ブログの亭主 暫し山中に在り

恒例ですが、ブログの亭主は本日よりしばらく八ケ岳山中に移ります。
新聞なし、テレビなし、パソコンもなければ繋がるネット環境にも無縁です。
したがってこのブログもサイトの更新も暫時休載します。

サイト「八ケ岳の東から」の「ソローの『森の生活』」に書きましたが、望んで求めた環境ですので何ら不満はありません。

悠然として 南山を見る
山気(さんき) 日夕(にっせき)に佳し
飛鳥(ひちょう) 相与(あいとも)に還る
此の中(うち)に 真意有り

陶淵明の「飲酒」の一節の心境ですが、日の出とともに起き、日が傾けば酒を飲み、沈めば寝る毎日です。
外界のニュースは朝晩7時のNHKラジオで知るのがすべて。
主な仕事は、木を伐り、落木を運びことと、花が咲くまで7年ほどかかるコオニユリの育成で、夕闇とともにやってくるキツネと食事の一部を分け合う生活です。

そんなことで下山する10月中旬までブログ、サイトとも更新休みます。

我が山墅の2階から見た横岳の上に残る「有明の月」

我が山墅の2階から見た横岳の上に残る「有明の月」

こんな小3女児がいればイジメはなくなる、

今日、習近平韓国訪問というので、1300年属国だった国にまた擦り寄る愚かな国のことに触れようと思ったが、ブログの亭主は明日から留守にする。最後は「いい話」にしたいと思ってこちらにした。

愛知県三河地方にある公立小学校3年の教室内で8~9歳の男児2人と女児の計3人が、同級生女児へのいじめをかばおうとした女子児童(8)の背中をたたいたり、跳び蹴りしたりし、頭部打撲など1週間のけがを負わせた事件。

市教委の発表。新任教師だから、などの言い訳に終始した。

市教委の発表。新任教師だから、などの言い訳に終始した。

愛知県豊橋市教育委員会が1日公表したところでは、このクラスのある女児は4月以降、男児らから砂をかけられたりからかわれるなどのいじめを受けていた。今回怪我をした女子児童が6月2日、「いじめるなら私を代わりにいじめて」と発言したところ、男児らが3日午後の休み時間に教室で暴行した。数分後、授業のため教室に来た男性担任(23)が気付いて暴行を止めたが、女子児童を病院に連れて行かず、両親にも連絡しなかった。

担任らは4日に両親を訪ね事態を説明。両親が女子児童を病院へ連れて行くと、1週間のけがと診断された。女子児童は5日から学校を休んだが、男児らとその親が謝罪したため、27日から登校を再開したという。聞き取りに対し、3人は「深く考えずにやった」と説明している。

どこにでもいる悪ガキのいじめだが、この女子児童の「いじめるなら私を代わりにいじめて」という言葉は誰にでもできる発言ではない。自己犠牲という宗教的「高み」すら感じさせる立派な行為で、今どきこんな小学3年生がいたかとほんとに驚いた。このような児童がクラスにあと1人、2人いたらいじめ問題など起きないだろう。

それにしてもこうした児童が育った家庭環境を知りたい。豊橋市政記者クラブの記者諸氏は直ちに両親とこの女児に会って、その教育方法を取材して欲しい。そして仮名でも構わないから深く掘り下げてもらいたい。きっと日本のいじめ問題に深く示唆するものが得られるはずだ。

W杯ブラジル大会では負けた日本のサポーターがスタンドでゴミ拾いをしている光景や、負けた選手を迎えに出発時に匹敵する数の人が成田に集まったことを取り上げ、自国にはない日本人の素養について考察する海外の論調が目立つようになった。

日本には批判的な論調が目立つ中国だが、中国新聞網は30日、「華人女性が東京で交通事故死、日本の民衆が供養」と題した記事を掲載した。記事は、東京・池袋で脱法ハーブを吸った男が運転する車が暴走し、30歳の中国人女性を死亡させた事故を伝えた上で、事故現場には多くの献花が供えられ、毎日大勢の通行人が手を合わせていると驚きをもって報じている。

ネットでは上海であったある出来事を「なにかで自分を激しく削られた感じがした」と振り返っている。あるスーパーマーケットで1歳の娘と買い物をしていると、娘がおやつ売り場の商品をいじって崩してしまった。そのまま立ち去ろうとしたところ、日本人の母子がやってきて、5歳くらいの男の子が娘がいじった商品をきれいに並べ始めた。その時の気持ちを上記の「激しく削られた感じ」と表現し、日本人の素養について「日本民族には我々が恥ずかしさを感じるような点が多い」としている。

「いじめるなら私を代わりにいじめて」と言える子どもが増えれば確実にいじめはなくなる。文部大臣、いや総理大臣でもいいが、すばらしい行動をとったこの女児を訪ねて、将来の施策へのヒントを与えてくれたことに謝意を伝えてほしい。

長良川鵜飼いが不振の理由

鵜匠が鵜を操り、アユを取る鵜飼い。昔からの様式を守り約1300年の伝統漁が苦境に直面している。全国最大の集客を誇る「ぎふ長良川鵜飼」(岐阜市)は、観覧船乗船客が昨年まで4年連続で11万人を割り込み、回復の兆しがみえない。

001乗船客数は1960年代後半から25万人以上となり、NHK大河ドラマで岐阜市が舞台の「国盗り物語」が放映された73年には過去最高の33万7337人を記録した。だが、94年には20万人を割り込み、90年代後半からは10万~12万人台で推移するようになった。

「今年はアユの遡上(そじょう)もいいようだし、乗船客は昨年より1万人多い11万5000人を目標にする」。岐阜市の細江茂光市長は、定例記者会見で今季の乗船客数目標を掲げた。予約状況は前年をやや下回るペースだったが、細江市長は強気の姿勢を崩さなかったが予約状況は前年を下回っている。(毎日新聞)

◇ ◇ ◇

なぜだろうと思う人が多いだろうが、ブログ子は10数年前にこの日の来ることを予想していたので、やっぱり、という思いで新聞記事を見た。当時岐阜県の観光協会の招きで訪問したが、あまりにもがっかりしたので、協会長に「これではジリ貧になるばかりでしょう」と辛言を呈したことがあるのだ。

長良川鵜飼いは約1300年の伝統を誇る。長良川鵜飼の鵜匠6人と、上流の小瀬鵜飼(岐阜県関市)の鵜匠3人は「宮内庁式部職」の職位を与えられ、取ったアユを皇室に献上する御料鵜飼を行う。関係者には「鵜飼といえば長良川」との強い自負がある。乗船客数は1960年代後半から25万人以上となり、NHK大河ドラマで岐阜市が舞台の「国盗り物語」が放映された73年には過去最高の33万7337人を記録したこともある。

鵜飼いといえば鵜飼観覧船と鵜舟(鵜匠の船)が併走しながら川を下り、篝火の下で鵜が鮎を捕らえる様子を見るものという期待がある。しかし現場に行くと、確かに鵜舟に乗るのだが、ほんの2,30メートル上流に上ると川原に接岸、トイレの人は渡り板をわたって川岸に設けられた恒久施設のトイレに行くよう案内される。

一緒に川を流れ下るどころか、接岸した岸辺から流れ下ってくる鵜舟を陸から眺めるだけなのである。パンフレットには確かに「河川の増水時等には、安全面から、鵜飼観覧船を岸に着けたまま鵜飼をご覧いただく場合もありますのでご了承ください」とあるのだが、年がら年中増水のようである。要するに舟には乗っているものの観覧席から鵜飼の光景を眺めるだけなのだ。

しかも値段がべらぼうに高い。たったこれだけのショーに、その後値下げしたとはいえ「大人3400円」「子ども1700円」(現在)である。親子4人で1万円札で足りない。これでは二度と行かないだろう。ブログ子は友人知己にその後「止めとけ。飛騨高山に滞在時間を振り向けたほうがいい」と忠告したものである。

格式をいくら宣伝しても、魅力の中心である、鵜舟と一緒に川下りしながら、水をかぶりながら、間近に鵜飼いを見るという肝心の部分を見せず、観覧席に貼り付けにしていたのでは客は二度と来る気を起こさないのはものの道理だろう。

隣の「木曽川うかい」(愛知県犬山市、岐阜県各務原市)では女性鵜匠を起用して客足が増えたそうだが、そんなものではなかろう。鵜飼いを一見さん相手のショーにしたのが悪いのである。

10年後、今日の朝日・毎日の記事を読もう

集団的自衛権をめぐる一部新聞の報道は常軌を逸している。ブログ子は60年安保世代で、当時はゼンガクレンのデモ隊の「先頭」ではなくなく「中段」くらいを突っ走っていた。検挙されたこともあるが、「若者を明日にも戦場へ送る」安保条約という全新聞に共通の見出しを信じた。

今その時と同じ見出しが踊る。当時は全メディア揃って煽ったが今回は朝日、毎日、東京、プラス共同通信配下の地方紙くらいで読売、産経は集団ヒステリーには入っていない。 「教え子を戦場に送りたくない」と悩む教師の話をせっせと紹介し、国会前のデモ隊のコメントと写真をことさら悲壮に伝えるそれらの新聞しか読んでない人には、是非この日の記事をスクラップしておいて10年後、20年後に再読されることを勧める。

70年安保の狂騒をみで「少しおかしいぞ」と感じ、さらにその10年後には安保闘争そのものを「バッカじゃなかろか」と総括するに至ったブログ子と同じ虚しさを感じるであろうことを保証する。もっともいまだにわからず、殺し合い殴り合いを演じている中核、革マルの老年闘士もいることはいる。

この人たちに10年後に感想を聞いてみたい

この人たちに10年後に感想を聞いてみたい

朝日はデジタル版で午前8時11分、「号外」を出した。そのリードが「他国のために武力行使する集団的自衛権をめぐり、自民、公明両党は1日朝、行使容認で合意した。日本の安全保障政策は大きく転換されることになる」とある。公明党が「行使に二重三重に足かせをかけた」というのに、これである。

「日本政治の現状は、権力分立など眼中にないかのようだ。国会も無視したまま、しゃにむに集団的自衛権をめぐる憲法解釈をひっくり返そうとしている。日本のたがを勝手にはずしておいて、この政権がしっぺ返しを食わないとは思えない」(天声人語)。社をあげてのキャンペーンである。

毎日新聞は政治部長名で「現在の政治状況は、時の多数派のトップの意向が政策を左右する傾向にある。しかし、トップの思想信条によって国家の根幹が変更されることまでは、日本社会は決して許容していないと思う」とある。つづけて、衆参両院議員には「選良」としての責務を果たしてほしい。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない━と断定している。

先ごろ従軍慰安婦問題でやっと検証結果がでた。いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」だったにもかかわらず河野洋平官房長官が記者会見で、強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている。つまり、当時の日本政府はトップどころか一官房長官が勝手に事実を曲げていたのである。

韓国では日本が検証結果をだしたことで政府も議会も大騒ぎである。自分たちのボロが出たからだ。日本は正々堂々と事実を押し通せばいいのである。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない」そうだが、公明党一党を納得させるために重箱の隅をつつくような文言の修正を重ねた経緯は、多勢に無勢の逆にしか見えないのだがどうか。

ノーテンキな新聞に欠けているのは軍事知識である。どこの新聞社もしっかりした軍事記者を育ててこなかった。育てようにも手を挙げる記者などいなかった。「税金泥棒」と叫ばれている自衛隊で戦闘機や潜水艦や戦車のことを勉強して世界情勢を展望する者などいるワケがない。だからトンチンカンな平和論がまかり通るのである。

アメリカは世界の警察官をやめようとしている。こういうときいつも国内ではモンロー主義が幅を利かせる。日本に自前で防衛力をつけさせアメリカの安保政策の一翼を担わせようとするだろう。集団的自衛権などよりそちらの方が問題なのだ。いずれにせよ7月1日付けの新聞は取っておいて10年後に彼らの今日の論調を検証しようではないか。腹が捩れるようなものになると思う。

3大激痛のうち2つも体験した

世に尿管結石、痛風、胆石を「3大激痛」という。胆石に変わって心筋梗塞、腸閉塞、解離性大動脈瘤が入ることがあるが前の2つは不動の地位を占めている。ブログ子は、何の因果かその2つを患ってのたうち回った。

尿管結石は結婚して間もなく横浜・日吉の社宅で発病した。夜中2時頃激痛に襲われ50メートルほど先の内科医院のドアを叩いた。歩くのもままならずドンドン戸を叩くとややあって医者の奥さんが出てきた。痛くて症状を説明することもできない。看護婦を兼ねているようで、察したらしく、先生を呼んできますからと奥に消えた。

医者がペッタンペッタンとスリッパの音を立てながら2階から下りてきたが、これが許せない。「なぜ走ってこない」と怒鳴りたいが声をだすこともできない。ところがその時どこかのおばさんが痛い痛いと駆け込んできた。「胆石のようですね。そちらを先に拝見しましょう」というに至って、「オレが先に戸を叩いたのに」と殺意を抱いたほどである。

こうした結石が尿管を塞いで激痛を引き起こす

こうした結石が尿管を塞いで激痛を引き起こす

夜中駆け込んでくるのは尿管結石か胆石と相場が決まっているとは後で知った。ブスコバンという尿管拡張剤を注射されると針が半分ほど進んだところでケロッと痛みがなくなった。帰りは口笛を吹いて帰ったほどである。

3ヶ月後、また発症した。家を変わっていて今度は新宿のカトリック系病院だった。手術しましょうというので、早くやってくれと願ったが、切るのは痛みが去った2,3日後だという。原稿がたまっていたし、痛みもないのにあほらしいから病院を脱走した。だが2週間後再発して同じ病室に運ばれた。「脱走しない、と一札入れろ」と婦長がやってきた。

右の背中の後ろを盛大に切られて1カ月も入院した。20年後、部下の記者が尿管結石で手術のため入院すると言うので、いろいろ教えようとしたら「今じゃ超音波破砕機があって一晩の入院ですよ」というのであっけにとられた。30年後また発症してその破砕機のおせわになった。簡単とはいっても、結石に照準を当て1分間に100発、都合30分間も連射されたらぐったりとなったが、医学の進歩は早いと実感した。

痛風は新聞社の横浜総局で発症した。痛くてじっとしてられない。昼間いるのは女性ばかりのところで、足の親指が内側に曲がっているのを見て「外反母趾だ」と口をそろえていう。当時は桜木町駅から東横線が出ていたから、片方の靴を脱いで手にぶら下げ靴下のまま他人に踏まれないようにソロリソロリと歩いて、渋谷に出て、高田馬場から出迎えた家内の車で練馬の親戚の医者のところに行った。

痛風の多くは足の親指の付け根が腫れ上がる。文字通り風が吹いても痛い。

痛風の多くは足の親指の付け根が腫れ上がる。文字通り風が吹いても痛い。

「外反母趾のようだ」といったら、従兄が「お前さんハイヒールを履くのかい。これは立派な痛風だ」という。方法は二つある。一つはビールはじめ酒はダメ。肉ダメ、牛乳ダメだ。もう一つはプリン体を抑える薬を飲む方法だ。ただし一生飲み続けなければならない。さてあんたはどっちを取る?ときた。お陰で今現在も薬を飲みつつビールを飲んでいる。

理由はわかっている。この時期ブログ子はホテル業界にちょっとした顔で、発症の5日ほど前、鳥羽国際ホテルに招かれた。伊勢海老、アワビ、うになどの海鮮コースと、松阪牛の刺し身やステーキを中心にした肉料理を総料理長が用意しているという。一泊予定だったので、えいっ両方一度にごちそうになろう、と申し出たのである。もちろん生ビールは飲み放題である。

先週こんな記事を見た。

痛風の予備軍である「高尿酸血症」へのなりやすさは、肥満や飲酒の習慣よりも特定の遺伝子の変異に左右されるとの研究結果を防衛医大などのチームがまとめた。痛風は、尿酸が結晶になって関節にたまることで、激しい痛みを引き起こす。成人男性の4人に1人は、血液中に尿酸が多い高尿酸血症の状態。健康診断を受けた35~70歳の約5千人の血液や体重、飲酒量などのデータを解析したところ、高尿酸血症だった約千人のうち29%は遺伝子の変異が主な原因で、肥満(19%)や大量飲酒(15%)よりも影響が大きかった。

変異があったのは「ABCG2」という遺伝子で、変異があると尿酸を体の外へ出す量が通常より25~75%減る。25%減る変異の場合、身長160センチの人で5キロ、170センチの人で5・7キロ、180センチの人で6・4キロ太るのと同じリスクをもたらすとわかった。飲酒と比べると、ビールを週13リットル飲むのと同程度だった。

遺伝子操作で痛風とおさらばする時代が来るかもしれないのだ。くそ!世の男どもにあの痛さをもっと味わわせてやりたいのに、医学の進歩は早いもんだと無念の思いである。

移民政策の危うさ

名称未設定 1①何もしなければ、日本の人口は2110年には4286万人に減る。 だが、外国からの移民を毎年20万人受け入れ、出生率も回復すれば100年後も人口は1億人超を保つことができる――内閣府が24日示した試算。

②自民党は26日、外国人労働者の受け入れ拡大を求める提言案をまとめた。外国人の技能実習制度について、現在の最長3年間の受け入れ期間を5年に延長することが柱。

20131202013610469移民と技能研修生とは違うのだが、現在言われている「移民政策」では、減少する人口を外国人労働力で補おうとする意味で使われ、ひとまとめにして「移民」と言っているようだ。官も民もメディアも「移民」ですべてが万々歳という論調ばかりで、その危険性について触れたものを見かけない。

ブログ子は1ドル=360円時代ヨーロッパを歩いた。ロンドンのホテルでは朝食時のサービスはほとんどアフリカ系の女性だった。イギリス人は紅茶にうるさく、淹れた紅茶に温かいミルクを入れるのか、温かいミルクで紅茶を淹れるのか細かく注文する。でもそれはほとんど不可能で、オートミールについてくるパウダーシュガーが普通の砂糖だった。

パーティーで一緒になったイギリス人貴族に聞いたら、ニヤッと笑って「ホテルには行かない。自分のクラブで食事する」というものだった。執事がいるようなクラブではイギリス人のサービス係がいて注文通りの紅茶が出るというのだ。スイスのチューリッヒのホテルで夜明け近くの町を見ていたら、ごみ収集をしているのはみなアフリカ系の男性だった。
1ドル=200円時代再びヨーロッパに行ったらさらにその数が増えていた。

植民地経営をした国は3Kを始めとする単純労働者は昔の植民地からの労働力に頼って居た。植民地経営をしなかった国も見習ってどんどん移民を受け入れた。その結果どうなったか。

OECDの移民(外国生まれ)の人口比率は、2011年度統計で、ルクセンブルグ42%以上、スウェーデン27%、豪州27%、イスラエル24%、NZ24%、カナダ20%だ。移民先で誕生した2世、3世は統計外なので、移民家族数は実質もっと多い。
なかでも急増したのは230%増のイタリア、スペイン、そしてノルウェー180%だ。急増した国での移民との軋轢は深刻である。ドイツへの移民は年々増加し、2013年は過去20年間で最高記録となった。昨年ドイツの移民の数は122万6000人に達し、人口比13%。米国に次ぐ移民大国になった。仏、英は5%から10%だが治安問題から宗教問題はては文化面での軋轢や反移民を掲げる右翼の台頭など社会問題は増大するばかりだ。

ドイツ・メルケル首相が「移民政策は完全に失敗だった」、英国キャメロン首相が「移民受け入れという慈善は止めた」、サルコジ・フランス大統領も「移民の流入をこのままにして置く訳には行かない」と告白した事例をみてもヨーロッパでは破綻したのである。、

移民を受け入れる際にいつも大きな問題になるのは「日本人の雇用が圧迫される」ということだ。我が山墅がある八ケ岳は高原野菜の本場だが、昨夏キャベツ畑の中で道に迷い働いていた農民に声を掛けた。驚いたことに6人全員中国人だった。技能研修とはすでに名ばかりで、「雇用が圧迫される」どころか労働力をすべて移民に頼っている農家の現実を見せつけられた。

池袋で脱法ハーブを吸った男の暴走で中国人女性が亡くなった。気の毒だが彼女は10代で大学留学を申請して来日、就学せずこの10年余働いて中国料理店を経営し、中国に送金していた。これまた移民の一端である。

移民を受け入れることによるもう一つの問題点は、日本では語られないが移民の出生率が、異常に高いことである。例えば1990-1998年のフランスの合計特殊出生率は、フランス人女性が1.65、対して移民の女性が2.50と、実に1.5倍以上の開きがある。

アメリカではメキシコ(ヒスパニック系)の移民(不法を含む)人口が急増しているが、試算ではヒスパニック系の増加によって2050年にはアメリカは非白人の国になる、と予想されている。

つまり、冒頭の「毎年20万人の移民」を受け入れると、その第二世代、第三世代は、どんどんとその人口を拡大させていく、という事を意味する。単なる労働力の問題ではなく「わび」「さび」どころか「武士道」も失われた文化的衝突に発展する可能性がある。単に「移民歓迎」を唱えている人たちはそういうことも見据えて発言すべきだろう。

日産ゴーン社長の報酬10億円は高すぎる

他人の懐勘定をするのは下司と決まっているが、このところ日本企業が外国人トップを起用する人事が増えるとともにその高額報酬が株主など社の内外から厳しい視線を浴びることが多くなった。

日産・ゴーン社長

日産・ゴーン社長

日産自動車のカルロス・ゴーン社長の役員報酬が2014年3月期は9億9500万円になり、日産の4倍以上の純利益を稼いだトヨタ自動車の豊田章男社長は、前年より4600万円増えたものの2億3千万円だった。24日に開かれた日産の株主総会では、株主から報酬が「高すぎる」という意見が出た。これに対し、ゴーン氏は「日本でなく世界の企業と比べて欲しい」と反論した。

平成26年3月期決算の上場企業で1億円以上の報酬を受け取った役員数が27日時点で273人に達したそうだ。最高額は、東証2部上場で電子回路基板の製造を手掛けるキョウデン(長野県箕輪町)の橋本浩最高顧問の12億9200万円だった。

ブログ子は自分がいくら給料をもらっているかついぞ知らずに過ごしたから、ただただ、そんなものかと思うだけだ。オーナー社長がいくら報酬を取ろうとその会社の勝手である。自分で作り上げたのだから潰さない限り許されることだ。しかしゴーン社長の場合「高すぎる」と思う。

日産はプリンスやフェアレディーの名車があるが買おうと思ったことはない。労働貴族に食い物にされた歴史を知っているからだ。日産自動車には、かつて3人の「天皇」がいた。銀行出身の川又克二社長(86年、81歳で死去)、生え抜きの石原俊社長(03年、91歳で死去)、自動車労連(現・日産労連)の塩路一郎会長(13年、86歳で死去)である。

小説にもなったほど社内抗争は激烈を極め、川又と蜜月関係を結んだ”労働貴族”塩路が、石原と激しく対立した。70年代後半からの日産の「三頭政治」のために超優良会社だった日産は凋落し、仏ルノーに身売りしなければならなくなった。ルノーからやってきたのがゴーン社長で、好業績をバックにルノー本体のトップにもなった。

当時日産は労働争議を繰り返していた。興銀から経理担当常務として送り込まれていた川又克二は第2組合を作って労働争議を終了させようと考えた。それまでの反組合運動を買われた塩路一郎はやがて役員人事にも介入するようになった。

川又=塩路の蜜月は20年間続いた。77年6月、社長に就任した石原俊は「労使協調路線の名を借りた労組(=塩路)の経営介入がある限り、日産に21世紀の繁栄はない」と考え、労使関係の是正に乗り出した。

英国工場の建設計画で、塩路の反対を無視して進められたため、塩路が率いる自動車労連は記者会見して英国進出に反対を表明。塩路は「強行したら生産ラインを止める」と迫った。会長の川又が塩路を支持し、社長の石原を批判したため、社内は大混乱に陥った。

84年1月、写真週刊誌「フォーカス」に「日産労組『塩路天皇』の道楽-英国進出を脅かす『ヨットの女』」というタイトルで若い美女と自家用のヨットに乗った塩路の写真が掲載された。4000万円はするといわれたヨットを所有していただけではない。品川には7LDKの高級マンションを持ち、日産プレジデントとフェアレディ240Zを乗り回していた。「(労組の指導者が)銀座で飲み、ヨットで遊んで何が悪い」と公言する塩路のコメントもあった。

この写真爆弾で、石原は塩路にトドメを刺した。長年に及ぶ組合内の独裁や、「労働貴族」と呼ばれる豪華な生活に不満を募らせていた工場勤務の組合員からも厳しい批判を浴び、事実上、解任される形で、86年2月に自動車労連と自動車総連の会長を辞任した。

つまり社内抗争に明け暮れなければ日産は優良企業でいられたのだが、トップの思惑に使われた労働貴族に吸い取られて企業が傾いた。「世界の企業と比べる」までもなくゴーン社長がいなくても日産は屋台骨がしっかりした会社である。ところが、かっての塩路に変わって今度はゴーン社長の高額報酬ときた。

そのせいか日産自動車が苦戦している。円安にもかかわらず2年連続で業績を下方修正し、国内自動車メーカーの中では「一人負け」の状態だ。その上で、日産社史を振り返って、改めて10億円報酬は高い、と思う。 

「対馬丸」と同じく「3船殉難」を忘れてはならない

「対馬丸」慰霊碑に花を手向けられる両陛下(27日)

「対馬丸」慰霊碑に花を手向けられる両陛下(27日)

沖縄県を訪問中の天皇、皇后両陛下は27日午前、太平洋戦争中に撃沈された学童疎開船・「対馬丸」の慰霊碑「小桜の塔」(那覇市)を初めて訪れ、供花された。 「対馬丸」は1944年8月22日、那覇から長崎に向かう途中、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦の魚雷を受けて沈没。学童780人を含む少なくとも1482人が死亡した。今年は沈没70年の節目で、両陛下は、同世代の多くの学童が犠牲となった対馬丸に以前から強い関心を持っておられて慰霊を希望された。

「小桜の塔」は、戦没学童慰霊のため1954年に建立され、そばには対馬丸犠牲者の名前を刻んだ石碑もある。スーツにネクタイ姿の天皇陛下は、皇后さまとともにゆっくりと塔の前に進み、深く一礼した後、白菊の花を供えられた。続いて10年前に開館した対馬丸記念館を訪問。学童らの遺品を見て回り、遺族らとも面会された。

 ◇◇◇

天皇陛下は当時小学1年生で日光に疎開されておられた。同じ年頃の児童が多く犠牲になった「対馬丸」事件に強い関心を示され、この日の慰霊の旅を自ら希望されたのだが、このときおそば近くで侍従をしておられた東園基文氏はその後掌典長や神社庁総裁をされて先年亡くなられたがブログ子はよく存じ上げていた。

私事にわたるが学生時代北大馬術部で馬に乗っていた。新聞記者になって馬術部東京OB会に顔を出したら会長が東園さんだった。そのお世話で御料牧場の羊肉でジンギスカンをしたが、気軽に周りのOBの子供達の世話をされていた奥様は明治天皇のお孫さんにあたる方でお妃選びの時名前が出る学習院の常磐会の会長もされた。

このOB会で先輩にあたる大場善明氏からはじめて「小笠原丸」など「3船殉難事件」を聞かされた。日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告が出たあとの昭和20年(1945)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が相次いでソ連軍の潜水艦攻撃を受け、沈没するなどして実に1708人が犠牲になった事件である。ソ連(その後ロシア)側は今も認めていないが、この潜水艦はソ連側の公式記録では「L-19潜水艦」で「1945年8月23日、宗谷海峡にて機雷により沈没、乗員は全員戦死」となっている。

余談だが、「小笠原丸」には先ごろ亡くなった元横綱 大鵬(納谷)幸喜氏母子が乗っていた。途中寄港した稚内で船酔いで下船して九死に一生を得た。船酔いがなければ不世出の横綱はいなかったのだ。

大場さんのメールにはこうあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時、私は札幌の幌北小学校3年生。母に連れられて夏休みを留萌近くの増毛の知人宅で過ごしました。私たちが増毛に到着する2日ほど前、上記の遭難事件が起きていました。その日、海辺のすべての家の柱時計が、ソ連潜水艦の発射した魚雷の爆発音で「午前4時20分」で停まっていたと言います。

増毛町にある「小笠原丸殉難碑」

増毛町にある「小笠原丸殉難碑」

夜が明けて明るくなったころ、救命ボートにしがみついた遭難者の姿を見て、海辺では大変な騒ぎとなりました。浜の漁師たちは、引揚船の遭難者を見て「避難民」を聞き違えて、「シナミン」(支那人)との噂で大変でした。私たちが「増毛」に着いたお昼頃にも、「小笠原丸」遭難者の遺体が海岸に打ち上げられる光景に足がすくみました。

今でも忘れられないのは、生後1年にも満たない赤ちゃんを背負い紐で結び、救命ボートでこと切れていた母子の姿でした。赤ちゃんのまるまる太った指が、魚に食いちぎられ爪から先が見当たりませんでした。この光景は、たぶん、一生忘れないでしょう。今も増毛海岸には「小笠原丸遭難碑」が残っているそうです。

土下座しに韓国修学旅行に行く必要があるのか

秋田県の学校の韓国への修学旅行が相次いで中止になっているという。秋田公立美術大付高等学院(秋田市)と秋田しらかみ看護学院(能代市)が行き先を国内に変更したことが25日までに、分かった。県関係者によると、これで韓国行きを予定していた公私立学校全てが取りやめたという。

そりゃそうだろう。旅客船沈没事故などを受けて、今どき修学旅行でもあるまい、と思って、新聞の秋田県版を読み進んでいて驚いた。 秋田県観光振興課によると、ピーク時の23年度に28校、24年度に26校が韓国に修学旅行に行っていたが、25年度は北朝鮮による弾道ミサイル発射の動きなどを受けて7校に減った時はあるが、補助金創設以降、ゼロになったことはなかった。県観光振興課によると、2001年の運航開始から13年度末までに、県はソウル便維持のため、大韓航空などへの補助として約16億円を支出してきた。

ソウル便は、4月に韓国で起きた旅客船沈没事故や円安の影響で搭乗率が30%台に低迷。改善する可能性も低いため、大韓航空が今月11日、10月下旬まで3か月間の運休を決めた。このため大韓航空で仁川空港経由で豪州などへの海外修学旅行にも影響が出ている。

なんで県が一航空会社に補助金を出すのか怪訝に思う人もいることだろう。ブログ子は新聞社の静岡支局長をしたことがあるが、静岡空港開設に大反対だったからよく分かるのだが、ここ10数年全国で地方空港の建設ラッシュが相次いだ。JALもANAも乗り入れ要望を政治家から頼まれて一日1,2便は付き合うが経営が成り立つワケがない。だから行政側は話題のLCCや外国エアラインに補助金を出してまでなんとか乗り入れをとお願いする。そのために修学旅行に名を借りて無理無理需要を増やす・・・という図式である。

これは秋田県ばかりでなく採算の目処もない地方空港を開設してしまった全国至る所の県で見られる。その結果修学旅行に行った高校生はどうなるか。広島県世羅高校女子生徒の体験談がある。

【私は高校2年で今日修学旅行から帰ってきました。、韓国の人に別に嫌な感情とか持っていません。韓国行きが決まってからいろいろ韓国の勉強をしました。だからこそ今回の旅行は残念なことばかりでした。旅行中、大きな体育館みたいなところで元従軍慰安婦のおばあさんのお話を 聞く機会があったんです。お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声! 私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして私が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。そのうち韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。 元慰安婦のおばあさん激しい怒った口調で言っています。 それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、先生方が「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」と言って、結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。 】

従軍慰安婦と称する女性の話を効く日本からの韓国修学旅行生

従軍慰安婦と称する女性の話を聞く日本からの韓国修学旅行生

県などが補助金を出している大韓航空機などで韓国に運ばれた修学旅行生は、今度は受け入れ側によって、上記のような従軍慰安婦と称する老婆の体験談を聞かされたり、ソウル近郊、広州市にある従軍慰安婦の収容施設という「ナヌムの家」の見学などが組み込まれている。

地方自治体が補助金を出してまで韓国の航空会社の経営を助け、出かけた先でしっかりと反日教育を刷り込まれて修学旅行生が帰国する。おかしくはないか。元はといえばハナから採算性がない地方空港の維持のため内容を見もしないで外国、特に韓国エアラインを招致した行政の失態である。

現代の「侍」を見た

小松一郎氏

小松一郎氏

前内閣法制局長官の小松一郎氏が23日未明、東京都内の自宅で死去した。63歳だった。葬儀は遺志で近親者のみで行う。

小松氏の自宅を弔問に訪れた安倍晋三首相は記者団に「小松さんは行政官として、本当に国を思い、実直に仕事をされる方だった。私も信頼していた。残念だ」と語った。

小松氏は外務省出身で国際法局長や駐仏大使を歴任した国際法のスペシャリスト。首相は昨年8月、内閣法制次長を昇格させる長官人事の慣例を破り、法制局勤務の経験がない小松氏に白羽の矢を立てた。内閣法制局は従来の解釈との整合性にこだわり、それを打破するためには小松氏の存在が欠かせなかった。

小松氏は着々と準備を進めた。昨年11月には政府が過去に憲法解釈の変更を行った前例があると答弁し、時代の変遷で解釈が変わってきた事実を指摘した。その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍が見つかり、2月の退院後も通院治療しながら国会で答弁していた。今年2月の退院後も解釈見直しに向け、政府内の調整に奔走した。だが、病魔には抗しきれず、死期を悟ったのだろう、5月に安保法制懇の報告書が提出された直後に退任し、内閣官房参与に就いた。

参院外交防衛委員会で答弁に立つ小松氏をテレビで見たが、痩せたため背広はだぶついていたものの眼光鋭く鬼気迫るものがあった。野党議員からしばしば答弁が長いと批判されたが、「重要なことだから、きちんと説明しないといけないんだ」と怯む様子はなかった。

共産党の大門実紀史参院議員とは3月7日の参院予算委員会終了後、国会内の廊下で小松氏と衆人環視の下で口論となった。「あなたはそんなに偉いのか」と言うと、小松氏は「偉くはないが基本的人権はある」と言い返した。後日、小松氏は大門氏を参院議員会館に訪ねて直接謝罪したが、その場で再び口論となり、けんか別れした。共産党議員が小松氏を「政権の番犬」呼ばわりしたが歯牙にもかけなかった。

解釈見直しに否定的な新聞社の記者が一時職務復帰した今年2月、待ち伏せして病状を聞き出そうとした際には「あなたのところの新聞は人権を重視している新聞でしょう。国家公務員にだって人権があるんです。あなたは惻隠(そくいん)の情という言葉を知っていますか」と語りかけた。

小松氏死去の翌24日、自民、公明両党は「安全保障法制整備に関する与党協議会」の第9回会合を開き、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定の内容について実質的に合意した。政府は27日の次回会合で最終案を提示する。公明党は党内の了承手続きを急ぎ、政府は7月4日までの閣議決定を目指す。

現代の「侍」を見た思いである。

いいかげんにしろ 国税庁のビールいじめ

サッポロビールは低価格の「第3のビール」として昨年6月から販売していた「極ZERO(ゴクゼロ)」について、国税庁から「第3のビールではない可能性がある」と指摘を受けたため、5月の製造分で販売を中止、製法を一部見直した上で、「第3のビール」より価格が高い「発泡酒」として7月15日に再発売する。酒税税率の適用区分の変更で最大約116億円の追加納付の可能性がある
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上の表をみればわかるがビールの出荷量は年々減少している。こうなったのは世界でも例を見ないほど高い日本の酒税にある。ビール系飲料は原料の麦芽比率などによって酒税が異なり、麦芽比率3分の2以上のビールは350ミリリットル缶で税額77円▽発泡酒は47円(麦芽比率25%未満の場合)▽発泡酒に別のアルコール飲料を混ぜた「極ZERO」など第3のビールは28円。

あまりにも酒税が高いから、メーカーは知恵を絞って酒税がより安い製法の研究に励んできた。ビールと似たような味わいを保ちつつ、製法や原料を工夫して酒税を低く抑えたアルコール飲料の開発に精を出す。麦芽を使わず、トウモロコシなどを発酵させる製法もある。この結果、発泡酒や第三のビールが出現したのだが、そのたびに国税当局が「それは酒税法違反だ」とちゃちゃをいれて課税してきた。

ドイツミュンヘンで毎年開催されるビールの祭典「オクトーバーフェスト」に行った事がある人は誰しも思うことだろうが、ほんとに美味しいビールが色とりどり出回って実に楽しい。まあ、ビール腹の心配があるにせよだ。ところが日本だけいまや「ビールとは言えないビール」ばかり飲んでいて、年々ビールの出荷量は減少の一途をたどっている。おかしくはないか。

戦後から今に至るも税収の中で酒税は大きな地位を占めてきた。だが酒税の掛け方ときたら愚行の連続である。例えば日本酒である。国税局に申告するときはすべての日本酒は「2級酒」で、あとはメーカーが税率の高い順に酒税を納めれば「特級」「1級」のラベルを貼る。これではどこのメーカーも美味しい日本酒をつくる努力などしない。

毎年秋も深まったころ、東京はじめ全国の国税局でその年の「日本酒品評会」が開かれる。ここには店頭に並ぶものとは違う酒蔵が丹精込めてつくって国税に提出した「本当の日本酒」が並ぶので、ブログ子など楽しみにしていて毎年出席していたものだが、どうやらこれは懇親に名を借りたマスコミ対策のショーだったようで、幹部は的確に「この日本酒がおいしい」と教えてくれていた。本当の日本酒の旨さは国税局の役人が一番知っていたわけだ。

ようやく改められて現在、精米歩合により
•「純米酒」-精米歩合70%以下で、香味や色択が良好のもの
•「純米吟醸酒」-精米歩合60%以下で、固有の香味を帯び、色沢が良好なもの
•「純米大吟醸酒」-精米歩合50%以下で、固有の香味を帯び、色沢が良好なもの
また特別な製法である事を表記した「特別純米酒」などが登場するようになった。

ブログ子は日本酒が好きで中でも新潟・村上市の「十四代」に目がない。「十四代」にもいろいろあって講釈すればきりがないのでやめるが、やっと馬鹿な酒税が改められて各蔵元が好きなように日本酒づくりができるようになったおかげである。だから現在が一番日本酒が美味しい時代だと思う。だが”くさい””カラッとしない”というので「日本酒離れ」の時代となり、これまた年々醸造量は減るばかりである。ブログ子は先の消費税が上がった4月に同時に酒税を引き下げる話が出ても良かったと思う。そのほうが消費量が上がって酒税収入が上がったと思う。しかるに業界からも国会からもメディアからも一言も出なかった。

安易に酒税に頼りすぎているかぎり日本酒やビールの出荷量は減り続ける。「まがい物のビール」ばかりでいいのか。どう見ても酒税改革が遅すぎる。国税庁の怠慢だ。

これは効く 法王の「マフィア破門」宣言

カトリック教会のフランシスコ法王(77)は21日、犯罪組織「ンドランゲタ(Ndrangheta)」が拠点とするイタリア南部カラブリア州を訪問し、マフィアのメンバーは全員「破門する」と宣言して組織犯罪を厳しく批判した。

受刑者に語りかけるフランシスコ・ローマ法王=イタリア南部カラブリア州の刑務所で21日

受刑者に語りかけるフランシスコ・ローマ法王=イタリア南部カラブリア州の刑務所で21日

フランシスコ法王は信者らを前に、マフィアは「悪魔を崇拝し、公益をさげすむ者たちだ。このような悪は叩きのめし、追放せねばならない」と糾弾。「マフィアのように悪の道を歩む者たちは、神に属すことはない。彼らは破門される」と述べた。カトリックでは、破門された人間は、死後に地獄で責め苦にあうと考えられている。

カラブリア州では1月、3歳の男児がマフィアの報復に巻き込まれて殺害される事件が起きている。この男児「ココ」ちゃんは、祖父が麻薬の代金を支払えなかったことを理由に、祖父とそのパートナーのモロッコ人女性と共にンドランゲタに頭部を撃たれて殺害された。ココちゃんの遺体は焼け焦げた車の中から縛られた状態で見つかり、イタリア全土に衝撃を与えた。

?バチカン広報当局によると、フランシスコ法王はココちゃんの父親と祖母に会い、慰めの言葉をかけるとともに「このような形で子供が犠牲になることが2度とあってはならない」と語ったという。

◇ ◇ ◇

門外漢ながら、法王のマフィア破門宣言は効くのではないか。映画「ゴッドファーザー」程度の知識しかないが、掟のためには殺人をも辞さないマフィアが同時に熱心なカトリック信者であるという現実はなかなか理解し難いものだが、イタリア全土に浸透しているバチカンに対する深い信仰の一端は垣間見たことがある。

現在の法王ではなく2代ほど前の法王の時代バチカンを訪ねた。上智大学の文学部長などを務めたピタウ神父が当時バチカンでかなりの実力者になっていて、ワインセラーがついた修道院を誰か日本人実業家で買う人はいないかというような話が出た。同時に、毎週水曜日に法王が10人ほどの人に面会する慣例になっていて、この人選を任されているのがイタリアで旅行業などを営む日本人女性ということで、彼女がその中にあなたを入れてあげるということだった。

たくさんの信者をさておいて曲がりなりにも仏教徒という異教のそれがしが罷り出でるのは申し訳ないと、断ったが、翌週だったか作家の曽野綾子がその中に入っていた。

不動産売買の一件は沙汰止みになったが、その修道院は昔に信者が寄進したもので、何世代か待てばまたバチカンに返ってくるようなことを言われて、息の長いバチカン商売に驚いた。コンクラーベ(法王選出の枢機卿会議)の写真などを見ると感極まって泣いている人も見かける。

シシリー島のマフィアは敬虔だったが(映画では)「ンドランゲタ」が活動するカラブリア地方の宗教心がどの程度のものか知らないが、法王に破門されたら地獄に行くというのではさぞかし効くのではないか、と考えたのだが、別の外電を見たら衝撃的なことが報じられていた。

法王は、マフィアによるマネーロンダリング(資金洗浄)のうわさが絶えなかった宗教事業協会(通称・バチカン銀行)の透明性の向上に取り組んでいる。バチカンとカトリック教会に張り巡らしたマフィアの利権ネットワークを法王が破壊しようとしていることから、マフィア摘発にあたるイタリアの検事は、マフィアが法王の暗殺を企てる可能性に言及している。

パチンコ屋のダーティーな裏側にこそメスを

法人税の実効税率の引き下げに伴う税収減の穴を埋める財源の一つとして、パチンコやパチスロの換金時に徴税する「パチンコ税」の創設が浮上しているという。1%で2千億円の財源が生まれるとの試算もある。カジノ認可の動きとともにギャンブル経済へむかっているようだが、少しおかしくはないか。取るとしても、客からではなくまずパチンコ店経営者とパチンコ機メーカーから徴収するべきで話が逆である。

img_1019578_64152717_0今年4月パチンコ業界の闇の一端が明るみに出た。東京都内や千葉県でパチンコ店やサウナ、ラブホテルを経営していて2010年に80歳で死亡した在日韓国人の李日玉氏の遺族が、東京国税局から相続財産約130億円の申告漏れを指摘され、過少申告加算税を含め約3億円の追徴税額は遺族が修正申告して納税したというのが税務当局の発表だった。

李日玉氏は都内などでパチンコ店「SHOGUN」などを経営する「日日商事」のトップだった平成3年ごろ、韓国の銀行の関係者から持ちかけられ、財産を韓国に移すことにし、現金200億円を何度かに分けて飛行機でひそかにソウルまで運んだ。李氏が死亡したあと韓国の税務当局は 60億円を課税してきた。しかし家族は「日本で納税したい」として韓国の税務当局に不服を申し立て、去年、東京国税局に事情を説明したことから韓国への巨額の資産移転がわかった。

ブログ子がかつてパチンコ業界を「指導」していた警察官僚から聞いた話だが、日本にあるパチンコ屋の3分の1は韓国人経営で、残り3分の1が朝鮮総連の直営か息のかかった人物の経営で、吸い上げた金の大半は北朝鮮に送られている。さらに残りの3分の一が日本人と台湾人の経営でヤクザの資金源になっているということだった。加えてパチンコ機のメーカーは日本人経営は少なくほとんど朝鮮半島出身者という。

これを裏付けるように大阪国税局管内の調査では、パチンコ業が脱税で15年連続のワースト1位。調査対象となった2万4604社のうち、72%にあたる1万7715社で申告漏れが見つかり、申告漏れ総額は前年比128億円増の1181億円で、加算税を含めた追徴税額は230億円である。

李日玉氏が飛行機でカバンに詰めて韓国に運んだ200億円など氷山の一角で、さらに巨額の金が朝鮮半島に還流しているとみてよい。北朝鮮のテポドンや核実験の資金は日本国内で稼いだものなのである。それなのに今度またさんざ吸い上げられたパチンコ中毒の客から換金の際に課税しようというのである。ダーティーな裏金を把握するだけでそれくらいの徴税分はまかなえるのである。

韓国は2008年からパチンコを禁止している。韓国ではかつてコンビニよりも多い1万5千軒のパチンコ店があり、 3兆円市場になっていた。ギャンブル好きな国民性から破綻者が多いことで踏み切ったものだが、減った分日本のパチンコから「徴収」しているようなものである。ついでにいえば、台湾でもパチンコは同じ理由で非合法化されている。

日本ではカジノ法案ができそうな按配である。韓国はすでにロッテワールドなど公認カジノがあるが、もっぱら外国人から吸い上げるのを目的にしていて、韓国人が出入りできるのは別な場所にあるごくごく小さいカジノだけだが、それでも門前にはクルマやブランド品を即金で買い取る質屋が軒を並べている。オケラが門前市を成しているそうだ。

河野洋平と韓国のウソ

河野談話を検証する有識者チームの報告書を読んだ。産経新聞が昨年来スクープしてきた通りの内容だ。河野談話は歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求める韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作したものであることがはっきりした。また、当時の河野洋平官房長官が政府の共通認識を踏み外し、独断的に「強制連行」を認めたものであったことが確認された。

記者会見する河野談話作成過程検討チームの但木敬一座長。右は兼原信克官房副長官補

記者会見する河野談話作成過程検討チームの但木敬一座長。右は兼原信克官房副長官補

報告書全文を掲載しているのは産経だけだが、同紙のネット版に要約したものが9分割され「政府検証全文」(ここクリックで報告書に飛びます)としてアップされているので一度覗いてみることをおすすめする。朝日、毎日はじめほとんどの新聞が韓国側の発狂せんばかりの反響ばかり取り上げていて、なかんずく、朝日は本当にあるのかどうか疑わしいが「河野談話取材班」の名前で「産経新聞は昨年10月16日、16人の証言内容を報じ、『氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料として通用しない。河野談話の正当性は根底から崩れたといえる』、としていたが、否定された」と得意げに報じているが、そりゃ逆だろうと言わしめる内容である。

 「(政府の)一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」だったにもかかわらず、平成5年8月4日の談話発表時の河野氏による記者会見で、記者から強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている」。つまり河野洋平独断で強制連行を認めたのである。国家意識などまるでないまさに「国賊」の名に値する話である。産経その他のインタビューを拒否するのもむべなるかなである。

この談話は二重三重に韓国側とすりあわせたことも暴露されている。「日本側が自主的に作成した」というのが韓国側の態度だが盗人猛々しい言い分ではないか。こういう文言なら納得すると匂わせながら、発表後は河野談話を政治的に利用しまくってきたのは韓国側である。今回の発表でメデイアは「日韓断交」とほざいているところがあるらしいが、勝手にそうするがいい。日本人の気持ちはとっくに韓国とは断交している。

いわゆる従軍慰安婦には一人あたり200万円がアジア女性基金を通じてすでに支払われていることも判明した。噂としてはあったが談話発表とほぼ同時にさっさと金は渡っていたことがはっきりした。いわば慰謝料で、これで終わりにしたいという日本側の甘い判断ゆえのことだが、そんなことはおくびにも出さず、さらに日本側から金を引き出そうとしている昨今の従軍慰安婦のしたたかさにはあきれるばかりである。

さんざすり合わせをした挙句、日本側から韓国側に「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と申し入れ、韓国が了解したというに至っては何をかいわんやだ。こんな信義なき国を相手に国家観もない河野洋平官房長官が、百年の禍根を残す談話をいけしゃあしゃあと作り上げたかと思うと憤激するばかりだ。一度みなさんも上記の報告書に目を通すことをおすすめする。

パン助黙れ!

塩村文夏・都議

塩村文夏・都議

東京都議会の一般質問で、妊娠や出産に関する都の支援政策を尋ねたみんなの党の塩村文夏(あやか)都議(35)に「早く結婚しろ」「産めないのか」とのやじが飛んだ一件。ブログ子は表題の国会における女性蔑視ヤジの嚆矢とされる話を思い出した。たた今では少し解説しないとわからないだろうからそれはあとにする。

塩村都議は報道陣に「悩みがある女性に、否定するようなやじが相次ぎ、皆さんで笑っていた。質問を進めていくうちに、とても悲しい気持ちになった」と語った。塩村都議は放送作家として活動、昨年6月の都議選で初当選した。日本テレビのバラエティー番組「恋のから騒ぎ」に出演したこともあった。

やじの声は複数の男性で、自民党の都議が座る席の付近から上がったという。自民党都議の程度の悪さは以前からで、選挙の時だけ米搗きバッタのように平身低頭するくせに、中に入ると公費の外遊で遊びまわり、提出するレポートは旅行代理店に代筆させている輩が多い。議会は録画されているから発言者を早く特定して、公表すればいい。ただ都議会第一党なのでなんやかや言って先延ばしするだろうから、メディアが洗い出して氏名を公表すれば良いのだ。
 
パン助黙れ!」の方だが、これを即座に思い出すとは、お年がわかろうというものだが、ブログ子の同年輩でも知る人は少なかろうと思う。この発言者は自由党で当選5回(大阪1区)の有田二郎で、その娘と大阪の私立中学校で同級生だった。当時読んだ多くの全集は大抵彼女から借りたもので、その恩義から知っている。

有田二郎の父親は、「有田ドラッグ商会」の経営者、有田音松で、当時ペニシリンなど有効な治療薬がなかった時代新聞広告で「ばい毒」「りん病」などと大きく書き込んだ脇に、「欧米医科大学 帝国大学にて調合」などと、あたかも権威ある医学研究機関によって開発されたかのように記載した性病薬で巨万の富を得た。

1953年の国会予算審議では、有田二郎は右派社会党の堤ツルヨ議員から「断末魔の自由党」と野次られたのに対して「パン助黙れ」と応え、女性蔑視の暴言として問題になった。翌年造船疑獄の発覚から衆議院本会議で逮捕許諾決議が可決されて逮捕された。裁判では有罪が確定、それがために総選挙で落選、再起をはかったがそのまま消えた。、当時も政治に自浄能力はあったのである。

つぎに「パン助」の解説をしないといけないだろう。「パンパン」は語源については諸説あるが、戦後、占領で日本にきた進駐軍兵士(G.I.)を相手に街頭に現れた私娼のことで、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」と呼んだ。彼女たちが耳から入った英語でしゃべるのを「パングリッシュ」、結婚して渡米する者を「戦争花嫁」など、多くの派生語がある。

余談だがゴルフの全米プロがオハイオ州のインバーネスCCで開かれた時(日本からは尾崎直道が出場)、ブログ子は観戦に出かけていたが、飛行場からホテルまでバスガイドをつとめてくれた方がこの「戦争花嫁」だった。日本から来ている企業の奥様方とは交流がない、と話すのを聞いて、戦争花嫁が置かれている微妙な立場を理解した。

台湾への中国の武力侵攻はない

tokyo_front特別展「台北 故宮博物院 – 神品至宝 -」が6月24日から9月15日まで東京国立博物館 平成館特別展示室で開かれる。その特別紙面を見ていたら「産経新聞、フジテレビジョン主催」とあるので、李登輝総統以来築いてきた信頼関係故かと思ったのだが、朝日新聞をみると「本社主催」とある、あれれと改めて各紙の電子版をみたらなんと東京国立博物館、台北・故宮博物院、のあとに産経、NHK、、読売、フジテレビ、朝日、毎日、東京・・・と主催社の名前が続いていた。メディアこぞっての主催相乗りである。

相乗りでも構わないが、これは大変な企画で実現まで相当な政治的駆け引きがあったと思う。馬英九総統夫人の周美青氏がこの特別展のために訪日するという。こうした大規模な公的行事で台湾の総統夫人が訪日するのは、1972年の日台断交後初めてだ。

北京の故宮博物院

北京の故宮博物院

10数年前になるが、北京の故宮博物院を訪れた。5月というのに真夏の気候で汗みどろになって紫禁城に行ったのだが、半分ほど回ったところで「これでは中国政府の台湾侵攻はないな」と直感した。ろくなものがないのである。残っているのはオーストリア皇帝から贈られたという置き時計などばかりである。置き時計と言っても民家の2階建はいうにある巨大なものである。蒋介石の国民党も重くてかさばるので捨てていったと見える。ガイドにもっと他に収蔵庫でもあるのかと効いてみたが口を濁すばかりだった。

台北の故宮博物院

台北の故宮博物院

北京と台北の2個所に同じ「故宮博物院」を名乗る博物館があるのを見てもわかるように、歴史に翻弄されてきた。清朝の乾隆帝など歴代皇帝が集めた美術品は膨大な量にのぼる。1925年、清朝最後の皇帝・溥儀が退去した北京の紫禁城に故宮博物院が誕生したものの、華北をめぐって日中関係が緊迫すると合計19,557箱もの文物は当時の中華民国の首都・南京に一旦落ち着いたものの、全面的な日中戦争に発展した1937年、今度は四川省など内陸の奥地へ疎開。終戦後の1947年に南京に戻ったのも束の間、今度は国共内戦のため、蒋介石の国民党軍が船でほぼすべてを台湾へ持ち去った。1965年台北市郊外に建設された「故宮博物院」で展示されるようになったが常時展示を変えているもののすべてを展示替えするまでに10年はかかるという量だ。

北京の中共政権は取り戻したいが、武力侵攻でもすると貴重な民族の至宝は失われる。当然政治的に内部から切り崩し、いわば平和的に取り戻す策を取るしかない。ブログ子が紫禁城で「中国政府の台湾侵攻はない」とみたのはこのためである。

台湾は蒋介石が連れてきた数%の国民党員による「外省人」が90%の「内省人」を支配している。一時国民党ながら「内省人」の李登輝総統が政権についたこともあるが、現在は大陸親交の立場を取る馬英九総統になり、中共政権は刻々と台湾を手中にしつつあるのは衆知の通りである。

台北の「故宮博物院」の昨年の来場者数は450万人。大陸から訪れる人はその半数近くになるという。その財宝の一部が今回東京国立博物館に来る。翡翠の緑と白をうまく使って白菜に取りついたキリギリスとイナゴを表現した作品「翠玉白菜」が有名だが、これも含めて中華街の飯店の入り口などに見かける、サンゴを切り貼りして描いた牡丹といい、中国人の美意識にはかねて首をかしげるところがある。やはり書と陶器に惹かれる。行ってみたいと思っている。

北朝鮮潜水艦のオンボロ度

北朝鮮国営の朝鮮中央放送は16日午前6時の定時ニュースのトップで金正恩第1書記が朝鮮人民軍海軍第167軍部隊を視察したと伝え、その模様を伝える写真を配信した。大将の前線視察で士気を鼓舞する狙いだが、同時に北朝鮮の潜水艦部隊が置かれているお粗末な現状を世界に暴露することにもなった。

少し前のこのブログ「日中もし戦わば」で日本の潜水艦隊育ての父と言われる海将から軍事知識を教えられたことを紹介した。昔なら連合艦隊司令長官にあたる横須賀艦隊指令や防衛庁の防衛課長を務めた方である。以来日本が圧倒的能力を持ち続けている潜水艦の建造能力や乗組員の優れた聴力による索敵能力の高さは理解している。

そこで金正恩第1書記が視察したという写真を見ると、これは珍しいロメオ型潜水艦である。旧ソ連で作られその後中国でも100隻建造された主力潜水艦だがいまではすべて退役している代物だ。北朝鮮では、1973年に2隻を中国から取得し、1995年までに24隻を国内で建造したとされる。

北朝鮮のおんぼろロメオ級潜水艦

北朝鮮のおんぼろロメオ級潜水艦。今では北朝鮮とエジプトにしかない。


捨て去られた理由はまず騒音の大きいディーゼルエンジンで航走するのですぐ策敵されてしまう。いざ会敵の際は急速潜航して待ち伏せ攻撃を行なうのだが、潜航能力は低く潜航時の航続距離はせいぜい10~20海里、最大潜航可能時間は約半日程度であり、ソナーから逃れても空気補充時にレーダーで必ず探知されてしまう。

先日オーストラリア海軍が日本の「そうりゅう」型潜水艦を導入したがっていることを紹介したが、「そうりゅう」はステルス性能を持ち、その上2週間潜行したままである。現代ではロメオ型潜水艦は世界のどこの船とも対抗できないレベルなのである。ものの本には、潜水艦というより「可潜艦」と揶揄されているほどだ。

この日の視察では軍港の近くを一周りして帰港したようだが、遠出しなかったのは中国に止められて深刻と伝えられる燃料不足のせいか。潜水もしなかった(艦上は乾いて潜水の形跡がない)ようだが、これなど1985年2月に潜行したまま1隻が浮上しなかった事故の二の舞いを恐れたか。

Z20140616TTREU02196G3000000艦内の写真では潜望鏡をみる金正恩第一書記というのも公開されているが、光学式の恐ろしく時代物である。何よりハッチに上がってあたりを睥睨する写真では、ハッチの周りが錆びだらけである。大将が乗るからには一番いい船を出したのだろうが、それがこの程度では乗員の保守能力の程度もわかるというものだ。

海幕ではとっくにそのくらいは把握しているだろうが、ブログ子の浅学非才の軍事知識を持ってしてもやれやれ安心だわい、日朝政府間協議が1年4カ月ぶりに再開する見通しだが、拉致問題以外でも日本側はもっと強気で交渉するべきだと思った次第。

W杯に見る日韓の民度

16日、サッカーのブラジルワールドカップグループリーグ初戦で、日本はコートジボワールに逆転負けを喫したが、試合後の日本サポーターの振る舞いに中国ネットユーザーから称賛の声が上がっているという。その後地元ブラジルはじめ英国、香港などの新聞でも写真付きで驚きの日本人の行動として取り上げられている。

敗戦後スタジアムを掃除する日本人サポーター

敗戦後スタジアムを掃除する日本人サポーター(画像クリックで拡大)

16日付けの中国のスポーツ紙「鳳凰体育」によると、14日に行われたサッカーのブラジルワールドカップ(W杯)グループリーグ初戦で、日本はコートジボワールに逆転負けを喫したが、試合後の日本サポーターの行動が写真付きで伝えられている。

記事は、日本を訪れた多くの人が、この国は清潔だと感嘆する。そして、その精神は日本サポーターによってブラジルW杯のスタジアムに持ち込まれた。日本がコートジボワールとの戦いに敗れた後、日本のサポーターは会場のごみを拾い集めてから会場を後にした。最初はごみ袋を手にした日本人をいぶかしがっていたスタジアムの人たちも、これを見て称賛の声をあげた。

中国版ツイッターには、以下のようなコメントが寄せられている。

「日本人はすごい!」
「この民族には本当に敬服させられる」
「素養の高い民族だ。われわれは学ばなければならない」

「傲慢な中国人はこんなことできやしない」
「負けて気持ちが落ち込んでいる時に掃除なんて、おれはしたことないよ」
「だから日本は世界から尊敬されるんだよ」

「日本人の素養の高さはもはや語り尽くされている」
「こういう報道があるたびに、私は(中国を思って)絶望する」
「日本人を見てから中国国民を見ると、本当に泣きたい気持ちになる」
「試合に負けても品位では負けない。すごい」

「韓国チームが勝利するよりハッピー」な韓国サポーター

「韓国チームが勝利するよりハッピー」な韓国サポーター

同じ中国のスポーツ紙「網易体育」は、サッカーW杯初戦で日本が敗れたことについて、韓国のサッカーファンが「日本の敗戦は韓国チームが勝利するよりハッピー」などとネット上にコメントを書き込んでいると伝えた。

「網易体育」によると、韓国のスポーツメディアは、日本代表のグループリーグ突破の可能性について、「スタートダッシュに失敗した日本に赤信号がともった」などと伝えた。またネット上には 「歴史を認めない国に未来はない。サッカーも同じこと」「日本が敗れたことで、韓国チームはプレッシャーを感じずにプレーできる」などの書き込みがみられた。

中国のネットでは天安門事件など政治的なテーマは即座に検閲で削除されるが、スポーツなどではほぼフリー。基本的には韓国寄りだが、時にはこうした「公平」なものの見方も垣間見える。一方、韓国では自主検閲があるかのようにあらゆる書き込みは反日でないと夜も明けない。

朴槿恵大統領が次期首相候補に指名した韓国紙、中央日報顧問の文昌克氏が、日本による朝鮮半島の植民地支配と南北分断を「神の意思だ」と話していたというので、大騒ぎになっている。 「怠け者で自立心が足りず、他人の世話になることが、わが民族のDNA」とも発言したそうで、ブログ子など正論をいう人がいるもんだと驚くのだが、本人は毎日弁明に追われているのを見ると、まあ度し難い国ではある。

日本を「戦争の後始末屋」にしてはならない

安倍晋三首相は14日、集団的自衛権の行使を認めるケースに関し、シーレーン(海上交通路)での機雷除去も含めるべきだとの考えを明らかにした。視察先の鳥取県境港市で述べたもので記者団に「機雷掃海もしっかりと視野に入れて議論していきたい」と明言。「日本はなすべきことをやらなければならない。しっかりと正面から向き合っていく必要がある」と語った。

自民党はこれにより、機雷除去や強制的な船舶検査も可能になるとの立場なのに対し、公明党は行使を一部認める方針に転じたものの、従来の政府の憲法解釈との整合性を重視して、日本周辺有事の際の米艦船防護にとどめたい意向。

集団的自衛権の拡大解釈で「戦争への道を歩むもの」という野党や朝日新聞の主張に沿うようだが、ブログ子は「ちょっと待てよ」と思う。自衛隊に手枷足枷をかけ、重箱の隅をつつくかのような現在の議論は馬鹿げていると思うし、フリーハンドで世界の平和に積極的に貢献したいという安倍首相の思いは理解するが、日本の善意がすんなりと通るような世界ではない。

例えば中国における遺棄化学兵器廃棄処理事業だ。元はといえば村山富市政権下で自民党の河野洋平外相が「化学兵器に日本製もソ連製も違いはない。中国製もまとめて責任を持って処理する」と言い切って始まった。

旧日本軍が対ソ戦に備えて、満洲( 中国東北部 )に持ち込んだ化学兵器の未処理分のことを指すが、 塵爛剤( マスタード )など6種の化学剤を装填した未処理分の兵器は、その9割が北朝鮮に近い満洲・吉林省ハルバ嶺に埋まっていると見られ、遺棄砲弾数は日本側が70万発と推定した。日本が遺棄したものなら仕方がないと当時の政権は考えたようだが、この化学兵器は大半が日本製でない上、日本製のものも国際法上は日本に処理義務はない。中国側に引き渡したものだから、本来中国がやらなければいけないことを日本の河野洋平外相がたやすく処理をかって出たものだ。

ところが中国は新しい日本からのODA、つまり金づると見た。 1999年7月、日中間で覚書が取り交わされ、「 日本側が必要な資金や技術などを提供し、中国側が協力を行う 」との項目を盾に多くの要求をしてきた。その後の日本側の調査で砲弾数は30万発から多くて40万発としたのに対し中国側が示した数は処理砲弾なんと200万発。自国の化学兵器の処理もおっかぶせてきたのだ。さらに施設建設に伴う森林伐採ではタダ同然の白樺1本に200ドルと計算、要員宿舎はプール付きの豪華版と要求してきた。、

まともに初年度経費だけで861億円もの大金が支払われた上今後も中国側の要求通りにすると10年間は垂れ流しで総額1兆円を超える事業である。あまりの難題にとうとう日本側も事業の凍結をしている段階だが、ことほどさように中国は狡猾である。従軍慰安婦問題で禍根を残した河野談話の主はここでもろくでもない過ちをしでかしているのだ。

日本の掃海艇。世界から評価されている。

日本の掃海艇は世界から評価されている。

安倍首相が言う機雷除去にしても確かに海上自衛隊の処理能力は高く評価されている。我が国初めての海外派遣先であったペルシャ湾には、500トン前後の小さな木造の掃海艇4隻(補給艦、掃海母艦を加えて計6隻)で赴いた。掃海艇が木造なのは機雷の除去には磁気がご法度だからで日本の船大工の技が生かされているが、迎えた他国の艦隊はこれで「1万3000キロもの航海をしてペルシャ湾まで来たのか」と驚いたが、次に掃海技術の高さに驚いたという。

コマツが開発した地雷処理機

コマツが開発した地雷処理機

対人地雷の問題でも日本は民間団体を中心に世界中で処理をかって出ている。陸上自衛隊は対人地雷禁止条約に従い、2003年2月までに処理訓練用のものを除く対人地雷を廃棄した。しかしアフガニスタン、南スーダン、カンボジア、スリランカ・・・世界中には紛争や戦争で何百万個という対人地雷がばら撒かれていて毎日死者と足を吹き飛ばされる者が続出している。日本はブルドーザーを改良した地雷処理車両などきめ細かい対応で貢献している。

機雷掃海、地雷、化学兵器処理などはいずれも戦争後の当事国が処理すべきことを日本が善意でかって出ている。集団的自衛権で小田原評定のようなことを繰り返しているのは、強盗が入ってきているのに縄を綯っているかの如き平和ボケである。そこにまた他国の尻拭いに励む日本でいいのだろうか。

どこから湧いてきたのか日本のサッカーファン

ワールドカップブラジル大会【日本-コートジボワール戦】をみた。ブログ子が見るとたいてい負けるので新聞で見ることにしているのだが、テレビのスイッチをつけてすぐ本田のゴールがあって引き釣りこまれたが、ジンクスどおり1-2のまま終了 日本は逆転負けで初戦を飾れなかった。ひところの日本チームはいつ見ても横パスばかりで強豪国のような怒涛の攻撃が見られなかったものだが、今ではかなり良くなっていると思う。

ブラジルまで押しかけた日本人サポーター。そのかず7000人。

ブラジルまで押しかけた日本人サポーター。そのかず7000人。

このブログを書いているときはまだ視聴率が出ていないが、日曜日の午前10時、CM抜きのNHKとあれば40%くらい行ったのではないかと思う。渋谷の駅前は人で溢れていたし、テレビはどこのチャンネルからも各地のパブリックビューイングからのニッポンコールが届けられていた。いつからこんなに日本はサッカーファンが増えたのだろうと不思議でならない。

(関東地区が前半42・6%、後半46・6%だった。瞬間最高視聴率は、後半に日本の選手が交代した直後のの50・8%だった。)

ワールドカップ・イタリア大会(1990)の時、オランダ最南端の古都マーストリヒトにいた。日本にプロサッカーチームが誕生する前で、日本は出場してなかったので、開催されていることも知らなかった。家内が作陶した大きな壺がKLMオランダ航空本社の入り口に飾られていた縁で、同社の幹部から「めったにない機会だよ。イタリアまでの航空券と入場券をこちら用意するから見に行ったらどうか」と勧められたが断った。

町を散歩したら、おりから試合中継中で、パトカーの警官まで店先にクルマを止めてテレビ観戦していた。平坦なオランダには珍しく坂のある町で、テレビも見ずに観光にあえいでいる日本人をみたパブの若者たちが、店の中に誘ってくれた。上半身裸で腹にオランダ国旗を巻きつけたのが、「いま、オランダが勝っている。ビールをおごるよ」といってくれた。ところが、ありがたくご馳走になっているうちに同点に追いつかれた。みるみる連中は不機嫌な顔つきになってきた。さあ困ったことになった。ここは「ダッチカウント」(割り勘)という英語にいまも名をとどめる国である。ご馳走になったものか、払ったものか、悩みに悩むこととなった。おしまいまでいて殴られるよりよかろうと判断して、大きな声で「ごちそうさま」というと飛び出した。

今大会開幕戦はそのオランダと前回の優勝国スペインだった。5-1という大勝である。あの時と同じ光景が繰り広げられているのだろう、ビールを5杯は奢ってくれたろうと、小さな古都の往時が偲ばれた。

外務省によると大会期間中、7000人を超える日本人がブラジルへ観戦に訪れるという。ハワイ観光などと違って丸一日飛行機に乗っているような遠隔地でこの人波である。日本人サポーターはどこからこんなにたくさん「湧いて」きたのかとイタリア大会当時との隔世の感にひたるのである。

予兆はあった。このころ日本人はプロ野球と高校野球に熱中していた。ブログ子は野球王国静岡で新聞社の支局長を務めたことがある。日曜日にはリトル野球の大会で賞状授与に駆り出されることが多かった。新聞社から賞を出している手前できるだけ顔をだすのだが、野球王国にしてすでにサッカー大会の方が多くなっていて、3:2くらいだった。

このころ開校準備をしていた私立高校の開設準備委員が呑み屋で「静岡で生徒が集まらなくて関西のリトルまで声をかけている」と言っていた。高校野球をダメにしたのはこうした”営業方針”を隠さない野球学校とオラが町の代表という人気で支えられていたことを忘れた朝日・毎日新聞である。プロ野球をダメにしたのは、つぎつぎと大リーグに選手を持って行かれているのに為す術がないコミッショナーである。

サッカーはどんどん地元密着型に衣替えしている。サッカーと野球の格差はこうして広がるばかりである。ちなみにサッカーと言っているのはアメリカと日本だけであとの国は「フットボール」でないと通じない。

ダルマさんが転んだ

14日の朝刊各紙にあるように 集団的自衛権をめぐって、公明党の山口那津男代表や北側一雄副代表ら一部幹部は、連立内対立を先鋭化させないため、72年見解に沿って集団的自衛権行使を認めざるを得ないとの認識で一致した。

かねて予想されたとおり、公明党は「転んだ」のである。ブログ子はあまりにも度々書いてどこに書いたのかにわかには思い出せないほどだが、「公明党は折れてくる。一度政権与党の蜜の味を知ったものは連立離脱の度胸などない」と書いてきた。案の定「ダルマさんは転んだ」のである。

ダルマさんが転んだ。強気の安倍首相の押しに屈した山口公明党代表

ダルマさんが転んだ。強気の安倍首相の押しに屈した山口公明党代表

公明党の選択を批判する気はない。「下駄の雪」と言われようがどうしようが連立離脱で政局を混乱させるよりはるかに得策だからである。朝日・毎日などを見ていると。「アメリカと一緒に戦争をやろうとしている」(大江健三郎)、「日本が戦争の過ちを認めたひとつの形が憲法。なぜそれを手放すのか。周りに攻撃的になるのは末期症状にみえる」(香山リカ)と集団的自衛権は若者を戦場へ送るもの、という論調のオンパレードである。

この人達に問いたい。中国軍機が自衛隊偵察機に30メートルに接近、ロックオン(照準固定)するという、戦闘行動と同じ暴挙をしてくるのに、黙って耐えるしかない自衛隊員にただひたすら「平和」の祈りを唱えよというのだろうか。平和憲法が大事で9条を死守したいなら、新憲法に残す運動をすればいいのである。ブログ子も高らかに理想を掲げる憲法条文は好きなところがある。ただ主語もはっきりしない直訳調を改めて、日本人が書き下ろした憲法が欲しいと思う。

公明党は利害得失を考えて、自民党の高村正彦副総裁が13日、集団的自衛権の行使容認について現行の「自衛権発動3要件」に代わる新3要件の私案を示したのに「渡りに船」とばかりに飛び乗っただけである。

新3要件は自衛権の発動を(1)わが国または他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある(2)他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまる-という場合に限定する。

集団的自衛権を行使できるよう、従来の自衛権発動要件を他国への武力行使に広げつつ、公明党が行使容認の根拠に据える昭和47年の政府見解を引用。「国民の生命などが根底から覆されるおそれ」と厳しい歯止めをかけた。

これを呑むしかないと公明党は見たわけだが、追い詰められたのは維新分党騒ぎのあたりからで、石原慎太郎共同代表(当時)が集団的自衛権に慎重な公明党について「これまで自民党に対しては公明党がいつかは足手まといになると言い続けてきたが、その通りになった。あんないいかげんな政党はない」と切り捨てるとともに「自民党と公明党が袂(たもと)を分かつきっかけにしたい」とあからさまに自公にくさびを打ち込む宣言をした。これに賛同して「下駄の雪捨てるべし」論が自民党内でも大きくなった。

ブログ子はその前に流された政教分離論が効いたと見る。飯島勲内閣官房参与が10日、米ワシントンでの講演で、公明党と同党の支持母体である創価学会の関係が、憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解が変更される可能性に言及したのだ。
 
飯島氏は集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更について述べたうえで、「公明党と創価学会の関係は、政教一致と騒がれてきたが、内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。しかし、法制局の発言・答弁が一気に変われば、『政教一致』が出てきてもおかしくない」と述べた。

飯島氏はそのうえで、「(自民党と公明党が)そういうことがない状態で着地点を見いだせば、きちんと収まるだろう」とも語った。(産経)

恐るべし飯島参与。公明党はその言葉通り「きちんと」転んだ。まずは祝着至極である。

外来語が多すぎる

公共放送のNHKが「コンシェルジュ」「ファンド」「コラボ」といった外来語を番組で多用し、精神的苦痛を受けたとして、岐阜県の男性がNHKを相手取り、慰謝料141万円を求めた訴訟の判決が12日、名古屋地裁であった。斎藤清文裁判長は男性の請求を棄却した。

TKY201309030664原告の高橋鵬二さん(72)は、外来語が多用されている状況に危機感を抱き、「日本語を大切にする会」を立ち上げている。今回の訴訟で高橋さんは、「公共性の強いNHKは、視聴者の大部分が容易に理解できる言葉で番組を作る義務がある」と主張。NHKは必要がない場合でも外国語が乱用されていると主張。例として「リスク」「ケア」「トラブル」「コンシェルジュ」などを挙げ「不必要な精神的苦痛を与える」として、民法709条の不法行為に当たるとして、精神的苦痛に対する慰謝料を求めていた。地裁は「140万円を超える請求」を求める訴訟を扱うとされており、高橋さんは、あえて慰謝料を141万円とした。

これに対しNHKは、「外来語の乱用はないと考えている」としたうえで、「番組を視聴して不快感を抱いたという程度では、法的に保護されるほどの権利侵害とは言えない」と反論していた

◇ ◇ ◇

裁判には負けたが高橋さんの気持ちはよく分かる。このところ地裁段階でエっという判決が続出しているから、名古屋地裁以外あちこちで同種の訴えを出したらわかってくれる裁判長が何人か出てくるのではないか。それほど一般には共感を呼ぶ問題である。

NHKばかりでなく新聞もやたら外来語を氾濫させている元凶であるので責任の一端は自覚する。このブログでも少し前「韓国人のディベート術」と使ったばかりで、これなど「討論術」とか何か言い換えができたかもしれない。新聞社では昔新人記者に「中学生でもわかる言葉で書け」と教育した。いま若い記者に限ってカタカナ語を乱発するきらいがある。なにか知的でかっこいいとでも思っているのかもしれない。実際は逆できちんとした日本語が知的でかっこいいのだが。

政治家も責任がある。やたら「アジェンダ」を連発していたみんなの党の渡辺喜美代表は「政党公約」とでもしておけばよかったのに、8億円の「熊手」が命取りになり「アジェンダ」が普及する前に分党に見舞われた。民主党は「マニュフェスト」を盛んに使ったが「時期と予算を具体化した政権公約」は何一つ実現しないままバラバラになった。

「コンシェルジュ」というのにはじめてブログ子が出会ったのはスイス旅行の途次チューリッヒのホテルだが、ベルンで列車を乗り換えてユングフラウヨッホでこの登山列車に乗り、遊覧船でここまで行って列車で夕方またこのホテルに戻って来い、と詳細なメモを書いてくれたので便利な「接客案内係」がいるものだと感心した。

「コンプライアンス」など役人が盛んに使うがそう言うのに限って「法令遵守」ができていないでしょっちゅう不祥事が絶えない。ここまで書いたところでお気づきだろうが難しいカタカナ語など使わなくとも、言い換えがきく日本語は十分に用意されているのである。

この国名のうち3つが日本語

この国名のうち3つが日本語

我が国の先人たちは渡来した漢字に加えて、発明したひらかな、カタカナを駆使して作り上げてきた「漢字かな交じり表記」は、日本独特の文化を形成してきた。加えて「造語」の才をいかんなく発揮した。共産主義、社会主義に関する中国の書物は、ほぼ日本で出版されたものの翻訳である。共産主義、労働者、資本家、哲学、美術、文化、芸術等々。現在中国が使用している約1,400語といわれる日本の造語なくして、現代中国の社会科学系の本の出版は勿論のこと、学問の進歩もあり得なかったのである。中国人は信じないかもしれないが、国名の「中華人民共和国」のうち「人民」、「共和」、「国」の3つまでもが日本語なのである。少しは日本に感謝しても良さそうなものだが、毎日伝えられるのは感謝どころか恫喝ばかりである。

造語の才を発揮しすぎて、日本人にしか通用しない言葉もある。「パソコン」や「ノートパソコン」は、「ラップトップコンピュータ」だが、新聞や企業等のHPで見かけるのは和製英語の方ばかりである。「ハンバーグ」も正しくは「ハンバーガーステーキ」だがとんと見かけない。野球は正岡子規が発明した言葉だが、四球、デッドボール、フォアボール、オープン戦・・・今や日本人にしか通じないがこれで十分機能している。

大抵のカタカナ語には豊富な日本語でほぼすべてが言い換えがきくことをもうすこし認識すべきだろう。そうそう「認識」も日本人の発明である。

日中もし戦わば

中国のSu27戦闘機

中国のSu27戦闘機

東シナ海の公海上空で11日午前11時ごろと正午ごろの2回に、航空自衛隊のYS11EB電子情報収集機と海上自衛隊のOP3C画像情報収集機が中国軍のSu27戦闘機2機の異常接近を受けた。30~45メートルまで接近した。中国軍機の異常接近を公表したのは5月24日以来2回目で、政府は外交ルートを通じて中国側に厳重抗議した。

前回の中国国防省報道官の弁明は「日本の自衛隊機が10回余り中国空軍機に長時間接近、監視し、危険な接近で正常な活動を妨げた」というものである。呆れた物言いをする国もあるもので、世界の笑いものになっているが、今回もこの手のウソで口を拭うのだろう。日本側の2機は低速で偵察業務をする必要からプロペラ機である。スホーイ27はソ連時代に供与を受けた高速のジェット戦闘機だ。「危険な接近」などしたくともできないのだ。

己が勝手に設定して日米とも認めなていな防空識別圏を既成事実化するための示威行動だろうが、これにロックオンでも加われば戦闘に発展しかねない危険なものである。早急に互いの交信方法を決める必要がある。

おりから、フジテレビで日中の軍事力を比較する番組があったそうだ。ブログ子は見なかったが、専門家が中国の軍事力を評して「人民解放軍は低技術とパクリの代名詞。中国海軍は実戦経験に乏しく、日本の海上自衛隊と対戦すれば、中国が勝利する可能性はゼロに近く、2時間以内に壊滅状態に陥る」と指摘されたという。それが打ち返されて中国版ツイッター・新浪微博での大きな反響が紹介されていた。(レコードチャイナ)

「少し大げさだけど、確かに日本の海軍はスゴイよ。間違いなくアジアNo.1」
「日本の航空機の電子設備はかなり先進的。日本人の言っていることは正しい」
「韓国人にそんな能力がないことは誰もが分かっている。だが、日本人にはある・・・」

「日本の海軍力はハンパないよ。でも、空軍はね。ここ数年の間に生産されたJ-10やJ-11にかなうと思っている?」
「日本よ、死にたいのか?わが軍の殺傷力を試してみたいのか?」
「中国軍は明らかにお飾りだ。海軍力を大幅に増強しなければならない」

などなどである。所詮ネット上でのお遊びであるが、日中もし戦わば、テレビ報道の通り彼我の戦力比では2時間はともかく半日で勝負が付くだろう。ただし、公表しないが中国はGDPの3割もの軍事費を使って戦力増強にあたっている。ロシアが最新鋭戦闘機を供与するようなことがあり、独自開発を急いでいる「殲-20」が増えてくると10年後はわからない。そうしたレベルだ。「殲-20」は中国の第5代ステルス戦闘機だが、これに対向する米国空軍の「F-22」はすでに配備されていていずれ日本も導入するだろうが世界最強でまず中国は太刀打ち出来ない能力を持つ。

勝負がつくのは海軍力、なかんずく潜水艦隊能力である。ブログ子は日本の潜水艦隊の育ての親というべき人物に教えられた。アメリカのように原子力潜水艦を持てないから通常型潜水艦だが、その索敵能力を始めとする戦闘能力、ならびに建造能力は世界有数のレバルにある。

日本の「そうりゅう」型潜水艦

日本の「そうりゅう」型潜水艦

11日の新聞にオーストラリアが少なくとも350億豪ドル(約3兆3660億円)を注ぎ込んで目下建造を計画している新型の潜水艦隊に日本のステルス潜水艦技術を求めているとあった。排水量4200トンの「そうりゅう」(蒼龍)型潜水艦は世界最大のディーゼル・エレクトリック推進潜水艦で、三菱重工業と川崎重工業によって建造された。超静粛な非大気依存推進(AIP)システムで駆動し、水中でほぼ2週間活動できる。

世界が欲しがっていたがこれまでは堅持してきた武器輸出3原則で輸出できなかった。4月に安倍首相が規制緩和に動いたことからその第一号に豪州が動いたことになる。同盟国と言っても国情から見て韓国には供与すべきではないが豪州なら信頼できるということだろう。

戦後一部の勢力はお題目のように「平和」を叫ぶばかりだったが、「平和」はしっかりした軍事力があってはじめて守られることが、この一事をもってしてもわかるのである。

何用あって宇宙へ

「宇宙に行きたい」という日本人が57%だという。これを聞いてたちどころに山本夏彦の名エッセー「何用あって月世界へ」という一文を思い出した人も多かろう。

なんでも宇宙旅行の時代はすぐそこまで来ていて、米ヴァージンギャラクティック社が世界初の宇宙旅行を近く実現するのだそうだ。写真右下uchuusenのような宇宙船もすでに設計されていて、計画では、高度110キロまで上昇した船内で宇宙遊泳を楽しむこと約2時間。料金は25万ドル(約2550万円)。予約客は世界で約600人に上り、うち18人が日本人だという。その日本での販売に当たるクラブツーリズム・スペースツアーズ(東京)がアンケートを実施したところ57%が「宇宙旅行に行きたい」と回答し、その理由に「青い地球を眺めたいから」を挙げた。一方、費用の高さや安全面で不安を訴える声が目立ったという。

13億人の巨大な胃袋を満たすため、世界中で紛争を繰り広げている中国や、歴史認識なる面妖な理屈を並べる隣国を見ると、宇宙へ逃れたいという人間が出てくるのも理解できる。ブログ子が高校で習った「地学」を少し延長した程度の浅学で恐縮だが、空気がない、水がない、みずみずしい野菜も果物もない。「青い地球を眺める」程度なら若田光一さんが撮影した高感度ビデオでよかろうと思うのだが。

山本夏彦はこう書いている。「アポロは月に着陸したという。勝手に着陸し、次いで他の星へも行くがいい。神々のすることを人間がすれば、必ずばちがあたると言っても、分りたくないものは分るまいが、わずかに望みをつないで、かさねて言う。何用あって月世界へ。月はながめるものである 」

涙が止まらない

神奈川県厚木市のアパート一室で斎藤理玖(りく)ちゃん=当時(5)=が白骨遺体で見つかった事件。6月2日のこのブログで「餓死した子供が不憫でならない」と一文を書いた。そこで「不憫でならない」と書いたことがずっと悔やまれていた。「不憫」とは上から目線だったような気がしてならなかった。

9日その後の調べの内容が報道されていたが、読んでいるうちに涙が止まらなくなった。

理玖ちゃんは5歳だった平成19年ごろに死亡したとみられているが、父親でトラック運転手の斎藤幸裕容疑者(36)=保護責任者遺棄致死容疑で逮捕=が、「亡くなる2カ月くらい前は仕事が非常に忙しくて週1、2日しか帰らず、(理玖ちゃんは)がりがりになってしまった。この状態が続くと死なせてしまうかもと思った」。

しかし「痩せた経緯が分かってしまうのが怖くて、病院に連れて行くことができなかった」とも供述。生前最後の姿を見たのは理玖ちゃんの死亡に気付く約1週間前で、「立ち上がることもできず、か細い声で『パパ、パパ』と呼んでいた。その場にいるのが怖くなり、1時間も一緒にいられずに家を出た」という。

立ち上がる力もなくなったのに、久しぶりに戻ってきた父親になおすがって、か細く「パパ、パパ」と呼ぶ姿が目前に浮かび、涙がとどめなくあふれてきた。妻が出て行ったあと男は別の女性との生活に溺れたというが、なぜ理玖ちゃんをその女性のもとに連れて行ってくれなかったのか。女性は受け入れたのではないか、例え断られたとしても児童相談所などに預けるなど方法はあったはずなのに。また母親はなぜ様子を見に戻ってきてくれなかったのか。持って行きどころのない怒りでまた涙が出た。

理玖ちゃんが発見されたアパート

理玖ちゃんが発見されたアパート

一連の報道で待ちかねたが子どもの顔写真は1枚も出てこなかった。逮捕された父親と現場のアパートの写真ばかりである。理玖ちゃんは誰にも写真1枚撮ってもらったことがないのである。同じ年頃の孫娘がいるが、はやアルバムは何冊も積み重なっている。同じ日に世界最長寿は男女とも日本人になったと記事にあった。めでたいことだが、幼い子ども一人を救えないでなにが福祉国家かと打ちひしがれた。

中3悪ガキが「死に損ない」と侮辱した語り部の素顔

修学旅行で5月に長崎市を訪れた横浜市立中3年の生徒が、長崎原爆の爆心地近くを案内した被爆者の森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=に「死に損ない」などの暴言を吐いていたことが分かった。森口さんは「私は死に損ないではない。一生懸命生きてきた。大変悲しい」と同中学に手紙で抗議。校長が電話で謝罪した。

森口さんは8歳の時に入市被爆し、被爆者らで作る「長崎の証言の会」の事務局長。森口さんによると、同中学3年の生徒119人が長崎を訪れ、同会は爆心地近くを案内するよう依頼を受けた。5月27日、平和公園で事前に生徒たちに会の趣旨などを説明したところ、騒いで話を聞かない生徒がいたため注意した。森口さんがうち1班を爆心地から約700メートルの山里小へ案内したところ、班外の男子生徒数人が森口さんに「死に損ないのくそじじい」と罵声を浴びせた。

学校によると、森口さんが説明していた際、私語を続けていた1人の男子生徒に「聞く気がないなら出て行け」などと何度も叱る場面があり、生徒は退席させられた。暴言を吐いた男子生徒らは「そうしたやり取りに腹が立った」と話している。森口さんは「平和学習の前に、子供たちの人を思いやる気持ちを育てていただきたい」などと書いた手紙を同中学に送った。校長は「自分たちの発した言葉が森口さんにとってどれほどつらく悲しい言葉だったのかを伝え、反省を促していきたい」と話している。(毎日新聞)

◇ ◇ ◇

森口貢・被曝語り部

森口貢・被曝語り部

まったくろくでもない悪ガキがいるものだ、と思ったがこの「被爆者語り部・森口貢」もかなり怪しげな人物だという。「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」というえらく長いタイトルのブログは長年この人物を追跡しているのだそうだが、それによると、森口貢・語り部は8月9日の長崎に原爆が投下された日には長崎にはいなかったという。彼は1945年8月4日に佐賀の田舎に疎開していて、原爆投下から11日後に長崎に戻っただけで「長崎被爆者」というのはあきらかな詐称だという。

そして元「日教組」所属の反戦反日教師という一面をも持ち合わせている。週刊金曜日(第615号2006年7月21日)で「小泉首相最大の罪は、靖国に市民権を与えたこと」と語っているほどで、修学旅行で語り部の話を聴いた学校から、「被爆体験の話はほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」と指摘が相次いでいた人物だそうだ。批判があるにもかかわらず一向に止めず、「語り部」に支払われている1時間に1万円の「講話謝礼金」を受け取っていたので、ついには「長崎平和推進協会」で問題視されるに至った。

2006年1月21日の長崎新聞には<被爆語り部の「政治的発言」に自粛を要請>という記事が出ている。

「長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は二十日、修学旅行生らに被爆体験を語る「継承部会」の臨時総会を開き、イラクへの自衛隊派遣や憲法改正など「国民の間で意見が分かれている政治的問題」について、被爆体験講話の中で言及しないよう要請した」。

韓国が事あるごとに騒ぐ従軍慰安婦問題は吉田清治という詐話師がもっともらしく語った話に朝日新聞が乗ったことから始まった。今では細部に至るまでウソが暴かれているが、その一件を彷彿とさせる

何事もそうだが新聞記事の裏には書かれていないが大事なニュースが隠されているものである

農協の解体ショー急ピッチ

政府は6日、農政改革の骨格を固めた。全国約700の地域農協を指導してきた全国農業協同組合中央会(JA全中)は3~5年でなくす。農産物の集荷・販売を事実上、一手に引き受けてきた全国農業協同組合連合会(JA全農)は株式会社への転換を促す━というのが骨子だ。

jabuil-300x236ブログ子が長年棲息した新聞社は東京・大手町にある。その隣が農協ビルで上記の2団体はじめ農業団体がたくさん入っていて、周辺のサラリーマンからは「百姓ビル」と呼ばれていた。地下1階にある居酒屋にはよく出入りしたが、農林省担当をしたこともなかったので上の方にはまったく行く用事がなかった。ただ米価のシーズンにはデモ隊がここから出発、選挙の直前には族議員がよく出入りしていたのでその威光のほどは知っていた。

改革の最大の柱はJA全中が地域農協を経営指導したり、監査したりする権限をなくす点だ。農協法から根拠規定を削除する。戦後の発足当時は農協の数が1万前後あったが、今は合併が進み、約700だ。今後は大規模化した農協に委ねるべきだいうのが大方の声で、あれだけ権勢をふるったJA全中の政治力こそ現在の農政の停滞を招いた元凶だと手厳しい批判にさらされている。。

2つ目の柱は、JA全農の株式会社化。JA全農は地域農協が出資する相互扶助組織で、組合員である農家から農産物を集荷し、まとめて販売したり、肥料・農機具など農家の生産資材を共同購入したりする役割を担ってきた。こうした行為は本来、独占禁止法に抵触する可能性があるが、協同組合として適用除外を受けてきた。株式会社になると、こうした恩恵が受けられなくなるし、税制上の恩典もなくなる。

001マグロの解体ショーと言うのがあるが、まるで農協の解体ショーといったあんばいである。こうまで解体が急がれるのは、農産物関税の大幅削減を図る環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が進むなか、政府は手厚い関税で保護されてきた国内農業の競争力強化を急いでいる。日本の農家に絶大な影響力を発揮してモノとカネをコントロールしてきた全農やJA共済の役目は終わったと断罪されたのである。

卑近な例をあげるが、ブログの亭主がいる山墅は山の上にあり食料品にせよ大工道具にせよ野辺山駅前にある農協に併設されている売店に頼るところが大であった。ところが農協ときたらお役所仕事もいいところで、安くないばかりか高原野菜の本場だというのにしなびたレタスやキャベツを平気で並べている。草刈りの鎌を探しに行くと農作業の本場なのに3種類しか置いてない。釘などたった数種類あるのみ、いろいろなロープが欲しいのにあるのはたった3種類の紐といった有り様である。近隣の人みなそうだが、野菜は数年前に出来た「びっくり市」という野菜のバッタ屋に頼り、40キロ離れた佐久のホームセンターまで走る。要するに農協には客の要望を汲み取るようなアイデアもやる気もまったくないのである。

この半世紀で酪農家は40万戸からわずか2万戸に激減したが、生乳生産は200万トンから850万トンへと4倍半も激増した。これだけの自己変革を果たした酪農家に、さらに関税や従量税の引き下げというハンディを与えた。一方コメ農家には一切お構いなし。両方掌中にある全中は、組織維持の上で、酪農家2万戸より250万人コメ農家の方を優遇してきた。(評論家・屋山太郎氏)

コメ農家の所得は平均450万円程度だが、コメで稼げるのは50万円程度で、兼業所得と年金収入が各200万円だ。といっても、コメの50万円には、生産調整(減反)奨励金やら戸別所得補償やらさまざまな税金が使われている。コメの生産額は1・8兆円であるのに対し、税金などが1・1兆円も投じられているのだ。(同氏)

農協が巨大金融機関を軸とした利権集団となり、一部の人々が潤っている一方で農業は衰退していくばかりだ。小規模農家、兼業農家ばかりになり農家の平均年齢は65歳だ。この間、農協はひたすら補助金を求め、農業を産業として成長させることを考えてこなかった。そしていまは、成長のための改革を拒否している。

農林水産省が農協について調査したところでは、農協に加入している組合員の44%が「満足していない」とし、うち70%が「資材が高い」と答えている。我が駅前農協での体験と同じである。今では農民から農協が見放されている。さらに大きな票田だった農協の集票能力は急降下した。農林族が跋扈した時代の自民党にはできなかったがことが、今なら安倍首相にはできる。それこそ「今でしょ!」なのである。

裁判所自らが「法匪」と化した

「法匪」という言葉がある。「匪」は賊や暴徒を意味する蔑称で、法律を詭弁的に解釈して、自分に都合のいい結果を得ようとする者を指す。中国や北朝鮮など共産党一党独裁体制国家では裁判所は共産党の下にあるからまるごと「法匪」みたいなものなので、あまり使わない。自由主義国家を標榜するもののその国のある勢力をおもんぱかって裁判所が甘い判断を下す後進国でもっぱら使われる。

ところが三権分立が確立している日本でこのところおかしな判決、自縄自縛判決とでもいうべき馬鹿らしい判決が相次いでいる。裁判官が、おかしな説を振り回して世間を混乱させているのである。昔、吉田茂首相はこういう輩を十把一絡げにして「曲学阿世の徒」と言った。

怪しげな法理論に見舞われた大飯原発

怪しげな法理論に見舞われた大飯原発

5月21日の福井地裁(樋口英明裁判長)における、大飯原発3、4号機再稼働「差し止め判決」の当日、このブログで「おかしな判決もあるもんだ」と書いた。その後判決内容を読んだが、ますます「おかしな判決だ」と思うばかりである。

いきなり「人格権」を持ち出し、「(人格権は)全ての法分野において、最高の価値をもつとされている以上、これを超える価値を他に見出すことはできないから、大飯原発3号、4号再稼働に関する適否は、原子力規制庁という行政権とは無関係に福井地裁の裁判権に属する」というのだが、そうだろうか。憲法のこの下りには「公共の福祉に反しない限り」という一文が付いている。いわば安全保障上に関することは人格権に先立つものであることを無視している。

数え上げると紙数が尽きるからもう1つだけにするが、「地震の揺れあるいは強度は、複合的重層的で地震学ですらあてにならない。我が国において記録された最大震度は宮城内陸地震の4022ガルで、大飯にも生起する可能性がない事は無い。したがってかようなものを大飯で再稼働してはならない」というに至っては、非科学的というしかない論理だ。

「原発のコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発運転停止により多額の貿易赤字が出るにしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活している事が国富である。これを取り戻す事ができなることが国富の喪失である」というに至ってはもはや理屈をこねくり回したポエムの世界である。

ハムレットのような諫早の水門

ハムレットのような諫早の水門

国営諫早湾干拓事業をめぐって「開けてはならない」とする長崎地裁判決と「開けろ」とする佐賀地裁の判決が出て、この結果国は開門してもしなくても「1日49万円の制裁金」を払い続けることになった。裁判というよりもはや笑い話の部類に属し、将来、国語辞典には「矛盾」の典型的な例として載るに違いない。

6日福岡高裁(一志泰滋裁判長)が出した判決は、開門しない場合に強制金の支払いを国に命じた佐賀地裁の間接強制決定を支持し、国の抗告を棄却したもの。国が開門を求める漁業者らに1日あたり49万円、年間1億7千万円を支払う。 間接強制は、判決や決定を守らせるため、「罰金」にあたる強制金の支払いを命じて圧力をかける手続き。長崎地裁は昨年11月、開門反対派の訴えを認め、開門を差し止める仮処分を下し、今月4日には開門した場合、1日49万円の制裁金を地元住民に支払うよう命じる間接強制を決定していて、この結果国は上述のように開門してもしなくても1日「49万円払う」という馬鹿らしいことになった。

本来ならこうした矛盾した判決は最高裁まで持って行って判断するものだが、2010年開門を命じた福岡高裁判決について、菅直人首相(当時)は地元の意向を無視し、上告せずさっさと確定させたことが今日の事態を招いた。菅直人首相はかねてより自民党が推進していたこの事業を「無駄な公共事業」として強く批判し政権を取る前に市民運動家やTVカメラを伴って水門を訪れて水門をただちに開けるように要求するなどの行動をしていた。

こうしたことから福岡高裁の判決に得たりや応とばかりに上告を断念、県知事や官房長官が説得するも「私が決断したことだ」と高裁判決を確定させた経緯がある。その後の調査で開門の利点より、被害がはるかに大きいことが明らかになり、国はにっちもさっちも行かなくなったのだ。菅首相がいたのはわずか1年ほどだが、福島原発事故で怒鳴りまくって現場を混乱させるは、水門で禍根を残すは、まったくろくでもない事績しか残さなかったことになる。

怪しげな独断。矛盾に満ちた判断。二つの裁判についていち早く是正するためにも、裁判所は特別抗告してでも最高裁に判断を委ねるべきではないか。

「公募の校長」はダメだと思われてしまう

「公募の校長」の不祥事が続いている。

①全国公募で民間から採用された大阪市立小学校の男性校長(51)がPTA会費を持ち出すなど、ずさんな現金管理をしたとして内部調査を受けていた問題で、市教委はこの校長を更迭する方針を固めた。市教委によると、校長は春休みの今年3月下旬から休みがちになり、4月以降、病気などを理由に有給休暇を取り続けた。今年度になってから今月19日までの勤務すべき32日のうち、通常勤務をしたのは6日。残りは有給で休んだり、時間休を取ったりし、今年度の有給20日は既にほぼ消化したという。大阪市の民間人公募校長の更迭は2人目。(毎日新聞 5月21日)

②大阪府立高校の男性校長が先月、大阪市内のスーパーで食料品を万引きしたとして、府警が窃盗容疑で任意で事情を聴いていることがわかった。校長は容疑を認めているといい、府警は近く、同容疑で書類送検する方針。都島署によると、校長は5月28日午後3時ごろ、大阪市都島区のスーパーで和菓子など数点を盗んだ疑いがある。従業員が見つけ、取り押さえたという。校長は民間会社の出身で、4月に公募で採用されていた。(産経新聞 6月6日)

③「世界一の朝礼」をテーマに講演活動する会社代表らが福岡市立小学校2年のクラスの「朝の会」を3月に撮影、学校に無断でインターネットに投稿した。動画では児童が代表や担任教諭に続き「スーパーハッピー」「ついてるついてる」などと大声で復唱。「まるで居酒屋店員の研修」と批判が集まり、校長は保護者に騒動を謝罪した。代表は居酒屋チェーンを経営、ここで行われている朝礼とそっくりだとの指摘もあった。(朝日新聞 6月4日)

校長公募は元々、橋下徹市長(大阪維新の会代表)の公約でもあり、市は来年度に採用する公募校長の研修関連経費約2800万円を開会中の市議会に提案した補正予算案に計上している。橋下市長は「採用を厳格化し、いい人材を採用することに力を尽くす」と公募の継続に意欲を見せているが、自民。公明の市議からは「公募校長は不祥事が後を絶たず、信頼を失っている。制度を凍結し、来年度の実施は見送るべきだ」との指摘が相次いでいるという。

◇ ◇ ◇
 
実はブログ子はこの「公募の校長」に給料など教諭の半分でもいいから応募しようかと思ったほどである。何度も書いているが「教師は聖職である」と思っている。学生時代教職課程の単位はほぼ自動でついてきた。自分のような者が教壇に立つと手を上げてしまうかもしれない、と必修の日本国憲法をワザと落とした。

新聞記者生活を終えた時、今なら教壇に立ってもいいかという自負があった。今こそ子どもに「公」と「私」の間で自分の立ち位置を見つけられるように指導できるのではないかと思った。詰め込み教育でなく、仕事にせよ学問にせよ、何か一つその子が一生歩む道というものを自分で見つけられるようにしてやることが、教育で一番大切なことだという信念があった。自分で選んで自分で歩んだ長い人生から得たものだ。

橋下市長の維新の会は分裂で先行きもう一つぱっとしなくなったが、この「公募の校長」は彼でなくてはできないことで何とか成功させたいものだと思っている。しかるにこのような不祥事が続くのはなぜか。「志」(こころざ)を高く掲げた人材はいるはずなのである。

この犯罪だけは人権も出版の自由も認めない

送検される勝又拓哉(5日)

送検される勝又拓哉(5日)

栃木県今市市で平成17年、小学1年の吉田有希ちゃん=当時(7)=が下校中に連れ去られ、殺害された事件で、栃木、茨城両県警の合同捜査本部は3日、殺人容疑で同県鹿沼市、無職、勝又拓哉(32)を逮捕した。

有希ちゃんは17年12月1日、下校途中に自宅から約1キロ離れた三差路付近で何者かに連れ去られ、翌2日に現場から約65キロ離れた茨城県常陸大宮市内の山林で遺体で見つかった。遺体の状況、鋭利な刃物によるとみられる刺し傷が十数カ所あったことなどから県警は事件直後から「性犯罪前歴者、女児愛好者、猟奇・アダルトビデオやナイフのマニア」「連れ去り現場から半径5キロの範囲に住む20~40代の男」と、プロファイリング(犯人像推定)をしていた。

直後には勝又の義父から、そのような性癖があり事件現場に精通していることから、怪しいと通報があったのに裏付けを取ることができなかった。今回自供から改めて現場付近の防犯カメラを調べた所、当時目撃情報から手配していた白いセダンが写っていたことも判明して、もう少し捜査を徹底していたらもっと早く追い詰めることができたのではないかと思われる。

今回誰もが思い出したのは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だろう。1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件で宮崎勤が逮捕された。部屋中幼女性愛の本などで埋まっていた。公判では「犯行は覚めない夢の中でやった」「ネズミ人間が現れた」「俺の車とビデオを返せ」などと不可解な発言をつづけ2008年6月17日死刑執行された。

数ある犯罪の中でも幼女性愛というおぞましいケースだけは許すことができない。‪‪いたいけな子供を巻き込み多くの場合残忍さを伴う。しかもこの性癖の持ち主には更生するということがない。これまでは病気として扱われてきたが許しがたい犯罪ということでやっと法改正の運びになった。

おりしも犯人逮捕の翌4日、子どものわいせつな写真や画像、動画などの所持を禁止する児童買春・児童ポルノ禁止法改正案がを、委員長提案の形で本会議に提出することが自民、民主、公明各党などの全会一致で可決された。個人が趣味で児童ポルノの写真や映像を持つ「単純所持」を禁止することが柱で今国会会期末までに成立する見通しだ。

これとて十分なものではない。出版の自由を叫ぶ漫画雑誌出版社の声に押されて、漫画やアニメを明確に規制の対象外とする修正でやっと合意にこぎつけたものだ。売らんがための猥褻な出版物に「出版の自由」を叫ぶ連中は、戦前戦後を通じての弾圧にあい、それこそ出版の自由を守るために血を流した先人たちに恥ずかしくないのだろうか。

この手の犯罪者に共通しているのは部屋中にそうした関係の出版物がうず高く積まれていることだ。ナイフ収集などとも重なる趣味もある。立ち入ることができれば犯罪予防の足がかりになるのだが、こういう手合に限って法律の保護下にある。

薄汚い性癖を持つ者、それに漫画を売りつけて商売にしている者。これらには人権も出版の自由も認めるべきではない。