まれに見る大雪で被害甚大

GWを中心に山に上がってこのほど下りました。
まれに見る大雪で我が山墅のカーポートは残雪でクルマを入れることができず、5月3日に上がってきた娘の家族も除雪に汗をかいてやっと駐車できたほど。管理事務所の人がお宅は3月で1メートル80センチほど雪があったときかされました。

鹿も食糧難だったようで敷地のモミノキ(唐檜)は皮をはがれてほぼ全滅、これまで食べたことがなかったコメツガまでかじられていました。8日の朝起きたら目前にシカが4頭食事中。大事にしていてやっと芽を出したばかりのエンレイソウがみな食べられていてがっくりでした。

ブログの亭主 山上げ

ブログの亭主は本日から山に入ります。下りてくるのは5月8日ごろの予定です。
山は大方雪も溶けたようですが物陰にはまだかなりの積雪が残るとのこと。
木こりの毎日でしょう。

認知症を考えさせられた二つのケース

①愛知県大府市で2007年、徘徊中に列車にはねられ死亡した認知症の男性=当時(91)=の妻や長男らに、JR東海が運行遅れの損害約720万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、名古屋高裁であった。長門栄吉裁判長は「監督義務の履行に努めていた」として、全額の支払いを命じた一審名古屋地裁判決を変更し、妻のみに約360万円の支払いを命じた。

半額になったとは言え家族にとって高額賠償であることには変わりなく心情としては何とかならないかと思うところだ。しかとした記憶ではないが、昭和40年ごろまで、社会部で見聞きしていた飛び込み自殺などに対する私鉄、国鉄(当時)の対応はもっと優しかった。

遺体の処理や列車の遅れ、警察捜査への協力など駅員は気の毒なくらい走り回っていたが、鉄道側が遺族に賠償請求することはなかった。悲しみにくれる遺族にさらに追い打ちをかけるのは忍びないという思いからだ。ところが一向に自殺がなくならない。そこで経済的負担という警鐘を鳴らすことで減らそうとした。だから形だけの請求で法廷に持ち込むことはまずなかった。

それがいつしか「遅れによる損失」まで計上して遺族に請求書を突きつけるようになった。欧米型の割りきった対応が幅をきかせ始めたのだ。安くはないが会社側にとっては「斟酌」できる額だと思う。ここは昔ながらの日本型の、相手を慮(おもんぱか)っての処置があってもいい。法廷闘争はなじまないケースだと思う。

身元が判明して家族と対面する男性

身元が判明して家族と対面する男性

②2年前に大阪市の路上で警察に保護された重い認知症の男性が、氏名や住所などが不明のまま仮の名前を付けられ介護施設で暮らしていた問題で、男性の身元が27日、兵庫県の74歳と分かった。家族と対面を果たしたが、家族により兵庫県警に行方不明者届が出されていたことも判明。見つかった氏名不明者との照合作業で何らかのミスがあり、長期間身元が判明しなかった可能性があるとして兵庫県警は調査を始めた。

 男性は2012年3月11日朝、大阪市内の住宅街で保護され、認知症で氏名や住所を話せず、市は保護された場所にちなんだ名字に「太郎」という仮の名前を付け、年齢を70歳(当時)と推定して仮の生年月日も設けた。

 兵庫県警によると、男性は12年3月8日午後7時25分ごろ、県内の路上で一緒にいた家族が目を離したすきに行方不明になった。家族は同8時15分ごろ、最寄りの警察署に届け出た。大阪府警が男性を保護したのは3日後。最初に行方不明になった場所から数キロしか離れていない場所だった。

警察の非を問うこともできようが、ここは一つもっと懐の深い対応ができないだろうか。認知症患者にはチップを埋め込めとかGPSで居場所がわかるケイタイを持たせろとかいう無味乾燥な議論に進むのを恐れる。

名前を出しても許されると思うが、キャリア官僚が独占した警視総監の椅子に叩き上げで座った秦野彰氏を公私にわたって知っている。先輩にくっついてポッポちゃんこと鳩山威一郎参議院議員と浅草の小料理店「太郎」でよく飲んだり麻雀をしたりしていた。あの鳩山由紀夫元首相の父親である。大蔵次官から国会に移って当時無役だったが影響力は大で取材を兼ねていたのだが、そこに同じ参議院議員の秦野がお忍びで来ていたのだ。

それから10年くらいあと、秦野章が重い認知症になった。世間には知らせていなかったが彼の秘書をよく知っていたので行動はよく聞いていた。はじめの頃は徘徊も横浜の自宅から都内くらいだった。警官をつかまえてはなにかと「訓示」をするらしいがトンチンカンである。まだ元警視総監の顔を知られていたので警官が気を利かして盛大に敬礼をすると、大いに気を良くして次の徘徊にでかけ夜には自宅に送り届けられてきた。

間もなく千葉県警で保護されるようになった。千葉ではそれほど顔を知る人もなく偉そうなおじさんとして交番に突出されるようになった。新聞では2002年腎不全で死去とあり認知症のことは全く触れられていない。本人も気分よく徘徊し、周りの人も気分よく扱った立派な認知症患者だった。

兵どもが夢の跡「ハブとマングースの戦い」

医療法人「徳洲会」グループの公職選挙法違反事件を受けて徳田毅前衆議院議員が辞職したことに伴い、27日、衆議院鹿児島2区の補欠選挙が行われた。ブログ子はいつの間に「2区」になったのか不覚にして気付かなかった。

aad8a1d1a99e737d88f806f802b3e8faここは以前、徳之島を舞台にした奄美群島区という定員1人の異例の(全国でここだけ1人区)選挙区だった。この時代は中選挙区制度(現在は小選挙区比例代表並立制度)だった。自民党派閥から複数の立候補者が出るところでは共食い状態になり、「戦争」と呼ばれる選挙区が多かった。徳島の「阿波戦争」(三木武夫Vs後藤田正晴)、岡山2区の「六龍戦争」(加藤六月Vs橋本龍太郎)などだ。

なかでも奄美群島区は「ハブとマングースの戦い」「保徳戦争」といわれ、徳田虎雄Vs保岡興治の二人がほんとに血の雨が降る戦いを繰り広げるので有名だった。今回の徳洲会事件で一族が逮捕され議席を棒に振った徳田毅の父親と、同じく徳之島出身のエリート官僚の戦いでともに権勢を振るった。

すさまじい選挙戦だというので毎回東京から取材記者を派遣していた。私が居た新聞社で現在、論説委員をしているB記者がその役を務めた。よそ者は受け付けられない土地柄である。彼は奄美の出身で徳之島に親戚がいたので何かと便利だった人選だったが、そのレポートには毎回驚かされた。

住民一人一人どちらの陣営に付くか把握されていて、ほとんど狂わない。だから何票足らないかまでわかるので、深夜現金を持った「工作員」が軒先に忍んでくる。それを防ぐため片方は夜っぴて篝火を焚いて不審者を見張る。同じような光景は大阪・泉州の選挙で経験したことがあったが、この島では市長、市議、町内会長にいたるまで二派に分かれて殴り合いしながらの選挙だという。レポートには「島には他に娯楽がなく、唯一の楽しみという側面もある」とあった。

何でもありのこの選挙区はその後合区で鹿児島1区になりそこでもぶつかりあったが、さらに鹿児島2区に分区になって、両者棲み分けることでようやく「ハブとマングースの戦い」は終わりを告げた。

片方の主役、徳田虎雄氏は2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退、息子を立てたが今回の不祥事である。もう一方の保岡興治氏は一時法相を務めたが、2009年の総選挙では比例復活も出来ずに落選、2012年やっと鹿児島1区から国政へ復帰したが政界ではやや埋没している。6人も出馬しているが勝敗ははじめからついている選挙だった。

ほんに日本は正直だ

 001三陸沖の北西太平洋に生息するミンククジラを捕獲する調査船4隻が26日午前、宮城県石巻市の鮎川港から出港した。国際司法裁判所が日本の南極海での調査捕鯨を国際捕鯨取締条約違反と認定した判決後、日本の捕鯨調査船が出港するのは初めて。

 同港から半径約80キロ以内の海域で、捕獲したミンククジラの胃の内容物や三陸沖の生態系を調べる。今回の調査海域は判決対象外だが、判決内容を考慮し、捕獲頭数の上限を例年の60頭から51頭に減らす。

 同港は東日本大震災で約3メートルの津波に襲われ、壊滅的な被害を受けたが昨春、調査船の出港を再開したばかり。同港では同条約で捕獲頭数の規制を受ける北西太平洋調査と、規制を受けない小型クジラの沿岸商業捕鯨の2種類を行っている。

 調査は6月上旬まで行い、捕獲数が上限に達した時点で終了する。(新聞各紙)

日本人は上から下まで遵法精神に富んでいて捕獲頭数「51頭」できちんとやめて帰ってくることだろう。悪知恵を授けるつもりはないが先日このブログで「バカ正直すぎる日本の調査捕鯨 」ということを書いた。

韓国を例に出し、韓国領海内でクジラの数が激増しているとかで、韓国の沿岸で、“偶然に網にかかって”捕獲されたクジラは合わせて年間で2350頭、1日平均6・4頭に上っている。これは日本の調査捕鯨で捕獲されるクジラのおよそ2倍以上の数字という話を紹介した。管理対象の13種類の大型鯨類についてもノルウェー、アイスランドのほか「原住民生存捕鯨枠」によるアメリカ・ロシア・デンマーク(グリーンランド)の北極圏先住民族が継続していて、「その一部」が日本に入ってくるという話だ。

韓国で「偶然網にかかった」捕獲頭数が日本の2倍ということは明らかにインチキだが国際舞台では表沙汰にならない。国際司法裁判所に提訴したオーストラリアはこの間、労働党政権から一変して日本の捕鯨に理解を示す政権に変わっている。国際社会にいくら「くじらは日本の食文化だ」と訴えても聞く耳を持たない。

以下はブログ子の独り言である。北西太平洋での捕獲頭数「51頭」のほかに「偶然網にかかった」クジラが51頭いても誰も文句は言えない。

宮中晩餐会のお陰でジンギスカンの株が上がった

31Z20140424DDAPT01539G2000オバマ米大統領を迎えての天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会が24日、皇居・豊明殿で行われた。そのメインディッシュが羊のもも肉の蒸し焼きだったと聞いて我が意を得たりの感があった。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉行き詰まりの原因になっているため、豚肉や牛肉は出なかったということもあるだろうが、ともかく羊肉つまり我が家ではジンギスカン鍋の評価が高まったのである。

晩餐会のメニュー

晩餐会のメニュー

欧米では羊肉とりわけラム肉が高級食材で、一流料理店のメニューでは上にランクされるが、日本では、牛肉料理の下に位置付けられている。ブログ子はかねがねこれが気に入らなかった。こういうランク付けになった理由は、戦前めん羊は貴重な家畜で料理に出されたのは、毛がとれなくなる10~12歳まで飼った老廃羊の固い肉だったことがイメージダウンにつながった。

学生時代、北海道で私が食べていた羊もこれに近く、固かった。しかし安いのと北海道の牛肉は乳牛のオスの肉なのでどうにもミルクっぽくて馴染めず、馬術の試合の後対戦相手との懇親会では牧草地で前夜自分でさばいた羊肉でジンギスカン鍋を囲むのを常としていた。

東京に居付いてからは毎年桜の季節に馬事公苑の八重桜の下でジンギスカンを囲むようになった。苑長がOBだったのともう一人、OB会長が今上陛下の皇太子時代に侍従、その後掌典長などを長くつとめられた方だったので、宮内庁大膳部から取り寄せたマトンがジンギスカンの素材で、学生時代とは大違いの驚くほどの美味さだった。

伺ったら栃木県の御料牧場で育てたもので、アブラを取るため飼料から調整されているということだった。今回オバマ大統領に出されたものもそうして育てられたものだ。

そこまでいかなくとも、現在では羊肉がすばらしくおいしくなった。羊肉はラム(lamb、子羊)とマトン(mutton、生後1年以上の大人の羊、めん羊種が主)に大別されるが、肉用のサフォーク種のラムやマトンがオーストラリアやニュージーランドから大量に輸入されていてジンギスカンは一般でもすばらしく美味しくなっている。しかも牛肉より安い。

ジンギスカン専用の鉄鍋と七輪を買い込み、毎年孫達に振る舞うことにしているが、ここでもう一段美味しくする秘訣を伝授しよう。札幌にいる同級生のジンギスカンの達人から教えられたのだが、タレが大事でいろいろ試みた結果「ソラチのたれ」が一番ということだった。毎年取り寄せているが、宮中晩餐会で出たところでさっそく注文しようと思っている。

なかなかいいぞ。安倍首相の「タフなネゴシエーション」

plc14042413240028-p1 安倍晋三首相とオバマ米大統領は24日午前、東京・元赤坂の迎賓館で首脳会談を行った。両首脳は、日米同盟がアジア太平洋地域で主導的な役割を果たすことで一致し、オバマ氏は尖閣諸島(沖縄県石垣市)が日米安全保障条約の適用対象であることを明言した。焦点の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉は、日米間の閣僚協議継続で一致したが合意には至らず、共同声明の発表はいったん見送られ、両首脳はそのまま共同記者会見に臨み、首相は「日米同盟は力強く復活した」と述べ、成果を強調した。

大統領としてはじめて尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言したもので、これを聞いた途端、TPP交渉で日本は大幅な譲歩を迫られるな、と直感した。この項を書いている時点では、再開された甘利経済再生担当大臣と米国・フロマン通商代表の交渉が続いているのでなんとも言えないが、歴代政権でここまでタフなネゴシエーション(交渉)を展開した例はない。

古くは田中角栄の「足して二で割る」方式で最後はよっしゃよっしゃで終わる例や、ともにバブルの張本人と言われる宮沢喜一の英語通を自認するあまり大幅に相手方に歩み寄る交渉、橋本龍太郎の事務方に丸投げ方式、悪夢のような民主党の鳩山由紀夫、菅直人の元首相二人の根無し草外交・・・まともな交渉力を見せた政権は見たことがなかった。

だからアメリカが尖閣諸島を明確に安保適用対象と明言したからには、今度は日本がTPPでは譲らざるを得ないなと思った。共同声明を先延ばしにしても最後の閣僚協議に委ねるという腰の強さを見せた安倍首相に感心した。これこそ国益がぶつかり合うシビアな二国間協議である。

オバマ大統領は「すきやばし次郎」で好物のすしを14貫も食べた。そのせいかどうか、コメではアメリカも理解を示しているという。残る主なものは牛肉と豚肉だそうだ。アメリカ人ですら日本の牛肉は素晴らしいと言っている。特化したら生き残れると思うのだが。いや素人分析はよそう。TPPがどういう結果になろうとも許せる気がする。

沖縄タイムスのアホくさ社説

沖縄や北海道の人は本州のことを「本土」と呼ぶ。本土にいると沖縄の新聞は読む機会もないが、はっきり言ってこの地の主要2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は朝日新聞以上に「真っ赤っか」である。なにしろ仲井真弘多知事は3月県議会の本会議場という公式の場でこう言い放ったくらいである。

地元紙の報道を引き合いに質問された時のことだが「(沖縄)タイムスは読まん新聞ですから。(琉球)新報も止めた。特定の団体のコマーシャルペーパーと聞いたものですから」

米軍普天間飛行場移設の埋め立てを承認して以来、2紙の報道に不満を募らせていたこともあろうが、地元紙が知事から引導を渡されるというのは聞いたことがない。その沖縄タイムスの「社説」というのを電子版で読んだ。なるほど、あてつけ、重箱の隅をつつく論理、挙句は結論が「友好・交流による緊張緩和への貢献こそが『国境の島』にふさわしい」ときた。笑ってしまった。

yona沖縄タイムスなど読んだことがない人が大半だろうから再録するが、防衛上かねて念願となっていた与那国島に自衛隊レーダー基地を置き隊員を常駐させるため基地建設に着手した、と防衛省の19日の発表をうけての21日の社説である。少し長いが全文を再録してみる。
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 与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備計画で、防衛省が19日、現地で起工式を行った。小野寺五典防衛相らが参加した式典は、配備に反対する住民が会場を取り囲むなど終始混乱した。

 この事実が象徴しているのは、島への自衛隊配備に対する住民の賛否が二分しているということである。このまま配備計画を強引に進めることには、重大な懸念を抱かざるを得ない。

 昨年8月の与那国町長選で「配備推進」を訴えた外間守吉町長が3選を果たしたが、対立候補との票差はわずか47票だった。

 選挙後、町や国は住民対話を持つなど、積極的に島内融和に取り組む必要があった。それをおざなりにしたまま、配備計画を進めたことが、住民同士の溝を深めていることを認識すべきだ。

 選挙の後、配備計画に関して町単独で開催した住民説明会があったのは、ことし2月になってからだ。説明会に防衛局の担当者は同席せず、住民からは「不十分で理解できない点が多い」と不満の声が上がっていた。

 駐屯予定地の町有地の賃貸借契約を解除するに当たり、農業生産法人への損失補償額を防衛省が大幅に上積みした交渉経緯も不透明だ。防衛省は当初提示した1億1千万円から積み増し、約3カ月後に2億4千万円で合意した。

 算定基準の不自然さが指摘されているが、税金の不透明な支出であり、当然だ。配備に向け、なりふり構わぬ国の姿勢が、住民の不信感を一層募らせているのである。

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 沿岸監視部隊はレーダーで付近を航行・飛行する艦船や航空機を監視する。中国の海洋進出に対抗するため防衛省が打ち出した南西地域の防衛態勢の強化の一環だ。

 与那国町の人口は3月末で1479人。隊員は150人規模で、家族を含むと約200人が島に住むことが見込まれている。町は「非常に大きなインパクト」ととらえ、施設工事や防衛省の補助事業によるインフラ整備で町民生活の向上につなげ、人口減少に歯止めをかける考えだ。

 しかし、自衛隊配備が過疎化対策になり得ないことを示す事例がある。1959年から陸海空自衛隊が配備された長崎県対馬市では、60年に約7万人だった人口が、約3万5千人に半減している。

 また、与那国への自衛隊配備が近隣諸国を刺激し、緊張が高まれば、住民が望んだ地域づくりとは逆のベクトルが働くことになりかねない。

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 中国外務省は沿岸監視部隊配備について「日本は国際社会に、軍事力増強の真の狙いを説明するべきだ」とけん制した。近隣諸国との緊張が島の住民の暮らしを脅かすことがあってはならない。

 2005年に町が策定した「自立へのビジョン」では「東アジア地域との友好・交流を推進し、国際社会の模範となる地域間交流の実現に努力する」と宣言した。町はむしろ、その姿勢を堅持することをあらためてアピールすべきではないか。友好・交流による緊張緩和への貢献こそが「国境の島」にふさわしい。

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与那国島にある日本最西端の碑

与那国島にある日本最西端の碑

与那国島は尖閣諸島から南へ約150キロ、台湾から東へ110キロに浮かぶ人口約1500人の島。ブログ子はサイトで「驚異の飛翔2200キロ アサギマダラの神秘」という一文を書いているが、春と秋の渡りの季節に蝶が立ち寄る島として有名で、これ目当てに訪れる人が多い。日本最西端の碑が立っている。

沖合はこのところ太平洋に進出が激しい中国艦船が通過する一方、各国の通信が飛び交う防衛上枢要の地にある国境の島ながら、警察官2人が駐在するだけだった。防衛省はやっとレーダーを設置してさらに約100人の沿岸警備部隊と約50人の後方支援部隊を駐留させ、付近を航行する艦船と航空機を監視することを決め、2015年度末までに運用を開始する予定である。

してやったりの中国、次は韓国が模倣か

差し押さえられた鉄鋼石運搬船「バオスティール・エモーション」

差し押さえられた鉄鋼石運搬船「バオスティール・エモーション」

三日前に「世界はもっと狡猾である」と書いたばかり。 商船三井所有の貨物船が中国当局に差し押さえられた問題は、日本政府には寝耳に水だったようで、菅官房長官は記者会見で「政府としては深く憂慮し、中国側が適切な対応を取るよう強く期待をしている」と語ったものの「商船三井が原告との間で和解の可能性を探っていたと聞いていた」と述べ、「こういう案件があることをなぜ事前に官邸側に伝えてなかったのか」と外務省に不快感を示した」。中国側のしてやったり、の得意顔が見える。

なにせ、1936年に日中の海運会社間で交わされた船舶の賃貸契約をめぐる古い民事争いが発端だ。原告は、中国国内法整備の隙間に生まれた時効の空白を突くことで、戦前の“亡霊”を現代によみがえらせ、強制執行に持ち込んだ。

旧大同海運(現・商船三井)に貨物船2隻を賃貸したのは、陳順通という上海の船舶王の経営した海運会社だ。契約満期前に日中戦争が始まったことで、賃貸中の2隻は旧日本軍に徴用され戦争で沈没した。現在の原告は陳順通の孫らで、三代にわたり戦前の債権回収に取り組んできた。70年代には東京地裁で訴訟を起こしたものの、「時効」を理由に相手にされなかった。

そこで本国で訴訟を起こした。その執念に驚くが、この間にうまい具合に法改正があった。87年1月に施行された中国の民事新法「民法通則」で、同法の施行後2年以内の提訴に限って、最高人民法院(最高裁)が事実上の時効停止できるというもの。上海海事法院に提訴され、1審(2007年)、2審(10年)とも、原告が勝訴していた。

それでも日本政府は楽観していた。中国は72年の日中共同声明で戦争賠償請求権の放棄を表明した。その代わり日本側は対中経済支援を約束し、その約束通りに政府開発援助(ODA)や技術協力を展開した。

これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1,331億円、無償資金協力を1,457億円、技術協力を1,446億円など総額約3兆5000億円以上のODAを中国側に実施した。中国の経済成長は韓国と同じでまさに日本の援助によって成し遂げられたものであり、賠償放棄の元は国家全体として十分すぎるほど受け取っている。共同声明を踏みにじるとは思いもしなかった。

お人好しの日本政府に、習近平・中共政府は平気で戦前の忘れ去られた請求書を突きつけたのだ。中国の裁判所は中国共産党の指導下にある。尖閣諸島に続いて切り札を切ることを命じたのは習近平政権であることは間違いない。

001今後、中国政府の“指導”下各地で訴訟が起こされるだろう。既に2月には「日中戦争時に強制連行された」と訴える元労働者や遺族が、三菱マテリアルと日本コークス工業(旧三井鉱山)を賠償請求の提訴をしている。

中国の「禁じ手」破りを見て韓国も見倣うだろう。現に韓国では「戦時中に強制労働させられた」とする韓国人女性らが三菱重工業や新日鉄住金、不二越を相手取った訴訟で、一部勝訴に持ち込んでいる。韓国の裁判所は他の欧米国と同じように三権分立のように見えるが、時の政権の顔色を見た判決は山ほどある。反日ならなんでもOKの現状ではこちらも危ない。

これに対して日本の切り札は「経済」だけである。日本が本格的に資本と技術を引き上げたらひとたまりもないのだが、これを理解している一般庶民は両国jともほとんど居ない。中国共産党一党独裁政権の崩壊の早からんことを願うだけだ。

ただいま猛烈なスパム攻撃を受けてます

こんなささやかなブログでも結構読者がいるものだ、と喜ぶべきかもしれないが、このところ猛烈なスパム攻撃を受けている。、朝起きてまず100通を超える嫌がらせ書き込みを削除する作業から始めている。

日教組のセンセイと在日韓国人からのものと判断している。というのも、今朝の1通は「ひとつのパラグラフに”だが”・・・”だが”と接続詞が二つもあるのは見苦しい。あんたの教養がわかる。子どもの入学式が大事なのは当たり前だ」と、どうやら国語の教師かららしい文法の誤りの指摘と己の息子の入学式に自分の受け持ちクラスの生徒を放り出して駆けつけた埼玉県の女教諭弁護である。「4月15日の当ブログ「子どもの入学式が後生大事な時代」が気に入らなかったらしい。

もう一つは18日の「メンツにこだわる時ではあるまいに 」と韓国の朴槿恵大統領が沈没船の家族を見舞ったら罵声を浴びせられた話から日本の救助体制の方が先んじているから拒絶しないで受け入れたらいい、という話に「お前は大統領に敬意を払わないのか」といった内容だ。

ともに返事をしようとしたが出鱈目のアドレスでかなわなかった。きちんと名前を名乗った投稿は載せるのにやぶさかでないのだが。

サーバーから消去されて今は見られないのだが、同じタイトルでのこのブログでもワンサと書き込みがあった。養護学校で人形を使った性教育をしているニュースに、気持ち悪いジェンダーフリー教育への批判を書いた時である。この時はブログのシステムに詳しくなくて、せっせと馬鹿正直に返事を書いたが1通として返ってこなかった。

現在は進歩していて「モデレート機能」というのが付いている。投稿は、以前は直接掲載されてしまったが、現在はコメントは一旦保留されて管理者の許可があってはじめて掲載されるようになっている。しかも「一括処理」というのがあって、何百通でもクリックひとつで消去できるのだ。常連の一つに「プラダのバッグ何パーセント割引」という通販書き込みも毎日数通あるが上に同じである。

というわけで、炎上までには至らないですんでいる。まだ余裕があるので、このブログにご不満のむきはどうぞコメントを。

人間不信に陥った犬が信頼を取り戻すまで

まもなくGWである。ブログ子も八ケ岳の我が山墅に入ることにしているが、例年真っ先に敷地に眠る犬たちの墓を訪れて、しばし昔の楽しかった思い出に浸るのを常としている。今年は大雪だったというから、彼らのところにはまだ雪が残るかもしれない。

無心に慕ってくれた犬たちを裏切ることなどブログ子の家庭では考えられないが、世の中には虐待した上捨てるという人間がいる。そういう輩は最初からペットなど飼わなければいいと思うのだが、そういうのに限って真っ先に保健所に引き取りに現れる。

以下に紹介する動画は、虐待されボロボロの状態だった犬が人間への信頼を取り戻していくストーリーである。人間にはひどい奴ばかりでないことをわかってくれたかと安堵してうるうるしてしまう。あらすじはこうだ。

昨年12月、米ロサンゼルス市の動物保護グループ「Bill Foundation」が、ボロボロの状態の犬が1匹いるとの連絡を受けた。
保護するために現場に出向いた同グループのアン・ハートさんは、首にひどい裂傷を負い細菌・真菌感染症を起こしているピットブルを見つけた。
しかし保護しようにも人間を見ると犬は逃げ出し、人間への怖れでブルブルと震えるばかり。
3時間かけて何とか保護センターに連れて帰ったところ、犬に埋め込まれているマイクロチップから、名前が “ギデオン” であることが判明。「飼い主は心配して探しているに違いない」と連絡を取ったら、「もうギデオンはいりません」と冷たく電話を切られてしまった。
ギデオンは身体的虐待だけでなく無視による精神的な虐待も受けていたためよれよれになっていた。
しかし、数週間にわたる治療ですっかり健康を取り戻したギデオンは、スタッフの献身的な愛情で、3か月後にはあれほど怖がった人間への信頼を取り戻し、身体をすり寄せるまでになったのである。

この動画は表記の動物保護グループが寄付を募るためにつくったアピール動画だが、撮影は実話である。ビットブルという犬種ははじめて知ったが今はやりの言葉で言えば「ブサ可愛い」となるのだろう、ブログ子のサイトで「アナスタシアが行く」という項を書いた。仔犬の時から亡くなるまでの記録だが、どういうわけかここ1カ月ほど前からアクセスランキングの1位と2位を行き来している。見知らぬ人が墓参りをしてくれているようで嬉しい。

アナスタシアが亡くなって間もなく八千草薫さんのお宅の愛犬も亡くなった。半年ほどあと同じ犬種と散歩している彼女と立ち話した。

「お互いの寿命を考えて躊躇したのですが、もしもの時はこの子を世話してくださるという方があったので決意しました]
こういう人こそ本当の愛犬家だと思った。

バカ正直すぎる日本の調査捕鯨

PK20140419021政府は18日、日本が北西太平洋で行う調査捕鯨を、クジラの捕獲頭数を4割以上減らした上で2014年度も継続すると発表した。

国際司法裁判所が3月に国際捕鯨取締条約違反と判断し、14年度は実施を断念した南極海の調査捕鯨は、今年秋までに新たな計画を策定、15年度の再開を目指す方針も決めた。

ハーグの判決ショックからようやく立ち直りつつあるようなニュースである。日本はいいか悪いか、遵法精神に富んだ国で、国際司法裁判所というからには公明正大な判決が下されると盲信しているきらいがある。日本は一人判事枠を持っていて、現在は皇太子妃雅子さんの父、小和田恆氏である。当事国というので今回は外されたので日本の弁護にあたることはできなかった。しかし判事15人中10人が反捕鯨国というのでは勝負はハナから決まっていた。

ブログ子は小和田氏の前任で24年間も判事だった小田滋氏とオランダでゴルフをしたことがある。マーストリヒトのイタリア料理店 での打ち上げで隣だったので少し話をした。判事はそれぞれの国の国益を代表している部分があり純然と法律論だけ戦わしている わけでもないとか国際司法裁判所に来るまでにいくつものハードル(当事国双方の同意など)があり審理件数は少ないことなど だった。最後はヒマでいくらでもゴルフに時間を割けるという笑い話で終わった。

勝訴したとはいえオーストラリアのアボット首相の談話は苦衷がにじみ出ていた。提訴した時は反日で凝り固まった労働党のラッド首相の時である。シーシェパードにオーストラリア国旗を掲げることを許し、高速艇で調査船の周りを走り回って火炎瓶を投げつけるのを黙認していた。

そのころブログ子の山墅に駐日オーストラリア大使館の公使たちがやってきて2、3日寝泊まりしていった。経済担当でオージーワインを何本もふるまってくれたので、どうしてそんなにシーシェパードの肩を持つのか聞いた。ラッド首相も外務大臣も閣僚のほとんどは反捕鯨派でいずれも対日強硬派だと言って首をすくめてみせた。

ところが昨年9月8日オーストラリアで6年ぶりの政権交代が起こった。労働党が大敗し、自由党を中心とする保守連合が政権奪還した。与党の自由党アボット首相は、第二の貿易相手国である日本との経済関係を大事にする政策をとっている。勝訴と聞いても「捕鯨問題は私自身大変憂慮しているが、日本もこの件については我々の立場をよく理解していると思う。豪日関係はとてつもなく重大だ」と述べ、捕鯨問題でこれ以上、日本を追及しない姿勢を強調した。喜び勇んだコメントではなかったのはこうした事情からだ。

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

ところで隣の韓国である。同じくくじらを食べる食文化を持つがこの問題には口を閉ざして知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。そしてKBSのニュースサイトによると、韓国領海内でクジラの数が激増しているとかで、韓国の沿岸で、“偶然に網にかかって”捕獲されたクジラは合わせて年間で2350頭、1日平均6・4頭に上っているという。これは日本の調査捕鯨で捕獲されるクジラのおよそ2倍以上の数字だ。

管理対象の13種類の大型鯨類についてはノルウェー、アイスランドのほか「原住民生存捕鯨枠」によるアメリカ・ロシア・デンマーク(グリーンランド)の北極圏先住民族が継続しているが、韓国はその中にも入らない“偶然に網にかかった”2350頭が潤沢に国内に出回り、すでに日本に輸出しているくらいである。

そういえばブログ子は鯨のベーコンを酒の肴にしていたものだが、遠慮してもう30年は遠ざかっている。どうも日本はバカ正直がすぎるのではないか。欧米はただ油を取るためだけに捕鯨に邁進したが日本では余さず食べている。命を大切にした日本固有の食文化であると叫んでいても訴求力がない。世界はもっと狡猾である。

メンツにこだわる時ではあるまいに

いつも思うことだが韓国人の激する姿にはただ驚かされるばかりである。

旅客船「セウォル号」(6825トン)沈没事故で、朴槿恵大統領が17日、行方不明者の家族が集まる珍島の体育館を訪れたというので、日本の天皇皇后両陛下が被災地を訪れられるときのように、「つらい思いをさせましたね」という慰めの声に、自分を抑えた声で謝意を述べる静謐な光景を想像した。

kor14041721030しかし韓国ではまるで違った。政府の捜索活動が遅れていると不満を持つ家族が大統領に「こんなところにいないで早く対策でも立てろ 」などと罵声を浴びせ詰め寄った。朴氏が説明しようとする間も家族らは大声で不満を延べ大統領は困惑の表情で立ち往生したという。

同じく体育館を訪れた鄭烘原(チョン・ホンウォン)首相はSPともども水をぶっかけられた。

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

この首相は1月、日本の野田前首相が「韓国トップが米欧に行っては、女学生のような『言いつけ外交』で日本を批判している」と述べたのに「政界の主要人物が大韓民国の国家元首に対して無礼極まりない発言をしており、忍耐の限界を感じる」と強く批判した人物だが、「無礼極まる行為」を前にそそくさと逃げ出している。

驚いたのは朴槿恵大統領の反応だ。家族が捜索状況を知らされていないと不満を述べると「真っ先にご家族に知らせなければならないでしょう」とそばにいる担当閣僚を叱責し「最後の1人まで助けるよう最善を尽くす」と約束して会場を立ち去った。およそ一国のトップが取る態度ではない。自分は女帝気取りで、責任は皆部下に押しつけるような人物が人心掌握できるとは思えない。

家族の怒りの向け先も日本とは異質だ。修学旅行を実施した高校の校長が謝まっていると生徒の父兄がこれまた何か叫びながら水をぶっかけているテレビを見た。高校もいわば被害者なのだが、こうなるともう見境がつかない怒りの向け方である。校長も校長で教員を壇上に並べて土下座していた。

この海難事故を前に日本の海上保安庁は事故翌日に韓国の海洋警察庁に救助活動の支援を打診したところ、韓国側は辞退した。防衛省も掃海母艦などの艦艇4隻やダイバーらを佐世保基地(長崎県)や呉基地(広島県)などに待機させていて「要請があった場合には速やかに対応したい」としているが、反応はない。

韓国の海洋警察庁は日本の海上保安庁を模して作られた。ここには特殊救難隊「海猿」がいる。掃海母艦は今回沈んだ船より大型で潜水、救難、救護、搬送(ヘリ)に対応できるすぐれものだ。テレビを見ると一人ずつかごに入れてヘリに釣り上げているし、船内捜索も相当遅い。メンツを捨てて要請してくれたらきっと役立つと思うのだが。

船長は、入社4か月の20代の女性3等航海士に操舵をまかせ休息していて、事故後、機関士や操舵手ら乗員6人とともに最初に救助された。北大西洋で沈んだ「タイタニック号」の船長も、太平洋戦争中沈められた日本の多くの艦長も船とともに運命を共にした。それほどの責任感を持った職責だと思っていたのを一変させたのは2年前、イタリア中部沖合で32人が死亡・行方不明になった大型客船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故だ。乗員乗客を置き去りにして船外に脱出し、沿岸警備隊の「船に戻れ」との指示にも従わなかった。

モラルが以前と一変しているのである。個人も国家も。韓国の理不尽な反日も国内事情からと理解しているが、一つの船舶事故から、こういう国柄と人柄に起因していることを知るのである

メディアまで目をそむけてはならない

アメリカの新聞の電子版を見ていたら今年のピュリツァー賞の受賞者が出ていた。メーンの公益部門では米国家安全保障局(NSA)の情報収集活動の実態を伝えた米紙ワシントン・ポストと英紙ガーディアンが選ばれたのだが、特集写真部門はボストン・マラソン爆弾テロの被害者を撮影したニューヨーク・タイムズのジョシュ・ヘイナー氏の作品が選ばれた。その写真を見て衝撃を受けた。
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死者4人、重軽傷者260人以上を出した昨年のボストン・マラソンを狙ったテロで両足を失った20代のランナーがリハビリする姿や義足をつけてガールフレンドに支えられて社会復帰するまでの10枚の写真で受賞したのだが、その一枚は男性が病院のベッドに仰向けで両手をひろげている。事件から1か月後にリハビリに励んでいるシーンだという。

日本の新聞では一紙として掲載したところはなかった。メディアの中にいたからわかるが、残酷だという理由だ。受賞発表がちょうど事件から1周年という時だったので、ボストンで開かれた式典で旗を持ち行進する警察や消防のパレード、遺族らが現場の路上に花輪をささげる姿をもっぱら紹介していた。参加したバイデン米副大統領は「私たちはテロに屈服することを拒否する。恐怖のため譲歩すること、何かを変えることを拒否する」と訴えたという。

この一枚の写真はテロへの戦いを何より象徴している。事実アメリカでは何紙かが掲載していた。それによるとこの青年はバウマンさんといい、この夏には、子どもが生まれるという。そういうことを知ってもう一度写真を見ると、彼の不屈の精神に感動するのだが、日本のメディアはこの写真を「自主的判断」で葬った。

imagesこの記事のそばにあったニュースだが、爆弾から5メートルの場所で被害に遭いアキレス腱が吹き飛ぶ重傷を負ったピーター・ディマルティーノさんの結婚話が紹介されていた。当時ピーターさんの隣にいて同じく重傷を負ったレベッカ・グレゴリーさんと一周年を前に結婚式を挙げたが、彼女は6月に左足を切断する予定だという。「私たちは幸せです。この1年でひどいことや恐怖も味わいましたが、私たちの関係はとても強くなりました」(レベッカ・グレゴリーさん)というコメントもついていた。

むごたらしいシーン、個人情報に関わる写真、ウクライナのFEMENという、乳房を露わに反プーチンなどのボディーペインティングを書いて走り回る女性の写真では「18禁」のガードが掛けられるなど、報道機関による自主規制が年ごとにひどくなる。配慮が必要なものがあるのは当然だが、こう機械的に一般の目から遮断するのは報道の自滅を意味する。

ブログ子は写真に一瞬は躊躇したが、裏側のストーリーを読んで感動し、「私たちはテロに屈服することを拒否する」という彼らの高らかなメッセージを読み取った。

ものは言いよう、「日本の桜、韓国起源」説

自分のサイトに「さくら」という項目を書いている手前、毎年あちこちの一本桜を訪ね歩いていたが、今年はやめた。近場を渉猟し尽くし、残るは遠方ばかりになって億劫になったためだが、もう一つ、今年は山はまれに見る大雪で、きっと桜は遅いと見ていたのが、豈図らんや例年よりずっと早くなり、用意が整わぬうちに満開になったことがある。

s_s21_RTR3K0ZS用事で通りかかった千鳥ヶ淵の満開をみて、今年はじめて開放された皇居「乾門の通り抜け」に馳せ参じたが大勢集まりすぎたと予定時間より早く閉門されて機会を失った。日本人がこの季節、こころを一つに桜に寄せる愛情につくづくいい国柄だと思う。

ところが、毎年韓国からは「日本の桜は韓国起源」説なるものが流されてくる。日本人の多くは、例えそうであっても一向に構わないと思うところだが、その執拗さに辟易する。済州島にその原木なるものがあるとかで、みた人によると明らかにソメイヨシノ(染井吉野)だという。

これで明らかに出鱈目だということがわかる。染井村(現在の駒込あたり)の植木屋が名所として名高い大和の吉野山にあやかって「吉野」「吉野桜」として売り出した。その後、植物学者の調査でヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」で染井村の名を取り「染井吉野」と命名した。 葉より先に花が咲くのと成長が早いのが重宝され、一気に広まったものだ。ソメイヨシノは不稔性ですべてクローンだから済州島に原木があるはずがないのである。

韓国人はなぜこうもこだわるのか。ネットである中国人が韓国で聞いた桜の生い立ちという話でなるほど、と思った。己が屈折した日本人へのコンプレックスの裏返しで、自分を納得させるために作り上げたものなのだ。

2014年4月15日、韓国を旅行した中国人韓国客が、桜について現地で聞いた情報をもとにブログをつづっている。以下はその概要。

人々は日本を桜の国と称えるが、韓国の桜も美しいと勧められ、今春は韓国を訪れることにした。聞くところによると、日本の桜は韓国から伝わったものだという。日本に伝わる前、韓国の桜の数はそれほど多くはなかった。1918~1948年、日本は韓国を占領し、大量の桜の木を植えたことで、韓国でも至る所で桜が見られるようになったという。

1948年に独立して以降、韓国人たちにとって桜は憎悪の対象で、植物界の侵入者・植民者と見ていた。しかし、韓国の学者が、日本の桜は韓国から伝わったものだと発表した。日本の桜が韓国から伝わったならば、日本人が韓国で植えた桜は韓国の桜の子孫だということになり、拒絶する理由はなくなる。そこで、韓国人は桜に対する態度を改め、次第に受け入れて行くようになったのだという。

現在、韓国にもたくさんの桜の木が存在し、毎年、ソウルや釜山、済州島などで各種のイベントが行われる。人々は桜を愛で、歌や踊りをし、酒を飲み、伝統的なお菓子を食べてにぎやかに過ごす。韓国の桜は多くが薄ピンク色(ソメイヨシノ)だ。(Record China)

関係修復のため日韓の外務省高官会議が始まった。ありもしない従軍慰安婦を押し付け、条約で解決済みの戦時賠償も裁判所と一緒に平気で蒸し返し、間違いだらけの歴史認識を押し付けるのだろう。ソメイヨシノと同じで己が歴史の自己撞着から抜け出す方が先なのに。やれやれ難儀な国である。

子どもの入学式が後生大事な時代

埼玉県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。

これに対し、この入学式に来賓として出席した江野幸一県議は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨しており、県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としているが、県教委では、欠席した女性教諭や校長らの処分などは検討していないという。
(埼玉新聞)

この高校では入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明、女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。

ネットでは
「本当に怒り心頭です。 教員の責任感や倫理観、モラルとはどうなっているのでしょうか?」
「こんな程度の人格の教員は、生徒を指導する資格など無く、即刻担任を外すべきでだ」
「権利ばかり言う教員はいらない」
「教員は、教育という一番大事な事柄を担っているということを自覚してもらいたい」

と批判する声が殺到した一方で、『Twitter』などでは
「教え子より自分の子が大事なのは当たり前」
「教師を聖職として特別視しすぎている」
と、教諭の行動は問題ないとする意見も多数ある。

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いつから日本の親はかくも己の子どもの入学式や卒業式を大事にするようになったのか。同じ頃(11日)、東京大学の入学式が東京・千代田区の日本武道館で行われ、3158人の新入生の他、多数の保護者が出席した。写真を見ると2、3階席は父兄でいっぱいである。誰も数えていないがみたところ子どもの2倍は優に超えている。

式では、教養学部の石井学部長が研究論文でのコピー&ペーストの問題にふれ、新入生に「自分だけの言葉を鍛えあげてほしい」と述べ、「他者の思考の模倣にならないために、ひたすら本を読むこと」と読書の重要性を訴えたそうだ。まるで幼児に心得を説くあんばいだ。自分でものを考え、書き、本を読まないような輩は学生ではない。

ブログ子が振り返ってみても小、中、高、大の入学式、卒業式に親が来たことは一度もない。両親どちらかがいつも入院していたので毎度枕頭に報告に行くだけという事情や、私立の小中だったので上に行くのは当たり前で親子とも別に嬉しくもなかった。高校の入学式はまた親は病院で、卒業式は入試とかち合う頃なので卒業生自体出席が少なかった。大学は遠く札幌に行ったので、はなから期待しなかった。自分の事情ばかりでなく、周りをみても親の姿はパラパラだった。

近頃「子離れ」できない親が増えたのは、子どもに過大な期待をかけすぎる風潮と関係しているのだろう。自分ができなかったことを子どもに期待するのは土台無理というものなのに、それをわきまえない親が増えた。加えて親も子も、学校、大学さえも幼稚化してきた。

かくいう私も娘二人の入学・卒業式には出なかったが家内はせっせと出席した。孫娘3人の入学式(卒業式はまだない)には誘われなかったので出なかったが、声が掛かれば馳せ参じたであろうから偉そうなことはいえないのだが、少なくともこの教師の前では「仰げば尊し」を歌う気にはなれない。「公」「私」の判断力がはなから逆転していて、愚かさを恬として恥じていない。

毎度書いていることだが教師と言うのは「聖職」である。ブログ子の小学校の先生は黒板に楷書で正方形に字を書いた。お陰で教え子は今も皆楷書で字を書いている。それほど影響力がある。先生には。

立身出世を煽るということなのか、日教組の指導あってか近頃「仰げば尊し」はとんと聞かれなくなった。中でも2番の歌詞は歌われることがないが、こうである。

2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば

ついに「芥川・直木賞」を上回った「本屋大賞」

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

全国の書店員が「最も売りたい本」を選ぶ2014年本屋大賞に和田竜さん(44)の「村上海賊の娘」(新潮社)が選ばれ、さる8日に東京都内で授賞式が行われた。 和田さんは大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。繊維業界紙記者などを経て、自作脚本を小説化した「のぼうの城」で平成19年に作家デビューした。脚本家から小説家への転身だが本はめきめき売れているそうだ。引き換えて先日発表になた芥川・直木賞の場合、誰が貰ったか思い出せる人はそういないだろう。

つまり、話題性・影響力・売れ行きで「本屋大賞」が「芥川・直木賞」を上回ったのである。こうなった原因は話題作りに腐心するあまり本来の文学性や面白さを追求するという「芥川・直木賞」の源流を文藝春秋社が見失ったためだろう。やたら「女流」を並べてみたり、社会への反抗心を露わにする作家の卵を候補作に入れたり、経歴の変わった人物を入れたり毎回「作為的」にすぎるのではないか。

その点「本屋大賞」の方は日頃本が好きでたまらない、かつまたよく読んでいる本屋の店員諸氏が「他の人にも読ませたい」という一点で推薦しているわけで、訴求力の点でかなり違う。芥川賞などは文章学という面をもっと前面に出し新しい文体とか表現力を審査すべきだろうと思うのだが、どちらのジャンルに入れるべきか定かでないものがみかけられる。

以前は「文章読本」を著した谷崎潤一郎とか伊藤正が審査員に入っていたものだが、大江健三郎などが主なメンバーになった。ノーベル文学賞作家と言ってもあのもってまわった切れ目のない文章を思うとうんざりしてしまう。それが選評を書くのだから簡単な話もまるで左翼文学評である。朝日新聞以外耳を傾けるメディアはいないのではないか。

金田浩一呂という文芸記者と親しくしていた。新喜楽での「芥川・直木賞」選考会には戦後ほぼすべて顔を出しており、文藝春秋の司会者が床の間で居眠りしている男に必ず最後に「金田さんよろしいでしょうか」と声を掛けた名物記者である。遠藤周作や曽野綾子、三浦朱門、阿川弘之といった作家と親しく、毎回候補作を読んでいて選考会前に「金田講評」を聞くのを楽しみにしていたが先年亡くなり、以来新喜楽に興味がなくなった。

そして毎回の話題先行、紙面掲載3日後には忘れ去られるという現状に「文春はいじりすぎだ」との感を深くしていた。今後もメデイアの「本屋大賞」への傾斜は続くと思う。

天気予報をナメている

NHK名古屋が10日「長野市の降水確率として発表してきたものは、実は名古屋市でした」と謝った。1年間も表示ミスを続けたというので驚いていたら、今度はNHK高知放送局が13日、高知県内ニュース番組の天気コーナーで、県西部の「晴れ」「雨」などを示す天気記号を、誤って表示していたと明らかにした。4年間、東部と西部が同一の天気表示だったことになる。

天気予報がいかに誰も見ていないかという証左で笑い話のタネにされるであろうが、実は大違いなのである。天気予報は気象庁が20キロ四方をひとつの区画(メッシュというが)として予報を出している(大都市では5キロ四方も)。今回NHKの失態が起きたのは、他に民放やケイタイで情報を取ることができる大きな都市だったから誰からも頼りにされていなかった。

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

しかし都市から離れた辺鄙な場所ではそうではない。天気予報は大事なものなのだ。例えば我が山墅がある八ケ岳である。放送で流されるのは「長野中部」という予報で松本、茅野のもの、週間予報ときたらはるか遠くの長野市のものである。間に標高が高い赤岳、横岳がありその東側にある野辺山、川上村の方ではころっと天候が違う。にも関わらず夏の一時期夕方の地方ニュースの時間に「夏沢峠」という10キロほど先の山の天気情報がチラっと流されるだけである。

登山者や行楽、高原野菜農家のためにも「野辺山」に特化した気象情報が必要だと訴えてきたが、最寄りの村役場も、NHK長野放送局でも相手にされることはなかった。行政はそこまで思い浮かぶ知恵がなかったのだろう、NHKは面倒くさかったか「中部」には違いないのだから現状でいいと思ったのだろう。

しかたがないので民間の気象情報会社に頼んで「野辺山」というメッシュの予報を自前で流し始めた。右上の天気予報図がそうで1日3回最新の予報が更新されている。そこそこの役に立っているとは思ったがものすごいアクセスがあったことを昨年末知った。気象会社のサーバーの変更で更新が止まった。ブログ子は気づかなかったのだが、しばらくすると再開の要望が舞い込み始めたのである。

今度はポケットマネーをはたいてそこそこの金額で会社と契約をした。きちんと流れ始めたのを機会にアクセスログといって利用状況がわかる仕組みがあるので調べたら、このサイトを覗いた人の数がわかるページビューという数字が一日3万から5万という間を上下している中でその3分の一以上、1万から2万の人がこの小さい天気予報を利用していたのである。

登山者仲間の連絡でこのサイトのアドレスがやりとりされ「前日までにここの予報を見て判断して決行する」といった書き込みがあったり、ツーリングの行き先判断に使われていることがわかった。

余談だが天気予報は最大の軍事情報である。戦時では極秘扱いだ。日本はスーパーコンピューターを駆使して気象衛星の情報や最先端のレーダーで解析していてその能力は世界でも有数のものだ。台風の進路予想が次第に精度を上げていることはみなさんも気づいていることだろう。そしてこの観測情報を惜しげもなく韓国、あの中国にも流している。北朝鮮は独自に日本の放送を聞いているのだろう。これらの国々からは一言の礼も返って来ないが。

天気予報はテレビのコーナーでは刺し身のつまの扱いだが、重宝されているように、こうした地方の片隅の天気情報もまた求められているのである。4年も間違っていていいものではない。

石川遼をダメにしたもの

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

男子ゴルフのメジャー第1戦、マスターズ・トーナメントは10日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(パー72)でアーノルド・パーマー(米国)ら3人の名誉スターターによるティーショットで開幕した。日本勢は昨季日本ツアー賞金王の松山英樹がただ一人出場であの石川遼の名はなかった。

ブログ子は少しゴルフをやる。仕事上の付き合いもあって年間58回プレーしたこともあり、八ケ岳の山墅と同じ標高にある近所のゴルフ場で毎夏親戚・友人とコンペを開くのが通例だったが、ここ2年ほど遠ざかっている。我流で少しも上達せず「110番」が多いのに嫌気がさした。

しかしマスターズだけは毎年見ている。長女の連れ合いがTBSでこのマスターズ担当だった時期があり、ケイタイのトラップももらったマスターズ記念のものということもあるが、一番の理由は加齢とともに早起きになり放送時間が合うという点だ。

images石川遼は史上最年少で賞金王になってマスターズに招待されたときは、タイガーウッズ並みのスーパースターを予感させた。事実、見事なショットを見せて唸ったこともあるが、その後はどうしたことか競り合いに脱落するは国内外ツアーを問わず予選落ちが多く、ただのプロゴルファーになった。マスターズも特典で初出場から3回くらいは招待されていたがそれも切れた。

あれだけの期待の星がここまで堕ちたのはなぜか。どこのメディアも書かないし放送もしないのは電通が仕切っているので、広告出稿が止められるのが怖くてだろう。近く新聞社の先輩の偲ぶ会があり、そこに知り合いの電通の幹部が数人来るようなので聞いてみようと思っている。

その前にネットを覗いてみたら、昨年は27戦して、実に11回もの予選落ち。「かつての”ハニカミ王子”が”予選落ち王子”のわけ」といった類の分析が百花繚乱だった。その中できちんと名前を出しての批評を拾ってみると以下のようなものだ。

石川をサポートするのは、いわゆる「チーム遼」の面々。コーチの実父・勝美氏(56)を筆頭に、大手広告代理店のマネジャー、用具契約をするヨネックスのスタッフ、キャディー、トレーナーなどで構成される。中でも父親の横暴ぶりはひどいという。

「象徴的なのは、石川のプロ転向後、全試合でキャディーを務めていたK氏との不和です。アメリカでのツアー5戦の直前、勝美氏はK氏に『お前は何も役に立っていないからクビだ』と言い渡した。今季の低迷の原因は石川自身ではなくK氏にある、という言いぐさだ」。「月刊ゴルフレビュー」編集主幹でゴルフジャーナリストの宮崎紘一氏は、この「責任転嫁」は大きな勘違いである、と主張する。

「通常、ゴルファーが雇うプロキャディーは、契約するゴルファーからの給料の他、優勝したら賞金の2.3%の手当も手にします。その代わり、事前にゴルフ場のコース状況や距離、芝の具合のチェックなど、さまざまな仕事をする重要なパートナー。状況に応じて心理的なアドバイスも行います。ところがK氏はプロキャディーではなく、アマチュアなんですよ」

K氏は石川が契約するシャフトメーカー・G社の社員であり、会社の指示により石川のキャディーを務める、いわば「素人」。G社から「チーム遼」への出向のようなものである。もちろん、給料はG社が出している。

「アマチュアキャディーをアメリカに連れて行っても役に立つわけがない。現地の環境に精通しているわけでもなく、コースや芝、風のことも知りませんから。なのに勝美氏は石川がミスをしたら『お前はどこに目をつけてるんだ、このバカが!』とK氏をボロクソに言う。本来、ミスはプレーヤーの責任であり、勝美氏は息子をどなりつけないといけない。石川本人も『(石川が食べたものを)片づけておいて』と命じるなど召し使いのようになっています」(宮崎氏)

不協和音が鳴り響く「チーム遼」でもう一人、攻撃の的となったスタッフがトレーナーのN氏。業界では名の知れた人物だが、予選落ちのショックや体力的な問題もあり、N氏が『(石川を)1週間休ませてください』と勝美氏に頼んだのに父親はゴルフ場でのCM撮影を入れた。N氏がそれに苦情を言ったところ、勝美氏は『誰のおかげで飯を食えてるんだ。偉そうなことを言うな!』と罵声を浴びせた。

こうした「環境」に加え、決定的なのはコーチ問題。現在のコーチは、一介のアマチュアゴルファーである勝美氏だ。宮崎氏が言う。「一度、テレビ番組の企画でラウンドする勝美氏を見ましたが、この人が教えているのか、と愕然としました。普通の素人のスイングですから」

それでも勝美氏はティーチングプロをつけない。「俺の言うことさえ聞いてりゃいいんだ。俺がいちばん、遼のことをわかっている」と受け付けないそうだ。

子どもにゴルフを教えこんでプロゴルファーに仕上げる父親という先例に横峯さくらの父、横峯良郎・元参議院議員がいる。マイクロバスを改造した自作キャンピングカーで各大会を転戦、キャディーも務め娘2人をプロゴルファーに育て上げた。名前が売れると今度は民主党公認で参議院議員に当選したものの、暴力団組長との賭けゴルフ、女性に酒を強要し、裸にして落書きして写真を撮った、愛人とのケンカで包丁を持ち出し、首を絞めたなど次々とスキャンダルを起こしで民主党に離党届を出し、新党大地に移ったものの2013年政界を引退した。

石川遼もまた、親に育てられ、親に潰されるプロゴルファーになるのだろうか。

小保方晴子さんを信じたいのだが

scn14040913380STAP細胞の論文問題で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダー(30)が9日開いた記者会見を見た。

もとより真贋を見極めるほどの科学的知識はブログ子は持ち合わせていない。会見の冒頭、「私の不勉強、不注意、未熟さゆえに多くの疑念を生みました」と謝罪し、ネイチャーの論文の核心部分に改ざんと捏造があったとした理研調査委員会の最終報告については、「実験は確実に行われており、悪意をもってこの論文を仕上げたわけではない」と反論すると、フムフムとうなずくしかない。

調査委が「実験ノートが3年で2冊しかなく、どんな実験だったかを追跡できなかった」と指摘した点に関しては、小保方氏は「調査委に提出したのは2冊だが、実際にはもっと4,5冊は存在する」と説明すれば、長年の研究にしては実験ノートの数が少し少ないと思うものの「STAP細胞は200回以上作製に成功しており、真実です」と訴えられると、すっかり信じてしまい、素直に「人類の役に立ちたい」という言葉に感動さえした。

しかし、研究者からの反応は厳しいようだ。論文作成方法が「自己流だった」などとする弁明に、小保方氏の同僚からは「説明は納得できない」と厳しい声が上がる一方、蔵田伸雄・北海道大教授(科学技術倫理)の科学者としてどこが悪いのかを「指摘した以下の様な解説を聞くともう前途がないようにさえ思えてしますのだ。

曰く「多くの研究者は、実験で自分の立てた仮説に都合の悪い結果が出てしまった場合、そのデータを捨て、仮説を正当に証明できるデータが得られるのを待つ。だが、小保方晴子氏はSTAP論文のDNA解析画像でそれをせず、切り張りで見栄えを良くするという安易な道を選んだ。これを不正な改竄とした理研に対し、同氏が発表した不服申立書などからは、『どこが悪いのか』という思いがありありとうかがえた。科学者としての基礎的倫理観が身に付いていないと断じざるを得ない。会見では不注意を謝罪したが、不正と認定されるような論文を発表すること自体、知的誠実さに欠けている。人間としても科学者としても未熟な人が急に理研の研究ユニットリーダーとなり、成果を焦らされた結果だ。その意味では、小保方氏は犠牲者かもしれない。理研には『お前はまだその器じゃない。もっと学ぶべきことがある』と指導し、育てようとする上司はいなかったのか」(産経新聞での談話)

厳しいが納得できる。その理研のトップはノーベル賞受賞者の野依良治理事長である。理研の会見の直後に記者会見しては「理研の研究者の論文が信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことに対しおわびする」と謝罪、さらに「論文作成過程で重大な過誤があった。はなはだ遺憾」との見解を示していた。すこし結論が早過ぎるのでなないかと思ったのはブログ子だけだろうか。

はっきり言えばマスコミはブログ子とどっこいどっこいで、STAP細胞の科学的証明に立ち会うだけの力はない。だから豪華マンションにブランド物の金のなんたらをつけて、上司の理研幹部にしだれかかって・・・・といったたぐいの誰にもわかる下司なレベルに終始している。同じように、ノーベル賞受賞者だからすぐれた管理能力と統治能力を持ち合わせているというのは早計なのだ。事務方が書いたメモを深刻な表情で読み上げているノーベル賞学者の姿を見ると悪い時にシャッポに据えられて気の毒に、と思う。

小保方さんが200回成功したというのなら科学者が大勢立ち会って衆目の中で追試すれば一発ですむ話ではないか。「群盲象を撫でる」現状を見ると、科学者というのはよくよく世間常識とかけ離れているとしか思えない。

「はしたない」が通じない時代

はじめて車内で「化粧女」を見た時は、親の顔が見たいと思った。横丁の隠居なら「キツネを見てみろ。化けるのは夜か物陰だろ。明るいところで化けるんじゃないや」と言うところだ。ところがその後、車内でものを食べたり飲んだりする輩を見かけるようになった。

そんな折、英ロンドンの地下鉄の車内でものを食べる女性の写真を無断で撮影し、コメントと共に交流サイトのフェイスブックに投稿する行為が流行し、ロンドン交通局が手を焼いている、というニュースに出会った。

そうか、イギリスでも目をひそめる常識人が多いのだと思ってよく読んだら違った。

tumblr_m0o21bKiZu1r7bwpso1_500地下鉄内で飲食している女性の写真を投稿するよう不特定多数の人々に呼びかける「Women Who Eat on Tubes(地下鉄の車内でものを食べる女性たち)」と題されたサイトが開設されたところ1日で何万人も参加する人気になった。

問題になっているのは、、投稿された写真の女性が地下鉄を利用した時間や路線などの個人情報が公開されてしまうのではと懸念される点だという。

あるユーザーは、「写真の投稿は観察的な行為であって批判目的ではなく、威嚇やいじめにはあたらない」と反論。写真撮影の対象となった女性たちについて「彼女たちは愛情をもって受け入れられ、大事にされる。私たちは女性たちに地下鉄の車内での飲食を奨励しているのだ。彼女たちを小ばかにしているのではない」と主張しているという。

一方、地下鉄車内で写真を撮影されたある女性は、投稿されたサラダを食べている自身の写真とそれに添えられたコメントに屈辱感を覚えたという。「ページを運営している人たちは『威嚇やいじめではない』と言っているけど、私は被害者だと感じているし、傷ついた」と、自身のブログで訴えている。

撮る方も撮られる方も、車内での飲食を「はしたない」と思っているのではなく、もっぱら個人情報が晒されるという点にもっぱら関心がいっているのである。見苦しい、という点に思いが及ばないのはもはや文化の違いだとしか言えない。

学生時代、上野から青森まで列車で13時間くらいかかった。当然食べないわけにいかないから駅弁や停車駅のホームのそば屋でかっこむほかない。「ものを食べる行為というのは見苦しいものだ。人様の前で口動かすものではない」と親が教えた。長距離列車では許されるが通勤電車では「はしたない」、つまり「品がない」行為なのである。

電車で真っ先に駆け込んできた中学生らしき子どもが両手と帽子を広げて席取りをした行為をたしなめたら、親が睨みつけたので、「きちんとしつけなさい」といった事がある。

ブログ子が思うに、これは大家族制の崩壊と関係しているのではないか。親がダメでも祖父母や近所の大人が注意した。それがなくなって野放図な社会になったのだと思う。個人情報などよりも「はしたないものははしたない」のである。イギリスでも同じだ。

鉄道はもう一つ大事なものを運んでいる

東日本大震災で被災した岩手県の三陸鉄道(三鉄)は6日、最後まで不通となっていた北リアス線小本-田野畑間(10・5キロ)の運行を再開した。5日に開通した南リアス線と合わせた全107・6キロが1123日目に完全復旧し、開業30周年で再出発を果たした。

G20140303TTT0久慈市の久慈駅を6日早朝に発車した3両編成の上り一番列車には、鉄道ファンら50人以上が乗車した。遠くから駆けつけた「撮り鉄」「乗り鉄」も多かった。またNHKの連続ドラマ「あまちゃん」で袖ケ浜駅」として登場した堀内駅(普代村)付近などでは、住民が大漁旗を振って歓迎した。この日の記念列車では、古民家風の内装とした新型お座敷車両がお目見えした。住民の喜びぶりがひしひしと伝わってくる。

三陸鉄道は岩手県や沿岸部の市町村などが出資する第三セクター鉄道で、本社は岩手県宮古市。旧国鉄の赤字路線を転換、新たに整備した区間を加えて昭和59年4月1日に開業した。「三鉄」の愛称で親しまれてきたが、東日本大震災で線路や駅など317カ所が被害を受けた。枕木が宙に浮いている区間も多く、再起は不能とまで言われた。

三陸鉄道の望月正彦社長は「数字だけを考えたら、南リアス線を含む全線復旧は無理だった」。田老駅付近のがれき撤去のため、自衛隊の出動要請を願い出たら、自衛隊は素早く対応して撤去、地元消防団の尽力もあり10日後には一部だが運転再開にこぎつけた。経営努力もあった。「早期に着工することで資材高騰の影響を免れた。がれき撤去は地元の市町村がやってくれた」(ため、復旧費は92億円弱と当初計画より15%安く済んだ。何より大きいのは資金面で国の全面協力があったことだ。三陸鉄道が復興のシンボルであること理解して採算を度外視して支えた。こうして3年で復旧したのだ。

santetutizu140128全線開通と言っても地図を見ると南北のリアス線の間に釜石-宮古間はJR山田線がある。今も運休中だが復旧の目処が立っていない。何故か。JR東日本が黒字経営なので国の支援を受けられないのだ。JR東日本は最近になってこの区間の運行を三陸鉄道へ移管する再建策を地元に提案した。そうなるとこの路線の赤字体質はさらに深まる。三鉄の利用客は開業初年度の268万人から年々減少、2013年度は50万人にとどまっている。採算だけを考えたら全国で多くの赤字路線が廃線に追い込まれたのと同じ道をたどるほかない。

ブログ子は学生時代日本縦断旅行を仲間と計画、スクーターで三陸地方に入った。海岸線を南下するつもりだったが、当時は岩手の沿岸部は「日本のチベット」といわれたくらいで人の表情は暗く、三陸にはまともな道がなかった。国道とは名ばかりで大きな石ころだらけで車輪を取られ転倒が絶えない。やむなく内陸部に一旦入って4号線を走り、再度海岸の町に入るほかなかった。三陸鉄道はその後にこの三陸リアス海岸に開通した路線なのである。

明治以降、日本人は鉄道建設に全精力をつぎ込んだ。己が町の発展を鉄道で峠の向こうにつなげることに夢を託した。ブログ子の山小舎の最寄り駅は野辺山で、鉄道の日本最高地点というので記念写真を撮る人が多い。この小海線はIR東日本だが元は小さな私鉄の寄せ集めであった。篤志家が私財をつぎ込んで鉄道を敷設、資金が続かず破産したり、合併を繰り返しながらも佐久から山を超えて鉄路を開いていった。

小海線の終点は中央線の小さな途中駅、小淵沢である。諏訪湖の北を通って製糸業が盛んだった岡谷や少し先の塩尻まで敷く予定だったのが、資金が続かず、途中で急遽最寄りの中央線につないだためだ。こうして多くの人が鉄道に夢を託してきた。鉄路の先には自分や故郷の希望を見たのである。

三陸鉄道もまた然り。鉄道ファンとセンチメンタルな一時の観光客で経営が成り立つほど甘いものではない。東日本大震災の復興を言うならJR山田線に国費をつぎ込んで被災地の「全線開通」を目指して欲しいものだ。鉄道は乗客の他にもう一つ被災地の夢と希望を運んでいるのである。

無人機とは大仰な たかがラジコンにおののく韓国

ソウル北方で墜落しているのが発見された無人機が韓国に衝撃を与えている。積んでいたカメラを現像したら青瓦台(大統領府)を上空から撮影した精密写真が見つかったというので、国の中枢まで侵入を許しただけでなく察知すらできなかったと大騒ぎだ。

mujinki韓国国防省報道官は3日の記者会見で、韓国北西部の坡州(パジュ)に3月24日に墜落した無人機が「北朝鮮から来た可能性が高い」と述べた。政府として初めての公式見解だ。機体のバッテリーに書かれたハングルが北朝鮮独特のつづりだったことなどが根拠だ。

機体はレーダーで探知しにくいポリカーボネート製で、目視で発見されにくいよう水色などで塗られていた。韓国メディアは、機体下部に搭載されたカメラは日本のキヤノン製で、無人機は1回の任務で約2時間、150キロメートル程度を飛べると報じた。

国防省関係者の話や報道を総合すると、無人機は24日午前に韓国に入り時速100キロメートル程度でソウル市中心部の大統領府上空に到達。北朝鮮に引き返す途中に坡州で墜落した。この間に撮影した写真は193枚。無線装置はあるがカメラとは接続されていないため画像送信はできず、無人機が帰還後にデータを回収する仕組みだった。

3月31日には黄海上の島に別のタイプの無人機が墜落。こちらにはニコン製のカメラが積まれていた。東亜日報は「北朝鮮が1968年に武装工作員を送り込んで大統領府の裏山を突破したのと同じくらいの衝撃だ」と伝えた。小型の無人機を探知できる高出力レーダーを導入すべきだといった声も上がっている。(新聞各紙)

800px-MQ-9_Reaper_-_090609-F-0000M-777ブログ子は写真をみたが、ラジコンにしか見えない代物だ。この程度のものは所沢や利根川の河原にいけば愛好家がもっと大きいラジコンを毎日飛ばして遊んでいる。無人機というからにはMQ-9 リーパー(写真右)くらいのものに使ってもらいたい。ジェネラル・アトミックス社製で長い航続距離と高い監視能力および攻撃能力を持つハンターキラー無人機だ。衝撃を受けたのは軍事知識に疎い東亜日報記者だけで、軍の内部では北朝鮮の無人機開発レベルはまだ幼稚で偵察、攻撃力の点ではまだまだと安堵したことだろう。

無人機が撮影した大統領官邸

無人機が撮影した大統領官邸

ラジコンがレーダーにかからないことぐらい常識である。撮影された大統領官邸の鮮明な写真が脅威だというが、この程度のものはグーグルのサイトに行けばいつでも手に入る。余談だが昨年ブログ子の山小舎の屋根を張り替えた。Google Earthで屋根の色までわかるがまだ工事前の衛星写真の画像のままである。

中韓に技術移転しなかった日本のカメラ
ブログ子は墜落した2機に積まれていたカメラがキャノンとニコンという点にさもありなんという思いだ。ソチ五輪のキム・ヨナやサッカー場に群がる韓国のカメラマンを見ると全員日本製のカメラと望遠レンズを手にしている。中国のカメラマンも同様だ。何か事あると日本製品を叩き壊したり燃やしたりするお国柄である。悔しいけど日本製に頼るしかないのである。カメラを壊しても己が身に不自由が振りかかるだけだからやらない。

中韓とも重工業・軽工業問わず日本の技術供与で現在がある。クルマ、造船、繊維に至るまで日本は惜しげもなく与えた。もちろん彼らはカメラもほしがった。しかし精密工業の下地がなかった。カメラは本体の組み立て前にレンズ研磨やレンズ組み合わせで複雑な光学技術の裾野があってはじめて成り立つ業界だ。群馬県の研磨業者を知っているが、韓国から話があったが、微妙な職人芸を丸ごと向こうに持っていくことができないとわかって沙汰止みになった。

キャノンの大連工場を見たことがあるが、アジア各地から集められた複写機のカーボンの再処理専用で、周辺の村から集まった女子従業員が寮生活しながら働いていた。中国でカメラ本体の組み立ては考えていないと言っていた。技術移転はせず日本で買ってもらう方針なのだ。賢明な選択肢だ。お陰で新宿にあるキャノンとニコンのサービスセンターでは中国語と韓国語のお客さんがいっぱいである。

2つの国とも日本から教えられた技術をすぐ自国製として外国に売りつける。運用技術が大事だといってもいうことを聞かず車両だけ輸入した中国の新幹線がいい例だ。事故を起こしたら丸ごと埋めるという奇想天外な国柄である。ブラックボックスにして輸出するくらいのことをしないと危ない。こうして日本のカメラは追随を許さないでいられる。

ハワイの「TSUNAMI」マニュアル

4月2日 チリ北部沖でマグニチュード(M)8・2の地震が発生、気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸に津波注意報を発表した。津波の予想高はいずれの地域も1メートルだったが、午後0時22分岩手県の久慈港で60センチを観測したのが最高でいずれも被害を出すには至らなかった。

津波で破壊されたチリの漁船

津波で破壊されたチリの漁船

5年前のチリ大地震ではたかをくくって500人の死者を出したのでチリ政府は今回最大限の警戒態勢をとり、倒壊による数人の死者と怪我人以外津波による犠牲者は出さずにすみそうだ。フィリピンではわざわざ見物に海に近づいた人で死者を増やした。日本では自主的に避難所に入る人もいるほどで、津波に敏感なのは日本人だけかと思いがちだがそうではない。ブログ子はハワイで行き届いた避難対策を体験したことがある。

十勝沖地震は何度も大きいのがあるが、1980年代のM7・1の浦河沖地震だと思う。日本ではほとんど被害は出さなかったが大きな揺れだったらしい。「らしい」というのはこの時飛行機に乗っていた。発生は成田離陸直後だったので知る由もなく、早朝ホノルル空港に到着したが、物々しい雰囲気だ。

空港で聞くと「日本で大きな地震がありまもなくハワイにTSUNAMIが来そうだ。閉鎖されていて街には入れない」という。無理やりバスに乗せられてヌアヌパリ展望台に連れて行かれた。ここは以前新婚旅行で来たことがあるが、900メートルの崖の上にあり街並みと、太平洋が一望できる観光の名所である。その時は家内が強風で吹き飛ばされそうになったのだが、この日は穏やかで、すでにクルマで上がってきた大勢の人が海を眺めて今か今かと津波を待ち受けていた。

結局津波は30センチほどで警戒態勢は解除されたのでホテルに向かったが、そのとき通りかかったパイナップル畑は観光客を全部締め出し、従業員も避難していた。海に通じる道路は警官が遮断していた。ホテルに着くと「今整理中だ」とまた待たされた。その一人に聞くと、ホテルの1階の部屋にいたのだがTSUNMI警報と同時に3階の同じ番号の部屋の人と相部屋になった。2階の人は4階の同じ番号にという具合だという。フロントにはライフジャケットの山もあった。

よく言われることだが日本やハワイは太平洋というタライ(盥)に浮かぶ小島のようなもので、一旦地震が起きると波がぶつかり合う。浅くなるほど波のせり上がりは大きくなる。ハワイの人はそれを良く自覚していて上述のような避難マニュアルが行政、警察、施設で自動的に実施されるという。

中心になっているのはハワイのオアフ島にある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)だが、ここはハワイとアラスカで165人の犠牲者が出た1946年のアリューシャン地震を受けて、1949年に設立されたアメリカ海洋大気庁の施設。今回日本の気象庁は、ここの観測データとシミュレーション結果を付き合わせることで「最大1メートル」と予測した。

ブログ子がヌアヌパリに避難して太平洋を眺めていた時は津波の高さはまだ予測できなかった。着々と進歩しているのである。

今年のエイプリルフールは不作

なんといっても四月馬鹿の本場はイギリスだろう。毎年楽しみにしている。今年流れてきたニュースのトップは北朝鮮がらみ以下のようなもの。

 f99fd8d0-304e-4d11-b2ad-75ffb73885fa-460x351【ロンドン=内藤泰朗】エープリルフールの1日、英国の新聞各紙は恒例となっている「うその記事」を掲載、大衆紙デーリー・ミラーは、北朝鮮の金正恩第1書記が、英国の人気バンド「ワン・ダイレクション(1D)」のメンバーに自分と同じ髪形に変えない限り北朝鮮での演奏活動を認めない姿勢を示した、との記事を掲載した。

 記事によると、正恩氏は現在、世界で最も人気のある英国のバンドに、理髪店に行って、自分と同じ刈り上げスタイルに散髪するよう要求。北朝鮮では先週、男子学生らに、正恩氏と同じ髪形にする髪形統一令が出されたばかりだとした。

 また、平壌の消息筋の話として「われわれの指導者の髪形は非常に特別なもの。偉大でハンサムな指導者は、長髪を望んではいない。1Dはここでは、国家に許可された軍のように踊らなければならない」とのコメントも付けた。

ブログ子はジョンウンもIDも嫌いなのと興味がないのでフーンだが、このほか各紙には「立方体の卵販売へ」 「ペンギンが金の卵を産んだ」などの記事が掲載された。今年のベスト10を選んだ私家版もアップされている。

http://www.theguardian.com/media/2014/apr/01/april-fools-jokes-2014-best-web

日本でも、結構頑張っていて
◎DeNA陸上部は1984年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪男子マラソン代表の瀬古利彦総監督(57)の現役復帰をホームページ上で発表した。「今の男子マラソンの現状を考えると将来が心配。今、私が立ち上がらないと駄目だと思う」とコメンもついていたが瀬古本人と陸上競技の現状を考えると、冗談にもならない。

◎東京新聞は「東京五輪から各競技にブービー賞を出す」というもの。毎年力を入れているそうだが大して面白くもない。まあ、継続は力なりといった程度だ。

本場はなんといっても英国だろう。あのイギリス人がやるかというのが面白いのだが、毎年英国国営放送BBCを楽しみにしている。ここは1950年代からずっと「4月1日」に全社をあげて力を入れている。、今年のはもうひとつまどろっこしくておすすめできない。「April fools jokes」で検索をかけると過去のものまで見ることができるが、過去の名作では「ビッグベン(英議事堂の時計)がデジタル化されることになり、使わなくなった時計の長針と短針はオークションに出品されます」というものには、日本人船員が真っ先に応募してきた。「 鉄道の車両番号がバーコードに変更」というのもあった。

「暖冬と害虫駆除のおかげで、スイスではスパゲティが大豊作」とのニュースでは木からにょきにょきと生えたパスタを大量に収穫する映像が流れた。 「スパゲティのなる木はどうやって育てるのか」という問い合わせが視聴者から相次いだが、BBC側の回答がふるっていて「トマトソースの缶詰にスパゲティを添木として差し、それが育つのを期待しましょう」と洒落のめしてくれる。

ブログ子は以前紹介したことがあるが「空を飛ぶペンギンが発見された」(2008)が大好きだ。氷山の間を飛ぶ大群や編隊を組んで洞窟をくぐる画像は壮大で例えわかっていても圧巻だった。

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姿消す「ジャンボ」を操縦したことがある

3月31日でボーイング747「ジャンボ」が姿を消すというのでテレビ・新聞は就航44年を振り返る企画で一杯だ。ブログ子はこの397トンある巨体を操縦したことがある。もちろん実機ではなくシュミレーターでだが、羽田空港で着陸に失敗炎上させた。

G20140331TTT0700032G3000000なくなるといっても日本の航空会社からで、羽田には外国航空機がまだ離発着するし、何より政府専用機や日本航空貨物のジャンボがまだしばらく飛ぶ。嫌いだが流行り言葉風でいえば「私的」には、「ジャンボ」と、あとはプロペラ機だが初の国産航空機「YS-11」、今も豪まで消えたマレーシア機の捜索に出かけている「P-3C」機、これまた現在沖ノ鳥島での作業船転覆事故で出動している海上自衛隊の救難飛行艇「US-2」が、戦後の日本の空の名機だと思う。「US-2」以外みな乗ったことがある。

「ジャンボ」の初就航は昭和45年の7月ハワイ便だ。ブログ子はその3カ月前に新婚旅行でハワイに行ったばかりだったので地団駄を踏んだ。その時ホノルルの日本人観光客はパラパラだったが、「ジャンボ」による大量輸送時代に入りワイキキは日本人で溢れかえった。自分のサイト「八ケ岳の東から」でJALジャンボ機御巣鷹山に消ゆ」 を書いたが、この時の犠牲者520人は未だに破られない航空機事故のワースト記録なのも、その大座席数ゆえである。今回引退に至ったのも燃費が悪い4発の大型ジェットエンジンのせいでなにかにつけその「大型」が足を引っ張った。

地球上の大抵のところに直行できるという遠距離飛行力は、それまで主流だったアンカレッジに給油のため一時着陸する必要がなくなり、アンカレッジをたたの地方空港にしてしまった。

テレビに登場した現役パイロットが「ジャンボは手動で動かすところが多くてその分飛ばしているという実感がある」と語っているのを見て驚いた。自衛隊のブルーインパルスで戦後3本の指に入ると言われた名パイロットD氏と親しかったが、彼はその後JALで主に「ジャンボ」に乗っていた。内輪話を聞いたが、離陸してしまえばその後は操縦桿に足を乗せてコーヒーを飲んでいる、と言っていた。途中経路をインプットしてしまえばあとはほとんど自動操縦という最新の計器飛行ができるのだが、現在はさらに自動化が進んでいるということだろう。

ジャンボの操縦席

ジャンボの操縦席


ところでブログ子の「ジャンボ」操縦記だが、シュミレーターを房総沖からセットしてもらって羽田着陸を目指した。操縦桿を引けば機体は上に、左に回せば左に旋回という簡単さ。それに合わせて窓の外の景色は実機と同じく展開する。左回りで羽田沖上空に達し、浮かぶ漁船を見ながらゆっくり下降させた。右の表示板には機体の傾きと高度が正常なら緑の枠の中に刻々と数字と後ろからみた機体の形が浮いている。下げて滑走路に車輪を落としたらガツンと小さな衝撃音とバウンドが伝わってくる。すべて実機と同じ再現ぶりだ。ところがスピードが早過ぎる。右足の下のブレーキを踏んだ。するとどんどん機体が右に行き、滑走路を外れてバウンドしながら芝生の上を走り、ついには機首を突っ込んで炎上した。ものすごい音と衝撃。汗で手がビショビショ。パイロットが教えてくれたが、ブレーキと思ったのは垂直尾翼を動かすものだった。

「酉の市で熊手を買った」では通らない

昨日の孫娘の話の続きで恐縮だが、一番上の小3になる優妃の号泣の話。昨年、映画かアニメが知らないがあの「おしん」を観に行った。おばあちゃんが万一の時にとおしんのお守りにお金を縫いつけてくれたのを主人に盗んだと疑われて取り上げられるシーンがあった。その時優妃はすっくと座席を立ち、「それはおばあちゃんからもらったものだよー」と画面に向かい号泣しながら叫んだそうだ。大笑いしたのち、幼い子どもの正義感に胸を打たれたが、それほど金の出処が「きれい」かどうか証明するのは難しい。

stt14032721500015-p3みんなの党の渡辺喜美代表は27日、国会内で記者団に対し、化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から計8億円借り入れた事実を認めた。その上で「純粋に個人として借りた。違法性の認識はない」と述べ、選挙費用や政治資金に充てていないとし、代表辞任も否定した。具体例に使い途を問われて「酉の市でかなり大きい熊手」を買ったことを挙げた

政治資金規正法や公選法に抵触するから口が裂けても選挙に使ったとはいえない事情はわかるが、「熊手を買った」では通るまい。有り体に言えば、みんなの党で候補者を何十人か立てた際、軍資金として配ったものだろう。みんなの党を出て結の党を結成した江田憲司代表以下衆参両議員15人も貰ったのだろうが、貰った側は口をつぐみ知らぬ顔の半兵衛を決め込むから親分が責を負うしかあるまい。「渡辺の個人商店」と言われるみんなの党である。分裂する可能性が大である。

ブログ子は今年の年賀状で、野党は民主党、維新、みんな、結、社民こぞって「馬糞(まぐそ)の川流れ」を予測したが、以外に早く来た。それにしても「週刊新潮」で暴露した化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)も、会長の吉田嘉明氏(73)もはじめて聞く名前だ。検索したら千葉県の氏の豪邸の写真が出てきた。日本の金持ち10何番目かにランクされるそうだが、化粧品会社というのは8億円をポンと出せるほど儲かるものなのか。

驚いたのは佐賀県唐津市出身だということ。ブログ子の父は唐津の近くの寒村の出で、親戚の多くは今も市の近在にいて、先祖代々の墓は唐津市内にあり、ブログ子もいずれそちらにお世話になる身だが、周りにそれほどの金持ちは一人としていない。

政界には政治ゴロという手合からスポンサーを気取って政治を動かす「気分」に浸る趣味の持ち主までいろいろいる。何かと官庁の規制が多い業界ではなんとか免れたいと政治家に接近し、金で動かそうとする輩も多い。今回表に出たのは、規制が多い化粧品や健康食品分野で政治を動かそうとしたのだろう。なんでも吉田会長はみんなは維新と合流するべきだとの立場だったが、渡辺代表は、維新と一線を画し始めたために堪忍袋の緒を切った。分裂した結の党・江田憲司代表のその後の維新接近工作を見ると合点がいく。

27日の記者会見で「吉田さんの怒りを買った。言うことを聞かなければ追い落とすと言われ、それを実行に移された」と語っている。吉田会長は渡辺代表が江田一派の離党を認めないことに、メールでたびたび「会派離脱を認めるべきだ」と不満を露わにしていたそうだから、週刊誌を使って追い落とし工作に出たものだろう。

渡辺代表の父親は衆知のように「ミッチー」で親しまれた渡辺美智雄である。副総理、蔵相、外相などを歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖として総理の座を目指したが病に倒れた。

ミッチーはマスコミを大事にした。ブログ子は番記者ではなかったが何度もクルマに同乗したことがある。あるとき、赤坂見附で下車、私とカメラマンを自宅に誘った。一ツ木通りの魚屋でサンマかイワシか忘れたが、人数分買ってぶらぶらと歩き、赤坂の議員宿舎で自ら魚を焼いてくれた。その時ふすまの向こうからにこにこと現在とほとんど同じ顔で受験勉強していた息子を紹介してくれた。

派閥を率いてカネ集めに苦労した親父を見て、同じ手法でみんなの党の資金集めをしたのが落とし穴だった。今後分裂含みで推移するのだろうが、結の党も似た結末に向かうと見る。普通金を出した側は表に出ないものだが、今回はスポンサーに刺された政治家の最初のケースになるのではないか。今後、みんなの党から化粧品業界擁護の国会質問などが明らかになれば、金を出した側、受け取った側ともに受託収賄罪に問われる事件に発展しかねない。それほど高くつきそうな「熊手」なのである。

春眠暁を覚えず

みんなの党・渡辺代表の8億円のことを書く予定だったが、孫3人を乗せてなぜか遠く川崎の映画館に送っていく用事を仰せつかった。書いている時間がない。折しも春うらら。眠くなるような漢詩と、眠くてしょうがない子猫の動画でお茶を濁す。
shungyou
有名な孟浩然の「春暁」である。

春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ

と読むが、くどく説明するより、文豪、井伏鱒二の「名訳詩」がある。

ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨ガマジリ
散ツタ木ノ花イカホドバカリ       
(「厄除け詩集」より)

さらにこの情景を絵にした動画が下記。

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snikonPX_0054_右の写真はこの日送り届けた孫3人。
優妃(小3)は映画ですぐ泣くそうで、それも周りの人が振り向くくらいの号泣だといいいます。
この日のディズニー映画もはじめの方にその号泣ポイントが有るというので、チカちゃん(叔母)に
タオル地のハンカチを用意してもらっていました。
美妃(小1)は東京都の読書感想文コンクールで「特選」をもらいました。
真妃(幼稚園年少)は昨日歯が抜けたそうで、見てみてと披露してくれました。大きくなってこの日はじめて
映画鑑賞に連れていってもらって興奮しきり。

以上、この日運転席で仕入れたビッグニュース。春らんまんです。

こんなにひどい冤罪聞いたことがない

裁判原稿はいくつも書き、いろんな法廷を見てきた。人権派弁護士が手柄を競い、多くの死刑確定囚に再審請求する風潮をどうかと思っている一人だが、今回の袴田事件ほどひどい冤罪事件は見たことがない。証拠を捏造したと思われる警察・検察官、そして素人でもわかる証拠品を前にして漫然として死刑判決を下したこれまでの7人の裁判官の罪は重い。

hakamada死刑囚の再審が認められるのは6例目である。異常に多い。このブログでも以前書いたことがあるが、戦後すぐの国警時代から県警時代に移行したあたりの事件が多い。それまでの自白偏重から証拠第一の科学捜査に変わったあたりだが、現場ではまだ自白がとれたらもう事件はおしまいという雰囲気が続いていた。証拠集めも証拠保全もおろそかで、それがのちのち法廷での審理に耐えられないというケースだ。

ところが今回は法廷で求められる証拠を捏造した疑いがあるという。これはもう警察の犯罪である。死刑囚はみな無罪と言われてもいいわけができない。そうではないことを知っているが、今回再審が認められるに至るまで2つの幸運がある。一つは裁判員制度とともに証拠品開示請求ができるようになり、それまで検察側が隠し通すことができた証拠品を出させることができるようになった。今回600点にもなる。もう一つはDNA鑑定の技術が進んだこと。10年前の再審請求時には古くなった遺留品からの検出はできなかったが、現在はできる。

今回の裁判で明らかになったが、警察が1年後に味噌樽から見つかったとするシャツやズボンの血痕の不自然さは素人目にも一目瞭然である。1年も味噌漬けになっていたらシャツは真っ黒であれほど白地があるわけがない。途中の裁判では裁判官はこの遺留品を見ているわけで、味噌漬け布地の異常な白さになぜ気づかなかったのか。

ブログ子は新聞社の静岡支局長をしていた時期がある。現在は静岡市と合併しているが当時は清水市で、そこの袴田事件(当時の事件名は「清水市の味噌会社専務一家4人殺害事件」)ファイルを見た。ただ死刑が確定した後だったし当時は昭和天皇の御不例に備えて県内関係者名簿のチェックが優先で、袴田事件の方は不思議に思わず、その時にコメントを取る関係者の連絡先を整理するにとどまった。

すでに無罪を訴える声があったのに調べなかった不明を恥じるばかりだが、釈放された袴田巌さん(78)は東京拘置所を足を引きずりながら出てきた。48年間死を目前にする生活で認知症に似た拘禁症状もあるという。ホテルに向かう途中にそれまで乗ったことがないクルマに酔い、しばらく休憩したという報道に言葉を失うばかりだった。

余計なことだが補償金は1億円に近い金額になるのではないか。できないことをわかって言うのだが、冤罪に関わった捜査関係者と7人の裁判官に弁償させたい。

中国公安に拘束の2教授は「転んだ」

このところ日本の大学で教鞭をとる中国人教授が中国に一時帰国したところを拘束され、長期間尋問された上、そっと日本に戻っていたという事件が相次いでいる。これは何を意味しているのか。

朱建栄教授

朱建栄教授

一人は昨年7月から上海で消息不明となり、中国当局に身柄を拘束されていた東洋学園大学(東京都)の 朱建栄教授56)。朱氏は1957年、上海出身。86年に来日し、同大学教授を務める一方、在日中国人研究者らで作る「日本華人教授会」の初代代表として、日中関係について活発な言論活動を行っていた。

大学の発表によると朱氏は昨年夏、情報機関である中国国家安全省に身柄を拘束され、日本での活動などについて事情を聴取されていた。朱氏は半年後の今年1月17日に解放され、高齢の実母の介護を兼ねて上海市内にとどまっていたが、その後日本に戻った。

朱氏は(1)研究者としての資料収集が中国の法令に触れていないか(2)相互理解を掲げた日中両国間での活動の内容-について、当局の調査を受けてきた。朱氏は同大学に対し、「研究者としての活動に不適切なものはなかった」との内容を述べているという。

朱教授はブログ子もテレビの中国関係のコメンテーターとして出ていたのを知っている。この人の癖で口の周りにいっぱいツバをためて、それこそ、口角泡を飛ばして語るしゃべリ方がおぞましく、すぐテレビを消していたので、判然とはしないが、そうとう中国一辺倒の発言だったように思う。それが中国官憲に拘束されるというのがもう一つよくわからない。

王柯教授

王柯教授

もう一人は神戸大大学院国際文化学研究科の王柯教授(57)。同教授は3月1~10日の予定で中国に出張していたが、帰国予定の10日に「母親の具合が悪くなったので様子を見に行く。10日ほどかかる」と日本の家族に連絡した後、所在が分からなくなった。家族が母親に連絡をとったが母親は元気で本人が訪ねて行った形跡はなかった。

王教授は中国・新疆ウイグル自治区のウイグル族の研究などで知られる人物だというが、中国側が最も神経を尖らせている分野だけにその方でなにか問題行動があったのかと窺わせたが、こちらも2週間後に突然釈放されて帰国、25日夜、神戸市灘区の神戸大で記者会見し、現地警察に身柄を拘束されていたと明らかにした。

王教授は「研究の中で中国の法律に触れるような行動があり、取り調べを受けていた」と説明。今月3日から福建省泉州市でイスラム系少数民族の聞き取り調査をし、その途中の7日に拘束され調べを受けたが、起訴には至らないと判断され、24日午前中に解放されたという。

戦前戦後を通して日本でも公安警察が共産党関係者をこうした調べ方をした時代があった。釈放された人の多くは転向するか内通者として組織に戻るかの道を選んだ。公安ではこういうのを「転んだ」という言い方をした。2教授とも中国に家族を人質に取られているという弱みを握られている。常識では「転んだ」と判断されるケースである。まあ、今後の発言を見ていればわかることではあるが。

中共政府が日本国内の中国人をしっかり監視していることがこれでわかるが、100%の言論の自由を謳歌している日本人もしっかり監視しているのである。ブログ子はその監視対象の新聞社にいたので大連のホテルでその一端を経験した。