南北朝鮮に見る「謝罪」

北朝鮮の朝鮮中央通信は18日、平壌市内の住宅建設現場で13日、手抜き工事により「重大な事故が発生し、人命被害が出た」と報じ、担当幹部が遺族らに謝罪したことを伝えた。北朝鮮メディアが国内での事故や当局の対応を報じたのは極めて異例。政府対応の不手際が指摘されている韓国の旅客船沈没事故を受け、北朝鮮指導部には国民の安全を重視していることをアピールする狙いがあるとみられる。

これが謝罪風景とは

これが謝罪風景とは


朝鮮中央通信によると事故現場は市内の平川区域で、同通信は「工事をいいかげんに行い、正しく監督しなかった幹部らの無責任な行為により事故が発生した」と伝えたが事故の詳細には触れていない。

聯合ニュースは韓国政府関係者の話として、入居が始まっていた23階建ての集合住宅が崩壊し、多数の死者が出たもようだと報じた。92世帯が入居済みだったとの推定も報じている。 韓国政府関係者によると事故は13日午後、建設中の23階建てアパートで発生。北朝鮮では完工前の入居は珍しくなく、同アパートでは92世帯が入居済みだったという。同関係者は「死者は100人をはるかに超える」との見方を示している。

大変な事故だが、驚くのはその謝罪の仕方である。写真を見ると現場の一角に集められた人たちに監督者らしい軍人が謝っているというのだが、まるで一同に「訓示」を垂れている風情。最前列には家族を失ったらしい2人の女性が互いに支えあってやっと立ている痛ましい姿が見える。子供たちの服装も北朝鮮にしてはこざっぱりしていているしこういう最先端のマンションに入れるのは一部の幹部だろうから、文句も言えないのだろう。

手抜き工事で傾く

手抜き工事で傾く

23階建てが倒壊したとなると相当な残骸だろうがその現場は撮影が許されていない。手抜き工事というから前日の12日、韓国の韓国忠清南道牙山市で、やはり手抜き工事で完成目前の7階建てマンションが傾き、倒壊の危険にさらされている写真が伝えラられた。軟弱な地盤にろくすっぽ基礎工事もせずコンクリートを打ち込んでその重さで傾くという図式だが、これと同じような光景だったのではないか。

この上から目線の謝罪の翌日、19日には韓国の朴槿恵大統領は死者・行方不明者300人以上を出した旅客船セウォル号沈没事故に関する国民向け談話を発表。「国民の生命と安全に責任を負わねばならない大統領として、国民の受けた苦痛に心からおわびする」と述べて謝罪し、その上で韓国海洋警察の救助活動が「事実上失敗した」と認め海洋警察を解体すると表明した。突然の「解体」宣言に海洋警察など上を下への大騒動になった。

涙の謝罪だが

涙の謝罪だが

事故を招いたずさんな運航管理を許し、救助や捜索に手間取ったのは業界と監督官庁の癒着と断定したのは、そのとおりであるが、新しく救助を専門とする部門を作ると言っても、問題は韓国社会に深く巣食っている官民癒着、賄賂社会、だれも責任をとらないで他人に押し付け合うという病巣を解体しなければなるまいに青写真もないままの宣言である。

ハラハラと流れる涙を拭おうともせず語りかける姿に、同情の声もあったが、遺族からは、政権への中間評価とされる6月4日投開票の統一地方選を前、支持率低下が甚だしいのをなんとか食い止めようとする大芝居だとする冷たい目がもっぱらだった。

謝罪の難しさは、従軍慰安婦問題などにみるこの国の反日運動でも我が国はさんざ経験済みである。河野談話に見るまでもなく、とにかく謝まっておけば収まるだろうという図式は通じないのである。

「引かれ者の小唄」にしか聞こえない

取材で長く自民党本部に出入りした。派閥が跋扈し現ナマが行き交う現場につくづく愛想が尽きたとき、小泉純一郎が「自民党をぶっつぶす」とワンフレーズで国民の人気をあつめて、本当に自民党を中からぶっ潰した。次の民主党への政権交代では中に巣食って裏から操っていた自民党長老、実力者の類が一斉に姿を消した。しがらみが一切消えた第二次安倍内閣は見違えるようにはつらつとしている。

自民党ブームの中でも落選した加藤紘一氏

自民党ブームの中でも落選した加藤紘一氏

山崎拓は駅前の事務所も閉鎖したそうで以後消息も聞こえない。加藤紘一はその後の自民党ブームの中でも落選、三女を後継者に仕立てるという。最近断念したようだが山形3区におなじ自民党の佐藤ゆかり参院議員(52)が殴りこみを掛けるなどなめられっぱなし。脱原発で気勢をあげていた小泉純一郎ももとの「変人」扱い。YKKで飛ぶ鳥落とした3人の凋落ぶりをみるにつけ、自民党もすっかり変わってよかったと、往時この3人にインタビューした自民党本部の一室で食べた名物のカレーを思い出していた。

ところが18日の産経新聞によると消えたはずの自民党幹部がこのところ共産党機関紙「赤旗」に続々登場して安倍首相批判を展開しているという。記事には、

加藤氏は18日付赤旗日曜版の1面で、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認について「徴兵制まで行き着きかねない」と反対を訴えた。加藤氏は昨年1月にも紙面に登場。慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話の見直しを進めようとしていた首相を批判した。

 政界引退後も自民党岸田派(宏池会)名誉会長を務める古賀誠氏は昨年6月、憲法改正の手続きを定めた96条改正に意欲を示す首相に対し「絶対にやるべきではない」と主張。昨年11月には野中広務氏が特定秘密保護法案反対を訴えた講演内容が紹介された。

 関係者によると、赤旗側は最近、集団的自衛権の行使容認に反対する現職衆院議員の村上誠一郎元行政改革担当相にも取材を打診したが、断られたという。

 ハト派と呼ばれた加藤氏らは現職当時から首相と政治理念などで対極にあり、平成24年の第2次安倍政権発足後に赤旗への登場が増えた。志位和夫委員長は15日の記者会見で、加藤、古賀、野中3氏の名を挙げ、行使容認について「保守政治を屋台骨で支えてきた人々がこぞって反対している」と強調。その上で「真面目な保守の方々と協力関係を強めたい」と、連携まで呼びかけた。

 元執行部による首相批判は自民党自体のマイナスイメージになりかねないが、現執行部は静観の構え。「しょせん過去の人たち。無視するのが一番だ」(幹部)との声も漏れている。

もはや老害の二人。

もはや老害の二人。

どういう人選でのことかわからないが野中広務、古賀誠の二人はTBSの日曜日早朝の「時事放談」の常連である。最近はもう見なくなったが、二人とも勝手な歴史認識、靖国分祀論に固執し、日本を中国との戦争へ突き進む安倍自民党政権の危うさを語るのがパターンだった。ブログ子が見た時は、野中は「余生が短い自分としては日本を再び戦争させるような国にだけはさせてはいけないと訴え続ける」と大見得を切っていた。

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が17、18両日に実施した合同世論調査で、安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認について「必要最小限度で使えるようにすべきだ」との回答を含め約7割が賛意を示した。朝日新聞の調査では集団的自衛権に反対は63%だそうだ。朝日の調査は自社読者だけが対象だそうだ。どちらを信じるかという「好み」の問題ではないにしてもおかしな世論調査だ。

もう一度表題に戻るが、カビがはえたような名前を見るにつけ、こういう連中が自民党をダメにしてきたんだ、という見本にしか見えない。

世界の嫌われ者、中国と中国人

南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島付近で中国とベトナムの艦船が衝突した映像を見ると、2010年9月7日、尖閣諸島付近で中国籍の不審船が日本の巡視艇にぶつかってきた時とそっくりである。時の菅直人民主党政権は船長と船をさっさと釈放したばかりか中国側と「衝突事件のビデオを公開しない」、「仲井真沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止する」という密約を結んだ(毎日新聞)。ベトナム側は今回即座にビデオを公開して世界に中国の無法を訴えた。日本と大違いである。

すべてそちらが悪い、で通す華春瑩副報道局長

すべてそちらが悪い、で通す華春瑩副報道局長


日米などが中国側の行動に懸念を示すと、中国外務省のあの厚顔おばさん、華春瑩副報道局長が出てきて「いかなる国も妨害したり、あれこれ言ったりする権利はない」と反発したうえ「ベトナム側が、中国の公船に180回余り衝突した」「ベトナム側は中国の主権を尊重し、挑発的な行動をやめるべきだ」と要求。菅義偉官房長官が「中国の一方的活動」と憂慮を表明したことに対しても「困っているときにつけ込んで(中国に)危害を加えようとしている」といけしゃあしゃあと述べた。あきれた物言いである。

「四面楚歌」という言葉は三国時代にこの国で生まれたが、いま世界の中でその通りになっていることを認識できない。中国は「すべての問題は外国が仕掛けた」という論法を振りかざして反省することがない。こんな国に日本は2兆円とも3兆円とも言われるODAをつぎ込んだ。

胡錦涛自ら、「日本の経済援助なくして中国の現代化はあり得なかった」と語っている。だが、それによって経済力と軍事力を増強させた中国は、日本を含むベトナム、フィリピンなどの周辺国に脅威を与え、世界に牙をむき出しにしている。恩を仇で返す国に成り果てた。

国がそうならその国民も同じで世界の嫌われ者になった。最近の騒動では香港人を怒らせた立ちションベン事件にはあきれてものも言えない。行為そのものもとんでもないが、咎められて歯向かう中国人夫婦が13億人みなこれかと思ってしまう。

街頭で子供におしっこさせて何が悪い「63%」の中国人気質

街頭で子供におしっこさせて何が悪い「63%」の中国人気質

騒ぎの発端は、香港の繁華街、旺角で中国本土から来た夫婦が2歳の男児を抱えておしっこをさせていたところ、通りかかった香港市民の男女に注意されたうえ、その様子を撮影された。夫婦が激高し、父親はカメラとメモリーカードを奪いとった。通行人が助けようとしたら今度は母親が仲裁した男性の手をひっかき、注意した香港市民の足にベビーカーをぶつけるなど暴れだした。警察が駆けつけ、父親は釈放されたものの母親は暴行の容疑で一時拘束された。

中国メディアの報道によると、4月21日、観光目的で香港を訪れた中国人夫婦が、市中心部の街頭で、2歳の男児を抱えておしっこをさせていた。通りかかった香港市民の男女に注意されたうえ、その様子を撮影された。その結果上記の乱暴狼藉である。警察が駆けつけ、父親は釈放されたものの母親は暴行の容疑で一時拘束された。

騒動の一部始終を撮影した映像がインターネットに出回ったことで、今度は中国と香港の間で物議を醸した。各ポータルサイトには十万件以上の書き込みが寄せられた。中国国内のネットユーザーには夫婦を支持する声が圧倒的に多く63%に達し、「香港にトイレが少ないことが原因だ」「香港人のわれわれに対する偏見が根底にある」「中国の観光客によって香港経済が潤い、私たちのおかげで香港人が良い生活を続けられている」とあきれた理屈を並べた上「香港市民が無断で子供がおしっこしている姿を撮影したことの方が悪い」といった開き直りとしか見えない中国人の屁理屈が並んでいる。

香港人が怒りあきれるのは、当事者の中国人夫婦も、中国の一般ユーザーも、子供に街頭でおしっこをさせたことを当たり前と思っていることだ。ブログ子は地下鉄の車内で子供に放尿させている中国人の母親の写真をみたことがある。ある香港人記者は「今回の事件は今の中国と香港の関係を象徴する出来事だ。1997年の香港返還以降、一国二制度が採用されたが、そもそも社会主義と資本主義制度のもとで育った人間の考え方はこのように根本的に違う」と話している。

中国文学史上、不朽の名作と言われる長編叙事詩「離騒」を著した屈原は楚の国の人だった。汚濁の世の中を憂いて汨羅(べきら)の淵に身を投げた。以後人々は悼んで毎年命日の5月5日には川に粽(ちまき)を投げて、魚が食べないようにした。日本にもその慣習は伝わり端午の節句となった。

これが清廉の人を生んだ同じ国の後裔なのだろうか。

マスコミは60年安保の愚行をなぞるのか

「集団的自衛権」で一部のメディアは狂奔している。
朝日新聞は「近づく 戦争できる国」の見出しで「集団的自衛権の行使とは、米国と一緒に他国と戦争することだ」と断言し、毎日新聞は「集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更は、憲法の許容範囲を超えている」という。「『戦地に国民』へ道」(東京新聞)といった見出しは共同通信の配信を受けているブロック紙、地方紙にあふれている。国会周辺での女性のデモ隊では「命を産んだ母は二度と子供を戦場へは送らない」というスローガンが掲げられている。

反対派のスローガンは60年安保当時とそっくり

反対派のスローガンは60年安保当時とそっくり

ブログ子は60年安保闘争で見たスローガンとそっくりだと思った。年齢がわかるが、この時クラス委員をしていて教授に依頼して休講にしてもらい皆をデモ隊に参加させるのが仕事だった。大学から唐牛健太郎という全学連委員長を出している手前奮闘せざるを得なかった。クラスには社会党と共産党からオルグが来て上のようなスローガンを叫んでいったものだ。

札幌央警察署に検挙されたこともあるが、誰も日米安保条約の条文は読んでなどいなかった。国会での強行採決と、樺美智子が圧死したことに憤激してのことだった。ただそれだけである。

安保改定の際の社会党、共産党と朝日新聞の常套句は「他国の戦争に巻き込まれる」であった。あれだけ学生を煽りに煽った結果どうなったか。がむしゃらに反対の論陣を張っていた論説主幹の笠信太郎らが樺美智子の死と膨大な数のデモ隊に驚いて、みずから主導して「暴力を排し議会主義を守れ」という七社共同宣言を発するに至り安保運動は急速にしぼんだ。挙句、岸元首相の死にあたって元全学連リーダーが「あなたは正しかった」と弔文を書いたほどである。

惨敗に打ちひしがれた全学連の闘士たちは一般企業から閉めだされ、多くはマスコミ、郵政、教育、大学に流れ込んだ。その後70年安保世代が産んだ中核派・革マルなどの過激派も加わり、さらに沖縄返還闘争の連中も入って現在の左翼運動の中核であるマスコミと沖縄を形成していった。

あの時と同じパターンということは当然結果も見えてくる。当時は在京7紙全部が反対にまわったのだが、今回は朝日・毎日VS読売・産経と二分している。朝日新聞の世論調査を見るとなぜか購読者対象という姑息な方法だが反対は63%である。他の調査を見ても反対は50%以下で推移している、手元に当時の資料はないが、安保反対は80%以上はあったと思う。安全保障問題に世論調査などなじまないが、控えめに見ても世論は集団的自衛権に理解を示している。

与党で反対している公明党はとっくの昔に「下駄の雪」でそのうち自民党に擦り寄ってくる。与党から出て行く勇気などあるわけがない。それほど政権与党の蜜の味を享受するに慣れすぎた。山口那津男代表は16日前の党参院議員総会で「しっかり議論を尽くすことが重要だ」と訳の分からない言葉でお茶を濁しているのを見てもわかる。容認へのタイミングと口実をはかっているだけである。

野党8党も集団的自衛権では割れている上、全党「馬糞の川流れ」状態である。16日午前の幹事長・国対委員長では28日の開催で大筋合意している衆院予算委集中審議について、回数を増やすことを確認して終わった。「十分審議した」という口実のためなのはあきらかだ。つまり、どこから見ても勝負はすでに付いている。安倍首相の勝ちである。朝日・毎日の反対派はあのときのような「共同宣言」案を今の内に用意したほうがよいのではないか。まあ意地でも書きはすまいが。

親友4人で呑んだ一夜

5月12日、ブログの亭主は親友と盃を傾けた。面白い話なのでこのブログで紹介する次第。

きっかけはワシントンにいる阿部義章君が日本に一時帰国するので皆に会いたいとメールを寄こした。廻状が廻ってこの日いつもの恵比寿ガーデンプレイスタワー39F 展望レストラン街「火の音水の音」と決まった。

阿部君は世界銀行南米・カリフ海地域担当局長を最後に退職、帰国して早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授をしていたが定年退職、日米に居を構えて行き来している。ワシントンでは日本の世銀からの融資状況を逐一資料にあたって論文にまとめている。

山本竜三君も小中高通じての親友で進駐軍に接収されて郊外に住まった家が近く、互いの家を行き来して育った。亡くなられたのでもう書いてもいいかと思うが、彼の義兄は日本の潜水艦隊育ての親とも言える人で、昔で言えば連合艦隊司令長官にあたる横須賀艦隊指令を務めた。六本木に防衛庁があった時代、防衛課長という要職にあり、ブログ子はある時期安全保障関係の取材で月に何度となく部屋を訪れて軍事知識を教えて貰った。だから韓国が「日本が持つものは何でも欲しがる」くせでイージス艦を増やしているのは明らかに間違いだと断言できるのだ。

いつもはこの二人に宮崎健を加えた3人で会っていたが、今回は久しぶりに川本皓嗣君を誘うことになった。昨年大手前大学学長を退いたと聞いたから東京にいるなら来ないかとメールしたら「当日は上野の学士院で定例会に出たあと(彼は2009年学士院会員に選ばれた)そちらにまわる」という返事があった。文末に「先日(4月24日)のオバマ大統領を迎えての宮中晩餐会に招かれ、大統領とアメリカの詩人談義をした」とあったので、これは面白い話が聞けそうだ、と思った。

果たして期待にそむかないもので、オバマ大統領と美智子皇后の深い文学への造詣をうかがわせる内容だった。どこから聞きつけたかフジテレビが取材にきて、18日(日)の午前7時半から9時までの「新報道2001」で放映されることになっったという。

我が畏友との一夕。 (左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏

我が畏友との一夕。
(左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏


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宮中晩餐会では、控室の大広間に入ってすぐ侍従に呼び止められて、名を確かめられ、食事のあとの歓談のさい、オバマ大統領とちょっと話してほしい、そのために広間の前方あたりにいてほしいと依頼された。

入室の前に天皇陛下、大統領、皇后陛下の順に会釈と握手をしたさい、皇后陛下から「比較文学の先生ですね、きょうは・・・」と話しかけられたがよく聞き取れなかった。食事のあと、大広間で待っていると両陛下と大統領が入室され、侍従に促されて大統領のそばへ行った。
侍従が私を紹介してくれて、大統領が「アメリカの詩を日本で教え広めていてくださって、まことに有難う。ところで、アメリカの詩人で誰が優れていると思うか」と訊ねられた。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、ウォーレス・スティーヴンズ、エミリー・ディキンソン、そして(ロバート・フロスト」とお答えした。

オバマ大統領はすぐ「その中ではディキンソンが最高だ」と断言された。さらにフロスト「たいへん人気があるし、詩もやさしそうに見えるので、軽視されがちだが、その言葉をじっくり読み味わうと、表現は絶妙だし、意味は深く、かなり難解だ」と、ずばりと的を射た批評を下したので、私はただただ驚嘆した。というような話だった。

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川本君がフジテレビの取材に応じたのは、アメリカの大統領と日本の皇后陛下がともに詩を語られるというのは、なんと素晴らしいことではないか、ということだったが、これには我々も全く同感で、美智子皇后陛下がアメリカは言うに及ばず、世界の文学に深い造詣をお持ちなことは他の例で承知している。

内々だが、宮中での新年の講書始の儀でご進講役にも選ばれるようである。いま、大手前大学に依頼されて担当している GACCO という企画に没頭しているとのことだ。これはアメリカその他の大学に追随して、東大や慶応などが始めた無料ネット授業で、その原稿づくりで、ほとんど散歩に出かける暇もないという。よろしければ、下記をのぞいてみてください。

「俳句――17字の世界」というタイトルで惹句には「十七音の言葉の切れ端が、なぜ深く多彩な意味を暗示するのか。芭蕉の句を中心に、俳句の詩的構造をさぐる」とある。ブログ子の大好きなテーマである。夏には聴講しようと思う。同好の方がおられれば下記のURLへ。

http://gacco.org/

4人で4時間半も 話し込んだ。誰一人それほど長時間だった認識はないのだが、札幌の下宿の高校生の娘に阿部君がピアノを教え、川本君が昼ごろ起きる生活から抜けだせず喧嘩したこと、小樽のぼた山の上でなけなしの金を分けあって上野までの4食分のそば代を都合したこと、3人ともサイトの亭主の母親の実家である米沢にスキーに出かけたことなどが話の接穂にでたと思うがよくは覚えていない。純米醸造酒にこだわってかなり盃を傾けた川本君が翌日二日酔いだったという。

この場で川本君に貸した千円が返ってきた。40年前日吉の社宅で貸した電車賃だが、ホームページの最後に確かに返却したと書いておいてくれと念を押された。家内に渡したら大笑いしながら千円受け取りました、とメールしたら「奥方が千円をご嘉納くださったとのこと、よろしくお礼を申し上げてください。うちの家内は、その後の貨幣価値を考えると、少なくとも1万円はお払いすべきだったと主張しています」とあった。

忘れていたので追記するが、話は嫌韓論にも及んだ。ブログ子は為に彼の地に足を踏みれたことがないのだが川本君は国際比較文学会の会長として何度も行って向こうの学者と会ったそうだ。「韓国にも日本大好きな学者は大勢いるよ」と言った。政治とメディアの偏向で表に出ないだけということのようだ。なぜかホッとした。
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この一文はホームページ「八ケ岳の東から」にある「雪散華」に川本皓嗣君が寄せた「宮崎ひさ子さんのこと」という中にある千円の電車賃の話に付け加える為に書いたものでいずれそちらに移します。経緯がわからないところがあるかもしれませんが理由はそのためです。

渡辺淳一さんと赤い三輪車

連休中八ケ岳にいたとき作家の渡辺淳一さんが亡くなったことを知った。この歳になると昔取材したりインタビューしたりした人の訃報に接することが多いのは仕方がないが、ブログ子は赤い三輪車を鮮明に思い浮かべた。

記事には、「昭和43年、札幌医科大学で行われた和田寿郎教授による日本初の心臓移植手術、のちに教授が殺人罪で告発される事態になった、いわゆる和田心臓移植事件をテーマに小説を執筆、学内にありながら疑義を呈したため、大学を退職し、上京して文筆活動に専念」とあるから、会ったのはその3,4年後になる。

24G20140505D団地の狭いドアを開けたら赤い三輪車が積み上げられていて、夫人に案内されて雑然と本が積み上げられた書斎でインタビューした。札幌医科大学というのは北大医学部の学生を二つに割って開学したところで、氏はその一期生なので、当時のキャンパスの話や60年アンポの話題だった。

その数年後銀座のバーで見かけたが暗いのと向こうが女性に囲まれていたので声は掛けなかった。間もなく離婚して新しい夫人を迎えたと聞いた。さらに10年ほどのち日経新聞に連載した「失楽園」が大きな話題になった。不倫を主題とし、一般向け新聞連載、それも経済紙では例のない性描写が含まれていて、毎朝社長族が真っ先に秘書に持ってこさせてロマンポルノ代わりに読んでいるというものだった。本になり300万部のヒット作となり映画にもなった。

訃報にはさらに続けて「渡辺さんは前立腺がんを患い、東京都内の自宅で療養を続けていたが4月30日、亡くなった。葬儀は家族ですでにすませた」とあった。

弔いの席にいたのは、記憶では確か男の子と女の子だったと思うがあの赤い三輪車の主だったのだろうか。、

まれに見る大雪で被害甚大

GWを中心に山に上がってこのほど下りました。
まれに見る大雪で我が山墅のカーポートは残雪でクルマを入れることができず、5月3日に上がってきた娘の家族も除雪に汗をかいてやっと駐車できたほど。管理事務所の人がお宅は3月で1メートル80センチほど雪があったときかされました。

鹿も食糧難だったようで敷地のモミノキ(唐檜)は皮をはがれてほぼ全滅、これまで食べたことがなかったコメツガまでかじられていました。8日の朝起きたら目前にシカが4頭食事中。大事にしていてやっと芽を出したばかりのエンレイソウがみな食べられていてがっくりでした。

ブログの亭主 山上げ

ブログの亭主は本日から山に入ります。下りてくるのは5月8日ごろの予定です。
山は大方雪も溶けたようですが物陰にはまだかなりの積雪が残るとのこと。
木こりの毎日でしょう。

認知症を考えさせられた二つのケース

①愛知県大府市で2007年、徘徊中に列車にはねられ死亡した認知症の男性=当時(91)=の妻や長男らに、JR東海が運行遅れの損害約720万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、名古屋高裁であった。長門栄吉裁判長は「監督義務の履行に努めていた」として、全額の支払いを命じた一審名古屋地裁判決を変更し、妻のみに約360万円の支払いを命じた。

半額になったとは言え家族にとって高額賠償であることには変わりなく心情としては何とかならないかと思うところだ。しかとした記憶ではないが、昭和40年ごろまで、社会部で見聞きしていた飛び込み自殺などに対する私鉄、国鉄(当時)の対応はもっと優しかった。

遺体の処理や列車の遅れ、警察捜査への協力など駅員は気の毒なくらい走り回っていたが、鉄道側が遺族に賠償請求することはなかった。悲しみにくれる遺族にさらに追い打ちをかけるのは忍びないという思いからだ。ところが一向に自殺がなくならない。そこで経済的負担という警鐘を鳴らすことで減らそうとした。だから形だけの請求で法廷に持ち込むことはまずなかった。

それがいつしか「遅れによる損失」まで計上して遺族に請求書を突きつけるようになった。欧米型の割りきった対応が幅をきかせ始めたのだ。安くはないが会社側にとっては「斟酌」できる額だと思う。ここは昔ながらの日本型の、相手を慮(おもんぱか)っての処置があってもいい。法廷闘争はなじまないケースだと思う。

身元が判明して家族と対面する男性

身元が判明して家族と対面する男性

②2年前に大阪市の路上で警察に保護された重い認知症の男性が、氏名や住所などが不明のまま仮の名前を付けられ介護施設で暮らしていた問題で、男性の身元が27日、兵庫県の74歳と分かった。家族と対面を果たしたが、家族により兵庫県警に行方不明者届が出されていたことも判明。見つかった氏名不明者との照合作業で何らかのミスがあり、長期間身元が判明しなかった可能性があるとして兵庫県警は調査を始めた。

 男性は2012年3月11日朝、大阪市内の住宅街で保護され、認知症で氏名や住所を話せず、市は保護された場所にちなんだ名字に「太郎」という仮の名前を付け、年齢を70歳(当時)と推定して仮の生年月日も設けた。

 兵庫県警によると、男性は12年3月8日午後7時25分ごろ、県内の路上で一緒にいた家族が目を離したすきに行方不明になった。家族は同8時15分ごろ、最寄りの警察署に届け出た。大阪府警が男性を保護したのは3日後。最初に行方不明になった場所から数キロしか離れていない場所だった。

警察の非を問うこともできようが、ここは一つもっと懐の深い対応ができないだろうか。認知症患者にはチップを埋め込めとかGPSで居場所がわかるケイタイを持たせろとかいう無味乾燥な議論に進むのを恐れる。

名前を出しても許されると思うが、キャリア官僚が独占した警視総監の椅子に叩き上げで座った秦野彰氏を公私にわたって知っている。先輩にくっついてポッポちゃんこと鳩山威一郎参議院議員と浅草の小料理店「太郎」でよく飲んだり麻雀をしたりしていた。あの鳩山由紀夫元首相の父親である。大蔵次官から国会に移って当時無役だったが影響力は大で取材を兼ねていたのだが、そこに同じ参議院議員の秦野がお忍びで来ていたのだ。

それから10年くらいあと、秦野章が重い認知症になった。世間には知らせていなかったが彼の秘書をよく知っていたので行動はよく聞いていた。はじめの頃は徘徊も横浜の自宅から都内くらいだった。警官をつかまえてはなにかと「訓示」をするらしいがトンチンカンである。まだ元警視総監の顔を知られていたので警官が気を利かして盛大に敬礼をすると、大いに気を良くして次の徘徊にでかけ夜には自宅に送り届けられてきた。

間もなく千葉県警で保護されるようになった。千葉ではそれほど顔を知る人もなく偉そうなおじさんとして交番に突出されるようになった。新聞では2002年腎不全で死去とあり認知症のことは全く触れられていない。本人も気分よく徘徊し、周りの人も気分よく扱った立派な認知症患者だった。

兵どもが夢の跡「ハブとマングースの戦い」

医療法人「徳洲会」グループの公職選挙法違反事件を受けて徳田毅前衆議院議員が辞職したことに伴い、27日、衆議院鹿児島2区の補欠選挙が行われた。ブログ子はいつの間に「2区」になったのか不覚にして気付かなかった。

aad8a1d1a99e737d88f806f802b3e8faここは以前、徳之島を舞台にした奄美群島区という定員1人の異例の(全国でここだけ1人区)選挙区だった。この時代は中選挙区制度(現在は小選挙区比例代表並立制度)だった。自民党派閥から複数の立候補者が出るところでは共食い状態になり、「戦争」と呼ばれる選挙区が多かった。徳島の「阿波戦争」(三木武夫Vs後藤田正晴)、岡山2区の「六龍戦争」(加藤六月Vs橋本龍太郎)などだ。

なかでも奄美群島区は「ハブとマングースの戦い」「保徳戦争」といわれ、徳田虎雄Vs保岡興治の二人がほんとに血の雨が降る戦いを繰り広げるので有名だった。今回の徳洲会事件で一族が逮捕され議席を棒に振った徳田毅の父親と、同じく徳之島出身のエリート官僚の戦いでともに権勢を振るった。

すさまじい選挙戦だというので毎回東京から取材記者を派遣していた。私が居た新聞社で現在、論説委員をしているB記者がその役を務めた。よそ者は受け付けられない土地柄である。彼は奄美の出身で徳之島に親戚がいたので何かと便利だった人選だったが、そのレポートには毎回驚かされた。

住民一人一人どちらの陣営に付くか把握されていて、ほとんど狂わない。だから何票足らないかまでわかるので、深夜現金を持った「工作員」が軒先に忍んでくる。それを防ぐため片方は夜っぴて篝火を焚いて不審者を見張る。同じような光景は大阪・泉州の選挙で経験したことがあったが、この島では市長、市議、町内会長にいたるまで二派に分かれて殴り合いしながらの選挙だという。レポートには「島には他に娯楽がなく、唯一の楽しみという側面もある」とあった。

何でもありのこの選挙区はその後合区で鹿児島1区になりそこでもぶつかりあったが、さらに鹿児島2区に分区になって、両者棲み分けることでようやく「ハブとマングースの戦い」は終わりを告げた。

片方の主役、徳田虎雄氏は2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退、息子を立てたが今回の不祥事である。もう一方の保岡興治氏は一時法相を務めたが、2009年の総選挙では比例復活も出来ずに落選、2012年やっと鹿児島1区から国政へ復帰したが政界ではやや埋没している。6人も出馬しているが勝敗ははじめからついている選挙だった。

ほんに日本は正直だ

 001三陸沖の北西太平洋に生息するミンククジラを捕獲する調査船4隻が26日午前、宮城県石巻市の鮎川港から出港した。国際司法裁判所が日本の南極海での調査捕鯨を国際捕鯨取締条約違反と認定した判決後、日本の捕鯨調査船が出港するのは初めて。

 同港から半径約80キロ以内の海域で、捕獲したミンククジラの胃の内容物や三陸沖の生態系を調べる。今回の調査海域は判決対象外だが、判決内容を考慮し、捕獲頭数の上限を例年の60頭から51頭に減らす。

 同港は東日本大震災で約3メートルの津波に襲われ、壊滅的な被害を受けたが昨春、調査船の出港を再開したばかり。同港では同条約で捕獲頭数の規制を受ける北西太平洋調査と、規制を受けない小型クジラの沿岸商業捕鯨の2種類を行っている。

 調査は6月上旬まで行い、捕獲数が上限に達した時点で終了する。(新聞各紙)

日本人は上から下まで遵法精神に富んでいて捕獲頭数「51頭」できちんとやめて帰ってくることだろう。悪知恵を授けるつもりはないが先日このブログで「バカ正直すぎる日本の調査捕鯨 」ということを書いた。

韓国を例に出し、韓国領海内でクジラの数が激増しているとかで、韓国の沿岸で、“偶然に網にかかって”捕獲されたクジラは合わせて年間で2350頭、1日平均6・4頭に上っている。これは日本の調査捕鯨で捕獲されるクジラのおよそ2倍以上の数字という話を紹介した。管理対象の13種類の大型鯨類についてもノルウェー、アイスランドのほか「原住民生存捕鯨枠」によるアメリカ・ロシア・デンマーク(グリーンランド)の北極圏先住民族が継続していて、「その一部」が日本に入ってくるという話だ。

韓国で「偶然網にかかった」捕獲頭数が日本の2倍ということは明らかにインチキだが国際舞台では表沙汰にならない。国際司法裁判所に提訴したオーストラリアはこの間、労働党政権から一変して日本の捕鯨に理解を示す政権に変わっている。国際社会にいくら「くじらは日本の食文化だ」と訴えても聞く耳を持たない。

以下はブログ子の独り言である。北西太平洋での捕獲頭数「51頭」のほかに「偶然網にかかった」クジラが51頭いても誰も文句は言えない。

宮中晩餐会のお陰でジンギスカンの株が上がった

31Z20140424DDAPT01539G2000オバマ米大統領を迎えての天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会が24日、皇居・豊明殿で行われた。そのメインディッシュが羊のもも肉の蒸し焼きだったと聞いて我が意を得たりの感があった。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉行き詰まりの原因になっているため、豚肉や牛肉は出なかったということもあるだろうが、ともかく羊肉つまり我が家ではジンギスカン鍋の評価が高まったのである。

晩餐会のメニュー

晩餐会のメニュー

欧米では羊肉とりわけラム肉が高級食材で、一流料理店のメニューでは上にランクされるが、日本では、牛肉料理の下に位置付けられている。ブログ子はかねがねこれが気に入らなかった。こういうランク付けになった理由は、戦前めん羊は貴重な家畜で料理に出されたのは、毛がとれなくなる10~12歳まで飼った老廃羊の固い肉だったことがイメージダウンにつながった。

学生時代、北海道で私が食べていた羊もこれに近く、固かった。しかし安いのと北海道の牛肉は乳牛のオスの肉なのでどうにもミルクっぽくて馴染めず、馬術の試合の後対戦相手との懇親会では牧草地で前夜自分でさばいた羊肉でジンギスカン鍋を囲むのを常としていた。

東京に居付いてからは毎年桜の季節に馬事公苑の八重桜の下でジンギスカンを囲むようになった。苑長がOBだったのともう一人、OB会長が今上陛下の皇太子時代に侍従、その後掌典長などを長くつとめられた方だったので、宮内庁大膳部から取り寄せたマトンがジンギスカンの素材で、学生時代とは大違いの驚くほどの美味さだった。

伺ったら栃木県の御料牧場で育てたもので、アブラを取るため飼料から調整されているということだった。今回オバマ大統領に出されたものもそうして育てられたものだ。

そこまでいかなくとも、現在では羊肉がすばらしくおいしくなった。羊肉はラム(lamb、子羊)とマトン(mutton、生後1年以上の大人の羊、めん羊種が主)に大別されるが、肉用のサフォーク種のラムやマトンがオーストラリアやニュージーランドから大量に輸入されていてジンギスカンは一般でもすばらしく美味しくなっている。しかも牛肉より安い。

ジンギスカン専用の鉄鍋と七輪を買い込み、毎年孫達に振る舞うことにしているが、ここでもう一段美味しくする秘訣を伝授しよう。札幌にいる同級生のジンギスカンの達人から教えられたのだが、タレが大事でいろいろ試みた結果「ソラチのたれ」が一番ということだった。毎年取り寄せているが、宮中晩餐会で出たところでさっそく注文しようと思っている。

なかなかいいぞ。安倍首相の「タフなネゴシエーション」

plc14042413240028-p1 安倍晋三首相とオバマ米大統領は24日午前、東京・元赤坂の迎賓館で首脳会談を行った。両首脳は、日米同盟がアジア太平洋地域で主導的な役割を果たすことで一致し、オバマ氏は尖閣諸島(沖縄県石垣市)が日米安全保障条約の適用対象であることを明言した。焦点の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉は、日米間の閣僚協議継続で一致したが合意には至らず、共同声明の発表はいったん見送られ、両首脳はそのまま共同記者会見に臨み、首相は「日米同盟は力強く復活した」と述べ、成果を強調した。

大統領としてはじめて尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言したもので、これを聞いた途端、TPP交渉で日本は大幅な譲歩を迫られるな、と直感した。この項を書いている時点では、再開された甘利経済再生担当大臣と米国・フロマン通商代表の交渉が続いているのでなんとも言えないが、歴代政権でここまでタフなネゴシエーション(交渉)を展開した例はない。

古くは田中角栄の「足して二で割る」方式で最後はよっしゃよっしゃで終わる例や、ともにバブルの張本人と言われる宮沢喜一の英語通を自認するあまり大幅に相手方に歩み寄る交渉、橋本龍太郎の事務方に丸投げ方式、悪夢のような民主党の鳩山由紀夫、菅直人の元首相二人の根無し草外交・・・まともな交渉力を見せた政権は見たことがなかった。

だからアメリカが尖閣諸島を明確に安保適用対象と明言したからには、今度は日本がTPPでは譲らざるを得ないなと思った。共同声明を先延ばしにしても最後の閣僚協議に委ねるという腰の強さを見せた安倍首相に感心した。これこそ国益がぶつかり合うシビアな二国間協議である。

オバマ大統領は「すきやばし次郎」で好物のすしを14貫も食べた。そのせいかどうか、コメではアメリカも理解を示しているという。残る主なものは牛肉と豚肉だそうだ。アメリカ人ですら日本の牛肉は素晴らしいと言っている。特化したら生き残れると思うのだが。いや素人分析はよそう。TPPがどういう結果になろうとも許せる気がする。

沖縄タイムスのアホくさ社説

沖縄や北海道の人は本州のことを「本土」と呼ぶ。本土にいると沖縄の新聞は読む機会もないが、はっきり言ってこの地の主要2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は朝日新聞以上に「真っ赤っか」である。なにしろ仲井真弘多知事は3月県議会の本会議場という公式の場でこう言い放ったくらいである。

地元紙の報道を引き合いに質問された時のことだが「(沖縄)タイムスは読まん新聞ですから。(琉球)新報も止めた。特定の団体のコマーシャルペーパーと聞いたものですから」

米軍普天間飛行場移設の埋め立てを承認して以来、2紙の報道に不満を募らせていたこともあろうが、地元紙が知事から引導を渡されるというのは聞いたことがない。その沖縄タイムスの「社説」というのを電子版で読んだ。なるほど、あてつけ、重箱の隅をつつく論理、挙句は結論が「友好・交流による緊張緩和への貢献こそが『国境の島』にふさわしい」ときた。笑ってしまった。

yona沖縄タイムスなど読んだことがない人が大半だろうから再録するが、防衛上かねて念願となっていた与那国島に自衛隊レーダー基地を置き隊員を常駐させるため基地建設に着手した、と防衛省の19日の発表をうけての21日の社説である。少し長いが全文を再録してみる。
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 与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備計画で、防衛省が19日、現地で起工式を行った。小野寺五典防衛相らが参加した式典は、配備に反対する住民が会場を取り囲むなど終始混乱した。

 この事実が象徴しているのは、島への自衛隊配備に対する住民の賛否が二分しているということである。このまま配備計画を強引に進めることには、重大な懸念を抱かざるを得ない。

 昨年8月の与那国町長選で「配備推進」を訴えた外間守吉町長が3選を果たしたが、対立候補との票差はわずか47票だった。

 選挙後、町や国は住民対話を持つなど、積極的に島内融和に取り組む必要があった。それをおざなりにしたまま、配備計画を進めたことが、住民同士の溝を深めていることを認識すべきだ。

 選挙の後、配備計画に関して町単独で開催した住民説明会があったのは、ことし2月になってからだ。説明会に防衛局の担当者は同席せず、住民からは「不十分で理解できない点が多い」と不満の声が上がっていた。

 駐屯予定地の町有地の賃貸借契約を解除するに当たり、農業生産法人への損失補償額を防衛省が大幅に上積みした交渉経緯も不透明だ。防衛省は当初提示した1億1千万円から積み増し、約3カ月後に2億4千万円で合意した。

 算定基準の不自然さが指摘されているが、税金の不透明な支出であり、当然だ。配備に向け、なりふり構わぬ国の姿勢が、住民の不信感を一層募らせているのである。

    ■    ■

 沿岸監視部隊はレーダーで付近を航行・飛行する艦船や航空機を監視する。中国の海洋進出に対抗するため防衛省が打ち出した南西地域の防衛態勢の強化の一環だ。

 与那国町の人口は3月末で1479人。隊員は150人規模で、家族を含むと約200人が島に住むことが見込まれている。町は「非常に大きなインパクト」ととらえ、施設工事や防衛省の補助事業によるインフラ整備で町民生活の向上につなげ、人口減少に歯止めをかける考えだ。

 しかし、自衛隊配備が過疎化対策になり得ないことを示す事例がある。1959年から陸海空自衛隊が配備された長崎県対馬市では、60年に約7万人だった人口が、約3万5千人に半減している。

 また、与那国への自衛隊配備が近隣諸国を刺激し、緊張が高まれば、住民が望んだ地域づくりとは逆のベクトルが働くことになりかねない。

    ■    ■

 中国外務省は沿岸監視部隊配備について「日本は国際社会に、軍事力増強の真の狙いを説明するべきだ」とけん制した。近隣諸国との緊張が島の住民の暮らしを脅かすことがあってはならない。

 2005年に町が策定した「自立へのビジョン」では「東アジア地域との友好・交流を推進し、国際社会の模範となる地域間交流の実現に努力する」と宣言した。町はむしろ、その姿勢を堅持することをあらためてアピールすべきではないか。友好・交流による緊張緩和への貢献こそが「国境の島」にふさわしい。

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与那国島にある日本最西端の碑

与那国島にある日本最西端の碑

与那国島は尖閣諸島から南へ約150キロ、台湾から東へ110キロに浮かぶ人口約1500人の島。ブログ子はサイトで「驚異の飛翔2200キロ アサギマダラの神秘」という一文を書いているが、春と秋の渡りの季節に蝶が立ち寄る島として有名で、これ目当てに訪れる人が多い。日本最西端の碑が立っている。

沖合はこのところ太平洋に進出が激しい中国艦船が通過する一方、各国の通信が飛び交う防衛上枢要の地にある国境の島ながら、警察官2人が駐在するだけだった。防衛省はやっとレーダーを設置してさらに約100人の沿岸警備部隊と約50人の後方支援部隊を駐留させ、付近を航行する艦船と航空機を監視することを決め、2015年度末までに運用を開始する予定である。

してやったりの中国、次は韓国が模倣か

差し押さえられた鉄鋼石運搬船「バオスティール・エモーション」

差し押さえられた鉄鋼石運搬船「バオスティール・エモーション」

三日前に「世界はもっと狡猾である」と書いたばかり。 商船三井所有の貨物船が中国当局に差し押さえられた問題は、日本政府には寝耳に水だったようで、菅官房長官は記者会見で「政府としては深く憂慮し、中国側が適切な対応を取るよう強く期待をしている」と語ったものの「商船三井が原告との間で和解の可能性を探っていたと聞いていた」と述べ、「こういう案件があることをなぜ事前に官邸側に伝えてなかったのか」と外務省に不快感を示した」。中国側のしてやったり、の得意顔が見える。

なにせ、1936年に日中の海運会社間で交わされた船舶の賃貸契約をめぐる古い民事争いが発端だ。原告は、中国国内法整備の隙間に生まれた時効の空白を突くことで、戦前の“亡霊”を現代によみがえらせ、強制執行に持ち込んだ。

旧大同海運(現・商船三井)に貨物船2隻を賃貸したのは、陳順通という上海の船舶王の経営した海運会社だ。契約満期前に日中戦争が始まったことで、賃貸中の2隻は旧日本軍に徴用され戦争で沈没した。現在の原告は陳順通の孫らで、三代にわたり戦前の債権回収に取り組んできた。70年代には東京地裁で訴訟を起こしたものの、「時効」を理由に相手にされなかった。

そこで本国で訴訟を起こした。その執念に驚くが、この間にうまい具合に法改正があった。87年1月に施行された中国の民事新法「民法通則」で、同法の施行後2年以内の提訴に限って、最高人民法院(最高裁)が事実上の時効停止できるというもの。上海海事法院に提訴され、1審(2007年)、2審(10年)とも、原告が勝訴していた。

それでも日本政府は楽観していた。中国は72年の日中共同声明で戦争賠償請求権の放棄を表明した。その代わり日本側は対中経済支援を約束し、その約束通りに政府開発援助(ODA)や技術協力を展開した。

これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1,331億円、無償資金協力を1,457億円、技術協力を1,446億円など総額約3兆5000億円以上のODAを中国側に実施した。中国の経済成長は韓国と同じでまさに日本の援助によって成し遂げられたものであり、賠償放棄の元は国家全体として十分すぎるほど受け取っている。共同声明を踏みにじるとは思いもしなかった。

お人好しの日本政府に、習近平・中共政府は平気で戦前の忘れ去られた請求書を突きつけたのだ。中国の裁判所は中国共産党の指導下にある。尖閣諸島に続いて切り札を切ることを命じたのは習近平政権であることは間違いない。

001今後、中国政府の“指導”下各地で訴訟が起こされるだろう。既に2月には「日中戦争時に強制連行された」と訴える元労働者や遺族が、三菱マテリアルと日本コークス工業(旧三井鉱山)を賠償請求の提訴をしている。

中国の「禁じ手」破りを見て韓国も見倣うだろう。現に韓国では「戦時中に強制労働させられた」とする韓国人女性らが三菱重工業や新日鉄住金、不二越を相手取った訴訟で、一部勝訴に持ち込んでいる。韓国の裁判所は他の欧米国と同じように三権分立のように見えるが、時の政権の顔色を見た判決は山ほどある。反日ならなんでもOKの現状ではこちらも危ない。

これに対して日本の切り札は「経済」だけである。日本が本格的に資本と技術を引き上げたらひとたまりもないのだが、これを理解している一般庶民は両国jともほとんど居ない。中国共産党一党独裁政権の崩壊の早からんことを願うだけだ。

ただいま猛烈なスパム攻撃を受けてます

こんなささやかなブログでも結構読者がいるものだ、と喜ぶべきかもしれないが、このところ猛烈なスパム攻撃を受けている。、朝起きてまず100通を超える嫌がらせ書き込みを削除する作業から始めている。

日教組のセンセイと在日韓国人からのものと判断している。というのも、今朝の1通は「ひとつのパラグラフに”だが”・・・”だが”と接続詞が二つもあるのは見苦しい。あんたの教養がわかる。子どもの入学式が大事なのは当たり前だ」と、どうやら国語の教師かららしい文法の誤りの指摘と己の息子の入学式に自分の受け持ちクラスの生徒を放り出して駆けつけた埼玉県の女教諭弁護である。「4月15日の当ブログ「子どもの入学式が後生大事な時代」が気に入らなかったらしい。

もう一つは18日の「メンツにこだわる時ではあるまいに 」と韓国の朴槿恵大統領が沈没船の家族を見舞ったら罵声を浴びせられた話から日本の救助体制の方が先んじているから拒絶しないで受け入れたらいい、という話に「お前は大統領に敬意を払わないのか」といった内容だ。

ともに返事をしようとしたが出鱈目のアドレスでかなわなかった。きちんと名前を名乗った投稿は載せるのにやぶさかでないのだが。

サーバーから消去されて今は見られないのだが、同じタイトルでのこのブログでもワンサと書き込みがあった。養護学校で人形を使った性教育をしているニュースに、気持ち悪いジェンダーフリー教育への批判を書いた時である。この時はブログのシステムに詳しくなくて、せっせと馬鹿正直に返事を書いたが1通として返ってこなかった。

現在は進歩していて「モデレート機能」というのが付いている。投稿は、以前は直接掲載されてしまったが、現在はコメントは一旦保留されて管理者の許可があってはじめて掲載されるようになっている。しかも「一括処理」というのがあって、何百通でもクリックひとつで消去できるのだ。常連の一つに「プラダのバッグ何パーセント割引」という通販書き込みも毎日数通あるが上に同じである。

というわけで、炎上までには至らないですんでいる。まだ余裕があるので、このブログにご不満のむきはどうぞコメントを。

人間不信に陥った犬が信頼を取り戻すまで

まもなくGWである。ブログ子も八ケ岳の我が山墅に入ることにしているが、例年真っ先に敷地に眠る犬たちの墓を訪れて、しばし昔の楽しかった思い出に浸るのを常としている。今年は大雪だったというから、彼らのところにはまだ雪が残るかもしれない。

無心に慕ってくれた犬たちを裏切ることなどブログ子の家庭では考えられないが、世の中には虐待した上捨てるという人間がいる。そういう輩は最初からペットなど飼わなければいいと思うのだが、そういうのに限って真っ先に保健所に引き取りに現れる。

以下に紹介する動画は、虐待されボロボロの状態だった犬が人間への信頼を取り戻していくストーリーである。人間にはひどい奴ばかりでないことをわかってくれたかと安堵してうるうるしてしまう。あらすじはこうだ。

昨年12月、米ロサンゼルス市の動物保護グループ「Bill Foundation」が、ボロボロの状態の犬が1匹いるとの連絡を受けた。
保護するために現場に出向いた同グループのアン・ハートさんは、首にひどい裂傷を負い細菌・真菌感染症を起こしているピットブルを見つけた。
しかし保護しようにも人間を見ると犬は逃げ出し、人間への怖れでブルブルと震えるばかり。
3時間かけて何とか保護センターに連れて帰ったところ、犬に埋め込まれているマイクロチップから、名前が “ギデオン” であることが判明。「飼い主は心配して探しているに違いない」と連絡を取ったら、「もうギデオンはいりません」と冷たく電話を切られてしまった。
ギデオンは身体的虐待だけでなく無視による精神的な虐待も受けていたためよれよれになっていた。
しかし、数週間にわたる治療ですっかり健康を取り戻したギデオンは、スタッフの献身的な愛情で、3か月後にはあれほど怖がった人間への信頼を取り戻し、身体をすり寄せるまでになったのである。

この動画は表記の動物保護グループが寄付を募るためにつくったアピール動画だが、撮影は実話である。ビットブルという犬種ははじめて知ったが今はやりの言葉で言えば「ブサ可愛い」となるのだろう、ブログ子のサイトで「アナスタシアが行く」という項を書いた。仔犬の時から亡くなるまでの記録だが、どういうわけかここ1カ月ほど前からアクセスランキングの1位と2位を行き来している。見知らぬ人が墓参りをしてくれているようで嬉しい。

アナスタシアが亡くなって間もなく八千草薫さんのお宅の愛犬も亡くなった。半年ほどあと同じ犬種と散歩している彼女と立ち話した。

「お互いの寿命を考えて躊躇したのですが、もしもの時はこの子を世話してくださるという方があったので決意しました]
こういう人こそ本当の愛犬家だと思った。

バカ正直すぎる日本の調査捕鯨

PK20140419021政府は18日、日本が北西太平洋で行う調査捕鯨を、クジラの捕獲頭数を4割以上減らした上で2014年度も継続すると発表した。

国際司法裁判所が3月に国際捕鯨取締条約違反と判断し、14年度は実施を断念した南極海の調査捕鯨は、今年秋までに新たな計画を策定、15年度の再開を目指す方針も決めた。

ハーグの判決ショックからようやく立ち直りつつあるようなニュースである。日本はいいか悪いか、遵法精神に富んだ国で、国際司法裁判所というからには公明正大な判決が下されると盲信しているきらいがある。日本は一人判事枠を持っていて、現在は皇太子妃雅子さんの父、小和田恆氏である。当事国というので今回は外されたので日本の弁護にあたることはできなかった。しかし判事15人中10人が反捕鯨国というのでは勝負はハナから決まっていた。

ブログ子は小和田氏の前任で24年間も判事だった小田滋氏とオランダでゴルフをしたことがある。マーストリヒトのイタリア料理店 での打ち上げで隣だったので少し話をした。判事はそれぞれの国の国益を代表している部分があり純然と法律論だけ戦わしている わけでもないとか国際司法裁判所に来るまでにいくつものハードル(当事国双方の同意など)があり審理件数は少ないことなど だった。最後はヒマでいくらでもゴルフに時間を割けるという笑い話で終わった。

勝訴したとはいえオーストラリアのアボット首相の談話は苦衷がにじみ出ていた。提訴した時は反日で凝り固まった労働党のラッド首相の時である。シーシェパードにオーストラリア国旗を掲げることを許し、高速艇で調査船の周りを走り回って火炎瓶を投げつけるのを黙認していた。

そのころブログ子の山墅に駐日オーストラリア大使館の公使たちがやってきて2、3日寝泊まりしていった。経済担当でオージーワインを何本もふるまってくれたので、どうしてそんなにシーシェパードの肩を持つのか聞いた。ラッド首相も外務大臣も閣僚のほとんどは反捕鯨派でいずれも対日強硬派だと言って首をすくめてみせた。

ところが昨年9月8日オーストラリアで6年ぶりの政権交代が起こった。労働党が大敗し、自由党を中心とする保守連合が政権奪還した。与党の自由党アボット首相は、第二の貿易相手国である日本との経済関係を大事にする政策をとっている。勝訴と聞いても「捕鯨問題は私自身大変憂慮しているが、日本もこの件については我々の立場をよく理解していると思う。豪日関係はとてつもなく重大だ」と述べ、捕鯨問題でこれ以上、日本を追及しない姿勢を強調した。喜び勇んだコメントではなかったのはこうした事情からだ。

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

北西太平洋で獲れたニタリクジラ

ところで隣の韓国である。同じくくじらを食べる食文化を持つがこの問題には口を閉ざして知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。そしてKBSのニュースサイトによると、韓国領海内でクジラの数が激増しているとかで、韓国の沿岸で、“偶然に網にかかって”捕獲されたクジラは合わせて年間で2350頭、1日平均6・4頭に上っているという。これは日本の調査捕鯨で捕獲されるクジラのおよそ2倍以上の数字だ。

管理対象の13種類の大型鯨類についてはノルウェー、アイスランドのほか「原住民生存捕鯨枠」によるアメリカ・ロシア・デンマーク(グリーンランド)の北極圏先住民族が継続しているが、韓国はその中にも入らない“偶然に網にかかった”2350頭が潤沢に国内に出回り、すでに日本に輸出しているくらいである。

そういえばブログ子は鯨のベーコンを酒の肴にしていたものだが、遠慮してもう30年は遠ざかっている。どうも日本はバカ正直がすぎるのではないか。欧米はただ油を取るためだけに捕鯨に邁進したが日本では余さず食べている。命を大切にした日本固有の食文化であると叫んでいても訴求力がない。世界はもっと狡猾である。

メンツにこだわる時ではあるまいに

いつも思うことだが韓国人の激する姿にはただ驚かされるばかりである。

旅客船「セウォル号」(6825トン)沈没事故で、朴槿恵大統領が17日、行方不明者の家族が集まる珍島の体育館を訪れたというので、日本の天皇皇后両陛下が被災地を訪れられるときのように、「つらい思いをさせましたね」という慰めの声に、自分を抑えた声で謝意を述べる静謐な光景を想像した。

kor14041721030しかし韓国ではまるで違った。政府の捜索活動が遅れていると不満を持つ家族が大統領に「こんなところにいないで早く対策でも立てろ 」などと罵声を浴びせ詰め寄った。朴氏が説明しようとする間も家族らは大声で不満を延べ大統領は困惑の表情で立ち往生したという。

同じく体育館を訪れた鄭烘原(チョン・ホンウォン)首相はSPともども水をぶっかけられた。

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

SPともども水をぶっかけられる鄭首相

この首相は1月、日本の野田前首相が「韓国トップが米欧に行っては、女学生のような『言いつけ外交』で日本を批判している」と述べたのに「政界の主要人物が大韓民国の国家元首に対して無礼極まりない発言をしており、忍耐の限界を感じる」と強く批判した人物だが、「無礼極まる行為」を前にそそくさと逃げ出している。

驚いたのは朴槿恵大統領の反応だ。家族が捜索状況を知らされていないと不満を述べると「真っ先にご家族に知らせなければならないでしょう」とそばにいる担当閣僚を叱責し「最後の1人まで助けるよう最善を尽くす」と約束して会場を立ち去った。およそ一国のトップが取る態度ではない。自分は女帝気取りで、責任は皆部下に押しつけるような人物が人心掌握できるとは思えない。

家族の怒りの向け先も日本とは異質だ。修学旅行を実施した高校の校長が謝まっていると生徒の父兄がこれまた何か叫びながら水をぶっかけているテレビを見た。高校もいわば被害者なのだが、こうなるともう見境がつかない怒りの向け方である。校長も校長で教員を壇上に並べて土下座していた。

この海難事故を前に日本の海上保安庁は事故翌日に韓国の海洋警察庁に救助活動の支援を打診したところ、韓国側は辞退した。防衛省も掃海母艦などの艦艇4隻やダイバーらを佐世保基地(長崎県)や呉基地(広島県)などに待機させていて「要請があった場合には速やかに対応したい」としているが、反応はない。

韓国の海洋警察庁は日本の海上保安庁を模して作られた。ここには特殊救難隊「海猿」がいる。掃海母艦は今回沈んだ船より大型で潜水、救難、救護、搬送(ヘリ)に対応できるすぐれものだ。テレビを見ると一人ずつかごに入れてヘリに釣り上げているし、船内捜索も相当遅い。メンツを捨てて要請してくれたらきっと役立つと思うのだが。

船長は、入社4か月の20代の女性3等航海士に操舵をまかせ休息していて、事故後、機関士や操舵手ら乗員6人とともに最初に救助された。北大西洋で沈んだ「タイタニック号」の船長も、太平洋戦争中沈められた日本の多くの艦長も船とともに運命を共にした。それほどの責任感を持った職責だと思っていたのを一変させたのは2年前、イタリア中部沖合で32人が死亡・行方不明になった大型客船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故だ。乗員乗客を置き去りにして船外に脱出し、沿岸警備隊の「船に戻れ」との指示にも従わなかった。

モラルが以前と一変しているのである。個人も国家も。韓国の理不尽な反日も国内事情からと理解しているが、一つの船舶事故から、こういう国柄と人柄に起因していることを知るのである

メディアまで目をそむけてはならない

アメリカの新聞の電子版を見ていたら今年のピュリツァー賞の受賞者が出ていた。メーンの公益部門では米国家安全保障局(NSA)の情報収集活動の実態を伝えた米紙ワシントン・ポストと英紙ガーディアンが選ばれたのだが、特集写真部門はボストン・マラソン爆弾テロの被害者を撮影したニューヨーク・タイムズのジョシュ・ヘイナー氏の作品が選ばれた。その写真を見て衝撃を受けた。
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死者4人、重軽傷者260人以上を出した昨年のボストン・マラソンを狙ったテロで両足を失った20代のランナーがリハビリする姿や義足をつけてガールフレンドに支えられて社会復帰するまでの10枚の写真で受賞したのだが、その一枚は男性が病院のベッドに仰向けで両手をひろげている。事件から1か月後にリハビリに励んでいるシーンだという。

日本の新聞では一紙として掲載したところはなかった。メディアの中にいたからわかるが、残酷だという理由だ。受賞発表がちょうど事件から1周年という時だったので、ボストンで開かれた式典で旗を持ち行進する警察や消防のパレード、遺族らが現場の路上に花輪をささげる姿をもっぱら紹介していた。参加したバイデン米副大統領は「私たちはテロに屈服することを拒否する。恐怖のため譲歩すること、何かを変えることを拒否する」と訴えたという。

この一枚の写真はテロへの戦いを何より象徴している。事実アメリカでは何紙かが掲載していた。それによるとこの青年はバウマンさんといい、この夏には、子どもが生まれるという。そういうことを知ってもう一度写真を見ると、彼の不屈の精神に感動するのだが、日本のメディアはこの写真を「自主的判断」で葬った。

imagesこの記事のそばにあったニュースだが、爆弾から5メートルの場所で被害に遭いアキレス腱が吹き飛ぶ重傷を負ったピーター・ディマルティーノさんの結婚話が紹介されていた。当時ピーターさんの隣にいて同じく重傷を負ったレベッカ・グレゴリーさんと一周年を前に結婚式を挙げたが、彼女は6月に左足を切断する予定だという。「私たちは幸せです。この1年でひどいことや恐怖も味わいましたが、私たちの関係はとても強くなりました」(レベッカ・グレゴリーさん)というコメントもついていた。

むごたらしいシーン、個人情報に関わる写真、ウクライナのFEMENという、乳房を露わに反プーチンなどのボディーペインティングを書いて走り回る女性の写真では「18禁」のガードが掛けられるなど、報道機関による自主規制が年ごとにひどくなる。配慮が必要なものがあるのは当然だが、こう機械的に一般の目から遮断するのは報道の自滅を意味する。

ブログ子は写真に一瞬は躊躇したが、裏側のストーリーを読んで感動し、「私たちはテロに屈服することを拒否する」という彼らの高らかなメッセージを読み取った。

ものは言いよう、「日本の桜、韓国起源」説

自分のサイトに「さくら」という項目を書いている手前、毎年あちこちの一本桜を訪ね歩いていたが、今年はやめた。近場を渉猟し尽くし、残るは遠方ばかりになって億劫になったためだが、もう一つ、今年は山はまれに見る大雪で、きっと桜は遅いと見ていたのが、豈図らんや例年よりずっと早くなり、用意が整わぬうちに満開になったことがある。

s_s21_RTR3K0ZS用事で通りかかった千鳥ヶ淵の満開をみて、今年はじめて開放された皇居「乾門の通り抜け」に馳せ参じたが大勢集まりすぎたと予定時間より早く閉門されて機会を失った。日本人がこの季節、こころを一つに桜に寄せる愛情につくづくいい国柄だと思う。

ところが、毎年韓国からは「日本の桜は韓国起源」説なるものが流されてくる。日本人の多くは、例えそうであっても一向に構わないと思うところだが、その執拗さに辟易する。済州島にその原木なるものがあるとかで、みた人によると明らかにソメイヨシノ(染井吉野)だという。

これで明らかに出鱈目だということがわかる。染井村(現在の駒込あたり)の植木屋が名所として名高い大和の吉野山にあやかって「吉野」「吉野桜」として売り出した。その後、植物学者の調査でヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」で染井村の名を取り「染井吉野」と命名した。 葉より先に花が咲くのと成長が早いのが重宝され、一気に広まったものだ。ソメイヨシノは不稔性ですべてクローンだから済州島に原木があるはずがないのである。

韓国人はなぜこうもこだわるのか。ネットである中国人が韓国で聞いた桜の生い立ちという話でなるほど、と思った。己が屈折した日本人へのコンプレックスの裏返しで、自分を納得させるために作り上げたものなのだ。

2014年4月15日、韓国を旅行した中国人韓国客が、桜について現地で聞いた情報をもとにブログをつづっている。以下はその概要。

人々は日本を桜の国と称えるが、韓国の桜も美しいと勧められ、今春は韓国を訪れることにした。聞くところによると、日本の桜は韓国から伝わったものだという。日本に伝わる前、韓国の桜の数はそれほど多くはなかった。1918~1948年、日本は韓国を占領し、大量の桜の木を植えたことで、韓国でも至る所で桜が見られるようになったという。

1948年に独立して以降、韓国人たちにとって桜は憎悪の対象で、植物界の侵入者・植民者と見ていた。しかし、韓国の学者が、日本の桜は韓国から伝わったものだと発表した。日本の桜が韓国から伝わったならば、日本人が韓国で植えた桜は韓国の桜の子孫だということになり、拒絶する理由はなくなる。そこで、韓国人は桜に対する態度を改め、次第に受け入れて行くようになったのだという。

現在、韓国にもたくさんの桜の木が存在し、毎年、ソウルや釜山、済州島などで各種のイベントが行われる。人々は桜を愛で、歌や踊りをし、酒を飲み、伝統的なお菓子を食べてにぎやかに過ごす。韓国の桜は多くが薄ピンク色(ソメイヨシノ)だ。(Record China)

関係修復のため日韓の外務省高官会議が始まった。ありもしない従軍慰安婦を押し付け、条約で解決済みの戦時賠償も裁判所と一緒に平気で蒸し返し、間違いだらけの歴史認識を押し付けるのだろう。ソメイヨシノと同じで己が歴史の自己撞着から抜け出す方が先なのに。やれやれ難儀な国である。

子どもの入学式が後生大事な時代

埼玉県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。

これに対し、この入学式に来賓として出席した江野幸一県議は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨しており、県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としているが、県教委では、欠席した女性教諭や校長らの処分などは検討していないという。
(埼玉新聞)

この高校では入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明、女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。

ネットでは
「本当に怒り心頭です。 教員の責任感や倫理観、モラルとはどうなっているのでしょうか?」
「こんな程度の人格の教員は、生徒を指導する資格など無く、即刻担任を外すべきでだ」
「権利ばかり言う教員はいらない」
「教員は、教育という一番大事な事柄を担っているということを自覚してもらいたい」

と批判する声が殺到した一方で、『Twitter』などでは
「教え子より自分の子が大事なのは当たり前」
「教師を聖職として特別視しすぎている」
と、教諭の行動は問題ないとする意見も多数ある。

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いつから日本の親はかくも己の子どもの入学式や卒業式を大事にするようになったのか。同じ頃(11日)、東京大学の入学式が東京・千代田区の日本武道館で行われ、3158人の新入生の他、多数の保護者が出席した。写真を見ると2、3階席は父兄でいっぱいである。誰も数えていないがみたところ子どもの2倍は優に超えている。

式では、教養学部の石井学部長が研究論文でのコピー&ペーストの問題にふれ、新入生に「自分だけの言葉を鍛えあげてほしい」と述べ、「他者の思考の模倣にならないために、ひたすら本を読むこと」と読書の重要性を訴えたそうだ。まるで幼児に心得を説くあんばいだ。自分でものを考え、書き、本を読まないような輩は学生ではない。

ブログ子が振り返ってみても小、中、高、大の入学式、卒業式に親が来たことは一度もない。両親どちらかがいつも入院していたので毎度枕頭に報告に行くだけという事情や、私立の小中だったので上に行くのは当たり前で親子とも別に嬉しくもなかった。高校の入学式はまた親は病院で、卒業式は入試とかち合う頃なので卒業生自体出席が少なかった。大学は遠く札幌に行ったので、はなから期待しなかった。自分の事情ばかりでなく、周りをみても親の姿はパラパラだった。

近頃「子離れ」できない親が増えたのは、子どもに過大な期待をかけすぎる風潮と関係しているのだろう。自分ができなかったことを子どもに期待するのは土台無理というものなのに、それをわきまえない親が増えた。加えて親も子も、学校、大学さえも幼稚化してきた。

かくいう私も娘二人の入学・卒業式には出なかったが家内はせっせと出席した。孫娘3人の入学式(卒業式はまだない)には誘われなかったので出なかったが、声が掛かれば馳せ参じたであろうから偉そうなことはいえないのだが、少なくともこの教師の前では「仰げば尊し」を歌う気にはなれない。「公」「私」の判断力がはなから逆転していて、愚かさを恬として恥じていない。

毎度書いていることだが教師と言うのは「聖職」である。ブログ子の小学校の先生は黒板に楷書で正方形に字を書いた。お陰で教え子は今も皆楷書で字を書いている。それほど影響力がある。先生には。

立身出世を煽るということなのか、日教組の指導あってか近頃「仰げば尊し」はとんと聞かれなくなった。中でも2番の歌詞は歌われることがないが、こうである。

2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば

ついに「芥川・直木賞」を上回った「本屋大賞」

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

推薦した書店員に囲まれる和田竜氏

全国の書店員が「最も売りたい本」を選ぶ2014年本屋大賞に和田竜さん(44)の「村上海賊の娘」(新潮社)が選ばれ、さる8日に東京都内で授賞式が行われた。 和田さんは大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。繊維業界紙記者などを経て、自作脚本を小説化した「のぼうの城」で平成19年に作家デビューした。脚本家から小説家への転身だが本はめきめき売れているそうだ。引き換えて先日発表になた芥川・直木賞の場合、誰が貰ったか思い出せる人はそういないだろう。

つまり、話題性・影響力・売れ行きで「本屋大賞」が「芥川・直木賞」を上回ったのである。こうなった原因は話題作りに腐心するあまり本来の文学性や面白さを追求するという「芥川・直木賞」の源流を文藝春秋社が見失ったためだろう。やたら「女流」を並べてみたり、社会への反抗心を露わにする作家の卵を候補作に入れたり、経歴の変わった人物を入れたり毎回「作為的」にすぎるのではないか。

その点「本屋大賞」の方は日頃本が好きでたまらない、かつまたよく読んでいる本屋の店員諸氏が「他の人にも読ませたい」という一点で推薦しているわけで、訴求力の点でかなり違う。芥川賞などは文章学という面をもっと前面に出し新しい文体とか表現力を審査すべきだろうと思うのだが、どちらのジャンルに入れるべきか定かでないものがみかけられる。

以前は「文章読本」を著した谷崎潤一郎とか伊藤正が審査員に入っていたものだが、大江健三郎などが主なメンバーになった。ノーベル文学賞作家と言ってもあのもってまわった切れ目のない文章を思うとうんざりしてしまう。それが選評を書くのだから簡単な話もまるで左翼文学評である。朝日新聞以外耳を傾けるメディアはいないのではないか。

金田浩一呂という文芸記者と親しくしていた。新喜楽での「芥川・直木賞」選考会には戦後ほぼすべて顔を出しており、文藝春秋の司会者が床の間で居眠りしている男に必ず最後に「金田さんよろしいでしょうか」と声を掛けた名物記者である。遠藤周作や曽野綾子、三浦朱門、阿川弘之といった作家と親しく、毎回候補作を読んでいて選考会前に「金田講評」を聞くのを楽しみにしていたが先年亡くなり、以来新喜楽に興味がなくなった。

そして毎回の話題先行、紙面掲載3日後には忘れ去られるという現状に「文春はいじりすぎだ」との感を深くしていた。今後もメデイアの「本屋大賞」への傾斜は続くと思う。

天気予報をナメている

NHK名古屋が10日「長野市の降水確率として発表してきたものは、実は名古屋市でした」と謝った。1年間も表示ミスを続けたというので驚いていたら、今度はNHK高知放送局が13日、高知県内ニュース番組の天気コーナーで、県西部の「晴れ」「雨」などを示す天気記号を、誤って表示していたと明らかにした。4年間、東部と西部が同一の天気表示だったことになる。

天気予報がいかに誰も見ていないかという証左で笑い話のタネにされるであろうが、実は大違いなのである。天気予報は気象庁が20キロ四方をひとつの区画(メッシュというが)として予報を出している(大都市では5キロ四方も)。今回NHKの失態が起きたのは、他に民放やケイタイで情報を取ることができる大きな都市だったから誰からも頼りにされていなかった。

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

その名もズバリ「八ケ岳の天気」

しかし都市から離れた辺鄙な場所ではそうではない。天気予報は大事なものなのだ。例えば我が山墅がある八ケ岳である。放送で流されるのは「長野中部」という予報で松本、茅野のもの、週間予報ときたらはるか遠くの長野市のものである。間に標高が高い赤岳、横岳がありその東側にある野辺山、川上村の方ではころっと天候が違う。にも関わらず夏の一時期夕方の地方ニュースの時間に「夏沢峠」という10キロほど先の山の天気情報がチラっと流されるだけである。

登山者や行楽、高原野菜農家のためにも「野辺山」に特化した気象情報が必要だと訴えてきたが、最寄りの村役場も、NHK長野放送局でも相手にされることはなかった。行政はそこまで思い浮かぶ知恵がなかったのだろう、NHKは面倒くさかったか「中部」には違いないのだから現状でいいと思ったのだろう。

しかたがないので民間の気象情報会社に頼んで「野辺山」というメッシュの予報を自前で流し始めた。右上の天気予報図がそうで1日3回最新の予報が更新されている。そこそこの役に立っているとは思ったがものすごいアクセスがあったことを昨年末知った。気象会社のサーバーの変更で更新が止まった。ブログ子は気づかなかったのだが、しばらくすると再開の要望が舞い込み始めたのである。

今度はポケットマネーをはたいてそこそこの金額で会社と契約をした。きちんと流れ始めたのを機会にアクセスログといって利用状況がわかる仕組みがあるので調べたら、このサイトを覗いた人の数がわかるページビューという数字が一日3万から5万という間を上下している中でその3分の一以上、1万から2万の人がこの小さい天気予報を利用していたのである。

登山者仲間の連絡でこのサイトのアドレスがやりとりされ「前日までにここの予報を見て判断して決行する」といった書き込みがあったり、ツーリングの行き先判断に使われていることがわかった。

余談だが天気予報は最大の軍事情報である。戦時では極秘扱いだ。日本はスーパーコンピューターを駆使して気象衛星の情報や最先端のレーダーで解析していてその能力は世界でも有数のものだ。台風の進路予想が次第に精度を上げていることはみなさんも気づいていることだろう。そしてこの観測情報を惜しげもなく韓国、あの中国にも流している。北朝鮮は独自に日本の放送を聞いているのだろう。これらの国々からは一言の礼も返って来ないが。

天気予報はテレビのコーナーでは刺し身のつまの扱いだが、重宝されているように、こうした地方の片隅の天気情報もまた求められているのである。4年も間違っていていいものではない。

石川遼をダメにしたもの

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

アーノルド・パーマーのティーショットでマスターズ開幕

男子ゴルフのメジャー第1戦、マスターズ・トーナメントは10日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(パー72)でアーノルド・パーマー(米国)ら3人の名誉スターターによるティーショットで開幕した。日本勢は昨季日本ツアー賞金王の松山英樹がただ一人出場であの石川遼の名はなかった。

ブログ子は少しゴルフをやる。仕事上の付き合いもあって年間58回プレーしたこともあり、八ケ岳の山墅と同じ標高にある近所のゴルフ場で毎夏親戚・友人とコンペを開くのが通例だったが、ここ2年ほど遠ざかっている。我流で少しも上達せず「110番」が多いのに嫌気がさした。

しかしマスターズだけは毎年見ている。長女の連れ合いがTBSでこのマスターズ担当だった時期があり、ケイタイのトラップももらったマスターズ記念のものということもあるが、一番の理由は加齢とともに早起きになり放送時間が合うという点だ。

images石川遼は史上最年少で賞金王になってマスターズに招待されたときは、タイガーウッズ並みのスーパースターを予感させた。事実、見事なショットを見せて唸ったこともあるが、その後はどうしたことか競り合いに脱落するは国内外ツアーを問わず予選落ちが多く、ただのプロゴルファーになった。マスターズも特典で初出場から3回くらいは招待されていたがそれも切れた。

あれだけの期待の星がここまで堕ちたのはなぜか。どこのメディアも書かないし放送もしないのは電通が仕切っているので、広告出稿が止められるのが怖くてだろう。近く新聞社の先輩の偲ぶ会があり、そこに知り合いの電通の幹部が数人来るようなので聞いてみようと思っている。

その前にネットを覗いてみたら、昨年は27戦して、実に11回もの予選落ち。「かつての”ハニカミ王子”が”予選落ち王子”のわけ」といった類の分析が百花繚乱だった。その中できちんと名前を出しての批評を拾ってみると以下のようなものだ。

石川をサポートするのは、いわゆる「チーム遼」の面々。コーチの実父・勝美氏(56)を筆頭に、大手広告代理店のマネジャー、用具契約をするヨネックスのスタッフ、キャディー、トレーナーなどで構成される。中でも父親の横暴ぶりはひどいという。

「象徴的なのは、石川のプロ転向後、全試合でキャディーを務めていたK氏との不和です。アメリカでのツアー5戦の直前、勝美氏はK氏に『お前は何も役に立っていないからクビだ』と言い渡した。今季の低迷の原因は石川自身ではなくK氏にある、という言いぐさだ」。「月刊ゴルフレビュー」編集主幹でゴルフジャーナリストの宮崎紘一氏は、この「責任転嫁」は大きな勘違いである、と主張する。

「通常、ゴルファーが雇うプロキャディーは、契約するゴルファーからの給料の他、優勝したら賞金の2.3%の手当も手にします。その代わり、事前にゴルフ場のコース状況や距離、芝の具合のチェックなど、さまざまな仕事をする重要なパートナー。状況に応じて心理的なアドバイスも行います。ところがK氏はプロキャディーではなく、アマチュアなんですよ」

K氏は石川が契約するシャフトメーカー・G社の社員であり、会社の指示により石川のキャディーを務める、いわば「素人」。G社から「チーム遼」への出向のようなものである。もちろん、給料はG社が出している。

「アマチュアキャディーをアメリカに連れて行っても役に立つわけがない。現地の環境に精通しているわけでもなく、コースや芝、風のことも知りませんから。なのに勝美氏は石川がミスをしたら『お前はどこに目をつけてるんだ、このバカが!』とK氏をボロクソに言う。本来、ミスはプレーヤーの責任であり、勝美氏は息子をどなりつけないといけない。石川本人も『(石川が食べたものを)片づけておいて』と命じるなど召し使いのようになっています」(宮崎氏)

不協和音が鳴り響く「チーム遼」でもう一人、攻撃の的となったスタッフがトレーナーのN氏。業界では名の知れた人物だが、予選落ちのショックや体力的な問題もあり、N氏が『(石川を)1週間休ませてください』と勝美氏に頼んだのに父親はゴルフ場でのCM撮影を入れた。N氏がそれに苦情を言ったところ、勝美氏は『誰のおかげで飯を食えてるんだ。偉そうなことを言うな!』と罵声を浴びせた。

こうした「環境」に加え、決定的なのはコーチ問題。現在のコーチは、一介のアマチュアゴルファーである勝美氏だ。宮崎氏が言う。「一度、テレビ番組の企画でラウンドする勝美氏を見ましたが、この人が教えているのか、と愕然としました。普通の素人のスイングですから」

それでも勝美氏はティーチングプロをつけない。「俺の言うことさえ聞いてりゃいいんだ。俺がいちばん、遼のことをわかっている」と受け付けないそうだ。

子どもにゴルフを教えこんでプロゴルファーに仕上げる父親という先例に横峯さくらの父、横峯良郎・元参議院議員がいる。マイクロバスを改造した自作キャンピングカーで各大会を転戦、キャディーも務め娘2人をプロゴルファーに育て上げた。名前が売れると今度は民主党公認で参議院議員に当選したものの、暴力団組長との賭けゴルフ、女性に酒を強要し、裸にして落書きして写真を撮った、愛人とのケンカで包丁を持ち出し、首を絞めたなど次々とスキャンダルを起こしで民主党に離党届を出し、新党大地に移ったものの2013年政界を引退した。

石川遼もまた、親に育てられ、親に潰されるプロゴルファーになるのだろうか。

小保方晴子さんを信じたいのだが

scn14040913380STAP細胞の論文問題で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダー(30)が9日開いた記者会見を見た。

もとより真贋を見極めるほどの科学的知識はブログ子は持ち合わせていない。会見の冒頭、「私の不勉強、不注意、未熟さゆえに多くの疑念を生みました」と謝罪し、ネイチャーの論文の核心部分に改ざんと捏造があったとした理研調査委員会の最終報告については、「実験は確実に行われており、悪意をもってこの論文を仕上げたわけではない」と反論すると、フムフムとうなずくしかない。

調査委が「実験ノートが3年で2冊しかなく、どんな実験だったかを追跡できなかった」と指摘した点に関しては、小保方氏は「調査委に提出したのは2冊だが、実際にはもっと4,5冊は存在する」と説明すれば、長年の研究にしては実験ノートの数が少し少ないと思うものの「STAP細胞は200回以上作製に成功しており、真実です」と訴えられると、すっかり信じてしまい、素直に「人類の役に立ちたい」という言葉に感動さえした。

しかし、研究者からの反応は厳しいようだ。論文作成方法が「自己流だった」などとする弁明に、小保方氏の同僚からは「説明は納得できない」と厳しい声が上がる一方、蔵田伸雄・北海道大教授(科学技術倫理)の科学者としてどこが悪いのかを「指摘した以下の様な解説を聞くともう前途がないようにさえ思えてしますのだ。

曰く「多くの研究者は、実験で自分の立てた仮説に都合の悪い結果が出てしまった場合、そのデータを捨て、仮説を正当に証明できるデータが得られるのを待つ。だが、小保方晴子氏はSTAP論文のDNA解析画像でそれをせず、切り張りで見栄えを良くするという安易な道を選んだ。これを不正な改竄とした理研に対し、同氏が発表した不服申立書などからは、『どこが悪いのか』という思いがありありとうかがえた。科学者としての基礎的倫理観が身に付いていないと断じざるを得ない。会見では不注意を謝罪したが、不正と認定されるような論文を発表すること自体、知的誠実さに欠けている。人間としても科学者としても未熟な人が急に理研の研究ユニットリーダーとなり、成果を焦らされた結果だ。その意味では、小保方氏は犠牲者かもしれない。理研には『お前はまだその器じゃない。もっと学ぶべきことがある』と指導し、育てようとする上司はいなかったのか」(産経新聞での談話)

厳しいが納得できる。その理研のトップはノーベル賞受賞者の野依良治理事長である。理研の会見の直後に記者会見しては「理研の研究者の論文が信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことに対しおわびする」と謝罪、さらに「論文作成過程で重大な過誤があった。はなはだ遺憾」との見解を示していた。すこし結論が早過ぎるのでなないかと思ったのはブログ子だけだろうか。

はっきり言えばマスコミはブログ子とどっこいどっこいで、STAP細胞の科学的証明に立ち会うだけの力はない。だから豪華マンションにブランド物の金のなんたらをつけて、上司の理研幹部にしだれかかって・・・・といったたぐいの誰にもわかる下司なレベルに終始している。同じように、ノーベル賞受賞者だからすぐれた管理能力と統治能力を持ち合わせているというのは早計なのだ。事務方が書いたメモを深刻な表情で読み上げているノーベル賞学者の姿を見ると悪い時にシャッポに据えられて気の毒に、と思う。

小保方さんが200回成功したというのなら科学者が大勢立ち会って衆目の中で追試すれば一発ですむ話ではないか。「群盲象を撫でる」現状を見ると、科学者というのはよくよく世間常識とかけ離れているとしか思えない。

「はしたない」が通じない時代

はじめて車内で「化粧女」を見た時は、親の顔が見たいと思った。横丁の隠居なら「キツネを見てみろ。化けるのは夜か物陰だろ。明るいところで化けるんじゃないや」と言うところだ。ところがその後、車内でものを食べたり飲んだりする輩を見かけるようになった。

そんな折、英ロンドンの地下鉄の車内でものを食べる女性の写真を無断で撮影し、コメントと共に交流サイトのフェイスブックに投稿する行為が流行し、ロンドン交通局が手を焼いている、というニュースに出会った。

そうか、イギリスでも目をひそめる常識人が多いのだと思ってよく読んだら違った。

tumblr_m0o21bKiZu1r7bwpso1_500地下鉄内で飲食している女性の写真を投稿するよう不特定多数の人々に呼びかける「Women Who Eat on Tubes(地下鉄の車内でものを食べる女性たち)」と題されたサイトが開設されたところ1日で何万人も参加する人気になった。

問題になっているのは、、投稿された写真の女性が地下鉄を利用した時間や路線などの個人情報が公開されてしまうのではと懸念される点だという。

あるユーザーは、「写真の投稿は観察的な行為であって批判目的ではなく、威嚇やいじめにはあたらない」と反論。写真撮影の対象となった女性たちについて「彼女たちは愛情をもって受け入れられ、大事にされる。私たちは女性たちに地下鉄の車内での飲食を奨励しているのだ。彼女たちを小ばかにしているのではない」と主張しているという。

一方、地下鉄車内で写真を撮影されたある女性は、投稿されたサラダを食べている自身の写真とそれに添えられたコメントに屈辱感を覚えたという。「ページを運営している人たちは『威嚇やいじめではない』と言っているけど、私は被害者だと感じているし、傷ついた」と、自身のブログで訴えている。

撮る方も撮られる方も、車内での飲食を「はしたない」と思っているのではなく、もっぱら個人情報が晒されるという点にもっぱら関心がいっているのである。見苦しい、という点に思いが及ばないのはもはや文化の違いだとしか言えない。

学生時代、上野から青森まで列車で13時間くらいかかった。当然食べないわけにいかないから駅弁や停車駅のホームのそば屋でかっこむほかない。「ものを食べる行為というのは見苦しいものだ。人様の前で口動かすものではない」と親が教えた。長距離列車では許されるが通勤電車では「はしたない」、つまり「品がない」行為なのである。

電車で真っ先に駆け込んできた中学生らしき子どもが両手と帽子を広げて席取りをした行為をたしなめたら、親が睨みつけたので、「きちんとしつけなさい」といった事がある。

ブログ子が思うに、これは大家族制の崩壊と関係しているのではないか。親がダメでも祖父母や近所の大人が注意した。それがなくなって野放図な社会になったのだと思う。個人情報などよりも「はしたないものははしたない」のである。イギリスでも同じだ。

鉄道はもう一つ大事なものを運んでいる

東日本大震災で被災した岩手県の三陸鉄道(三鉄)は6日、最後まで不通となっていた北リアス線小本-田野畑間(10・5キロ)の運行を再開した。5日に開通した南リアス線と合わせた全107・6キロが1123日目に完全復旧し、開業30周年で再出発を果たした。

G20140303TTT0久慈市の久慈駅を6日早朝に発車した3両編成の上り一番列車には、鉄道ファンら50人以上が乗車した。遠くから駆けつけた「撮り鉄」「乗り鉄」も多かった。またNHKの連続ドラマ「あまちゃん」で袖ケ浜駅」として登場した堀内駅(普代村)付近などでは、住民が大漁旗を振って歓迎した。この日の記念列車では、古民家風の内装とした新型お座敷車両がお目見えした。住民の喜びぶりがひしひしと伝わってくる。

三陸鉄道は岩手県や沿岸部の市町村などが出資する第三セクター鉄道で、本社は岩手県宮古市。旧国鉄の赤字路線を転換、新たに整備した区間を加えて昭和59年4月1日に開業した。「三鉄」の愛称で親しまれてきたが、東日本大震災で線路や駅など317カ所が被害を受けた。枕木が宙に浮いている区間も多く、再起は不能とまで言われた。

三陸鉄道の望月正彦社長は「数字だけを考えたら、南リアス線を含む全線復旧は無理だった」。田老駅付近のがれき撤去のため、自衛隊の出動要請を願い出たら、自衛隊は素早く対応して撤去、地元消防団の尽力もあり10日後には一部だが運転再開にこぎつけた。経営努力もあった。「早期に着工することで資材高騰の影響を免れた。がれき撤去は地元の市町村がやってくれた」(ため、復旧費は92億円弱と当初計画より15%安く済んだ。何より大きいのは資金面で国の全面協力があったことだ。三陸鉄道が復興のシンボルであること理解して採算を度外視して支えた。こうして3年で復旧したのだ。

santetutizu140128全線開通と言っても地図を見ると南北のリアス線の間に釜石-宮古間はJR山田線がある。今も運休中だが復旧の目処が立っていない。何故か。JR東日本が黒字経営なので国の支援を受けられないのだ。JR東日本は最近になってこの区間の運行を三陸鉄道へ移管する再建策を地元に提案した。そうなるとこの路線の赤字体質はさらに深まる。三鉄の利用客は開業初年度の268万人から年々減少、2013年度は50万人にとどまっている。採算だけを考えたら全国で多くの赤字路線が廃線に追い込まれたのと同じ道をたどるほかない。

ブログ子は学生時代日本縦断旅行を仲間と計画、スクーターで三陸地方に入った。海岸線を南下するつもりだったが、当時は岩手の沿岸部は「日本のチベット」といわれたくらいで人の表情は暗く、三陸にはまともな道がなかった。国道とは名ばかりで大きな石ころだらけで車輪を取られ転倒が絶えない。やむなく内陸部に一旦入って4号線を走り、再度海岸の町に入るほかなかった。三陸鉄道はその後にこの三陸リアス海岸に開通した路線なのである。

明治以降、日本人は鉄道建設に全精力をつぎ込んだ。己が町の発展を鉄道で峠の向こうにつなげることに夢を託した。ブログ子の山小舎の最寄り駅は野辺山で、鉄道の日本最高地点というので記念写真を撮る人が多い。この小海線はIR東日本だが元は小さな私鉄の寄せ集めであった。篤志家が私財をつぎ込んで鉄道を敷設、資金が続かず破産したり、合併を繰り返しながらも佐久から山を超えて鉄路を開いていった。

小海線の終点は中央線の小さな途中駅、小淵沢である。諏訪湖の北を通って製糸業が盛んだった岡谷や少し先の塩尻まで敷く予定だったのが、資金が続かず、途中で急遽最寄りの中央線につないだためだ。こうして多くの人が鉄道に夢を託してきた。鉄路の先には自分や故郷の希望を見たのである。

三陸鉄道もまた然り。鉄道ファンとセンチメンタルな一時の観光客で経営が成り立つほど甘いものではない。東日本大震災の復興を言うならJR山田線に国費をつぎ込んで被災地の「全線開通」を目指して欲しいものだ。鉄道は乗客の他にもう一つ被災地の夢と希望を運んでいるのである。

無人機とは大仰な たかがラジコンにおののく韓国

ソウル北方で墜落しているのが発見された無人機が韓国に衝撃を与えている。積んでいたカメラを現像したら青瓦台(大統領府)を上空から撮影した精密写真が見つかったというので、国の中枢まで侵入を許しただけでなく察知すらできなかったと大騒ぎだ。

mujinki韓国国防省報道官は3日の記者会見で、韓国北西部の坡州(パジュ)に3月24日に墜落した無人機が「北朝鮮から来た可能性が高い」と述べた。政府として初めての公式見解だ。機体のバッテリーに書かれたハングルが北朝鮮独特のつづりだったことなどが根拠だ。

機体はレーダーで探知しにくいポリカーボネート製で、目視で発見されにくいよう水色などで塗られていた。韓国メディアは、機体下部に搭載されたカメラは日本のキヤノン製で、無人機は1回の任務で約2時間、150キロメートル程度を飛べると報じた。

国防省関係者の話や報道を総合すると、無人機は24日午前に韓国に入り時速100キロメートル程度でソウル市中心部の大統領府上空に到達。北朝鮮に引き返す途中に坡州で墜落した。この間に撮影した写真は193枚。無線装置はあるがカメラとは接続されていないため画像送信はできず、無人機が帰還後にデータを回収する仕組みだった。

3月31日には黄海上の島に別のタイプの無人機が墜落。こちらにはニコン製のカメラが積まれていた。東亜日報は「北朝鮮が1968年に武装工作員を送り込んで大統領府の裏山を突破したのと同じくらいの衝撃だ」と伝えた。小型の無人機を探知できる高出力レーダーを導入すべきだといった声も上がっている。(新聞各紙)

800px-MQ-9_Reaper_-_090609-F-0000M-777ブログ子は写真をみたが、ラジコンにしか見えない代物だ。この程度のものは所沢や利根川の河原にいけば愛好家がもっと大きいラジコンを毎日飛ばして遊んでいる。無人機というからにはMQ-9 リーパー(写真右)くらいのものに使ってもらいたい。ジェネラル・アトミックス社製で長い航続距離と高い監視能力および攻撃能力を持つハンターキラー無人機だ。衝撃を受けたのは軍事知識に疎い東亜日報記者だけで、軍の内部では北朝鮮の無人機開発レベルはまだ幼稚で偵察、攻撃力の点ではまだまだと安堵したことだろう。

無人機が撮影した大統領官邸

無人機が撮影した大統領官邸

ラジコンがレーダーにかからないことぐらい常識である。撮影された大統領官邸の鮮明な写真が脅威だというが、この程度のものはグーグルのサイトに行けばいつでも手に入る。余談だが昨年ブログ子の山小舎の屋根を張り替えた。Google Earthで屋根の色までわかるがまだ工事前の衛星写真の画像のままである。

中韓に技術移転しなかった日本のカメラ
ブログ子は墜落した2機に積まれていたカメラがキャノンとニコンという点にさもありなんという思いだ。ソチ五輪のキム・ヨナやサッカー場に群がる韓国のカメラマンを見ると全員日本製のカメラと望遠レンズを手にしている。中国のカメラマンも同様だ。何か事あると日本製品を叩き壊したり燃やしたりするお国柄である。悔しいけど日本製に頼るしかないのである。カメラを壊しても己が身に不自由が振りかかるだけだからやらない。

中韓とも重工業・軽工業問わず日本の技術供与で現在がある。クルマ、造船、繊維に至るまで日本は惜しげもなく与えた。もちろん彼らはカメラもほしがった。しかし精密工業の下地がなかった。カメラは本体の組み立て前にレンズ研磨やレンズ組み合わせで複雑な光学技術の裾野があってはじめて成り立つ業界だ。群馬県の研磨業者を知っているが、韓国から話があったが、微妙な職人芸を丸ごと向こうに持っていくことができないとわかって沙汰止みになった。

キャノンの大連工場を見たことがあるが、アジア各地から集められた複写機のカーボンの再処理専用で、周辺の村から集まった女子従業員が寮生活しながら働いていた。中国でカメラ本体の組み立ては考えていないと言っていた。技術移転はせず日本で買ってもらう方針なのだ。賢明な選択肢だ。お陰で新宿にあるキャノンとニコンのサービスセンターでは中国語と韓国語のお客さんがいっぱいである。

2つの国とも日本から教えられた技術をすぐ自国製として外国に売りつける。運用技術が大事だといってもいうことを聞かず車両だけ輸入した中国の新幹線がいい例だ。事故を起こしたら丸ごと埋めるという奇想天外な国柄である。ブラックボックスにして輸出するくらいのことをしないと危ない。こうして日本のカメラは追随を許さないでいられる。

ハワイの「TSUNAMI」マニュアル

4月2日 チリ北部沖でマグニチュード(M)8・2の地震が発生、気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸に津波注意報を発表した。津波の予想高はいずれの地域も1メートルだったが、午後0時22分岩手県の久慈港で60センチを観測したのが最高でいずれも被害を出すには至らなかった。

津波で破壊されたチリの漁船

津波で破壊されたチリの漁船

5年前のチリ大地震ではたかをくくって500人の死者を出したのでチリ政府は今回最大限の警戒態勢をとり、倒壊による数人の死者と怪我人以外津波による犠牲者は出さずにすみそうだ。フィリピンではわざわざ見物に海に近づいた人で死者を増やした。日本では自主的に避難所に入る人もいるほどで、津波に敏感なのは日本人だけかと思いがちだがそうではない。ブログ子はハワイで行き届いた避難対策を体験したことがある。

十勝沖地震は何度も大きいのがあるが、1980年代のM7・1の浦河沖地震だと思う。日本ではほとんど被害は出さなかったが大きな揺れだったらしい。「らしい」というのはこの時飛行機に乗っていた。発生は成田離陸直後だったので知る由もなく、早朝ホノルル空港に到着したが、物々しい雰囲気だ。

空港で聞くと「日本で大きな地震がありまもなくハワイにTSUNAMIが来そうだ。閉鎖されていて街には入れない」という。無理やりバスに乗せられてヌアヌパリ展望台に連れて行かれた。ここは以前新婚旅行で来たことがあるが、900メートルの崖の上にあり街並みと、太平洋が一望できる観光の名所である。その時は家内が強風で吹き飛ばされそうになったのだが、この日は穏やかで、すでにクルマで上がってきた大勢の人が海を眺めて今か今かと津波を待ち受けていた。

結局津波は30センチほどで警戒態勢は解除されたのでホテルに向かったが、そのとき通りかかったパイナップル畑は観光客を全部締め出し、従業員も避難していた。海に通じる道路は警官が遮断していた。ホテルに着くと「今整理中だ」とまた待たされた。その一人に聞くと、ホテルの1階の部屋にいたのだがTSUNMI警報と同時に3階の同じ番号の部屋の人と相部屋になった。2階の人は4階の同じ番号にという具合だという。フロントにはライフジャケットの山もあった。

よく言われることだが日本やハワイは太平洋というタライ(盥)に浮かぶ小島のようなもので、一旦地震が起きると波がぶつかり合う。浅くなるほど波のせり上がりは大きくなる。ハワイの人はそれを良く自覚していて上述のような避難マニュアルが行政、警察、施設で自動的に実施されるという。

中心になっているのはハワイのオアフ島にある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)だが、ここはハワイとアラスカで165人の犠牲者が出た1946年のアリューシャン地震を受けて、1949年に設立されたアメリカ海洋大気庁の施設。今回日本の気象庁は、ここの観測データとシミュレーション結果を付き合わせることで「最大1メートル」と予測した。

ブログ子がヌアヌパリに避難して太平洋を眺めていた時は津波の高さはまだ予測できなかった。着々と進歩しているのである。