人間不信に陥った犬が信頼を取り戻すまで

まもなくGWである。ブログ子も八ケ岳の我が山墅に入ることにしているが、例年真っ先に敷地に眠る犬たちの墓を訪れて、しばし昔の楽しかった思い出に浸るのを常としている。今年は大雪だったというから、彼らのところにはまだ雪が残るかもしれない。

無心に慕ってくれた犬たちを裏切ることなどブログ子の家庭では考えられないが、世の中には虐待した上捨てるという人間がいる。そういう輩は最初からペットなど飼わなければいいと思うのだが、そういうのに限って真っ先に保健所に引き取りに現れる。

以下に紹介する動画は、虐待されボロボロの状態だった犬が人間への信頼を取り戻していくストーリーである。人間にはひどい奴ばかりでないことをわかってくれたかと安堵してうるうるしてしまう。あらすじはこうだ。

昨年12月、米ロサンゼルス市の動物保護グループ「Bill Foundation」が、ボロボロの状態の犬が1匹いるとの連絡を受けた。
保護するために現場に出向いた同グループのアン・ハートさんは、首にひどい裂傷を負い細菌・真菌感染症を起こしているピットブルを見つけた。
しかし保護しようにも人間を見ると犬は逃げ出し、人間への怖れでブルブルと震えるばかり。
3時間かけて何とか保護センターに連れて帰ったところ、犬に埋め込まれているマイクロチップから、名前が “ギデオン” であることが判明。「飼い主は心配して探しているに違いない」と連絡を取ったら、「もうギデオンはいりません」と冷たく電話を切られてしまった。
ギデオンは身体的虐待だけでなく無視による精神的な虐待も受けていたためよれよれになっていた。
しかし、数週間にわたる治療ですっかり健康を取り戻したギデオンは、スタッフの献身的な愛情で、3か月後にはあれほど怖がった人間への信頼を取り戻し、身体をすり寄せるまでになったのである。

この動画は表記の動物保護グループが寄付を募るためにつくったアピール動画だが、撮影は実話である。ビットブルという犬種ははじめて知ったが今はやりの言葉で言えば「ブサ可愛い」となるのだろう、ブログ子のサイトで「アナスタシアが行く」という項を書いた。仔犬の時から亡くなるまでの記録だが、どういうわけかここ1カ月ほど前からアクセスランキングの1位と2位を行き来している。見知らぬ人が墓参りをしてくれているようで嬉しい。

アナスタシアが亡くなって間もなく八千草薫さんのお宅の愛犬も亡くなった。半年ほどあと同じ犬種と散歩している彼女と立ち話した。

「お互いの寿命を考えて躊躇したのですが、もしもの時はこの子を世話してくださるという方があったので決意しました]
こういう人こそ本当の愛犬家だと思った。

バカ正直すぎる日本の調査捕鯨

PK20140419021政府は18日、日本が北西太平洋で行う調査捕鯨を、クジラの捕獲頭数を4割以上減らした上で2014年度も継続すると発表した。

国際司法裁判所が3月に国際捕鯨取締条約違反と判断し、14年度は実施を断念した南極海の調査捕鯨は、今年秋までに新たな計画を策定、15年度の再開を目指す方針も決めた。

ハーグの判決ショックからようやく立ち直りつつあるようなニュースである。日本はいいか悪いか、遵法精神に富んだ国で、国際司法裁判所というからには公明正大な判決が下されると盲信しているきらいがある。日本は一人判事枠を持っていて、現在は皇太子妃雅子さんの父、小和田恆氏である。当事国というので今回は外されたので日本の弁護にあたることはできなかった。しかし判事15人中10人が反捕鯨国というのでは勝負はハナから決まっていた。

ブログ子は小和田氏の前任で24年間も判事だった小田滋氏とオランダでゴルフをしたことがある。マーストリヒトのイタリア料理店 での打ち上げで隣だったので少し話をした。判事はそれぞれの国の国益を代表している部分があり純然と法律論だけ戦わしている わけでもないとか国際司法裁判所に来るまでにいくつものハードル(当事国双方の同意など)があり審理件数は少ないことなど だった。最後はヒマでいくらでもゴルフに時間を割けるという笑い話で終わった。

勝訴したとはいえオーストラリアのアボット首相の談話は苦衷がにじみ出ていた。提訴した時は反日で凝り固まった労働党のラッド首相の時である。シーシェパードにオーストラリア国旗を掲げることを許し、高速艇で調査船の周りを走り回って火炎瓶を投げつけるのを黙認していた。

そのころブログ子の山墅に駐日オーストラリア大使館の公使たちがやってきて2、3日寝泊まりしていった。経済担当でオージーワインを何本もふるまってくれたので、どうしてそんなにシーシェパードの肩を持つのか聞いた。ラッド首相も外務大臣も閣僚のほとんどは反捕鯨派でいずれも対日強硬派だと言って首をすくめてみせた。

ところが昨年9月8日オーストラリアで6年ぶりの政権交代が起こった。労働党が大敗し、自由党を中心とする保守連合が政権奪還した。与党の自由党アボット首相は、第二の貿易相手国である日本との経済関係を大事にする政策をとっている。勝訴と聞いても「捕鯨問題は私自身大変憂慮しているが、日本もこの件については我々の立場をよく理解していると思う。豪日関係はとてつもなく重大だ」と述べ、捕鯨問題でこれ以上、日本を追及しない姿勢を強調した。喜び勇んだコメントではなかったのはこうした事情からだ。

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

ところで隣の韓国である。同じくくじらを食べる食文化を持つがこの問題には口を閉ざして知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。そしてKBSのニュースサイトによると、韓国領海内でクジラの数が激増しているとかで、韓国の沿岸で、“偶然に網にかかって”捕獲されたクジラは合わせて年間で2350頭、1日平均6・4頭に上っているという。これは日本の調査捕鯨で捕獲されるクジラのおよそ2倍以上の数字だ。

管理対象の13種類の大型鯨類についてはノルウェー、アイスランドのほか「原住民生存捕鯨枠」によるアメリカ・ロシア・デンマーク(グリーンランド)の北極圏先住民族が継続しているが、韓国はその中にも入らない“偶然に網にかかった”2350頭が潤沢に国内に出回り、すでに日本に輸出しているくらいである。

そういえばブログ子は鯨のベーコンを酒の肴にしていたものだが、遠慮してもう30年は遠ざかっている。どうも日本はバカ正直がすぎるのではないか。欧米はただ油を取るためだけに捕鯨に邁進したが日本では余さず食べている。命を大切にした日本固有の食文化であると叫んでいても訴求力がない。世界はもっと狡猾である。

メンツにこだわる時ではあるまいに

いつも思うことだが韓国人の激する姿にはただ驚かされるばかりである。

旅客船「セウォル号」(6825トン)沈没事故で、朴槿恵大統領が17日、行方不明者の家族が集まる珍島の体育館を訪れたというので、日本の天皇皇后両陛下が被災地を訪れられるときのように、「つらい思いをさせましたね」という慰めの声に、自分を抑えた声で謝意を述べる静謐な光景を想像した。

kor14041721030しかし韓国ではまるで違った。政府の捜索活動が遅れていると不満を持つ家族が大統領に「こんなところにいないで早く対策でも立てろ 」などと罵声を浴びせ詰め寄った。朴氏が説明しようとする間も家族らは大声で不満を延べ大統領は困惑の表情で立ち往生したという。

同じく体育館を訪れた鄭烘原(チョン・ホンウォン)首相はSPともども水をぶっかけられた。

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

この首相は1月、日本の野田前首相が「韓国トップが米欧に行っては、女学生のような『言いつけ外交』で日本を批判している」と述べたのに「政界の主要人物が大韓民国の国家元首に対して無礼極まりない発言をしており、忍耐の限界を感じる」と強く批判した人物だが、「無礼極まる行為」を前にそそくさと逃げ出している。

驚いたのは朴槿恵大統領の反応だ。家族が捜索状況を知らされていないと不満を述べると「真っ先にご家族に知らせなければならないでしょう」とそばにいる担当閣僚を叱責し「最後の1人まで助けるよう最善を尽くす」と約束して会場を立ち去った。およそ一国のトップが取る態度ではない。自分は女帝気取りで、責任は皆部下に押しつけるような人物が人心掌握できるとは思えない。

家族の怒りの向け先も日本とは異質だ。修学旅行を実施した高校の校長が謝まっていると生徒の父兄がこれまた何か叫びながら水をぶっかけているテレビを見た。高校もいわば被害者なのだが、こうなるともう見境がつかない怒りの向け方である。校長も校長で教員を壇上に並べて土下座していた。

この海難事故を前に日本の海上保安庁は事故翌日に韓国の海洋警察庁に救助活動の支援を打診したところ、韓国側は辞退した。防衛省も掃海母艦などの艦艇4隻やダイバーらを佐世保基地(長崎県)や呉基地(広島県)などに待機させていて「要請があった場合には速やかに対応したい」としているが、反応はない。

韓国の海洋警察庁は日本の海上保安庁を模して作られた。ここには特殊救難隊「海猿」がいる。掃海母艦は今回沈んだ船より大型で潜水、救難、救護、搬送(ヘリ)に対応できるすぐれものだ。テレビを見ると一人ずつかごに入れてヘリに釣り上げているし、船内捜索も相当遅い。メンツを捨てて要請してくれたらきっと役立つと思うのだが。

船長は、入社4か月の20代の女性3等航海士に操舵をまかせ休息していて、事故後、機関士や操舵手ら乗員6人とともに最初に救助された。北大西洋で沈んだ「タイタニック号」の船長も、太平洋戦争中沈められた日本の多くの艦長も船とともに運命を共にした。それほどの責任感を持った職責だと思っていたのを一変させたのは2年前、イタリア中部沖合で32人が死亡・行方不明になった大型客船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故だ。乗員乗客を置き去りにして船外に脱出し、沿岸警備隊の「船に戻れ」との指示にも従わなかった。

モラルが以前と一変しているのである。個人も国家も。韓国の理不尽な反日も国内事情からと理解しているが、一つの船舶事故から、こういう国柄と人柄に起因していることを知るのである

メディアまで目をそむけてはならない

アメリカの新聞の電子版を見ていたら今年のピュリツァー賞の受賞者が出ていた。メーンの公益部門では米国家安全保障局(NSA)の情報収集活動の実態を伝えた米紙ワシントン・ポストと英紙ガーディアンが選ばれたのだが、特集写真部門はボストン・マラソン爆弾テロの被害者を撮影したニューヨーク・タイムズのジョシュ・ヘイナー氏の作品が選ばれた。その写真を見て衝撃を受けた。
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死者4人、重軽傷者260人以上を出した昨年のボストン・マラソンを狙ったテロで両足を失った20代のランナーがリハビリする姿や義足をつけてガールフレンドに支えられて社会復帰するまでの10枚の写真で受賞したのだが、その一枚は男性が病院のベッドに仰向けで両手をひろげている。事件から1か月後にリハビリに励んでいるシーンだという。

日本の新聞では一紙として掲載したところはなかった。メディアの中にいたからわかるが、残酷だという理由だ。受賞発表がちょうど事件から1周年という時だったので、ボストンで開かれた式典で旗を持ち行進する警察や消防のパレード、遺族らが現場の路上に花輪をささげる姿をもっぱら紹介していた。参加したバイデン米副大統領は「私たちはテロに屈服することを拒否する。恐怖のため譲歩すること、何かを変えることを拒否する」と訴えたという。

この一枚の写真はテロへの戦いを何より象徴している。事実アメリカでは何紙かが掲載していた。それによるとこの青年はバウマンさんといい、この夏には、子どもが生まれるという。そういうことを知ってもう一度写真を見ると、彼の不屈の精神に感動するのだが、日本のメディアはこの写真を「自主的判断」で葬った。

imagesこの記事のそばにあったニュースだが、爆弾から5メートルの場所で被害に遭いアキレス腱が吹き飛ぶ重傷を負ったピーター・ディマルティーノさんの結婚話が紹介されていた。当時ピーターさんの隣にいて同じく重傷を負ったレベッカ・グレゴリーさんと一周年を前に結婚式を挙げたが、彼女は6月に左足を切断する予定だという。「私たちは幸せです。この1年でひどいことや恐怖も味わいましたが、私たちの関係はとても強くなりました」(レベッカ・グレゴリーさん)というコメントもついていた。

むごたらしいシーン、個人情報に関わる写真、ウクライナのFEMENという、乳房を露わに反プーチンなどのボディーペインティングを書いて走り回る女性の写真では「18禁」のガードが掛けられるなど、報道機関による自主規制が年ごとにひどくなる。配慮が必要なものがあるのは当然だが、こう機械的に一般の目から遮断するのは報道の自滅を意味する。

ブログ子は写真に一瞬は躊躇したが、裏側のストーリーを読んで感動し、「私たちはテロに屈服することを拒否する」という彼らの高らかなメッセージを読み取った。

ものは言いよう、「日本の桜、韓国起源」説

自分のサイトに「さくら」という項目を書いている手前、毎年あちこちの一本桜を訪ね歩いていたが、今年はやめた。近場を渉猟し尽くし、残るは遠方ばかりになって億劫になったためだが、もう一つ、今年は山はまれに見る大雪で、きっと桜は遅いと見ていたのが、豈図らんや例年よりずっと早くなり、用意が整わぬうちに満開になったことがある。

s_s21_RTR3K0ZS用事で通りかかった千鳥ヶ淵の満開をみて、今年はじめて開放された皇居「乾門の通り抜け」に馳せ参じたが大勢集まりすぎたと予定時間より早く閉門されて機会を失った。日本人がこの季節、こころを一つに桜に寄せる愛情につくづくいい国柄だと思う。

ところが、毎年韓国からは「日本の桜は韓国起源」説なるものが流されてくる。日本人の多くは、例えそうであっても一向に構わないと思うところだが、その執拗さに辟易する。済州島にその原木なるものがあるとかで、みた人によると明らかにソメイヨシノ(染井吉野)だという。

これで明らかに出鱈目だということがわかる。染井村(現在の駒込あたり)の植木屋が名所として名高い大和の吉野山にあやかって「吉野」「吉野桜」として売り出した。その後、植物学者の調査でヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」で染井村の名を取り「染井吉野」と命名した。 葉より先に花が咲くのと成長が早いのが重宝され、一気に広まったものだ。ソメイヨシノは不稔性ですべてクローンだから済州島に原木があるはずがないのである。

韓国人はなぜこうもこだわるのか。ネットである中国人が韓国で聞いた桜の生い立ちという話でなるほど、と思った。己が屈折した日本人へのコンプレックスの裏返しで、自分を納得させるために作り上げたものなのだ。

2014年4月15日、韓国を旅行した中国人韓国客が、桜について現地で聞いた情報をもとにブログをつづっている。以下はその概要。

人々は日本を桜の国と称えるが、韓国の桜も美しいと勧められ、今春は韓国を訪れることにした。聞くところによると、日本の桜は韓国から伝わったものだという。日本に伝わる前、韓国の桜の数はそれほど多くはなかった。1918~1948年、日本は韓国を占領し、大量の桜の木を植えたことで、韓国でも至る所で桜が見られるようになったという。

1948年に独立して以降、韓国人たちにとって桜は憎悪の対象で、植物界の侵入者・植民者と見ていた。しかし、韓国の学者が、日本の桜は韓国から伝わったものだと発表した。日本の桜が韓国から伝わったならば、日本人が韓国で植えた桜は韓国の桜の子孫だということになり、拒絶する理由はなくなる。そこで、韓国人は桜に対する態度を改め、次第に受け入れて行くようになったのだという。

現在、韓国にもたくさんの桜の木が存在し、毎年、ソウルや釜山、済州島などで各種のイベントが行われる。人々は桜を愛で、歌や踊りをし、酒を飲み、伝統的なお菓子を食べてにぎやかに過ごす。韓国の桜は多くが薄ピンク色(ソメイヨシノ)だ。(Record China)

関係修復のため日韓の外務省高官会議が始まった。ありもしない従軍慰安婦を押し付け、条約で解決済みの戦時賠償も裁判所と一緒に平気で蒸し返し、間違いだらけの歴史認識を押し付けるのだろう。ソメイヨシノと同じで己が歴史の自己撞着から抜け出す方が先なのに。やれやれ難儀な国である。

子どもの入学式が後生大事な時代

埼玉県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。

これに対し、この入学式に来賓として出席した江野幸一県議は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨しており、県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としているが、県教委では、欠席した女性教諭や校長らの処分などは検討していないという。
(埼玉新聞)

この高校では入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明、女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。

ネットでは
「本当に怒り心頭です。 教員の責任感や倫理観、モラルとはどうなっているのでしょうか?」
「こんな程度の人格の教員は、生徒を指導する資格など無く、即刻担任を外すべきでだ」
「権利ばかり言う教員はいらない」
「教員は、教育という一番大事な事柄を担っているということを自覚してもらいたい」

と批判する声が殺到した一方で、『Twitter』などでは
「教え子より自分の子が大事なのは当たり前」
「教師を聖職として特別視しすぎている」
と、教諭の行動は問題ないとする意見も多数ある。

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いつから日本の親はかくも己の子どもの入学式や卒業式を大事にするようになったのか。同じ頃(11日)、東京大学の入学式が東京・千代田区の日本武道館で行われ、3158人の新入生の他、多数の保護者が出席した。写真を見ると2、3階席は父兄でいっぱいである。誰も数えていないがみたところ子どもの2倍は優に超えている。

式では、教養学部の石井学部長が研究論文でのコピー&ペーストの問題にふれ、新入生に「自分だけの言葉を鍛えあげてほしい」と述べ、「他者の思考の模倣にならないために、ひたすら本を読むこと」と読書の重要性を訴えたそうだ。まるで幼児に心得を説くあんばいだ。自分でものを考え、書き、本を読まないような輩は学生ではない。

ブログ子が振り返ってみても小、中、高、大の入学式、卒業式に親が来たことは一度もない。両親どちらかがいつも入院していたので毎度枕頭に報告に行くだけという事情や、私立の小中だったので上に行くのは当たり前で親子とも別に嬉しくもなかった。高校の入学式はまた親は病院で、卒業式は入試とかち合う頃なので卒業生自体出席が少なかった。大学は遠く札幌に行ったので、はなから期待しなかった。自分の事情ばかりでなく、周りをみても親の姿はパラパラだった。

近頃「子離れ」できない親が増えたのは、子どもに過大な期待をかけすぎる風潮と関係しているのだろう。自分ができなかったことを子どもに期待するのは土台無理というものなのに、それをわきまえない親が増えた。加えて親も子も、学校、大学さえも幼稚化してきた。

かくいう私も娘二人の入学・卒業式には出なかったが家内はせっせと出席した。孫娘3人の入学式(卒業式はまだない)には誘われなかったので出なかったが、声が掛かれば馳せ参じたであろうから偉そうなことはいえないのだが、少なくともこの教師の前では「仰げば尊し」を歌う気にはなれない。「公」「私」の判断力がはなから逆転していて、愚かさを恬として恥じていない。

毎度書いていることだが教師と言うのは「聖職」である。ブログ子の小学校の先生は黒板に楷書で正方形に字を書いた。お陰で教え子は今も皆楷書で字を書いている。それほど影響力がある。先生には。

立身出世を煽るということなのか、日教組の指導あってか近頃「仰げば尊し」はとんと聞かれなくなった。中でも2番の歌詞は歌われることがないが、こうである。

2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば

ついに「芥川・直木賞」を上回った「本屋大賞」

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

全国の書店員が「最も売りたい本」を選ぶ2014年本屋大賞に和田竜さん(44)の「村上海賊の娘」(新潮社)が選ばれ、さる8日に東京都内で授賞式が行われた。 和田さんは大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。繊維業界紙記者などを経て、自作脚本を小説化した「のぼうの城」で平成19年に作家デビューした。脚本家から小説家への転身だが本はめきめき売れているそうだ。引き換えて先日発表になた芥川・直木賞の場合、誰が貰ったか思い出せる人はそういないだろう。

つまり、話題性・影響力・売れ行きで「本屋大賞」が「芥川・直木賞」を上回ったのである。こうなった原因は話題作りに腐心するあまり本来の文学性や面白さを追求するという「芥川・直木賞」の源流を文藝春秋社が見失ったためだろう。やたら「女流」を並べてみたり、社会への反抗心を露わにする作家の卵を候補作に入れたり、経歴の変わった人物を入れたり毎回「作為的」にすぎるのではないか。

その点「本屋大賞」の方は日頃本が好きでたまらない、かつまたよく読んでいる本屋の店員諸氏が「他の人にも読ませたい」という一点で推薦しているわけで、訴求力の点でかなり違う。芥川賞などは文章学という面をもっと前面に出し新しい文体とか表現力を審査すべきだろうと思うのだが、どちらのジャンルに入れるべきか定かでないものがみかけられる。

以前は「文章読本」を著した谷崎潤一郎とか伊藤正が審査員に入っていたものだが、大江健三郎などが主なメンバーになった。ノーベル文学賞作家と言ってもあのもってまわった切れ目のない文章を思うとうんざりしてしまう。それが選評を書くのだから簡単な話もまるで左翼文学評である。朝日新聞以外耳を傾けるメディアはいないのではないか。

金田浩一呂という文芸記者と親しくしていた。新喜楽での「芥川・直木賞」選考会には戦後ほぼすべて顔を出しており、文藝春秋の司会者が床の間で居眠りしている男に必ず最後に「金田さんよろしいでしょうか」と声を掛けた名物記者である。遠藤周作や曽野綾子、三浦朱門、阿川弘之といった作家と親しく、毎回候補作を読んでいて選考会前に「金田講評」を聞くのを楽しみにしていたが先年亡くなり、以来新喜楽に興味がなくなった。

そして毎回の話題先行、紙面掲載3日後には忘れ去られるという現状に「文春はいじりすぎだ」との感を深くしていた。今後もメデイアの「本屋大賞」への傾斜は続くと思う。

天気予報をナメている

NHK名古屋が10日「長野市の降水確率として発表してきたものは、実は名古屋市でした」と謝った。1年間も表示ミスを続けたというので驚いていたら、今度はNHK高知放送局が13日、高知県内ニュース番組の天気コーナーで、県西部の「晴れ」「雨」などを示す天気記号を、誤って表示していたと明らかにした。4年間、東部と西部が同一の天気表示だったことになる。

天気予報がいかに誰も見ていないかという証左で笑い話のタネにされるであろうが、実は大違いなのである。天気予報は気象庁が20キロ四方をひとつの区画(メッシュというが)として予報を出している(大都市では5キロ四方も)。今回NHKの失態が起きたのは、他に民放やケイタイで情報を取ることができる大きな都市だったから誰からも頼りにされていなかった。

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

しかし都市から離れた辺鄙な場所ではそうではない。天気予報は大事なものなのだ。例えば我が山墅がある八ケ岳である。放送で流されるのは「長野中部」という予報で松本、茅野のもの、週間予報ときたらはるか遠くの長野市のものである。間に標高が高い赤岳、横岳がありその東側にある野辺山、川上村の方ではころっと天候が違う。にも関わらず夏の一時期夕方の地方ニュースの時間に「夏沢峠」という10キロほど先の山の天気情報がチラっと流されるだけである。

登山者や行楽、高原野菜農家のためにも「野辺山」に特化した気象情報が必要だと訴えてきたが、最寄りの村役場も、NHK長野放送局でも相手にされることはなかった。行政はそこまで思い浮かぶ知恵がなかったのだろう、NHKは面倒くさかったか「中部」には違いないのだから現状でいいと思ったのだろう。

しかたがないので民間の気象情報会社に頼んで「野辺山」というメッシュの予報を自前で流し始めた。右上の天気予報図がそうで1日3回最新の予報が更新されている。そこそこの役に立っているとは思ったがものすごいアクセスがあったことを昨年末知った。気象会社のサーバーの変更で更新が止まった。ブログ子は気づかなかったのだが、しばらくすると再開の要望が舞い込み始めたのである。

今度はポケットマネーをはたいてそこそこの金額で会社と契約をした。きちんと流れ始めたのを機会にアクセスログといって利用状況がわかる仕組みがあるので調べたら、このサイトを覗いた人の数がわかるページビューという数字が一日3万から5万という間を上下している中でその3分の一以上、1万から2万の人がこの小さい天気予報を利用していたのである。

登山者仲間の連絡でこのサイトのアドレスがやりとりされ「前日までにここの予報を見て判断して決行する」といった書き込みがあったり、ツーリングの行き先判断に使われていることがわかった。

余談だが天気予報は最大の軍事情報である。戦時では極秘扱いだ。日本はスーパーコンピューターを駆使して気象衛星の情報や最先端のレーダーで解析していてその能力は世界でも有数のものだ。台風の進路予想が次第に精度を上げていることはみなさんも気づいていることだろう。そしてこの観測情報を惜しげもなく韓国、あの中国にも流している。北朝鮮は独自に日本の放送を聞いているのだろう。これらの国々からは一言の礼も返って来ないが。

天気予報はテレビのコーナーでは刺し身のつまの扱いだが、重宝されているように、こうした地方の片隅の天気情報もまた求められているのである。4年も間違っていていいものではない。

石川遼をダメにしたもの

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

男子ゴルフのメジャー第1戦、マスターズ・トーナメントは10日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(パー72)でアーノルド・パーマー(米国)ら3人の名誉スターターによるティーショットで開幕した。日本勢は昨季日本ツアー賞金王の松山英樹がただ一人出場であの石川遼の名はなかった。

ブログ子は少しゴルフをやる。仕事上の付き合いもあって年間58回プレーしたこともあり、八ケ岳の山墅と同じ標高にある近所のゴルフ場で毎夏親戚・友人とコンペを開くのが通例だったが、ここ2年ほど遠ざかっている。我流で少しも上達せず「110番」が多いのに嫌気がさした。

しかしマスターズだけは毎年見ている。長女の連れ合いがTBSでこのマスターズ担当だった時期があり、ケイタイのトラップももらったマスターズ記念のものということもあるが、一番の理由は加齢とともに早起きになり放送時間が合うという点だ。

images石川遼は史上最年少で賞金王になってマスターズに招待されたときは、タイガーウッズ並みのスーパースターを予感させた。事実、見事なショットを見せて唸ったこともあるが、その後はどうしたことか競り合いに脱落するは国内外ツアーを問わず予選落ちが多く、ただのプロゴルファーになった。マスターズも特典で初出場から3回くらいは招待されていたがそれも切れた。

あれだけの期待の星がここまで堕ちたのはなぜか。どこのメディアも書かないし放送もしないのは電通が仕切っているので、広告出稿が止められるのが怖くてだろう。近く新聞社の先輩の偲ぶ会があり、そこに知り合いの電通の幹部が数人来るようなので聞いてみようと思っている。

その前にネットを覗いてみたら、昨年は27戦して、実に11回もの予選落ち。「かつての”ハニカミ王子”が”予選落ち王子”のわけ」といった類の分析が百花繚乱だった。その中できちんと名前を出しての批評を拾ってみると以下のようなものだ。

石川をサポートするのは、いわゆる「チーム遼」の面々。コーチの実父・勝美氏(56)を筆頭に、大手広告代理店のマネジャー、用具契約をするヨネックスのスタッフ、キャディー、トレーナーなどで構成される。中でも父親の横暴ぶりはひどいという。

「象徴的なのは、石川のプロ転向後、全試合でキャディーを務めていたK氏との不和です。アメリカでのツアー5戦の直前、勝美氏はK氏に『お前は何も役に立っていないからクビだ』と言い渡した。今季の低迷の原因は石川自身ではなくK氏にある、という言いぐさだ」。「月刊ゴルフレビュー」編集主幹でゴルフジャーナリストの宮崎紘一氏は、この「責任転嫁」は大きな勘違いである、と主張する。

「通常、ゴルファーが雇うプロキャディーは、契約するゴルファーからの給料の他、優勝したら賞金の2.3%の手当も手にします。その代わり、事前にゴルフ場のコース状況や距離、芝の具合のチェックなど、さまざまな仕事をする重要なパートナー。状況に応じて心理的なアドバイスも行います。ところがK氏はプロキャディーではなく、アマチュアなんですよ」

K氏は石川が契約するシャフトメーカー・G社の社員であり、会社の指示により石川のキャディーを務める、いわば「素人」。G社から「チーム遼」への出向のようなものである。もちろん、給料はG社が出している。

「アマチュアキャディーをアメリカに連れて行っても役に立つわけがない。現地の環境に精通しているわけでもなく、コースや芝、風のことも知りませんから。なのに勝美氏は石川がミスをしたら『お前はどこに目をつけてるんだ、このバカが!』とK氏をボロクソに言う。本来、ミスはプレーヤーの責任であり、勝美氏は息子をどなりつけないといけない。石川本人も『(石川が食べたものを)片づけておいて』と命じるなど召し使いのようになっています」(宮崎氏)

不協和音が鳴り響く「チーム遼」でもう一人、攻撃の的となったスタッフがトレーナーのN氏。業界では名の知れた人物だが、予選落ちのショックや体力的な問題もあり、N氏が『(石川を)1週間休ませてください』と勝美氏に頼んだのに父親はゴルフ場でのCM撮影を入れた。N氏がそれに苦情を言ったところ、勝美氏は『誰のおかげで飯を食えてるんだ。偉そうなことを言うな!』と罵声を浴びせた。

こうした「環境」に加え、決定的なのはコーチ問題。現在のコーチは、一介のアマチュアゴルファーである勝美氏だ。宮崎氏が言う。「一度、テレビ番組の企画でラウンドする勝美氏を見ましたが、この人が教えているのか、と愕然としました。普通の素人のスイングですから」

それでも勝美氏はティーチングプロをつけない。「俺の言うことさえ聞いてりゃいいんだ。俺がいちばん、遼のことをわかっている」と受け付けないそうだ。

子どもにゴルフを教えこんでプロゴルファーに仕上げる父親という先例に横峯さくらの父、横峯良郎・元参議院議員がいる。マイクロバスを改造した自作キャンピングカーで各大会を転戦、キャディーも務め娘2人をプロゴルファーに育て上げた。名前が売れると今度は民主党公認で参議院議員に当選したものの、暴力団組長との賭けゴルフ、女性に酒を強要し、裸にして落書きして写真を撮った、愛人とのケンカで包丁を持ち出し、首を絞めたなど次々とスキャンダルを起こしで民主党に離党届を出し、新党大地に移ったものの2013年政界を引退した。

石川遼もまた、親に育てられ、親に潰されるプロゴルファーになるのだろうか。

小保方晴子さんを信じたいのだが

scn14040913380STAP細胞の論文問題で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダー(30)が9日開いた記者会見を見た。

もとより真贋を見極めるほどの科学的知識はブログ子は持ち合わせていない。会見の冒頭、「私の不勉強、不注意、未熟さゆえに多くの疑念を生みました」と謝罪し、ネイチャーの論文の核心部分に改ざんと捏造があったとした理研調査委員会の最終報告については、「実験は確実に行われており、悪意をもってこの論文を仕上げたわけではない」と反論すると、フムフムとうなずくしかない。

調査委が「実験ノートが3年で2冊しかなく、どんな実験だったかを追跡できなかった」と指摘した点に関しては、小保方氏は「調査委に提出したのは2冊だが、実際にはもっと4,5冊は存在する」と説明すれば、長年の研究にしては実験ノートの数が少し少ないと思うものの「STAP細胞は200回以上作製に成功しており、真実です」と訴えられると、すっかり信じてしまい、素直に「人類の役に立ちたい」という言葉に感動さえした。

しかし、研究者からの反応は厳しいようだ。論文作成方法が「自己流だった」などとする弁明に、小保方氏の同僚からは「説明は納得できない」と厳しい声が上がる一方、蔵田伸雄・北海道大教授(科学技術倫理)の科学者としてどこが悪いのかを「指摘した以下の様な解説を聞くともう前途がないようにさえ思えてしますのだ。

曰く「多くの研究者は、実験で自分の立てた仮説に都合の悪い結果が出てしまった場合、そのデータを捨て、仮説を正当に証明できるデータが得られるのを待つ。だが、小保方晴子氏はSTAP論文のDNA解析画像でそれをせず、切り張りで見栄えを良くするという安易な道を選んだ。これを不正な改竄とした理研に対し、同氏が発表した不服申立書などからは、『どこが悪いのか』という思いがありありとうかがえた。科学者としての基礎的倫理観が身に付いていないと断じざるを得ない。会見では不注意を謝罪したが、不正と認定されるような論文を発表すること自体、知的誠実さに欠けている。人間としても科学者としても未熟な人が急に理研の研究ユニットリーダーとなり、成果を焦らされた結果だ。その意味では、小保方氏は犠牲者かもしれない。理研には『お前はまだその器じゃない。もっと学ぶべきことがある』と指導し、育てようとする上司はいなかったのか」(産経新聞での談話)

厳しいが納得できる。その理研のトップはノーベル賞受賞者の野依良治理事長である。理研の会見の直後に記者会見しては「理研の研究者の論文が信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことに対しおわびする」と謝罪、さらに「論文作成過程で重大な過誤があった。はなはだ遺憾」との見解を示していた。すこし結論が早過ぎるのでなないかと思ったのはブログ子だけだろうか。

はっきり言えばマスコミはブログ子とどっこいどっこいで、STAP細胞の科学的証明に立ち会うだけの力はない。だから豪華マンションにブランド物の金のなんたらをつけて、上司の理研幹部にしだれかかって・・・・といったたぐいの誰にもわかる下司なレベルに終始している。同じように、ノーベル賞受賞者だからすぐれた管理能力と統治能力を持ち合わせているというのは早計なのだ。事務方が書いたメモを深刻な表情で読み上げているノーベル賞学者の姿を見ると悪い時にシャッポに据えられて気の毒に、と思う。

小保方さんが200回成功したというのなら科学者が大勢立ち会って衆目の中で追試すれば一発ですむ話ではないか。「群盲象を撫でる」現状を見ると、科学者というのはよくよく世間常識とかけ離れているとしか思えない。

「はしたない」が通じない時代

はじめて車内で「化粧女」を見た時は、親の顔が見たいと思った。横丁の隠居なら「キツネを見てみろ。化けるのは夜か物陰だろ。明るいところで化けるんじゃないや」と言うところだ。ところがその後、車内でものを食べたり飲んだりする輩を見かけるようになった。

そんな折、英ロンドンの地下鉄の車内でものを食べる女性の写真を無断で撮影し、コメントと共に交流サイトのフェイスブックに投稿する行為が流行し、ロンドン交通局が手を焼いている、というニュースに出会った。

そうか、イギリスでも目をひそめる常識人が多いのだと思ってよく読んだら違った。

tumblr_m0o21bKiZu1r7bwpso1_500地下鉄内で飲食している女性の写真を投稿するよう不特定多数の人々に呼びかける「Women Who Eat on Tubes(地下鉄の車内でものを食べる女性たち)」と題されたサイトが開設されたところ1日で何万人も参加する人気になった。

問題になっているのは、、投稿された写真の女性が地下鉄を利用した時間や路線などの個人情報が公開されてしまうのではと懸念される点だという。

あるユーザーは、「写真の投稿は観察的な行為であって批判目的ではなく、威嚇やいじめにはあたらない」と反論。写真撮影の対象となった女性たちについて「彼女たちは愛情をもって受け入れられ、大事にされる。私たちは女性たちに地下鉄の車内での飲食を奨励しているのだ。彼女たちを小ばかにしているのではない」と主張しているという。

一方、地下鉄車内で写真を撮影されたある女性は、投稿されたサラダを食べている自身の写真とそれに添えられたコメントに屈辱感を覚えたという。「ページを運営している人たちは『威嚇やいじめではない』と言っているけど、私は被害者だと感じているし、傷ついた」と、自身のブログで訴えている。

撮る方も撮られる方も、車内での飲食を「はしたない」と思っているのではなく、もっぱら個人情報が晒されるという点にもっぱら関心がいっているのである。見苦しい、という点に思いが及ばないのはもはや文化の違いだとしか言えない。

学生時代、上野から青森まで列車で13時間くらいかかった。当然食べないわけにいかないから駅弁や停車駅のホームのそば屋でかっこむほかない。「ものを食べる行為というのは見苦しいものだ。人様の前で口動かすものではない」と親が教えた。長距離列車では許されるが通勤電車では「はしたない」、つまり「品がない」行為なのである。

電車で真っ先に駆け込んできた中学生らしき子どもが両手と帽子を広げて席取りをした行為をたしなめたら、親が睨みつけたので、「きちんとしつけなさい」といった事がある。

ブログ子が思うに、これは大家族制の崩壊と関係しているのではないか。親がダメでも祖父母や近所の大人が注意した。それがなくなって野放図な社会になったのだと思う。個人情報などよりも「はしたないものははしたない」のである。イギリスでも同じだ。

鉄道はもう一つ大事なものを運んでいる

東日本大震災で被災した岩手県の三陸鉄道(三鉄)は6日、最後まで不通となっていた北リアス線小本-田野畑間(10・5キロ)の運行を再開した。5日に開通した南リアス線と合わせた全107・6キロが1123日目に完全復旧し、開業30周年で再出発を果たした。

G20140303TTT0久慈市の久慈駅を6日早朝に発車した3両編成の上り一番列車には、鉄道ファンら50人以上が乗車した。遠くから駆けつけた「撮り鉄」「乗り鉄」も多かった。またNHKの連続ドラマ「あまちゃん」で袖ケ浜駅」として登場した堀内駅(普代村)付近などでは、住民が大漁旗を振って歓迎した。この日の記念列車では、古民家風の内装とした新型お座敷車両がお目見えした。住民の喜びぶりがひしひしと伝わってくる。

三陸鉄道は岩手県や沿岸部の市町村などが出資する第三セクター鉄道で、本社は岩手県宮古市。旧国鉄の赤字路線を転換、新たに整備した区間を加えて昭和59年4月1日に開業した。「三鉄」の愛称で親しまれてきたが、東日本大震災で線路や駅など317カ所が被害を受けた。枕木が宙に浮いている区間も多く、再起は不能とまで言われた。

三陸鉄道の望月正彦社長は「数字だけを考えたら、南リアス線を含む全線復旧は無理だった」。田老駅付近のがれき撤去のため、自衛隊の出動要請を願い出たら、自衛隊は素早く対応して撤去、地元消防団の尽力もあり10日後には一部だが運転再開にこぎつけた。経営努力もあった。「早期に着工することで資材高騰の影響を免れた。がれき撤去は地元の市町村がやってくれた」(ため、復旧費は92億円弱と当初計画より15%安く済んだ。何より大きいのは資金面で国の全面協力があったことだ。三陸鉄道が復興のシンボルであること理解して採算を度外視して支えた。こうして3年で復旧したのだ。

santetutizu140128全線開通と言っても地図を見ると南北のリアス線の間に釜石-宮古間はJR山田線がある。今も運休中だが復旧の目処が立っていない。何故か。JR東日本が黒字経営なので国の支援を受けられないのだ。JR東日本は最近になってこの区間の運行を三陸鉄道へ移管する再建策を地元に提案した。そうなるとこの路線の赤字体質はさらに深まる。三鉄の利用客は開業初年度の268万人から年々減少、2013年度は50万人にとどまっている。採算だけを考えたら全国で多くの赤字路線が廃線に追い込まれたのと同じ道をたどるほかない。

ブログ子は学生時代日本縦断旅行を仲間と計画、スクーターで三陸地方に入った。海岸線を南下するつもりだったが、当時は岩手の沿岸部は「日本のチベット」といわれたくらいで人の表情は暗く、三陸にはまともな道がなかった。国道とは名ばかりで大きな石ころだらけで車輪を取られ転倒が絶えない。やむなく内陸部に一旦入って4号線を走り、再度海岸の町に入るほかなかった。三陸鉄道はその後にこの三陸リアス海岸に開通した路線なのである。

明治以降、日本人は鉄道建設に全精力をつぎ込んだ。己が町の発展を鉄道で峠の向こうにつなげることに夢を託した。ブログ子の山小舎の最寄り駅は野辺山で、鉄道の日本最高地点というので記念写真を撮る人が多い。この小海線はIR東日本だが元は小さな私鉄の寄せ集めであった。篤志家が私財をつぎ込んで鉄道を敷設、資金が続かず破産したり、合併を繰り返しながらも佐久から山を超えて鉄路を開いていった。

小海線の終点は中央線の小さな途中駅、小淵沢である。諏訪湖の北を通って製糸業が盛んだった岡谷や少し先の塩尻まで敷く予定だったのが、資金が続かず、途中で急遽最寄りの中央線につないだためだ。こうして多くの人が鉄道に夢を託してきた。鉄路の先には自分や故郷の希望を見たのである。

三陸鉄道もまた然り。鉄道ファンとセンチメンタルな一時の観光客で経営が成り立つほど甘いものではない。東日本大震災の復興を言うならJR山田線に国費をつぎ込んで被災地の「全線開通」を目指して欲しいものだ。鉄道は乗客の他にもう一つ被災地の夢と希望を運んでいるのである。

無人機とは大仰な たかがラジコンにおののく韓国

ソウル北方で墜落しているのが発見された無人機が韓国に衝撃を与えている。積んでいたカメラを現像したら青瓦台(大統領府)を上空から撮影した精密写真が見つかったというので、国の中枢まで侵入を許しただけでなく察知すらできなかったと大騒ぎだ。

mujinki韓国国防省報道官は3日の記者会見で、韓国北西部の坡州(パジュ)に3月24日に墜落した無人機が「北朝鮮から来た可能性が高い」と述べた。政府として初めての公式見解だ。機体のバッテリーに書かれたハングルが北朝鮮独特のつづりだったことなどが根拠だ。

機体はレーダーで探知しにくいポリカーボネート製で、目視で発見されにくいよう水色などで塗られていた。韓国メディアは、機体下部に搭載されたカメラは日本のキヤノン製で、無人機は1回の任務で約2時間、150キロメートル程度を飛べると報じた。

国防省関係者の話や報道を総合すると、無人機は24日午前に韓国に入り時速100キロメートル程度でソウル市中心部の大統領府上空に到達。北朝鮮に引き返す途中に坡州で墜落した。この間に撮影した写真は193枚。無線装置はあるがカメラとは接続されていないため画像送信はできず、無人機が帰還後にデータを回収する仕組みだった。

3月31日には黄海上の島に別のタイプの無人機が墜落。こちらにはニコン製のカメラが積まれていた。東亜日報は「北朝鮮が1968年に武装工作員を送り込んで大統領府の裏山を突破したのと同じくらいの衝撃だ」と伝えた。小型の無人機を探知できる高出力レーダーを導入すべきだといった声も上がっている。(新聞各紙)

800px-MQ-9_Reaper_-_090609-F-0000M-777ブログ子は写真をみたが、ラジコンにしか見えない代物だ。この程度のものは所沢や利根川の河原にいけば愛好家がもっと大きいラジコンを毎日飛ばして遊んでいる。無人機というからにはMQ-9 リーパー(写真右)くらいのものに使ってもらいたい。ジェネラル・アトミックス社製で長い航続距離と高い監視能力および攻撃能力を持つハンターキラー無人機だ。衝撃を受けたのは軍事知識に疎い東亜日報記者だけで、軍の内部では北朝鮮の無人機開発レベルはまだ幼稚で偵察、攻撃力の点ではまだまだと安堵したことだろう。

無人機が撮影した大統領官邸

無人機が撮影した大統領官邸

ラジコンがレーダーにかからないことぐらい常識である。撮影された大統領官邸の鮮明な写真が脅威だというが、この程度のものはグーグルのサイトに行けばいつでも手に入る。余談だが昨年ブログ子の山小舎の屋根を張り替えた。Google Earthで屋根の色までわかるがまだ工事前の衛星写真の画像のままである。

中韓に技術移転しなかった日本のカメラ
ブログ子は墜落した2機に積まれていたカメラがキャノンとニコンという点にさもありなんという思いだ。ソチ五輪のキム・ヨナやサッカー場に群がる韓国のカメラマンを見ると全員日本製のカメラと望遠レンズを手にしている。中国のカメラマンも同様だ。何か事あると日本製品を叩き壊したり燃やしたりするお国柄である。悔しいけど日本製に頼るしかないのである。カメラを壊しても己が身に不自由が振りかかるだけだからやらない。

中韓とも重工業・軽工業問わず日本の技術供与で現在がある。クルマ、造船、繊維に至るまで日本は惜しげもなく与えた。もちろん彼らはカメラもほしがった。しかし精密工業の下地がなかった。カメラは本体の組み立て前にレンズ研磨やレンズ組み合わせで複雑な光学技術の裾野があってはじめて成り立つ業界だ。群馬県の研磨業者を知っているが、韓国から話があったが、微妙な職人芸を丸ごと向こうに持っていくことができないとわかって沙汰止みになった。

キャノンの大連工場を見たことがあるが、アジア各地から集められた複写機のカーボンの再処理専用で、周辺の村から集まった女子従業員が寮生活しながら働いていた。中国でカメラ本体の組み立ては考えていないと言っていた。技術移転はせず日本で買ってもらう方針なのだ。賢明な選択肢だ。お陰で新宿にあるキャノンとニコンのサービスセンターでは中国語と韓国語のお客さんがいっぱいである。

2つの国とも日本から教えられた技術をすぐ自国製として外国に売りつける。運用技術が大事だといってもいうことを聞かず車両だけ輸入した中国の新幹線がいい例だ。事故を起こしたら丸ごと埋めるという奇想天外な国柄である。ブラックボックスにして輸出するくらいのことをしないと危ない。こうして日本のカメラは追随を許さないでいられる。

ハワイの「TSUNAMI」マニュアル

4月2日 チリ北部沖でマグニチュード(M)8・2の地震が発生、気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸に津波注意報を発表した。津波の予想高はいずれの地域も1メートルだったが、午後0時22分岩手県の久慈港で60センチを観測したのが最高でいずれも被害を出すには至らなかった。

津波で破壊されたチリの漁船

津波で破壊されたチリの漁船

5年前のチリ大地震ではたかをくくって500人の死者を出したのでチリ政府は今回最大限の警戒態勢をとり、倒壊による数人の死者と怪我人以外津波による犠牲者は出さずにすみそうだ。フィリピンではわざわざ見物に海に近づいた人で死者を増やした。日本では自主的に避難所に入る人もいるほどで、津波に敏感なのは日本人だけかと思いがちだがそうではない。ブログ子はハワイで行き届いた避難対策を体験したことがある。

十勝沖地震は何度も大きいのがあるが、1980年代のM7・1の浦河沖地震だと思う。日本ではほとんど被害は出さなかったが大きな揺れだったらしい。「らしい」というのはこの時飛行機に乗っていた。発生は成田離陸直後だったので知る由もなく、早朝ホノルル空港に到着したが、物々しい雰囲気だ。

空港で聞くと「日本で大きな地震がありまもなくハワイにTSUNAMIが来そうだ。閉鎖されていて街には入れない」という。無理やりバスに乗せられてヌアヌパリ展望台に連れて行かれた。ここは以前新婚旅行で来たことがあるが、900メートルの崖の上にあり街並みと、太平洋が一望できる観光の名所である。その時は家内が強風で吹き飛ばされそうになったのだが、この日は穏やかで、すでにクルマで上がってきた大勢の人が海を眺めて今か今かと津波を待ち受けていた。

結局津波は30センチほどで警戒態勢は解除されたのでホテルに向かったが、そのとき通りかかったパイナップル畑は観光客を全部締め出し、従業員も避難していた。海に通じる道路は警官が遮断していた。ホテルに着くと「今整理中だ」とまた待たされた。その一人に聞くと、ホテルの1階の部屋にいたのだがTSUNMI警報と同時に3階の同じ番号の部屋の人と相部屋になった。2階の人は4階の同じ番号にという具合だという。フロントにはライフジャケットの山もあった。

よく言われることだが日本やハワイは太平洋というタライ(盥)に浮かぶ小島のようなもので、一旦地震が起きると波がぶつかり合う。浅くなるほど波のせり上がりは大きくなる。ハワイの人はそれを良く自覚していて上述のような避難マニュアルが行政、警察、施設で自動的に実施されるという。

中心になっているのはハワイのオアフ島にある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)だが、ここはハワイとアラスカで165人の犠牲者が出た1946年のアリューシャン地震を受けて、1949年に設立されたアメリカ海洋大気庁の施設。今回日本の気象庁は、ここの観測データとシミュレーション結果を付き合わせることで「最大1メートル」と予測した。

ブログ子がヌアヌパリに避難して太平洋を眺めていた時は津波の高さはまだ予測できなかった。着々と進歩しているのである。

今年のエイプリルフールは不作

なんといっても四月馬鹿の本場はイギリスだろう。毎年楽しみにしている。今年流れてきたニュースのトップは北朝鮮がらみ以下のようなもの。

 f99fd8d0-304e-4d11-b2ad-75ffb73885fa-460x351【ロンドン=内藤泰朗】エープリルフールの1日、英国の新聞各紙は恒例となっている「うその記事」を掲載、大衆紙デーリー・ミラーは、北朝鮮の金正恩第1書記が、英国の人気バンド「ワン・ダイレクション(1D)」のメンバーに自分と同じ髪形に変えない限り北朝鮮での演奏活動を認めない姿勢を示した、との記事を掲載した。

 記事によると、正恩氏は現在、世界で最も人気のある英国のバンドに、理髪店に行って、自分と同じ刈り上げスタイルに散髪するよう要求。北朝鮮では先週、男子学生らに、正恩氏と同じ髪形にする髪形統一令が出されたばかりだとした。

 また、平壌の消息筋の話として「われわれの指導者の髪形は非常に特別なもの。偉大でハンサムな指導者は、長髪を望んではいない。1Dはここでは、国家に許可された軍のように踊らなければならない」とのコメントも付けた。

ブログ子はジョンウンもIDも嫌いなのと興味がないのでフーンだが、このほか各紙には「立方体の卵販売へ」 「ペンギンが金の卵を産んだ」などの記事が掲載された。今年のベスト10を選んだ私家版もアップされている。

http://www.theguardian.com/media/2014/apr/01/april-fools-jokes-2014-best-web

日本でも、結構頑張っていて
◎DeNA陸上部は1984年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪男子マラソン代表の瀬古利彦総監督(57)の現役復帰をホームページ上で発表した。「今の男子マラソンの現状を考えると将来が心配。今、私が立ち上がらないと駄目だと思う」とコメンもついていたが瀬古本人と陸上競技の現状を考えると、冗談にもならない。

◎東京新聞は「東京五輪から各競技にブービー賞を出す」というもの。毎年力を入れているそうだが大して面白くもない。まあ、継続は力なりといった程度だ。

本場はなんといっても英国だろう。あのイギリス人がやるかというのが面白いのだが、毎年英国国営放送BBCを楽しみにしている。ここは1950年代からずっと「4月1日」に全社をあげて力を入れている。、今年のはもうひとつまどろっこしくておすすめできない。「April fools jokes」で検索をかけると過去のものまで見ることができるが、過去の名作では「ビッグベン(英議事堂の時計)がデジタル化されることになり、使わなくなった時計の長針と短針はオークションに出品されます」というものには、日本人船員が真っ先に応募してきた。「 鉄道の車両番号がバーコードに変更」というのもあった。

「暖冬と害虫駆除のおかげで、スイスではスパゲティが大豊作」とのニュースでは木からにょきにょきと生えたパスタを大量に収穫する映像が流れた。 「スパゲティのなる木はどうやって育てるのか」という問い合わせが視聴者から相次いだが、BBC側の回答がふるっていて「トマトソースの缶詰にスパゲティを添木として差し、それが育つのを期待しましょう」と洒落のめしてくれる。

ブログ子は以前紹介したことがあるが「空を飛ぶペンギンが発見された」(2008)が大好きだ。氷山の間を飛ぶ大群や編隊を組んで洞窟をくぐる画像は壮大で例えわかっていても圧巻だった。

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姿消す「ジャンボ」を操縦したことがある

3月31日でボーイング747「ジャンボ」が姿を消すというのでテレビ・新聞は就航44年を振り返る企画で一杯だ。ブログ子はこの397トンある巨体を操縦したことがある。もちろん実機ではなくシュミレーターでだが、羽田空港で着陸に失敗炎上させた。

G20140331TTT0700032G3000000なくなるといっても日本の航空会社からで、羽田には外国航空機がまだ離発着するし、何より政府専用機や日本航空貨物のジャンボがまだしばらく飛ぶ。嫌いだが流行り言葉風でいえば「私的」には、「ジャンボ」と、あとはプロペラ機だが初の国産航空機「YS-11」、今も豪まで消えたマレーシア機の捜索に出かけている「P-3C」機、これまた現在沖ノ鳥島での作業船転覆事故で出動している海上自衛隊の救難飛行艇「US-2」が、戦後の日本の空の名機だと思う。「US-2」以外みな乗ったことがある。

「ジャンボ」の初就航は昭和45年の7月ハワイ便だ。ブログ子はその3カ月前に新婚旅行でハワイに行ったばかりだったので地団駄を踏んだ。その時ホノルルの日本人観光客はパラパラだったが、「ジャンボ」による大量輸送時代に入りワイキキは日本人で溢れかえった。自分のサイト「八ケ岳の東から」でJALジャンボ機御巣鷹山に消ゆ」 を書いたが、この時の犠牲者520人は未だに破られない航空機事故のワースト記録なのも、その大座席数ゆえである。今回引退に至ったのも燃費が悪い4発の大型ジェットエンジンのせいでなにかにつけその「大型」が足を引っ張った。

地球上の大抵のところに直行できるという遠距離飛行力は、それまで主流だったアンカレッジに給油のため一時着陸する必要がなくなり、アンカレッジをたたの地方空港にしてしまった。

テレビに登場した現役パイロットが「ジャンボは手動で動かすところが多くてその分飛ばしているという実感がある」と語っているのを見て驚いた。自衛隊のブルーインパルスで戦後3本の指に入ると言われた名パイロットD氏と親しかったが、彼はその後JALで主に「ジャンボ」に乗っていた。内輪話を聞いたが、離陸してしまえばその後は操縦桿に足を乗せてコーヒーを飲んでいる、と言っていた。途中経路をインプットしてしまえばあとはほとんど自動操縦という最新の計器飛行ができるのだが、現在はさらに自動化が進んでいるということだろう。

ジャンボの操縦席

ジャンボの操縦席


ところでブログ子の「ジャンボ」操縦記だが、シュミレーターを房総沖からセットしてもらって羽田着陸を目指した。操縦桿を引けば機体は上に、左に回せば左に旋回という簡単さ。それに合わせて窓の外の景色は実機と同じく展開する。左回りで羽田沖上空に達し、浮かぶ漁船を見ながらゆっくり下降させた。右の表示板には機体の傾きと高度が正常なら緑の枠の中に刻々と数字と後ろからみた機体の形が浮いている。下げて滑走路に車輪を落としたらガツンと小さな衝撃音とバウンドが伝わってくる。すべて実機と同じ再現ぶりだ。ところがスピードが早過ぎる。右足の下のブレーキを踏んだ。するとどんどん機体が右に行き、滑走路を外れてバウンドしながら芝生の上を走り、ついには機首を突っ込んで炎上した。ものすごい音と衝撃。汗で手がビショビショ。パイロットが教えてくれたが、ブレーキと思ったのは垂直尾翼を動かすものだった。

「酉の市で熊手を買った」では通らない

昨日の孫娘の話の続きで恐縮だが、一番上の小3になる優妃の号泣の話。昨年、映画かアニメが知らないがあの「おしん」を観に行った。おばあちゃんが万一の時にとおしんのお守りにお金を縫いつけてくれたのを主人に盗んだと疑われて取り上げられるシーンがあった。その時優妃はすっくと座席を立ち、「それはおばあちゃんからもらったものだよー」と画面に向かい号泣しながら叫んだそうだ。大笑いしたのち、幼い子どもの正義感に胸を打たれたが、それほど金の出処が「きれい」かどうか証明するのは難しい。

stt14032721500015-p3みんなの党の渡辺喜美代表は27日、国会内で記者団に対し、化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から計8億円借り入れた事実を認めた。その上で「純粋に個人として借りた。違法性の認識はない」と述べ、選挙費用や政治資金に充てていないとし、代表辞任も否定した。具体例に使い途を問われて「酉の市でかなり大きい熊手」を買ったことを挙げた

政治資金規正法や公選法に抵触するから口が裂けても選挙に使ったとはいえない事情はわかるが、「熊手を買った」では通るまい。有り体に言えば、みんなの党で候補者を何十人か立てた際、軍資金として配ったものだろう。みんなの党を出て結の党を結成した江田憲司代表以下衆参両議員15人も貰ったのだろうが、貰った側は口をつぐみ知らぬ顔の半兵衛を決め込むから親分が責を負うしかあるまい。「渡辺の個人商店」と言われるみんなの党である。分裂する可能性が大である。

ブログ子は今年の年賀状で、野党は民主党、維新、みんな、結、社民こぞって「馬糞(まぐそ)の川流れ」を予測したが、以外に早く来た。それにしても「週刊新潮」で暴露した化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)も、会長の吉田嘉明氏(73)もはじめて聞く名前だ。検索したら千葉県の氏の豪邸の写真が出てきた。日本の金持ち10何番目かにランクされるそうだが、化粧品会社というのは8億円をポンと出せるほど儲かるものなのか。

驚いたのは佐賀県唐津市出身だということ。ブログ子の父は唐津の近くの寒村の出で、親戚の多くは今も市の近在にいて、先祖代々の墓は唐津市内にあり、ブログ子もいずれそちらにお世話になる身だが、周りにそれほどの金持ちは一人としていない。

政界には政治ゴロという手合からスポンサーを気取って政治を動かす「気分」に浸る趣味の持ち主までいろいろいる。何かと官庁の規制が多い業界ではなんとか免れたいと政治家に接近し、金で動かそうとする輩も多い。今回表に出たのは、規制が多い化粧品や健康食品分野で政治を動かそうとしたのだろう。なんでも吉田会長はみんなは維新と合流するべきだとの立場だったが、渡辺代表は、維新と一線を画し始めたために堪忍袋の緒を切った。分裂した結の党・江田憲司代表のその後の維新接近工作を見ると合点がいく。

27日の記者会見で「吉田さんの怒りを買った。言うことを聞かなければ追い落とすと言われ、それを実行に移された」と語っている。吉田会長は渡辺代表が江田一派の離党を認めないことに、メールでたびたび「会派離脱を認めるべきだ」と不満を露わにしていたそうだから、週刊誌を使って追い落とし工作に出たものだろう。

渡辺代表の父親は衆知のように「ミッチー」で親しまれた渡辺美智雄である。副総理、蔵相、外相などを歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖として総理の座を目指したが病に倒れた。

ミッチーはマスコミを大事にした。ブログ子は番記者ではなかったが何度もクルマに同乗したことがある。あるとき、赤坂見附で下車、私とカメラマンを自宅に誘った。一ツ木通りの魚屋でサンマかイワシか忘れたが、人数分買ってぶらぶらと歩き、赤坂の議員宿舎で自ら魚を焼いてくれた。その時ふすまの向こうからにこにこと現在とほとんど同じ顔で受験勉強していた息子を紹介してくれた。

派閥を率いてカネ集めに苦労した親父を見て、同じ手法でみんなの党の資金集めをしたのが落とし穴だった。今後分裂含みで推移するのだろうが、結の党も似た結末に向かうと見る。普通金を出した側は表に出ないものだが、今回はスポンサーに刺された政治家の最初のケースになるのではないか。今後、みんなの党から化粧品業界擁護の国会質問などが明らかになれば、金を出した側、受け取った側ともに受託収賄罪に問われる事件に発展しかねない。それほど高くつきそうな「熊手」なのである。

春眠暁を覚えず

みんなの党・渡辺代表の8億円のことを書く予定だったが、孫3人を乗せてなぜか遠く川崎の映画館に送っていく用事を仰せつかった。書いている時間がない。折しも春うらら。眠くなるような漢詩と、眠くてしょうがない子猫の動画でお茶を濁す。
shungyou
有名な孟浩然の「春暁」である。

春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ

と読むが、くどく説明するより、文豪、井伏鱒二の「名訳詩」がある。

ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨ガマジリ
散ツタ木ノ花イカホドバカリ       
(「厄除け詩集」より)

さらにこの情景を絵にした動画が下記。

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snikonPX_0054_右の写真はこの日送り届けた孫3人。
優妃(小3)は映画ですぐ泣くそうで、それも周りの人が振り向くくらいの号泣だといいいます。
この日のディズニー映画もはじめの方にその号泣ポイントが有るというので、チカちゃん(叔母)に
タオル地のハンカチを用意してもらっていました。
美妃(小1)は東京都の読書感想文コンクールで「特選」をもらいました。
真妃(幼稚園年少)は昨日歯が抜けたそうで、見てみてと披露してくれました。大きくなってこの日はじめて
映画鑑賞に連れていってもらって興奮しきり。

以上、この日運転席で仕入れたビッグニュース。春らんまんです。

こんなにひどい冤罪聞いたことがない

裁判原稿はいくつも書き、いろんな法廷を見てきた。人権派弁護士が手柄を競い、多くの死刑確定囚に再審請求する風潮をどうかと思っている一人だが、今回の袴田事件ほどひどい冤罪事件は見たことがない。証拠を捏造したと思われる警察・検察官、そして素人でもわかる証拠品を前にして漫然として死刑判決を下したこれまでの7人の裁判官の罪は重い。

hakamada死刑囚の再審が認められるのは6例目である。異常に多い。このブログでも以前書いたことがあるが、戦後すぐの国警時代から県警時代に移行したあたりの事件が多い。それまでの自白偏重から証拠第一の科学捜査に変わったあたりだが、現場ではまだ自白がとれたらもう事件はおしまいという雰囲気が続いていた。証拠集めも証拠保全もおろそかで、それがのちのち法廷での審理に耐えられないというケースだ。

ところが今回は法廷で求められる証拠を捏造した疑いがあるという。これはもう警察の犯罪である。死刑囚はみな無罪と言われてもいいわけができない。そうではないことを知っているが、今回再審が認められるに至るまで2つの幸運がある。一つは裁判員制度とともに証拠品開示請求ができるようになり、それまで検察側が隠し通すことができた証拠品を出させることができるようになった。今回600点にもなる。もう一つはDNA鑑定の技術が進んだこと。10年前の再審請求時には古くなった遺留品からの検出はできなかったが、現在はできる。

今回の裁判で明らかになったが、警察が1年後に味噌樽から見つかったとするシャツやズボンの血痕の不自然さは素人目にも一目瞭然である。1年も味噌漬けになっていたらシャツは真っ黒であれほど白地があるわけがない。途中の裁判では裁判官はこの遺留品を見ているわけで、味噌漬け布地の異常な白さになぜ気づかなかったのか。

ブログ子は新聞社の静岡支局長をしていた時期がある。現在は静岡市と合併しているが当時は清水市で、そこの袴田事件(当時の事件名は「清水市の味噌会社専務一家4人殺害事件」)ファイルを見た。ただ死刑が確定した後だったし当時は昭和天皇の御不例に備えて県内関係者名簿のチェックが優先で、袴田事件の方は不思議に思わず、その時にコメントを取る関係者の連絡先を整理するにとどまった。

すでに無罪を訴える声があったのに調べなかった不明を恥じるばかりだが、釈放された袴田巌さん(78)は東京拘置所を足を引きずりながら出てきた。48年間死を目前にする生活で認知症に似た拘禁症状もあるという。ホテルに向かう途中にそれまで乗ったことがないクルマに酔い、しばらく休憩したという報道に言葉を失うばかりだった。

余計なことだが補償金は1億円に近い金額になるのではないか。できないことをわかって言うのだが、冤罪に関わった捜査関係者と7人の裁判官に弁償させたい。

中国公安に拘束の2教授は「転んだ」

このところ日本の大学で教鞭をとる中国人教授が中国に一時帰国したところを拘束され、長期間尋問された上、そっと日本に戻っていたという事件が相次いでいる。これは何を意味しているのか。

朱建栄教授

朱建栄教授

一人は昨年7月から上海で消息不明となり、中国当局に身柄を拘束されていた東洋学園大学(東京都)の 朱建栄教授56)。朱氏は1957年、上海出身。86年に来日し、同大学教授を務める一方、在日中国人研究者らで作る「日本華人教授会」の初代代表として、日中関係について活発な言論活動を行っていた。

大学の発表によると朱氏は昨年夏、情報機関である中国国家安全省に身柄を拘束され、日本での活動などについて事情を聴取されていた。朱氏は半年後の今年1月17日に解放され、高齢の実母の介護を兼ねて上海市内にとどまっていたが、その後日本に戻った。

朱氏は(1)研究者としての資料収集が中国の法令に触れていないか(2)相互理解を掲げた日中両国間での活動の内容-について、当局の調査を受けてきた。朱氏は同大学に対し、「研究者としての活動に不適切なものはなかった」との内容を述べているという。

朱教授はブログ子もテレビの中国関係のコメンテーターとして出ていたのを知っている。この人の癖で口の周りにいっぱいツバをためて、それこそ、口角泡を飛ばして語るしゃべリ方がおぞましく、すぐテレビを消していたので、判然とはしないが、そうとう中国一辺倒の発言だったように思う。それが中国官憲に拘束されるというのがもう一つよくわからない。

王柯教授

王柯教授

もう一人は神戸大大学院国際文化学研究科の王柯教授(57)。同教授は3月1~10日の予定で中国に出張していたが、帰国予定の10日に「母親の具合が悪くなったので様子を見に行く。10日ほどかかる」と日本の家族に連絡した後、所在が分からなくなった。家族が母親に連絡をとったが母親は元気で本人が訪ねて行った形跡はなかった。

王教授は中国・新疆ウイグル自治区のウイグル族の研究などで知られる人物だというが、中国側が最も神経を尖らせている分野だけにその方でなにか問題行動があったのかと窺わせたが、こちらも2週間後に突然釈放されて帰国、25日夜、神戸市灘区の神戸大で記者会見し、現地警察に身柄を拘束されていたと明らかにした。

王教授は「研究の中で中国の法律に触れるような行動があり、取り調べを受けていた」と説明。今月3日から福建省泉州市でイスラム系少数民族の聞き取り調査をし、その途中の7日に拘束され調べを受けたが、起訴には至らないと判断され、24日午前中に解放されたという。

戦前戦後を通して日本でも公安警察が共産党関係者をこうした調べ方をした時代があった。釈放された人の多くは転向するか内通者として組織に戻るかの道を選んだ。公安ではこういうのを「転んだ」という言い方をした。2教授とも中国に家族を人質に取られているという弱みを握られている。常識では「転んだ」と判断されるケースである。まあ、今後の発言を見ていればわかることではあるが。

中共政府が日本国内の中国人をしっかり監視していることがこれでわかるが、100%の言論の自由を謳歌している日本人もしっかり監視しているのである。ブログ子はその監視対象の新聞社にいたので大連のホテルでその一端を経験した。

幽霊の正体見たり枯れオバマ

17日の当ブログで「ハーグの核サミットで告げ口おばさんが握手か」と日米韓の首脳会談を予告した手前、内心「外れたらみっとみない」とひやひやしていたのだが、実現してやれやれである。3カ国の並び方も予測どおりの演出だったものの、 会談では「北朝鮮問題を中心とした東アジアの安全保障について、3カ国が一層緊密に連携していく重要性を確認した」というだけなのだからどうということはない。
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会談では安倍晋三首相の方が役者が一段上だったという印象だ。首相は冒頭、「お会いできてうれしい」とわざわざ韓国語で朴大統領にあいさつし、両首脳は会談後には握手を交わしたものの、朴槿恵大統領の方はこころなしか作り笑いが目立ち、いやいや引っ張りだされたという思いがにじみ出ていた。

事前の打ち合わせで、慰安婦や歴史認識の問題への言及はしないことになっていたから、会談では控えていたが、このあとドイツに向かった「告げ口おばさん」、さっそく25日付のドイツ紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙との事前インタビューで、日本の一部の政治指導者が慰安婦問題などで韓国国民の心を傷つけていることが日韓関係を阻害してきたと指摘、ドイツが戦後、周辺国に謝罪し和解した歩みを「日本も参考にして学ぶべきだ」と述べるなど反省の色全くなし。韓国の事情では当たり前だろうが、すぐ横のウクライナでは「歴史認識」を持ちだしたら大問題になって殴り合いになる国々が雁首並べている。「韓国も参考にして学ぶべき」ではないか。

それにしてもオバマ大統領の指導力は落日の如し、である。イランでは武力侵攻を匂わせてロシアに出し抜かれ。ウクライナではドイツはじめ燃料をロシアに依存している国々の及び腰をまとめられず、ロシア外交官と経済人へのビザ発給停止という痛くも痒くもない制裁がやっとである。今回も韓国に、いつまでも慰安婦と歴史認識を引きずるのはやめろと説得するくらいの圧力が欲しかったが屁のつっぱりにもならない3カ国会談の場を設けただけである。

ケネディーに匹敵するオバマ名演説に感動したブログ子など裏切られた心境である。

イタリアの修道女、一夜にしてスターに

rs_560x415-32114_copy【22日 AFP時事】カトリック教会の修道女が、一夜にしてポップスターとなる大センセーションが19日夜、起きた。
イタリアのオーディション番組「ザ・ボイス(The Voice)」に出演したクリスティーナ・スクッチャ(Christina Scuccia)さん(25)は、黒の修道衣と十字架のネックレスをつけ、アリシア・キーズの「ノー・ワン(No One)」を歌った。観客からは大きな歓声が起き、審査員4人は信じられないといった表情を見せた。

聖ウルスラ修道会の修道女のスクッチャさんは、「神から与えられた才能があるからここに来ました。その才能を分かち合えればと思って」と述べた。審査員の1人のラップ歌手、J-Axさんは、「感動して涙が出た」と語った。

スクッチャさんは、修道院から「外に出て」神の御言葉を広めなさい、と言ったフランシスコ法王に触発されて番組に出場することにしたという。

別の審査員が、法王庁は彼女がオーディション番組に出たことをどう思うだろうかと尋ねると、スクッチャさんは「法王さまの電話を待っています!」とジョークで返した。

日本の新聞テレビでは報じられなかったようだが、ネットではこの可愛らしい修道女の話題でもちきりで、下に紹介する動画は3日間で2000万回以上再生されるという人気だ。

ブログ子もさっそく拝聴したがすっかり魅了された。R&Bには疎い方だが身体が自然にリズムに乗る感じで確かに天使の声だ。
イギリスのオーディンション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」で、当時素人だったスーザン・ボイルさんが一夜にしてスターになったことも影響してこうしたオーディション番組は世界各地で生まれていて、これはイタリア版。

審査員4人は出演者に背を向けて座っていて、「合格」のボタンを押すとはじめて椅子が180度回転して出演者と対面することになるのだが、そのとき目前に修道女の姿を見た瞬間の驚愕の表情が面白い。言葉を失う者、上記にあるように感動して涙をながす者など。涙を見せたのはラップ歌手のJ-Ax氏だが、これが全身刺青だらけで、日本なら極道扱い必至というすごい人物。

修道女というと戒律厳しくて外部の人間と接触も禁じられていると思いがちだが、テレビでは同僚の修道女4人がスタジオの片隅で調子を合わせて身体を揺すったり大歓声で喜んでいた。3日ほど前に衛星放送の再放送で映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見たばかりだったが、マリアにトラップ男爵との結婚をすすめたり、ナチのクルマのキーを隠したり、「かなり自由に」行動していた。誓いを立てる前なら許されるのだろうかなどと考えた。

家内は神戸のカトリック系の学校を出たがそこで教わったシスターは卒業生仲間と八ケ岳の我が山小舎に泊まっていかれた。もちろん私は遠慮して全員女性だけだったが、それまでシスターは外泊などもってのほかと勝手に考えていたブログ子は、近頃バチカンも柔らかくなったのだろうかなどと思ったものだ。

それはともかくクリスティーナさんの歌いっぷりは見事で、「◎」は保証する。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=TpaQYSd75Ak#t=34
8分ほどの動画のうち歌は前の2分ほど。あとは審査員とのやりとりだがイタリア語でよくわからないが上のニュース原稿のような会話だ。歌をもうすこし聞きたい方は下の動画。別の番組でのもの。曲名などは画面に出てくるが「あなたの言葉がなければ」という意味。

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「ミニスカに懸念する」太田国交相のレベル

スカイマークが導入するミニスカ

スカイマークが導入するミニスカ

スカイマークが5月に導入するエアバスA330で客室乗務員(CA)が着用するミニスカートの制服について、太田昭宏国土交通相は20日の閣議後会見で、「(CAは)適切に保安業務を行う必要があり、サービスだけではない」と指摘。定期監査などで制服の妥当性を確認する方針だという。

馬ッ鹿じゃなかろか。なんでも航空労組連絡会加盟のCAでつくる「客室乗務員連絡会」が「セクハラ行為を誘発しかねない」「保安業務に専念できない恐れがある」として、国交省に指導を要請したのに答えたものだそうだが、こういうのを「タメにする」という。

航空記者をしていた時があるが、その時から、なにかというと「保安業務に支障が出かねない」という言い方が労組から出たものだが、スッチーの服装が何かに影響するなんてことはない。とっくに女子アナと同じでタレント並のレベルになっていて、言い寄る野球選手にケイタイのアドレスを教えるレベルになっている。万一の時があったとしても、脱出シューターに乗客を案内するくらいでミニスカだかロングスカだか見てる余裕はあるまい。

oota問題はこんな手合にいちいち「答弁」する国交相のレベルである。太田国交相は予算委員会でも秘書についた役人が作った紙片を棒読みしている姿が目につく。憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使は可能だとする安倍晋三首相の国会答弁について聞かれた時も「全て首相が答えていることに同意している。違和感はない」と紙切れを読んでいた。曖昧な態度に終始している公明党の立場からして閣内での苦しい立場はわかるが。いつも「自分」というものが感じられなくて、そつなくこなそうという姿勢ばかりが目立つ。

まあ、与党の一角として閣僚ポストを公明党に与えるとき、安全保障ダメ財務ダメと消去法でいくと国交相くらいしかなかったろうが、その国交省でも「大丈夫か」という場面が多々ある。例えば、2020年の東京オリンピックに向けて建設現場での人不足が見込まれるというと、すぐ「現在、約1万5000人いる建設現場の外国人技能実習生の拡大を検討している」と発言する。研修生など「移民」の持つ危険性について一顧だにしていない。

ブログ子は高原野菜の本場、八ヶ岳の東にいるが昨年夏、畑の中の農道で道に迷い働いている人に道を尋ねたら6人全員中国人で一言も日本語がわからなかった。日本の農業がこんなに他人任せでいいのかと思った。公明党は移民に寛容で投票権を与えようとまで言っている。一度、大阪生野区の猪飼野に行ってみたらどうか。カナダなどは増え続ける中国、韓国からの移民をやめようとしているくらいだ。

公明党は集団的自衛権ばかりでなく、憲法改正、対中韓外交、教育委員会制度でも山口那津男委員長は「議論を尽くすことが重要」と馬鹿のひとつ覚えのようなセリフに終始している。「公明党下駄の雪」論が澎湃としておこるわけだ。政治部で聞いた話だが、池田大作名誉会長の前では創価学会より下で、公明党委員長以下直立不動で廊下に並んでいるという。生死の噂が絶えないいま、「ついていきますどこまでも」と決断したほうがよい。次は下駄の雪を払い落とせ、となるのだから。

飼い主が留守中、ワン公はかくもやりたい放題

エディもアーチャもそうだったからこの動画はものすごくわかる。

日ごろベッドの上に上がるなと厳命されているイヌが、飼い主の留守中にいかに自由を満喫しているか、その様子が激写された。
「上に上がるなだと? フン ネコが良くてイヌがダメとはどういう理屈だ!」
「こんなやわらかい肌触りを禁止しよって、それっ、すりすり、すりすり、オレの臭い付けだ!」

と言ってるんでしょうが、あとが怖いぞー  
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https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=7D5bPLxU8U8

(冒頭2秒ほどCMが流れますがスキップ可能)

”プーチンの走狗”クリミヤの検事総長は超べっぴん

ロシアのプーチン大統領は18日、クレムリンで上下両院議員を前に演説し、「クリミアは強く揺るぎないロシアの主権下になければならない」と述べ、ウクライナ南部クリミア自治共和国とセバストポリ特別市を編入すると発表した。ウクライナの領土分割に踏み切ったロシアと米欧との厳しい対立は決定的となり、長期化は避けられなくなった。

クリミアでの住民投票についても「公正に行われ、住民は自分たちの意思を示した。ロシアとともにありたいということだ」と語った。クリミアのロシア編入は国際法にも反しないと正当性を主張。ソ連時代の1954年にロシア共和国からウクライナ共和国にクリミアが移管されたことを「明らかな憲法違反により下された決定だったが、全体主義のもとで住民は疑問を差し挟めなかった」と指摘した。

この指摘の部分はブログ子が先週書いたが、ソ連時代に同じソ連だったウクライナにクリミアの行政権を移したことを指す。ロシアの黒海艦隊の母港セバストポリを含む軍事的最重要地が、ソ連から離れて敵の米欧側にくっつこうとしている「歴史的皮肉」は誰にも予想できなかったこととはいえ、どんなことがあろうとロシアが不凍港を手放すことはないから、長期化も長期化、今世紀中にまず解決できない難問になるのは避けられない。

Biq2E8aCQAAty56ところで、そのクリミア自治共和国で新たな検事総長となったナタリア・ポクロンスカヤさん(33歳)が「美人すぎる!」とTwitter上で話題になっている。流行りの表現だと「美しすぎる」となるのだろうが、ブログ子はこれが大嫌いなので「べっぴん」としておいた。

ナタリアさんは、これまでにも検察官として暴力犯罪や環境問題に積極的に取り組んできたキャリアをもつそうだが、検事総長というとどこの国でも謹厳実直型が多いのだが、できたばかりの若い国だけに人材難だったのかもしれない。

ユリア・リプニツカヤ(ソチ冬季五輪のフィギュアスケート団体でロシアの優勝に貢献した)に似ているとか、さすが美人の多いウクライナ(クリミアは離脱したが)だけのことはあるとか、彼女に逮捕されたいなど話題だけ沸騰している。

さっそく18日にはクリミア自治共和国の中心都市シンフェロポリで、ロシア軍とみられる部隊が市内にあるウクライナ軍の施設を襲撃し、ウクライナ兵1人が死亡、少なくとも1人が重傷を負った。ナタリア検事総長の出番である。まあ、ブログ子でも結果はわかるが。

横田夫妻の「モンゴルの笑顔」に「もらい笑み」

北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん=失跡当時(13)=の父滋さん(81)、母早紀江さん(78)夫妻は、孫でめぐみさんの娘のキム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)とモンゴル・ウランバートルで10~14日に初めて面会した。外務省が16日発表した。3人の面会は、日本人拉致問題をめぐる懸案の一つとしてたびたび取り沙汰されてきた。実現したことで、中断状態が続く日朝政府間協議の再開につながる可能性もある。

自宅のある川崎での記者会見には報道陣約100人がつめかけた。モンゴルを訪れる決心をした経緯について、滋さんは、同じ拉致被害者の松木薫さんの母スナヨさんが亡くなったことに言及。「われわれもそういうことになるかもしれないので、できればその前に会いたいと」。早紀江さんも「前から、行きたいと言い続けていた。あそこの国(北朝鮮)に入るのは難しいと我慢してきたが何もわからないままではなく、何とかなればいいねと思って」と語った。

kor14031714100009-p1夫妻は10日にウランバートル入りし、その夜に短時間面会。11~13日は、日朝双方の通訳1人ずつのほかは横田さん夫妻と、ウンギョンさんと夫、その娘の生後10か月になる赤ん坊の計7人だけで過ごした。夫妻はひ孫のためにおもちゃのピアノと、子供用の薬を用意。「滞在中にもおなかが痛くなることがあり、さっそく役に立ちました」と話した。ウンギョンさんが持参した野菜をゆでて、スープのような料理を作ったといい、「とてもおいしかった」と早紀江さん。早紀江さんは2002年に孫の存在を知ってから願い続けた面会で「夢のようなことが実現した。希望していたことがかなえられた」と孫に会えた喜びを語った。

早紀江さんの「首を振って歩いているところが、小さいころにテレビの『ひょっこりひょうたん島』の音楽に合わせて歩いているめぐみちゃんにそっくりだった」という話に、ブログ子は、そうかそんな昔になるかと北朝鮮による想像を絶する期間の犯罪に思いを致したが、新聞に載った早紀江さんの笑顔はこの何十年間ではじめて見たものだけに、しみじみと共感にひたった。

16日に報道各社にあてた文書では、「ウンギョンさんとの対面は、本当に奇跡的なことで、大きい喜び」としながら、「日朝会談が何とか良く進められ、全被害者救出のためになることを切望しています」とコメントした。これまでも北朝鮮に行き孫娘に会うことを勧められても「北の思惑に乗るだけ」と被害者全員のためにガンとして拒否してきた二人だが、会いたい思いは誰よりも強かったことだろう。

日朝赤十字会談もひらかれて、確かに動き始めている。中国、韓国とギクシャクしているなかで、日本に活路を見出して接触を図っているようだ。ことここに至ったのも従来の制裁措置がじわじわと効いてきたからにほかならない。脱北者の話を聞いてももはやこの国は破綻している。もうひと押しで崩壊するに違いない。

なのに黒岩祐治神奈川県知事は先の県議会常任委員会で、県内の朝鮮学校5校に毎年約6千万円の補助金を出していたのをやめる代わりに、保護者の世帯収入に応じ、入学金や授業料の補助を行う方針を示した。「子供に罪はない」といった判断だというが北朝鮮を資金面で支える朝鮮総連を県費で養うようなものである。

隣の東京都では教科書の提出を求め、歴史教科書では「敬愛する金日成主席様」など、北の指導者を礼賛する記述が頻繁に出てくる。校長室や職員室には金日成、金正日父子の肖像画が飾られていた。学校施設の一部を、朝鮮総連が無償で使っている事例もあったーーなどを理由に打ち切っている。

ハーグの核サミットで告げ口おばさんが握手か

こうしたブログに予測原稿は禁物なのだが(すぐ結果が出ることなので)安部首相と韓国の朴槿恵大統領は23、24両日にオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットの席上、オバマ大統領を仲介する形で握手するのではないか。ようやく。

”告げ口おばさん”など放っとけばいいようなものだが、このところの日米韓の動きを見ていると、ようやく外交が動き出したようだ。ウクライナ情勢やイラン問題でロシアのプーチン大統領に先手を取られっぱなしのオバマ大統領だが、ようやく、どこの国にも通用しない歴史認識一本槍の韓国の所業をほっといたら極東の安全保障にどれだけ痛手になるか気がついたようだ。

ハーグで握手、という構図を描くのは以下の様な理由からだ。

第一は、安倍晋三首相が過去の植民地支配と侵略を認めた95年の村山富市首相談話と従軍慰安婦問題をめぐり旧日本軍の関与と強制性を認めた93年の河野洋平官房長官談話を継承すると表明した。これについて「朴槿恵大統領が幸いに思う」と述べたこと。

河野談話のでたらめな作成過程は産経の阿比留瑠比記者の仕事で暴かれてきて、政府で検証委員会をつくる動きが出てきていた。検証されて困るのは韓国なのだが、安部首相が14日午前の参院予算委員会での答弁で「検証すれど談話は継承する」と断言した。珍しく首相は事務方が用意した紙を逐一読み上げていたから、米政府の口出しがあったのだろう。

外務省は韓国大使館に対して、「午前の首相の国会答弁を注視して欲しい」と連絡したそうだ。韓国大使館が至急報で演説内容全文を本国に打電したのは言うまでもない。これを待ちかねたかのように朴大統領は上の声明を発表した。

kor14030122420第二に同じ14日に韓国大統領府は、23、24両日にオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットに朴大統領が出席、25日からはドイツを訪問し、メルケル首相と首脳会談を行うと発表した。ハーグにはオバマ大統領も安部首相も出席する。挨拶だけですませるのはもったいない機会ではないか。

12日に外務次官・斎木昭隆と韓国外交省第1次官・趙太庸との会談が行われた。こうしたシナリオはこの席で描かれたのだろう。翌日から14日の安倍首相の苦渋の答弁ぶりなど両政府の動きと合致する。

あの強気の歴史認識は改まらないという声が多いが、アメリカが仲介に乗り出したからには断れないだろう。オバマ大統領は当初、日本だけ訪問する予定だったのを強引に韓国に引っ張った経緯がある。日本側が国賓で迎えようとしていたのだが、1泊2日では歓迎行事を入れるのも難しくなった。アメリカへの「恩」をアダで返すことはできない。加えて日韓のギクシャクで韓国は国内経済も苦しくなってきたという。

横田めぐみさんの両親が今月10~14日にモンゴルで拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の娘、キム・ウンギョンさん(26)と面会した。北朝鮮による拉致は韓国のほうが多いのになぜか不問にしている。日本側が独自に動くのにも6カ国協議の場でと釘をさしてきたが、中韓はなんの力にもならないのははっきりしてきて、安部首相が独自の動きをし始めた。北朝鮮側も日朝直接交渉を望む動きになってきた。韓国は蚊帳の外である。

もはや告げ口外交だけでは通用しないご時世なのだ、かくして3カ国首脳会談で安倍首相と握手するしかないのである。大して見たくもないが。

モラルなき相手には損害賠償請求しかない

fbf8ec517携帯電話などに使われるNAND型フラッシュメモリーに関する東芝の先端技術情報を不正に持ち出し、韓国の半導体大手「SKハイニックス」に提供したとして、警視庁捜査2課は13日、不正競争防止法違反(営業秘密開示)の疑いで、業務提携していた米国半導体メーカーの元技術者の杉田吉隆容疑者(52)=北九州市門司区=を逮捕された。杉田容疑者は「全て間違いありません」と容疑を認めているという。

杉田容疑者は米国の半導体メーカー「サンディスク」日本法人の社員だった2007年4月~08年5月、東芝のフラッシュメモリーの生産拠点だった三重県四日市市の四日市工場で、「営業秘密」に当たる絶縁膜関連のデータなどを、付与されていたIDを使いサーバーにアクセスし、USBメモリーに不正にコピー。08年7月、転職先のSK社に持ち込んだ東芝側の損害は1000億円をくだらないという。

日本の先端技術をいろんな方法で盗んで成り立っている韓国企業の一端がまた明らかになった形だが、ブログ子はかねてから注目していて再三書いているケースだが、一昨年4月には新日本製鉄(現・新日鉄住金)が高機能鋼板の製造技術を流出させたとして、元社員と韓国製鉄大手ポスコを相手取り、1千億円の訴訟を起こした裁判。早ければ今年にも東京地裁の判決が出る。

韓国が「恩を仇で返す」国柄だが、ポスコのやり口は悪質だ。この会社は旧浦項製鉄所で高炉建設からその後の技術供与まで日本の新日本製鉄の全面的支援でゼロから立ち上げた企業である。薄板技術が現在の韓国の自動車産業を支え、厚板技術が日本の造船業から世界一の座を奪うまでに至ったのだが、そうした恩はおくびにも出さず更に技術を盗用して成り立って、自社技術だと強弁してはばからない。

日本企業も黙っているわけではなく韓国で訴えてもいるのだが、韓国企業には知的財産権を軽視する傾向があり、企業活動のどこが悪いという開き直った論理がまかり通る。加えて韓国は裁判後進国といっても良いほど偏っていて、平気で韓国企業有利の判決を出す。

在韓日本企業などで構成するソウル・ジャパン・クラブは1月、韓国政府への年次要望で、特許訴訟で「権利者が勝訴する割合が極めて低く、認められる損害賠償額もきわめて低額」だと訴えた。韓国での平均賠償額は5000万ウォン(約470万円)~1億ウォンで「感覚的には日本の10分の1以下だ」と関係者は話す。上記のポスコの例でも韓国での裁判だったら期待できないが、今回はたまたまポスコの日本法人があったために日本で裁くことができた。

baishou韓国での訴訟が信用出来ないのでこのところ海外での訴訟が増加している(右の表参照)。韓国企業が特許侵害で外国企業から訴えられるケースは2013年は334件と、過去3年で2倍になった。今回14日に東芝が、続いて続いて米サンディスクが韓国SKハイニックスを提訴している。日本でだ

企業秘密を海外に漏洩した場合は厳しい罰則を科す米国などと比べて、日本は「産業スパイ天国」と揶揄され、制度の不備が指摘されている。不正競争防止法は営業秘密を漏らした場合、個人の罰則は懲役10年以下または罰金1千万円以下。不正に情報入手した企業側の罰則は3億円以下の罰金となっている。企業に1000億円の被害を与えても「3億円以下」とあっては「やり得」なのだ。

日本人の「脇の甘さ」もある。日本ではおもちゃの扱いを受けていて、その先端性が認識されていないが、いま話題の無人機などはラジコン技術の応用だし、2006年1月にヤマハ発動機(本社・静岡県磐田市)が、軍事転用可能な無人ヘリコプターを中国に不正に輸出しようとしたとして、福岡、静岡両県警の合同捜査本部と名古屋税関から外国為替法違反(無許可輸出未遂)などの疑いで同社の本社など20カ所を家宅捜索、経済産業省が同社を刑事告発した事件がある。おもちゃの延長線上の考えだと説明したが、これはのちに軍用への転用を認識していたと断罪されている。

ブログ子は以前東富士演習場で陸上自衛隊の60式戦車に乗ったことがある。現在は10式(2010)戦車なので何世代も前の旧式だったが、 1キロ先の空き缶を吹き飛ばすのに驚いたが、さらに欧米の戦車と違って日本の地形に合わせて上下動に対応した照準器があるなど近隣国から見たら垂涎のものだった。武器輸出三原則の縛りがあって輸出できないが、あの手この手である国が「盗み」に来る話を聞いた。

日本の技術にもう少し自信を持つことだ。同時に「ポスコ」や「SKハイニックス」その他盗みを働いた韓国企業にはしっかり賠償請求書を送りつけることだ。

人間は無知、無能な存在と知りつつも

東日本大震災の3月11日前後のテレビ、新聞は見ないことにしていた。やたら情緒的なルポや「あの日生まれた赤ちゃんが3歳に」という報道を見ると、それがどうしたと言いたくなるだけだからだ。だからといって自分が新聞の編集者やテレビのディレクターだったらどうするかと問われるとそういい知恵も浮かばないのだが。

少し落ち着いたころなので、新聞テレビがはっきりいわないことを3つほど「断言」しよう。

大川小学校の悲劇は無能な教頭の優柔不断が招いた
1Z20140310GZ0JPG0007330010010日、宮城県石巻市立大川小の児童・教職員計84人が津波で死亡、行方不明になったのは学校側が高台に避難させるといった安全配慮義務を果たさなかったためだとして児童23人の遺族が、石巻市と宮城県を相手取り1人当たり1億円、計23億円の損害賠償を求め仙台地裁に提訴した。

大川小のケースはかなり検証が進んでいるが、「人災」と断言していい。この学校では地震直後、大津波警報や保護者らからの情報で津波が到来する危険を予見できたのに、しかもすぐそばに裏山があったのに、津波が来るまでの50分間、児童らを校庭に待機させた。この間、教師や児童の何人かは「裏山に逃げよう」と叫んだのに教頭はなぜが無視、挙句、裏山とは逆の橋のたもとに誘導して津波にのまれた。

多くのメデイアは断言を避け、「謎の行動」などとお茶を濁しているが、リーダーが優柔不断で無能だったらこうなるという見本のようなケースである。今後裁判で明らかになるだろうが、海を知らない人たちだったのではないか。

現福島県知事にはリーダーシップがない
satou自民党福島県連は、今年秋の福島県知事選に「佐藤雄平現知事は原発事故対応へのリーダーシップが足りない」として独自候補を擁立する方針を決め、16日に開く県連定期大会に「知事選挙必勝のための特別決議案」を提出し、擁立作業を本格化させる、という。

ブログ子はかねてから問題視して再三批判記事を書いてきた。水戸黄門を気取って民主党の御意見番を標榜していた渡部恒三元顧問の秘書から民主党ブームで県知事になったのだが、親分ともども福島原発の誘致の旗振りを努め、東電からさまざまな資金を得ていたのに、原発事故が起きるや手のひら返したように批判の先頭に立った。

節操がないのは政治家の常だからそれはいいが、社長が直接県知事に謝りに来いとか、東電の原発対応がなってないとかばかり言い続け、挙句に政府には「自由に使える金3500億円が欲しい」と掛け合った人物である。地元福島の復興計画は一番遅れている。親戚が相馬市にいるが、壊滅した漁港一帯をふくめてどう青写真を引くのか未だに決まっていないし、県知事が乗り出したという話もないという。今福島に必要なのは「大風呂敷」と言われながら100年後の設計図を描いた後藤新平のような人物なのだ。

海が見えない大堤防を作ってなんとする
TKY201103190442東日本大震災の被災地で計画されている大防潮堤の建設について、安倍晋三首相夫人の昭恵さんが「きちんと精査して見直していただきたい」と、撤回を求めているという。すばらしい「内助の功」である。

被災地の沿岸に建設を予定している防潮堤は、総延長370キロメートルで、約8000億円の予算を手当てしている。過去に発生した津波の高さを痕跡高の調査や記録・文献などから整理し、想定される津波の水位を設定、さらにシミュレーションをかけて、地域ごとに一定のプラスアルファを加算して堤防の高さを決めた。

その結果、建設が決まっている漁港の中で、一番高い防潮堤は14.7メートルの高さがあり、当然内陸部から海は見えない。

震災後この手の話はもっともらしく地元要望としてまとめられる。それは大工事で地元の建設業が潤うからだ。しかも防潮堤を造る予算は復興予算が充てられるため、地元住民の負担はない。25兆円の復興予算は原則2015年度末までしか使えない。要求されると国側も「復興計画に水をさすのか」といわれることを恐れて黙認する。気仙沼市はこうして約65%が建設で合意している。

こんどの津波で既設の防潮堤はどうなったか。波の方向を少しは変えられて減災に役立ったところもあるが、「日本一」と自慢していた岩手県田老地区では巨大なエネルギーを前にして大半はバラバラに崩れた。自然に立ち向かうのはよしとしても、自然にはもっと従順でなければならない。100年に1度の津波としよう。99年は海も見えない漁師町でいいのか。

安倍晋三首相は10日午前の参院予算委員会で、巨大な防潮堤の建設計画について「景観も重要で、被災直後から住民の意識も変わってきた。今後、見直しを自治体と相談しながらやっていく必要がある」と表明した。馬鹿な計画はやめさせるべきなのだ。

三たび ウクライナの話

三度、ウクライナの話に触れるのは、現在上映中の映画「ドストエフスキーと愛に生きる」を知って感銘を受けたからである。ブログ子は新潮社の「考える人」編集長、河野通和氏のブログを愛読しているのだが、その今週号で ―翻訳という夢を生きて―というタイトルでこの映画の主人公であるドイツを代表するロシア文学の翻訳者、スヴェトラーナ・ガイヤーさんのことが紹介されている。本人はすでに2010年11月に87歳で亡くなっていて、この映画は最晩年の2006年から彼女に寄り添って撮影されたドキュメンタリーである。
ガイヤー
彼女はウクライナ共和国のキエフ生まれ。15歳の時に、農学者だった父親がスターリンの大粛清の犠牲となり、逮捕される。それからの数奇な運命はため息が出るほどだが、映画ではそんなことは微塵もださず魅力的な日常が紹介されている。その模様は文末に紹介するこのブログへのリンクからお読みいただきたい。

日本は島国だったから、ありがたいことに一度も侵略されず民族の統一性を保ってこれた。武士道という高い倫理観に裏打ちされた高邁な理念が日本人に受け継がれて来たのもそれ故だが、大陸ではそうは行かない。ウクライナという国を見ても絶えず周辺から侵略されて国家として立ったのもごく最近に過ぎない。

チトー亡き後のユーゴスラビアの内乱を見るとき、どうして、こんな狭いところに異民族がひしめき合い、挙句に殺し合いまで発展するのか世界史を学んだ時からの謎だった。ようやく民族大移動の端緒となったモンゴル帝国の侵略の凄まじさを知って理解したのだが、騎馬軍団を見たこともなかった人々が1日100キロ近いスピードで、噂が届くより早く押し寄せ、男は殺されるか奴隷に、女は陵辱される恐怖におののいた。逃げ惑う民族が西へ西へと進み、それまで居た民族はさらに西へと追い出される。イギリスとても大陸にいたのが現在のイングランドに押し込められたと知ってようやくユーゴの紛争がわかる。

北海道大学に「スラブ研究センター」がある。日本におけるスラブ・ユーラシア地域研究の拠点で全国の大学の全国共同利用施設になっているが、学生時代、そばを通っても「アラブ」の間違いではないかと思ったほど疎かった。

スラブ民族という、一つの民族があるわけではなく、インド・ヨーロッパ語族スラブ語派に属する言語を話す民族集団を指す。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)、西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)、南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる(ウイキペディア)。

スラブ人の最大の特徴は言語が似ていることで、国は違ってもスラブ人同士の意思疎通は可能で、セルビア人とロシア人、スロバキア人がそれぞれの言語で話しているのに内容は理解し合える程だという。またスラブ系の国々の国旗はロシアのように、赤、青、白の組み合わせからできているところが多い。

ロシア軍の実効支配が進むウクライナ南部クリミア半島では人口の6割を占めるロシア系住民を中心にロシアへの併合を求める声が強まっている。「我々はロシア人だ。ウクライナに編入されたが、本来のロシアに戻るのだ」とテレビで叫ぶ住民の姿を見ると一見もっともらしいが、歴史を遡ればこの地はもともとタタール人のものだった。

クリミア半島のタタール人は1944年にドイツ軍に協力していると嫌疑をかけられ、スターリンの命令でウズベク共和国(当時)やシベリアなどに全員が強制移住させられた。本格的な帰還はゴルバチョフ政権下の80年代後半に行われたが、そこにはすでに多くのロシア人が移住していた。漢人が移住してこれを中共政府が支援して弾圧を続けて今やテロの温床となっているチベット、ウイグル両自治区の構図と同じである。100万人ほどいるイスラム教徒の少数民族クリミア・タタール人は、迫害を恐れて息を潜めているのだ。

ウクライナはソ連、ロシア時代を通じて絶えず弾圧され、すでに多くのウクライナ人が海外へ脱出している。ユダヤ系住民は多くがイスラエルに移住していて、あちこちにロシア語の村々が出現、道路標識はヘブライ語、英語、そしてロシア語だ。ソ連の支配を潔しとしない人々の海外移住先として最も大きなコミュニティーがあるのはカナダで、約120万人のウクライナ系コミュニティーがある。カナダで英語、フランス語に次ぎ話されている言語はウクライナ語だ。(佐藤優氏・元外務省主任分析官)

そこで最初に紹介したスヴェトラーナ・ガイヤーさんだが、映画の原題は「五頭の象」である。彼女が翻訳したドストエフスキーの5大長編小説――「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」を5頭の象に見立てたものだ。

「本を前にして、翻訳する時に先生にドイツ語で言われた言葉がある。“翻訳する時は鼻を上げよ”。翻訳とは左から右への尺取虫じゃない。翻訳は全体が大事。文章の全体を自分の内側に取り込んで、心と一体化する。翻訳する時は鼻を上げよ」という文章が出てくる。文学に限らず政治、外交、経済すべてに当てはまると思う。

ブログは下記のURLだが、映画はまだ上映中だ。

http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/578.html

蛇足だが前々回に紹介したウクライナ名物「FEMEN」。どこに行ったかと書いたが、健在のようで、渦中のクリミヤで「プーチンくたばれ!」とやって手荒く扱われ、ニューヨークはタイムズスクエアで数人がウクライナの国旗の色に塗った胸を出してプーチン批判とロシアへの制裁を支持するメッセージを披露した。こちらは優しく扱われたようだ。ご希望の向きにはそのトップレス姿を提供するが如何?