みちのくの冷えのこもりし林檎着く

みちのくの冷えのこもりし林檎着く

みちのくの冷えのこもりし林檎着く


毎年今頃になると山形県米沢市の母の実家からリンゴが届く。今年も届いた。そして表題の一句を家内ともどもしみじみと口にする。俳句に親しんだ母は橋本多佳子が主宰する「七曜」の同人で、山口誓子の門下生でもあったが22年前の11月に79歳で亡くなった。当時のリンゴの送り主は祖母だったが、今ではそれから下って3代目が送り主となった。とうに途絶えてもいい歳月だが、忘れず届けてもらっている。

当時は籾殻入りの木箱で到着したものだが、今ではダンボールでリンゴ用の紙型に整然と並んで宅配便で届く。しかし、

みちのくの冷えのこもりし林檎着く

という、一句そのものの風情は変わらない。同時に母の句集(http://home.r07.itscom.net/miyazaki/yuki/index.html)にあるのだが

新盆の夫(つま)に会ふため粧へり

という句を自然と口にして、この歳になっても胸がいっぱいになる。九つ違いで、奇しくも同じ七十八歳で亡くなった父は、寡黙であったが、なにかにつけ母は父を大事にしていた。二人とも大病していつもどちらかが入院していて一家が正月揃ったのはブログ子が高校生の時だった。その息子もふた親が亡くなった年齢に近づいてきた。

リンゴは戦後の食糧難の時代にもふんだんに食べられた果物である。米沢に疎開していたときもその後学校の夏休みに訪れた時でも、黙って仏壇に備えられているリンゴを好きなだけ食べて叱られなかったほどで、青い夏リンゴを21個も食べて下痢をしたこともある。ところが産地では中国や東南アジアの富裕層向けに高級品として買ってもらおうという戦略でいるようだ。

新聞記事に、「江刺りんご」のブランドで知られる岩手県奥州市江刺区産の高級リンゴ「サンふじ」の初競りが8日、盛岡市中央卸売市場で行われ、最高級の「特選」は1箱(10キロ・28玉)100万円で落札された。1個あたり約3万6000円になる、とあった。

真っ赤な「サンふじ」は色つやがよく、蜜をたっぷり含んだ甘さが特徴。袋をかぶせない無袋栽培で日光を十分に受け、昼夜の寒暖差が大きい気候から甘さが増している。糖度は一般的なリンゴの13度を上回る15度以上というのがこの高値の理由だそうだ。

届いたリンゴも真っ赤で日光を十分に受けた完熟リンゴで甘い。糖度は調べたことはないが「1個3万6000円」と遜色はないと思う。なによりこういう高値誘導はやめたほうがいい。ブログ子は「ものにはおのずと値段というものがある」と思っている。それが証拠に消費者がリンゴを買う量が年々減少しているという。つまり気軽に食べる果物ではなくなっているのである。それは高級品志向を作為的に作り出し中国の富裕層に買ってもらおうと言うことらしいが、国内消費を落としてまで迎合するのは間違っている。安くてふんだんに食べられるリンゴでなければいずれ産地は自滅すると思う。

「大きな間違いを犯した」という河野洋平氏のもっと大きな”犯罪” 

26日の朝刊の見出しに河野洋平元衆院議長が「大きな間違いを私は犯しました」と懺悔、とあったので一瞬やっと反省したかと思ったが違った。

kouno東京・永田町の憲政記念館で開かれた土井たか子元衆院議長のお別れの会での発言で、誤りを認めたのは衆院選に小選挙区制を導入したことについてで「大きな間違いを私は犯しました。今日の日本の政治は、劣化が指摘されるが、そうした一つの原因が小選挙区制にあるのかもしれない」と述べたのだという。

衆院の中選挙区制廃止と現行の小選挙区比例代表並立制の導入は平成6年1月、当時、野党だった自民党の河野総裁と、細川護煕首相とのトップ会談で決まった。このとき土井氏が、小選挙区制導入に慎重な考えを示していたことを明かにして上記の発言となったのだが、確かに小選挙区の導入は間違いだったという面は多々ある。おタカさんが率いた社会党は中選挙区制のおかげで55年体制に甘んじていられたのが、小選挙区制のお陰でやせ細り今や消滅の瀬戸際である。議員が小粒になりリーダーらしき人物は与野党問わず見当たらない。

だが河野洋平氏が犯した「大きな間違い」は他にある。土下座しても取り返しがつかないくらい国益を損じ、今なお韓国が大統領以下こぞって居丈高に謝罪と反省を要求し続ける「従軍慰安婦」の虚構である。

慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府は原案の段階から韓国側に提示し、両政府は談話の内容や字句、表現に至るまで発表の直前まで綿密にすり合わせ、指摘に沿って修正するなど事実上、日韓の合作だったことは先に明らかにされている。談話の欺瞞性はすっかり露呈している。

「軍当局の意向」は「軍当局の要請」に書き換えられた。原案で慰安婦に対し「心からおわび申し上げる」とある箇所は、韓国側に「反省の気持ち」を付け加えるよう指摘され、その通り盛り込まれたのである。

こうした外交的卑屈を重ねた挙句、河野洋平官房長官は取り返しがつかない過ちを犯した。記者会見で記者から、強制連行の事実があったかと問われ、「そう考えてもらって結構です」と馬鹿げた受け答えをしたのである。外務省や官房副長官・石原信雄が苦労して作り上げた「河野談話」の基調である「強制連行は確認できない」とする一線を、河野洋平一人でぶち壊したのだ。この発言が以後21年にわたって韓国の反日プロパガンダの核になった。

朝日新聞が今年8月詐話師、吉田清治が関わった強制連行を認めた記事16本をずべて誤報と認め謝罪して取り消したが、未だに従軍慰安婦と強制連行はひとり歩きしている。張本人の河野洋平氏はこのことに触れないと約束したメディアとのみ会い、指弾している産経新聞の取材は今もって拒否したままだ。

小選挙区制導入で「大きな間違いを私は犯しました」と謝るのなら、一連の河野談話にこそ謝罪と反省の言葉を述べるべきなのである。

不憫すぎる子どもの死 しでかしたと同じ刑を

大阪府茨木市の岸本紗弥音(さやね)ちゃん(当時3歳)が衰弱死した事件で、大工の養父、岸本友希(ゆうき)容疑者(22)と無職の母(19)の二人が20日、殺人容疑で大阪府警捜査1課に逮捕された。 

筋肉の発達が遅れる難病「ミオパチー」を患っていた紗弥音ちゃんに十分な食事を与えないばかりか虐待も加え、死亡時の体重は8キロで、3歳児の平均である15キロの半分しかなかった。解剖の結果、腸にはタマネギの皮やアルミ箔、ろうそくのろうなどが残っており、府警は空腹を満たすため、口に入れたとみている。今年2月には、薄手の長袖シャツ1枚を着た紗弥音ちゃんが裸足でアパートの外を歩いていた。他にも、泣き叫ぶ声を聞いていた住民がいたという。

ベランダには紗弥音ちゃんのサンダルが片方残っていた

ベランダには紗弥音ちゃんのサンダルが片方残っていた

母親は事件前、右目近くにあざのある紗弥音ちゃんの写真を、自身のフェイスブックに掲載していて、不審に思った親族が母親に尋ねると、「転んだだけ」と答えたという。

6月には神奈川県厚木市のアパート一室で斎藤理玖(りく)ちゃん=当時(5)=が白骨遺体で見つかった事件でこのブログで「涙が止まらない」という一文を書いた。理玖ちゃんは5歳だった平成19年ごろに死亡したとみられているが、父親でトラック運転手の斎藤幸裕容疑者(36)=保護責任者遺棄致死容疑で逮捕=が、「最後に子どもを見たのは亡くなる約1週間前で、その時すでに立ち上がることもできず、か細い声で『パパ、パパ』と呼んでいた」と供述している記事を読み、涙が止まらなくなって筆をとった。

今回も、腸にはタマネギの皮やアルミ箔、ろうそくのろうなどが残っていたというくだりでグッとくるものがあったが,涙は出なかった。それより怒りが何倍もこみ上げてきた。理玖ちゃんのケースはまだ人間味が残っていたが、紗弥音ちゃんの場合、養父と実母にはそのかけらもない。虐待のあとのあざの写真をフェイスブックに載せるなど母親のすることだろうか。

この女性は現在19歳ということは16歳前後で前夫と子をなしたわけで、幼なすぎる「結婚」である。養父というのも若すぎる。ともに人格形成も未熟なまま親となったのであろう。子どもを愛しく思う感情の片鱗も身につけてない親などあるものか、と思っていたが最近ではそんな常識も通じないほど情けない事件が相次いでいる。

こうした出来損ないの人間にはイスラムでいうところの「目には目を、歯には歯を」で臨むほかない。食事は与えず、タマネギの皮とアルミ箔それにデザートにろうそくのろうを与えるのだ。そうすれば自分の子どもがどんなに辛い死に方をしたかわかるだろう。

このような刑罰は不可能なことはわかっているが、そうでもしないと、このやるせなさは如何ともしがたい。

近頃の取材記者は稚拙すぎる

images3UP8V922「男にかばんを奪われた」と虚偽の110番通報をしたNHKの警視庁担当の20代女性記者が、警視庁戸塚署から近く軽犯罪法違反容疑で書類送検される。この記者はその理由に「会社の携帯電話をなくしてしまったことを隠したかったという。

同署によると、記者は9日午後10時45分ごろ、東京都新宿区上落合の路上で、「20分ほど前に、自転車に乗った男に肩に掛けていたかばんを奪われた」と110番通報をした。同署が現場周辺の防犯カメラを調べたところ、記者が当時、かばんを持っていなかったほか、自転車に乗った不審な男の姿も映っていなかった。

この女性記者は報道局社会部所属で、今年8月下旬から警視庁を担当していた。今年の夏まで東海地方のNHK放送局にいて、現在は警視庁の下町方面を担当。警視庁担当記者の間では『ちょっと変わった人だね』と噂されていた。事件現場などで関係者を囲み取材している時、別の記者が質問しているのに割り込んで質問したり、店に対してしつこい取材をしてクレームを受けていたという。

それにしてもである、携帯をなくしたから言い訳に110番するという発想が馬鹿げているとは誰しもが思うところだろう。失くしたのなら上司に報告すれば済む話で、常識で考えても異常であるが、この女性記者はそういう稚拙な判断をした。

先般少し触れたが、東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)が政府事故調査・検証委員会の聞き取りに答えた「吉田調書」報道で、朝日新聞は誤報として訂正謝罪したが、驚いたことにこの記事は、記者2人しか調書を読んでいなくて、なのにこの2人は上司のチェックも拒んで「所長命令に反して全員が退去」という、事実に反する「ストーリー(物語)」を書き立てた。もはや恣意的な虚偽報道である。

NHKの場合「報道記者」というが取材は新聞記者と同じである。以上の二つのケースを見ていて、取材記者の能力とか識見が劣化していると思わざるを得ない。

NHKの記者は以前は新聞記者からは余計者扱いされていた。NHKは人材不足でスタートしたせいで、為に新聞社から引き抜いたり、現地採用者を当てたりして急ごしらえの時代があって、活字主体の記者クラブでさまざまなトラブルを起こしたためだが、その後「キャリア」採用が増えて今では難関になっている。この難関というのが問題で、多くの中央紙でもそうなのだが偏差値時代の競争に生き残った頭でっかちな学生が入ってくる。試験をすれば成績は優秀な女性が上位を占めるから、安倍首相の女性重用論を待つまでもなく、自然、女性の採用が増える。

ブログ子も採用や新人の記者教育に携わったが、男女とも要領はいいが常識がないのである。ひところ「指示待ち世代」と言われたが、マニュアルにないようなことが不得手なのだ。言われたことはソツなくこなすが応用が効かない。ところが取材の現場はマニュアルにないことばかりである。

NHKの女性記者にせよ朝日の2記者にせよ、持ち場で最低限に要求される取材能力はあるのだろう。しかし本当に必要なのは時代の流れの中でその事象が意味するところとか、背景に潜む問題点をえぐることなのである。それはマニュアルには書いてなくて、本人の人間性とか教養とか社会を見る目に依存するのだがそれは誰も教えてはくれない。

少し前までは「鬼」と言われる記者がいた。社会部で言えばデカの家に入り込み家族に溶け込んで徹夜で酒を飲んで嫌がられない豪の者がいた。政治部で言えば、現在大手中央紙のボスに収まっているが、首相の側近として組閣の時に閣僚名簿を首相に代わって書き上げた記者もいる。文化部では文豪の葬式で正妻の前で愛人に焼香させるよう図らったり、大物女優に変わって次作をプロデュースしていた記者もいた。いずれも偏差値世代には真似ができないことであろう。

今のように頭でっかちの記者が増えればNHK、新聞社を問わずいずれ崩壊するのではないかと危惧する。

総選挙!野党の体たらくときたら話にならない。

plt1411180041安倍晋三首相は21日に衆院を解散すると表明した。来年10月に予定した消費税率10%への再引き上げについて1年半先送りすることも表明し、国民の信を問う。衆院選は「12月2日公示-14日投開票」の日程で行われる。

テレビ中継を見たが「与党過半数割れなら退陣する」と言い切る力強い語りかけで以前のあのひ弱な感じなどみじんもなく頼もしいものだった。ブログ子は首相が幹事長時代、広報関係の仕事で自民党本部に出入りしていたので間近に見ていた。

朝日新聞は12日付の社説で、解散について、「党利党略」とし「民主主義はゲームではない。こんな解散に大義があるとは思えない」と断じていたが、なあに大義など大野伴睦の言にあるように「あとから列車でついてくる」ものである。アベノミクスと集団的自衛権、中韓相手の外交などを問うだけでも立派な大義がある。

前回の296議席は出来すぎとして、2,30減らしても241の単独過半数は取れる、これに公明党分があるから政権の安定は揺るがないと見て解散に打って出たのである。女性2閣僚の辞任という内閣の足を引っ張ったタガの緩みも一気に修復できる絶好の機会でもある。

それに対して野党のオタオタぶりはどうか。民主党の海江田代表、名前も覚えられないが社民党党首と生活の党幹事長は「アベノミクスの失敗を糊塗する解散」と口を尖らせるが国民の誰一人として失敗などとは思っていなかろう。

なかでもみんなの党はひどい。解散と同時に解党だという。渡辺喜美代表の個人商店のような党で前回、大躍進したがそれは化粧品会社社長から8億円借りて新人の供託金や選挙資金の面倒をみたからである。8億円がバレて司直の追及を受けるや、もらうものもらった連中から脱走相次いでの解党とは・・・。

江田憲司議員は結の党をつくってそのまま維新の共同代表に収まった。8億円騒動で辞任した渡辺代表の後に座った幹事長・浅尾慶一郎は民主党への合流を目指し、自民党に秋波を送る親分の逆鱗に触れて、挙句は解党を決意だときた。

ブログ子はミッチーこと渡辺美智雄氏に赤坂の議員宿舎に招かれて自ら焼いてくれたサンマをごちそうになったことがあるが、その時そばで息子が受験勉強していた。それが現在の渡辺喜美・元代表である。今と同じ顔でニコニコしていたが親同様人が良すぎるのか、世話をした連中につぎつぎ裏切られている姿は気の毒でならない。

維新の党もわけがわからない。大阪都構想に反旗を翻した公明党の選挙区に橋下徹大阪市長、松井 一郎大阪府知事そろって意趣返しの殴り込み立候補だという。勝手にすればよいが、ために空席を埋めるため府市そろって選挙になる。膨大な無駄を許すほど大阪の府民、市民は甘くはないはずだ。ヘタすると維新も雲散霧消であろう。

そもそも、前回の選挙は鳩山由紀夫、菅直人という2代つづいた愚かな民主党の代表に国民が愛想を尽かした結果、自民党の大勝になった。勝つのは誰もがわかっていたから、自民党の行き過ぎた勝ち方へのセーフガードとしてみんなの党と維新の党へ票が流れたのである。国民のバランス感覚の為せる技だったのだ。その2つの政党がこの体たらくでは、2,30減らすどころかもう一度大勝するのではないか。早くも与党幹部からは「絶対安定多数の266議席」を目指すという声も出てきた。

日本のピザは高すぎる

sIMG_20141110日本のピザは高すぎる、とかねがね思っていた。そのうち価格ダウンが始まるだろうとみていたが、案の定、値下げ競争が始まったようだ。というのも、2,3日前我が家に写真のような「1000円値下げ!」のチラシが投げ込まれていたからだ。ブログ子の積年の観測通りになってきた。

現在、娘の小渕優子議員が窮地に陥っているが。彼女の父親、小渕恵三首相が、『ニューヨーク・タイムズ』紙に「冷めたピザ」と紹介された事がある。その頃ブログ子はオランダを歩いていたのだが、どんな小さな田舎町にもイタリア料理店があり、その数はフランス料理を圧倒していたものである。オランダ人は男女ともみな身体が大きいが、日本人なら皿を分けあって食べるピザも一人で食べるほどだが、その料金が驚くほど安いのである。イタリア料理店は気取らず、勘定も安いのだが、中でもピザ料金はビールのジョッキ一杯分くらいなのですっかり気に入った。国際司法裁判所の日本人裁判官もいた(現在の小和田恒氏の前任)席だったが、ミネストローネとピザでメインの肉料理が来る前にすでに腹一杯になった。

ところが、帰国してから入ったイタめし屋では、中くらいのサイズでピザは3000円ほどで、宅配ピザ屋のパンフレットをみてもLサイズで4000円近い値段である。小麦粉とその辺の野菜と少しの肉とチーズを使うにしては高すぎると思った。我が家を含めて回りの人を見ても別段不満を言うわけでなく皆さん唯々諾々と食べていたものの、そのうち暴落が始まるのは素人でもわかる経済原則ではあった。

経済紙をみたら、

宅配ピザ業界の先行きに暗雲が垂れ込めている。消費税増税の逆風の中、500円以下の激安ピザが相次ぎ登場。外食・コンビニ大手も宅配市場に参入するなど、にわかに競争が激化してきたのだ。市場に君臨してきた「ピザーラ」(フォーシーズ)、「ドミノ・ピザ」(ドミノ・ピザジャパン)、「ピザハット」(日本KFCホールディングス)の御三家といえども安穏としていられなくなってきた。

その理由の一つが「ワンコインピザ」の攻勢だ。吉野家ホールディングス傘下のグリーンズプラネット(東京都北区)は昨年10月から「ピッツァ ナポレターノ カフェ」を展開。遠藤商事(同渋谷区)の「ナポリスピッツァ&カフェ」は350円のマルゲリータを提供している。人件費と配達費の上乗せで2000円以上が主流の宅配ピザは以前から価格の高さが指摘されてきた。激安ピザの出現により、値下げ圧力が強まっている。
 
脱落する会社もある。フランチャイズ28店、直営1店の「ピザ・ウイリー」を展開するウイリー(東京都江戸川区)は2月25日に千葉地裁に自己破産を申請した。宅配ピザ業界には淘(とう)汰(た)の波が押し寄せている。(日経新聞電子版)

このような背景があって、写真のような我が家に投げ入れられたチラシとなっているのである。新聞社の経営に取ってチラシが大事なものであることは骨身にしみてわかっている。スーパーの安売りチラシ同様、チラシ一枚から世の中の経済や政治がわかるものなのである。

でたらめな記事を押し通した朝日の記者2人

wst1409120036 「福島第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田昌郎所長の命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた」とする朝日の記事(5月20日付)について、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」は12日、「報道内容に重大な誤りがあった」「公正で正確な報道姿勢に欠けた」などとして、同社が該当記事の取り消しをしたことを「妥当」とする見解を発表した。見解では、報道後に批判が広がったにもかかわらず、危機感がないまま迅速に対応しなかった結果、同社が信頼を失ったと結論付けた。

その第三者委員会の見解というのを読んだ。あきれることに、取材チーム数人のうち記者2人しか調書を読んでいなかった。しかも掲載前に編集局内から何度も「命令違反」とすることへの疑問が出されていた。編集幹部や当番編集長が調書の閲覧を求めても、担当次長は「情報源が明らかになるので避けたい」と断っていた。8月18日付で産経新聞が朝日とまったく解釈が異なる吉田調書の内容を報じて初めて、編集幹部が調書を読み込んだという。

第三者委員会は、報道の基本である裏付け取材を怠ったことや、記者2人しか調書を読んでいないなどチェックのずさんさを指摘したものの、なぜ記者が事実に反する「ストーリー(物語)」を仕立てたのか、調査ではその理由や経緯が十分に明らかになっていない。記者が調書を誤読した理由について、「記者が原発事故の取材に関して自負があった」「2人だけでの仕事にこだわり、他からの意見を受け付けない姿勢が見られた」と経緯を記述するのみだ。

たった2人の記者が吉田調書のどこを読んでのことかわからないが、まず「所員の9割に当たる約650人が吉田氏の命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退した」というストーリーと見出しを先に作り、あとは都合の良いところだけを切り貼りしてでっち上げたのである。呆れた新聞記者がいたものである。当時の菅直人首相が怒鳴り散らすなかで毅然として陣頭指揮した故・吉田昌郎所長はサムライと呼ばれていた大人物である。それをこの2人はでたらめな記事で貶めたのである。

ブログ子は40余年間の新聞記者生活で朝日の大阪、名古屋、東京本社に多くの友人、知己がいる。記者というのは出先が多いので自社より他社の記者との交友が多いからだが、かねてから朝日には感心することが多かった。中央紙などは県版は支局からの原稿をそのまま通すのが普通だが、朝日は検証部門があり、チェックしていた。朝日は「左」、産経は「右」と片付けられることが多い。昔、朝日東京本社で右翼の巨頭がピストル自殺した事件があった。当然他の右翼の動きや談話を取ることになるのだが、めぼしい右翼に連絡をつけまで産経が1時間かかるところ朝日は20分でコメントを取るというような経験をした。「左」と言われるが、朝日には右翼の大物と普段から連絡を取っている記者を「飼っている」余裕があるのである。

だから「従軍慰安婦」で吉田清治という詐話師の話に基づくでたらめな記事を32年間も垂れ流して、韓国・中国にさんざ利用されたあと、やっと16本全てを取り消したり、今回の「福島原発で650人が署長の命令に反して撤退した」という記事を取り消したりしている現在の朝日の体質が信じられない思いである。

なにより、こうしたミスリードがほんの2,3人の記者の恣意的な行動で引き起こされていることが驚きだ。あれほど社内で校閲と検証に厳しかった朝日の中でこうしたでたらめ原稿が社内をまかり通っている現実に、ただただ「朝日はいったいどうしたことか」と思うのである。過去には伊藤律会見記、カメラマンによるサンゴ礁傷付け写真、など朝日には歴史的「誤報」があるが、それに負けるとも劣らない「大誤報」が今年一年で2つも起きた。体質がどうかしているのである。

「誤報」と書いた。朝日も盛んにそういうが、実際は誤報などよりはるかにひどい「虚報」であり、悪質な「デマ」である。書いた記者や編集幹部の処分は今月発表するというが、私なら書いた記者2人は「懲戒解雇」である。一方、32年も放置した挙句、書いた記者は定年退社して地方の大学に潜り込んでいるため、今となっては責任も問われない。「従軍慰安婦」がらみの記者の処分は世論に任せるしかなかろう。

『人を外見で判断してはいけない』はウソである

『人を外見で判断してはいけない』とはよく言われる言葉である。また子どもにはそう教えてきた。これは、なにも日本だけではなく、欧米でもそうで英語では同じことを「Don’t judge a book by its cover.」(本の内容を表紙で判断してはいけない)という。最近では、といっても6月だが、ロシアの公共広告が話題になった。

恐ろしいのは実はこちら・・・というロシアの公共広告

恐ろしいのは実はこちら・・・というロシアの公共広告


ずばり同じ文言で『人を外見で判断してはいけない』と地下鉄、盛り場などに貼りだされたポスターだ。優しそうな女の子が実は斧を隠し持っているという図である。時あたかもクリミアのロシア編入、ウクライナ東部での政府軍と親ロシア派の戦闘のさなかで、EUの甘い言葉には毒があるとでも言いたかったのかもしれない。

中国と日本では「貌(かお)をもって人を取る」という。 「史記」仲尼弟子列伝にある。孔子の弟子に、字(あざな)を子羽、本名澹台滅明という人物がいた。顔つきはまことにひどいもので、孔子は弟子にするのに二の足を踏んだほどだったが、学を積んで仕官したところ、謹直な態度で行政に当たり、「行くに径に由らず」(道を歩くのにも公道を通り、横道へは行かない)とまで評され、名声に諸侯から引く手あまたの人物になった。

孔子はこれをみて、「吾、貌を以って人を取りて、これを子羽に失えり」つまり、「私は顔つきから人物判断して、人を見そこなうという失敗をおかし、子羽を見誤った」と嘆息した故事から来ている。

誠にその通りであるが、現実はどうか。多くの人は他人を顔つきや態度、つまり人品骨柄で判断している。「四十過ぎたら己の顔に責任を持て」といわれるくらいである。警察学校でまず新人に教えるのは職務質問のやり方で、「目に落ち着きがなくキョロキョロしている」とか、服装が汚れているとか、挙動不審者の見分け方がたたき込まれる。

社会部時代、自分の取材管轄だった大阪・堺の刑務所長と親しかった。あんたが結婚するときは家具から靴まですべて刑務所製で揃えてやると言われその気になったが、遠く東京に転勤して沙汰止みになった。その所長が街を歩いて前科者かどうかたいていはわかると豪語していた。その見分け方の一つとして受刑者の30%は知能指数に問題があり、そのあたりで見当をつけるというので、そういう人に刑を科す意味があるのかと問うたことがある。

中勝美容疑者

中勝美容疑者

長々と、外見で人を判断する、しないのことを書いたのは、5日、大阪市北区で女性を刺したとして、殺人未遂容疑で、舞鶴高1女子殺害事件で逮捕・起訴されたものの無罪判決が確定した無職、中勝美元被告(66)が現行犯逮捕されたからである。

5日午前8時40分ごろ、大阪市北区兎我野町の雑居ビルで女性(38)を刺したとしている。府警曽根崎署(通称「ねそ」といいここもブログ子の担当だった)によると、女性は顔や胸、背中など約10カ所を刺されていた。中容疑者は「ママの上半身を数回ナイフで刺したが正当防衛だ」と供述しているという。

中容疑者は京都府舞鶴市で平成20年5月、府立高校1年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件で殺人罪などに問われたが、今年7月に無罪が確定している。昨年5月には、大阪市西成区のコンビニで雑誌を万引したとして窃盗容疑で逮捕され、大阪地裁で同8月、懲役1年2月の実刑判決を言い渡されていた。

刑務所から出て来るとき看守に丁寧に挨拶しているテレビ画面を見た。前科何犯という猛者などに共通した「従順」さの反面、家に近づいた新聞記者に怒鳴り散らし恫喝する場面を見てかなり塀の中に慣れていると思えたが、女子生徒にまつわりついているビデオがあるのになぜ証拠採用されなかったのか不思議であった。手練(てだれ)の者には裁判官などころっと騙されるものである。あの時の刑務所長なら、「人は見かけどうりのものよ」と言うかもしれない。

こんな青っちろい「漁師」などいるものか

小笠原、伊豆諸島周辺海域に現れた大量の赤珊瑚密漁の中国漁船団。台風を避けて一時南下したが、再び現れて日本側警備陣を翻弄している。菅義偉官房長官は「外交ルートを通じて注意喚起を行い、中国側に遺憾の意を表明し、再発防止を求めている」というが、中国政府の反応は「我が国は法に基づいた操業を求め、規定違反の赤サンゴの採取を禁じている」と述べたり、「日本と協力して解決を望む」(5日夜のニュース)という木で鼻くくったものばかり。来週10,11日中国で開かれるAPECで日米首脳会談が実現するが尖閣、靖国参拝などはみな触れずというのだから、珊瑚の密漁など推して知るべし。

日本のメディアは中国での赤珊瑚の価格高騰をことさら紹介して、為に漁船団が来襲したような書き方をしているが、甘い。「日本の領土領海への揺さぶり」と見るべきだろう。軍事的に見ると、今は尖閣諸島中心に展開している海上保安庁の巡視船などを小笠原諸島にも向けさせ分断をはかること。そして第2列島線突破のための『海上民兵』の下訓練である。

第一列島線は、九州を起点に、沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島にいたるラインで、中国海軍および中国空軍の作戦区域であり対米国防ラインだ。第二列島線は、伊豆諸島を起点に、小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニアに至るラインである。従来は中国の海洋調査などは第一列島線に限られていたが、このところは第二列島線付近にも進出している。その一環として赤珊瑚密漁の中国漁船団を仕立ててきたと見るべきだ。

いくら赤珊瑚の価格が高騰したと言っても、自然発生的に中国の漁師が200隻以上の船を仕立ててやってくるものか。しかも高性能レーダーを備えて一糸乱れず船団行動を取っていることをみてもわかる。領土や領海をめぐり、大量の偽装漁船を使って対象国に揺さぶりをかける手口は、中国の常套手段である。遠洋航海する漁船はすべて中国当局の管理下にある。大船団の中には軍事訓練を受けた海上民兵が紛れ込んでいるものなのである。

朝日新聞のルポにある珊瑚密漁船の船員の姿は不自然そのもの

朝日新聞のルポにある珊瑚密漁船の船員の姿は不自然そのもの


海上民兵とみられる証拠写真がある。10月4日の朝日新聞に船を仕立てて近づいた記者のルポが掲載されている。その中に「父島沖、接近した記者に笑顔で手を振るサンゴ密漁船の船員」という一枚がある。漁師がこんなに白い肌をしているものか。左側の男など真っ白である。しかも筋骨隆々である。中国側は「もぐり専門」の漁師とでも言うのかもしれないが、実に不自然である。

中国では漁船に戦闘訓練を積んだ海上民兵を紛れ込ませるのが常だ。韓国で押し寄せた漁船を取り締まろうとしたら船団を一列に並べられて突進され、棍棒で激しく抵抗されて太刀打ち出来なかったケースがある。あれと同じである。「海猿」がいくら優秀だと言っても戦闘訓練までは受けていない。海上自衛隊での取り締まりも視野にいれるべき大事なのである。

NHKにいる 度し難い偏向ディレクター

以前このブログで「NHKにやっとまともな会長が来た」と書いた。1月の就任会見で「(慰安婦問題は)日韓基本条約で解決済み」とまともな発言をした籾井勝人NHK会長のことだが、「まともでない」向きには不評のようで、最近、手弁当で会長辞任を求めるはがきを作り、一般人に配ってNHKへの送付を求める運動をするOBがいて、それら「退職者有志」は10月下旬、籾井会長の辞任や罷免を求める報告書と約1400人分の賛同者名簿をNHKに提出した。

池田恵理子女史

池田恵理子女史

その活動の中心にいるのが、元ディレクターの池田恵理子氏だが、その発言内容に仰天する。「私は慰安婦の番組を8本作ったが、平成8年以降、1本も通らなくなってしまった。放送が与党側に偏っている」などと主張したのである。他の番組制作など眼中になくせっせと「従軍慰安婦」ものを8本も作るディレクターを許容したNHKのでたらめの方が驚きではないか。

「池田恵理子」というのは物議をよんだ慰安婦問題(アジア女性戦犯法廷)番組の制作に関わった中心人物なのである。この「戦犯法廷」番組の中身といえば、「国際女性法廷」なるもので弁護人もつけずに昭和天皇を被告人として裁き、何の証拠もない「従軍慰安婦」を理由にして天皇に「有罪」を宣告するというめちゃくちゃな内容だ。NHK教育番組は誰も見ていないしチェック機能も働いていないのをいいことに池田女史以下同調者はこんな番組を作っていたのだが、その内容が事前に漏れて大騒ぎになった。「平成8年以降、1本も通らなくなってしまった」というのはその騒動以降を指している。

現在の肩書は「館長」だという。東京都新宿区の早稲田大学近くのビルの2階にある100平米ほどの小さいスペースにある「女たちの戦争と平和資料館」の館長だそうだ。壁いっぱいに慰安婦被害者10カ国・155人の顔写真。説明文には「偏見や中傷・謀略を恐れて沈黙していた女性が被害体験を公開証言したのは奇跡だ。彼女たちの声を聞かなければならない」とある。展示室の中には昭和天皇やA級戦犯の東条英機ら第2次世界大戦時の日本の指導者9人の写真が掲げられていて「(これらの人物は)慰安所制度の存在を承認・関与していたため強姦や性奴隷問題に対する責任を取るべきだ」とする。番組同様こちらもハチャメチャだが本人と同調者は大真面目だ。

以前NHK担当記者に聞いたが、「NHKは全逓、国鉄と同じくサヨクの牙城になっている。誰も責任をとらない点ではお役所仕事そのもの」という。全逓、国鉄ともに解体された。次はNHKだろう。籾井会長の手腕に期待するや大である。

ノーベル賞・中村教授に教えたい 喧嘩の作法

ノーベル物理学賞の受賞が決まり文化勲章を受章した半導体工学の中村修二さん=米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授=が3日、東京都内で会見し、巨額の特許訴訟で対立した元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に仲直りを呼び掛けた。

 中村さんは昭和54年に日亜に入社し、平成5年に青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功。だが、退職し渡米した12年以降、数百億円に上る発明対価をめぐって同社と訴訟合戦となり、「言い争うばかりの最悪の関係」(中村さん)になった。

仲直りしたいと中村修二教授=3日東京理科大で

仲直りしたいと中村修二教授=3日東京理科大で

 中村さんはノーベル賞受賞を契機に「青色LED開発は日亜の貢献が大きく、製品を社会に浸透させたのは日亜の小川英治社長の力だった」と考え直し、関係を改善したいと思うようになったという。そして、青色LED開発に取り組むのを最初に認めてくれた同社の小川信雄元社長(故人)の娘婿で、青色LEDを製品化した小川英治現社長や、一緒に開発した同僚6人の貢献を指摘。「ノーベル賞も文化勲章も日亜の貢献が大きい。人生短いから、けんかしたまま死にたくない」と現在の心境を語り、裁判の時以来、会っていない小川英治社長に対し「お互い誤解があった。本音で話せば仲直りできる」と面会を呼びかけた。(4日付、産経、読売など)

当ブログはじめ、ネットでは「銭ゲバノーベル賞受賞者」と、このところ批判の的になっていた中村教授だから、喧嘩の幕引きを計ろうという行動は結構で、一日でも早く両者の握手の場面を見たいものだと思う。

しかし、社員が仕事で行った発明(職務発明)の特許権を「会社のもの」にする特許法改正の動きに、自身の経験から「猛反対」と新聞各紙に登場しては口角泡を飛ばしてまくしたて、「ノーベル賞を受賞できたのは日亜化学への恨みがばねになった」と平然と語っていたのはわずか1週間前である。この「豹変」はどう見ればよいのか。1週間で「大人」になった理由を知りたいものだ。「人生短いから、けんかしたまま死にたくない」くらいは誰にでもわかる自明の話だ。

それにこの喧嘩、すべて中村教授の方から仕掛けたものである。訴訟でも8億円という十分な対価も得ている。「仲直りしたい」のならば、まず中村教授の方から先に謝罪すべきであろう。さんざ罵倒した挙句、もらうものをもらって「喧嘩したまま死にたくない」では日亜化学工業が可哀想すぎるというものである。

 仲直り申し入れに対し日亜は4日コメントを発表した。「弊社に対する深い感謝を公の場で述べておられ、それで十分」などとしたうえで、中村教授は日亜の小川英治社長との面会も希望しているが、「貴重な時間をあいさつなどに費やすことなく。賞に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」と結んでいる。そりゃそうだろうな、と思わせる「大人の対応」である。

「世田谷」ナンバーが個人情報だと

imagesVM9E2AYU自動車の「世田谷ナンバー」が11月から導入されるとははじめて知った。4カ月山にいたので聞き漏らした。

新聞によると、このことに反対する区民132人が10月28日、「プライバシーが侵害される」などとして、保坂展人区長と区に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたというのである。金銭が目的ではない」として、賠償額は原告1人につき1円。

 代表して記者会見した田中優子区議は「ブランド力のある品川ナンバーを使えなくなる不利益や、住居地を特定されることでプライバシーや平穏な生活が侵害される」と主張。さらに区が導入を申請する際に実施したアンケートは「設問や配布先が偏っている」と批判した。

 世田谷ナンバーは国土交通省が募集した「ご当地ナンバー」で、11月17日から導入することが決まっている。同日以降に新規登録される区内の自動車は世田谷ナンバーが義務づけられる。保坂区長は「訴状が届いていないため、内容を確認でき次第コメントしたい」としている。

こんな訴状を持ってわざわざ東京地裁までやってきた「区民132人」ご一行様は馬鹿じゃないか、と思う。ブログ子も世田谷区民で当然クルマには品川ナンバーがついているが、「品川ナンバーにブランド力がある」とははじめて知った。当然、品川ナンバーが使えなくなることで不利益を被るなどというアホらしい話にも乗る気はない。

さらに「住居地を特定されることでプライバシーや平穏な生活が侵害される」というに至っては馬鹿も休み休み言えと思うばかりだ。「世田谷」ナンバーがついてればそりゃ世田谷に住んでいると思われようが、それが住居地の特定になるのか。プライバシーや平穏な生活権うんぬんにいたっては、アメリカや最近日本でも流行り始めた訴訟マニヤの同類としか思えない。

ブログ子はなにかというと「個人情報」を持ち出す最近の風潮には異論があり、学校のクラス名簿も作れなくなっているのは行き過ぎだと思っている。壬申戸籍に記載のあるようなことは明らかな個人情報だろうが、住所と名前などDV、ストーカーのケース以外、明らかにしてなにほどのことがあろうか。何でもかんでも隠して「へのへのもへじ」で済ますことの方が気味が悪い。

この田中優子区議が言うには「個人情報をさらして走るなんて、ナンセンスもいいところ。時代に逆行しています」というのだが、何を考えているのやら。ナンセンスなのは自分だろう。なんでも、みんなの党から区議選に出たものの「党が特定秘密保護法案に賛成したことを受け、私は離党届を出しました」とブログに書いているようだが、法案をよく読んでのことなのか疑わしい。

今のクルマは潰れるまで乗るつもりなので世田谷ナンバーとは無縁だろうが、今後は品川に住んでいると思われるのかもしれない。間違った個人情報を垂れ流して走るわけだ。

「マッサン」の舞台で過ごした我が青春

NHK連続テレビ小説「マッサン」が好評だという。放送が始まった時には八ケ岳の山の中にいてテレビもない生活だったのでブログ子はご無沙汰したが家族は見ている。目下の話題は登場するセミヌードのポスター「太陽ワイン」のモデルは誰かということで、芸能面には柳ゆり葉というタレントの名前が出ている。劇中劇にわざわざポスターをつくったNHKの熱の入れようがわかる。これはテレビを見ていないブログ子でもわかるが広告史上有名なサントリーの「赤玉ポートワイン」のポスターである。

ドラマの「太陽ワイン」のポスター

ドラマの「太陽ワイン」のポスター


赤玉ポートワインのポスター

赤玉ポートワインのポスター

大正11(1922)年に発売された「赤玉ポートワイン」(壽屋=現サントリー)で日本初のヌードポスターに起用された松島栄美子さん(1983年に90歳で他界)は「赤玉ポートワイン」の宣伝活動のために当時の宣伝部長からポスターモデルを依頼され、覚悟を決めて了承したものの、両肩をあらわにするというセミヌードは当時では衝撃的で、本人は親から勘当された。そのポスターはドイツで開催された世界ポスター展で1位に輝いた。

それはともかく、この番組制作が発表された時から興味を持っていた。というのも、番組の背景である大阪・帝塚山や住吉などを走る路面電車、阪堺線(上町線)も、後年竹鶴政孝が移り住んだ北海道・余市もブログ子の青春時代を過ごした土地なのである。

今年5月14日、このブログで親友4人で呑んだ夜」(http://h-h-a.org/miyazaki/?p=557) という一文を書いた。そのときは川本皓嗣君がオバマ大統領を迎えての宮中晩餐会に招かれて天皇皇后両陛下や大統領と親しく話をしたということや阿部義章君がワシントンから一時帰国したというので集まった。

我が畏友との一夕。 (左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏

我が畏友との一夕。
(左から)宮崎健、川本皓嗣、阿部義章、」山本竜三の各氏


その阿部君が「マッサン」、つまり竹鶴政孝夫妻と大いに関係がある。竹鶴政孝はドラマでは「住吉酒造」となっているが「摂津酒造」の社員であったとき、スコットランドに派遣され、そこでリタ夫人と出会い、結婚して帰国後、大阪・帝塚山に住んだ。ドラマの方は現在、西川きよし演ずる住吉酒造社長とマッサン夫婦のやりとりや泉ピン子の嫁いびりで盛り上がっているのだが、その住吉酒造社長というのが阿部義章君の父親なのである。

ブログ子が小学生の頃よく自宅に遊びに行ったが、「お父さんの牛乳」のキャッチフレーズで日本酒の小瓶がヒットした摂津酒造社長、阿部喜兵衛氏はすでに脳梗塞で寝たきりで、朝食に出されるオートミールをせっせと横取りしてごちそうになった。自宅の直ぐ前が帝塚山学院で件の4人のうち3人がその小・中学部の生徒であった。リタ夫人はここで英語を教えていたようだが、我々の時はすでにいなかった。

上町線で帝塚山から3つほど先の北畠駅に大阪府立住吉高校があり、4人全員がそこの卒業生である。大学は別々になったがブログ子一人は遠く札幌に行った。夏休み大阪の実家に帰るのだが、その間空いた北32条西4丁目の下宿に東大生の川本君と慶応大生の阿部君が転がり込んできて過ごすというパターンが何回か続いた。

竹鶴政孝・リタ夫妻

竹鶴政孝・リタ夫妻

その札幌に滞在中の阿部君が小樽のすぐ近くの余市の竹鶴政孝夫妻を訪ねたそうだ。当人はまだ青白い学生ながら恩人の子息というので歓待され、ウイスキーこそ持たされなかったが、夫妻と役員並んでの見送りを受けて札幌に戻ったと話していた。

余市のそばの銭函(ぜにばこ)は海水浴場で何度か泳いだが、北海道の海水浴というのは砂浜でなくごろごろした石ころの浜辺でせっせと焚き火をしながら泳ぐという珍しい体験をした。同時にこの函館本線は作家、伊藤整が汽車通学した路線で何人かの女性との交際ぶりが作品に出てくる。電車はあっても汽車などなかった大阪育ちにはあこがれの汽車通学であった。ポプラ並木そばの北大馬術部で件の4人も遊んだのだが、この大学構内にはSLの引込線があって石炭を運び込んでいたものである。ドラマを垣間見ながら青春の思い出に浸っている、後期高齢者である。

銭ゲバ ノーベル賞受賞者続報

サイトやブログの更新(なにせ5つあるので)にかまけているが、先日「ノーベル賞・中村修二教授だけはいただけない 」を書いたところ友人、知人から多くのメールを頂いた(といっても5通ほどだが)。なかにはそこまで言って大丈夫か、根拠はあるのかというのが2通ほどあった。

ご本人は新聞各紙に単独インタビュー(これだと言いたいことを大きく紙面をさいてくれる)に熱心で、27日も産経新聞でほぼ1ページを使って言い分を展開していた。

「米国の応用物理分野では(LEDを発明した米イリノイ大の)ニック・ホロニアック氏とレーザーを作った人、私の3人が(候補者に)挙げられていた。米国にしたら日本人3人は期待はずれだったかも。意外な組み合わせだったと思います」
赤崎、天野両氏はフロックだったと言わんばかりである。さらに、
「両先生は最初に窒化ガリウム結晶をつくったことが認められたのでしょう。しかしお二人の方法では非情に暗いLEDしかできない。明るい結晶をつくったのは私のところだが、受賞理由に書かれていないのはおかしいな、というのはあります」

まさに言いたい放題、勝てば官軍である。しかし、ブログ子が前回書くにあたっては根も葉もないところから書き飛ばしたのではない。訴訟相手で中村教授からボロクソにいわれた日亜化学工業社長の小川英治氏がたまりかねて反論した一文があるのである。「青色LED訴訟の深層」と題した記事 「訴訟騒動の真実を今こそ明らかにする」(日経ものづくり2004年4月号 特集)である。これを読めば、中村教授の言い分通りではないことがよくわかると思う。同時に裁判官はどこを見ていたのかというのも明らかになるものだ。少し長いが引用する。

「訴訟騒動の真実を今こそ明らかにする」 B日亜化学工業社長・小川英治

小川英治氏

小川英治氏

 これまで誰に何を言われても黙ってきました。日亜化学工業は,ものづくりの会社。クライアントにより良い製品を届けることが仕事であり,それを一途に貫いていくことこそ,当社にとって重要なことだと信じていたからです。

 そのため,中村修二氏とその弁護士の方(訴訟代理人弁護士の升永英俊氏)が,各メディアや本などで一方的に自分たちに都合の良い発言をしても,それに対して会社として何か言い返すというようなことはしませんでした。そうした言い合いなど,ものづくりの会社にとっては何の意味もありません。それより,少しでも良い製品を作ってクライアントにきちんと届けることを貫けば,きっと私たちのことを認めてもらえる。それで十分だと思ってきたのです。

 日亜化学工業は徳島という地方にある企業で,広報体制も整っていませんでしたし,マスコミへの接し方がよく分からなかったということも事実としてありました。

 当社は全くうそなどついていませんから,黙っていても,専門家の方なら真実を分かってもらえると信じていました。裁判官の方なら正しい判決をしてくれると思っていたのです。ところが,意に反して「200億円」という巨額の対価の支払いを東京地裁から命じられて驚きました。

 そこでやっと悟ったのです。黙っていては本当のことは世間には伝わらないということに。そこで,当社のものづくりに対するまじめな姿勢をきっと理解してくれるであろう「日経ものづくり」に対して,まずは話をしようと思ったのです。

アニールが鍵

 まず主張したいのは,青色LEDの開発の経緯です。日亜化学工業では,1989年から青色LEDの開発をスタートさせました。そのとき先行していた,当時名古屋大学教授だった赤崎勇氏などの論文を検証する実験から始めました。サファイアの下地の上にGaN(窒化ガリウム)の良質な単結晶膜を世界で初めて作ったのが赤崎氏。これが高輝度青色LEDを作る際の基本的な結晶膜になるのです。ここに応用化技術を加えて,青色LEDの量産にこぎ着けることが,当社にとっての目標でした。

 つまり当社は,先行する「公知の技術」を学習して,これを基点に開発をスタートさせることにしました。既に存在する技術とはいえ,日亜化学工業にはそのリソースがなかったからです。そこに着手したのが中村氏でした。赤崎氏の成膜の方法は開示されていませんでしたが,結果として中村氏が2年ぐらいで赤崎氏が完成させた結晶膜のレベルに追い付いたのです。

 そのために中村氏が開発したのが,「ツーフローMOCVD(有機金属を使う化学的気相成長法)」を使ったGaNの成膜装置でした。要は,当社の社員だった中村氏が1990年に出願した特許第2628404号(404特許)の装置です。これにより,赤崎氏と同水準のGaNの良質な結晶膜を作製することができました。

 これをもって中村氏は「同装置がなければ(404特許を使わなければ),低コストかつ高輝度な青色LEDが作れない」と主張するのですが,それは大きな間違いです。

 当社から言わせれば,中村氏は実用化に向かう研究のための下地を作っただけ。既に世の中に存在していた,赤崎氏が生み出したものと同じ水準の試料を,違う方法で作ることができただけなのです。

 量産までこぎ着けるには,この試料を基にさまざまな応用技術を投入することが必要でした。中でも,量産化に一番貢献した技術が「アニール」です。アニールとは「焼きなます」という意味で,こうしないと工業的に青色LEDは作れないのです。

 LEDではpn接合の半導体を作るために,n型の半導体(膜)とp型の膜とを組み合わせる必要があります。ところが,GaNはそのままではn型の膜にしかなりません。そのため,p型の膜をどうやって作るかが世界中の研究者の目標になっていました。一般の半導体はMg(マグネシウム)を不純物としてドーピング*2するとp型になります。しかし,GaNはMgをドーピングしてもp型にはならず,絶縁体になってしまいます。Mgに付いている水素がp型になることを妨げるからです。

 それをアニール,つまり600℃前後で加熱するとp型に変わること(アニールp型化現象)を世界で初めて発見しました。この温度で熱すると水素が除去され,Mgの活性を取り除いてp型になるのです。

 これを発見したのは,中村氏ではありません。中村氏とともに働いていた若手の研究員が,幸運にも偶然発見したものでした。この研究員がアニールp型化現象を中村氏に報告しましたが,当初中村氏は「そんなはずがない。間違っているだろう」と否定していたくらいです。

 既に青色LEDや,それを基にした白色LEDの市場には世界でざっと50社が参入していますが,アニールの工程なくして商品化している会社は1社もありません。世の中に全く存在しなかった技術を発明したという意味で,アニールp型化現象の発見の方が,既に存在していた平滑なGaNの膜を得ることよりも重要度や貢献度は高いのです。

「報奨」は11年間で6195万円

 もちろん,アニールだけではありません。ほかにも性能向上のための技術や量産のための技術など,当社が青色LEDや白色LEDを商品化するまでには,大勢の技術者や研究者たちの努力がありました。

 もちろん,中村氏の貢献も認めています。青色LEDを研究テーマに選んだのは彼です。公知の技術とはいえ,当社になかったリソースにもかかわらず,文献の助けや外部の研究者の方などに教えてもらいながら,2年ほどで世界のトップ水準の結晶膜を日亜化学工業にもたらしたわけですから。それで将来の量産化に向かう「たたき台」になったのは事実なのです。

 この貢献に対し,当社は中村氏にボーナスや昇給という形で報いてきたつもりです。1989年から11年間の合計で,同世代の一般社員よりも6195万円ほど上乗せして支給しました。45歳で中村氏が退職する際の給与所得は2000万円弱。決して少ない額ではないと思うのです。中村氏は404特許の発明で得た報奨は,特許出願時と成立時の合計で2万円しかないなどと言っているようですが,そんなことは決してありません。

量産に使えないツーフロー装置

 先ほども言いましたが,ツーフローMOCVD装置はあくまでもサファイアの上にGaNの結晶膜を作るためのものであって,これだけでは青色LEDにはなりません。ほかに必要な技術がたくさんあるにもかかわらず,なぜ中村氏の貢献度(配分率)だけがあれほど高く評価されるのかが理解できません。世間も誤解しているようですが,今回の訴訟は青色LED全体に対する特許訴訟ではなく,その一部であるGaNの結晶膜を作る装置の特許に関する訴訟なのです。にもかかわらず,裁判所が算出した増分利益は,青色LED全体,いや,白色LEDまで含めたものになってしまっています。

 しかも,実はツーフローMOCVD装置は効率が低過ぎて量産には使えませんでした。実験室レベルの装置だったのです。そのため,量産工程では別の方法を使ってきました。さらに言えば,ツーフローMOCVD装置に関する特許は,中村氏が特許申請する前に何件か出ています。GaNを成膜するための特許もあったくらいです。

 中村氏は1994年以降,自分で実験はしていません。周囲の共同研究者の研究成果を筆頭者(ファーストオーサー)として対外的に発表してきました。こうした地方の会社から,日本だけでなく海外の学会でも発表してきたのです。だからみんなから「スーパーマン」のように思われてきました。論文の書き方も学会発表の意味も,当社の社員はよく知らなかったのです。「自分の名前が出ているからいいか」という程度でみんな仕事をしていました。

 ここが一番の問題だったのです。地方の会社で中村氏を自由にさせておいたから。中村氏が筆頭者として発表したあれだけの量の論文は,とても中村氏が自分で行った実験だけでは作成できません。

 その結果,世間が中村氏に注目し始め,いつの間にかみんなが「404特許は青色LEDを生み出すための基本特許であって,それは中村氏が1人で発明した」というふうに思い始めたのです。裁判官の方はきちんと調べてくださると思っていたのですが,やはりこの件は技術的に分かる方に評価していただかないと判断は難しいようです。

開発中止命令など出していない

 確かに,技術者の中にはことさらに自分がやったことを強調する人もいます。しかし中村氏の場合,そういうレベルの話ではありません。本当に不可解なのは,あらぬうそを平気でつくことです。例えば,法廷で彼は「社長から青色LEDの開発中止命令が2度出た」と言っています。

 誰かその証拠を見た人がいるのでしょうか。「開発中止命令のメモが回ってきた」と中村氏は言いますが,それを誰が見たのでしょう。裁判官も弁護士も見ていないのです。それはそうでしょう。誰も開発中止命令など出してはいないのですから。

 事実,試験研究費や設備投資,開発要員の推移を見れば分かります。青色LEDに関する研究を始めた1989年から,試験研究費も設備投資費も開発要員も,毎年のように増やしてきました。現実問題として,これほどの人,モノ,カネを投じておいて,開発中止命令など出せるでしょうか。

 東京地裁で裁判官の方は「貧弱な研究環境で個人的能力と独創的な発想により世界的な発明を成し遂げた希有けうな事例」であると判決時に述べました。しかし,これも納得がいきかねます。1986年に当社は10億円を使って,研究棟を新設しました。床面積1万m2,6階建てです。1989~1993年までにガス系統などを含めて4億円はするMOCVD装置を5台も購入しています。地方の企業でこれだけの研究設備をそろえていたのです。一体,これのどこが「貧弱な研究環境」なのでしょうか。

 「貧弱な研究環境」という表現は,中村氏自身が書いた本や記事,インタビューを受けた雑誌などに見られるものです。要は,自分でそう表現しているだけなのです。

気が付いたら「悪者」に

 当社を訴えたことに関して,中村氏は「日亜化学工業が訴えたから反訴した」と語っていますが,これには「裏」があります。2000年9月22日,日亜化学工業は米Cree社から訴えられました。その4カ月以上前の2000年5月1日,中村氏はCree社と雇用契約を結びました。そして,それとは別に中村氏は日亜化学工業を訴えるという契約をCree社との間で結んでいるのです。もちろん,中村氏はCree社からインセンティブ(ストックオプション)を受け取ってのことですが。訴訟費用もすべてCree社が負担するという契約でした。それを知った当社は,2000年12月21日,Cree社を反訴するとともに中村氏を訴えたのです。

 ところがその後,当社とCree社は2002年11月14日に和解しました。それで残ったのが,2001年8月23日に中村氏が訴えた日亜化学工業との間の訴訟だということです。

 もちろん,当社はこうした事実を資料として裁判所に提出しました。裁判所で真実を訴えさえすれば,私たちは公正な裁定がされると思っていたのです。マスコミを通じて広く世間にコメントを発表するといった発想はなく,裁判とはそういうものだと思っていました。

 中村氏は,当社で青色LEDの開発を提案した本人ということから,世間に対して当社の青色LED関連の発表をする窓口を務めていました。加えて,先述のようにファーストオーサーとして論文を発表してきました。学会に訪れた研究者たちは,その内容が実は日亜化学工業の多くの技術者たちが成し遂げたものではなく,中村氏が1人で実現したものだと思ってきたのです。そうした外部への発言が,彼を「スター」に祭り上げ,いつの間にか世の中は,中村氏が発言したことを鵜呑うのみにするようになってしまったのです。

 ものづくりは日々改善が必要で,3日もさぼればすぐに他社に追いつかれ,追い越されてしまいます。だから,中村氏が何を言おうが,相手にせずにものづくりに力を入れる方を当社は選んできました。その結果,世間からは「日亜はなんてひどい会社なんだ」などと思われてしまいました。このままではこれまで青色LEDや白色LEDの開発に尽力してきた当社の多くの技術者や研究者たちが,あまりにもかわいそうです。

 いったん,イメージが付くとそれをぬぐい去るのは大変かもしれません。でも,これからは世間に対して説明し,理解してもらえるように発言していくつもりです。(聞き手=近岡 裕)

ノーベル賞・中村修二教授だけはいただけない

今年のノーベル物理学賞は青色発光ダイオード(LED)の開発に寄与した3人の日本人研究者が受賞した。赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・名古屋大教授(54)は高輝度のLEDに欠かせない良質な結晶を作製、窒化ガリウムの半導体で青色に光るLEDを作ることに成功した。中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)は日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員時代に製法を進化させた功が認められた。

赤崎、天野、中村の各氏(左から)

赤崎、天野、中村の各氏(左から)


赤崎勇氏と天野浩氏はその後の発言をきいていても、いかにも実直な研究者らしく淡々と科学の面白さを語って好感をもてるのだが、もう一人の中村修二氏の言動はいただけない。特許権を振りかざして権利ばかりを言い立てて、現在進んでいる、社員が仕事で行った発明(職務発明)の特許権を「会社のもの」にする特許法改正の動きに、自身の経験から「猛反対」とまくしたてている。どうにも日本の科学者らしくない異質の人物のような気がするのはブログ子だけだろうか。

中村氏は青色LEDを発明した対価として、開発時に研究者として勤めていた日亜化学工業に200億円を請求する訴訟を起こし、8億円超で和解した。この訴訟は会社の金と研究施設を使って得た成果をすべて個人のものとするもので、危機感を持った経済団体などによる制度見直しを求めるきっかけとなった。本人は2000年に研究の拠点を米国に移し、「研究費を自ら集める必要があり、米軍関連の予算を受けるため」に、約10年前に米国籍を取得している。

米国籍というのでアメリカ人扱いされて今回も全米のテレビでは米国人受賞者としてコメントを求められているが、彼は日本企業での研究開発環境は奴隷並みであり、会社を退社した後も企業秘密漏えいの疑いで訴えられたりして、日本では研究者がどれだけ虐げられているかテレビカメラの前で力説しているという。

さらに当時勤めていた会社(日亜化学工業)が発明特許を独占したことや、莫大な利益を会社にもたらした自分の発明に対して数万円の報奨金だけしか貰っていない(8億円で和解した)不公平さ、さらに渡米後にその会社から企業秘密漏えいの疑いで提訴された怒りをまくしたて、日本企業に対する怒りがノーベル賞研究のエネルギーになっているなどと語っているのである。

受賞発表後3人は一度も一緒に並んだことがない。それどころか犬猿の仲と言っても良いほどだという。というのも先の裁判で証人に呼ばれた、青色発光ダイオード自体を開発した天野氏は中村氏が開発したとされているツーフロー装置は特許として全く価値がないものだと証言しているほどだという。3人のうち2人のノーベル賞には疑義がないが、中村氏の受賞は何かの間違いだとしう巷間の噂もあるくらいなのである。

12月10日の授賞式の夜、3人はどういう形で「同席」するのか、別な意味で興味が出てきた。

ブログの亭主 下山しました

3か月余の八ヶ岳暮らしは木樵りと笹刈りに明け暮れましたが、なんとかこなして連休明けに下山しました。おりから我が山墅の前を通る幹線道路では水道管の取り替え工事と舗装工事が行われていて、我が国の「工事現場」の素晴らしさに感心しながら毎日「野次馬」をやって進捗状況に見入っていました。作業員の皆さんと仲良くなりお茶に招いたり招かれたりして作業手順にくわしくなりました。このことはいずれ書く事にします。

山にいる間に、朝日新聞がいわゆる「従軍慰安婦」を巡り吉田清治という詐話師の話に基づく16本の記事を取り消しました。また福島第1原子力発電所所長として過酷な現場を指揮した吉田昌郎氏が全員退避をはかったといういわれなき記事を掲載したことも誤報、虚偽と認めました。両方の誤報が「吉田」がらみですが、その「志」(こころざし)の違いには天と地ほどの差があります。ま、間違いなく今年の十大(重大)ニュースに入る(朝日以外では)出来事です。

また産経の加藤達也・前ソウル支局長が日本のコラムに、朴槿恵大統領(62)が旅客船「セウォル号」が沈没した4月16日に男性と会っていたという韓国紙「朝鮮日報」の記事を紹介したのが名誉毀損だと韓国検察が起訴、出国停止措置をとるという呆れ果てた韓国の所業にも山の中から噴火していました。

留守中このブログにスパムメールが6000通あまり殺到していました。ターゲットにされていたのは「河野洋平と韓国のウソ」とか「韓国人のディベート術」など韓国絡みの記事に対してでした。翻訳ソフトで書いたらしく脈絡のない日本語だらけなので出処はおよその見当がつきます。幸い今のブログには「モデレート機能」というのがついていて、一括削除できますが、100件ずつくらいなので60回削除キーをたたくわけで結構時間がかかります。でもかの国に「愛読者」がいるというのも面白いものです。

雑用いろいろあり、執筆再開は少し先になります。

ブログの亭主 暫し山中に在り

恒例ですが、ブログの亭主は本日よりしばらく八ケ岳山中に移ります。
新聞なし、テレビなし、パソコンもなければ繋がるネット環境にも無縁です。
したがってこのブログもサイトの更新も暫時休載します。

サイト「八ケ岳の東から」の「ソローの『森の生活』」に書きましたが、望んで求めた環境ですので何ら不満はありません。

悠然として 南山を見る
山気(さんき) 日夕(にっせき)に佳し
飛鳥(ひちょう) 相与(あいとも)に還る
此の中(うち)に 真意有り

陶淵明の「飲酒」の一節の心境ですが、日の出とともに起き、日が傾けば酒を飲み、沈めば寝る毎日です。
外界のニュースは朝晩7時のNHKラジオで知るのがすべて。
主な仕事は、木を伐り、落木を運びことと、花が咲くまで7年ほどかかるコオニユリの育成で、夕闇とともにやってくるキツネと食事の一部を分け合う生活です。

そんなことで下山する10月中旬までブログ、サイトとも更新休みます。

我が山墅の2階から見た横岳の上に残る「有明の月」

我が山墅の2階から見た横岳の上に残る「有明の月」

こんな小3女児がいればイジメはなくなる、

今日、習近平韓国訪問というので、1300年属国だった国にまた擦り寄る愚かな国のことに触れようと思ったが、ブログの亭主は明日から留守にする。最後は「いい話」にしたいと思ってこちらにした。

愛知県三河地方にある公立小学校3年の教室内で8~9歳の男児2人と女児の計3人が、同級生女児へのいじめをかばおうとした女子児童(8)の背中をたたいたり、跳び蹴りしたりし、頭部打撲など1週間のけがを負わせた事件。

市教委の発表。新任教師だから、などの言い訳に終始した。

市教委の発表。新任教師だから、などの言い訳に終始した。

愛知県豊橋市教育委員会が1日公表したところでは、このクラスのある女児は4月以降、男児らから砂をかけられたりからかわれるなどのいじめを受けていた。今回怪我をした女子児童が6月2日、「いじめるなら私を代わりにいじめて」と発言したところ、男児らが3日午後の休み時間に教室で暴行した。数分後、授業のため教室に来た男性担任(23)が気付いて暴行を止めたが、女子児童を病院に連れて行かず、両親にも連絡しなかった。

担任らは4日に両親を訪ね事態を説明。両親が女子児童を病院へ連れて行くと、1週間のけがと診断された。女子児童は5日から学校を休んだが、男児らとその親が謝罪したため、27日から登校を再開したという。聞き取りに対し、3人は「深く考えずにやった」と説明している。

どこにでもいる悪ガキのいじめだが、この女子児童の「いじめるなら私を代わりにいじめて」という言葉は誰にでもできる発言ではない。自己犠牲という宗教的「高み」すら感じさせる立派な行為で、今どきこんな小学3年生がいたかとほんとに驚いた。このような児童がクラスにあと1人、2人いたらいじめ問題など起きないだろう。

それにしてもこうした児童が育った家庭環境を知りたい。豊橋市政記者クラブの記者諸氏は直ちに両親とこの女児に会って、その教育方法を取材して欲しい。そして仮名でも構わないから深く掘り下げてもらいたい。きっと日本のいじめ問題に深く示唆するものが得られるはずだ。

W杯ブラジル大会では負けた日本のサポーターがスタンドでゴミ拾いをしている光景や、負けた選手を迎えに出発時に匹敵する数の人が成田に集まったことを取り上げ、自国にはない日本人の素養について考察する海外の論調が目立つようになった。

日本には批判的な論調が目立つ中国だが、中国新聞網は30日、「華人女性が東京で交通事故死、日本の民衆が供養」と題した記事を掲載した。記事は、東京・池袋で脱法ハーブを吸った男が運転する車が暴走し、30歳の中国人女性を死亡させた事故を伝えた上で、事故現場には多くの献花が供えられ、毎日大勢の通行人が手を合わせていると驚きをもって報じている。

ネットでは上海であったある出来事を「なにかで自分を激しく削られた感じがした」と振り返っている。あるスーパーマーケットで1歳の娘と買い物をしていると、娘がおやつ売り場の商品をいじって崩してしまった。そのまま立ち去ろうとしたところ、日本人の母子がやってきて、5歳くらいの男の子が娘がいじった商品をきれいに並べ始めた。その時の気持ちを上記の「激しく削られた感じ」と表現し、日本人の素養について「日本民族には我々が恥ずかしさを感じるような点が多い」としている。

「いじめるなら私を代わりにいじめて」と言える子どもが増えれば確実にいじめはなくなる。文部大臣、いや総理大臣でもいいが、すばらしい行動をとったこの女児を訪ねて、将来の施策へのヒントを与えてくれたことに謝意を伝えてほしい。

長良川鵜飼いが不振の理由

鵜匠が鵜を操り、アユを取る鵜飼い。昔からの様式を守り約1300年の伝統漁が苦境に直面している。全国最大の集客を誇る「ぎふ長良川鵜飼」(岐阜市)は、観覧船乗船客が昨年まで4年連続で11万人を割り込み、回復の兆しがみえない。

001乗船客数は1960年代後半から25万人以上となり、NHK大河ドラマで岐阜市が舞台の「国盗り物語」が放映された73年には過去最高の33万7337人を記録した。だが、94年には20万人を割り込み、90年代後半からは10万~12万人台で推移するようになった。

「今年はアユの遡上(そじょう)もいいようだし、乗船客は昨年より1万人多い11万5000人を目標にする」。岐阜市の細江茂光市長は、定例記者会見で今季の乗船客数目標を掲げた。予約状況は前年をやや下回るペースだったが、細江市長は強気の姿勢を崩さなかったが予約状況は前年を下回っている。(毎日新聞)

◇ ◇ ◇

なぜだろうと思う人が多いだろうが、ブログ子は10数年前にこの日の来ることを予想していたので、やっぱり、という思いで新聞記事を見た。当時岐阜県の観光協会の招きで訪問したが、あまりにもがっかりしたので、協会長に「これではジリ貧になるばかりでしょう」と辛言を呈したことがあるのだ。

長良川鵜飼いは約1300年の伝統を誇る。長良川鵜飼の鵜匠6人と、上流の小瀬鵜飼(岐阜県関市)の鵜匠3人は「宮内庁式部職」の職位を与えられ、取ったアユを皇室に献上する御料鵜飼を行う。関係者には「鵜飼といえば長良川」との強い自負がある。乗船客数は1960年代後半から25万人以上となり、NHK大河ドラマで岐阜市が舞台の「国盗り物語」が放映された73年には過去最高の33万7337人を記録したこともある。

鵜飼いといえば鵜飼観覧船と鵜舟(鵜匠の船)が併走しながら川を下り、篝火の下で鵜が鮎を捕らえる様子を見るものという期待がある。しかし現場に行くと、確かに鵜舟に乗るのだが、ほんの2,30メートル上流に上ると川原に接岸、トイレの人は渡り板をわたって川岸に設けられた恒久施設のトイレに行くよう案内される。

一緒に川を流れ下るどころか、接岸した岸辺から流れ下ってくる鵜舟を陸から眺めるだけなのである。パンフレットには確かに「河川の増水時等には、安全面から、鵜飼観覧船を岸に着けたまま鵜飼をご覧いただく場合もありますのでご了承ください」とあるのだが、年がら年中増水のようである。要するに舟には乗っているものの観覧席から鵜飼の光景を眺めるだけなのだ。

しかも値段がべらぼうに高い。たったこれだけのショーに、その後値下げしたとはいえ「大人3400円」「子ども1700円」(現在)である。親子4人で1万円札で足りない。これでは二度と行かないだろう。ブログ子は友人知己にその後「止めとけ。飛騨高山に滞在時間を振り向けたほうがいい」と忠告したものである。

格式をいくら宣伝しても、魅力の中心である、鵜舟と一緒に川下りしながら、水をかぶりながら、間近に鵜飼いを見るという肝心の部分を見せず、観覧席に貼り付けにしていたのでは客は二度と来る気を起こさないのはものの道理だろう。

隣の「木曽川うかい」(愛知県犬山市、岐阜県各務原市)では女性鵜匠を起用して客足が増えたそうだが、そんなものではなかろう。鵜飼いを一見さん相手のショーにしたのが悪いのである。

10年後、今日の朝日・毎日の記事を読もう

集団的自衛権をめぐる一部新聞の報道は常軌を逸している。ブログ子は60年安保世代で、当時はゼンガクレンのデモ隊の「先頭」ではなくなく「中段」くらいを突っ走っていた。検挙されたこともあるが、「若者を明日にも戦場へ送る」安保条約という全新聞に共通の見出しを信じた。

今その時と同じ見出しが踊る。当時は全メディア揃って煽ったが今回は朝日、毎日、東京、プラス共同通信配下の地方紙くらいで読売、産経は集団ヒステリーには入っていない。 「教え子を戦場に送りたくない」と悩む教師の話をせっせと紹介し、国会前のデモ隊のコメントと写真をことさら悲壮に伝えるそれらの新聞しか読んでない人には、是非この日の記事をスクラップしておいて10年後、20年後に再読されることを勧める。

70年安保の狂騒をみで「少しおかしいぞ」と感じ、さらにその10年後には安保闘争そのものを「バッカじゃなかろか」と総括するに至ったブログ子と同じ虚しさを感じるであろうことを保証する。もっともいまだにわからず、殺し合い殴り合いを演じている中核、革マルの老年闘士もいることはいる。

この人たちに10年後に感想を聞いてみたい

この人たちに10年後に感想を聞いてみたい

朝日はデジタル版で午前8時11分、「号外」を出した。そのリードが「他国のために武力行使する集団的自衛権をめぐり、自民、公明両党は1日朝、行使容認で合意した。日本の安全保障政策は大きく転換されることになる」とある。公明党が「行使に二重三重に足かせをかけた」というのに、これである。

「日本政治の現状は、権力分立など眼中にないかのようだ。国会も無視したまま、しゃにむに集団的自衛権をめぐる憲法解釈をひっくり返そうとしている。日本のたがを勝手にはずしておいて、この政権がしっぺ返しを食わないとは思えない」(天声人語)。社をあげてのキャンペーンである。

毎日新聞は政治部長名で「現在の政治状況は、時の多数派のトップの意向が政策を左右する傾向にある。しかし、トップの思想信条によって国家の根幹が変更されることまでは、日本社会は決して許容していないと思う」とある。つづけて、衆参両院議員には「選良」としての責務を果たしてほしい。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない━と断定している。

先ごろ従軍慰安婦問題でやっと検証結果がでた。いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」だったにもかかわらず河野洋平官房長官が記者会見で、強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている。つまり、当時の日本政府はトップどころか一官房長官が勝手に事実を曲げていたのである。

韓国では日本が検証結果をだしたことで政府も議会も大騒ぎである。自分たちのボロが出たからだ。日本は正々堂々と事実を押し通せばいいのである。「多勢に無勢」で片付けられるテーマではない」そうだが、公明党一党を納得させるために重箱の隅をつつくような文言の修正を重ねた経緯は、多勢に無勢の逆にしか見えないのだがどうか。

ノーテンキな新聞に欠けているのは軍事知識である。どこの新聞社もしっかりした軍事記者を育ててこなかった。育てようにも手を挙げる記者などいなかった。「税金泥棒」と叫ばれている自衛隊で戦闘機や潜水艦や戦車のことを勉強して世界情勢を展望する者などいるワケがない。だからトンチンカンな平和論がまかり通るのである。

アメリカは世界の警察官をやめようとしている。こういうときいつも国内ではモンロー主義が幅を利かせる。日本に自前で防衛力をつけさせアメリカの安保政策の一翼を担わせようとするだろう。集団的自衛権などよりそちらの方が問題なのだ。いずれにせよ7月1日付けの新聞は取っておいて10年後に彼らの今日の論調を検証しようではないか。腹が捩れるようなものになると思う。

3大激痛のうち2つも体験した

世に尿管結石、痛風、胆石を「3大激痛」という。胆石に変わって心筋梗塞、腸閉塞、解離性大動脈瘤が入ることがあるが前の2つは不動の地位を占めている。ブログ子は、何の因果かその2つを患ってのたうち回った。

尿管結石は結婚して間もなく横浜・日吉の社宅で発病した。夜中2時頃激痛に襲われ50メートルほど先の内科医院のドアを叩いた。歩くのもままならずドンドン戸を叩くとややあって医者の奥さんが出てきた。痛くて症状を説明することもできない。看護婦を兼ねているようで、察したらしく、先生を呼んできますからと奥に消えた。

医者がペッタンペッタンとスリッパの音を立てながら2階から下りてきたが、これが許せない。「なぜ走ってこない」と怒鳴りたいが声をだすこともできない。ところがその時どこかのおばさんが痛い痛いと駆け込んできた。「胆石のようですね。そちらを先に拝見しましょう」というに至って、「オレが先に戸を叩いたのに」と殺意を抱いたほどである。

こうした結石が尿管を塞いで激痛を引き起こす

こうした結石が尿管を塞いで激痛を引き起こす

夜中駆け込んでくるのは尿管結石か胆石と相場が決まっているとは後で知った。ブスコバンという尿管拡張剤を注射されると針が半分ほど進んだところでケロッと痛みがなくなった。帰りは口笛を吹いて帰ったほどである。

3ヶ月後、また発症した。家を変わっていて今度は新宿のカトリック系病院だった。手術しましょうというので、早くやってくれと願ったが、切るのは痛みが去った2,3日後だという。原稿がたまっていたし、痛みもないのにあほらしいから病院を脱走した。だが2週間後再発して同じ病室に運ばれた。「脱走しない、と一札入れろ」と婦長がやってきた。

右の背中の後ろを盛大に切られて1カ月も入院した。20年後、部下の記者が尿管結石で手術のため入院すると言うので、いろいろ教えようとしたら「今じゃ超音波破砕機があって一晩の入院ですよ」というのであっけにとられた。30年後また発症してその破砕機のおせわになった。簡単とはいっても、結石に照準を当て1分間に100発、都合30分間も連射されたらぐったりとなったが、医学の進歩は早いと実感した。

痛風は新聞社の横浜総局で発症した。痛くてじっとしてられない。昼間いるのは女性ばかりのところで、足の親指が内側に曲がっているのを見て「外反母趾だ」と口をそろえていう。当時は桜木町駅から東横線が出ていたから、片方の靴を脱いで手にぶら下げ靴下のまま他人に踏まれないようにソロリソロリと歩いて、渋谷に出て、高田馬場から出迎えた家内の車で練馬の親戚の医者のところに行った。

痛風の多くは足の親指の付け根が腫れ上がる。文字通り風が吹いても痛い。

痛風の多くは足の親指の付け根が腫れ上がる。文字通り風が吹いても痛い。

「外反母趾のようだ」といったら、従兄が「お前さんハイヒールを履くのかい。これは立派な痛風だ」という。方法は二つある。一つはビールはじめ酒はダメ。肉ダメ、牛乳ダメだ。もう一つはプリン体を抑える薬を飲む方法だ。ただし一生飲み続けなければならない。さてあんたはどっちを取る?ときた。お陰で今現在も薬を飲みつつビールを飲んでいる。

理由はわかっている。この時期ブログ子はホテル業界にちょっとした顔で、発症の5日ほど前、鳥羽国際ホテルに招かれた。伊勢海老、アワビ、うになどの海鮮コースと、松阪牛の刺し身やステーキを中心にした肉料理を総料理長が用意しているという。一泊予定だったので、えいっ両方一度にごちそうになろう、と申し出たのである。もちろん生ビールは飲み放題である。

先週こんな記事を見た。

痛風の予備軍である「高尿酸血症」へのなりやすさは、肥満や飲酒の習慣よりも特定の遺伝子の変異に左右されるとの研究結果を防衛医大などのチームがまとめた。痛風は、尿酸が結晶になって関節にたまることで、激しい痛みを引き起こす。成人男性の4人に1人は、血液中に尿酸が多い高尿酸血症の状態。健康診断を受けた35~70歳の約5千人の血液や体重、飲酒量などのデータを解析したところ、高尿酸血症だった約千人のうち29%は遺伝子の変異が主な原因で、肥満(19%)や大量飲酒(15%)よりも影響が大きかった。

変異があったのは「ABCG2」という遺伝子で、変異があると尿酸を体の外へ出す量が通常より25~75%減る。25%減る変異の場合、身長160センチの人で5キロ、170センチの人で5・7キロ、180センチの人で6・4キロ太るのと同じリスクをもたらすとわかった。飲酒と比べると、ビールを週13リットル飲むのと同程度だった。

遺伝子操作で痛風とおさらばする時代が来るかもしれないのだ。くそ!世の男どもにあの痛さをもっと味わわせてやりたいのに、医学の進歩は早いもんだと無念の思いである。

移民政策の危うさ

名称未設定 1①何もしなければ、日本の人口は2110年には4286万人に減る。 だが、外国からの移民を毎年20万人受け入れ、出生率も回復すれば100年後も人口は1億人超を保つことができる――内閣府が24日示した試算。

②自民党は26日、外国人労働者の受け入れ拡大を求める提言案をまとめた。外国人の技能実習制度について、現在の最長3年間の受け入れ期間を5年に延長することが柱。

20131202013610469移民と技能研修生とは違うのだが、現在言われている「移民政策」では、減少する人口を外国人労働力で補おうとする意味で使われ、ひとまとめにして「移民」と言っているようだ。官も民もメディアも「移民」ですべてが万々歳という論調ばかりで、その危険性について触れたものを見かけない。

ブログ子は1ドル=360円時代ヨーロッパを歩いた。ロンドンのホテルでは朝食時のサービスはほとんどアフリカ系の女性だった。イギリス人は紅茶にうるさく、淹れた紅茶に温かいミルクを入れるのか、温かいミルクで紅茶を淹れるのか細かく注文する。でもそれはほとんど不可能で、オートミールについてくるパウダーシュガーが普通の砂糖だった。

パーティーで一緒になったイギリス人貴族に聞いたら、ニヤッと笑って「ホテルには行かない。自分のクラブで食事する」というものだった。執事がいるようなクラブではイギリス人のサービス係がいて注文通りの紅茶が出るというのだ。スイスのチューリッヒのホテルで夜明け近くの町を見ていたら、ごみ収集をしているのはみなアフリカ系の男性だった。
1ドル=200円時代再びヨーロッパに行ったらさらにその数が増えていた。

植民地経営をした国は3Kを始めとする単純労働者は昔の植民地からの労働力に頼って居た。植民地経営をしなかった国も見習ってどんどん移民を受け入れた。その結果どうなったか。

OECDの移民(外国生まれ)の人口比率は、2011年度統計で、ルクセンブルグ42%以上、スウェーデン27%、豪州27%、イスラエル24%、NZ24%、カナダ20%だ。移民先で誕生した2世、3世は統計外なので、移民家族数は実質もっと多い。
なかでも急増したのは230%増のイタリア、スペイン、そしてノルウェー180%だ。急増した国での移民との軋轢は深刻である。ドイツへの移民は年々増加し、2013年は過去20年間で最高記録となった。昨年ドイツの移民の数は122万6000人に達し、人口比13%。米国に次ぐ移民大国になった。仏、英は5%から10%だが治安問題から宗教問題はては文化面での軋轢や反移民を掲げる右翼の台頭など社会問題は増大するばかりだ。

ドイツ・メルケル首相が「移民政策は完全に失敗だった」、英国キャメロン首相が「移民受け入れという慈善は止めた」、サルコジ・フランス大統領も「移民の流入をこのままにして置く訳には行かない」と告白した事例をみてもヨーロッパでは破綻したのである。、

移民を受け入れる際にいつも大きな問題になるのは「日本人の雇用が圧迫される」ということだ。我が山墅がある八ケ岳は高原野菜の本場だが、昨夏キャベツ畑の中で道に迷い働いていた農民に声を掛けた。驚いたことに6人全員中国人だった。技能研修とはすでに名ばかりで、「雇用が圧迫される」どころか労働力をすべて移民に頼っている農家の現実を見せつけられた。

池袋で脱法ハーブを吸った男の暴走で中国人女性が亡くなった。気の毒だが彼女は10代で大学留学を申請して来日、就学せずこの10年余働いて中国料理店を経営し、中国に送金していた。これまた移民の一端である。

移民を受け入れることによるもう一つの問題点は、日本では語られないが移民の出生率が、異常に高いことである。例えば1990-1998年のフランスの合計特殊出生率は、フランス人女性が1.65、対して移民の女性が2.50と、実に1.5倍以上の開きがある。

アメリカではメキシコ(ヒスパニック系)の移民(不法を含む)人口が急増しているが、試算ではヒスパニック系の増加によって2050年にはアメリカは非白人の国になる、と予想されている。

つまり、冒頭の「毎年20万人の移民」を受け入れると、その第二世代、第三世代は、どんどんとその人口を拡大させていく、という事を意味する。単なる労働力の問題ではなく「わび」「さび」どころか「武士道」も失われた文化的衝突に発展する可能性がある。単に「移民歓迎」を唱えている人たちはそういうことも見据えて発言すべきだろう。

日産ゴーン社長の報酬10億円は高すぎる

他人の懐勘定をするのは下司と決まっているが、このところ日本企業が外国人トップを起用する人事が増えるとともにその高額報酬が株主など社の内外から厳しい視線を浴びることが多くなった。

日産・ゴーン社長

日産・ゴーン社長

日産自動車のカルロス・ゴーン社長の役員報酬が2014年3月期は9億9500万円になり、日産の4倍以上の純利益を稼いだトヨタ自動車の豊田章男社長は、前年より4600万円増えたものの2億3千万円だった。24日に開かれた日産の株主総会では、株主から報酬が「高すぎる」という意見が出た。これに対し、ゴーン氏は「日本でなく世界の企業と比べて欲しい」と反論した。

平成26年3月期決算の上場企業で1億円以上の報酬を受け取った役員数が27日時点で273人に達したそうだ。最高額は、東証2部上場で電子回路基板の製造を手掛けるキョウデン(長野県箕輪町)の橋本浩最高顧問の12億9200万円だった。

ブログ子は自分がいくら給料をもらっているかついぞ知らずに過ごしたから、ただただ、そんなものかと思うだけだ。オーナー社長がいくら報酬を取ろうとその会社の勝手である。自分で作り上げたのだから潰さない限り許されることだ。しかしゴーン社長の場合「高すぎる」と思う。

日産はプリンスやフェアレディーの名車があるが買おうと思ったことはない。労働貴族に食い物にされた歴史を知っているからだ。日産自動車には、かつて3人の「天皇」がいた。銀行出身の川又克二社長(86年、81歳で死去)、生え抜きの石原俊社長(03年、91歳で死去)、自動車労連(現・日産労連)の塩路一郎会長(13年、86歳で死去)である。

小説にもなったほど社内抗争は激烈を極め、川又と蜜月関係を結んだ”労働貴族”塩路が、石原と激しく対立した。70年代後半からの日産の「三頭政治」のために超優良会社だった日産は凋落し、仏ルノーに身売りしなければならなくなった。ルノーからやってきたのがゴーン社長で、好業績をバックにルノー本体のトップにもなった。

当時日産は労働争議を繰り返していた。興銀から経理担当常務として送り込まれていた川又克二は第2組合を作って労働争議を終了させようと考えた。それまでの反組合運動を買われた塩路一郎はやがて役員人事にも介入するようになった。

川又=塩路の蜜月は20年間続いた。77年6月、社長に就任した石原俊は「労使協調路線の名を借りた労組(=塩路)の経営介入がある限り、日産に21世紀の繁栄はない」と考え、労使関係の是正に乗り出した。

英国工場の建設計画で、塩路の反対を無視して進められたため、塩路が率いる自動車労連は記者会見して英国進出に反対を表明。塩路は「強行したら生産ラインを止める」と迫った。会長の川又が塩路を支持し、社長の石原を批判したため、社内は大混乱に陥った。

84年1月、写真週刊誌「フォーカス」に「日産労組『塩路天皇』の道楽-英国進出を脅かす『ヨットの女』」というタイトルで若い美女と自家用のヨットに乗った塩路の写真が掲載された。4000万円はするといわれたヨットを所有していただけではない。品川には7LDKの高級マンションを持ち、日産プレジデントとフェアレディ240Zを乗り回していた。「(労組の指導者が)銀座で飲み、ヨットで遊んで何が悪い」と公言する塩路のコメントもあった。

この写真爆弾で、石原は塩路にトドメを刺した。長年に及ぶ組合内の独裁や、「労働貴族」と呼ばれる豪華な生活に不満を募らせていた工場勤務の組合員からも厳しい批判を浴び、事実上、解任される形で、86年2月に自動車労連と自動車総連の会長を辞任した。

つまり社内抗争に明け暮れなければ日産は優良企業でいられたのだが、トップの思惑に使われた労働貴族に吸い取られて企業が傾いた。「世界の企業と比べる」までもなくゴーン社長がいなくても日産は屋台骨がしっかりした会社である。ところが、かっての塩路に変わって今度はゴーン社長の高額報酬ときた。

そのせいか日産自動車が苦戦している。円安にもかかわらず2年連続で業績を下方修正し、国内自動車メーカーの中では「一人負け」の状態だ。その上で、日産社史を振り返って、改めて10億円報酬は高い、と思う。 

「対馬丸」と同じく「3船殉難」を忘れてはならない

「対馬丸」慰霊碑に花を手向けられる両陛下(27日)

「対馬丸」慰霊碑に花を手向けられる両陛下(27日)

沖縄県を訪問中の天皇、皇后両陛下は27日午前、太平洋戦争中に撃沈された学童疎開船・「対馬丸」の慰霊碑「小桜の塔」(那覇市)を初めて訪れ、供花された。 「対馬丸」は1944年8月22日、那覇から長崎に向かう途中、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦の魚雷を受けて沈没。学童780人を含む少なくとも1482人が死亡した。今年は沈没70年の節目で、両陛下は、同世代の多くの学童が犠牲となった対馬丸に以前から強い関心を持っておられて慰霊を希望された。

「小桜の塔」は、戦没学童慰霊のため1954年に建立され、そばには対馬丸犠牲者の名前を刻んだ石碑もある。スーツにネクタイ姿の天皇陛下は、皇后さまとともにゆっくりと塔の前に進み、深く一礼した後、白菊の花を供えられた。続いて10年前に開館した対馬丸記念館を訪問。学童らの遺品を見て回り、遺族らとも面会された。

 ◇◇◇

天皇陛下は当時小学1年生で日光に疎開されておられた。同じ年頃の児童が多く犠牲になった「対馬丸」事件に強い関心を示され、この日の慰霊の旅を自ら希望されたのだが、このときおそば近くで侍従をしておられた東園基文氏はその後掌典長や神社庁総裁をされて先年亡くなられたがブログ子はよく存じ上げていた。

私事にわたるが学生時代北大馬術部で馬に乗っていた。新聞記者になって馬術部東京OB会に顔を出したら会長が東園さんだった。そのお世話で御料牧場の羊肉でジンギスカンをしたが、気軽に周りのOBの子供達の世話をされていた奥様は明治天皇のお孫さんにあたる方でお妃選びの時名前が出る学習院の常磐会の会長もされた。

このOB会で先輩にあたる大場善明氏からはじめて「小笠原丸」など「3船殉難事件」を聞かされた。日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告が出たあとの昭和20年(1945)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が相次いでソ連軍の潜水艦攻撃を受け、沈没するなどして実に1708人が犠牲になった事件である。ソ連(その後ロシア)側は今も認めていないが、この潜水艦はソ連側の公式記録では「L-19潜水艦」で「1945年8月23日、宗谷海峡にて機雷により沈没、乗員は全員戦死」となっている。

余談だが、「小笠原丸」には先ごろ亡くなった元横綱 大鵬(納谷)幸喜氏母子が乗っていた。途中寄港した稚内で船酔いで下船して九死に一生を得た。船酔いがなければ不世出の横綱はいなかったのだ。

大場さんのメールにはこうあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時、私は札幌の幌北小学校3年生。母に連れられて夏休みを留萌近くの増毛の知人宅で過ごしました。私たちが増毛に到着する2日ほど前、上記の遭難事件が起きていました。その日、海辺のすべての家の柱時計が、ソ連潜水艦の発射した魚雷の爆発音で「午前4時20分」で停まっていたと言います。

増毛町にある「小笠原丸殉難碑」

増毛町にある「小笠原丸殉難碑」

夜が明けて明るくなったころ、救命ボートにしがみついた遭難者の姿を見て、海辺では大変な騒ぎとなりました。浜の漁師たちは、引揚船の遭難者を見て「避難民」を聞き違えて、「シナミン」(支那人)との噂で大変でした。私たちが「増毛」に着いたお昼頃にも、「小笠原丸」遭難者の遺体が海岸に打ち上げられる光景に足がすくみました。

今でも忘れられないのは、生後1年にも満たない赤ちゃんを背負い紐で結び、救命ボートでこと切れていた母子の姿でした。赤ちゃんのまるまる太った指が、魚に食いちぎられ爪から先が見当たりませんでした。この光景は、たぶん、一生忘れないでしょう。今も増毛海岸には「小笠原丸遭難碑」が残っているそうです。

土下座しに韓国修学旅行に行く必要があるのか

秋田県の学校の韓国への修学旅行が相次いで中止になっているという。秋田公立美術大付高等学院(秋田市)と秋田しらかみ看護学院(能代市)が行き先を国内に変更したことが25日までに、分かった。県関係者によると、これで韓国行きを予定していた公私立学校全てが取りやめたという。

そりゃそうだろう。旅客船沈没事故などを受けて、今どき修学旅行でもあるまい、と思って、新聞の秋田県版を読み進んでいて驚いた。 秋田県観光振興課によると、ピーク時の23年度に28校、24年度に26校が韓国に修学旅行に行っていたが、25年度は北朝鮮による弾道ミサイル発射の動きなどを受けて7校に減った時はあるが、補助金創設以降、ゼロになったことはなかった。県観光振興課によると、2001年の運航開始から13年度末までに、県はソウル便維持のため、大韓航空などへの補助として約16億円を支出してきた。

ソウル便は、4月に韓国で起きた旅客船沈没事故や円安の影響で搭乗率が30%台に低迷。改善する可能性も低いため、大韓航空が今月11日、10月下旬まで3か月間の運休を決めた。このため大韓航空で仁川空港経由で豪州などへの海外修学旅行にも影響が出ている。

なんで県が一航空会社に補助金を出すのか怪訝に思う人もいることだろう。ブログ子は新聞社の静岡支局長をしたことがあるが、静岡空港開設に大反対だったからよく分かるのだが、ここ10数年全国で地方空港の建設ラッシュが相次いだ。JALもANAも乗り入れ要望を政治家から頼まれて一日1,2便は付き合うが経営が成り立つワケがない。だから行政側は話題のLCCや外国エアラインに補助金を出してまでなんとか乗り入れをとお願いする。そのために修学旅行に名を借りて無理無理需要を増やす・・・という図式である。

これは秋田県ばかりでなく採算の目処もない地方空港を開設してしまった全国至る所の県で見られる。その結果修学旅行に行った高校生はどうなるか。広島県世羅高校女子生徒の体験談がある。

【私は高校2年で今日修学旅行から帰ってきました。、韓国の人に別に嫌な感情とか持っていません。韓国行きが決まってからいろいろ韓国の勉強をしました。だからこそ今回の旅行は残念なことばかりでした。旅行中、大きな体育館みたいなところで元従軍慰安婦のおばあさんのお話を 聞く機会があったんです。お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声! 私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして私が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。そのうち韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。 元慰安婦のおばあさん激しい怒った口調で言っています。 それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、先生方が「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」と言って、結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。 】

従軍慰安婦と称する女性の話を効く日本からの韓国修学旅行生

従軍慰安婦と称する女性の話を聞く日本からの韓国修学旅行生

県などが補助金を出している大韓航空機などで韓国に運ばれた修学旅行生は、今度は受け入れ側によって、上記のような従軍慰安婦と称する老婆の体験談を聞かされたり、ソウル近郊、広州市にある従軍慰安婦の収容施設という「ナヌムの家」の見学などが組み込まれている。

地方自治体が補助金を出してまで韓国の航空会社の経営を助け、出かけた先でしっかりと反日教育を刷り込まれて修学旅行生が帰国する。おかしくはないか。元はといえばハナから採算性がない地方空港の維持のため内容を見もしないで外国、特に韓国エアラインを招致した行政の失態である。

現代の「侍」を見た

小松一郎氏

小松一郎氏

前内閣法制局長官の小松一郎氏が23日未明、東京都内の自宅で死去した。63歳だった。葬儀は遺志で近親者のみで行う。

小松氏の自宅を弔問に訪れた安倍晋三首相は記者団に「小松さんは行政官として、本当に国を思い、実直に仕事をされる方だった。私も信頼していた。残念だ」と語った。

小松氏は外務省出身で国際法局長や駐仏大使を歴任した国際法のスペシャリスト。首相は昨年8月、内閣法制次長を昇格させる長官人事の慣例を破り、法制局勤務の経験がない小松氏に白羽の矢を立てた。内閣法制局は従来の解釈との整合性にこだわり、それを打破するためには小松氏の存在が欠かせなかった。

小松氏は着々と準備を進めた。昨年11月には政府が過去に憲法解釈の変更を行った前例があると答弁し、時代の変遷で解釈が変わってきた事実を指摘した。その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍が見つかり、2月の退院後も通院治療しながら国会で答弁していた。今年2月の退院後も解釈見直しに向け、政府内の調整に奔走した。だが、病魔には抗しきれず、死期を悟ったのだろう、5月に安保法制懇の報告書が提出された直後に退任し、内閣官房参与に就いた。

参院外交防衛委員会で答弁に立つ小松氏をテレビで見たが、痩せたため背広はだぶついていたものの眼光鋭く鬼気迫るものがあった。野党議員からしばしば答弁が長いと批判されたが、「重要なことだから、きちんと説明しないといけないんだ」と怯む様子はなかった。

共産党の大門実紀史参院議員とは3月7日の参院予算委員会終了後、国会内の廊下で小松氏と衆人環視の下で口論となった。「あなたはそんなに偉いのか」と言うと、小松氏は「偉くはないが基本的人権はある」と言い返した。後日、小松氏は大門氏を参院議員会館に訪ねて直接謝罪したが、その場で再び口論となり、けんか別れした。共産党議員が小松氏を「政権の番犬」呼ばわりしたが歯牙にもかけなかった。

解釈見直しに否定的な新聞社の記者が一時職務復帰した今年2月、待ち伏せして病状を聞き出そうとした際には「あなたのところの新聞は人権を重視している新聞でしょう。国家公務員にだって人権があるんです。あなたは惻隠(そくいん)の情という言葉を知っていますか」と語りかけた。

小松氏死去の翌24日、自民、公明両党は「安全保障法制整備に関する与党協議会」の第9回会合を開き、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定の内容について実質的に合意した。政府は27日の次回会合で最終案を提示する。公明党は党内の了承手続きを急ぎ、政府は7月4日までの閣議決定を目指す。

現代の「侍」を見た思いである。

いいかげんにしろ 国税庁のビールいじめ

サッポロビールは低価格の「第3のビール」として昨年6月から販売していた「極ZERO(ゴクゼロ)」について、国税庁から「第3のビールではない可能性がある」と指摘を受けたため、5月の製造分で販売を中止、製法を一部見直した上で、「第3のビール」より価格が高い「発泡酒」として7月15日に再発売する。酒税税率の適用区分の変更で最大約116億円の追加納付の可能性がある
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上の表をみればわかるがビールの出荷量は年々減少している。こうなったのは世界でも例を見ないほど高い日本の酒税にある。ビール系飲料は原料の麦芽比率などによって酒税が異なり、麦芽比率3分の2以上のビールは350ミリリットル缶で税額77円▽発泡酒は47円(麦芽比率25%未満の場合)▽発泡酒に別のアルコール飲料を混ぜた「極ZERO」など第3のビールは28円。

あまりにも酒税が高いから、メーカーは知恵を絞って酒税がより安い製法の研究に励んできた。ビールと似たような味わいを保ちつつ、製法や原料を工夫して酒税を低く抑えたアルコール飲料の開発に精を出す。麦芽を使わず、トウモロコシなどを発酵させる製法もある。この結果、発泡酒や第三のビールが出現したのだが、そのたびに国税当局が「それは酒税法違反だ」とちゃちゃをいれて課税してきた。

ドイツミュンヘンで毎年開催されるビールの祭典「オクトーバーフェスト」に行った事がある人は誰しも思うことだろうが、ほんとに美味しいビールが色とりどり出回って実に楽しい。まあ、ビール腹の心配があるにせよだ。ところが日本だけいまや「ビールとは言えないビール」ばかり飲んでいて、年々ビールの出荷量は減少の一途をたどっている。おかしくはないか。

戦後から今に至るも税収の中で酒税は大きな地位を占めてきた。だが酒税の掛け方ときたら愚行の連続である。例えば日本酒である。国税局に申告するときはすべての日本酒は「2級酒」で、あとはメーカーが税率の高い順に酒税を納めれば「特級」「1級」のラベルを貼る。これではどこのメーカーも美味しい日本酒をつくる努力などしない。

毎年秋も深まったころ、東京はじめ全国の国税局でその年の「日本酒品評会」が開かれる。ここには店頭に並ぶものとは違う酒蔵が丹精込めてつくって国税に提出した「本当の日本酒」が並ぶので、ブログ子など楽しみにしていて毎年出席していたものだが、どうやらこれは懇親に名を借りたマスコミ対策のショーだったようで、幹部は的確に「この日本酒がおいしい」と教えてくれていた。本当の日本酒の旨さは国税局の役人が一番知っていたわけだ。

ようやく改められて現在、精米歩合により
•「純米酒」-精米歩合70%以下で、香味や色択が良好のもの
•「純米吟醸酒」-精米歩合60%以下で、固有の香味を帯び、色沢が良好なもの
•「純米大吟醸酒」-精米歩合50%以下で、固有の香味を帯び、色沢が良好なもの
また特別な製法である事を表記した「特別純米酒」などが登場するようになった。

ブログ子は日本酒が好きで中でも新潟・村上市の「十四代」に目がない。「十四代」にもいろいろあって講釈すればきりがないのでやめるが、やっと馬鹿な酒税が改められて各蔵元が好きなように日本酒づくりができるようになったおかげである。だから現在が一番日本酒が美味しい時代だと思う。だが”くさい””カラッとしない”というので「日本酒離れ」の時代となり、これまた年々醸造量は減るばかりである。ブログ子は先の消費税が上がった4月に同時に酒税を引き下げる話が出ても良かったと思う。そのほうが消費量が上がって酒税収入が上がったと思う。しかるに業界からも国会からもメディアからも一言も出なかった。

安易に酒税に頼りすぎているかぎり日本酒やビールの出荷量は減り続ける。「まがい物のビール」ばかりでいいのか。どう見ても酒税改革が遅すぎる。国税庁の怠慢だ。

これは効く 法王の「マフィア破門」宣言

カトリック教会のフランシスコ法王(77)は21日、犯罪組織「ンドランゲタ(Ndrangheta)」が拠点とするイタリア南部カラブリア州を訪問し、マフィアのメンバーは全員「破門する」と宣言して組織犯罪を厳しく批判した。

受刑者に語りかけるフランシスコ・ローマ法王=イタリア南部カラブリア州の刑務所で21日

受刑者に語りかけるフランシスコ・ローマ法王=イタリア南部カラブリア州の刑務所で21日

フランシスコ法王は信者らを前に、マフィアは「悪魔を崇拝し、公益をさげすむ者たちだ。このような悪は叩きのめし、追放せねばならない」と糾弾。「マフィアのように悪の道を歩む者たちは、神に属すことはない。彼らは破門される」と述べた。カトリックでは、破門された人間は、死後に地獄で責め苦にあうと考えられている。

カラブリア州では1月、3歳の男児がマフィアの報復に巻き込まれて殺害される事件が起きている。この男児「ココ」ちゃんは、祖父が麻薬の代金を支払えなかったことを理由に、祖父とそのパートナーのモロッコ人女性と共にンドランゲタに頭部を撃たれて殺害された。ココちゃんの遺体は焼け焦げた車の中から縛られた状態で見つかり、イタリア全土に衝撃を与えた。

?バチカン広報当局によると、フランシスコ法王はココちゃんの父親と祖母に会い、慰めの言葉をかけるとともに「このような形で子供が犠牲になることが2度とあってはならない」と語ったという。

◇ ◇ ◇

門外漢ながら、法王のマフィア破門宣言は効くのではないか。映画「ゴッドファーザー」程度の知識しかないが、掟のためには殺人をも辞さないマフィアが同時に熱心なカトリック信者であるという現実はなかなか理解し難いものだが、イタリア全土に浸透しているバチカンに対する深い信仰の一端は垣間見たことがある。

現在の法王ではなく2代ほど前の法王の時代バチカンを訪ねた。上智大学の文学部長などを務めたピタウ神父が当時バチカンでかなりの実力者になっていて、ワインセラーがついた修道院を誰か日本人実業家で買う人はいないかというような話が出た。同時に、毎週水曜日に法王が10人ほどの人に面会する慣例になっていて、この人選を任されているのがイタリアで旅行業などを営む日本人女性ということで、彼女がその中にあなたを入れてあげるということだった。

たくさんの信者をさておいて曲がりなりにも仏教徒という異教のそれがしが罷り出でるのは申し訳ないと、断ったが、翌週だったか作家の曽野綾子がその中に入っていた。

不動産売買の一件は沙汰止みになったが、その修道院は昔に信者が寄進したもので、何世代か待てばまたバチカンに返ってくるようなことを言われて、息の長いバチカン商売に驚いた。コンクラーベ(法王選出の枢機卿会議)の写真などを見ると感極まって泣いている人も見かける。

シシリー島のマフィアは敬虔だったが(映画では)「ンドランゲタ」が活動するカラブリア地方の宗教心がどの程度のものか知らないが、法王に破門されたら地獄に行くというのではさぞかし効くのではないか、と考えたのだが、別の外電を見たら衝撃的なことが報じられていた。

法王は、マフィアによるマネーロンダリング(資金洗浄)のうわさが絶えなかった宗教事業協会(通称・バチカン銀行)の透明性の向上に取り組んでいる。バチカンとカトリック教会に張り巡らしたマフィアの利権ネットワークを法王が破壊しようとしていることから、マフィア摘発にあたるイタリアの検事は、マフィアが法王の暗殺を企てる可能性に言及している。

パチンコ屋のダーティーな裏側にこそメスを

法人税の実効税率の引き下げに伴う税収減の穴を埋める財源の一つとして、パチンコやパチスロの換金時に徴税する「パチンコ税」の創設が浮上しているという。1%で2千億円の財源が生まれるとの試算もある。カジノ認可の動きとともにギャンブル経済へむかっているようだが、少しおかしくはないか。取るとしても、客からではなくまずパチンコ店経営者とパチンコ機メーカーから徴収するべきで話が逆である。

img_1019578_64152717_0今年4月パチンコ業界の闇の一端が明るみに出た。東京都内や千葉県でパチンコ店やサウナ、ラブホテルを経営していて2010年に80歳で死亡した在日韓国人の李日玉氏の遺族が、東京国税局から相続財産約130億円の申告漏れを指摘され、過少申告加算税を含め約3億円の追徴税額は遺族が修正申告して納税したというのが税務当局の発表だった。

李日玉氏は都内などでパチンコ店「SHOGUN」などを経営する「日日商事」のトップだった平成3年ごろ、韓国の銀行の関係者から持ちかけられ、財産を韓国に移すことにし、現金200億円を何度かに分けて飛行機でひそかにソウルまで運んだ。李氏が死亡したあと韓国の税務当局は 60億円を課税してきた。しかし家族は「日本で納税したい」として韓国の税務当局に不服を申し立て、去年、東京国税局に事情を説明したことから韓国への巨額の資産移転がわかった。

ブログ子がかつてパチンコ業界を「指導」していた警察官僚から聞いた話だが、日本にあるパチンコ屋の3分の1は韓国人経営で、残り3分の1が朝鮮総連の直営か息のかかった人物の経営で、吸い上げた金の大半は北朝鮮に送られている。さらに残りの3分の一が日本人と台湾人の経営でヤクザの資金源になっているということだった。加えてパチンコ機のメーカーは日本人経営は少なくほとんど朝鮮半島出身者という。

これを裏付けるように大阪国税局管内の調査では、パチンコ業が脱税で15年連続のワースト1位。調査対象となった2万4604社のうち、72%にあたる1万7715社で申告漏れが見つかり、申告漏れ総額は前年比128億円増の1181億円で、加算税を含めた追徴税額は230億円である。

李日玉氏が飛行機でカバンに詰めて韓国に運んだ200億円など氷山の一角で、さらに巨額の金が朝鮮半島に還流しているとみてよい。北朝鮮のテポドンや核実験の資金は日本国内で稼いだものなのである。それなのに今度またさんざ吸い上げられたパチンコ中毒の客から換金の際に課税しようというのである。ダーティーな裏金を把握するだけでそれくらいの徴税分はまかなえるのである。

韓国は2008年からパチンコを禁止している。韓国ではかつてコンビニよりも多い1万5千軒のパチンコ店があり、 3兆円市場になっていた。ギャンブル好きな国民性から破綻者が多いことで踏み切ったものだが、減った分日本のパチンコから「徴収」しているようなものである。ついでにいえば、台湾でもパチンコは同じ理由で非合法化されている。

日本ではカジノ法案ができそうな按配である。韓国はすでにロッテワールドなど公認カジノがあるが、もっぱら外国人から吸い上げるのを目的にしていて、韓国人が出入りできるのは別な場所にあるごくごく小さいカジノだけだが、それでも門前にはクルマやブランド品を即金で買い取る質屋が軒を並べている。オケラが門前市を成しているそうだ。

河野洋平と韓国のウソ

河野談話を検証する有識者チームの報告書を読んだ。産経新聞が昨年来スクープしてきた通りの内容だ。河野談話は歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求める韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作したものであることがはっきりした。また、当時の河野洋平官房長官が政府の共通認識を踏み外し、独断的に「強制連行」を認めたものであったことが確認された。

記者会見する河野談話作成過程検討チームの但木敬一座長。右は兼原信克官房副長官補

記者会見する河野談話作成過程検討チームの但木敬一座長。右は兼原信克官房副長官補

報告書全文を掲載しているのは産経だけだが、同紙のネット版に要約したものが9分割され「政府検証全文」(ここクリックで報告書に飛びます)としてアップされているので一度覗いてみることをおすすめする。朝日、毎日はじめほとんどの新聞が韓国側の発狂せんばかりの反響ばかり取り上げていて、なかんずく、朝日は本当にあるのかどうか疑わしいが「河野談話取材班」の名前で「産経新聞は昨年10月16日、16人の証言内容を報じ、『氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料として通用しない。河野談話の正当性は根底から崩れたといえる』、としていたが、否定された」と得意げに報じているが、そりゃ逆だろうと言わしめる内容である。

 「(政府の)一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」だったにもかかわらず、平成5年8月4日の談話発表時の河野氏による記者会見で、記者から強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている」。つまり河野洋平独断で強制連行を認めたのである。国家意識などまるでないまさに「国賊」の名に値する話である。産経その他のインタビューを拒否するのもむべなるかなである。

この談話は二重三重に韓国側とすりあわせたことも暴露されている。「日本側が自主的に作成した」というのが韓国側の態度だが盗人猛々しい言い分ではないか。こういう文言なら納得すると匂わせながら、発表後は河野談話を政治的に利用しまくってきたのは韓国側である。今回の発表でメデイアは「日韓断交」とほざいているところがあるらしいが、勝手にそうするがいい。日本人の気持ちはとっくに韓国とは断交している。

いわゆる従軍慰安婦には一人あたり200万円がアジア女性基金を通じてすでに支払われていることも判明した。噂としてはあったが談話発表とほぼ同時にさっさと金は渡っていたことがはっきりした。いわば慰謝料で、これで終わりにしたいという日本側の甘い判断ゆえのことだが、そんなことはおくびにも出さず、さらに日本側から金を引き出そうとしている昨今の従軍慰安婦のしたたかさにはあきれるばかりである。

さんざすり合わせをした挙句、日本側から韓国側に「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と申し入れ、韓国が了解したというに至っては何をかいわんやだ。こんな信義なき国を相手に国家観もない河野洋平官房長官が、百年の禍根を残す談話をいけしゃあしゃあと作り上げたかと思うと憤激するばかりだ。一度みなさんも上記の報告書に目を通すことをおすすめする。