかしと、連綿と続く名古屋人挙げての「愛されキャラクター」「選挙モンスター」の謂(い)われはこのブログで書いたが、その通りの結果だった。

それでも、当選した広沢一郎は、「SNSの力が大きかった」という。知名度不足を補うためユーチューバーによる動画配信に河村氏とも共演し(写真右)「減税を拡大させる。消費に回れば経済が活発になる」と訴え続けた。「ネット越しで何千、何万の方にご覧いただいた。日に日に再生回数が増えた」とネットの力を述懐した。

ブログ子も驚いたが、11月17日投開票の兵庫県知事選では、不祥事で失職したはずの斎藤元彦前知事が予想を覆して再選を果たした。これもSNSの力が大きかったと一部の人たちは分析している。

曰くーー
・YouTubeで530万人超の登録者数を誇るオリエンタルラジオ・中田敦彦氏が斎藤氏について取り上げたパワハラなどへの疑問を取り上げた動画の再生数は200万回を超え、選挙戦にも大きな影響を与えた。

・投票直前の11月14日、兵庫県内29市のうち22市の市長が、稲村氏への支持を表明した。SNSで情報を入手している人たちは少なからず、「既得権益層が斎藤氏の改革を妨害している」と受け取ったようで、この表明は裏目に出た。

・政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が出馬しつつ、斎藤氏へ援護射撃を行った。立花氏は街頭演説を行うのみならず、YouTubeやXで斎藤氏の疑惑を否定したり、百条委の県議を批判したりした。

こうしたSNSがいわば独り行脚を続けるうちに「パワハラやおねだり疑惑は、県庁守旧派が改革派の知事を潰すために捏造した」といった根拠不明の風説が、SNSを通じて拡散され、流れが変わり始めた。斎藤本人も街頭演説で「メディアの報道は本当に正しかったのか」と語り掛け、聴衆から「そうだ!」の掛け声がかかるようになった。「メディアに攻撃されてもたった一人で旧態依然たる県庁組織や既成政党に立ち向かう男」という「物語」がつくり上げられて大きな流れになった。

日本では今年7月の東京都知事選で石丸伸二候補がSNSを駆使して善戦したことで、選挙におけるSNSの重要性がにわかにクローズアップされた。アメリカの大統領選ではSNSでトランプ支持者が「MAGA(Make America Great Again=米国を再び偉大に)」と叫びまわって大差で民主党を下した。このところ東西を問わずSNSが政治の必須アイテムとされる報道が怒涛の如く押し寄せている。

はたしてそうか。斎藤元彦前知事が「逆境」を跳ね返して県庁に戻ってきたというので、これまで批判してきたテレビのコメンテーター、前明石市長の泉房穂や元宮崎県知事の東国原英夫が手のひら返しで謝罪しているが、これなど滑稽な寸劇でしかない。

斎藤知事の暴挙を最初に県の公益通報窓口に通告した県西播磨県民局長だった男性(60)に対し、調査結果を待たずに翌月に懲戒処分とした件では、知事は人事課に「処分できるか」と持ち掛けている。為に男性は7月に自殺している。人が一人死んでいるのだ。疑惑は残ったまま「見事な返り咲き」で済ませられることではなかろう。

よくしたもので、SNSに助けられた人は今SNSに足をすくわれつつある。県知事選に際し、広報やSNS戦略を任されたとするPR会社の女社長が、トクトクと自慢話をインターネット投稿プラットフォーム『note』に投稿したのだ。

「私が発案した『#さいとう元知事がんばれ』というハッシュタグが広まり、多くの人がそのハッシュタグを拡散した。SNSなどのデジタルツール活用の戦略が当たった」と自慢話や県庁での会議にPR会社として出席していたこと、その戦略の描いた図面などもSNSに投稿し、知事とのツーショット(写真右)も公開した。会社として請け負ったなら公職選挙法違反を自白したも同然。今後、司直の手が及ぶのは必至だ。

なにかともてはやされるSNSだが、ブログ子は、ツイッター(現在X)だろうが、TikTok(ティックトック)だろうが、インスタグラムだろうが、ハナから相手にしていない。たかだか2,3行でどれだけの情報が発信できるというのか。LINEは使うがこれは孫たちが写真を送ってきたり「誕生日おめでとう」などとの他愛ないメッセージに返信するためだ。

新聞記者生活が長かったから、まともな情報を発信するには2,3行ではまともな情報など伝えられないことを知っている。ジャーナリストを名乗る人は多いが、なら、取材してウラをとって自分の手で原稿を書くものだ。コピーして、SNSに「いいね」ボタンをピッと押すだけでいっぱしの情報を発信しているつもりの人種など外道もいいとこだ。gあ、
アメリカの大統領選、兵庫のパワハラ知事、名古屋の市長選・・・流れたというSNSの内容を読んでみると、誤報、虚報、意図的な誘導のオンパレードである。

まともな人はこんなものに惑わされてはならない。

今朝の産経の外電に「いいね」をポチッと押したくなるニュースがあった。

オーストラリアのアルバニージー政権は16歳未満の交流サイト(SNS)の利用を禁止する法案を議会に提出した。年内に可決される見通し。暴力や自殺、いじめなど「有害な投稿」から子供を守るのが目的で、運営企業にアカウント作成の際の厳格な年齢確認を義務付けている。16歳未満による接続を防ぐための「合理的な措置」を取らなかった場合、最大4950万豪ドル(約50億円)の制裁金を科す。

日本もさらに広げて、虚偽を広めたSNS投稿者には厳罰を科してもらいたい。

北の富士と千代の富士は猛烈に仲が悪かった

11月はよく人が死ぬもので、このブログで訃報を書くのはこれで連続3回目になるが、大相撲で優勝10回という輝かしい記録を誇る第52代横綱北の富士が亡くなった。九重部屋を引き継いでからは千代の富士、北勝海の二人の横綱を育て上げた。関取が一人もいない部屋も珍しくないのに、輝かしい相撲人生だ。

ブログ子はそれほど相撲に精通しているわけでなく、家内の方が連日テレビで序二段あたりから見ていて、最近の相撲取りの名前など教えてもらっているほどなのだが、一時期、部屋でちゃんこを食べるは、横綱の誕生日のパーティーに呼ばれるは、正面溜りの砂かぶりに座るは、なまじの「通」より、入り浸っていた。それで表題のようなことをおのずと知っていた。

ブログ子を相撲に誘ってくれたのはジャーディン・マセソンのトップだったイギリス人だ。この会社は教科書の歴史で出てくる東インド会社に始まる大英帝国の系譜に連なるビッグ企業で、今では日本法人になって社長がいるようだが、当時は極東支配人とか東京支配人とかいう肩書だったが、日本暮らしが長く、その間に大の相撲びいきになった人だった。

取材で知り合って、なぜか気が合って相撲取りがよくいく浅草の「どぜう」屋に連れて行ってくれたりしていた。彼が権利を持っている、溜り席に座った時など、正面に座る親方のすぐそばで、親方の裾を踏みそうな最前列だった。若い衆が来たらお包みを千円渡してくれ、脱いだ靴は座布団の下に置け…こまごまとした作法をイギリス人から教えられたものである。

その彼が毎年千代の富士の誕生日の11月に原宿のバーでパーティーを開催していて、そこにブログ子も招かれて出かけたのであるが、主賓は千代の富士で、その親方が付き添いの北の富士という関係なのだが、軽妙なおしゃべりと言い物腰と言い、人の輪ができる北の富士が主賓のような会だった。

ジャーディン・マセソンの主な扱いは洋酒である。シャンパンの王様「モエ・エ・シャンドン」で乾杯した後、ブランデーの「ヘネシー」や「スコッチ」のシングルモルトなど、よりどりみどりで飲むのだが、現・元「横綱」2人の酒量のすごいこと。瓶1本が30分足らずでなくなるくらいだった。

千代の富士はたまに笑い顔を見せるが無表情か仏頂面が多かった。そのとき件のジャーディン・マセソンがそのわけを教えてくれたのが表題のようなことだった。

彼が言うには、現・横綱である千代の富士の稼ぎのかなりの分を親方の北の富士がピンハネするからだという。角界ではそんなこと当たり前なのだが、千代の富士はどうにも我慢が出来なかったらしい。

北の富士は北海道旭川出身となっているが、正確には美幌町である。ブログ子は学生時代に屈斜路湖から便乗したトラックの荷台に乗って美幌峠を超えた際、折からの寒さで凍傷になったことがある。トラックの持ち主である美幌町の商店主の家に運び込まれてガンガン燃えるストーブで事なきを得た。「その家、俺の親戚のナントカじゃないのかなあ」とひとしきり美幌町の話をしたものである。

谷川俊太郎が死んだ どこの新聞も書けない名詩を紹介しよう

谷川俊太郎が13日、死去した。92歳。死因は老衰だという。なんという素晴らしい死に方だろう。

哲学者、谷川徹三の一人息子だが、大学へ進学する意志はなく、独自の詩の世界を切り開いてきた。散文詩や、日本語の音韻性に着目した斬新なひらがな詩、はてはラジオドラマ、スヌーピーで知られる米漫画「ピーナッツ」の翻訳、アニメ「鉄腕アトム」の歌詞まで手掛けた。私生活では、劇作家の岸田國士の長女・岸田衿子、俳優の大久保知子、絵本作家の佐野洋子と3度の結婚と離婚を経験した。実に人間らしい生き方をしてきた人が、「92歳」「老衰」という素晴らし死に方で去った。見事と言うほかない。

ブログ子は平易にして明澄な彼の多くの詩を愛読してきたが、気づくのは「死」をテーマにした作品が実に多いことだ。かねがね本人も『僕は早く死にたいの。死ぬのが楽しみ』と言っていたほどだから、絶えず「死」を見つめ続けてきた達人なのである。

◆ ◆ ◆

『 ふくらはぎ 』 

俺がおととい死んだので
友だちが黒い服を着こんで集まってきた
驚いたことにおいおい泣いているあいつは
生前俺が電話にも出なかった男
まっ白なベンツに乗ってやってきた

俺はおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない
坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて
隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる
おや線香ってこんなにいい匂いだったのか

俺はおとつい死んだから
もう今日に何の意味もない
おかげで意味じゃないものがよく分る
もっとしつこく触っておけばよかったなあ
あのひとのふくらはぎに

『詩を贈ろうとすることは』より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後にユニークな一作を紹介する。ここ数日、彼の偉大な詩作についてメディアで触れられるだろうが、絶対に掲載されないであろうゆえに取り上げる。

◆ ◆ ◆

 なんでもおまんこ 』  

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

久しぶりに見た「薨去」の文字に思う

三笠宮崇仁(たかひと)親王妃百合子殿下が薨去(こうきょ)された。一貫して「薨去」を通したのは産経だけで、他の中央紙は「逝去」が主流だったが、この尊称語をみて久しぶりに「皇室語」に翻弄された現役記者時代のことを思い出した。いずれも敬語で苦労したものだ。

社会部記者をしていると皇室関係の記事を書く機会がたびたび出てくる。入社してすぐ、津支局に配属になったが、ここで「火星ちゃん」つまり常陸宮さまが華子さんと新婚旅行で伊勢志摩に来られた時の記事を書かされた。社会部になってからはその姉にあたる池田厚子さんを、東京に来てからも、その妹の島津貴子さんの記事を書いた。”おスタちゃん”の愛称で親しまれ結婚の際「私の選んだ人を見て頂戴」との発言が流行語になった方だが、お会いしたのは彼女が東京プリンスホテル内のショッピングモール「ピサ」に就職したあとだったので、話はもっぱらファッションのことだった。

私が原稿を書くと長くなる。さすがに「・・・殿下に置かせられては」という時代錯誤は犯さないものの、動詞や名詞にやたら「お」をつけるは「された」という動詞を使うのだ。困り果てて先輩の宮内庁担当に見てもらったら、ざくざくと三分の一ほど削ってくれた。「二重敬語はいらない」「ワンセンテンスに一つ敬語があればいい」など教わった。

三笠宮百合子さまの長男、寛仁親王殿下とは札幌で毎晩のようにバーを渡り歩いた。ブログ子は当時札幌オリンピックの取材チームのキャップで殿下は札幌組織委員会の職員という立場だった。我が新聞社の報道部長が学習院出で皇室担当したので、いろいろ皇族とは付き合いがあり、その部下である私に”お守り”が命ぜられた。夕方、大通公園に近い事務局に殿下を迎えに行き、札幌のそこそこのバーをハシゴしてレミーマルタンのボトルをキープするという”仕事”だった。

互いに東京に戻ってから電話がかかってきて、お礼に一献、ということで青山通りの青山一丁目交差点そばの宮邸に行った。後にも先にも初めて見たが玄関は普通の家の2階まではあるという高い扉で驚いた。そのとき広間で母親の三笠宮百合子さまからお礼の言葉をいただいたのだがあまり覚えていない。

その後、昭和天皇のご不例の折りには編集幹部をしていた。わが社では[A号作戦」と称していたが「その時」に備えて取材、紙面づくり、号外など万全の用意をして24時間待機していた。外出する際も、当時出たばかりの携帯電話をわきに置いていた。今と違って縦横30センチ、厚さ10センチもあろうかと言う発電機並みの大きいものでタクシーの運転手が、それが電話ですか、と驚くほどだった。

この時は中央紙、地方紙、テレビすべて「崩御」で横並びだったが、直前に朝日新聞は「逝去」でいくらしい、という話が伝わった。ひごろ皇室に批判的な新聞でさもありなんと思えたが、今となっては真偽のほどはわからない。

話が長くなったが、ここで苦労するのが敬語である。その前に、「諡(おくりな)」と言うものを知っておかねばならない。上で「昭和天皇」と書いたが、生前には使えない。「諡号」(しごう)ともいうが、帝王などの貴人の死後に奉る言葉なのである。そのうえで「崩御」「薨御」「薨去」「卒去」「逝去」「死去」といろいろ使い分けなければならない。

「崩御」(ほうぎょ)は、「天皇・皇后・皇太后・太皇太后」が亡くなったときに使う。

「薨御」(こうぎょ)は、「親王・女院・摂政・関白・大臣」などに。。

「薨去」(こうきょ)は、「皇族または三位以上の貴人」に使う。「三位(さんみ)」は、「正三位」「従三位」の勲位がある人。「皇太子妃が薨去された」のように使う。「薨御」とほとんど同じで今回の三笠宮百合子さまの例のように今はこの「薨去」が主流。

「卒去」(そっきょ)=「しゅっきょ」が正式で、「そっきょ」は慣用読み=は、「身分のある人の死」を意味する言葉で、四位(しい)・五位(ごい)や無位の皇族(王や王女など)の死に対して使われるが、現在はほとんど使われていない。

「逝去」(せいきょ)は、死去の尊敬語で目上の人に使う言葉で身内に対しては使わない。今回の訃報ではほとんどの新聞、テレビはこの言葉で伝えた。中には「ご逝去」「逝去された」としたメディアもあるが、これは敬語表現が2つ重なっている「二重敬語)で、文法上は誤っているのだが、電報の例文にはれっきとして載っていて、現実には一般的になっている。

「死去」は、家族、親族など身内や社内の人が亡くなった場合に使い、場合によっては「亡くなる」「永眠」「他界」 などと使う。

虚構の地震学説で原発を止める東大地震研一派に鉄槌を

原子力規制委員会は13日の定例会合で、日本原子力発電が再稼働を目指す敦賀原子力発電所2号機(福井県)について、原発の安全対策を定めた「新規制基準」に適合していないとする審査書を正式決定した。新規制基準を満たさない原発は運転が認められず、敦賀2号機は2012年の規制委発足後初めて「不合格」の原発となった。

審査では、原子炉建屋の北側約300メートルにある「K断層」が問題になった。原電は掘削調査の結果などから「K断層は活断層ではなく、原子炉建屋直下にも延びていない」と主張したが、規制委の審査チームは「活動性、連続性とも否定できない」と強弁して、反対意見を押し切って最終決定した。

「産業のコメ」である日本の電力は危機的な状況にある。クリーンな原子力発電に頼るべきなのだが、福島原発事故以降、核アレルギー論者の跋扈で原発はみな止まっている。脱炭素時代に逆らって石炭や石油を燃やし、家庭は毎年跳ね上がる電気代に悲鳴を上げている。国家の危機に瀕しているとき、愚かな地震学者どもの偏った学説で原発が止まるのは、もはや犯罪である。

今回も「不合格」の根拠になったのは「活断層」である。世界のトップクラスと自称する日本の地震学の権威がいうのだから信用する人もいるだろうが、内実はあほらしいほどいい加減なのである。

「活断層」の悪夢はあの 「悪夢の民主党政権」 に始まった。3・11の東電福島事故で菅直人は日本のエネルギーの3割を担う 原発 を即座に止めた。次に動かすには、 「原発施設の下に 5万年前まで活動した断層がないこと」 を 設置許可基準 とした。それを審査するために 原子力規制委を新設したが、実態は再稼働させないための菅直人の直轄組織で、基準はいつしか 「13万年まで」 に改められ、菅直人がさらに、少しでも不明があれば 「40万年前までの疎明も必要とする」 に変えた。

ブログ子は高校時代に地学をとった。何万年間、噴火がない富士山は「休火山」、それ以上ない八ケ岳などは「死火山」、いま動いている浅間山などは「活火山」と教えられた。40億年を超える地球の歴史の中では「5万年」も「13万年」も一瞬である。現在では、死火山、休火山とも使われない。

現在、地震学者の主流になっているのにプレートテクトニクス理論がある。地球の表面はいくつものプレートに覆われており、対流しているマントルに乗って水平に動いているとする。日本は太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北米プレートの4つがせめぎあっているというものだが、当時の授業では「最近、こういう理論が出ている」と教わったものである。

まして地震学などさらに「浅い」ものだが、東大地震研究所を中心とする地震学者はこれを「金蔓(かねづる」に変えた。地震は予知できると称して国から予算を何百億円も取った。さらに規制委に東大地震研の島崎邦彦教授らが入って牛耳ってきた。東電福島事故の原因は津波により浸水して冷却用電源が切れたことによるのだが、彼らは「東電福島事故は津波ではなく地震のせいだ」 と言い張って、今回の敦賀原発同様、「原発の下に活断層があればすべてアウト」にしてきた。

まともな学説ならまだしも、その研究たるや、笑い種である。立川断層の調査で東大地震研の佐藤比呂志教授が 「白く長い活断層 」を発見して大騒ぎになったが、掘ってみたら実は埋まったコンクリート電柱 だった。

彼ら東大地震研を中心とする「地震屋」の暗躍ぶりは櫻井よしこが、週刊新潮9月12日号「『南海トラフ70%』の嘘と島崎邦彦氏」として書いている。

(要約)

今年の新潮ドキュメント賞受賞作『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一著、東京新聞)には驚いた。読み進む内に、わが国に巣食う無責任な学者・研究者たちへの猛烈な憤りが湧いてきた。彼らが専門性の壁のうしろに隠れて、根拠のない非科学的な論理を展開し、危機へのわが国の対応を歪め、日本社会と多くの国民に害をなしているからである。

政府の地震調査委員会が「30年以内、確率70%」と公表し、度々警告している中で過日「南海トラフ地震臨時情報」が発出されたのは記憶に新しい。だが、真実は、70%説は「水増しがされ」た数字で、多くの地震学者は「『信頼できない』と考えて」いるというのだ。

小沢氏の取材のきっかけは、名古屋大学教授(地殻変動学)の鷺谷威(さぎやたけし)氏から以下のような驚くべきことを告げられた。

▽南海トラフだけ、他の地震とは別の手法で数値を予測している。あれを科学と言ってはいけない。▽他の地域と同じ方法で計算すれば地震発生率は20%程度にまで落ちる。

何ということだ。70%説は科学とは呼べない手法で割り出されたというのだ。そんな信用できない説がなぜ政府見解となったのか。

地震調査委員会では他の地域同様、全国統一の計算方法から算出した「20%程度」という確率を発表する案も検討されたそうだ。しかし委員会の上層部に伝えると、大反対が巻き起こったという。「80%という数字を出せば、防災対策もそこに焦点が絞られ」、政府予算も確保される。だが、確率が下げられると予算が取りにくくなる、というのが主な理由だった。

こうして鷺谷氏が「科学者の良心に照らして言えば、危機感をあおるだけ」と語った「30年以内」「70%の発生確率」が最終結論となった。

読み進む内に私の目は島崎邦彦という地震学者の名前に吸い寄せられた。2012年、民主党政権の菅直人首相が設置した原子力規制委員会の委員長代理に就任した人物だ。規制委は島崎氏らの非科学の極致を行く思考によってまともな原子力行政を代々、不可能にしているのが現状だと言ってよい。

氏は政府の地震調査研究推進本部(地震本部)で2012年まで17年間にわたって長期評価部会の部会長も務めており、そのキャリアは氏が日本における地震学の権威として認められていることを示している。だがこの島崎氏が、少なからぬ地震学者から「信用できない」と批判されている学説を打ち出した。巨大地震発生の確率を予測する「時間予測モデル」である。内容を著書から抜粋する。

「地震は海側のプレートが沈み込むことによってひずみが溜まり、限界点に達すると陸側のプレートが跳ね上がり、激しい揺れを起こす。地震後も、海側のプレートは変わらず沈み込み運動を続け、ひずみを溜めて限界に達するとまた跳ね上がる。このサイクルに要する時間を割り出せるとして提案されたのが時間予測モデルだ」

つまり、プレートの跳ね上がりで大きなひずみが解放されて、大地震が発生したあと、その分のひずみを蓄積する時間によって次の地震発生の時期が予想できるという説だ。

同モデルの根拠の一つとなったのが江戸時代に起きた安政地震直後の土佐室津港(現在の高知県室戸市)の水位の変化である。古文書には「1854年11月4日、海面が荒れ、翌5日、海水面の高さが1.2メートルほど低くなった」との旨、書かれている。

だが、計測の手法についての詳細はない。海底の岩盤を基準にして計ったと思われること、江戸時代なので縄に重りをつけたり、竹の棒を使ったりしたと思われることなどから、かなり大雑把な数字だと京大防災研究所所長の橋本学氏は述べている。

「元々古文書の数値なんて、誰も確度が高いとは思っていませんよ。だから、誤差の補正をしてから使う。島崎論文ではそういうことをせず、現代の技術で測量した数値のように使っているんです。要するに当てにならないということです」

政府の防災対策は、島崎氏の好い加減な論文に基づいて南海トラフ地震が30年の内に70%の確率で発生するという前提でなされているのだ。

小沢氏は島崎氏に取材を申し込んだ。だが島崎氏は応じない。島崎氏は時間予測モデルを提唱した当事者で、それを基に「30年、70%」の確率を採用した責任者の一人だ。説明する責任があると、小沢氏が詰め寄った時、こう答えた。

「いやいや、論文を書いたら、それはもう僕のものではないですよ。それをどう料理しようとみなさん次第です」

こうして最後まで島崎氏は「ノーコメント」を貫いたそうだ。島崎氏の非科学的な論文から現在の南海トラフの発生確率が決定された。それが他の学者から全く非科学的だと指摘されているのである。国の防災、国民の命にかかわることだ。島崎氏に学者の良心があるなら説明も修正もするだろう。けれど、氏は非科学的であるだけでなく、説明責任も果たさない。無責任学者なのだ。

島崎氏が委員長代理を務めた原子力規制委員会は、当初から現在まで非科学の極致を行き、活断層を巡る議論で福井県の敦賀原発2号機の再稼働を認めない判断を下したばかりだ。その他の原発においても規制委の非科学的判断が再稼働を遅らせ、災害対策と同様にわが国のエネルギー政策を歪め続けている。

いいかげんにしろ! 政界下ネタ暴露

 国民民主党・玉木雄一郎代表が11日、一部週刊誌で報じられた女性との密会について会見を行い、「今朝、報道された内容については、概ね事実です。謝罪しても許されるものではないと思っておりますが、謝罪を続けたいと思います」と謝罪した。同日、首班指名を控えていた中、指名および代表の継続については「仲間の意見を聞きたい」と述べ、また議員としては活動を継続したい意向を明かした。報道陣から妻への思いについて聞かれると、「日本一夫のために地元を守ってくれる妻。一生謝罪を続けたい」と目に涙を浮かべて頭を下げた。

またか、と怒髪天を衝く思いである。怒りの相手はこれを報じた写真週刊誌「FLASH」である。得意げに特ダネづらして、国民民主党が自民党相手に突き崩そうとしている『103万円の壁』にひっかっけて「“理性の壁”も引き上げたほうがよさそうだ。」と文末を結ぶゲスな手口も気に食わない。

ここ数年「週刊文春」に始まった、政治家の不倫や「路チュー」を追いかけまわす週刊誌、女性誌、写真週刊誌は後を絶たない。もちろん、金に汚く、女の尻を追いかけることに精を出す昨今の政治家が悪いのだが、ブログ子が愛読する山本夏彦翁の格言「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」に倣えば、「助平は国を滅ぼさないが、正義ヅラは国を滅ぼす」である。

今の下衆(ゲス)メディアに聞かせてやりたいが、一昔前まで政界では「臍(ヘソ)下三寸人格なし」という言葉があって、男女間の下世話な話など書かない「矜持」を持ち合わせていた。

今回、玉木代表の話の舞台になったのは、彼の地元である香川県高松市だが、この地には同じ「臍下三寸」で勇名を馳せたものの、政治活動は微動だにしなかった大先輩がいる。

現在の盤石の「55年体制」のスタートとなった「自由民主党」結党に動いた三木武吉の「メカケ談義」が美談として残っている。戦後まもなく、郷里の高松から衆議院選挙に立った三木を、対立候補が立会演説会で「ある有力な候補者は、あろうことか東京で長年にわたってつくったメカケ三人を連れて郷里に帰り、小豆島に一緒に住まわせている。かかる 不義不道徳な輩を、わが香川県より選出すれば、県の名折れであり恥辱である」と攻撃した。

これを聞いて登壇した三木は、「私はたしかに有力な候補者である。無力な候補者は、私がメカケを三人も連れて帰ったといっているが、物事は正確でなければいけないので訂正しておきますが、女の数は三人ではありません。五人であります。故郷を飛び出し以来、いろいろな事情から多くの女との関係ができました。そのかかわりを持っ た女たちは、いずれも年をとっていわば今は廃馬であります。けれども、彼女たちが私を頼る限り、私の都合で捨て去ることはできません。この人々を養うことは 、私の義務だと思っております。それも三人じゃない、五人です」

満場笑いに包まれ、以後圧勝し、メカケのことなど問題にもならなかった。

三木武吉はヤジられても強かったがヤジるのもうまかった。戦前、戦後の名ヤジとして今に至るも語り継がれているのが、三木武吉の「だるま発言」だ。大正9年1月、 原敬(はら・たかし)内閣が海軍拡張に乗り出したときの予算説明で、その風貌から「だるま蔵相」の異名を持つ高橋是清(のち首相)が「この計画のため陸海軍は ともに難きを忍んで長期の計画とし、陸軍は10年、海軍は8年」と言ったとたん、議場から「だるまは9年!」と三木のヤジが飛んだ。

ブログ子もメカケ取材をしたことがある。以前、このブログで「選挙モンスター『河村たかし』の影に『春日一幸』で書いたことだが、再録する。

昭和43年の暮れ、御用納めが近い頃だったが議員会館の民社党の春日一幸・書記長の部屋に呼ばれた。事務所にはもう一人、週刊誌、 「女性自身」の記者がいた。春日書記長はゲラを手に私に「明日発売で店頭に並ぶそうだ。あなたには包み隠さず 話してきたが、公になる以上職を辞することとした。このあと記者クラブで発表します」ということだった。

2、3週間前に「春日一幸は妾を持っている」とタレ込みがあった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もないくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

タレ込みは本当だった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もないくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

東京からも地元の名古屋からも離れて、なんで「春日部」なのか。語 呂合わせとしか思えない場所である。他の女性もみなそこそこのおトシであることから、戦争未亡人の面倒を見ているのではない かとも思えた。そうなるとなんだか美談のようでもある。こんな話が記事になるのだろうか、考え込んでしまった。迷っているうちに、議員会館に呼ばれたのである。

 愛人を囲った政治家を挙げれば枚挙にいとまがない。鳩山一郎、佐藤栄作、吉田茂、岸信介、大野伴睦、犬養健、田中角栄、船田中、 石田博英、宇野宗佑、田村元、橋本龍太郎、石原慎太郎、小沢一郎、森喜朗、山崎拓、中川秀直・・・。第44代衆院議長を務めた西武グループの創業者である堤康次郎など、子供が100人以上いたという。誰一人としてメディアで公然と暴き立てられた者はいない。

最近は女性議員の不倫も週刊誌のターゲットになっている。故中川昭一の妻・中川郁子の同僚との路チュー始め、元スピードの今井絵理子と地方議員との不倫、三原じゅん子がどうしたとか、山尾志桜里(立憲民主、国民民主と渡り歩き現在は菅野志桜里で弁護士活動)がトシ下の弁護士と不倫してたとか、まさに国会も「男女平等」のこの道である。

当時のマスコミが持っていた「矜持」と言うものを、今の週刊誌に求めるのは「無いものねだり」なのだろうか。

「トランプ大接戦」と虚報を流した日米メディアの責任

共和党のドナルド・トランプ前大統領は民主党のカマラ・ハリス副大統領に圧勝した。トランプは開票過程で一貫してハリスに明確な差をつけ、激戦州も次々に制して早い段階で「当確」が出た。9日、最後まで勝敗が決まっていなかった西部アリゾナ州でも勝利を確実にし、全州の勝敗が確定した。

選挙人全538人のうちトランプ氏が312人を獲得し、民主党のハリス副大統領は226人にとどまった。アリゾナは激戦7州の一つに挙げられ、トランプ氏は7州全てで勝利した。(共同)そこで問題になるのが、「史上まれに見る大接戦」と”虚報”を流し続けた日米メディアの責任である。

ブログ子はテネシー州ナッシュビルに女性牧場主の知己がいる。義兄がここでタイヤメーカーの社長をしていたのでゴルフや馬に乗るためよく行っていたせいだが、彼女は「流れ込んでいる移民問題はもはや危険段階だ」と早くからトランプ優位を伝えていた。ただ、この地は「風と共に去りぬ」の舞台で、南軍の拠点だったことからわかるように、共和党の岩盤である。上流白人層の意見ととらえていた。

だから、「大接戦」になるという報道の方を信じていた。日米の主要メディアからトランプに対して「民主主義の敵」とか「ヒトラー」「ウソつき」という激しい言葉を浴びせ、カマラ・ハリス本人もトランプへ汚い言葉で個人攻撃しても、さもありなん、と受け止めた。

だがトランプに投票した七千数百万の米国民の意思は圧倒的だった。結果が示すのは、日米メディアは終始「ウソ」を流してきたということだ。ハリスがトランプに対して互角か、互角以上に健闘しているかのように報じてきた主流派メディアによる恣意的な印象操作だったのだ。この際、なぜそうなったのかはきちんと分析して、報道する責任があるだろうに、日米ともいまだになんの反省報道がない。

アメリカの主要メディアは日本と違って「中立」を装わない。ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト…みな、骨の髄まで民主党一辺倒である。例えば、投票直前の10月23日、ロサンゼルス・タイムズの編集委員が辞任を表明した。理由は「同紙のオーナーからハリスを支持するという編集側の決定が阻止されたことへの抗議だ」という具合。

アメリカメディアは「接戦」ではないことは事前調査で分かっていたはずである。だから、危機感を煽って民主党への票を掘り起こすべく、「接戦」報道をしたのではないかという疑念がぬぐえない。一方、日本のメディアだが、どこの新聞社の特派員も事前調査する金も力も持ち合わせないし、政界に食い込めていないから、これら主要紙の「丸写し」を常とする。NHKも、金はあるだろうが3,4年で異動するサラリーマンだから右へ倣えである。これを機に、「NYタイムズは…」とか「ワシントンポストによると…」というお決まりのニュースを見直すいい機会だ。

トランプ勝利の第一要因は上述したように、リベラル左翼と化した民主党がすすめた「移民に甘く、過激なLGBDや女権、環境問題への肩入れが過ぎる」ことへの嫌悪感だが、第二の要因は「SNS」(ソーシャル・ネットワーク)の使い方でトランプ陣営の方が上手を行ったことが挙げられる。

前回の大統領選挙では、SNSでのトランプ側の情報発信は厳しく制限された。トランプ自身がTwitterから排除されて、情報発信できなかった。今回は、イーロン・マスクがそのTwitterを買収して、Xに切り替えた。そればかりかトランプ陣営に巨額の献金をして選挙活動を支えた。これにより、トランプはXでの情報発信が自由になったばかりか、主流派メディアが隠している情報がXで簡単にわかるようになった。

例えば、最終盤でトランプがマクドナルドでバイトをしている映像が話題になったが、これはハリスが高校生の時にマクドナルドでバイトしていたというウソを拡散するための手段だった。ハリスは上流階級の出身で、バイトなどとは無縁の生活をしてきたのだが、庶民派ぶってウソをついていた。だが、反トランプの主流派メディアはこうしたハリスに関するマイナス面を報じなかった。Xでトランプのパフォーマンスが流れて、ハリスの裏側が知れ渡ったのだ。

イーロン・マスクは移民問題を持ち出し「トランプが勝たなければ、この選挙が民主的な最後の選挙になる。激戦州に不法移民を大量に入れて、彼らに選挙権を与えれば、激戦州を民主党の州に変えることができる。そういうことをさせないためには、どうしてもトランプに勝たせなければならない」と訴えて共感を生んだ。

トランプの勝利は移民問題への危機感だったといって間違いない。これは明日の日本の問題でもある。身近に川口のクルド人問題があるが、そもそも、中東の「国を持たない民族」がなぜ、いつの間にか日本に何千人と入ってきたのか。移民に甘い国と知って陸続とやってきたのを誰も問題視しなかったからではないか。トランプの勝利を聞くとき、日本も他山の石として、移民問題を真剣に考えるべきである。

「箸も茶碗もまともに持てない」石破首相に政権が持てるか

ブログ子は人と食事するとき箸の持ち方でその人の「育ち」の良し悪しを判断する。きちんとしているひとが大半だが、これまでげんなりすることは多々あった。「某」帝京大学総長、「某」鉄道弘済会社長…付き合いはほどほどにするのが通例だった。今では食事する機会そのものが減ったが、隣の席で若い女性が「握り箸」をしているのはよく見かける。親の顔が見たい、とさえ思う。

その「育ちの悪さ」が白日の下にさらされているのが、前回も指弾した石破茂首相である。 11月2日に、石破首相が人差し指をお茶碗のふちに引っ掛けて持ち上げ、箸をクロスさせてご飯を食べる動画がXに投稿された。しかも、肘をつきながら食事をしている。

 この動画は、ユーチューバーでお笑いタレントのたかまつななのYouTube動画に石破首相が出演したときのもの。3年前に公開された動画だが、2日にXに転載されるとあっという間にネット上からツッコミが殺到。

《肘をついて食べたこと、俺でさえないわ。これは残念》
《え? 茶碗の持ち方よ 幼稚園の時にこの持ち方をして親から手を叩かれた記憶があるんですけど…》

見てみたら、なるほど、箸の持ち方、茶碗の持ち方、食事の姿勢…まるででたらめである。ブログ子がこれまで判定してきた中でも飛びぬけて「下賤の下」である。「親の顔が見たい」部類だが、この人、実は育ちがいいのである。東京生まれだが父親が鳥取県知事になって高校まで「上流家庭」で育ち、慶応大に入った経歴の持ち主。どうして、箸の持ち方ひとつ知らない人間になったのか不思議なくらい。

組閣のときのもモーニング姿の着こなしがだらしないと指摘され。石破茂首相が1日夜、官邸で新閣僚をそろえた写真撮影に臨んだ際、ズボンの裾がだぶつき、ふくよかな腹部が目立ったことが話題になった。モーニングではサスペンダーで吊るのだが石破首相はベルトである。安倍首相を「国賊」とけなした村上誠一郎総務大臣も、相撲取りのような出腹で並んでいて「石破”だらしない”閣」と呼ばれたほど。

「箸の上げ下ろしまで文句をいう」のは慎まなければならないが、箸の持ち方ひとつ見ても「石破内閣」は下品である。

4日の産経新聞に櫻井よしこの「美しき勁き国へ」で完膚なきまでこきおろした「首相即時退陣こそ国益」が掲載されている。前回のブログ子のコラムと違って、理路整然とこの人物が一国を率いるような資格がないことを断言している。長いが引用する。

◇ ◇ ◇

「首相即時退陣こそ国益」

衆院選で歴史的惨敗を喫した石破茂首相は国民の審判を受け入れるべきだ。小選挙区での得票数を約670万減らし、結果を受けた共同通信の世論調査では内閣支持率が50・7%から32・1%に急落した。就任から1カ月、これほど急速に支持を失った事例は稀有だ。石破氏は敗因を「政治とカネ」問題のせいにするが、真の原因は言動の定まらない本人の資質にある。

国民の声を大事にするのは、民主主義の基本である。だが民主主義は絶対善ではない。劣化して衆愚政治となった事例を、ソクラテスに下された死刑判決はもとより、ヒトラーの登場を含め、私たちは歴史の中にいくつも見てきたはずだ。

昭和天皇に月1回の頻度で進講した三上照夫氏が、『第三の文化の時代へ』(ぱるす出版)の中で民主主義について語っている。

人間集団にはこういう国造りをしたい、こういう家庭造りをしたいという共通の目標がある。この建国の理想を、日本人は奈良朝時代から「国体」と言ってきた。国体実現の手段として日米欧が選んだ政体が民主主義だ。それはあくまでも手段としての政治原理であり、国家の目標・目的は別にある。そして指導者に識見、国家観が欠落しているとき、手段であるはずの民主主義は目標に格上げされ置き換えられてしまう。

石破氏は国民の理解を求め続けて政治とカネ問題の先に行けない状況だ。民主主義という手段を目的に格上げして自縄自縛に陥ったからである。自業自得である。結果として、より大事な国家目標実現の政策論がほぼ空白になり果てている。

長年の勉強不足もたたって、石破氏の提唱する政策は空疎を極める。アジア版NATO(北大西洋条約機構)創設や日米地位協定見直しはアジア全体を不安定にしかねない。自民党は両案件を政務調査会で議論するという形で封印した。鳩山由紀夫元首相の東アジア共同体構想と同類の空疎な石破提案はこうして処理された。

より深刻なのが対中外交だ。岩屋毅外相が中国の王毅共産党政治局員兼外相と会談し、戦略的互恵関係を再確認したい旨を、語っている。戦略的―は2006年、第1次安倍晋三政権が打ち出した。小泉純一郎元首相の靖国神社参拝で冷え込んだ日中関係を双方が修復しようとした。だが中国に習近平政権が誕生し状況は一変した。強権的中国との戦略的互恵関係は日本の国益に合致せず、2017年11月の安倍・習会談以降消えた。石破政権が岸田文雄元首相の路線を継いで立ち戻るのは悪手である。

安倍晋三元首相が戦略的互恵関係をうたった2006年から18年が過ぎた現在、日中関係は一変している。中国は軍事大国としての力を誇示し、世界秩序を書き換える野望を隠さない。18年前、彼らは喉から手が出る程に日本の協力を求めたが、現在はいかにして日本から全てを切り取るか、あらゆる形で攻勢を強めている。その手法は、小さな動きを積み重ねて圧力を強めるサラミ戦術で、一例が尖閣諸島(沖縄県石垣市)だ。

第2次安倍政権樹立から間もない2013年4月26日、中国外務省報道官は尖閣諸島を「中国の核心的利益に属する」と発言した。その同じ日、安倍氏は来日中の米軍制服組トップ、デンプシー統合参謀本部議長と会談し「日本固有の領土である尖閣諸島について、わが国は一切譲歩しない」と語った。すると翌27日、中国外務省は26日の発言を事実上修正した。

現在の中国にそんな配慮はない。彼らは堂々と尖閣を核心的利益と宣言し、23年8月に発表した標準地図で示した「十段線」の10番目の線は与那国島から12キロのわが国の領海をえぐり取っている(『国防の禁句』岩田清文、島田和久、武居智久 産経セレクト)。

中国軍は22年8月には与那国島の排他的経済水域(EEZ)内に弾道ミサイル5発を撃ち込んだ。中国が初めて日本の庭先に実弾を撃ち込んだ事実に注目せよと岩田清文元陸上幕僚長は強調する。

23年7月、尖閣諸島周辺のわが国のEEZ内で中国の情報収集用のブイが発見された。24年1月には中国海警局の船が尖閣上空のわが国の領空を飛行する自衛隊機に「中国領空」からの退去を要求した。6月には中国海警局最大級の巡視船が、尖閣諸島を周回した。

中国保有の軍艦は米国を上回り、35年には435隻に迫る。米国は45年に至っても350隻にとどまる見込みだ。

その中国を岸田文雄政権は22年末に策定した国家安全保障戦略で初めて「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と定義した。

だが岸田氏は23年4月の安保3文書についての国会報告で「最大の戦略的挑戦」というくだりを割愛し、さらに24年1月の施政方針演説では、日中は「戦略的互恵関係を包括的に推進する」と大幅に後退していた。

実は、戦略的互恵関係は岸田氏の施政方針演説の前、23年11月16日の日中首脳会談で習近平主席が復活を持ちかけていたのだ。習氏の意図は中国を最大の戦略的挑戦と定義したわが国の安全保障戦略を上書きすることだと、島田和久元防衛事務次官は警告した(『同書』)が、正しいと思う。

戦略的互恵関係の6年ぶりの復活には、再び日本を取り込む中国の狙いが込められている。そこに岩屋毅外相が乗るというのだ。だが、逆戻りしてどうするのだ。

対話の窓口は開けておくとして、わが国は今こそ静かに着実に、核の脅威も含めて中国に対処する力を強化し、体制づくりを進めるときであろう。政治家にはそれだけの仕事を進める冷静な思考と胆力が要る。

石破氏がその任にふさわしいとは思えない。一日も早い退陣こそ国益だ。

こんな「厚顔無恥」「妄言綺語」の首相は見たことない

出鱈目なことを言って、嘘をつくことを「妄言綺語」という。以前も書いたが、ブログ子の取材歴の中で歴代最低だと思う首相は長らく「指三本」の宇野宗佑だった。ところが、”悪夢の民主党政権”で菅直人、鳩山由紀夫というのに取って代わった。これで終わりかと思ったが、どうやら「石破茂」が加わりそうだ。

 石破茂首相は解散権の濫用について否定的な立場だったのにも関わらず「就任直後の支持率が高いうちに」と解散した。そして目論見はずれての惨敗。自分が設定した「自公過半数維持」という勝敗ラインを下回ったにも関わらず総理の続投を明言して居座っている。同じく議席を減らした公明党や維新が責任取って代表が辞任するというのに、だ。

そればかりではない、総裁選中に提唱した日米地位協定の改定や「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」構想は、すでに事実上封印している。前向きだったはずの選択的夫婦別姓や富裕層への課税強化についても、その姿勢は明らかに消極的となっている。いずれも、誰が見ても虚妄の構想ではあったが、わずか1か月前に高言していたことをこうも簡単に口を拭って平気な神経がわからない。

 「後ろから鉄砲を撃つ男」と言われた石破総理はこれまでも歴代の総理大臣を公然と批判してきた。第1次安倍政権下、2007年の参議院選挙で自民党が大敗し、安倍晋三首相(当時)が続投の方針を表明した際のことだ。

党の総務会で「選挙に負けたにも関わらず、続投するのは理屈が通らない。続投するならそれなりの説明が必要でしょう」と責め立てた。参議院は厳密に言えば政権選択の場ではない。選挙責任を丸ごとかぶる必要はないものだ。それなのに大声で罵ったのである。いまそっくり己が身に跳ね返っている。それも衆議院選での大敗である。「続投するならそれなりの説明が必要でしょう」と誰しもが思うところだ。

安倍元首相は総裁選を戦った相手である石破氏を党のNO1ポストである幹事長に任命したが、石破首相は自民党総裁選の決選投票で激しく争った高市氏を幹事長にすることはなかった。

 石破首相はこうもほざいていた。
「虚偽というのは、国民に対する挑戦だ。国民に対する嘘は許されるべきではない。民主主義はプロセスであり、保守の本質は寛容であるべきだという立場だ」

度重なる虚偽、持論の撤回、非公認候補への2000万円の資金提供…総裁選でのこれらの所業は、透明なプロセスなど一つもないことばかりである。

 日本の首相が居座ると、その地位から引きずり下ろすのは容易ではない。不信任案を可決させる必要があるが、これが並大抵ではない「力仕事」なのだ。大敗が予想されるとき、与党は現状維持でその時の政権を続けるほかなくなる。例えば、2011年の菅直人政権のときだが、「俺を辞めさせたければ〇〇法案を通せ」と好き勝手なことを言って居座ったものだから大混乱に陥った。最終的には退陣したが、これが後の民主党の大惨敗への布石となった。

 歴代最短の首相は上述した第75代宇野宗佑で、その在任期間は69日。石破首相は10月1日に首相に就任したから、12月8日までに辞任すれば、この記録を抜き、最短記録となるのだが・・・

まあ、現実には、議席を7倍に増やした国民民主がいう「パーシャル(部分)連合」を飲む「抱きつき」作戦しかない。年内の補正予算で、ガソリン代値下げのためにトリガー条項の凍結解除を決め、年明けには、国民民主が訴え続けた所得税減税のための、基礎控除等を103万円から178万円に引き上げる法案を推し進めることになる。これを実現するためには8兆円の財源が必要で、自民党内には「とても飲めない」という声があるが、現在の石破首相の立場では飲むしかなかろう。

2025年1月末に通常国会が始まり、来年の本予算の審議が行われる。ここでも、少数与党の自民党は国民民主に賛同してもらう必要が出てくる。しかし、党内の声を無視すれば分裂しかねない。予算の締め切りは3月31日。その日までに予算を成立させないと、新年度の経済を動かせずに、行政がストップしする。

こうなると、石破首相は、身を差し出し、総理退陣を条件に予算を通してもらう…という筋書きを読む向きもある。そうなると、2025年の3月31日が石破氏のXデーになる。

ブログ子の見るところでは、来年までとてももたないのではないか。一国の宰相に必須の「国家観」「信念」「千万人と雖も吾往かん」(孟子)という気概がこの人には皆無である。

ただ、「首相になりたい」だけの妄執に取りつかれた人物は早く消えた方がいい。

選挙モンスター「河村たかし」の影に「春日一幸」

今回の衆院選で各紙の情勢分析が出ているが、その中で初の議席獲得が有力視されている政治団体「日本保守党」の河村たかし(愛知一区)の選挙モンスターぶりが話題になっている。

 衆院選が差し迫った10月1日、河村氏は突然、名古屋市長を辞め、政治団体「日本保守党」公認候補として、かつて5回当選を果たした愛知1区から出馬すると、名乗りをあげた。

 この選挙区では、4期連続小選挙区で当選している自民党前職の熊田裕通氏と立憲民主党前職の吉田統彦氏、日本維新の会新顔の山本耕一氏が立候補を表明し、3氏の争いとみられていた。ところが、現在のメディア各社の情勢調査では、突然出てきた河村氏がトップで、残り3人が追う展開。「まさに選挙モンスターだ。出馬表明からたった2週間でトップに立ってしまった。すさまじい破壊力、河村台風だ」と驚愕の声が聞かれる。

ブログ子は、さもありなん、という思いで、さして驚かない。「河村たかし」は「春日一幸」の秘書だったということを知っているからだ。

昭和43年の暮れ、御用納めが近い頃だったが議員会館の民社党の春日一幸・書記長の部屋に呼ばれた。この後、民社党委員長として野党の顔になる人物だが、このときはまだ書記長。党の顔は西村栄一委員長なのに、すでに民社党を我が物顔に仕切っていて、番記者が張り付いていた。事務所にはもう一人、週刊誌、 「女性自身」の記者がいた。春日書記長はゲラを手に私に「明日発売で店頭に並ぶそうだ。あなたには包み隠さず 話してきたが、公になる以上職を辞することとした。このあと記者クラブで発表します」ということだった。この問題を知っている私に仁義を切っての呼び出しだった。

2、3週間前に「春日一幸は妾を持っている」とタレ込みがあった。公明党か共産党関係者からとは察しがついた。というのも2党にとって天敵みたいな存在だった。もともと共産党と公明党は仲が悪い。主義主張の対立などより票田が重なるためだが、その2党を束にして喧嘩を吹っかけるのだから、相当腹が据わってないとできない。

タレ込みは本当だった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もな いくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

こういうことが記事になるのだろうか、考え込んでしまった。東京からも地元の名古屋からも離れて、なんで「春日部」なのか。語呂合わせとしか思えない場所である。他の女性もみなそこそこのおトシであることから、戦争未亡人の面倒を見ているのではないかとも思えた。そうなるとなんだか美談のようでもある。迷っているうちに、議員会館に呼ばれたのである。

春日一幸の演説は「春日節」と呼ばれた。古今東西いろんなところからの引用に独特の抑揚を加え、演説に自己陶酔もはいる。例えば「わが民社党は、あの共産党の奴ばらをば千切っては捨て千切っては捨て・・・」といったぐあいだ。 名演説というと漢語をちりばめてというタイプが多いが、春日一幸にかかると一風変わったことになる。自民党と民社党の連立の可能性について聞かれたときだが、「それは極めて重要な質問ゆえに、ここは英語で答弁いたそう。即ち、イット、ディペンズ、 アポン、サーカマスタンセスじゃ(その時の状況次第だ)」。人を食った応答で相手を煙にまくなどお茶の子さいさいだ。

昭和24年(1949)7月1日。猛暑の名古屋で、流れ落ちる汗をぬぐいながら愛知県議会本会議場で春日一幸が大演説していた。 傍聴席は労働組合はじめ民主団体で超満員。県庁周辺にはなお3000人の大衆が群がっていた。午後2時壇上にあがりえんえんと演説は3時間を越えていた。

進駐軍から提案されたデモ規制の公安条例の反対討論だった。「言論・集会・結社の自由を抑圧するものである」として断固反 対。一日会期で招集された議会でなんとしても阻止しなければならない。73人中13人という弱小の党で勝つためには、と考えだ した奇策が、反対討論を会期の時間切れまで続けて審議未了廃案に追い込むことだった。

時間切れを確認して春日一幸が壇を降りると議場はどよめきの中、散会が叫ばれた。ほっとして廊下へ出た一幸めがけてGHQ(進駐軍)軍政部のアメリカ軍中尉が駆け寄ってきた。すわ報復かと思っ たら中尉は肩を抱き、「すばらしい。民主政治はかくあるべきだ。敬意を表したい」と絶賛したという。

春日一幸はその後、県議から国政を目指す。定数5人に約4倍の立候補者という全国屈指の激戦区、愛知県第一区で初当選をはたし、国会へと舞台を移す。愛知県議会では党派を越えて全員が春日一幸に資金カンパを寄せた。その後も名古屋が民社党の牙城となるのはこうした伏線があってのことだ。本人も「愛知には 民社民社の 風が吹く」と豪語していた。

そんな春日一幸の「遺産」を一手に引き継いでいるのが、「河村たかし」なのである。

 「日本保守党」は昨年10月に結党したばかりの政治団体。代表が作家の百田尚樹氏で、河村氏は共同代表を務める。国政選挙としては今年4月の東京15区の衆院補選がデビュー戦で、この衆院選が2度目の挑戦となる。

日本保守党は、河村氏の影響力が強い愛知県内で、1区のほかにも愛知3区、4区、5区に新人候補を擁立した。比例での出馬は全国で26人。愛知県を含む東海ブロックで5人のほか、近畿ブロックは6人で代表の百田氏が3位に登載されている。東京ブロックは4人で、党事務総長のジャーナリスト有本香氏が1位。各メディアの情勢調査では、日本保守党が愛知1区の河村氏に加えて、比例でも議席を獲得する勢いだ。

「はっきり言って、5議席以上の意気込みでやっとる。現職5人が揃えば国政政党になる。この先の展開も夢は大きく、政権交代、総理を狙う男として、いろいろと考えなければならない」(河村たかし氏)

その通り、5議席行くのではないか。

ブログ、晩秋まで休眠します

「Mt.8.Blog」愛読ありがとうございます。毎年、恒例ですが、本日からしばらくの間(10月の連休あたりまで)休みます。
ブログの亭主が猛暑を避けてテレビもネットも使えない八ケ岳の山中に引き籠るためです。野鳥への餌出しと高山植物の世話に明け暮れます。

いまどきどこでもWi-Fi環境ぐらいあるだろう、と言われそうですが、スマホでメール数十本取り込むのに「3時間」という環境では、如何に忍耐強いブログ子といえどやってられません。なにも山の上だけでなく、渋谷でも同じだといいますから、「Docomoの失策」と言っていいでしょう。その理由については、またの機会にします。

不自由と言えば不自由ですが大して不便は感じません。猛暑のせいでしょう、毎年見てますが、この時期、永田町の人士もブログ子が情報を得ている新聞記者も大した内容の言論は書いたためしがありません。

秋口、9月には自民党総裁選があります。石破茂、河野太郎、小泉進次郎、茂木敏充、加藤勝信…の名前が挙がっていますが、ブログ子の見るところみんな「虚名」にすぎません。後ろから鉄砲を撃つ男、親が国賊の男…勝つ見込みがないというか、むしろ勝たせてはいけない理由ばかりの名前です。

ブログ子の大胆な予想を披歴してみます。上川陽子、高市早苗のいずれかになるのではと思います。

理由を書くにかなりの紙幅を必要としますので省きます。まあブログ再開のときのお楽しみとしましょう。

プーチンのアネクドート②

 ロシアにはアネクドート(анекдо́тと呼ばれる、政治小話の伝統がある。ロシア語では滑稽な小話全般を指す。権力を嘲笑し、生活の不満を皮肉るアネクドートは、ロシア人には必須のものだ。5月に「アネクドート①」を書いたので、「その②」を以下に。

【罰金3万ルーブル】
 今年3月、リャザン州の男性が大統領とショイグ国防相を皮肉るこんなアネクドートをSNSに投稿した。
 昨年11月、ロシア軍がウクライナ南部のヘルソン市から撤退すると、プーチン大統領がショイグ国防相を叱責した。
「なぜヘルソンから撤退するのだ」
「ネオナチからウクライナを解放せよとのあなたの命令に従ったのですが……」

 ロシア軍をナチス・ドイツになぞらえたユニークな作品だったが、この男性は後に地元の裁判所から3万ルーブル(約5万円)の罰金刑を言い渡された。軍の名誉を失墜させる行為には最高15年の刑を科すとする、侵攻後に採択された改正刑法に抵触したとされた。アネクドートも今では笑えぬ冗談と化した。

それでも民衆はせっせとアネクドートを披露している。
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 プーチン大統領が軍需工場を視察した。工場長が説明した。

「前線の兵士に必要な物資を届けるため、毎日休みなしにフル稼働しています」

「それで何を作っているのか」

「棺桶です」

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大義名分のない戦争に駆り出されているロシア兵の士気は低く、兵器や銃弾も不足し今や北朝鮮頼みだ。
で、こんな作品が…

 プーチン大統領の国民とのテレビ対話で、シングルマザーが質問に立った。

「私には2人の息子がいます。子育てで国に何を期待すればいいでしょう」

「2通の召集令状だ」

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 父親が、軍に動員された息子に電話した。

「キエフは確保したのか」

「まだです」

「ハリコフは?」

「まだです」

「では、ウクライナで何を確保したのだ」

「テレビ、冷蔵庫、高級ワイン、パソコン、靴下、下着……」

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 KGB(ソ連国家保安委員会)の将校だったプーチンは、ソ連に思い入れがあると見られがちだが、実際にはソ連指導者を酷評し、18世紀の帝政ロシア皇帝、ピョートル大帝やエカテリーナ女帝を称賛している。

 プーチンは、「レーニンはロシア人の住む地にウクライナ共和国という人工国家を作った」「スターリンはドイツから奪った領土をウクライナに与えた」「フルシチョフはロシア固有のクリミアをウクライナに帰属させた」などと歴代ソ連指導者を非難している。

そしてツァーリ(皇帝)をしきりに称賛する。特にトルコとの戦争でウクライナ南東部やクリミアを奪ったエカテリーナ女帝を称え、「ピョートル大帝より効果的な君主だった。女帝の時代にロシアは領土を拡大した」と評価した。国民対話で、「今読んでいる本は、エカテリーナ女帝時代の歴史書だ」と明かしたこともある。

それを皮肉ったのがこんなジョークだ。

 問=ピョートル大帝とプーチン大統領の共通点は何か?

 答=ともにロシアを19世紀に導こうとしている。

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 ロシアは西側諸国の厳しい対露経済制裁にあえいでいる。

 米国の対露経済制裁に伴い、マクドナルドなどのファストフード、コカ・コーラ、ペプシコーラ、アップルやフェイスブック、ツイッターがロシアから撤退した。そこである医師がコメントした。

「ロシア人はこれで、心身ともに健康になれる」

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 プーチン政権は国民を西側の情報から遮断するため、インターネットやNetflixを統制した。

 新しいサービスは、「インターニエット」、「Nyetflix」と呼ばれる。

 (ロシア語で「ニエット」は「ノー」を意味する。)

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 戦争が長期化するにつれ、ロシアの国力は弱体化しつつある。漁夫の利を狙っているのが中国だ。西側からの経済制裁にあえぐロシアの資源を買い支え、着実に影響力を増している。いずれロシアは中国に飲み込まれるかもしれない。そんな不安は国民にも浸透している。

 100年前のロシア指導者はラスプーチン。

 現在のロシア指導者はプーチン。

 100年後の指導者は陳(チン)。

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 22世紀、強力な新型コロナウイルスがまた世界を襲った。

 アメリカでは、米大統領が国民に自宅待機を訴えた。

 フランスでは、EU大統領が国民に自宅待機を訴えた。

 旧ロシアでは、中国共産党総書記が国民に自宅待機を訴えた。

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 モスクワの街角で、一人の男が叫んだ。

「大統領の大馬鹿野郎!」
 すると、すぐさま警察官が駆けつけてきて、男は逮捕されてしまった。男が言った。

「俺が何をしたって言うんだ!」

「プーチン大統領への侮辱は許されない!」

 男は笑って言った。

「おいおい、俺はゼレンスキーのことを言ったんだぜ?なぜそんな勘違いを?」

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問い:プーチンがクレムリンのパソコンをすべてMacに変えるよう命じた。なぜ?

答え:Windows(窓)に近づくのが怖いため。

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 長引くウクライナ戦争の中、一人の将軍がプーチンに呼ばれ、クレムリン内の大統領執務室に入った。執務室ではプーチンが椅子に座り、テーブルに目を落とし、涙を流していた。

 将軍が驚いて聞いた。

「どうされたのですか、大統領閣下!」

 プーチンが答えた。

「朝からこのジグソーパズルに取り組んでいるのだが、ちょっと難しくてね。どうしてもうまくいかないんだ」

 将軍が言った。

「閣下、少しお疲れなのでしょう。疲労が溜まれば、認識や判断が鈍ることなど、誰でもありますよ。大丈夫、ちょっと休めばすべてうまくいきます」

 プーチンは少し微笑み、一つ頷いて言った。

「そうだな。わかった。良い助言をありがとう。少し休むことにしよう」

 将軍が言った。

「わかっていただき光栄です。それではまず、そのコーンフレークを箱に戻しましょうか」

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 プーチンが死んで、ついに地獄へと落ちた。

 地獄の悪魔が、プーチンにこう言った。

「地獄に落ちた者は、まず私と勝負することになっている。勝負の方法はそちらが決めていい。殴り合いの喧嘩でも、拳銃の早撃ちでも、トランプのポーカーでも。ロシアンルーレットだって、あるいは君の得意な柔道だって構わない」

 悪魔が笑いながら続けた。

「しかし、これまでに誰一人、私に勝った者はいない。もしも勝てば天国行きだ。さあ、勝負方法を決めな」

 そう言った悪魔が、急に神妙な顔つきに転じて続けた。

「ただし、選挙はダメだ。選挙だけはな」

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 プーチンが声高に言った。

「我が国では、投票の自由が完全に保障されている」

 新聞記者が聞いた。

「投票後の自由は保障されているでしょうか?」

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 ロシアで大統領選挙が行われ、プーチンが得票率82%で当選した。

 今後の数週間で、人口が18%ほど減少するだろう。

「2位じゃダメなんですか?」の蓮舫、「まさかの3位」のワケ

東京都知事選は、現職の小池百合子が約290万票を獲得。2位に125万票あまりの差をつける”圧勝”で3回目の当選を決めた。
投票が締め切られた午後8時にNHKで当選確実が出るいわゆる“ゼロ打ち”での勝利に、蓮舫事務所に詰めかけた支援者から「エ、エッ…」と悲鳴があがった。

①小池百合子   291万8015票(得票率42・77%)
②石丸伸二    165万8363票(24・30%)
③蓮舫       128万3262票(18・81%)
④田母神俊雄    26万7699票

当初小池Vs蓮舫の一騎打ちになるかと思われたが、前安芸高田市長・石丸伸二が急速に支持を拡大し、蓮舫はまさかの「3位」。本人は「すべて私の力不足」と涙をにじませた。力不足と言えばそれまでだが、ブログ子が見るところ、共産党に「抱きつかれ」た挙句「立憲共産党」色が出過ぎたことに尽きる。

涙を流し会場を後にする蓮舫氏

立憲民主党を離党し無所属で出馬したが内実は立憲民主党の全面的なバックアップを受けながらの選挙戦で、これに共産党も、精力的にビラ配りを行ったり、田村智子委員長、志位和夫議長が応援に訪れるなど、支援を惜しまなかったが、これが裏目に出た。

共産党の基礎票はケースによって違うが東京では40万票ほどだろう。蓮舫はこの40万票に目がくらんだ。アンチ共産党票がその2倍、3倍以上あることが見抜けなかった。出口調査で、蓮舫への支持は当の立憲・共産とも支持層の7割にとどまった。無党派層の票の大部分は石丸に流れたのである。

誤算といえば田母神にもある。敗戦後本人が「もう少し票をとれると思ったが・・・」と漏らしていた。「自民党が独自の候補を立てられないので出馬した」と語っていた通り、不人気で「小池推薦」しかできない自民党に不甲斐なさを感じて出たのだろうが、前回60万票をとった数字はその半分にも満たなかった。洋の東西を問わず「軍人」と言うのは選挙に不向きなのである。

ブログ子は今回都知事選に候補者を立てられなかったが、日本保守党が立てていれば、石丸陣営に流れたかなりの票は取れたのではないかと思う。自民党の体たらくを嘆かわしく思う保守系無党派層は相当存在すると思うからだ。

今回も、選挙戦を大きく動かしたのはその「無党派層」だった。投票率が12年ぶりに60%を上回った今回、投票に行った人のうち無党派層は5割近くを占め、“最大勢力”だった。

この無党派層の支持を集めたのが、石丸で当初無名ながら、SNSを駆使した独自の選挙戦を展開。さらに、計200回以上の街頭演説をこなし、一気に知名度を向上させた。ボランティアの登録は5000人を超え、石丸陣営にとっても“想定外”の盛り上がりだった。1週間前の新宿での街頭演説には5000人が集まった。この写真を見て、ブログ子は蓮舫危うし、と見た。今後中央政界に道を開くという論調もあるが、果たしてそうか。石丸は無党派層の4割の支持を得るなどして、約165万票を獲得したが、それは反共産、反小池、反蓮舫、を集めたもので今後、中央政界に通じるかどうか。

無党派層のうち蓮舫を支持した人はわずか2割弱。蓮舫氏が無党派層を取り込めなかったことについて、ある立憲幹部は「無名の石丸氏は評価しようがない。それよりも蓮舫氏への拒否度が高かったとしかいいようがない」と話している。

このブログでも紹介したが櫻井よしこ氏が週刊新潮コラムに書いた「 蓮舫氏を都知事にしてはならない訳 」もダメージを与えたのだろうと思う。

蓮舫氏、立憲民主党、日本共産党の三者について、私たちは幻想を抱くことなく実態を知るべきだ、として、民主党、民進党の時代に蓮舫氏の身近にいて、共に活動したかつての身内である細野豪志氏の蓮舫評を語っていた。

曰く「蓮舫代表、野田佳彦幹事長の下で私は代表代行を務めました。蓮舫さんが民進党の代表選挙に出るとき、支援する条件について、サシで彼女と話しました。➀共産党とは組まない、➁(安倍晋三総理が進めている)安保法制は現実的に進める、➂憲法改正もきちんとやる、の三点です。すると蓮舫さんはスパッと言った。『私は細野さんの考えと同じ』と。正直意外でした。でも本当にスパッと言ったので(信用しました)」

彼女は代表選挙で圧勝した。ところがその後何が起きたか。「私は細野さんの考えと同じ」という言葉とは正反対の路線を彼女は選んだのだ。

蓮舫が「口先だけの女」であることをさらけ出して余りある。彼女の本性をあまねく知らしめた点で秀逸なコラムだった。本性がバレた。これが最大の敗因である。

「左」「左」と行けばやがて「右」になる

リベラルを標榜してきた欧州各国で「極右」が台頭している。その理由の主たる原因は「移民問題」である。ブログ子は日本の明日を見る思いで見ている。

フランス国民議会選(下院、定数577)の1回目投票が6月30日行われ、極右の国民連合(旧国民戦線)が29%で首位、不服従のフランスや社会党など左派連合が28%で2位、エマニュエル・マクロン大統領の中道連合は20%と事前の予想通り3位に沈んだ。国民連合と共和党を合わせた右派連合の得票率は実に36%。7月7日の2回目投票で最終的な議席数が確定する。マクロンは窮余の策で左派連合と中道の選挙協力をもくろむが、失敗すれば、マリーヌ・ルペン氏の秘蔵っ子、国民連合党首ジョルダン・バルデラ氏(28)がフランスの首相になる可能性が強まる。

極右を率いるのは何故か、女性が多い。イタリアのジョルジャ・メローニ首相(右)とフランスの極右政党・国民連合(RN)のマリーヌ・ルペン氏。

ドイツのショルツ政権も、極右政党、ドイツのための選択肢(AfD)への対応に苦慮している。AfDは移民排斥を掲げていて、政党支持率でショルツ氏の中道左派、社会民主党など連立与党3党のいずれをも上回り、中道右派の最大野党に次ぐ2位を維持している。

ドイツのショルツ首相(写真右)は2日、フランス総選挙で苦境に立つマクロン大統領(写真左)と与党の巻き返しに向けて、メールで毎日意見交換していると明らかにした。欧州を共に率いる隣国に極右内閣が誕生しかねない状況について「本当に気がめいる」と述べ「フランスが、右派ポピュリスト政党が主導する政府の樹立を阻止できることを祈っている」と、国内外で極右勢力が台頭していることを踏まえ、「(ドイツは)欧州における安定のアンカー(錨)」でなければならないと訴えた。

オランダはEUにおいて最も過激なリベラル政策を打ち出してきた国だが、昨年末に投開票が行われたオランダ総選挙において、反移民を掲げる自由党が事前の予想を覆し下院第1党となった。多くのメディアはこの政党を「極右」と呼ぶ。「オランダのトランプ」と呼ばれる党首のウィルダースのX(旧ツイッター)への投稿を見ると、「民主主義や表現の自由、男女平等などオランダの価値観に反対するメッセージを撒(ま)き散らすモスクは解体」「オランダの価値観に反するイスラム教徒はオランダから出ていけ」「オランダのすべての学校とメディアでムハンマドの漫画(風刺画)を掲げる」と、かなり強烈な反イスラムのメッセージを掲げている。

イタリアでは、ネオファシスト党の流れをくむ極右政党「イタリアの同胞(FDI)」を率いてメローニ首相が、就任してからから1年以上になる。公約に掲げた不法移民の阻止は実現に程遠いが、欧州連合(EU)に懐疑的な過去の言動から、当初はEUに警戒が広がったが、就任後はウクライナ支援でEUと協調し、親EU外交を展開していて安定感が出てきた。

「極右」(きょくう、英語: far right, extreme right)は、急進右翼(英: radical right)とか、超右翼(英: ultra-right )とも呼ばれるが、過激な保守主義、超国家主義、権威主義の傾向がある政治思想を指す。歴史的には、ファシズム、ナチズムを言うが、現代的な定義では、ネオ・ファシズム、ネオナチ、人種至上主義、排外主義、外国人嫌悪、人種差別主義、同性愛嫌悪などを掲げる党派への呼称だ。
「極右」とは社会的背景で変わる流動的な言葉で、現にフランスでは国民連合がもはや「極右」とはみなされなくなってきているほどだ。

ブログ子は60年安保で活動した世代であるが、一つ忘れられない出来事がある。「60年アンポ」は当初は共産党と社会党主導だった。やがて、それにあきたらず、新左翼を象徴する共産主義者同盟(ブント。書記長・島成郎)が指導するようになった。

北大からは唐牛(かろうじ)健太郎(1937-1984)全学連委員長を出している手前、頑張らざるを得ない状況だった。彼とは同クラスではあったが、それは向こうが毎年、ドッペってきたからで、向こうは早くから逮捕されていたので一度も会ったことはない。

卒業後、新聞記者になり、今度は「70年アンポ」を(安全な)機動隊の後ろから取材する立場になり、日比谷の交差点の催涙ガスの中にいた。その時、衝撃的なニュースが流れた。長い拘留生活から娑婆にでた唐牛健太郎が、こともあろうに右翼の巨頭とされる田中清玄の許に身を寄せ、ゼンガクレンが資金提供を受けていたことが暴露されたのだ。

田中清玄とは何者か、いまでは知らない世代が多かろうが、戦前、非合法の日本共産党の中央委員長となり、武装闘争を指揮、治安維持法違反で逮捕されたこともあるが、戦後、共産主義を捨て、命を懸けて皇室を守ることを誓った。180度転換後は皇居に押しかけた共産党のデモに、ヤクザや復員兵を送って殴り倒させる一方、アラブの王族から山口組組長まで人脈があった国際的フィクサーである。

ショックを受けたブログ子は当時の夕刊フジに、ブントの指導者がよりにもよってなぜ右翼の巨頭とつながるのかいろんな論客に見立ててもらった。その中の一つにいたく納得したのだ。

 「左翼運動も左、左と行くと右になる」というのだ。誰の言葉か思い出せないが、なるほどと思った。

右翼と左翼の語源はフランス革命に由来する。 フランス革命期の憲法制定国民議会において、旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占め、左側に旧勢力の排除を主張する共和派・急進派が陣取ったことが語源だ。

これから、地球儀や人体を模して、左、左と進めばやがて右になるのは道理で、左翼も右翼もそのまま進めば地球儀や人体の裏側で一緒になるというのはわかりやすい。

日本のメディアはこれまで「極右」を罵詈雑言の並びでとらえてきた。例えば産経新聞など、リベラル左翼紙からは「右翼紙」「極右新聞」と呼ばれてきた。これに対して産経は、そうした流動的なものに軸足を持つのではなく「正論」をとなえる新聞であると対抗してきた。

変わり身の早い日本のメディアは欧米での「極右」の呼び方変化に対応する動きに出ている。依然として「極右」を使い続けているところもあれば、「極右の流れを汲む右派政党」とか「右翼」とか、これまで平気で使ってきた「極右」に代る言葉を使い出したところもある。

諸兄ともども、あの「朝日新聞」の言葉遣いを注目しているところである。

バイデンが無惨な敗北を喫した「顔の左側」の立ち位置

一説に、顔写真は相手から見て右から、つまり顔の左側を撮った方が好印象を与えるという。感情をつかさどる右脳の働きで、顔の左側には豊かな表情が出やすい。冷静さを印象づけたいなら、右側を撮った方がいいそうである。

▼米大統領選に向けた候補者討論会で、バイデン大統領は右側に、トランプ前大統領は左側に立った。4年前の直接対決でも、バイデン氏は2回とも右側に立っている。

▼今回は表情以前の問題だった。声のかすれ、言い淀(よど)み、意味の通らぬ発言。時折、ぽかんと口を開けたしぐさも気にかかる。目についたのは、バイデン氏の「老い」だった。全米5千万人前後の視聴者が受け取った印象も、67%がトランプ氏の「勝利」と評価し、バイデン氏は33%にとどまった。米有力紙は社説で衰えを指摘し、民主党に新たな候補者の擁立を求めたというから、前代未聞である。

産経新聞「産経抄」7月1日で、写真を撮るなら顔の左側から、という話を上のように紹介していた。実は新聞社内、特に写真部あたりではよく知られていることである。ブログ子はこの件である女優とのトラブルを経験したことがある。

夕刊フジに「ぴいぷる」というページがあった。政治家、歌手、作家…時の人を取り上げて写真はクローズアップで、文章は記者が練りに練った一文で紹介するもので、好評で写真集になったこともある。そこに新珠三千代(あらたま・みちよ)を取り上げたことがある。その時所属事務所から「必ず顔の左側から撮影すること」と注文がついた。アングルまで指定してきた女優は初めてだった。

で、このページのデスクをしていたブログ子はカメラマンに「注文の反対側から撮れ」と言った。掲載された写真も右側からだった。はたして凄みを利かせたマネージャーから、どうしてくれると脅しが入った。「右アングルも美人ですが、それがなにか」と返答したが引き下がらない。

実は警視庁のマルボウ担当記者(暴力団捜査の警視庁「四課」=現在は「暴力団対策課」)から新珠三千代は山口組三代目の田岡一雄親分の愛人で、芸能事務所も組員だという情報を得ていた。今回、ネットを見たら、田中角栄の愛人だとか松本清張とできていたとか書いてあるが、これは嘘だ。

顔写真ではもう一つ思い出がある。警察の手配写真で見る正面写真だ。逮捕された被疑者はまず鑑識課で正面写真と10指の指紋をとられる。これがみな凶悪な顔に写るようにできている。サツ回りをしていた時鑑識課で撮影してもらったことがあるが、どう見ても前科三犯くらいの悪人面であわてて捨てた。

種明かしをすると、警察庁から細かく撮影手順が指示されていて、身長がわかるようスケールのそばに立たせ、ライトは「この方向から」とまである。その一つに正面、ひざ下から上に向けた光源、と言うのがある。お化け屋敷の幽霊がいつも下からのロウソクなどで怖がらせるのと同じである。

バイデンはせっかく顔の左側が写る立ち位置だったのに、脳の中の劣化が暴露されて秋の大統領選を失いそうだ。「ほぼトラ」の勢いだが、こちらもどうにも品がない。「就任前にウクライナ戦争を終わらせる」と豪語している。プーチンにNATOから米国が手を引くとでも言いかねない。写真なら右でも左でもいいけれど、世界一の大国の立ち位置がどうにも不安だ。

愚かな役人が潰す「おいしい漬物」

昔から役人どもが現場も知らずに机上で法律をつくっては、文化を潰してきた。今回もまたその愚の骨頂を見る思いだ。

6月1日から改正食品衛生法で漬物製造の衛生基準が厳格化され、許可制に移行した。その結果、どうなったか。全国でおばあちゃん手作りの名物漬物が続々と廃業しているのだ。どういうことかと言うと、食中毒防止を名目に、漬物製造業には保健所からの営業許可を求めることになったのだ。許可を得るには、加工場と生活場所を区分し、汚染を防ぐ水回り設備などを備えた施設が必要になった。

もともと漬物と言うのは台所の片隅でおばあちゃんが裏の畑でとれた野菜を川の水を引き込んだ用水で洗い、手で塩もみしながら漬け込んで、近しいところにおすそ分けしするような品物である。

なのに「水回り施設をつくれ」「加工場と台所を分けろ」と強いられたのでは、零細な漬物屋はやっていけるわけがない。もともと高齢化で漬物の作り手減少していたところに設備投資を求められたのではたまったものではない。廃業を決める農家が相次ぎ、こういう農家が主に出荷していた地元の道の駅などからはおばあちゃんの名前入りの漬物が姿を消しているのだ。

特産「いぶりがっこ」などがある秋田県によると、21年時点で県内直売所で漬物を売る人は少なくとも636人いた。だが、今年2月時点で農業者の漬物製造の許可施設は179件。県は補助事業で施設整備を支援したが、廃業が少なくない。

 千葉県南房総市の道の駅三芳村鄙(ひな)の里の直売所「土のめぐみ館」はこれまで漬物出荷者は22人・団体あったが、6月からはたった5人・団体になった。

都内唯一の道の駅である東京都八王子市の「道の駅 八王子滝山」は、市内で栽培された野菜はもちろん、農家が作った漬物も大根のしょうゆ漬けやナスのごま油漬け、梅干といった地場野菜を漬け込んだ農家自慢の漬物が立ち並んでいた。それが「以前まで5戸の農家さんが作った漬物を販売していたのですが、うち2戸が食品衛生法に触れ、販売中止になった。残り3戸は、法改正前から設備投資を行い、自前の漬物製造所を続けてるが、農家全体の高齢化により漬物の販売数は、年々減少傾向にあるというのが現状です」という。

和歌山県みなべ町は南高梅で有名で梅干しづくりが盛んなところだ。若手梅農家の集団「梅ボーイズ」は廃業を考える梅農家の設備投資を支援し、全国の梅産地に梅干しの製造所を作るプロジェクトを進めている。そんな「梅ボーイズもとには、全国の梅農家から嘆きの声が多数寄せられている。

「梅干しの製造は自宅の作業場やキッチンで行なう農家が多かったため、改めて製造所を設けたとしても実際の製造方法が想像できないんだそうです。今までの方法と違いすぎてまったく見当もつかない」と今年漬け込んだ梅干しはてさぐり状態だったという。

 厚生労働省によると漬物製造業で許可を得た施設は、直近調査の23年3月末時点で5435件。法改正前の事業者数は正確な数を把握していないという。役人の頭にはこの法律でどのくらいの農家がダメージを受けるのかなどハナから計算していないのである。土台、食中毒防止のためと言うが、古来塩は消毒効果があるから、漬物による食中毒など聞いたことがない。食中毒防止など役人の発想である。

昔、山形県の漬物研究家、酒井佐和子さん(故人)を取材したことがる。「専売公社の塩では漬物はできない」と言って物議をかもした。余談だがそのとき、酒井さんに私が美味いとする「日本三大漬物」を挙げたところ「同感」と言ってもらったので披露するが、①が「北海道のにしん漬け」②が「山形・米沢のおみ漬け」③が「京都の千枚漬け」だ。いずれも疎開先、勉学地など自身の生活と密接なところだ。漬物と言うのはそれほど土地と結びつく。

そのとき、専売公社の広報は「当社の塩は99・9999%塩です」と言い張った。なるほど塩化ナトリュームとしてはそうだが、漬物は「にがり」やほかの海の恵みが相俟った塩があって初めて出来上がる。

我が家は今年も和歌山・田辺から取り寄せた南高梅で梅干しを漬け込んだ。大量の「天塩」を買ったが、日本専売公社が名前を変えた「JT」(日本たばこ産業株式会社)には見向きもしなかった。スーパーで「JT」の「食卓塩」に手を出す人が皆無になったことを見ても漬物研究家の方が正鵠を射ていたことは明らかだ。

厚生労働省が言い張る「食中毒防止」うんぬんは、後世、専売公社広報が言い募った「99・9999%塩です」と同列視されるのではないか。きっとそうなる。

尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…天台宗の外道ども

ブログ子はまもなく八ケ岳の山墅に上がる。劣悪なネット環境なので晩秋まで更新はできないので、今のうちに書いておこうと思う。

天台宗(総本山・比叡山延暦寺)といえば数ある仏教の中でも最高峰にあるところだが、そこの四国に住む高僧Aが尼僧を14年間にわたって監禁、性暴行、恫喝などを繰り返していた。さらに驚くことにはAを紹介し、発覚後ものらりくらりと隠ぺい行為を取っているのが、千日回峰行を達成し、偉大な存在である「大阿闍梨」Bだというのだから、末世である。

被害者の尼僧、叡敦(えいちょう)さん=50代=は、天台宗の宗教的価値観の中で育った。母方の祖父母は信仰心が篤く、叡敦さんも2歳の頃には「仏さま」に手を合わせていた。幼い頃から祖母と共にお寺のお堂の掃除を行い、保育園の帰りに道ばたで摘んだタンポポを地蔵尊に供えて語りかけるなど、「仏さま」は常に身近で、自身を優しく包み込む大きな存在だった、という。

 複数の親族が僧侶となり、今回訴えの対象になった「大阿闍梨」B=80代=もその1人。叡敦さんが小学生の時、千日回峰行を成就して僧の階位の最上位である「大僧正」になったBの話を祖父母から繰り返し聞かされ、以来、「生き仏」と崇拝し、畏敬の念を抱いてきた。

千日回峰行とは、およそ1000日間、比叡山の山中を、真言を唱えながら歩き回る荒行のことである。回峰行の途中には、9日間の断食、断水、断眠、断臥を続ける四無行に入る。仮に行を断念という局面には、持参している脇差で自害しなければならない掟になっている。現代の仏教界では、もっとも厳しい修行だ。

比叡山が開かれてから千日回峰行を達成した行者はわずか51人だ。戦後は14人しか満行者を出していない。達成者には「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」の称号が与えられる。大阿闍梨は「生き仏」として崇拝の対象となり、全国から大勢の信者が集まるほどだ。

叡敦さんは2000年から仕事をやめ、病気の両親の介護に専念していたが、06年に父が、09年には母が死亡した。死後はB大僧正に法要を営んで欲しいという母の言葉に従い、滋賀県大津市にある寺を訪ねた際、B大僧正から弟子の高僧Aを訪ねるように指示された。その際「Aの言うことは私の言葉として聞くように」などと、説得された。叡敦さんは既婚であったが仕方なく、Aの言うことは私の言葉として聞くように」などと、執拗(しつよう)に叡敦さんを説得。叡敦さんは既婚であったが仕方なく、高僧Aの寺を訪れたという。

その後、高僧Aの叡敦さんに対するストーカー行為が始まった。買い物先や自宅周辺に出没し、叡敦さんは困惑。その後、Aは「頭が痛くて倒れた。食事も取れない」などと仮病を使って叡敦さんを寺に呼び寄せると、力ずくで強姦。性行為の最中には、「オンアロリキャソワカと真言を唱えろ!」などと言ってきたという。Aから強姦された後には、「家族の人間を薬でも飲ませて殺してこい」などと脅しも受けたという。

また、Aは野良犬にコンクリートブロックを打ち付けて殺したり、猫に爆竹を投げつけたりするなどの残虐な行為を見せつけられるなどし、「Aに逆らうことなど恐ろしくてできなかった」(叡敦さん)という。その後、軟禁状態にさせられた叡敦さんは、無理やり剃髪させられて、逃げ出すこともできない状態に。洗脳状態になった叡敦さんは、人としての感情すら失い、「ロボット玩具」のようになっていったという。

叡敦さんが親族や女性センターなどへのSOSを発して、ようやく寺から逃げ出すことができたのは2017年秋のこと。重度の複雑性PTSDとの診断を受けた。2019年には、警察に被害届と告訴状を提出。ところが、結果的に嫌疑不十分で不起訴になった。

このとき、B大僧正は叡敦さんを見るなり、「身内を訴えて、どうするんじゃ」と怒鳴り、早くA僧侶の元に戻るよう命じた。それが「お不動様のお慈悲」だとも言った。叡敦さんは、その言葉が今も耳にこびりついている、という。あろうことか無理やりAの元に連れ戻されてしまった。戻ってからは、性行為を強要されることはなかったが、身体を触られるなどのわいせつ行為は続いた。

旧統一教会問題で世間が賑わっていた2023年冬、親族が「(叡敦さんも旧統一教会信者のように)マインドコントロールを受けているに違いない」と気づいて、叡敦さんに脱出するよう説得。叡敦さんは救出され、ようやくAの元から離れることができたという。

マインドコントロールから解き放たれた叡敦さんは、「2人がしてきたことは、僧侶として決して許されない。(両氏が所属する)天台宗において、これらの行状を詳らかにして、二人の僧籍を剝奪してくださることを切に願います」などと、AとB大阿闍梨の懲戒を求めて天台宗宗務総長宛に陳情書と、証拠書類を提出した。

ことし3月4日、叡敦さんは初めて、比叡山の麓にある天台宗宗務庁で聴取を受けることができた。冒頭の写真は聞き取り調査を終えた叡敦さんが同日午後、弁護士らと共に滋賀県大津市内で記者会見を開き、心境を吐露したときのもの。

天台宗務庁は「調査中なので今の段階ではコメントすることは特にない」とした。Aは産経新聞の取材に応じておらず、B大僧正は「お答えできない」と逃げの一手である。

僧侶は最初に「不犯の誓い」を立てる。不犯(ふぼん)とは、僧が戒律を犯さないこと。特に、淫戒を犯さないことである。この事件のひどさは今や坊主の「イロハのイ」も守らない輩に堕していることの証左である。ブログ子は日ごろ洋の東西を問わず坊主がのさばるのは末世だと思っているが、少し尊敬していた千日回峰行者がただの「体育会系坊主」だったことが許せない。